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ラリーといいこの時代は気狂いなマシンが多くて魅力に溢れていた。。
グループCが無くなる頃からモータースポーツに興味が無くなった全盛期は楽しかったな
マツダが勝った時は心の底から泣いて喜びましたね‼️正直、半狂乱状態でしたね❣️
私も歓喜した一人です。F1や当時のF3000にあまり興味がなかった私にとってCカ―のレ―スが一番しっくりきていました。あの頃が懐かしいです。
ロータリーが参戦できる最後のレースだったと言うことがまた心に残るんだよな。
グループCの何でもありな規定が好きだったな。ポルシェの高い壁に他のメーカーが挑むという構図が面白かった。末期のNA3.5L規定はF1とグループCで同じエンジンにすれば参戦メーカーが増えるというのは世紀の愚策だったが。
初めましてこんにちはFIAは愚策呼ばわりされても文句言う資格は全くないですね!お互いのカテゴリーの客層もどう考えても違ったりしますし
@@レーシングチャンネル さんFIA史上最高の愚策ですよね当時のF1が3.5リッターだからエンジン揃えたら参戦してくれるメーカーが増える❗しかし、現行チームは新規にエンジンを開発しなけばならない日産は現行グループCマシンのNAには反対だけど、V型12気筒3.5リッターマシン「NP35」を造りMINEてテスト参戦したがポールの3秒落ち更に日産の経営悪化カテゴリ消滅でその後の活動は打ち切られたトヨタはスポーツプロトタイプカー世界選手権に72° V型10気筒3.5リッター「TS−010」で参戦それを引き継いだのが1998年、1999年ル・マン24時間参戦車両がトヨタの車名は「トヨタGT−ONE」一般にはTS−010の後継だから「TS-020」と呼ばれた❗
まるっきり性格の違うレースなのになぜ同じエンジンを使えると思ったのだろう?一から開発するよりは多少楽なのかも知れないけれど、300km余りを耐えればぶっ壊れてもいいって言うのと、超高速を24時間走り続けるのとでは基本的な設計から違うんじゃないの?知らんけど。
グループCで強かったプジョーが、F1ではさんざんだったように、無理があったように思います。もっとも昔はF1用のコスワースDFVを搭載してル・マン24時間にスポット参戦とか普通にありましたが。
@@591kumoha 「市販エンジン」のDFVは、それ故に信頼性(=耐久性とか、チューンナップへの懐の深さも含めて)が高かったと言うことなんでしょうかね。
当時のF1ブームがあまりにも眩かったゆえに、やや影に隠れた感のあるグループCですが、各チームの燃費を巡る駆け引きが、完全に「チーム戦術対決」で、玄人筋にはすごく見応えあるレースだったと聞きます。
当時鈴鹿に見に行きましたね~!JSPCはトヨタVS日産で見応えのあるレースでしたよ!
まあ、耐久レースなんでTV放送しにくいっていうのもありましたからね。
グループCは本当に面白かった‼️F1以上に各メーカーのプライドや意地をかけて、スポンサーも多種多様な会社が参戦してたから、カラーリング含めてマシンがカッコ良かった。エンジンも排気量や過吸の有無にロータリーが様々あって、テレビ前でも分かる程エンジンサウンドに違いがあり酔いしれた思い出🎵初期トヨタが、3リッターを越えるモンスターエンジンに対して、直4の2.2リッターターボの4T型で戦ってたのが好きだったな😃
FIAがしゃしゃり出てくるとろくなことが無い・・・
あすこのお偉いさんにはモータースポーツの素人しかいませんからね・・・・・というのは言い過ぎかな?😅
@@shinpeikitajima7115 100パー同意します😁
956や962Cシルクカットジャガーやメルセデスの時代は本当におもしろかった。787Bは感動だったなあ。ラリーもグループBがあってモンスターマシンの走りと爆音にはしびれたね。今はほとんど見てないね。
Cカーの時代は何を見ていても迫力があって本当に楽しかったですね。ポルシェにジャガーが関わってついにはベンツも参入しての実に面白い時代だったと思います。また、あの時代が戻ってきたら楽しいんだろうなー! と思うのは私だけなのかなー。
日本でWEⅭが初めて開催された時は社会人になったばかりだったけど会社を休んで見に行った。とにかく最初の頃はポルシェが強くランチアやロンド―などの外国勢が優勢だった。トヨタ勢はトムスとドームが引っ張り日産は当初ローラやマーチのシャシーを使用して参戦。それでも国産勢はエンジンのパワーと信頼性で苦労していましたね。その後、目に見えるような技術の進展で外国勢を凌駕するほどの進化。当時はマシンも現在の金太郎あめのようでなくて個性が豊かでしたね。知人で既に故人になりますが福井氏がオートビューレックというレーシングチームでBⅯW-Ⅿ1で出場してまして当時乗っていたポルシェカレラのメンテをして貰っていました。ドライバーの内田さん{故人}と3人で遊んだものでした。福井氏の甥っ子と自分の息子が同級生で仲良しです。今のこじんまりした国内レースと違い物凄い魅力と迫力がりました。
おすすめに出てきたので拝聴。自分がNISMOに入社して初めて分解したエンジンが R92Cシリーズに搭載していた VRH35。師匠たちの顔や喋り方を思い出しなんだか懐かしく感じました。感謝です。
専門学校の同級生NISMOに、入社していてそのエンジンオーバーホールしたことあると言ってましたよ
@@kumao-kazu さん(個人を特定するのは良くないと思うのですが)林さんの組でしょうかね?入社年を教えていただいたらその方が何方か分かります。
@@bayashi23 さんその林さんは、先生ですか?先生も、同級生の名前は、全く違います
@@bayashi23 さん勘違いしてました同級生は、「林さん」という方ではないです今年50歳になる年齢です。
耐久もラリーもF1もこの頃が1番好きだったなあ、ワークスもプライベーターもみんな頭のネジ飛んでた(笑)
グループCカーが大半だったルマン24時間は凄かった!90年前半スポンサーカラーを重視するTOYOTA、社色のトリコロールカラーで参加するNISSAN、レナウンやチャージとついたオレンジカラーのMAZDAの日本勢にポルシェ、メルセデス、ジャガー、プジョーと華やかだった!
ランチアLC2が好きでした。とにかく美しくカッコ良かった‼️
この頃はF1でもtagポルシェとレース界完全制覇の勢いでしたね。ブランドイメージも最高でした。
レーシングカーとして、グループCマシンが1番かっこいいと思います。
ペースカーが入った時のR92Cの燃費は20km/l以上だったとかどっかで読んだなあ燃費なんて空気抵抗と車重で決まると言えるから軽自動車並みの燃費でもおかしくないんだろうけど。レーシングエンジンでそれは凄いよなあ今のハイブリッドなら当然とんでもない燃費になるのだろうけど
自分の"ルマン"のイメージは、このグループCカーです。ポルシェ956・962Cの印象が強いのは確かですが、プライベーターの魔改造ポルシェや直線番長のWMプジョー、レギュレーションの変わり目にはひょっこり出てくるアトソンマーチンなど、大活躍はしませんでしたが、味のあるクルマがたくさんありました。当時の未熟な技術で強い熱意で造られたモンスター達、危うさはありましたが、出場しているクルマ全てにロマンがありました。
ル・マンのユノディェールで初めて400km/hを突破したのはWMプジョーじゃなかったかな?確か…84年か85年頃。
@@dawnbreaker1759 様そうです。彼等はユノディエールの直線しか興味がないんです(笑)。本戦は早々にリタイヤしてましたし、シケインが出来てからは出て来なくなりました。ロマンの塊です。セガテバプジョー…
旧グループCはホントに素晴らしいカテだったなぁ〜使える燃料に制限があるだけで、あとは基本的に何でもOKだからメーカー毎にアプローチとかが違うし、それに伴いエンジン音も違って見ていて楽しかった。末期のNA3.5Lはもう言うまでも無いですね…やっぱり『フォーミュラにガワを被せた』レースは楽しくなくなるんだよなぁ…
VRHは理論上1650PS出せたとか
GC「あ?」
むしろF-1の方がグループCに合わせる形で「制限は車体サイズとフォーミュラーカーの定義を満たしているか否かと使用燃料総量のみ、あとはエンジンに関しては排気量も過給の有無も不問、なんでもあり」と言うレギュレーションにしてしまっても良かったのかもしれません。
@@shinpeikitajima7115 そうですね〜国内メーカーと海外のそれぞれのメーカーが、独自のアプローチ(グループCのようにアプローチが市販車と繋がりがあると楽しいですよね。)で戦う姿が見れて楽しかったかも?しれませんよね。間違いなく現地にいたら、色々なエンジン音やエンジン特性が楽しませてくれたでしょう
単純に速さや強さを求めたこの時代が最高に良かったよ
詳しい事は知りませんがただ単純に車の形がカッコいい。
ポルシェ962CはCカーの代表的な形状。ロスマンズカラーやその他スポンサーの賑やかなカラーリングの中にメルセデスのシンプルなシルバーアローも渋かった。すべて時代の彼方に...
当時私はN自動車でCカーの開発をしていました。なにしろ日本は「バブル」で景気の良い時代、TV朝日でル・マンの中継もありましたね。愛知の「T」社や広島の「M」社も海外メーカーには勝てそうも無いので国内他社に負けないことが第一でした。どこのメーカーも独P社の市販Cカーを購入してばらしてまねッコしたから似たような車両なんですよ。懐かしいです…、
グループCからは外れますが、マルティーニ・カラーのポルシェ935と936が大好きでした。ああ、ジャッキー・イクス先生・・・
Cカー時代は、テレ朝がル・マンを中継してくれてた時代だからよく見てた。メレセデスによる空中トリプルアクセル披露を見てたなぁ…テレ朝については、何年経っても実況が下手だったのがなぁ…ル・マンも今年から新規定になるけど、メレセデスのような事がないようお祈りする。
逆風の中一貫してこのカテゴリーの開発を進めているトヨタは立派ですよ現在ではライバル不在でいろいろ言われることもありますが、一途にやり続けた結果でもあると思ういつの日か80年台後半のような華やかなサーキットを取り戻してくれることを期待しております
残念ですがもうモータースポーツは内燃機関が目の敵にされて無くなりそうなので終わりでしょうねエンジンの音がしないレースなんか栄養は摂れるが味のしない食べ物の様なものです
一貫を一貴と読み違えました。ライバル不在でBoPで抑えられても毎年強くなるTOYOTAを誇りに思います。来年のルマンでは宿敵プジョーはじめ多くのメーカーが参戦。来年も勝ちきって欲しい!
レースは面白かった。何と言っても、ポルシェがワークスカー並みの市販レーシングカーを販売していたのが脅威だった。スプリントではワークスマシンの優位は揺らぎなくても、Cカーの耐久レースはポテンシャルの高い車両なら誰でも勝てるかもしれない夢があった。
最近グランツーリスモ7にグループCカーが3台追加されたのでその歴史が知れて面白かったです
3.5L時代のジャガーXJR14もある意味衝撃的でしたけどね
80年代「ロスマンズ ポルシェ」は本当に強かった!あと、ザウバーメルセデスがル・マン24のユノディエールの直線で宙返りしたあとそのままコースアウトしたのをLIVEで観ていたが、あれはショッキングだったな・・・
ベンツのCLRLMに911GT1も離陸してます。空力を煮詰めた結果たと。
由良拓哉さんの「外行っちゃた」のナレーションも印象に残ってます。。
90年代初頭までとにかくノンターボを応援してました(汗)そんな中で、jaguarXJR 9が勝利した時は感動しました!その年のTWRとポルシェAGは合計何台あったのか⁈と言いたくなるくらい。アメリカ勢も本気で参戦だったな〜。グループCだけでなく、この時代のモータースポーツは最高でしたね。
レーシングオンの「Cカーの時代」を読んでグループCカーにハマりました。その中に写っていたジャガーXJRー9のカッコ良さに衝撃を受けて、1/18スケールのミニカーも買ってしまいました^^個人的にリアスパッツを採用したレーシングカーで一番かっこいいと思います。
787Bは、優勝した年でも最高速がせいぜい330kph弱と、他のマシンを圧倒するようなものではなかったのに、ホント偉大だ。
実際当時の国内ライバルと比べても尚クソ遅いっていうね。ただしル・マンの時だけはライバルに比べて170kgも軽くしてもらったから本戦でも予選並のハイペースでブッ飛ばせた。まさか万年ドベのマツダが勝つわけ…と思ったんだろうけど、いやぁナメてもらっちゃ困るねぇ
最後の年だったのでレギュレーションをマツダ忖度にしてくれたからね。あれで優勝出来なきゃ赤っ恥だもん(笑)長年の功績だろうね。
@@yutas8710 さんマツダ787Bは今でも唯一のル・マン優勝したロータリーエンジン実は767の後継だから「777」になるべきだけど呼び難い❗理由で「787」になったイベントで三次試験場を走るイベントをYou Tubeで見たら効果音はF1じゃね?みたいな素晴らしい効果音でした
全日本では、勝てなかったのに。トヨタと日産は、速かった。
その後は962CをGTカーと言い張ったり911GT1で実質プロトタイプにしたりポルシェは良くも悪くも色々やってくれるなぁ
グループCの車の面影を少し残した見た目好き
1983年 スカイラインターボC世界唯一のFR方式のCカー長谷見さんいわく「エンジンが前にあるので車内が熱い」「まともに走らない」だったそうだこの車は現存していない…
FRって時点で『勝負権が無い』様な物なんですけどね(笑)シルエットフォーミュラじゃ人気もあったから販促も兼ねていたのかなぁ…
ロスマンズ・ポルシェはホントに速くてカッコ良くてカラーリングも最高級でした👍後ザウバー・メルセデスも速くてカッコ良くて好きでした🎵今はGT6でお気に入りの1台です(笑)。
懐かしいマシン達が続々と登場してきて見ごたえありました。ポルシェ917は『栄光のル・マン』に登場していましたから、今見てもカッコイイですね。ポルシェ956シリーズは、鈴鹿1000Kmでピットから見ていましたが、スタート後わずか2周で最後尾のグループA車が1コーナーに消えると同時にストレートを立ち上がってくる(集団で)という大迫力がありました。特にヨコハマ・アドバンカラーの956は大好きでしたね。
ポルシェのCカーは強かったなぁ〜国産マシンは最初だけですぐピットでエンジン見てた
それが今ではトヨタがルマンで勝つなんて。ナミダ!
出来ればポルシェ、アウディ、プジョーと戦って勝ってほしい〜ほとんど勝ってたレースもあったけど🤭
日本ではグループCの末期は国産に勝てなかったよ。
@@素人モデラー レースに限らず勝負にタラレバは禁止です。また、ポルシェ、アウディ、プジョーが出たがらないのも分かります。トヨタ、三河?武士の情けです。
「勝った」とは言えクレバーな勝ちとは言い難いライバル不在の状況下
ベンツが飛んだりポルシエが飛んだりものすごい時代でした
同時期のF1がターボ勢を燃費制限でどんどん縛っていき、NA化に向けて舵を切ろうとしたところに似た係数のジャガーの大排気量NAが結果を出してきてこれが最適解かと思われたところで燃費もすこぶるいいメルセデスの大排気量ターボ出現。次々にいろんな技術が出てきて楽しい時代でした。
あのスーパーレジェンド星野さん曰く「楽しかないよ、怖いだけだよ!」
Cカー最後の公式エントリーレースが、94年の鈴鹿1000kmに出たサードトヨタでしたね…途中でスピンしてリタイアという結果でしたが、代わりにNSXや911が快走するのが世の変遷というか、そういうのを現地で感じました。
小学生の頃ザウバーメルセデスC9に憧れて、最近やっとの思いでAMGのV8に乗る事が出来ました。いろいろなV8ありますが、メルセデスのV8の音が1番好きです。
ロスマンズポルシェとシルクカットジャガーの競り合いは面白かった。
ポルシェはスゲー、競技連盟が同社締め出しのため度重なるカテゴリー再編にもかかわらずそれに適応して席巻できるんだから脱帽だね
85年の富士のレースでは日産の優勝よりも雨により中止か強行かで揉めてぐだぐだになってしまった事に怒りまくる星野さんの勝利者インタビューとやはり雨のレースに異常に強い人なんだなと改めて認識した事の方が印象深い。
ハンス・へイヤーが外国チームドライバー全員に「7周したらリタイアするぞ!」と号令掛けていましたね!┐('~`;)┌
スタート後しばらくしてメインスタンドからコーナーに移動してたら、超短縮の放送が…。雨の中、カッパ着て凄く張り切ってたのに凄く残念でした。
日産が好きなので、ルマン参戦した中ではR89C・R90CPがお気に入りですが、R88C以前の、ニチラやアマダのスポンサーマシンが苦しくも期待を持たせてくれたかなと思います。タラレバですが、R91CPがルマンに出ていたらと考えたらもったいなかったですね、、世界情勢が悪いのも影響しましたし…ぜひグループCの次、旧GT-1やWSCクラスのこともお願いします!
ル・マンのユノディエールにシケインが設けられる前は、公道の荒れた路面をCカーがフラットアウトで文字通り跳んでいくシーンが印象的だった。
締め出されたポルシェ917はCan-Amに流れ着き活躍しました。Can-Am の解説も期待しています。
そのCan-Amも917の圧倒的な速さゆえに潰してしまいました。
35年前くらいから地上波でテレ朝がル・マンを生中継してたときまでは毎年見ていました。レギュレーションなど詳細は分かりませんが、主催者がルール変更するたびにエントリーチーム数は減り、チーム側もかなり困惑していたと察します。
ユノディエールが6kmの直線だった時代、夜間街灯無しの真っ暗闇をヘッドライトの灯りだけで時速400km/h走行。「悪魔が囁くストレート」ってつまり自分が「もし前に何かあったら避けられず死ぬ」って考えちゃうから。
この時代はポルシェ956の独壇場で、WECも盛り上がっていましたね。東京理科大院卒の先輩が日産入社後すぐにルマンカープロジェクトに入れられ、連日徹夜で凄まじい開発環境だったそうですが、外部から見ていると、何かプロジェクトが弥陀に空回りしているような気が・・・すみません。マツダのルマン優勝は涙が出ましたね。あの頃テレビで同時中継していたので、とにかく壊れるなと祈ってました。ヨーロッパでマツダルマン制覇の次の日からマツダディ-ラーにロータリーを求めて殺到したそうです。マツダはルマン制覇をヨーロッパでの販売宣伝に利用して物凄く売り上げが上がったそうです。丁度この頃仕事でフランスに行ったのですが。日本車はマツダかスズキが溢れかえっていました。
そのままポルシェ956や962のワンメイクにしてしまっても良かったのではないでしょうか?
TOM'S は83Cと言う車で1983年から参戦です。また、余り知られてないですが1984年の富士ではステファンヨハンソンのポルシェが最終コーナーでリアが流れ土手に乗るまで空を飛び観客が重症を負う事故がありました。このときに富士のアクセル全開で立ち上がる最終コーナーの対策を考えていたら高橋徹選手の事故は防げたと思います。ルマンはワークスの他ではセカテバプジョーが好きでしたね。ユノディエールで最高速度を出すことを目的としルマンの決勝最初はリードラップで走るも、すぐにリタイア。 贅沢な趣味もルマンの風物詩で好きでした。
グループCは車体の規定と燃費規制だけだったのに、変な事するから消滅してしまったよね。当時のエンジニアの方々が、後のインタビューで「あれほど良くできた車両規則はない」って答えてた。末期には、エンジンの最適解がV8ターボ(排気量とブーストに差が有り)になりつつあったけど、グループC規定が続いていればトレンドが移り変わって、まだまだエンジン開発の余地はあったかなぁと思います。
このあたりが一番楽しかった。
一番Cカーって感じがするのはやっぱりWMプジョーのP88やなぁ限界まで最高速を突き詰めてシケイン無しのユノディエールで410キロ近く出しちゃう怪物しかも決勝行ったら直線で飛ばせないからすぐリタイアしちゃうというね
12気筒エンジンの高回転音とかV8ターボの吠える音とかエイゾーストから伸びる火炎とか良い時代でしたね確かに色々な問題は抱えてたけど富士に何度も通う程に白熱したレース展開に痺れてた時代でもありました(o^―^o)
962・956 GrC時代は18インチスリックタイヤで1500PSのウイングカー❗ル・マンのユーノディエールのうねった最高速ゾーンのストレートは、空力エフェクトが狂い浮き上がる❗さぞかしドライバーは大変だったてあろう
電気自動車では各メーカーで別々のアプローチみたいなことが少ないから、今後はこういうハチャメチャだけとロマンのあるレースが出来ることはないんだろうなぁ
たぶんシャシーと動力系はワンメイクになると思いますよ。むしろスピードより消費電力量の少なさを競うレースになっている可能性すらあります。
いつの時代もプロトタイプってカッコいいよなフォーミュラに限りなく近い箱車みたいで
素晴らしい動画ありがとうございます。確かに改めて考えたらあの狂った馬力に対して当時のタイヤ性能と考えたら寒気してきたわ(笑)長谷見さんとか、毎回レース終わると、今日も死なずに済んだ!みたいな事思ってたとか。そらそうなるわね。でも長谷見さん、富士のストレートで舞った時は逝ったと思ったわ。あれはトラウマ
80年代ね…。あんだけF1に熱気してたのに、グループCが目に入って来なかったのは何故だろう…。
全盛期のロスマンズ956とユーノディエール6キロは永遠の憧れ仮に自分がF-1チャンピオンだったとしても永遠に憧れる
初めてWECでロスマンズポルシェが来た時、ポール取り損ねてランチャのアルボレート組かパトレーセ組に取られたんだったよなぁ。決勝は勝ったんだろうけど、なんか色々なクラスの車が混走で訳分らなかった。文康さんと長坂さんのM1の音は印象に残った。あれ?誰か後のプロドライバーに誘われてイクスのサイン会行った様な?40年前だもん、忘れたな。走らせてないけど某メーカーのCカーに座ったんだが、「これでレースやる奴は頭おかしい」って思ったもんだ。まだカーボンとか使われる前でアルミハニカムシャーシにFRPだもんね。ベロフ以外死んじゃった人思い出せないけど。ポルシェ956って確か5000万で市販されたんだよね?その後、世界的に956→962と流行った。日本でも日産・トヨタ・マツダ VS ポルシェという構図になり開発に力が入った。そういえば長谷見さんのトミカスカイラインターボCだっけ?あれの富士テストの時も私ピットに居た気がする。星野さんも松本さんも居た。セルモのバテさんこと佐藤さんも居たな。82~83年の頃なのかな?各社がルマン含めて本気でやりだしてからは、あまり良く知らないんだが、TS010のエンジン音には驚いた。
レナウンとかミノルタとか、懐かしいスポンサーロゴが哀愁をそそります
細かい事は言わねーとにかく速けりゃなんでもアリのグループC好きでした。ポルシェがケチ臭い事言わないで、プライベータにもクルマ売ったのも凄かったと思う。コースや天候によっては、プライベータポルシェが上位に来る事もあって、盛り上がってました。日産も956や962cってお手本があったから、追いつけ追い越せと頑張れた。400kって考えただけで恐ろしですネ
グループCで見たかったのは、グループCの最終型ことR92CP、見た目はプロト、中身はF1ことジャガーXJR14、インチキGT1ことダウアー962CによるグループC最終決戦と称してこの3台が参戦するJSPCとWECですね。
ルマンに限って言えば、ユノディエールにシケインが出来て、少し興奮度が減ったけど、これを観てドライバーの安全第一を再認識。ポルシェばかりが優勝していたのちの、ジャガーやザウバーメルセデスのヴィクトリーラップは印象的。栄光のルマンという映画が好きだったから、ポルシェ全盛期に、出来ればフェラーリにも参加して欲しかった。テレ朝が放送やめて随分たつなあ。(違うスポーツだけどローズボウルの放送中止も)地上波で観戦できる世界的スポーツコンテンツだったのに。
ポルシェの敵はレギュレーション。強すぎたのでレギュレーションを変えられレースから締め出されたし。ある意味、最高の賞賛を与えられたポルシェは公式も認めた最強。
ロスマンズポルシェカッコ良かった!ミノルタトムスも好きだった!青と白のカラーリングが好きだったのかな?
ザウバーメルセデスは空力設計ミスによりルマンで飛んだ、ルマンでメルセデスが飛ぶのは最早伝統行事(モータースポーツ休止もルマンで飛んだから)Cカー末期には787B国内戦専用装備としてライト無しのカウルが標準となり雨が降り始めるとタイヤと一緒にライト付きカウルに交換していたフルカウルボディは空力に絶対的な恩恵を与えてくれる半面、異物に弱くジャガーやプジョーのリヤタイヤのサイドカバー(スパッツ)が粉砕なんてこともまた、富士(何年かは忘れた)のS字の切り替えしで星野一義のマシン(だったはず確実に日産車)の左フロントタイヤがバースト、多くの破片がカウルを下から持ち上げたためマシンが垂直に打ち上がったプジョーかジャガーのどっちか(忘れた)は車体底面から金属部品が突出しておりコーナリングのたびに大量の火花を散らしていたそんな愉快な仲間たちに混ざってたZ32君、君は一体何なんだい?
ルマンで飛んだのはザウバーじゃなくてワークス参戦のメルセデス、富士で飛んだのは1コーナーで長谷見さん
富士では長谷見さんのYHPと25号車もストレートエンドから1コーナーで全く同じ飛び方した。車載映像では反転して空が映って、恐ろしかった。数年前のレーシングオンのインタビューだったか、あの当時は再生タイヤが当たり前だったとか。
記憶曖昧な所更新しておきますありがとう
そうそう、カラーリングもスポンサーカラーなんだけど華やかで。ロスマンズやマルティニ、ガルフ、シルクカット、メルセデス・ベンツのシルバーアローやトヨタのミノルタやデンソー、日産のカルソニックやYHP、FromAとか、マツダのレナウンカラーとか、、思い出すなあ。
グループBとCが物凄かった時代
当時憧れる車でした。
後追いで知ったけど、一番好きなカテゴリーのレーシングカーだな…787Bと962Cが特に好き
日本メーカーが調子上げてきたり、勝ったり、ヨーロッパメーカーをぶっちぎったりすると、ルールが改定されることはよくある。
ザウバーメルセデスC292が1992年のSWCでプジョー、トヨタとガチンコバトルを展開する世界線が見たかった。F1顔負けのハイテク装備満載で、試走したサーキット全てでコースレコードを叩き出したと聞いてワクワクした。もし実戦投入されていたら史上最強のグループCカーとして歴史に残ったはず。
日産にも夢と希望の究極のNA Cカーがありました。こちらは熟成不足でその片鱗も見せられませんでしたが。
全盛期にコナミがWECル・マン24(開発はコアランド=現在のバンプレスト)というゲームをリリースしていたので、そこからGr.Cカーに興味を持った人も多いのではと思っています。ゲーム内に出てくるマシンはポルシェだけれど、店頭に貼られていたポスターに写っていたマシンはコナミカラーのスパイスのマシン(おそらくSE86かな?)だったのですよね。」
この時代の車を操るドライバーのギリギリ感が面白かった、懐かしい。
★ポルシェやジャガーのIMSAのドデカイウィングもなかなかユニークで好きです。WSCシリーズの屋根がないオープントップ仕様がツボ👍全体的な形は 主に日産エンジンを搭載してたマーチ86GやアメリカのGTPクラスのローラもリアルタイム世代でない自分から見てもついつい見とれてしまう……✨👍👍👍👍👍
ザウバーメルセデスとトヨタミノルタほんとにカッコいい
やはりグループC=ル・マンのイメージが強いですネ。90年のル・マンでニッサンがPPを獲った時は興奮しましたネ!1000馬力オーバーのR90Cは絶対に優勝するだろうという期待もありました。ポルシェ、ジャガー、メルセデスが強く、日本のメーカーが夢を抱いて挑戦していた時期でもありましたネ。
あんな事したので日産チームは本選前に空中分解した!┐('~`;)┌
マツダルマン優勝🏆の雑誌今でも持ってます。
時速400キロとか、F1以上の速度だったんだな。グループCは、漫画「コンポラ先生」のラストレースに登場して、主人公が最終ラップでポルシェ・ワークスに逆転勝利する展開になったなぁ。
917と言うと、私は917-10と917-30だなあ。あれが在ったから、その後のラジコン1/8GPレーシングカーが変わりましたしね。 判る人しかだけど、模型屋さんのデッドストックでFUTURA111とパイロットのスピードビルトを手に入れましたよ。スピードビルトは936ボディ付です。あとヨコモさんの再販917-30KLボディもゲット済です。
ポルシェ956と962は凄かった速さは勿論、メーカーから買ったままの所謂「吊るし」でも、入賞あるいはワークスにトラブルがあると優勝できた普通はワークスと市販レーサーには大きな差があるのにこんなレーシングマシン、他にないしこれからも登場しないだろう個人的にはトムス84Cと85Cが好きですね申し訳程度についてるヘッドライトが「空力命!」という感じがして当時は今みたいにLEDはおろかキセノンもなかったので、あの小さなヘッドライトでル・マンの夜間セクションを走るのは怖かったと思いますが
長谷見選手と和田選手が富士で立て続けに飛んだのはびっくりした😳
いつも楽しく拝見しております!ポール・トゥ・ウィンならぬテール・トゥ・ウィン特集やって欲しいです😀
細かい指摘をしてすまんが、指定期間内に25台作られたポルシェ917は935と同じグループ5。またグループCカテゴリーにはポルシェ935も含まれる。これを嫌ったプライベーター(欧米には935使いと呼ばれるレーサーたちが大勢?いた)たちは935をIMSA-GT既定の車両に変更して参戦を続けた。1980年代はスポーツカー(プロトタイプレーシングカー)やGTカーカテゴリーにも、それまでのバイアスタイヤからラジアルタイヤへと移っていった時期。
F1なんて目じゃない世界一のカテゴリー
これのハンドルを握るドライバー、途轍も無い勇気の持ち主だったんですよね。F1、400キロなんて出ませんから。F1見たいな旋回性能も有りませんし。
Cカーの裏話として、90年初頭のどこだかの高速コース(モンツァだったかな?)のテストでF1より速かったのが最速カテゴリーを自負するF1の根幹を揺るがす可能性があったから潰されたと聞いたことがあるな。92レギュがF1と同等になったのは翌年以降でメーカー技術や資金をF1に促すためとも。
初めましてこんにちはm(_ _)mどこかの雑誌でもそのような内容の記事が有りましたね!私も客席で生のレース見ましたがもしも重量規定にも特に制限がなければ全てに於いてF1を凌ぐ速い車になったろうなと思いました!
童夢のマシンかっこ良かった!
補足します。グループCカー規定初年度の1982年ですが、ランチアはCカーが間に合わずFIAはグループ6車両LC1での参戦を特例措置として認めました。これによりグループC規定の売りで有った燃費規制にランチアLC1が縛られないことになり、反対にポルシェは通常レースと同じブースト圧ではル・マン24時間レースを走りきれない事がシミュレーションで判明してしまいました。 そこでポルシェは駆動ロスによる燃費悪化対策としてデファレンシャルギヤを排除。 同じく燃費を悪化させるエンブレの使用を最小限とし、カーブもアクセルを使わずストレートの余力で走行という究極の燃費走行をワークスドライバーに課すことに。ユーノディエールは今と違い分割していないほぼ6kmの直線コースで最高速度は360km以上にもなる。そんな速度を、デフも無い不安定なマシンでミュルサンヌコーナに突入するのだからポルシェワークスドライバーの度胸とテクニックには恐れ入る。 そこまでしてランチア対策をしてきたが、フォーメーションラップ中にランチアの1台はパーコレーション状態となり、もう1台も序盤て戦線を離脱する羽目に・・・労せずしてポルシェ956はル・マンを1-2-3フィニッシュしたのです。
Cカーは自動車メーカーが持ち合わせているエンジンで参戦できるのが利点でした。しかし国産メーカーには戦える市販エンジンがなかった。(センチュリー、プレジデントはありましたがね)まあいい時代でしたね。旧富士の1コーナーでフェンスに張りついてみてましたが、当時の音と風圧と速度を超えるものがないとサーキットに行く気が起きません。
962Cと言えば、初期のJGTC(今のス―パーGT)に参戦していたのを思いだす。
ポルシェ956(962)抜きでは語れないカテゴリ、というかCカー規定の多くが956を基準にしてるからもはやカテゴリそのものとも言える優勝できるポテンシャルのあるマシンが市販されていて、どのプライベーターでも購入すれば夢を見れる可能性があったそりゃ〜盛り上がるよね!ルマンのほぼ全車両がバチバチに戦えるとか、クラス毎の差がハッキリしてる今じゃ考えられない
しかもお値段も安かったしね。
ポルシェの場合、歴代のレーシングカーはプライベーターへの販売も目的にしている。なので956でも、当時F1では導入されたばかりで高価なカーボン素材は使わず、実績が有るアルミモノコックフレームとなった。80年代後半にジャガーやザウバーに日本メーカーが台頭したのはカーボンモノコックフレームを採用したから。クレマーやPLR等1部ポルシェのプライベーターは962にカーボンフレームを採用したが、その頃にはライバルのワークスチームの資金力には敵わなかった。
ユノディエールでリヤカウル吹っ飛ばすポルシェが記憶に残ってます
エンジン方式と排気量の統一、燃費規定撤廃の改悪さえ無ければ、Cカーの歴史は途切れることなく1990年代や2000年代にスムーズに受け継がれていったのかもしれないね。もしかしたら911GT1とかTS020とかR8みたいな車は誕生しなかったかもしれないけど。これからはGTの時代だ!とか言っていたのに、ダウアー962LMがGTクラス優勝した時は迷走してるじゃん!と思った。何にせよCカーの時代は1992年頃に曖昧な感じで終わってしまったので、結局カテゴリー2の最強マシンはニッサンR92CP、カテゴリー1の最強マシンはプジョー905って事になるのかな。プジョー905は初期型は滅茶苦茶美しい車だったのに、進化する毎に外観がおかしくなっていき「醜いアヒルの子」とか「Cカー史上最も醜いマシン」などと呼ばれるようになってしまった。初期型はCカー史上最も美しいマシンだと思うんですけどね。
ル・マン見てましたね、レナウンマツダが優勝したのは印象的でしたね、あとは紫のジャガーや😁
ラリーといいこの時代は気狂いなマシンが多くて魅力に溢れていた。。
グループCが無くなる頃からモータースポーツに興味が無くなった
全盛期は楽しかったな
マツダが勝った時は心の底から泣いて喜びましたね‼️正直、半狂乱状態でしたね❣️
私も歓喜した一人です。F1や当時のF3000にあまり興味がなかった私にとってCカ―のレ―スが一番しっくりきていました。あの頃が懐かしいです。
ロータリーが参戦できる最後のレースだったと言うことがまた心に残るんだよな。
グループCの何でもありな規定が好きだったな。ポルシェの高い壁に他のメーカーが挑むという構図が面白かった。末期のNA3.5L規定はF1とグループCで同じエンジンにすれば参戦メーカーが増えるというのは世紀の愚策だったが。
初めましてこんにちは
FIAは愚策呼ばわりされても
文句言う資格は全くないですね!
お互いのカテゴリーの客層も
どう考えても違ったりしますし
@@レーシングチャンネル さん
FIA史上最高の愚策ですよね
当時のF1が3.5リッターだから
エンジン揃えたら
参戦してくれるメーカーが増える❗
しかし、現行チームは
新規にエンジンを開発しなけばならない
日産は
現行グループCマシンのNAには反対だけど、V型12気筒
3.5リッターマシン「NP35」を造り
MINEてテスト参戦したが
ポールの3秒落ち更に
日産の経営悪化
カテゴリ消滅でその後の活動は打ち切られた
トヨタはスポーツプロトタイプカー
世界選手権に
72° V型10気筒3.5リッター
「TS−010」で参戦
それを引き継いだのが
1998年、1999年ル・マン24時間参戦車両が
トヨタの車名は
「トヨタGT−ONE」
一般には
TS−010の後継だから
「TS-020」と呼ばれた❗
まるっきり性格の違うレースなのになぜ同じエンジンを使えると思ったのだろう?
一から開発するよりは多少楽なのかも知れないけれど、300km余りを耐えればぶっ壊れてもいいって言うのと、超高速を24時間走り続けるのとでは基本的な設計から違うんじゃないの?知らんけど。
グループCで強かったプジョーが、F1ではさんざんだったように、無理があったように思います。もっとも昔はF1用のコスワースDFVを搭載してル・マン24時間にスポット参戦とか普通にありましたが。
@@591kumoha 「市販エンジン」のDFVは、それ故に信頼性(=耐久性とか、チューンナップへの懐の深さも含めて)が高かったと言うことなんでしょうかね。
当時のF1ブームがあまりにも眩かったゆえに、やや影に隠れた感のあるグループCですが、各チームの燃費を巡る駆け引きが、完全に「チーム戦術対決」で、玄人筋にはすごく見応えあるレースだったと聞きます。
当時鈴鹿に見に行きましたね~!JSPCはトヨタVS日産で見応えのあるレースでしたよ!
まあ、耐久レースなんでTV放送しにくいっていうのもありましたからね。
グループCは本当に面白かった‼️F1以上に各メーカーのプライドや意地をかけて、スポンサーも多種多様な会社が参戦してたから、カラーリング含めてマシンがカッコ良かった。エンジンも排気量や過吸の有無にロータリーが様々あって、テレビ前でも分かる程エンジンサウンドに違いがあり酔いしれた思い出🎵
初期トヨタが、3リッターを越えるモンスターエンジンに対して、直4の2.2リッターターボの4T型で戦ってたのが好きだったな😃
FIAがしゃしゃり出てくるとろくなことが無い・・・
あすこのお偉いさんにはモータースポーツの素人しかいませんからね・・・・・というのは言い過ぎかな?😅
@@shinpeikitajima7115 100パー同意します😁
956や962Cシルクカットジャガーやメルセデスの時代は本当におもしろかった。787Bは感動だったなあ。ラリーもグループBがあってモンスターマシンの走りと爆音にはしびれたね。今はほとんど見てないね。
Cカーの時代は何を見ていても迫力があって本当に楽しかったですね。
ポルシェにジャガーが関わってついにはベンツも参入しての実に面白い時代だったと思います。
また、あの時代が戻ってきたら楽しいんだろうなー! と思うのは私だけなのかなー。
日本でWEⅭが初めて開催された時は社会人になったばかりだったけど会社を休んで見に行った。
とにかく最初の頃はポルシェが強くランチアやロンド―などの外国勢が優勢だった。トヨタ勢はトムスとドームが引っ張り
日産は当初ローラやマーチのシャシーを使用して参戦。それでも国産勢はエンジンのパワーと信頼性で苦労していましたね。
その後、目に見えるような技術の進展で外国勢を凌駕するほどの進化。当時はマシンも現在の金太郎あめのようでなくて
個性が豊かでしたね。知人で既に故人になりますが福井氏がオートビューレックというレーシングチームでBⅯW-Ⅿ1で
出場してまして当時乗っていたポルシェカレラのメンテをして貰っていました。ドライバーの内田さん{故人}と3人で
遊んだものでした。福井氏の甥っ子と自分の息子が同級生で仲良しです。今のこじんまりした国内レースと違い
物凄い魅力と迫力がりました。
おすすめに出てきたので拝聴。
自分がNISMOに入社して初めて分解したエンジンが R92Cシリーズに搭載していた VRH35。
師匠たちの顔や喋り方を思い出しなんだか懐かしく感じました。
感謝です。
専門学校の同級生
NISMOに、入社していて
そのエンジン
オーバーホールしたことあると
言ってましたよ
@@kumao-kazu さん
(個人を特定するのは良くないと思うのですが)林さんの組でしょうかね?
入社年を教えていただいたらその方が何方か分かります。
@@bayashi23 さん
その林さんは、先生ですか?
先生も、同級生の名前は、全く違います
@@bayashi23 さん
勘違いしてました
同級生は、「林さん」という方ではないです
今年50歳になる年齢です。
耐久もラリーもF1もこの頃が1番好きだったなあ、
ワークスもプライベーターもみんな頭のネジ飛んでた(笑)
グループCカーが大半だったルマン24時間は凄かった!
90年前半スポンサーカラーを重視するTOYOTA、社色のトリコロールカラーで参加するNISSAN、レナウンやチャージとついたオレンジカラーのMAZDAの日本勢に
ポルシェ、メルセデス、ジャガー、プジョーと華やかだった!
ランチアLC2が好きでした。
とにかく美しくカッコ良かった‼️
この頃はF1でもtagポルシェとレース界完全制覇の勢いでしたね。ブランドイメージも最高でした。
レーシングカーとして、グループCマシンが1番かっこいいと思います。
ペースカーが入った時のR92Cの燃費は20km/l以上だったとかどっかで読んだなあ
燃費なんて空気抵抗と車重で決まると言えるから軽自動車並みの燃費でもおかしくないんだろうけど。レーシングエンジンでそれは凄いよなあ
今のハイブリッドなら当然とんでもない燃費になるのだろうけど
自分の"ルマン"のイメージは、このグループCカーです。
ポルシェ956・962Cの印象が強いのは確かですが、プライベーターの魔改造ポルシェや直線番長のWMプジョー、レギュレーションの変わり目にはひょっこり出てくるアトソンマーチンなど、大活躍はしませんでしたが、味のあるクルマがたくさんありました。
当時の未熟な技術で強い熱意で造られたモンスター達、危うさはありましたが、出場しているクルマ全てにロマンがありました。
ル・マンのユノディェールで初めて400km/hを突破したのはWMプジョーじゃなかったかな?確か…84年か85年頃。
@@dawnbreaker1759 様
そうです。
彼等はユノディエールの直線しか興味がないんです(笑)。
本戦は早々にリタイヤしてましたし、シケインが出来てからは出て来なくなりました。
ロマンの塊です。セガテバプジョー…
旧グループCはホントに素晴らしいカテだったなぁ〜
使える燃料に制限があるだけで、あとは基本的に何でもOKだからメーカー毎にアプローチとかが違うし、それに伴いエンジン音も違って見ていて楽しかった。
末期のNA3.5Lはもう言うまでも無いですね…
やっぱり『フォーミュラにガワを被せた』レースは楽しくなくなるんだよなぁ…
VRHは理論上1650PS出せたとか
GC「あ?」
むしろF-1の方がグループCに合わせる形で「制限は車体サイズとフォーミュラーカーの定義を満たしているか否かと使用燃料総量のみ、あとはエンジンに関しては排気量も過給の有無も不問、なんでもあり」と言うレギュレーションにしてしまっても良かったのかもしれません。
@@shinpeikitajima7115 そうですね〜
国内メーカーと海外のそれぞれのメーカーが、独自のアプローチ(グループCのようにアプローチが市販車と繋がりがあると楽しいですよね。)で戦う姿が見れて楽しかったかも?しれませんよね。
間違いなく現地にいたら、色々なエンジン音やエンジン特性が楽しませてくれたでしょう
単純に速さや強さを求めたこの時代が最高に良かったよ
詳しい事は知りませんがただ単純に車の形がカッコいい。
ポルシェ962CはCカーの代表的な形状。
ロスマンズカラーやその他スポンサーの賑やかなカラーリングの中にメルセデスのシンプルなシルバーアローも渋かった。
すべて時代の彼方に...
当時私はN自動車でCカーの開発をしていました。なにしろ日本は「バブル」で景気の良い時代、TV朝日でル・マンの中継もありましたね。愛知の「T」社や広島の「M」社も海外メーカーには勝てそうも無いので国内他社に負けないことが第一でした。どこのメーカーも独P社の市販Cカーを購入してばらしてまねッコしたから似たような車両なんですよ。懐かしいです…、
グループCからは外れますが、マルティーニ・カラーのポルシェ935と936が大好きでした。ああ、ジャッキー・イクス先生・・・
Cカー時代は、テレ朝がル・マンを中継してくれてた時代だからよく見てた。
メレセデスによる空中トリプルアクセル披露を見てたなぁ…
テレ朝については、何年経っても実況が下手だったのがなぁ…
ル・マンも今年から新規定になるけど、メレセデスのような事がないようお祈りする。
逆風の中一貫してこのカテゴリーの開発を進めているトヨタは立派ですよ
現在ではライバル不在でいろいろ言われることもありますが、一途にやり続けた結果でもあると思う
いつの日か80年台後半のような華やかなサーキットを取り戻してくれることを期待しております
残念ですがもうモータースポーツは内燃機関が目の敵にされて無くなりそうなので終わりでしょうね
エンジンの音がしないレースなんか栄養は摂れるが味のしない食べ物の様なものです
一貫を一貴と読み違えました。
ライバル不在でBoPで抑えられても毎年強くなるTOYOTAを誇りに思います。
来年のルマンでは宿敵プジョーはじめ多くのメーカーが参戦。来年も勝ちきって欲しい!
レースは面白かった。
何と言っても、ポルシェがワークスカー並みの市販レーシングカーを販売していたのが脅威だった。
スプリントではワークスマシンの優位は揺らぎなくても、Cカーの耐久レースはポテンシャルの高い車両なら誰でも勝てるかもしれない夢があった。
最近グランツーリスモ7にグループCカーが3台追加されたのでその歴史が知れて面白かったです
3.5L時代のジャガーXJR14もある意味衝撃的でしたけどね
80年代「ロスマンズ ポルシェ」は本当に強かった!
あと、ザウバーメルセデスがル・マン24のユノディエールの直線で宙返りしたあと
そのままコースアウトしたのをLIVEで観ていたが、あれはショッキングだったな・・・
ベンツのCLRLMに911GT1も離陸してます。空力を煮詰めた結果たと。
由良拓哉さんの「外行っちゃた」のナレーションも印象に残ってます。。
90年代初頭までとにかくノンターボを応援してました(汗)そんな中で、jaguarXJR 9が勝利した時は感動しました!その年のTWRとポルシェAGは合計何台あったのか⁈と言いたくなるくらい。アメリカ勢も本気で参戦だったな〜。グループCだけでなく、この時代のモータースポーツは最高でしたね。
レーシングオンの「Cカーの時代」を読んでグループCカーにハマりました。
その中に写っていたジャガーXJRー9のカッコ良さに衝撃を受けて、1/18スケールのミニカーも買ってしまいました^^
個人的にリアスパッツを採用したレーシングカーで一番かっこいいと思います。
787Bは、優勝した年でも最高速がせいぜい330kph弱と、他のマシンを圧倒するようなものではなかったのに、ホント偉大だ。
実際当時の国内ライバルと比べても尚クソ遅いっていうね。
ただしル・マンの時だけはライバルに比べて170kgも軽くしてもらったから本戦でも予選並のハイペースでブッ飛ばせた。
まさか万年ドベのマツダが勝つわけ…と思ったんだろうけど、いやぁナメてもらっちゃ困るねぇ
最後の年だったのでレギュレーションをマツダ忖度にしてくれたからね。
あれで優勝出来なきゃ赤っ恥だもん(笑)
長年の功績だろうね。
@@yutas8710 さん
マツダ787Bは今でも
唯一のル・マン優勝した
ロータリーエンジン
実は767の後継だから「777」になるべき
だけど呼び難い❗理由で「787」になった
イベントで
三次試験場を走るイベントを
You Tubeで見たら
効果音はF1じゃね?みたいな
素晴らしい効果音でした
全日本では、勝てなかったのに。
トヨタと日産は、速かった。
その後は962CをGTカーと言い張ったり911GT1で実質プロトタイプにしたりポルシェは良くも悪くも色々やってくれるなぁ
グループCの車の面影を少し残した見た目好き
1983年 スカイラインターボC
世界唯一のFR方式のCカー
長谷見さんいわく
「エンジンが前にあるので車内が熱い」
「まともに走らない」だったそうだ
この車は現存していない…
FRって時点で『勝負権が無い』様な物なんですけどね(笑)
シルエットフォーミュラじゃ人気もあったから販促も兼ねていたのかなぁ…
ロスマンズ・ポルシェはホントに速くてカッコ良くてカラーリングも最高級でした👍
後ザウバー・メルセデスも速くてカッコ良くて好きでした🎵
今はGT6でお気に入りの1台です(笑)。
懐かしいマシン達が続々と登場してきて見ごたえありました。
ポルシェ917は『栄光のル・マン』に登場していましたから、今見てもカッコイイですね。
ポルシェ956シリーズは、鈴鹿1000Kmでピットから見ていましたが、スタート後わずか2周で最後尾のグループA車が1コーナーに消えると同時にストレートを立ち上がってくる(集団で)という大迫力がありました。
特にヨコハマ・アドバンカラーの956は大好きでしたね。
ポルシェのCカーは強かったなぁ〜国産マシンは最初だけですぐピットでエンジン見てた
それが今ではトヨタがルマンで勝つなんて。ナミダ!
出来ればポルシェ、アウディ、プジョーと戦って勝ってほしい〜ほとんど勝ってたレースもあったけど🤭
日本ではグループCの末期は国産に勝てなかったよ。
@@素人モデラー レースに限らず勝負にタラレバは禁止です。また、ポルシェ、アウディ、プジョーが出たがらないのも分かります。トヨタ、三河?武士の情けです。
「勝った」とは言えクレバーな勝ちとは言い難い
ライバル不在の状況下
ベンツが飛んだりポルシエが飛んだりものすごい時代でした
同時期のF1がターボ勢を燃費制限でどんどん縛っていき、NA化に向けて舵を切ろうとしたところに似た係数のジャガーの大排気量NAが結果を出してきてこれが最適解かと思われたところで燃費もすこぶるいいメルセデスの大排気量ターボ出現。次々にいろんな技術が出てきて楽しい時代でした。
あのスーパーレジェンド星野さん曰く
「楽しかないよ、怖いだけだよ!」
Cカー最後の公式エントリーレースが、
94年の鈴鹿1000kmに出たサードトヨタでしたね…
途中でスピンしてリタイアという結果でしたが、代わりにNSXや911が快走するのが世の変遷というか、そういうのを現地で感じました。
小学生の頃ザウバーメルセデスC9に憧れて、最近やっとの思いでAMGのV8に乗る事が出来ました。
いろいろなV8ありますが、メルセデスのV8の音が1番好きです。
ロスマンズポルシェとシルクカットジャガーの競り合いは面白かった。
ポルシェはスゲー、競技連盟が同社締め出しのため度重なるカテゴリー再編にもかかわらずそれに適応して席巻できるんだから脱帽だね
85年の富士のレースでは日産の優勝よりも雨により中止か強行かで揉めてぐだぐだになってしまった事に怒りまくる星野さんの勝利者インタビューとやはり雨のレースに異常に強い人なんだなと改めて認識した事の方が印象深い。
ハンス・へイヤーが外国チームドライバー全員に「7周したらリタイアするぞ!」と号令掛けていましたね!┐('~`;)┌
スタート後しばらくして
メインスタンドからコーナーに移動してたら、超短縮の放送が…。
雨の中、カッパ着て凄く張り切ってたのに凄く残念でした。
日産が好きなので、ルマン参戦した中ではR89C・R90CPがお気に入りですが、R88C以前の、ニチラやアマダのスポンサーマシンが苦しくも期待を持たせてくれたかなと思います。
タラレバですが、R91CPがルマンに出ていたらと考えたらもったいなかったですね、、世界情勢が悪いのも影響しましたし…
ぜひグループCの次、旧GT-1やWSCクラスのこともお願いします!
ル・マンのユノディエールにシケインが設けられる前は、公道の荒れた路面をCカーがフラットアウトで文字通り跳んでいくシーンが印象的だった。
締め出されたポルシェ917はCan-Amに流れ着き活躍しました。Can-Am の解説も期待しています。
そのCan-Amも917の圧倒的な速さゆえに潰してしまいました。
35年前くらいから地上波でテレ朝がル・マンを生中継してたときまでは毎年見ていました。レギュレーションなど詳細は分かりませんが、主催者がルール変更するたびにエントリーチーム数は減り、チーム側もかなり困惑していたと察します。
ユノディエールが6kmの直線だった時代、夜間街灯無しの真っ暗闇をヘッドライトの灯りだけで時速400km/h走行。
「悪魔が囁くストレート」ってつまり自分が「もし前に何かあったら避けられず死ぬ」って考えちゃうから。
この時代はポルシェ956の独壇場で、WECも盛り上がっていましたね。東京理科大院卒の先輩が日産入社後すぐにルマンカープロジェクトに入れられ、連日徹夜で凄まじい開発環境だったそうですが、外部から見ていると、何かプロジェクトが弥陀に空回りしているような気が・・・すみません。マツダのルマン優勝は涙が出ましたね。あの頃テレビで同時中継していたので、とにかく壊れるなと祈ってました。ヨーロッパでマツダルマン制覇の次の日からマツダディ-ラーにロータリーを求めて殺到したそうです。マツダはルマン制覇をヨーロッパでの販売宣伝に利用して物凄く売り上げが上がったそうです。丁度この頃仕事でフランスに行ったのですが。日本車はマツダかスズキが溢れかえっていました。
そのままポルシェ956や962のワンメイクにしてしまっても良かったのではないでしょうか?
TOM'S は83Cと言う車で1983年から参戦です。
また、余り知られてないですが1984年の富士ではステファンヨハンソンのポルシェが最終コーナーでリアが流れ土手に乗るまで空を飛び観客が重症を負う事故がありました。
このときに富士のアクセル全開で立ち上がる最終コーナーの対策を考えていたら高橋徹選手の事故は防げたと思います。
ルマンはワークスの他ではセカテバプジョーが好きでしたね。
ユノディエールで最高速度を出すことを目的としルマンの決勝最初はリードラップで走るも、すぐにリタイア。 贅沢な趣味もルマンの風物詩で好きでした。
グループCは車体の規定と燃費規制だけだったのに、変な事するから消滅してしまったよね。
当時のエンジニアの方々が、後のインタビューで「あれほど良くできた車両規則はない」って答えてた。
末期には、エンジンの最適解がV8ターボ(排気量とブーストに差が有り)になりつつあったけど、グループC規定が続いていればトレンドが移り変わって、まだまだエンジン開発の余地はあったかなぁと思います。
このあたりが一番楽しかった。
一番Cカーって感じがするのはやっぱりWMプジョーのP88やなぁ
限界まで最高速を突き詰めてシケイン無しのユノディエールで410キロ近く出しちゃう怪物
しかも決勝行ったら直線で飛ばせないからすぐリタイアしちゃうというね
12気筒エンジンの高回転音とかV8ターボの吠える音とかエイゾーストから伸びる火炎とか良い時代でしたね
確かに色々な問題は抱えてたけど富士に何度も通う程に白熱したレース展開に痺れてた時代でもありました(o^―^o)
962・956 GrC時代は18インチスリックタイヤで1500PSのウイングカー❗
ル・マンのユーノディエールのうねった最高速ゾーンのストレートは、空力エフェクトが狂い浮き上がる❗
さぞかしドライバーは大変だったてあろう
電気自動車では各メーカーで別々のアプローチみたいなことが少ないから、今後はこういうハチャメチャだけとロマンのあるレースが出来ることはないんだろうなぁ
たぶんシャシーと動力系はワンメイクになると思いますよ。
むしろスピードより消費電力量の少なさを競うレースになっている可能性すらあります。
いつの時代もプロトタイプってカッコいいよなフォーミュラに限りなく近い箱車みたいで
素晴らしい動画ありがとうございます。
確かに改めて考えたらあの狂った馬力に対して当時のタイヤ性能と考えたら寒気してきたわ(笑)
長谷見さんとか、毎回レース終わると、今日も死なずに済んだ!みたいな事思ってたとか。
そらそうなるわね。
でも長谷見さん、富士のストレートで舞った時は逝ったと思ったわ。
あれはトラウマ
80年代ね…。
あんだけF1に熱気してたのに、グループCが目に入って来なかったのは何故だろう…。
全盛期の
ロスマンズ956と
ユーノディエール6キロは
永遠の憧れ
仮に
自分がF-1チャンピオンだったとしても
永遠に憧れる
初めてWECでロスマンズポルシェが来た時、ポール取り損ねてランチャのアルボレート組かパトレーセ組に取られたんだったよなぁ。
決勝は勝ったんだろうけど、なんか色々なクラスの車が混走で訳分らなかった。文康さんと長坂さんのM1の音は印象に残った。
あれ?誰か後のプロドライバーに誘われてイクスのサイン会行った様な?40年前だもん、忘れたな。
走らせてないけど某メーカーのCカーに座ったんだが、「これでレースやる奴は頭おかしい」って思ったもんだ。
まだカーボンとか使われる前でアルミハニカムシャーシにFRPだもんね。ベロフ以外死んじゃった人思い出せないけど。
ポルシェ956って確か5000万で市販されたんだよね?その後、世界的に956→962と流行った。
日本でも日産・トヨタ・マツダ VS ポルシェという構図になり開発に力が入った。
そういえば長谷見さんのトミカスカイラインターボCだっけ?あれの富士テストの時も私ピットに居た気がする。
星野さんも松本さんも居た。セルモのバテさんこと佐藤さんも居たな。82~83年の頃なのかな?
各社がルマン含めて本気でやりだしてからは、あまり良く知らないんだが、TS010のエンジン音には驚いた。
レナウンとかミノルタとか、懐かしいスポンサーロゴが哀愁をそそります
細かい事は言わねー
とにかく速けりゃなんでもアリのグループC
好きでした。
ポルシェがケチ臭い事言わないで、プライベータにもクルマ売ったのも凄かったと思う。
コースや天候によっては、プライベータポルシェが上位に来る事もあって、盛り上がってました。
日産も956や962cってお手本があったから、追いつけ追い越せと頑張れた。
400kって考えただけで恐ろしですネ
グループCで見たかったのは、グループCの最終型ことR92CP、見た目はプロト、中身はF1ことジャガーXJR14、インチキGT1ことダウアー962CによるグループC最終決戦と称してこの3台が参戦するJSPCとWECですね。
ルマンに限って言えば、ユノディエールにシケインが出来て、少し興奮度が減ったけど、これを観てドライバーの安全第一を再認識。ポルシェばかりが優勝していたのちの、ジャガーやザウバーメルセデスのヴィクトリーラップは印象的。栄光のルマンという映画が好きだったから、ポルシェ全盛期に、出来ればフェラーリにも参加して欲しかった。テレ朝が放送やめて随分たつなあ。(違うスポーツだけどローズボウルの放送中止も)地上波で観戦できる世界的スポーツコンテンツだったのに。
ポルシェの敵はレギュレーション。強すぎたのでレギュレーションを変えられレースから締め出されたし。ある意味、最高の賞賛を与えられたポルシェは公式も認めた最強。
ロスマンズポルシェカッコ良かった!
ミノルタトムスも好きだった!
青と白のカラーリングが好きだったのかな?
ザウバーメルセデスは空力設計ミスによりルマンで飛んだ、ルマンでメルセデスが飛ぶのは最早伝統行事(モータースポーツ休止もルマンで飛んだから)
Cカー末期には787B国内戦専用装備としてライト無しのカウルが標準となり雨が降り始めるとタイヤと一緒にライト付きカウルに交換していた
フルカウルボディは空力に絶対的な恩恵を与えてくれる半面、異物に弱くジャガーやプジョーのリヤタイヤのサイドカバー(スパッツ)が粉砕なんてことも
また、富士(何年かは忘れた)のS字の切り替えしで星野一義のマシン(だったはず確実に日産車)の左フロントタイヤがバースト、多くの破片がカウルを下から持ち上げたためマシンが垂直に打ち上がった
プジョーかジャガーのどっちか(忘れた)は車体底面から金属部品が突出しておりコーナリングのたびに大量の火花を散らしていた
そんな愉快な仲間たちに混ざってたZ32君、君は一体何なんだい?
ルマンで飛んだのはザウバーじゃなくてワークス参戦のメルセデス、富士で飛んだのは1コーナーで長谷見さん
富士では長谷見さんのYHPと25号車もストレートエンドから1コーナーで全く同じ飛び方した。車載映像では反転して空が映って、恐ろしかった。数年前のレーシングオンのインタビューだったか、あの当時は再生タイヤが当たり前だったとか。
記憶曖昧な所更新しておきます
ありがとう
そうそう、カラーリングもスポンサーカラーなんだけど華やかで。ロスマンズやマルティニ、ガルフ、シルクカット、メルセデス・ベンツのシルバーアローやトヨタのミノルタやデンソー、日産のカルソニックやYHP、FromAとか、マツダのレナウンカラーとか、、思い出すなあ。
グループBとCが物凄かった時代
当時憧れる車でした。
後追いで知ったけど、一番好きなカテゴリーのレーシングカーだな…
787Bと962Cが特に好き
日本メーカーが調子上げてきたり、勝ったり、ヨーロッパメーカーをぶっちぎったりすると、ルールが改定されることはよくある。
ザウバーメルセデスC292が1992年のSWCでプジョー、トヨタとガチンコバトルを展開する世界線が見たかった。F1顔負けのハイテク装備満載で、試走したサーキット全てでコースレコードを叩き出したと聞いてワクワクした。もし実戦投入されていたら史上最強のグループCカーとして歴史に残ったはず。
日産にも夢と希望の究極のNA Cカーがありました。
こちらは熟成不足でその片鱗も見せられませんでしたが。
全盛期にコナミがWECル・マン24(開発はコアランド=現在のバンプレスト)というゲームをリリースしていたので、そこからGr.Cカーに興味を持った人も多いのではと思っています。ゲーム内に出てくるマシンはポルシェだけれど、店頭に貼られていたポスターに写っていたマシンはコナミカラーのスパイスのマシン(おそらくSE86かな?)だったのですよね。」
この時代の車を操るドライバーのギリギリ感が面白かった、懐かしい。
★ポルシェやジャガーのIMSAのドデカイウィングもなかなかユニークで好きです。
WSCシリーズの屋根がないオープントップ仕様がツボ👍
全体的な形は 主に日産エンジンを搭載してたマーチ86GやアメリカのGTPクラスのローラもリアルタイム世代でない自分から見てもついつい見とれてしまう……✨👍👍👍👍👍
ザウバーメルセデスとトヨタミノルタほんとにカッコいい
やはりグループC=ル・マンのイメージが強いですネ。90年のル・マンでニッサンがPPを獲った時は興奮しましたネ!1000馬力オーバーのR90Cは絶対に優勝するだろうという期待もありました。ポルシェ、ジャガー、メルセデスが強く、日本のメーカーが夢を抱いて挑戦していた時期でもありましたネ。
あんな事したので日産チームは本選前に空中分解した!┐('~`;)┌
マツダルマン優勝🏆の雑誌今でも持ってます。
時速400キロとか、F1以上の速度だったんだな。
グループCは、漫画「コンポラ先生」のラストレースに登場して、主人公が最終ラップでポルシェ・ワークスに逆転勝利する展開になったなぁ。
917と言うと、私は917-10と917-30だなあ。あれが在ったから、その後のラジコン1/8GPレーシングカーが変わりましたしね。
判る人しかだけど、模型屋さんのデッドストックでFUTURA111とパイロットのスピードビルトを手に入れましたよ。スピードビルトは936ボディ付です。あとヨコモさんの再販917-30KLボディもゲット済です。
ポルシェ956と962は凄かった
速さは勿論、メーカーから買ったままの所謂「吊るし」でも、
入賞あるいはワークスにトラブルがあると優勝できた
普通はワークスと市販レーサーには大きな差があるのに
こんなレーシングマシン、他にないしこれからも登場しないだろう
個人的にはトムス84Cと85Cが好きですね
申し訳程度についてるヘッドライトが「空力命!」という感じがして
当時は今みたいにLEDはおろかキセノンもなかったので、
あの小さなヘッドライトでル・マンの夜間セクションを走るのは怖かったと思いますが
長谷見選手と和田選手が富士で立て続けに飛んだのはびっくりした😳
いつも楽しく拝見しております!
ポール・トゥ・ウィンならぬ
テール・トゥ・ウィン特集やって欲しいです😀
細かい指摘をしてすまんが、指定期間内に25台作られたポルシェ917は935と同じグループ5。
またグループCカテゴリーにはポルシェ935も含まれる。これを嫌ったプライベーター(欧米には935使いと呼ばれるレーサーたちが大勢?いた)たちは935をIMSA-GT既定の車両に変更して参戦を続けた。
1980年代はスポーツカー(プロトタイプレーシングカー)やGTカーカテゴリーにも、それまでのバイアスタイヤからラジアルタイヤへと移っていった時期。
F1なんて目じゃない世界一のカテゴリー
これのハンドルを握るドライバー、途轍も無い勇気の持ち主だったんですよね。
F1、400キロなんて出ませんから。
F1見たいな旋回性能も有りませんし。
Cカーの裏話として、90年初頭のどこだかの高速コース(モンツァだったかな?)のテストでF1より速かったのが最速カテゴリーを自負するF1の根幹を揺るがす可能性があったから潰されたと聞いたことがあるな。92レギュがF1と同等になったのは翌年以降でメーカー技術や資金をF1に促すためとも。
初めましてこんにちはm(_ _)m
どこかの雑誌でもそのような
内容の記事が有りましたね!
私も客席で生のレース
見ましたがもしも重量規定にも
特に制限がなければ
全てに於いてF1を凌ぐ速い車に
なったろうなと思いました!
童夢のマシンかっこ良かった!
補足します。
グループCカー規定初年度の1982年ですが、ランチアはCカーが間に合わずFIAはグループ6車両LC1での参戦を特例措置として認めました。
これによりグループC規定の売りで有った燃費規制にランチアLC1が縛られないことになり、反対にポルシェは通常レースと同じブースト圧ではル・マン24時間レースを走りきれない事がシミュレーションで判明してしまいました。
そこでポルシェは駆動ロスによる燃費悪化対策としてデファレンシャルギヤを排除。 同じく燃費を悪化させるエンブレの使用を最小限とし、カーブもアクセルを使わずストレートの余力で走行という究極の燃費走行をワークスドライバーに課すことに。
ユーノディエールは今と違い分割していないほぼ6kmの直線コースで最高速度は360km以上にもなる。
そんな速度を、デフも無い不安定なマシンでミュルサンヌコーナに突入するのだからポルシェワークスドライバーの度胸とテクニックには恐れ入る。
そこまでしてランチア対策をしてきたが、フォーメーションラップ中にランチアの1台はパーコレーション状態となり、もう1台も序盤て戦線を離脱する羽目に・・・
労せずしてポルシェ956はル・マンを1-2-3フィニッシュしたのです。
Cカーは自動車メーカーが持ち合わせているエンジンで参戦できるのが利点でした。
しかし国産メーカーには戦える市販エンジンがなかった。(センチュリー、プレジデントはありましたがね)
まあいい時代でしたね。
旧富士の1コーナーでフェンスに張りついてみてましたが、当時の音と風圧と速度を超えるものがないとサーキットに行く気が起きません。
962Cと言えば、初期のJGTC(今のス―パーGT)に参戦していたのを思いだす。
ポルシェ956(962)抜きでは語れないカテゴリ、というかCカー規定の多くが956を基準にしてるからもはやカテゴリそのものとも言える
優勝できるポテンシャルのあるマシンが市販されていて、どのプライベーターでも購入すれば夢を見れる可能性があった
そりゃ〜盛り上がるよね!ルマンのほぼ全車両がバチバチに戦えるとか、クラス毎の差がハッキリしてる今じゃ考えられない
しかもお値段も安かったしね。
ポルシェの場合、歴代のレーシングカーはプライベーターへの販売も目的にしている。
なので956でも、当時F1では導入されたばかりで高価なカーボン素材は使わず、実績が有るアルミモノコックフレームとなった。
80年代後半にジャガーやザウバーに日本メーカーが台頭したのはカーボンモノコックフレームを採用したから。
クレマーやPLR等1部ポルシェのプライベーターは962にカーボンフレームを採用したが、その頃にはライバルのワークスチームの資金力には敵わなかった。
ユノディエールでリヤカウル吹っ飛ばすポルシェが記憶に残ってます
エンジン方式と排気量の統一、燃費規定撤廃の改悪さえ無ければ、Cカーの歴史は途切れることなく1990年代や2000年代にスムーズに受け継がれていったのかもしれないね。
もしかしたら911GT1とかTS020とかR8みたいな車は誕生しなかったかもしれないけど。
これからはGTの時代だ!とか言っていたのに、ダウアー962LMがGTクラス優勝した時は迷走してるじゃん!と思った。
何にせよCカーの時代は1992年頃に曖昧な感じで終わってしまったので、結局カテゴリー2の最強マシンはニッサンR92CP、カテゴリー1の最強マシンはプジョー905って事になるのかな。
プジョー905は初期型は滅茶苦茶美しい車だったのに、進化する毎に外観がおかしくなっていき「醜いアヒルの子」とか「Cカー史上最も醜いマシン」などと呼ばれるようになってしまった。
初期型はCカー史上最も美しいマシンだと思うんですけどね。
ル・マン見てましたね、レナウンマツダが優勝したのは印象的でしたね、あとは紫のジャガーや😁