【14系白帯】夜行急行八甲田号【上野発青森行き】
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- Опубліковано 12 гру 2022
- 急行八甲田 101レ
上野2138(13)
大宮2204-05
小山2244-45
宇都宮2306-08
西那須野2239
黒磯2350-57
新白河(7) レ
白河019
郡山049-51
福島130-35(3)
仙台310-13(1)
一ノ関430-32
水沢451
北上506
花巻517-18
盛岡545-600(4)
沼宮内627
一戸658
二戸704
三戸718
八戸736-40
三沢800
野辺地824-25
小湊840
浅虫温泉849
青森908(1) - Авто та транспорт
大人になったら乗ってみたいと子供の頃に憧れ、いざ大人になったら無くなっていた寝台列車。
全く同感です!昔は八甲田、津軽、ゆうづる、はくつるが当たり前にはしっていたのに!
学生時代、これに乗って青森へ、そこから北海道に渡りました。長町で運転停車した時、月明かりに照らされた仙台の街並みが美しかったのを覚えています。
多分、東北新幹線の工事により、仙台駅が夜間通行できない時期があり、
長町に臨時停車後に貨物線を通過したのではないかと思います。
レール7は、時折えらくマニアックな題材を取り上げることがあって、目が離せなかった。
町井洋子さん懐かしいなぁ😂
何といっても黒磯駅でのカマ替え後のED75の運ちゃんの連結のうまさがスバラシイ。これぞ職人ですね、ピンの落ちる音しかしない
そこに気づく貴方も素晴らしい!
私は九州ですが
連結は明らかに
北、東のウテシさんの方が
お上手ですね
昔は全国にこういう夜行急行が走ってましたね、若い頃は時刻表と均一周遊券を手にいかに夜行列車で宿代を浮かしながら旅を出来るかと夏休み冬休みはワクワクでした。特急ではなく、自由席さえあれば急行は乗り放題でしたからね。
上野発着の夜行急行は、八甲田十和田津軽があって、2~3両の寝台車両を連結してたと思ったんだけど……
旧型客車混結時代から上野駅の地平ホームは通勤と旅路の雰囲気が混ざりあって独特でしたねぇ。
入線待ち時間はスマホじゃなくて読書、
ハイケンスのセレナーデ、ベテランカレチによる検札、
車内で喫煙できるし、洗面所の紙製水飲み袋、
全てが懐かしい。
夜行急行列車というのも、歴史を感じる
禁煙席でも喫煙がまがり通っていた
この当時の指差呼称喚呼は気合が入っていたなぁ… ワイも今は昭和のオッサン
早朝の盛岡駅で食べる立ち食い蕎麦や駅弁はさぞかし格別の美味しさなんでしょうね。
憧れるな〜。
東京在住当時に北海道に里帰りする時に大みそかにこの列車に乗ったな。
確か黒磯付近で正月になった記憶が。
見も知らずの人たちと正月をお祝いしましたっけ。
あまりにも懐かしすぎる…。
実は古形客車時代の時夏のダイヤの時車内発売のアルバイトをしていました。
夜行列車のこだわり、最寄り駅は大宮だけどあえて始発の上野駅から乗り終着駅まで乗る、もちろん帰りも同じように帰る、これが醍醐味😊
父親が盛岡駅の駅弁業者で働いていて作り出した弁当のファンの方がいてくれて、とても嬉しいです。じいちゃんは別な会社で駅弁販売してました。凄く懐かしいです。
失礼ですが、朝から駅弁とは胃が重くないですか。
@@user-yz1ek1xj1g 様、幕の内とかはお年寄りのお客さんも購入して普通に食べているのを見たことありますから大丈夫かと。
@@user-yz1ek1xj1g今みたいにごちゃごちゃおかずの無い物もあった。
大垣夜行は静岡で上下とも駅弁販売があった。
余録で臨時銀河の客も買ってた。自分もおなじみの鯛めし買って夜食にした。
風呂敷背負った和服姿の婆さんが可愛い
こうゆう、夜行列車があって、本当に良い時代だったと思う。
速達列車も、必要だけど、ゆっくりと、移動する急行、特急列車に乗った車窓は忘れない。
同感です。素晴らしい。
レール7。懐かしい。八甲田は乗れずじまいだけど憧れの列車でした。
ありがとうございました。
1980年頃初めての1人旅で利用しました。お盆と言う事もあり、はつかりは終始大行列。丸1日東京で時間潰して八甲田に乗り野辺地を目指しました。同席のカップルがずっと喧嘩してて眠れなかった😅
途中お腹がすいて花巻駅の釜飯が本当においしかったなあ。そのあと大湊線大畑線に乗って恐山へ。今でも八甲田の思い出が強いのも、あのカップルと釜飯のおかげなんだろうな😄
夏休み、学割周遊券、急行八甲田、連絡船、北海道、、、。
学生時代の良き想い出。
ワイド周遊券と夜行急行の組み合わせは最強でした
すれ違った北斗星がED75の重連というレアな映像ですね。
学割+ワイド周遊券という組み合わせにに八甲田は必要不可欠な存在でした。
乗る方も撮る方もたくさんお世話になった列車です。
北海道へ帰省によく乗りました。片道14時間かかりました。連絡船も楽しみでした。ただこういった昔ながらの列車の乗り方がもう2度と出来ないから寂しいですね。全部思い出になってしまった。新幹線で北海道迄行けるけど、ガタゴト列車に揺られたり、深夜や早朝の神秘的な駅の風情を楽しんだり、朝盛岡で顔あらい、駅ホームに洗面台があった。
駅弁や蕎麦買ったり、そういう素朴な楽しみがなくなってしまった。おしゃれな現代はなんとなく気取ってそっけない感じがします。
朝から列車を降りて、ホームの洗面台を利用したり、駅弁を買ったり、立ち食いそばを食べたり、あの頃の旅って時間はかかりましたが、旅情を満喫できましたね❗それにしても、美味しい食べ物に恵まれていたような気がします❗😊車内放送のオルゴールも素敵でした✨あの頃に戻りたい(笑)
信越本線回りの夜行急行『越前』が廃止になり、信越本線回りに変わり、リクライニングの急行客車に“グレードアップ(笑)”した急行『能登』。
鉄道唱歌のチャイムが鳴り、
「次は高岡、高岡。〇番線到着、お出口は〇側です。氷見線、城端線はお乗り換えです。高岡を出ますと、石動, 津幡,終着金沢の順に停車致します。」
北陸ワイド周遊券での乗り倒しの始まり始まりでした。
「ここにも新幹線が来るのか~😍」
って、帰りの横川の 5分間勝負、おぎのやの峠の釜めし GETまで、ワクワクしっ放しでした。
が…。😑
オープニング部と13:10の部分、赤べこダブルヘッダーって貴重?
それにしてもノッチの細かいこと細かいことw
やっぱPCハザ夜行は良いですね。ちくまときそしか経験ないけど
上野駅の常磐線のホームの雰囲気、東京とは思えない寂れ方が味わい深い。
Thank you for the wonderful video. It reminds me of my time in Tokyo.
深夜にブルートレイン乗れるなんてオラワクワクすっぞ!
寒冷地用電気機関車の甲高い警笛は旅情があっていいわ。
黒磯からの運転士さんもお見事!職人技のノンショック連結、いまやれる人いるのかなぁw
私は三年間高校生の時青森から上野を乗っていました。父親の仕事で青森から上野に帰った時も八甲田に世話になりました。学割があるけど高校生には、特急は無理です。寝台車がありました。いろんな思い出がありました。懐かしい。
寝台特急ゆうづるの先頭に立った東北の貫型ED751000番台が一番いい最高の電気機関車雪に強いただ塩害対策は大変だ。
40年前、まだオール12系だった頃(上野発19:08)、千葉住み故帰省するという事がなく、年末わざわざ昼過ぎから上野13番ホームに並び、青森まで乗り通した記憶が蘇りますねー
14系ではありましたが懐かしい動画アップ、ありがとうございます♪
学生時代乗りました。とにかく寝れない。うとうとすると、あー仙台か。でもこの時代が懐かしく良い思い出です。
上野の引き出しうまいな。
一番は黒磯の連結。鎖の落ちるパチン!の音しかしないw
上野の引き出しは上手いんですよ、問題は黒磯超えてからの引き出し。
ソバのテイクアウトして車内に持ち込んだら引き出しのショックでソバこぼれるなんて日常茶飯事でしたから
平成初期はまだまだ旅情があったよなぁ。レッドトレインも現役だったし。
学生時代、卒論作成や北海道旅行でよく使ったなぁ。そうそう、上野21時38分発。12系の直角座席も、14系の簡易リクライニングシートも、眠れないし、夜通し乗ってりゃ体が痛くなる。エンジン付き車両を避けてもね。初めて北海道へ行った時、いよいよ青森到着となると、感慨深かったなぁ。9時8分、とうとう北海道への入口まで来たと。でも、そんな感慨は降りるまで。降りた瞬間から、乗船名簿片手に桟橋ダッシュ。3時間50分の後、函館港入港前には、はるばる来たぜ函館って、もっと大きな感慨にふけった。
そんな感慨、今では味わえないなあ。
遠くへ行くには時間がかかる。そんな当たり前のことを思い出させてくれる。
これはテレ東の「レール7」ですが、TBSの「そこが知りたい」というドキュメント番組でもJR黎明期の「八甲田」
を取り上げたことがありました。
その時は「父の具合が悪いので」「親戚の結婚式に」「身内に不幸があって」「青函連絡船を乗りに」「盛岡へ “営業” に
行く旅回りの芸人」「雪下ろしをするために帰省する」など、様々な目的で乗車する人がいました。
「夜行列車は人々の人生を乗せて走っている」というのを実感した番組内容でしたが、BGMに使われた
サイモン&ガーファンクルの歌が耳に残りました。
その回の「そこが知りたい」私も覚えてます。あと多分路線バス乗り継ぎの旅とか、あの番組が元祖ですよね?
@@samigorojecc
そうです、「各駅停車路線バスの旅」がいわゆるバス旅番組の元祖です。
急行八甲田は青森終点ですが、夏季繁忙期は青森到着後車内整備の上そのまま臨時の快速海峡「当時の号数は80番台」函館行きになることがありました。(オートバイ積載MOTOトレイン・専用寝台が1両併結もありました)
行楽シーズンに入ると、寝台車両とバイク運搬車を連結してモトトレインとしても走っていましたね。
10:07 起きたら朝そば食べて、ホームの水道で顔洗って歯磨いて、また目的地へ向かう
そんな魅力しかない旅してみたかったな~
急行八甲田は何度もお世話になりました。盛岡駅では必ず牛飯?を購入した記憶があります。東北新幹線も盛岡までの時代が青森までの道のりもバランスが良かったような気がします。
八甲田や津軽の14系乗りました。腰をうかすとリクライニングがバタンと戻ってしまいました。懐かしい
簡易リクライニングシート。あれは疲れたな。リクライニングしない方がマシだった。
周遊券で何時も乗っていたから懐かしいよ
新幹線開業前の八戸駅懐かしいなぁ。
家の前を東北本線が走っていたので、食いつくように眺めていたのが懐かしいです。
特急仕様の内装である14系には憧れました。1枚窓とリクライニングシートにエアコン吹き出し口。それでいてサハ的な客車。でも12系にしか乗れず残念。東北線(宇都宮線)のEF65は1000番台。1100番台が好きでした。。。何て素敵な番組でしょう。運転席の撮り方が心得ていますね。陸中1号も見てみたい!
臨時八甲田に乗ったら12系客車のボックスシートで子供ながらツラかった覚えがある
並行在来線問題なんて想像付かなかった
これくらいの"ゆとり"と"風情"と"空気感"が欲しいですね☆彡
>>jp dt さん
初めまして、その気持ちよく分かります、映像内の沿線の景色、夜に出発して
段々と日が昇ってくと、出発した地とは別世界みたいな感じがいいですね。
まったくもって同感です。昨今じゃ青森から東京へ新幹線で日帰り出張なんてザラですからねえ。
新幹線開業で東京が「近く」なったが、それと引き換えに「旅情」が無くなった様な気がしますね。
平成初期か。国鉄を引継ぎまだいい時代だった
駅蕎麦を車内持ち込みする「紙丼」(と呼ばれてた思う、実際は発泡みたいな素材)
が懐かしい。この時代は車内に持ち込んでも臭いなんて言われなかったしみんな
ズルズル食べてた記憶が。今なら完全にNGでしょうねw
これこそ夜行急行懐かしくてたまらない
同時期の、常磐線回りの夜行の急行『十和田』だと、青森着が 6時台で、そこから青函連絡船に乗り、北海道へ。
ワイド周遊券で、夜行列車を宿代わりに、一旦札幌に戻る道内 4泊で、網走, 釧路,稚内。札幌発函館行の夜行普通列車に乗り、青函連絡船の初便で本州へ。
仙台で途中下車して、仙石線の 103系爆速快速列車に乗り、仙台から、どっち回りだったか忘れましたが、夜行の急行に乗り上野まで。
あの頃の北海道は、特急列車は 12両編成、普通列車も 2両単位で、札幌に近づくにつれて、2両を途中途中で増結していました。
稚内からの戻りは羽幌線を利用しましたが、留萌で増結しても、ほぼ満員状態でした。
次は反対側の海っぺり、興浜北線と南線が繋がったらまた来よう、と思っていましたが、それは叶わす…。
今の北海道、それと日本海縦貫線の惨状。悲しくなります。😢
この動画をアップして下さった方に感謝。
貴重な映像をありがとうございます😊
形を変えてでも、日本海縦貫する”あけぼの”は残して欲しかった。
夜汽車、最高っ!
上野駅13番線、今は四季島やカシオペア専用線になったけど、やっぱり夜行列車の出発はここですね🚃
一度だけ青森まで乗った。14系客車とはいえ夜行列車はやっぱりいいなあ🌃
JR東日本が発売していたEEきっぷ等でよく乗りました。
懐かしいです。
もうこの様な旅ができないんだなぁ
時間は掛かりましたが退屈はしませんでした。
夜行急行八甲田若い頃は良く乗っていたよ✨そして青森より青函連絡船に乗り継いで北海道へとの往復をしていました。
懐かし~夜汽車の旅、車窓からの光が過ぎ去って行く様が好きでした。
9:15
すれ違った北斗星がED75-700重連に牽引されてましたね
そういうときもあったんですね
私も見て驚きました
Thank you, I do not understand the language but I did enjoy the train ride, sightseeing footage of this video,
停車時間を利用して歯みがきってのは当時としても珍しい気がする。缶のお茶もチラっと映ってるけどポリ容器のお茶もまだあったんですね。平成も遠くになりつつあるのを実感。
昭和45年北海道からの帰り青森から上野まで乗りました❗盆の終わり、超満員御礼、旧型客車のトイレの脇でわずかな隙間に座り込み無理にも寝ました❗若い時分でもかなりきつかった。今では経験出来ない思い出です❗13時間位掛かりました❗
懐かしいですね。
よく乗りました。
安くて助かったようですね。
上野駅地上ホームの列車種別表 そこに陣取る乗車客 北帰行、風情がありましたね
JRとは言えども国鉄の匂い満点。かっこいい。今は大変貴重な国鉄機関車。秋田のED75や仙台のED75も今後の動向が大注目です。
9:15にすれ違う北斗星がED75重連になってる
この映像にある通り、13番線、夜行寝台と推進運転そして方言、どれをとっても昔の上野駅は地方色が濃くて良かったな。
ふるさとの訛りなつかし
停車場の人ごみのなかに
そを聴きにゆく
石川啄木の短歌が身に染みる駅でしたね。
13番ホームは、客車乗り入れを前提としているため、高さが920mm(電車・客車兼用規格)になっています(他の在来線ホームは1100mm(電車規格))。
そんな規格があるんですね。
字幕の書体などから考えて昭和60年代から平成2年くらいだと思いますが。
懐かしいなあ、あのホームにあるでかい手洗い場とか特に懐かしい。
八甲田には金持ちはのらないだろうが、北斗星を横目にみながら貧乏人と金持がおなじインフラを利用してて金持ちの姿を遠目で見れるということはいい時代だと思う。少し背伸びすればそっちに行けるのもまたいい。
今はその差は限りなく広がってしまってるからな。
下り101レを何度か利用しました。
モトトレイン連結時は、函館まで快速 「海峡」として運転されてましたね。
モトトレインありましたね。 「海峡」で函館到着後、臨時急行「ニセコ」に乗り換えて札幌まで行けました。 でもおケツが痛かった記憶しかありません・・・
釜が好きな私にとってやっぱ機関士って格好良いわぁ!
電車にはない『男の仕事場』感が堪らん!
小学生の頃常磐線経由青森行き十和田二号で何度か上野青森を往復しました。確か上野発午後7時20分。蒸気機関車が牽引していました。
はるか遠い昔の気がします。
新幹線は都市を結ぶ速さでビジネスには良いけど、この頃の長距離急行や鈍行列車には旅の味わいと言うか風情がありましたね。。。
あの頃の日本は広かった!
分割民営化時に、新幹線を在来線と切り離し全国一社にしとけば諸々の問題は実は起きなかったのではないか説。(その場合在来線の地域会社の区割りも変えないと今の東海会社は立ち行かないけど)
並行在来線問題、青函トンネル問題、東北新幹線と東海道新幹線直通、夜行新幹線、貨物新幹線等々、新幹線が全国一社で、場合によって今のJR貨物と組んだ会社とかなら夢物語に終わらなかったかもね。
東海道新幹線は東海道本線の複々線扱いの固い頭があったからかな、切り離せなかったの。
私が学生時代1977年上野から青森までのりました。確かこんなに立派な車両じゃなかったです。4人のボックスシートでした。座ることが出来ず通路に持ってきた簡易の椅子を使ってました。懐かしいです
急行八甲田、下りは乗った事無いが、上りは帰省のUターンで、何度か乗った事があります。画像にもあるリクライニングシートに乗った事が有れば、臨時列車で『ボックス』シートにも乗った事がありました。懐かしいねぇ。
最近こういう声質の素敵な声優さんいないよなぁ(´・ω・`)
冬の東北へ夜行で行った時、朝寒くてホームに降りたら鼻の内側がツーンと痛くなったのを思い出しました。
昔はホームで歯磨きしてる人いましたね!
大方25〜26年前に青森(野辺地)へ出掛けた際に友人と共に乗車しました。
貧乏旅行で立ち食いそばがご馳走、上野駅の立ち食いそばが空腹に沁みたなぁ😂
推進回送を初めて目にして驚いたり14系の座席がリニューアルされて意外と座り心地がよかったり...、未成年だけどコッソリ車内で酒を呑んだり😁懐かしいの一言です。
年に数回、野辺地に写真を撮りに乗りました。14系客車は座席は寝るのには良かったのですが、臨時の八甲田の列車番号が50番代だったかな
それは12系の対面式のやつで、臨時は狭いし椅子は直角だし混むので辛かった。前に座っていたお兄さんは湧別まで帰るけど
実家につくのは明日の夕方だって言ってた。
この急行列車には現在の東北新幹線では味わえない魅力がいっぱい積まってますね。
なんだか、活気がありますね!
時間や資金効率だけを考える現代が忘れてしまった何かがある様に思えます
上手く言えないですけど
タイムマシンがあるなら、当時の『八甲田』に乗りに行きたいですね。
@@tommat2120 盛岡駅朝6時前の様子見たら、そんな感じですね。
新幹線だとただの移動
急行八甲田だと旅
って感じしますね
自分は旅を味わってみたいですね
このような素晴らしい動画に出会えて嬉しい一方で、この雰囲気は二度と味わうことができないのかと思うと悲しい気持ちがこみ上げてくる。
運転台の様子も撮影されてるのが良いなぁ、生まれ変わったら夜行長距離列車の運転士になりたい!
今の乗務員では、絶対にやらない基本動作が素晴らしいですね❗❗マスコンのノッチが光り輝いているのが、素晴らしい❤️
記録映画か何かとして本当に残してほしいです。
よく鉄道雑誌で「すべて弛めてキックオフ」なんていう言い回しを見ましたけど、これは実演を見ないと本当のところは伝わらなさそう。
この列車と津軽はいつも乗りました。
モトトレイン、学生の頃乗って函館まで行ったなぁ
レール7か!
学校行く前に必ず見てた!
確かこの番組テレビ東京系でしたよね。
私も見てた記憶あります。
懐かしい
中学生の頃、2度急行八甲田で東京から青森に帰ってきたなぁ
懐かしいレール7
奥羽本線の急行津軽もなかなかいいよ。
時間を乗り鉄に贅沢に使う。この魅力は減っている気がします。観光列車とかいろいろありますが、こういうある程度の距離を走る夜行列車となると、サンライズ以外は豪華列車となった今、わざわざお金をかけて時間を贅沢に使うのはなかなか苦な世の中。昔の時刻表を読む、このような動画を視聴することで、鉄道を好きであり続けている気もします。
北海道から東京に出る時、青森23時59分発の上り八甲田に乗りました。ワンカップ4本買ってね。懐かしい。
私も若い頃東京で働いていた時に帰省で八甲田を利用しました。
この頃の時刻表が楽しかったです!!
昔の駅弁何故か美味かったよね
私が八甲田に乗ったときは、12系客車でした。北海道に行った時は、3回とも12系客車でした。その後、14系客車になりました。14系のリクライニングシート💺に乗りたかったです。3回の内2回は、行きは、八甲田、帰りは、十和田、いずれも12系客車でした。なお、始めて北海道の行った時行きは、八甲田、帰りは、特急はつかりで上野まで帰って来ました。はつかりには、S57年に始めて乗りました。
最近、多社多便が運行している夜行高速バスの前身。
5人の運転士が交代で運転。これは、安全だと思う。
レール7でしょうか?1989年に横浜に住み…よく視聴しました…懐かしいなぁ…
ノッチ操作が…たまらなく好きです❤
1986年…民営化直前の国鉄四国総局管内にて…しばしばDE10運転体験や…一日気動車区長と銘打って…キハ181の運転室に同乗し…犬寄トンネル内の閉塞信号🚥通過時に…タイフォン吹鳴体験…キハ185導入時…営業運転開始前に…安全祈願列車…と銘打って…松山~宇和島…和霊神社にてツアー客もろとも祈念を受け…等様々なイベント目白押しで…今は無理…各民鉄が…ウチにもやらせて🔥…と…なりますから…国の独断が通用する国有時代にやってしまおう…との意図が働いたそうです…企画した下手人から直接きいたから信憑性満点です🤗…懐かしの映像をありがとうございます🤗この動画が…のちの世に永く残ることを信じます🤗
25年前に一人旅で上りだけですが利用しました。
まだ20歳になったばかりのころ八甲田や十和田や津軽に乗って東北や北海道を旅したの思い出します
昔を懐かしんでもあの時代が戻ってくるわけではないけれど今の鉄道旅の味気ないこと悲しいばかり
この頃は楽しかったな
歳を取りましたね