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すみません、2点訂正です🙇♂️①福知山駅の所在地は兵庫県ではなく京都府です②3:31「太田市」→正しくは「大田市」駅です
すみません、2:31ごろから始まるbgmの名前を教えていただけると幸いです!
他の方も言及している宮脇俊三氏が824列車を乗り通した際のエッセイというのは『旅の終りは個室寝台車』に収録されています他の列車も興味深いものが多いのでよければ是非…
2023年現在、下関5:40の長門市行きから順に乗り換えていくと福知山23:12今でもあまり変わらない…
門司発じゃないのが惜しい。関門トンネル上り初電が5:54だから無理か……
西園寺さんに挑戦して欲しいww
1979年の冬休み、初めての遠距離一人旅で乗ったのが、824列車でした。板張り背もたれの旧形客車、乗り合わせた方に家出じゃないか?と心配されたのも思い出です。その後も、乗り鉄の旅は続けています。アップありがとうございます!
オハ61系経験者
@@埠頭半田 私も経験者っす😁
オハ61系はよほどのことがない限り、称されなかったのでは?途中までの増結車両では時々あったみたいです。全区間はなかっような?
私も、この列車を乗り通しました。昭和56年9月のことです。新幹線とブルトレ「あかつき」で門司まで行き、すぐに824ㇾに乗って、福知山へ。「山陰号」で京都へ出て、新幹線で帰京しました。車掌さんが、「記念に」と言って、餘部〜香住の車内補充券をプレゼントしてくださったことは、忘れられない思い出です。
わたしは実際に乗りましたけど鳥取過ぎたら寝ぼけていたね同行者がいなかったらヤバかったw
エピローグの山陽本線のスペアルートとしての意味合いは重要でしょう 多くの人がその認識で山陰本線を残す意識するかが鍵ですね
動画投稿有難うございます。約35年前、高2の春休みに、あかつきで下関へ行き、下関から福知山間を乗りました。福知山からは急行だいせんで大阪へ。あの頃は風情がありましたね。鳥取辺りからはほぼ居眠りしていたと思います。
子供の頃、京都発益田行の鈍行列車がありました。デッキ扉もガラ空きののんびりした旅ができましたね。
この頃、時刻表に数字だけの列車番号を見るだけでテンションあがりました。青春18きっぷで旧型客車王国だった山陰を旅した時はテンションあがりました。晩年は和田山駅に放置されてましたね。美濃太田駅にも沢山放置されてました。背もたれが木だけの座席がいい思い出です。
宮脇俊三氏の最長片道切符の旅でも言及されていましたね、824列車超長距離鈍行列車は、暇な物好きな旅人と郵便物とチッキ位しか乗り通せないと思うのですが…
戦前ですら、庶民の標準的感覚は「東京からだと、仙台新潟名古屋以遠へ行くなら、急行に乗る」ですからね。(ただし、もちろん3等車。2等車や特別急行は、どれだけ遠くても庶民の眼中にない)まあ、長距離普通列車は昔から、郵便車と荷物車のために直通しているだけです。(郵便と荷物の輸送が盛んであればあるほど、系統分離するよりも直通するほうが合理的)
種村直樹氏といっしょに乗って全駅名標を撮影した森嶋さんはすごいよきょうびの鉄道ユーチューバーなんか大したことないw
扉が開放しっぱなしの客車列車の当時なら駅名標撮ってから飛び乗りもできますが、今の自動扉ではやりたくてもできないですよ。
森嶋さんは当時、鉄道カメラマン荒川好夫さんのお弟子さんだった😊その後、プロになられたのだろうか…❓️
その昔、新津ー青森まで羽越本線・奥羽本線の列車(833レ)があった。これも、EF81牽引する旧客車だった。走行距離は457.5kmで当時長距離鈍行Top10にランクインしていた。この列車も、新津5:30頃出発し青森には19:30頃に到着する列車があった。本当に良い時代だった。今のJRの様に短区間の電車じゃなく長距離列車には風流があった。今の時代何でも速さを求めているが、昭和の時代は早さより旅情とか風流とかを味わっていた様な気がする。
で、青森19:30だと北海道連絡が当時は船舶終夜輸送だったから夜行が存在して函館2時頃着、夜行急行札幌行きに連絡とかに。正確なダイヤをお持ちの方ヘルプお願い申し上げます。
@@下谷建起 さん昭和55年3月改定の833レ列車・青函連絡船・121レ列車の主要駅時刻表。新津5:38-6:14新発田6:19-6:47坂町6:55-9:15鶴岡9:21-9:42余目9:47-10:05酒田10:55-12:48羽後本荘12:52-14:00秋田14:22-15:37追分15:39-15:42東能代16:04-17:27大館17:34-18:30弘前18:40-18:55川部18:58-19:40青森。青森0:10-(11便)-4:00函館6:20-6:54大沼6:57-8:01森8:03-9:50長万部10:20-12:54-倶知安13:07-14:34小樽14:55-15:45札幌16:09-17:02岩見沢17:19-18:18滝川18:45-19:12深川19:30-20:08旭川。こんな感じだったかな。大学時代、この工程で北海道に行ったなぁ。懐かしい。
昔あった常磐線の 上野発 四ツ倉駅行きも、結構長かったな。
昔、作家の宮脇俊三さんが乗車され本にされてました
国鉄末期に出雲市発福知山行き532レ乗りました。今でも音が残ってて時々聴いています。
824列車、70年代後半〜80年代前半に鉄道雑誌で乗車レポートを3回ほど読んだ記憶があります。夏休み期間はマニアがたくさん乗車していたのでしょうね。私も乗りたかった。
2:1658+57の運用イイなぁ~、混合運用だったんだね。
種村直樹さんも親衛隊員の方々と乗り通しされたような。カメラマン志望の方は停車全駅のホーム駅名標撮影に挑戦されてました。当時だからデジカメでなく、35㍉フィルムだったはずです。
いましたね。名前は忘れましたが、カメラの専門学校に通ってた方で、「君はカメラマンの卵だから、この列車に乗った記念に何かを撮影したどうかね」と言われ、全駅の駅名板を撮影しましたとありましたね。ただ通過駅は撮影し忘れたことや、一旦下車し撮影後に飛び乗ったなど危険なこともやったようでした。
せいぜい小田急本線新宿〜小田原全駅しか写せませんでした。
私も当時中学生のころ 小学生だった弟と2人で門司駅から乗り通し、各駅の駅名標を撮影したのを思い出しました当時 車掌さんの前に陣取り親しくして頂き 無線で機関士さんとの交信で「上り824レ発車」の声を今も覚えていますこのご時世 こういう長距離列車が無くなりつつあるのは寂しい事ですね 日本の鉄道ってどこへ行こうとしてるんでしょうね
その方は、鉄道カメラマンの荒川好夫さんのお弟子さんで、確か、森嶋さん、って仰る方でした。私も当時、種村先生のその本買ってよみましたから、覚えてますよ😊確か、「久代」と「久谷」駅の駅名標に撮影に失敗されてましたが…(^-^;-w-w森嶋さんがその後、プロに成られたかは、全く不明です。
@@ゴンタオヤジ 懐かしい!確か種村さんの「鈍行列車の旅」という本で体験記が掲載されていましたね。中学生のころ、40年ぐらい前に読みましたよ。
DD511108が止まってる駅は恐らく浜田ですね?DD16が止まってる辺りに晩年のDF50が止まっている写真を持っています。母の田舎の当時の石見町へ帰省し祖父が鉄道好きな私を三江線に乗せて連れて行ってくれました。子供ながらにまだ紀勢、山陰、北陸、東北等に存在していた長距離鈍行に乗る計画を沢山計画していましたが子供の考える事!実現させる事ができなかったのは一生の後悔です。
824列車懐かしい……私がかつて通っていた小学校のグラウンド沿いを山陰本線が通っているのですが、福知山行という表示の列車が通っていたを見たことが何度もあります😊
1975年、高校生のときに乗りました。その後、米原まで出て、米原発長岡行きにも乗りました。座り疲れた。。。。
始発の門司駅は早朝であるから、駅寝(今はNG)したり、また福知山は下りの夜行山陰に乗るなどし、この列車に全区間乗ってたようですね。
国鉄ワイド周遊券で北海道・東北・山陰をよく旅しましたが、824列車は何度か切れ切れに乗ったくらい。「さんべ」や「だいせん」の自由席の方が馴染みがありました。それより少し取り上げてくれた東北本線の上野・一ノ関間の123列車にはよくお世話になりました。先頭には小窓ズラリのスハフ32、しかし乗るのはいつも「扇風機付き」のナハ11かオハ47でしたw 荷物車は確か上野寄りだったと記憶してます。本当に贅沢な汽車旅、でしたね。
そう。周遊券は往復部分含めて急行自由席乗り放題だった事が大きい。だから夜行の普通急行が存続必須だった訳で、一方JRにとっては夜行急行は人件費が異様に嵩みその割に売り上げが多くない(200km超税抜き1200円で固定化)。荷物無しなら普通は切れるが夜行で3時にぶつ切りなんて出来ないから走らせるしか無くなる。
夜行急行だいせんはヨンナナサンダイヤ改正から夜行山陰が廃止されるまでは座席車は全車指定席でしたが!季節列車があり、この夜行は上りのみ自由席がありましたが。12系座席車でした。
4:54 35系や43系客車なら、4人掛け全員着席じゃなければ1日乗ってても耐えられましたね。でも824レや「山陰」には61系客車は連結されてなかったですか? 82年ころに山陰本線のどこかでオハ(フ)61に乗ったんですが、背もたれモケットなしは知ってはいたと思うけど、実際乗車してみるとびっくりでしたね。61系で夜行や8時間乗車は無理だぁ。70年代でも50番台の臨時急行には使われることがあったみたいですけど。今の18きっぷ旅動画では過酷とか罰ゲームだとあるけど、背もたれ板張りの数時間耐久乗車は地獄の拷問だったかも🤣
この824レには使われていないのではないか?35系も少なくて、43系のオハ47型を中心に組成されていた印象です。山陰本線にはオハニ36型もいました。
まだ山陰本線の下関と米子間で蒸気機関車が旅客列車や貨物列車を牽引していた頃はこの824列車もD51型蒸気機関車で運転されていましたが、下関から益田か浜田まではD51が重連で客車を牽引していたそうです。おそらく送り込み回送の機関車だったのでしょうね。
懐かしいですね。私は完乗してませんが、昔、旧型客車だけで九州から青森まで行けないかな?と思いつき、鳥栖〜西鹿児島(投宿)、西鹿児島〜門司(駅ね)、門司〜玉造温泉(投宿).玉造温泉〜東舞鶴(投宿)、東舞鶴〜敦賀、敦賀〜福井、福井〜直江津、直江津〜新津(駅ね)、直江津〜青森。を乗ったことがあります。帰路は、青森〜八戸(投宿)、八戸〜盛岡、盛岡〜黒磯まで行こうと思いましたが、体力切れで仙台から急行捕まえて上野に戻り、大垣夜行で帰阪しました。当時は金はなかったですが、時間は充分あったので、ある面贅沢な旅だったと思います。
凄い方発見!ちなみに、57-11までは旧客普通列車のみで稚内⇔西鹿児島できましたね😉
@@psychedelicraspberry517 青函の自由席を客車に含めるならばですが。
824列車は実家の門司駅から知人のいる米子駅まで乗っています🎵同行者がいたので酒を飲みながの乗車でした❤
原ノ町発青森行きの普通列車時刻表で発見して驚く私に鉄道オタクの友人が門司福知山のほうが長いよといわれこの列車の存在をしりその後青春18切符発売されのりに行こうと思ったが結局残念した、かわりにSL山口と出雲市発京都行きの夜行鈍行列車に乗りました
函館発6時23分旭川行き!!旭川着20時22分!
伝説の824列車で始発から終点まで18時間半かけて走る普通列車。00:32 の福知山駅(終点)は兵庫県ではなく京都府ですよ。
旅客は鉄道小荷物輸送のついでという客車列車がかつては各地に存在しました。その残滓が人口が少なく交通網が未発達だった地域に最後まで残ってしまった。その僅かな旅客輸送も国民の足になるという使命の下不採算でも黙認されていたのです。
そう。鉄道は荷物を運ぶ物で旅客はオマケだった。だから旅客無視のダイヤ組みをしていたし、長距離急行だと青森始発〜上野往復して奥羽〜日本海縦貫(新津〜新潟折り返しで米原経由)〜大阪から引き続き下関〜下手したら山陰京都回りで梅小路で整備〜大阪〜東京(〜品川〜新宿を回送)〜上越へ等考えられない運用が。普通に12泊13日掛けて1周が終わるから同じ編成を13編成必要とした。
福知山市は京都府です。
実物に乗るのは大変そうだけど Nゲージで再現して走らすと楽しいんですね これが😉👍
主要駅での長時間停車は乗客からすると、駅弁が買えたり、駅そばが食べれたりするのでそれが更に旅情を増すと思います。ただ、旧型客車なので、椅子が・・・・。
実際客車列車だとトイレ無しの場合もあり、トイレタイムが必須(改札の都合上退避無しでも調整停車)の問題すら。
存在しているうちに乗車してみたかった列車の一つ、824列車。しかし、全線乗り通すとなると地元の人はともかく、遠くから来た旅行者にとってはかなりハードルが高いのではなかろうか。まず、門司を夜の明けきらない早朝に出発し、終着の福知山には日付が変わる直前に到着することから分かるように、大変な苦行が予想される。当時は今と違ってコンビニやビジホなども充実していなかっただろうし、何よりその列車に丸一日拘束されるようなものだから、余程列車の旅が大好きな人でない限り、退屈なことこの上ない。その点を鑑みるに、この列車を題材にして実際に乗り通した宮脇俊三氏は改めて偉大な人だったんだなと思う。
懐かしい😢
当時の山陰本線は長距離普通列車の宝庫だったな👏門司~福知山の他にも豊岡〜門司、浜田〜大阪、京都〜浜田など夜行列車「山陰」(京都〜出雲市)も✴️鈍行列車がよく似合う路線だよ😀
↑浜田→大阪(726列車)は完乗したオッサン😁
0:03 北陸本線 羽越本線 奥羽本線経由で米原~秋田まで行く鈍行列車かな
昭和30年代前半には東京発門司行き(111レ)、門司発東京行き(112レ)という長距離普通列車がありました
列車番号が替わってしまうので、時刻表の上でもページも変わってしまい、長距離鈍行の話で中々出てきませんが、日豊本線の上り普通列車 西鹿児島0721発宮崎行き が凄いんです🎵宮崎 1138着で、此処まで牽いてきたDF-50が切り離されると、乗り通すお客を車内に残したまま次の門司港行き鈍行 532列車として出発する1310発までホームに停まったままになるんです。改札が閉まり冬場は暖房も無い状態で次のED-76が前に着くまでサービス電源だけ。昼下がりの宮崎駅はとても静かで、死んだようにホームに停まっている列車は実際にお客さんが乗っているとは思えませんが、何時も何人かは中で発車を待っていましたね。
しかも、この列車よりも全然短いじゃん!😜
国鉄時代なら当たり前でしたよね、普通長距離客レ、12時間以上の運行があったそんな時代も遠い過去、国有鉄道という性格から安価な移動手段の提供というのもあって末期まで存在してましたね、地方農家の出稼ぎとか行商人も居た時代ですから。
私は齢54。約45年前、国鉄名古屋駅から東北秋田県内の本荘駅(今は由利本荘駅)まで夏のお盆の季節列車で約20時間揺られ揺られて目的地に到着した思い出があります。少しうろ覚えですが。
夜行急行鳥海3号かな?グリーン車1両の8両編成でグリーン車以外は全車自由席でした。グリーン車もヨンゴウトウダイヤ改正までは自由席でした。
記憶では多分自由席だったと。家族4人は座席にて。通路はダンボール敷いて乗客がごった返していました。
こういう長距離列車を青春18切符でのんびり楽しみたいです。客車列車なら言うことないですね。
いや、短縮化で長距離利用が減り、減収対策で始めた筈。最初は昭和50年代の末期頃と記憶してますから、43年10月改正で夜行急行のスジをばっさり切った後ですね。
@@下谷建起あくまでこういう類の列車は18きっぷで乗ってみたいという妄想なので、18きっぷが生まれた目的とか言うのはどうかと。
18きっぷだと味気なくて記念にならないから嫌だというわけで、私の手元には山陰本線の駅の途中下車印が大量に捺された、福岡市内から大阪市内までの乗車券がある
最初は青春18のびのびきっぷだった。
さだまさしのトークの中にでてきたことがあります。トーク自体は急行雲仙の話ですが、この列車と下関ですれ違うんですよね
その昔824列車の全停車駅の駅名版を撮影した人がいました。
鈍行列車は立場上、停車時間が多いですからね。時間に余裕あるマニア向けでした💦。
いや、それでも託送小荷物の積み込み積み降ろしで必要な時間しか止まってない。勿論急行特急の退避はしますが。
824列車の原型は1964年10月改正時には既に存在し、816列車となっているのですが、下関5:47発→福知山23:27着となっています。また私手持ちの1971年8月の時刻表では既に列車番号が824となっており、門司5:22発は変わらない物の、福知山到着は23:43となっています。昔の方が表定速度が速いのは謎が深いです。。。接続列車との絡みでしょうか?
列車退避増が理由では。託送小荷物(チッキ)の手降ろし手積みで時間が必要になった可能性が高いです。
816の時代だと72年3月改正よりも昔ですから、この列車は「まあ長いけど1位じゃないから中途半端」で、あまり注目されない列車でしたね。何と言っても、72年3月改正以前の山陰本線には 下関発 京都行が君臨していましたから。(33年2月 山陰本線全線開業時からの王者)
昔、雑誌で特集記事あった。停車駅の駅表を写して、門司から福知山まで乗り通す企画
0:50~辺りの時刻表をよく見ると小田原停車の熱海通過とかあったんですね。国鉄時代だと会社の境界駅など関係ないから熱海通過も当たり前だったんでしょうか。
ブルトレだとJR初期でもあったよ!JTB時刻表の昭和63年3月号(復刻版)だと下り「さくら」は横浜の次の停車駅は沼津😉
これは伊東線連絡の無い列車が通過した筈です。国府津は御殿場線回りが本来の東海道本線だった都合上全列車停車の筈です。
今はなき特急あまぎ誕生の頃は、熱海どころではなくて横浜駅さえ通過していました。東京を出るとたしか次は網代だったかな?
下り824列車走破しましたよ。今もしも長距離列車があれば絶対に乗りに行きたいです。
昔常磐線で客車列車で上野から仙台行きも有りました走行距離や走行時間は残念ながら覚えて居ないですけどね😂😂😂
ヨンナナサンダイヤ改正までは上野から常磐線経由の青森行きがあり、上野では同じ夜行急行の十和田と夜行普通列車の青森行きが並んだために乗り間違えもおきたとか!どちらも旧型客車で寝台車とグリーン車があるか!ないか!の違いで一般利用者には難しかったのではないか?
紀伊半島一周の亀山行きとか、福井発直江津行き、滝川発釧路行きとか乗りましたねぇ。いまでは上野発久ノ浜行きか、静岡発岐阜行きでしょうか。😅
え、米原〜熱海は廃止ですか?
敦賀発琵琶湖線経由の播州赤穂行き新快速が日本一ですが、ちょっとしたからくりがあり、敦賀からの車両は姫路止まりで米原で連結される。前8両に姫路までに乗移らなければなりません。
首都圏の最長距離鈍行は沼津発高崎行きだっけ
門司発福知山行きの普通列車何てとにかく今では考えられませんね。他にも福知山発門司行き普通列車も存在したのでしょうね。🤔
ヨンナナサンダイヤ改正までは後の夜行列車山陰は京都から下関まで走行していました。東側出雲市までB寝台がついていましたがヨンナナサンダイヤ改正で出雲市を堺に分断されています。また片道だけですが、ヨンナナトウダイヤ改正までは大阪から新潟までの夜行普通列車もありました。これらはいずれも郵便や、荷物のためでこれらは自分で乗り換えができないので残っていたのです。
すみません福知山は兵庫県ではなく京都府ですよ‼️
正解
兵庫出身の後輩曰く、『例の事故以降、福知山=兵庫』と思う人が増えたとかなんとか。
福知山通って京都まで来てたよ寝台1両付いてDF50が引いてた、、
かつてこれに乗り福知山着いて山陰で豊岡迄戻り831レで門司に帰るという1泊2日をやった事あるが、なぜそれをやったのかが未だに謎。相当暇だったのか。しかも手にしていた乗車券は山陰ワイド周遊券
おおたしでなくおおだしですね。
大阪⇔青森を結んだ特急[白鳥🍴🍀]すら(大阪⇔金沢)(金沢⇔新潟)(新潟⇔秋田,青森)に3分割された。隔世の感😅😅
おまけに北陸新幹線の都合上糸魚川〜新津〜新潟の直通運転自体が困難に。
昭和59年1月にに乗ったよ福知山で折り返し夜行山陰で折り返した
ギリギリで草翌月廃止じゃん
私の子供の頃。福知山門司行きありました!よ。鈍行列車山陰本線貨物列車も走り夜中走り母は。現在87歳ですが。山の鉄道ないところから嫁に来て夜中びっくりしたそうです。
国鉄貨物の全盛期ですね。山陰本線も山陽本線もフルに貨物輸送で使われていました。幹線の貨物は1編成600tですから、貨車だと30両編成とかに。
824レはスゴいのは確かですけど乗り通すには使い勝手が悪すぎて1回しか乗ったこと無いです。相方の831レ豊岡→門司は何度も乗り通しましたけど。いわゆる修羅の國の門司で○ヨ必須になるのがねぇ。あと、山陰線上り客レは後ろに郵便・荷物車が付く事が多いので後面展望の楽しみも無いですし。824レが優れていたのは運用の都合で831レよりオハ61系やナハ10系が入る確率が高かった事位ですが、末期はそれも無くなりました。
福知山は京都府です。
列車番号変わるけど、上野発碓氷峠を通る、直江津駅行きが、あったよね?
新潟行きだったと思います。
@@By-Gaeshi 新潟行きですか?凄い。
廃止するのは、やめて欲しかった。
そりゃ儲からないから。長時間停車してても暖房切れないし、細かくぶつ切りにしたら掃除はし易いし暖房切っても文句出ないし。
長距離普通列車は、郵便車と荷物車を直通させるために設定されているだけですから、鉄道による郵便と小荷物の輸送が減れば減るほど、長距離普通列車は減りますし、その輸送が全廃されると長距離普通列車は無用となります。戦前の庶民ですら、東京から普通列車で行くのは仙台新潟名古屋程度の距離で、それ以遠へは急行列車を利用するのが一般的でした。(もちろん3等車。どれだけ遠くても、2等車や特別急行は、眼中にない)長距離普通列車は昔から、旅客が長距離移動することを主たる目的に置いていません。
もう一つ一つの遅れが関係ないところまで響いてくるというのもある。例えばこの824でいうと、浜田の遅れが鳥取まで響いてくる可能性だってあるわけです。
「系統分離」という言葉が嫌いになりそう。というか、もう嫌いになっている。
この列車の凄いのは夜行ではない事😉この列車の運用(米イモ)が紹介されてたら尚よかったです。この824列車の前運用が、下関発門司行き1駅列車なのは草😉
つまり下関止め夜行からの九州連絡も兼ねていた訳です。
【運用】 出雲市→下関 下関→門司→福知山 福知山→浜田 浜田→米子→出雲市
@@user-nak7etahewしかも実際は、これに附属編成・郵便📮荷物📦️車・機関車の運用が絡まって訳ワカメ!でしたからね😁
ほとんどの人が途中の短区間を乗車するだけなのだろうが、ガチで北九州から関西までの目的を持った移動で使っていた人がいたのか知りたいですね。意識的に乗ることが目的のような鉄オタではなく。
いないだろうね。いても、この頃は博多「まつかぜ」あったからそっちだろうね😉
高校への通学に使っていた。
途中の居組、すなわち陸上(くかみ)トンネルを抜けたあたりからはいよいよ近畿統括本部エリア(山陰本線としては途中の船岡までが福知山支社改め近畿統括本部福知山管理部の管轄、園部~京都間が同京都支社改め京滋支社の管轄)に入ります。そのため824列車は山陰地区だけに限らず、在阪基幹4局が視聴可能な関西地区(道中に兵庫県・京都府の各北部を含んでいるため)も走ります。
キハ40使ってやってくんないかなぁ、感。
いや、西日本がやるなら120系では。40もそろそろ使用年限来そう(でも2050年の石油全廃迄に残しそう)。
キハ126型が一番いいのでは?
世代的に出雲市駅発岡山駅行きの普通列車だな調べたらがみさん乗ってる
はへ?😜
スペアにしたきゃ、貨物走らせたらいいのに。
便利で快適になればなるほど、味や趣といった情緒が失われている気がする。移動手段ではなく、旅のわき役としての鉄道を必要とする人自体も、もはや希少な存在なのかもしれないな。
だって、それ「趣味」ですから。一般人にとっては、昔から移動の手段でしかありません。(趣味とは「手段の目的化」である)
金沢から出雲まで行く奴もありましたね
急行大社ですが、金沢発は米子止まりで名古屋発に乗移らなければ、行けませんが、急行料金は1本の列車とみなされます。
すみません、2点訂正です🙇♂️
①福知山駅の所在地は兵庫県ではなく京都府です
②3:31「太田市」→正しくは「大田市」駅です
すみません、2:31ごろから始まるbgmの名前を教えていただけると幸いです!
他の方も言及している宮脇俊三氏が824列車を乗り通した際のエッセイというのは『旅の終りは個室寝台車』に収録されています
他の列車も興味深いものが多いのでよければ是非…
2023年現在、下関5:40の長門市行きから順に乗り換えていくと福知山23:12
今でもあまり変わらない…
門司発じゃないのが惜しい。
関門トンネル上り初電が5:54だから無理か……
西園寺さんに挑戦して欲しいww
1979年の冬休み、初めての遠距離一人旅で乗ったのが、824列車でした。板張り背もたれの旧形客車、乗り合わせた方に家出じゃないか?と心配されたのも思い出です。その後も、乗り鉄の旅は続けています。
アップありがとうございます!
オハ61系経験者
@@埠頭半田 私も経験者っす😁
オハ61系はよほどのことがない限り、称されなかったのでは?途中までの増結車両では時々あったみたいです。全区間はなかっような?
私も、この列車を乗り通しました。昭和56年9月のことです。新幹線とブルトレ「あかつき」で門司まで行き、すぐに824ㇾに乗って、福知山へ。「山陰号」で京都へ出て、新幹線で帰京しました。車掌さんが、「記念に」と言って、餘部〜香住の車内補充券をプレゼントしてくださったことは、忘れられない思い出です。
わたしは実際に乗りましたけど
鳥取過ぎたら寝ぼけていたね
同行者がいなかったらヤバかったw
エピローグの山陽本線のスペアルートとしての意味合いは重要でしょう 多くの人がその認識で山陰本線を残す意識するかが鍵ですね
動画投稿有難うございます。約35年前、高2の春休みに、あかつきで下関へ行き、下関から福知山間を乗りました。福知山からは急行だいせんで大阪へ。あの頃は風情がありましたね。鳥取辺りからはほぼ居眠りしていたと思います。
子供の頃、京都発益田行の鈍行列車がありました。デッキ扉もガラ空きののんびりした旅ができましたね。
この頃、時刻表に数字だけの列車番号を見るだけでテンションあがりました。
青春18きっぷで旧型客車王国だった山陰を旅した時はテンションあがりました。
晩年は和田山駅に放置されてましたね。
美濃太田駅にも沢山放置されてました。
背もたれが木だけの座席がいい思い出です。
宮脇俊三氏の最長片道切符の旅でも言及されていましたね、824列車
超長距離鈍行列車は、暇な物好きな旅人と郵便物とチッキ位しか乗り通せないと思うのですが…
戦前ですら、庶民の標準的感覚は
「東京からだと、仙台新潟名古屋以遠へ行くなら、急行に乗る」
ですからね。
(ただし、もちろん3等車。2等車や特別急行は、どれだけ遠くても庶民の眼中にない)
まあ、長距離普通列車は昔から、郵便車と荷物車のために直通しているだけです。
(郵便と荷物の輸送が盛んであればあるほど、系統分離するよりも直通するほうが合理的)
種村直樹氏といっしょに乗って全駅名標を撮影した森嶋さんはすごいよ
きょうびの鉄道ユーチューバーなんか大したことないw
扉が開放しっぱなしの客車列車の当時なら駅名標撮ってから飛び乗りもできますが、今の自動扉ではやりたくてもできないですよ。
森嶋さんは当時、鉄道カメラマン荒川好夫さんのお弟子さんだった😊
その後、プロになられたのだろうか…❓️
その昔、新津ー青森まで羽越本線・奥羽本線の列車(833レ)があった。
これも、EF81牽引する旧客車だった。走行距離は457.5kmで当時長距離鈍行Top10にランクインしていた。
この列車も、新津5:30頃出発し青森には19:30頃に到着する列車があった。
本当に良い時代だった。今のJRの様に短区間の電車じゃなく長距離列車には風流があった。
今の時代何でも速さを求めているが、昭和の時代は早さより旅情とか風流とかを味わっていた様な気がする。
で、青森19:30だと北海道連絡が当時は船舶終夜輸送だったから夜行が存在して函館2時頃着、夜行急行札幌行きに連絡とかに。正確なダイヤをお持ちの方ヘルプお願い申し上げます。
@@下谷建起 さん
昭和55年3月改定の833レ列車・青函連絡船・121レ列車の主要駅時刻表。
新津5:38-6:14新発田6:19-6:47坂町6:55-9:15鶴岡9:21-9:42余目9:47-10:05酒田10:55-12:48羽後本荘12:52-14:00秋田14:22-15:37追分15:39-15:42東能代16:04-17:27大館17:34-18:30弘前18:40-18:55川部18:58-19:40青森。
青森0:10-(11便)-4:00函館6:20-6:54大沼6:57-8:01森8:03-9:50長万部10:20-12:54-倶知安13:07-14:34小樽14:55-15:45札幌16:09-17:02岩見沢17:19-18:18滝川18:45-19:12深川19:30-20:08旭川。
こんな感じだったかな。
大学時代、この工程で北海道に行ったなぁ。懐かしい。
昔あった常磐線の 上野発 四ツ倉駅行きも、結構長かったな。
昔、作家の宮脇俊三さんが乗車され
本にされてました
国鉄末期に出雲市発福知山行き532レ乗りました。今でも音が残ってて時々聴いています。
824列車、70年代後半〜80年代前半に鉄道雑誌で乗車レポートを3回ほど読んだ記憶があります。夏休み期間はマニアがたくさん乗車していたのでしょうね。私も乗りたかった。
2:16
58+57の運用イイなぁ~、混合運用だったんだね。
種村直樹さんも親衛隊員の方々と乗り通しされたような。カメラマン志望の方は停車全駅のホーム駅名標撮影に挑戦されてました。当時だからデジカメでなく、35㍉フィルムだったはずです。
いましたね。
名前は忘れましたが、カメラの専門学校に通ってた方で、
「君はカメラマンの卵だから、この列車に乗った記念に何かを撮影したどうかね」と言われ、
全駅の駅名板を撮影しましたとありましたね。
ただ通過駅は撮影し忘れたことや、一旦下車し撮影後に飛び乗ったなど危険なこともやったようでした。
せいぜい小田急本線新宿〜小田原全駅しか写せませんでした。
私も当時中学生のころ 小学生だった弟と2人で門司駅から乗り通し、各駅の駅名標を撮影したのを思い出しました
当時 車掌さんの前に陣取り親しくして頂き 無線で機関士さんとの交信で「上り824レ発車」の声を今も覚えています
このご時世 こういう長距離列車が無くなりつつあるのは寂しい事ですね 日本の鉄道ってどこへ行こうとしてるんでしょうね
その方は、鉄道カメラマンの荒川好夫さんのお弟子さんで、確か、森嶋さん、って仰る方でした。
私も当時、種村先生のその本買ってよみましたから、覚えてますよ😊
確か、「久代」と「久谷」駅の駅名標に撮影に失敗されてましたが…(^-^;-w-w
森嶋さんがその後、プロに成られたかは、全く不明です。
@@ゴンタオヤジ 懐かしい!確か種村さんの「鈍行列車の旅」という本で体験記が掲載されていましたね。中学生のころ、40年ぐらい前に読みましたよ。
DD511108が止まってる駅は恐らく浜田ですね?DD16が止まってる辺りに晩年のDF50が止まっている写真を持っています。母の田舎の当時の石見町へ帰省し祖父が鉄道好きな私を三江線に乗せて連れて行ってくれました。子供ながらにまだ紀勢、山陰、北陸、東北等に存在していた長距離鈍行に乗る計画を沢山計画していましたが子供の考える事!実現させる事ができなかったのは一生の後悔です。
824列車懐かしい……私がかつて通っていた小学校のグラウンド沿いを山陰本線が通っているのですが、福知山行という表示の列車が通っていたを見たことが何度もあります😊
1975年、高校生のときに乗りました。その後、米原まで出て、米原発長岡行きにも乗りました。座り疲れた。。。。
始発の門司駅は早朝であるから、駅寝(今はNG)したり、
また福知山は下りの夜行山陰に乗るなどし、この列車に全区間乗ってたようですね。
国鉄ワイド周遊券で北海道・東北・山陰をよく旅しましたが、824列車は何度か切れ切れに乗ったくらい。
「さんべ」や「だいせん」の自由席の方が馴染みがありました。
それより少し取り上げてくれた東北本線の上野・一ノ関間の123列車にはよくお世話になりました。
先頭には小窓ズラリのスハフ32、しかし乗るのはいつも「扇風機付き」のナハ11かオハ47でしたw 荷物車は確か上野寄りだったと記憶してます。
本当に贅沢な汽車旅、でしたね。
そう。周遊券は往復部分含めて急行自由席乗り放題だった事が大きい。だから夜行の普通急行が存続必須だった訳で、一方JRにとっては夜行急行は人件費が異様に嵩みその割に売り上げが多くない(200km超税抜き1200円で固定化)。荷物無しなら普通は切れるが夜行で3時にぶつ切りなんて出来ないから走らせるしか無くなる。
夜行急行だいせんはヨンナナサンダイヤ改正から夜行山陰が廃止されるまでは座席車は全車指定席でしたが!季節列車があり、この夜行は上りのみ自由席がありましたが。12系座席車でした。
4:54 35系や43系客車なら、4人掛け全員着席じゃなければ1日乗ってても耐えられましたね。でも824レや「山陰」には61系客車は連結されてなかったですか? 82年ころに山陰本線のどこかでオハ(フ)61に乗ったんですが、背もたれモケットなしは知ってはいたと思うけど、実際乗車してみるとびっくりでしたね。61系で夜行や8時間乗車は無理だぁ。70年代でも50番台の臨時急行には使われることがあったみたいですけど。今の18きっぷ旅動画では過酷とか罰ゲームだとあるけど、背もたれ板張りの数時間耐久乗車は地獄の拷問だったかも🤣
この824レには使われていないのではないか?35系も少なくて、43系のオハ47型を中心に組成されていた印象です。山陰本線にはオハニ36型もいました。
まだ山陰本線の下関と米子間で蒸気機関車が旅客列車や貨物列車を牽引していた頃はこの824列車もD51型蒸気機関車で運転されていましたが、下関から益田か浜田まではD51が重連で客車を牽引していたそうです。おそらく送り込み回送の機関車だったのでしょうね。
懐かしいですね。私は完乗してませんが、昔、旧型客車だけで九州から青森まで行けないかな?と思いつき、
鳥栖〜西鹿児島(投宿)、西鹿児島〜門司(駅ね)、門司〜玉造温泉(投宿).玉造温泉〜東舞鶴(投宿)、東舞鶴〜敦賀、敦賀〜福井、福井〜直江津、直江津〜新津(駅ね)、直江津〜青森。を乗ったことがあります。
帰路は、青森〜八戸(投宿)、八戸〜盛岡、盛岡〜黒磯まで行こうと思いましたが、体力切れで仙台から急行捕まえて上野に戻り、大垣夜行で帰阪しました。
当時は金はなかったですが、時間は充分あったので、ある面贅沢な旅だったと思います。
凄い方発見!ちなみに、57-11までは旧客普通列車のみで稚内⇔西鹿児島できましたね😉
@@psychedelicraspberry517 青函の自由席を客車に含めるならばですが。
824列車は実家の門司駅から知人のいる米子駅まで乗っています🎵
同行者がいたので酒を飲みながの乗車でした❤
原ノ町発青森行きの普通列車時刻表で発見して驚く私に鉄道オタクの友人が門司福知山のほうが長いよといわれこの列車の存在をしりその後青春18切符発売されのりに行こうと思ったが結局残念した、かわりにSL山口と出雲市発京都行きの夜行鈍行列車に乗りました
函館発6時23分旭川行き!!旭川着20時22分!
伝説の824列車で始発から終点まで18時間半かけて走る普通列車。00:32 の福知山駅(終点)は兵庫県ではなく京都府ですよ。
旅客は鉄道小荷物輸送のついでという客車列車がかつては各地に存在しました。
その残滓が人口が少なく交通網が未発達だった地域に最後まで残ってしまった。
その僅かな旅客輸送も国民の足になるという使命の下不採算でも黙認されていたのです。
そう。鉄道は荷物を運ぶ物で旅客はオマケだった。だから旅客無視のダイヤ組みをしていたし、長距離急行だと青森始発〜上野往復して奥羽〜日本海縦貫(新津〜新潟折り返しで米原経由)〜大阪から引き続き下関〜下手したら山陰京都回りで梅小路で整備〜大阪〜東京(〜品川〜新宿を回送)〜上越へ等考えられない運用が。普通に12泊13日掛けて1周が終わるから同じ編成を13編成必要とした。
福知山市は京都府です。
実物に乗るのは大変そうだけど Nゲージで再現して走らすと楽しいんですね これが😉👍
主要駅での長時間停車は乗客からすると、駅弁が買えたり、駅そばが食べれたりするので
それが更に旅情を増すと思います。ただ、旧型客車なので、椅子が・・・・。
実際客車列車だとトイレ無しの場合もあり、トイレタイムが必須(改札の都合上退避無しでも調整停車)の問題すら。
存在しているうちに乗車してみたかった列車の一つ、824列車。
しかし、全線乗り通すとなると地元の人はともかく、遠くから来た旅行者にとってはかなりハードルが高いのではなかろうか。
まず、門司を夜の明けきらない早朝に出発し、終着の福知山には日付が変わる直前に到着することから分かるように、大変な苦行が予想される。当時は今と違ってコンビニやビジホなども充実していなかっただろうし、何よりその列車に丸一日拘束されるようなものだから、余程列車の旅が大好きな人でない限り、退屈なことこの上ない。
その点を鑑みるに、この列車を題材にして実際に乗り通した宮脇俊三氏は改めて偉大な人だったんだなと思う。
懐かしい😢
当時の山陰本線は長距離普通列車の宝庫だったな👏門司~福知山の他にも豊岡〜門司、浜田〜大阪、京都〜浜田など夜行列車「山陰」(京都〜出雲市)も✴️
鈍行列車がよく似合う路線だよ😀
↑浜田→大阪(726列車)は完乗したオッサン😁
0:03 北陸本線 羽越本線 奥羽本線経由で米原~秋田まで行く鈍行列車かな
昭和30年代前半には東京発門司行き(111レ)、門司発東京行き(112レ)という長距離普通列車がありました
列車番号が替わってしまうので、時刻表の上でもページも変わってしまい、長距離鈍行の話で中々出てきませんが、日豊本線の上り普通列車 西鹿児島0721発宮崎行き が凄いんです🎵
宮崎 1138着で、此処まで牽いてきたDF-50が切り離されると、乗り通すお客を車内に残したまま次の門司港行き鈍行 532列車として出発する1310発までホームに停まったままになるんです。
改札が閉まり冬場は暖房も無い状態で次のED-76が前に着くまでサービス電源だけ。
昼下がりの宮崎駅はとても静かで、死んだようにホームに停まっている列車は実際にお客さんが乗っているとは思えませんが、何時も何人かは中で発車を待っていましたね。
しかも、この列車よりも全然短いじゃん!😜
国鉄時代なら当たり前でしたよね、普通長距離客レ、12時間以上の運行があったそんな時代も遠い過去、
国有鉄道という性格から安価な移動手段の提供というのもあって末期まで存在してましたね、地方農家の出稼ぎとか行商人も居た時代ですから。
私は齢54。約45年前、国鉄名古屋駅から東北秋田県内の本荘駅(今は由利本荘駅)まで夏のお盆の季節列車で約20時間揺られ揺られて目的地に到着した思い出があります。
少しうろ覚えですが。
夜行急行鳥海3号かな?グリーン車1両の8両編成でグリーン車以外は全車自由席でした。グリーン車もヨンゴウトウダイヤ改正までは自由席でした。
記憶では多分自由席だったと。家族4人は座席にて。通路はダンボール敷いて乗客がごった返していました。
こういう長距離列車を青春18切符でのんびり楽しみたいです。
客車列車なら言うことないですね。
いや、短縮化で長距離利用が減り、減収対策で始めた筈。最初は昭和50年代の末期頃と記憶してますから、43年10月改正で夜行急行のスジをばっさり切った後ですね。
@@下谷建起あくまでこういう類の列車は18きっぷで乗ってみたいという妄想なので、18きっぷが生まれた目的とか言うのはどうかと。
18きっぷだと味気なくて記念にならないから嫌だ
というわけで、私の手元には
山陰本線の駅の途中下車印が大量に捺された、福岡市内から大阪市内までの乗車券がある
最初は青春18のびのびきっぷだった。
さだまさしのトークの中にでてきたことがあります。トーク自体は急行雲仙の話ですが、この列車と下関ですれ違うんですよね
その昔824列車の全停車駅の駅名版を撮影した人がいました。
鈍行列車は立場上、停車時間が多いですからね。時間に余裕あるマニア向けでした💦。
いや、それでも託送小荷物の積み込み積み降ろしで必要な時間しか止まってない。勿論急行特急の退避はしますが。
824列車の原型は1964年10月改正時には既に存在し、
816列車となっているのですが、下関5:47発→福知山23:27着となっています。
また私手持ちの1971年8月の時刻表では既に列車番号が824となっており、
門司5:22発は変わらない物の、福知山到着は23:43となっています。
昔の方が表定速度が速いのは謎が深いです。。。
接続列車との絡みでしょうか?
列車退避増が理由では。託送小荷物(チッキ)の手降ろし手積みで時間が必要になった可能性が高いです。
816の時代だと72年3月改正よりも昔ですから、
この列車は「まあ長いけど1位じゃないから中途半端」で、あまり注目されない列車でしたね。
何と言っても、72年3月改正以前の山陰本線には
下関発 京都行
が君臨していましたから。
(33年2月 山陰本線全線開業時からの王者)
昔、雑誌で特集記事あった。停車駅の駅表を写して、門司から福知山まで乗り通す企画
0:50~辺りの時刻表をよく見ると小田原停車の熱海通過とかあったんですね。
国鉄時代だと会社の境界駅など関係ないから熱海通過も当たり前だったんでしょうか。
ブルトレだとJR初期でもあったよ!JTB時刻表の昭和63年3月号(復刻版)だと下り「さくら」は横浜の次の停車駅は沼津😉
これは伊東線連絡の無い列車が通過した筈です。国府津は御殿場線回りが本来の東海道本線だった都合上全列車停車の筈です。
今はなき特急あまぎ誕生の頃は、熱海どころではなくて横浜駅さえ通過していました。東京を出るとたしか次は網代だったかな?
下り824列車走破しましたよ。今もしも長距離列車があれば絶対に乗りに行きたいです。
昔常磐線で客車列車で上野から仙台行きも有りました走行距離や走行時間は残念ながら覚えて居ないですけどね😂😂😂
ヨンナナサンダイヤ改正までは上野から常磐線経由の青森行きがあり、上野では同じ夜行急行の十和田と夜行普通列車の青森行きが並んだために乗り間違えもおきたとか!どちらも旧型客車で寝台車とグリーン車があるか!ないか!の違いで一般利用者には難しかったのではないか?
紀伊半島一周の亀山行きとか、福井発直江津行き、滝川発釧路行きとか乗りましたねぇ。いまでは上野発久ノ浜行きか、静岡発岐阜行きでしょうか。😅
え、米原〜熱海は廃止ですか?
敦賀発琵琶湖線経由の播州赤穂行き新快速が日本一ですが、ちょっとしたからくりがあり、敦賀からの車両は姫路止まりで米原で連結される。前8両に姫路までに乗移らなければなりません。
首都圏の最長距離鈍行は沼津発高崎行きだっけ
門司発福知山行きの普通列車何てとにかく今では考えられませんね。他にも福知山発門司行き普通列車も存在したのでしょうね。🤔
ヨンナナサンダイヤ改正までは後の夜行列車山陰は京都から下関まで走行していました。東側出雲市までB寝台がついていましたがヨンナナサンダイヤ改正で出雲市を堺に分断されています。また片道だけですが、ヨンナナトウダイヤ改正までは大阪から新潟までの夜行普通列車もありました。これらはいずれも郵便や、荷物のためでこれらは自分で乗り換えができないので残っていたのです。
すみません福知山は兵庫県ではなく京都府ですよ‼️
正解
兵庫出身の後輩曰く、『例の事故以降、福知山=兵庫』と思う人が増えたとかなんとか。
福知山通って京都まで来てたよ寝台1両付いてDF50が引いてた、、
かつてこれに乗り福知山着いて山陰で豊岡迄戻り831レで門司に帰るという1泊2日をやった事あるが、なぜそれをやったのかが未だに謎。相当暇だったのか。しかも手にしていた乗車券は山陰ワイド周遊券
おおたしでなくおおだしですね。
大阪⇔青森を結んだ特急[白鳥🍴🍀]すら(大阪⇔金沢)(金沢⇔新潟)(新潟⇔秋田,青森)に3分割された。隔世の感😅😅
おまけに北陸新幹線の都合上糸魚川〜新津〜新潟の直通運転自体が困難に。
昭和59年1月にに乗ったよ福知山で折り返し夜行山陰で折り返した
ギリギリで草
翌月廃止じゃん
私の子供の頃。福知山門司行きありました!よ。鈍行列車山陰本線貨物列車も走り夜中走り母は。現在87歳ですが。山の鉄道ないところから嫁に来て夜中びっくりしたそうです。
国鉄貨物の全盛期ですね。山陰本線も山陽本線もフルに貨物輸送で使われていました。
幹線の貨物は1編成600tですから、貨車だと30両編成とかに。
824レはスゴいのは確かですけど乗り通すには使い勝手が悪すぎて1回しか乗ったこと無いです。相方の831レ豊岡→門司は何度も乗り通しましたけど。
いわゆる修羅の國の門司で○ヨ必須になるのがねぇ。あと、山陰線上り客レは後ろに郵便・荷物車が付く事が多いので後面展望の楽しみも無いですし。
824レが優れていたのは運用の都合で831レよりオハ61系やナハ10系が入る確率が高かった事位ですが、末期はそれも無くなりました。
福知山は京都府です。
列車番号変わるけど、上野発碓氷峠を通る、直江津駅行きが、あったよね?
新潟行きだったと思います。
@@By-Gaeshi 新潟行きですか?凄い。
廃止するのは、やめて欲しかった。
そりゃ儲からないから。長時間停車してても暖房切れないし、細かくぶつ切りにしたら掃除はし易いし暖房切っても文句出ないし。
長距離普通列車は、郵便車と荷物車を直通させるために設定されているだけですから、
鉄道による郵便と小荷物の輸送が減れば減るほど、長距離普通列車は減りますし、その輸送が全廃されると長距離普通列車は無用となります。
戦前の庶民ですら、東京から普通列車で行くのは仙台新潟名古屋程度の距離で、それ以遠へは急行列車を利用するのが一般的でした。
(もちろん3等車。どれだけ遠くても、2等車や特別急行は、眼中にない)
長距離普通列車は昔から、旅客が長距離移動することを主たる目的に置いていません。
もう一つ一つの遅れが関係ないところまで響いてくるというのもある。例えばこの824でいうと、浜田の遅れが鳥取まで響いてくる可能性だってあるわけです。
「系統分離」という言葉が嫌いになりそう。というか、もう嫌いになっている。
この列車の凄いのは夜行ではない事😉
この列車の運用(米イモ)が紹介されてたら尚よかったです。この824列車の前運用が、下関発門司行き1駅列車なのは草😉
つまり下関止め夜行からの九州連絡も兼ねていた訳です。
【運用】
出雲市→下関
下関→門司→福知山
福知山→浜田
浜田→米子→出雲市
@@user-nak7etahewしかも実際は、これに附属編成・郵便📮荷物📦️車・機関車の運用が絡まって訳ワカメ!でしたからね😁
ほとんどの人が途中の短区間を乗車するだけなのだろうが、ガチで北九州から関西までの目的を持った移動で使っていた人がいたのか知りたいですね。意識的に乗ることが目的のような鉄オタではなく。
いないだろうね。いても、この頃は博多「まつかぜ」あったからそっちだろうね😉
長距離普通列車は、郵便車と荷物車を直通させるために設定されているだけですから、
鉄道による郵便と小荷物の輸送が減れば減るほど、長距離普通列車は減りますし、その輸送が全廃されると長距離普通列車は無用となります。
戦前の庶民ですら、東京から普通列車で行くのは仙台新潟名古屋程度の距離で、それ以遠へは急行列車を利用するのが一般的でした。
(もちろん3等車。どれだけ遠くても、2等車や特別急行は、眼中にない)
長距離普通列車は昔から、旅客が長距離移動することを主たる目的に置いていません。
高校への通学に使っていた。
途中の居組、すなわち陸上(くかみ)トンネルを抜けたあたりからはいよいよ近畿統括本部エリア(山陰本線としては途中の船岡までが福知山支社改め近畿統括本部福知山管理部の管轄、園部~京都間が同京都支社改め京滋支社の管轄)に入ります。
そのため824列車は山陰地区だけに限らず、在阪基幹4局が視聴可能な関西地区(道中に兵庫県・京都府の各北部を含んでいるため)も走ります。
キハ40使ってやってくんないかなぁ、感。
いや、西日本がやるなら120系では。40もそろそろ使用年限来そう(でも2050年の石油全廃迄に残しそう)。
キハ126型が一番いいのでは?
世代的に
出雲市駅発岡山駅行きの普通列車だな
調べたらがみさん乗ってる
はへ?😜
スペアにしたきゃ、貨物走らせたらいいのに。
便利で快適になればなるほど、味や趣といった情緒が失われている気がする。
移動手段ではなく、旅のわき役としての鉄道を必要とする人自体も、もはや希少な存在なのかもしれないな。
だって、それ「趣味」ですから。
一般人にとっては、昔から移動の手段でしかありません。
(趣味とは「手段の目的化」である)
金沢から出雲まで行く奴もありましたね
急行大社ですが、金沢発は米子止まりで名古屋発に乗移らなければ、行けませんが、急行料金は1本の列車とみなされます。