【院政闘乱史】[11/16]保元の乱~武者の世の幕開け~

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  • Опубліковано 4 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 15

  • @河内院
    @河内院 2 роки тому +6

    本日も、ちょうどよい、わかりやすい語り(テンポ、声質)・背景絵等々、ありがとうございました。

  • @おふ-t7z
    @おふ-t7z 2 роки тому +11

    頼長の信西への言葉、お互いの見てる風景がかなり違うと思うんよな。院近臣と交流を全く持たず学者しか周囲に置かなかった頼長は信西を摂関家に使えるだけの身分だと思ってるのに、信西はそれに反発して出家したわけで

    • @古事鏡番組風歴史解説
      @古事鏡番組風歴史解説  2 роки тому +8

      二人が親密な交流を結んでいたこと自体は確かなのですが、確かに生い立ちはあまりに違いすぎますし、見えていたものは大分違うのかもしれませんね…。

  • @yamatonokuni-rekishi
    @yamatonokuni-rekishi 2 роки тому +7

    「チチウエ…チチウエ…」
    前回暴れ回ったと思ったら、今回は泣かせてきたな悪左府よ…!
    「崇徳・頼長陣営がワンチャンかけて仕掛けた乱」
    「夜討ちは卑怯だから頼長は先手を打って攻撃しなかった」
    そう思っていた時期が私にもありました。

  • @takeara2970
    @takeara2970 2 роки тому +6

    宇野や悪僧信実が出てきて大和源氏が保元の乱に思った以上に絡んでいて驚きました。
    挙兵前から鎮圧までがお手本のような畳み掛けるような動きですなぁ。

  • @shinichiakiyama2511
    @shinichiakiyama2511 Рік тому +3

    皇室と武士の関係を丁寧な解説でとても理解しやすいです。
    余談ですが、平治の乱を舞台に起きた逸話を映画化した『地獄門』(1953)は、カンヌ国際映画賞グランプリと、宮廷の絢爛な装束によりアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞しました。
    反乱の戦火となった内裏の大混乱は映像ならでは。テーマは、北面の武士・遠藤盛藤(長谷川一夫)が袈裟御前(京マチ子)への横恋慕が極まり、平清盛に袈裟を欲しいと願い出るまで恋焦がれます。袈裟の自害によって自戒した盛藤が文覚として出家するという、源平盛衰記で脚色した逸話を映画化しました。
    UA-cam ua-cam.com/video/ie15LKw-3lo/v-deo.html

  • @kobay53
    @kobay53 2 роки тому +2

    相変わらず構成や流れが素晴らしいですね
    頼長といえば源為朝とのやりとりですが
    興福寺部隊を待っていたんですね

    • @古事鏡番組風歴史解説
      @古事鏡番組風歴史解説  2 роки тому +1

      ありがとうございます🙇‍♂️
      頼長と為朝のやりとりはどこまで事実か分かりませんが、崇徳方が出撃しなかった根本原因はその点にありますね。

  • @ぱーちん-n8h
    @ぱーちん-n8h 2 роки тому +2

    動画投稿ありがとうございます。いつも楽しく視聴しております。動画の12:00辺りで引用されている絵巻物について教えていただきたいです。

    • @古事鏡番組風歴史解説
      @古事鏡番組風歴史解説  2 роки тому +3

      こちらこそありがとうございます🙇‍♂️
      ご提示頂いた時間のものは『保元・平治合戦図屏風』の一部になるかと思いますが、動画中では『保元・平治物語絵巻』も使用しております。
      前者については『保元平治合戦図』(角川書店)、後者については『保元・平治物語絵巻をよむ』(三弥井書店)を引用元としております。概要欄の参考文献一覧と併せてご確認ください。

    • @ぱーちん-n8h
      @ぱーちん-n8h 2 роки тому +2

      @@古事鏡番組風歴史解説 ありがとうございます!

  • @丸山康平-l2f
    @丸山康平-l2f 7 місяців тому

    いよいよ後白河院キターー
    後白河院は朱元璋や曹操や李世民クラス
    別格の偉人だと思う
    大ファン。きゃー後白河院さまー