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8:11 急行ニセコ号に導入された客車は、12系ではなく14系の座席車です。教えて下さった方、ありがとうございました。
実際体感してないから浅いよね
@@mkrsknkarkw 北海道には12系は来なかった。雪で折戸が機能しなくなるし、あのユニット窓じゃ冬は寒くて凍えてしまう。だから14系を引戸に改造して走らせた。
@@経澤豊 バカだな、そんなのは知ってるネット知識で知ったから浅くて間違いを堂々と言ってるんだよ(草)
@@経澤豊 だから制作者Wikipediaの丸コピレベルってのが簡単にわかっちゃうんだよインターネッツの海は広大だけど深さは3cmしか無いんだよ
ご視聴ありがとうございます。様々なご意見を受けて複数出典での校閲を強化しておりますが、なにぶんうp主はまだ大学生のため、当然往年には生まれていません。「体感していない」というご指摘は真摯に受け止めますが、それは努力ではどうにもならないご指摘であることをご理解ください。今後とも当チャンネルをご愛顧いただければ幸いですが、若輩者の戯言がどうしてもお気に障るようでしたら、題材となる列車を実際に体感した方の動画をご視聴になるとよろしいかと思います。
1:20 根室まで21時間はえぐい
急行ニセコ号で使用されていた車両は14系500番台寝台・座席💺車が使われていました、1986年11月の国鉄最後全国ダイヤ改正で廃止となりました。
ニセコ3号、1974年に全区間で乗りました。疲れませんでした。函館には45分延着し、真夜中の連絡船のあと、急行「しらゆき」で秋田、特急「つばさ」で上野まで乗りました。奥羽線で土砂崩れがあって「つばさ」は北上線まわりで、上野には夜11時過ぎに着きました。
「根室→函館」ボックス席で15時間。仙人になる修行としか思えない。
ロングシートで15時間もなかなかエグい
まあ、急行高千穂や桜島で24時間越えもあった時期だからなあこれ
たしか、トキ鉄で誰かが、455/ 413系観光夜行急行32時間耐久とかやってませんでした……?
イベント列車でそんなのが年に一本くらい運転されてもいいように思う。
満席ならきついですが、昭和50年代にもなると世の中も落ち着いていたので平時はそこまで混んでいなかったのではないかと思います。ボックスに足を伸ばして乗れるならそこまで辛いものではないと思います。
70年代の若造ですが、感動しました。北海道の田舎から、長時間掛け勤め先の東京田端まで、着いたら切符がない。田端の駅員、田舎者と悟ったのか、北海道の田舎駅に電話、東京までの切符が1枚売れてる事を確認して放免されたw
816.4㌔㍍、東京から尾道までが811.3㌔㍍あるから、北海道は広い。
2:12 7:16 この00年代のゲームに使われてそうなbgmどっから拾ってくるんだ…
ご視聴ありがとうございます。このBGM含め、当チャンネルでは Tam Music Factory さんの素材を結構使っているので、よければご参照ください。www.tam-music.com/
どっかで給油しなくてもそんな長距離走れるのがすごい。
北海が季節臨時扱いとはいえニセコとして一時復活しているのはある意味山線最後の救いでしょうね。
乗りたかった。今じゃ考えられない距離。気動車大好き。 この時代、海線&山線どうなってたのかなぁ?🤔
ニセコで使用されていた客車は14系500番です。
意見を反映して頂き、有難うございます。女性声の読み上げ音声で作成された迷列車動画は、音声が聞きやすくて視聴しすいです。国鉄時代の北海道に、800キロも走行する急行が存在していたのですね。国鉄時代は、キハ58系を使用した迷な急行(東北の急行陸中・みちのく関連等)が多かったらしいので、今後も急行列車関係を中心とした迷列車動画を楽しみにしています。😀
8:11 1981年2月から14系500番台座席車での運行に。
2:46このCGは1968年8月現在のダイヤなので正しいのですが、前々年1966年9月30日までは、新得〜落合間は新内駅廻りの狩勝旧線区間を通っていたために、運転距離も乗車時間も更に延びていたという事実。狩勝新線区間も含む富良野〜新得間が運行休止から廃線の見込みである令和の人間としては、一度は乗車したかった列車のひとつでしょう。
宗谷も函館直通かけてたもんな
まだ、新千歳空港が発展する前、青函トンネルがなかった頃、北海道までは夜行で青森まで行き、青函連絡船を使い、函館から列車で行く・・・。特急も網走まで行く「おおとり」号や現存する「おおぞら」号は函館を出て、室蘭本線を経て札幌、滝川から富良野・新得へ行き、帯広・釧路の行程・・・。
雪害等で遅れた場合は札幌で車両交換もあったそうです、満タンでぎりぎりの距離ですから。代りが無い場合は客を一旦降ろして苗穂までひとっ走りして給油してもどってきたそうな。
急行「おが」も上野〜男鹿(秋田県)急行しらゆき 金沢〜青森 もあったけど800k走行してなかったんですね。
ニセコで使用したのは14系客車
昭和51年の時刻表がながらく実家に置いてあったのですが、片道だけの上りニセコ2号は異彩を放っていました。下り方向は函館から釧路直通の急行がなく(もちろん特急おおぞらはあったが)、根室直通の狩勝すらありませんでした。ずっと不思議に思っていましたが(自分で古い時刻表を調べることまではしなかったので)、この動画で経緯がわかりました。解説ありがとうございます。
根室から函館まで816.4㌔㍍、ほぼ同じ距離の東京から尾道までが811.3㌔㍍あるから、北海道は広い。
カニ族、いましたねぇ。デカいリュックを背負っていたためか混んだ車内を通る時に横向きにしか進めなかったからそう呼ばれていたんだっけ?
1970年代、当時の国鉄がディスカバージャパンと銘打って、旅行に力を入れていたのと、加藤登紀子の知床旅情のヒットにより、大学生が夏休み等の長期休暇を利用して北海道旅行を楽しんでいたが、その当時、入手できる旅行用のリュックは、登山で使われていた帆布製のキスリングが一般的で、横長だったため、列車内の通路で人とすれ違う時、正面通行ができず、横向きにならないとすれ違いができないため、その様子がカニと同じなので、カニ族と呼ばれていたらしいですよ。今は、日本や海外のブランドの登山用リュックは縦長なので、キスリングを背負ったような事態にはならないと思いますが、それでも、旅行用の荷物やお土産もリュックにいっぱい詰めていて、列車内ですれ違う際、相手の方もリュックを背負って荷物がいっぱいだと、お互いに正面を向いてのすれ違いが難しいこともあるので、座席のところでどちらかが止まって横向きになって、すれ違うこともあると思いますよ。
根室発函館行きの「ニセコ」懐かしいですね。ちゃんとグリーン車も連結されていたので、全区間走破するならグリーン車利用だな…と思ったものです。ところで、動画の8:10辺りからですが、函館~札幌「ニセコ」の旧型客車を置き換えたのは12系客車ではなく14系客車です。気になりましたので念のため。それでは、次回の動画も楽しみにしています。
飛行機が高くてかつ高速道路が整備されてない時代だからできたんだろうな
このダイヤクラブってどう調べたのか興味が湧いて気になる。こう言うのってちゃんと残っている。貴重な事なので、この資料も遺産です
かつてはこのような急行列車が走っていたのに今となれば路線ごと廃止となるのはもったいなく思いました
俺、根室管内住まいだけど、函館なんか1回も行ったことない…多分一生行く機会ないだろう…だけど根室7時発、函館22時着…速いね…寝台なら乗りたいなぁ…
本州~北海道間が鉄道が優位のころ、記憶では深夜の青函連絡船では函館は5時前に北斗1号、北海号が接続。青森は同じく5時前にはつかり2号、みちのく号だけでなく、大阪行きの白鳥号に接続していたと思う。15年以上前、東京から稚内まで鉄路で行きましたが、はやてからスーパー白鳥、スーパー北斗と乗り継ぐ場合は特急料金が半額になりましたが、札幌からのスーパー宗谷は割引は無かった。
C62重連で鉄道ファンなら知らない「ニセコ」号も凄いのですが、この根室→函館のニセコ2号も凄いですよね!根室連絡急行でありながら、厚床通過しちゃうのが凄いんですよね・・・。
この時代の北海道にはこんな列車が多かった急行大雪でも札幌ー網走-釧路を走る列車があったし
確か、「しれとこ」号をくっつけて、釧路まで行った列車ですよね。
ニセコ宗谷など乗り換え無しで行ける急行は大いに魅力。周遊券があれば大変安く旅行ができた。今は急行と変わらない短距離特急ばかり。北海道なんかほとんど廃線ばかり。本当に旅行者には不便ですね?
やっぱり、私にとっての「急行ニセコ」はC622+C623だなぁ~。(小さい頃、良く踏切で手を振っていた。😢)
山線部分の長万部小樽間のC62重連ですね。好調な3号機が本務機 2号機が先頭の前補機ですね。引退後はDD51重連で客車牽引ですね。
@@pupo2298さん、 蒸気機関車最終日は三重連だったんだよ。
上りのみ走っていた謎のニセコ号、懐かしいですね。当時はまだあちこちにキハ58を使用する長距離急行が多数残っていました。
金沢⇄青森のしらゆきもありましたね、コレも福井延長という形で白鳥に格上げされて消えました。
根室と札幌の区間、ニセコによく乗りました。朝の8時半頃根室発、夕方6時頃札幌着だった様な?
急行ニセコ、と言えば、昔、あの鉄道カメラマンの南正時先生が、自分が著作編集したケイブン社の児童向け鉄道雑誌でよく、当時の南先生のアシスタントやっておられた榊原さん…って方が居て、彼を、「急行ニセコが大好きな男」…ってよく書いておられたのをふと思い出す…☺️勿論、旧国鉄時代、それも末期の話だが、それだけ、当時の「急行ニセコ号」は、魅力的な列車だった証だろなぁ✊🌟
阿寒に乗っちゃあかん
上り急行「ニセコ3号」'75年暮れにこの列車乗りました。根室を朝8時ごろ出発し、函館には23時過ぎ着。グリーン車含めた4両編成で、釧路で3両ほど増結してたと記憶してます。さすがに全線通しで乗ったのは周囲では自分だけ、でしたw根室ではぎりぎり座れたくらい、結構賑わってましたが釧路で大半が下車してましたね。帯広・滝川でぼちぼち、そして札幌でドッと乗り込んできて・・・
遠いなぁ…。
昭和51年末の時刻表と、特急・急行図鑑を見ていて、当時の北海道の国鉄列車は凄かった。根室始発の昼行ニセコが何故片道?函館〜札幌の「すずらん」、札幌〜釧路の「狩勝」、釧路〜根室の「ノサップ」が下り列車が1本多く、特にノサップはグリーン車(自由席)も連結だから、容易に同じ編成と見抜けた。動画でも語られていたが、カニ族が北海道へ行くのに、青函連絡船を介して函館から入るのが当たり前の時代だった。歳の離れた自分の知人も研修で北海道へ行く際もそうだった。自分が大学生になった時は、千歳空港駅開業、東北新幹線開業で、連絡船から函館のルートは下火、ローカル線も廃止が始まり、それが出来なくなった。😢
根室から函館まで運行していた急行の名称ですが、1945年頃から1978年8月頃までは、ニセコ2号だったと記憶しています。根室釧路間は自由席のグリーン車を挟んでの3両編成で、小学校から中学校迄の間の夏休みに旭川市の祖母のところに行くために、根室から富良野迄利用していました。
函館~網走間のおおとりや函館~釧路間のおおぞらのような長距離特急はなぜなくなったんだろう。
千歳空港駅の誕生じゃないですかね?それまでは国鉄から乗り継いでもらうために函館からの特急網を引いていましたが、空港と鉄道を直結したため函館より札幌を起点とした方が運用がし易いと判断したのではないでしょうか。
そう、今の南千歳駅、当時の千歳空港駅が開業した時、画期的な出来事でした。東京ー札幌の旅客輸送が、1970年代前半は、青函連絡船を経由した鉄道での移動手段がメインで、飛行機での移動は相当高額な運賃でした。ところが、国鉄のストライキ続発と赤字による運賃値上げが繰り返されたため、札幌ー上野間の運賃が高くなったのと、ジャンボジェットボーイング747が就航したため、相対的に航空運賃との差が詰まり、長時間の列車移動と、航空機での短時間の移動と比べると、運賃が多少高くても飛行機となり、札幌から東京への移動手段が、飛行機利用にシフトしていたため、青函連絡船のある函館起点での道内の国鉄輸送が、実態とそぐわなくなり、札幌起点とした北海道内の国鉄の旅客輸送を再構築したのと、当時の80系特急気動車の所属運転区は、おおぞら、おおとり、北海が函館運転区所属、北斗が札幌運転区というのも函館起点というのが頷ける話しです。まあ、1980年10月に千歳空港駅(現南千歳)を開業して、ライバルの航空機輸送に塩を送ったのも、国鉄の対本州輸送が航空機に移行していたのと、当時は千歳空港からの輸送ルートはバス輸送しかなく、それに目をつけたこと、赤字続きの国鉄で、旅行収入が確実に見込めるところに駅を作ったというのが正解ですね。この後、国鉄からJRになる時、特急の始発を函館から札幌へ変えたこと、ニセコ2号にも出ていましたが、長距離列車だとダイヤの乱れが後々ダイヤに影響するし、赤字ということを踏まえて、札幌で系統分断して別列車として、特急運賃の増収を図る意図もあったように思えます。実際、JR化後、札幌ー函館間の普通運賃は、海線回りでも山線経由の短い路線距離で計算されていたのが、特急列車が実際に運行する海線回りでの普通運賃の計算に改めてられていますしね。補足千歳空港駅(現南千歳駅)は、当時の国鉄が、ライバルの航空機輸送に対して、初めて空港直結駅として開業して駅です。
九州環状急行のフエニックスと、このニセコが長距離気動車急行の雄というイメージがあります。
むかしの北海道は凄かったよね
初めて根室~函館のニセコ号を知った時の感想・・・「よく燃料が持つなぁ」
動画編集お疲れ様です🙇⤵️早速ですが、根室からの『ニセコ』は3号ではなく2号だったのでは?あと、晩年は12系でなく14系でしたょ
404Dニセコ2号です
かつて急行ニセコは3往復体制で上下とも2号は臨時列車でしたが廃止され、根室発は3号から2号に変更されました...
阿寒なのは分かるけど、アカンと言われると・・・。
内容の一部が誤ってます。
ご視聴ありがとうございます。今後の動画における内容誤認を減らすため、具体的にどの箇所が誤りか教えて頂けますでしょうか?
急行ニセコは、14系ハザですよ。
新幹線🚅は、便利になるかわりに大きな代償を払うことになりますよね‼️鉄道を利用する人の中にも、のんびりと旅をしたい人も居ますよね❗新幹線🚅が札幌迄延伸したら、山線は勿論海線の存在事態が危機なのですよね❗海線が廃止されたならば、貨物列車が本州に行けなくなるのもそうですが本州からの荷物も来なくなるのですよ‼️農家や市民の生活が維持出来なくなりますよね❗話し合いは、難航していて結論を出せないで居ますよ❗便利を取ると、生活が破綻してしまう北海道なのですよね‼️
根室〜函館直通急行「ニセコ2号」、走行距離でこれに匹敵しそうな列車(気動車)は昭和30年代の急行「しらゆき」ですかね✴️晩年は金沢〜青森だったけど古くは名古屋〜青森だったので^^;昔の映画で見た🎦
函館市長が変わったことにより、大沼公園まで存続する可能性、、、ないかな、
貴重な動画有り難うございます。6:00のキハ57?の北海道カラー初めて見ました。
私は別に鉄道マニアやないけどついついいつも観てしまう。いつも観ていて思う事、アンタは細かい事をすごい細かく解説してます。ホント、マニア中のマニア‼️(これはガチの褒め言葉)頭が下がります。これからも観続けますよ👍👍鉄道が好きになりそうです‼️‼️
目と鼻の先がロシアだもん
急行アカン
逆区間があったとしたら?
下りニセコ1号札幌行が相方。函館5:05発だったので仮に根室行だとしたら根室着は20時過ぎでしょう...
函館ー札幌間の特急の指定が取れない同感は ニセコだった
C62重連の急行ニセコも解説して欲しいです。
やっぱり急行ニセコといえば山線C62 重連が有名だし 何より使用する車両はポピュラーなキハ56普通に使っている車両だから さほど珍しくないそれと北海道では12系客車ではなく 本州から持ってきたしわを改造した14系500番台を使っていました
8:11 急行ニセコ号に導入された客車は、12系ではなく14系の座席車です。教えて下さった方、ありがとうございました。
実際体感してないから浅いよね
@@mkrsknkarkw 北海道には12系は来なかった。雪で折戸が機能しなくなるし、あのユニット窓じゃ冬は寒くて凍えてしまう。だから14系を引戸に改造して走らせた。
@@経澤豊 バカだな、そんなのは知ってる
ネット知識で知ったから浅くて間違いを堂々と言ってるんだよ(草)
@@経澤豊 だから制作者
Wikipediaの丸コピレベルってのが
簡単にわかっちゃうんだよ
インターネッツの海は広大だけど
深さは3cmしか無いんだよ
ご視聴ありがとうございます。様々なご意見を受けて複数出典での校閲を強化しておりますが、なにぶんうp主はまだ大学生のため、当然往年には生まれていません。「体感していない」というご指摘は真摯に受け止めますが、それは努力ではどうにもならないご指摘であることをご理解ください。今後とも当チャンネルをご愛顧いただければ幸いですが、若輩者の戯言がどうしてもお気に障るようでしたら、題材となる列車を実際に体感した方の動画をご視聴になるとよろしいかと思います。
1:20 根室まで21時間はえぐい
急行ニセコ号で使用されていた車両は14系500番台寝台・座席💺車が使われていました、1986年11月の国鉄最後全国ダイヤ改正で廃止となりました。
ニセコ3号、1974年に全区間で乗りました。疲れませんでした。函館には45分延着し、真夜中の連絡船のあと、急行「しらゆき」で秋田、特急「つばさ」で上野まで乗りました。奥羽線で土砂崩れがあって「つばさ」は北上線まわりで、上野には夜11時過ぎに着きました。
「根室→函館」ボックス席で15時間。仙人になる修行としか思えない。
ロングシートで15時間もなかなかエグい
まあ、急行高千穂や桜島で24時間越えもあった時期だからなあこれ
たしか、トキ鉄で
誰かが、455/ 413系観光夜行急行32時間耐久とかやってませんでした……?
イベント列車でそんなのが年に一本くらい運転されてもいいように思う。
満席ならきついですが、昭和50年代にもなると世の中も落ち着いていたので平時はそこまで混んでいなかったのではないかと思います。
ボックスに足を伸ばして乗れるならそこまで辛いものではないと思います。
70年代の若造ですが、感動しました。北海道の田舎から、長時間掛け勤め先の東京田端まで、着いたら切符がない。田端の駅員、田舎者と悟ったのか、北海道の田舎駅に電話、東京までの切符が1枚売れてる事を確認して放免されたw
816.4㌔㍍、東京から尾道までが811.3㌔㍍あるから、北海道は広い。
2:12 7:16 この00年代のゲームに使われてそうなbgmどっから拾ってくるんだ…
ご視聴ありがとうございます。このBGM含め、当チャンネルでは Tam Music Factory さんの素材を結構使っているので、よければご参照ください。
www.tam-music.com/
どっかで給油しなくてもそんな長距離走れるのがすごい。
北海が季節臨時扱いとはいえニセコとして一時復活しているのはある意味山線最後の救いでしょうね。
乗りたかった。今じゃ考えられない距離。気動車大好き。
この時代、海線&山線どうなってたのかなぁ?🤔
ニセコで使用されていた客車は14系500番です。
意見を反映して頂き、有難うございます。
女性声の読み上げ音声で作成された迷列車動画は、音声が聞きやすくて視聴しすいです。
国鉄時代の北海道に、800キロも走行する急行が存在していたのですね。
国鉄時代は、キハ58系を使用した迷な急行(東北の急行陸中・みちのく関連等)が多かったらしいので、
今後も急行列車関係を中心とした迷列車動画を楽しみにしています。😀
8:11 1981年2月から14系500番台座席車での運行に。
2:46
このCGは1968年8月現在のダイヤなので正しいのですが、前々年1966年9月30日までは、新得〜落合間は新内駅廻りの狩勝旧線区間を通っていたために、運転距離も乗車時間も更に延びていたという事実。
狩勝新線区間も含む富良野〜新得間が運行休止から廃線の見込みである令和の人間としては、一度は乗車したかった列車のひとつでしょう。
宗谷も函館直通かけてたもんな
まだ、新千歳空港が発展する前、青函トンネルがなかった頃、北海道までは夜行で青森まで行き、青函連絡船を使い、函館から列車で行く・・・。
特急も網走まで行く「おおとり」号や現存する「おおぞら」号は函館を出て、室蘭本線を経て札幌、滝川から富良野・新得へ行き、帯広・釧路の行程・・・。
雪害等で遅れた場合は札幌で車両交換もあったそうです、満タンでぎりぎりの距離ですから。
代りが無い場合は客を一旦降ろして苗穂までひとっ走りして給油してもどってきたそうな。
急行「おが」も上野〜男鹿(秋田県)急行しらゆき 金沢〜青森 もあったけど800k走行してなかったんですね。
ニセコで使用したのは14系客車
昭和51年の時刻表がながらく実家に置いてあったのですが、片道だけの上りニセコ2号は異彩を放っていました。下り方向は函館から釧路直通の急行がなく(もちろん特急おおぞらはあったが)、根室直通の狩勝すらありませんでした。ずっと不思議に思っていましたが(自分で古い時刻表を調べることまではしなかったので)、この動画で経緯がわかりました。解説ありがとうございます。
根室から函館まで816.4㌔㍍、ほぼ同じ距離の東京から尾道までが811.3㌔㍍あるから、北海道は広い。
カニ族、いましたねぇ。
デカいリュックを背負っていたためか混んだ車内を通る時に横向きにしか進めなかったからそう呼ばれていたんだっけ?
1970年代、当時の国鉄がディスカバージャパンと銘打って、旅行に力を入れていたのと、加藤登紀子の知床旅情のヒットにより、大学生が夏休み等の長期休暇を利用して北海道旅行を楽しんでいたが、その当時、入手できる旅行用のリュックは、登山で使われていた帆布製のキスリングが一般的で、横長だったため、列車内の通路で人とすれ違う時、正面通行ができず、横向きにならないとすれ違いができないため、その様子がカニと同じなので、カニ族と呼ばれていたらしいですよ。
今は、日本や海外のブランドの登山用リュックは縦長なので、キスリングを背負ったような事態にはならないと思いますが、それでも、旅行用の荷物やお土産もリュックにいっぱい詰めていて、列車内ですれ違う際、相手の方もリュックを背負って荷物がいっぱいだと、お互いに正面を向いてのすれ違いが難しいこともあるので、座席のところでどちらかが止まって横向きになって、すれ違うこともあると思いますよ。
根室発函館行きの「ニセコ」懐かしいですね。ちゃんとグリーン車も連結されていたので、全区間走破するならグリーン車利用だな…と思ったものです。
ところで、動画の8:10辺りからですが、函館~札幌「ニセコ」の旧型客車を置き換えたのは12系客車ではなく14系客車です。気になりましたので念のため。
それでは、次回の動画も楽しみにしています。
飛行機が高くてかつ高速道路が整備されてない時代だからできたんだろうな
このダイヤクラブってどう調べたのか興味が湧いて気になる。こう言うのってちゃんと残っている。貴重な事なので、この資料も遺産です
かつてはこのような急行列車が走っていたのに今となれば路線ごと廃止となるのはもったいなく思いました
俺、根室管内住まいだけど、函館なんか1回も行ったことない…
多分一生行く機会ないだろう…
だけど根室7時発、函館22時着…
速いね…
寝台なら乗りたいなぁ…
本州~北海道間が鉄道が優位のころ、記憶では深夜の青函連絡船では
函館は5時前に北斗1号、北海号が接続。
青森は同じく5時前にはつかり2号、みちのく号だけでなく、大阪行きの白鳥号に接続していたと思う。
15年以上前、東京から稚内まで鉄路で行きましたが、はやてからスーパー白鳥、スーパー北斗と乗り継ぐ場合は
特急料金が半額になりましたが、札幌からのスーパー宗谷は割引は無かった。
C62重連で鉄道ファンなら知らない「ニセコ」号も凄いのですが、この根室→函館のニセコ2号も凄いですよね!根室連絡急行でありながら、厚床通過しちゃうのが凄いんですよね・・・。
この時代の北海道にはこんな列車が多かった
急行大雪でも札幌ー網走-釧路を走る列車があったし
確か、「しれとこ」号をくっつけて、釧路まで行った列車ですよね。
ニセコ宗谷など乗り換え無しで行ける急行は大いに魅力。周遊券があれば大変安く旅行ができた。今は急行と変わらない短距離特急ばかり。北海道なんかほとんど廃線ばかり。本当に旅行者には不便ですね?
やっぱり、私にとっての「急行ニセコ」はC622+C623だなぁ~。
(小さい頃、良く踏切で手を振っていた。😢)
山線部分の長万部小樽間のC62重連ですね。好調な3号機が本務機 2号機が先頭の前補機ですね。引退後はDD51重連で客車牽引ですね。
@@pupo2298さん、 蒸気機関車最終日は三重連だったんだよ。
上りのみ走っていた謎のニセコ号、懐かしいですね。当時はまだあちこちにキハ58を使用する長距離急行が多数残っていました。
金沢⇄青森のしらゆきもありましたね、コレも福井延長という形で白鳥に格上げされて消えました。
根室と札幌の区間、ニセコによく乗りました。朝の8時半頃根室発、夕方6時頃札幌着だった様な?
急行ニセコ、と言えば、昔、
あの鉄道カメラマンの南正時先生が、
自分が著作編集したケイブン社の児童向け鉄道雑誌でよく、当時の南先生のアシスタントやっておられた榊原さん…って方が居て、彼を、「急行ニセコが大好きな男」…ってよく書いておられたのをふと思い出す…☺️
勿論、旧国鉄時代、それも末期の話だが、それだけ、当時の「急行ニセコ号」は、魅力的な列車だった証だろなぁ✊🌟
阿寒に乗っちゃあかん
上り急行「ニセコ3号」'75年暮れにこの列車乗りました。根室を朝8時ごろ出発し、函館には23時過ぎ着。
グリーン車含めた4両編成で、釧路で3両ほど増結してたと記憶してます。
さすがに全線通しで乗ったのは周囲では自分だけ、でしたw
根室ではぎりぎり座れたくらい、結構賑わってましたが釧路で大半が下車してましたね。帯広・滝川でぼちぼち、そして札幌でドッと乗り込んできて・・・
遠いなぁ…。
昭和51年末の時刻表と、特急・急行図鑑を見ていて、当時の北海道の国鉄列車は凄かった。根室始発の昼行ニセコが何故片道?函館〜札幌の「すずらん」、札幌〜釧路の「狩勝」、釧路〜根室の「ノサップ」が下り列車が1本多く、特にノサップはグリーン車(自由席)も連結だから、容易に同じ編成と見抜けた。動画でも語られていたが、カニ族が北海道へ行くのに、青函連絡船を介して函館から入るのが当たり前の時代だった。歳の離れた自分の知人も研修で北海道へ行く際もそうだった。自分が大学生になった時は、千歳空港駅開業、東北新幹線開業で、連絡船から函館のルートは下火、ローカル線も廃止が始まり、それが出来なくなった。😢
根室から函館まで運行していた急行の名称ですが、1945年頃から1978年8月頃までは、ニセコ2号だったと記憶しています。根室釧路間は自由席のグリーン車を挟んでの3両編成で、小学校から中学校迄の間の夏休みに旭川市の祖母のところに行くために、根室から富良野迄利用していました。
函館~網走間のおおとりや函館~釧路間のおおぞらのような長距離特急はなぜなくなったんだろう。
千歳空港駅の誕生じゃないですかね?それまでは国鉄から乗り継いでもらうために函館からの特急網を引いていましたが、空港と鉄道を直結したため函館より札幌を起点とした方が運用がし易いと判断したのではないでしょうか。
そう、今の南千歳駅、当時の千歳空港駅が開業した時、画期的な出来事でした。東京ー札幌の旅客輸送が、1970年代前半は、青函連絡船を経由した鉄道での移動手段がメインで、飛行機での移動は相当高額な運賃でした。ところが、国鉄のストライキ続発と赤字による運賃値上げが繰り返されたため、札幌ー上野間の運賃が高くなったのと、ジャンボジェットボーイング747が就航したため、相対的に航空運賃との差が詰まり、長時間の列車移動と、航空機での短時間の移動と比べると、運賃が多少高くても飛行機となり、札幌から東京への移動手段が、飛行機利用にシフトしていたため、青函連絡船のある函館起点での道内の国鉄輸送が、実態とそぐわなくなり、札幌起点とした北海道内の国鉄の旅客輸送を再構築したのと、当時の80系特急気動車の所属運転区は、おおぞら、おおとり、北海が函館運転区所属、北斗が札幌運転区というのも函館起点というのが頷ける話しです。
まあ、1980年10月に千歳空港駅(現南千歳)を開業して、ライバルの航空機輸送に塩を送ったのも、国鉄の対本州輸送が航空機に移行していたのと、当時は千歳空港からの輸送ルートはバス輸送しかなく、それに目をつけたこと、赤字続きの国鉄で、旅行収入が確実に見込めるところに駅を作ったというのが正解ですね。
この後、国鉄からJRになる時、特急の始発を函館から札幌へ変えたこと、ニセコ2号にも出ていましたが、長距離列車だとダイヤの乱れが後々ダイヤに影響するし、赤字ということを踏まえて、札幌で系統分断して別列車として、特急運賃の増収を図る意図もあったように思えます。
実際、JR化後、札幌ー函館間の普通運賃は、海線回りでも山線経由の短い路線距離で計算されていたのが、特急列車が実際に運行する海線回りでの普通運賃の計算に改めてられていますしね。
補足
千歳空港駅(現南千歳駅)は、当時の国鉄が、ライバルの航空機輸送に対して、初めて空港直結駅として開業して駅です。
九州環状急行のフエニックスと、このニセコが
長距離気動車急行の雄というイメージがあります。
むかしの北海道は凄かったよね
初めて根室~函館のニセコ号を知った時の感想・・・「よく燃料が持つなぁ」
動画編集お疲れ様です🙇⤵️
早速ですが、根室からの『ニセコ』は3号ではなく2号だったのでは?
あと、晩年は12系でなく14系でしたょ
404Dニセコ2号です
かつて急行ニセコは3往復体制で上下とも2号は臨時列車でしたが廃止され、根室発は3号から2号に変更されました...
阿寒なのは分かるけど、アカンと言われると・・・。
内容の一部が誤ってます。
ご視聴ありがとうございます。今後の動画における内容誤認を減らすため、具体的にどの箇所が誤りか教えて頂けますでしょうか?
急行ニセコは、14系ハザですよ。
新幹線🚅は、便利になるかわりに大きな代償を払うことになりますよね‼️
鉄道を利用する人の中にも、のんびりと旅をしたい人も居ますよね❗
新幹線🚅が札幌迄延伸したら、山線は勿論海線の存在事態が危機なのですよね❗
海線が廃止されたならば、貨物列車が本州に行けなくなるのもそうですが本州からの荷物も来なくなるのですよ‼️
農家や市民の生活が維持出来なくなりますよね❗話し合いは、難航していて結論を出せないで居ますよ❗
便利を取ると、生活が破綻してしまう北海道なのですよね‼️
根室〜函館直通急行「ニセコ2号」、走行距離でこれに匹敵しそうな列車(気動車)は昭和30年代の急行「しらゆき」ですかね✴️
晩年は金沢〜青森だったけど古くは名古屋〜青森だったので^^;
昔の映画で見た🎦
函館市長が変わったことにより、大沼公園まで存続する可能性、、、ないかな、
貴重な動画有り難うございます。
6:00のキハ57?の北海道カラー初めて見ました。
私は別に鉄道マニアやないけどついついいつも観てしまう。いつも観ていて思う事、アンタは細かい事をすごい細かく解説してます。ホント、マニア中のマニア‼️(これはガチの褒め言葉)
頭が下がります。これからも観続けますよ👍👍
鉄道が好きになりそうです‼️‼️
目と鼻の先がロシアだもん
急行アカン
逆区間があったとしたら?
下りニセコ1号札幌行が相方。函館5:05発だったので仮に根室行だとしたら根室着は20時過ぎでしょう...
函館ー札幌間の特急の指定が取れない同感は ニセコだった
C62重連の急行ニセコも解説して欲しいです。
やっぱり急行ニセコといえば
山線C62 重連が有名だし 何より使用する車両はポピュラーなキハ56
普通に使っている車両だから さほど珍しくない
それと北海道では12系客車ではなく 本州から持ってきたしわを改造した
14系500番台を使っていました