『歎異抄』とは「○○が異なる」のを嘆いて書かれた本だった

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  • Опубліковано 22 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 29

  • @三戸健司-n9j
    @三戸健司-n9j 6 місяців тому +1

    菊谷先生いつも大切なお話と尊い有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。改めて親鸞聖人の御教えである弥陀如来廻向の真実信心は、他宗とはベクトルが真逆の圧巻すごさにいつも圧倒されます。〜信心という二字をば、まことの心と読めるなり、まことの心と読む上は、凡夫自力の迷心に非ず。全く仏心なり〜この仏心を私がいただく「信の一念が肝要」なのですね。まさに一味の信心 〜「名号不思議の海水は逆謗の屍骸もとどまらず衆悪の万川帰しぬれば功徳のうしほに一味なり、尽十方無礙光の大悲大願の海水に煩悩の衆流帰しぬれば智慧のうしほに一味なり」〜他宗は各人各様の知恵学問経験才能による諸行往生であり本願にあらず、浄土真宗の念仏往生こそが仏の本願ですね。ただ仏法は聴聞に極まることなり。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏

  • @大西啓詞
    @大西啓詞 6 місяців тому

    ありがとうございます!

  • @mirokuri3296
    @mirokuri3296 6 місяців тому +1

    毎日拝聴させて頂いております。
    何年の前の動画から何度も何度も同じ事をおっしゃって頂いているにも関わらず、文章としての意味はわかるけど、実感体感出来ないので5回でも10回でも繰り返し拝聴させて頂きます。
    今は解らなくても、
    いずれ一念でハッとさせられる瞬間があると信じております🙏

  • @悩み坊や-v3y
    @悩み坊や-v3y 6 місяців тому +6

    2024年6月10日(月曜日☁20時15分)歎異抄では信心が1番のキーワードだと思いました。菊谷先生、本日も貴重な大切なお話を学ばせて頂きました。ありがとう御座いました🙇‍♂🙏😊

  • @sugamasayoshi65
    @sugamasayoshi65 6 місяців тому +3

    いつも有り難うございます🙇

  • @宮野貴世-d2g
    @宮野貴世-d2g 6 місяців тому

    おはようございます☀ありがとうございます😊

  • @いわもも-h1g
    @いわもも-h1g 6 місяців тому

    先生ありがとうございました🙇

  • @寿子川村-m8p
    @寿子川村-m8p 6 місяців тому

    今日も、わかりやすく教えて頂き大変,学びになりました。ありがとうございました。

  • @ナオリン-p8c
    @ナオリン-p8c 6 місяців тому

    今回もありがとうございます🙇

  • @sk1478
    @sk1478 6 місяців тому

    ありがとうございました。
    結局、自分が何を信じて生きているのかを考えながら生きていく姿勢は大切なのかなと思いました。
    その姿勢を持ちながらも、信心獲得に向けて、聴聞を続けていきたいと思います

  • @夜谷風虎-w8w
    @夜谷風虎-w8w 6 місяців тому +1

    万人は弥陀のもとに平等なんですね。歎異抄は信心が他の本と違うのですね。今日もお教えいただきありがとうございました。

  • @津川恭子-i8v
    @津川恭子-i8v 6 місяців тому

    他力の信心(仏心)が大事なのですね。😮お話、ありがとうございます。

  • @ahonopa-purin
    @ahonopa-purin 6 місяців тому +1

    信心は頭で正しく理解して得るものですね…。😊

  • @kcortuark
    @kcortuark 6 місяців тому +2

    何かを習うとき、先生と同じになりたい、と思う人は結構います。でも、だいたいの場合は無理で、それは先生と生徒は別の人間だからです。ただ、誰しもを一定レベルまで引き上げてくれるようなシステマティックな教え方のできる先生の場合は、先生と同じとは言えずとも、そこそこのレベルで、生徒達が皆同じ能力を獲得することは可能です。

  • @小栗光雄
    @小栗光雄 6 місяців тому

    ありがとうございました。

  • @ksc4850
    @ksc4850 6 місяців тому +4

    こんばんは!
    今日もありがとうございました!
    (菊谷隆太先生動画視聴メモ)
    ★『歎異抄』とは「○○が異なる」のを嘆いて書かれた本だった
    1.何が異なるのか(真実・他力・一味信心)
    2.浄土真宗にしかない言葉(異安心)
    3.なぜ同じになるのか(信心獲得、仏心をいただく)

  • @yakusan-cg1sq3qc7r
    @yakusan-cg1sq3qc7r 6 місяців тому +1

    菊谷先生 こんばんは😊
    本日もありがとうございます。
    今日のテーマは、『歎異抄 何が異なることを歎いた本なのか』というお話しでした。
    歎異抄とは異なるを歎く本ということだか異なるとは何が誰と異なるのを歎いた本なのかというのか今日のテーマ
    歎異抄は親鸞聖人の弟子唯円が書いた
    誰と異なるかというと親鸞聖人と異なる 何が異なるのを歎いて書いた本なのか?親鸞聖人と異なっていてはダメだということを唯円は痛く歎いて書いた
    何が違ってダメなのか?
    1 何が異なるのか
    2 浄土真宗にしかない言葉 
    3 なぜ同じになるのか
    1 唯円は
     『一室の行者の中に
     信心異なること
      なからんために、
      泣く泣く筆を染めて
     これを記す。
     名づけて
      歎異抄というべし。
      外見あるべからす。』 
           と言っている
    一室の行者とは
     同じ部屋で仏法を聞いた人
     同じ釜の飯を食べる友という言葉 
     があるように、同じ部屋で仏法を
     聞いた友達(法友)
      行者とは
       聞法した人
       共に教えを学んだ人(法友) 
    何が異なっているか?
     親鸞聖人と信心が異なっている
     それであっては大変である
     (親鸞聖人と信心が違う悲しいこ
      とである)
    外見あるべきからず
     仏縁の浅い人に目に触れないよう
     にしてもらいたいという言葉も残
     している
    ※ 何が異なるのかというと
     信心が異なる
    歎異抄の中には親鸞聖人の信心が徹底して教えられている
    歎異抄の中に
     「ただ信心を要とすと知るべし」
     とあるようにただ信心が要である
     と親鸞聖人は教える
     信心を徹底して明らかにしたのが
    『歎異抄』である
    親鸞聖人が教えられた信心は
     『真実信心』
      他力信心
      一味信心:同じ信心になること
    親鸞聖人と同じ信心でない人は
    『真実の信心』ではない
     他力の信心ではない  
      と歎異抄の作者は言っている
    2 浄土真宗の言葉に『異安心』とい
    言葉がある
    安心とは信心と同じ意味
    浄土真宗で使われる
     異なった信心
    異安心:親鸞聖人と異なる信心
    他力の信心、真実の信心ではない人のことを『あの人は異安心だ』と言われる ※浄土真宗にしかない
    信心とは
     心で何かを信じ固めることを言う
     それは自分の心である
     自分の智恵で自分の学問であるい
     は経験や才能でこれに間違いない
     と信じている
       信  智 学 経 才
       心  恵 問 験 能
     自分の力で信じ固めた信心を世間
     一般でいう『信心』である
    信心は異なって当然であるが親鸞聖人の教え浄土真宗では『信心は1つなんだ』と言われる
    それを言われた言葉が
     『凡聖逆謗斉廻入
      如衆水入海一味』
    凡:凡夫、世間一般の人
    聖:聖人、聖人君子と謳われる
      あの人は人格者だと言われるよ 
      うな人
    逆:五逆罪と言って親を殺すような
      人
    謗:謗法罪と言って仏法をそしる人
      仏法を悪く言う人
    凡聖逆謗:すべての人、どんな人も
    廻入:他力信心を獲得したことを言
       う
    信心獲得 = 廻入
    廻入の廻というのは廻心、心がガラリとまわる180度ガラリと変わる
    一念の時に心がガラリと
    例え
    衆水の海に入りて一味なるがごとし
    廻心帰入ということで廻入と言う
    どんなに人も廻入するんだといわれる
    全部どんな人でも同じ喜びの世界に共に生きることができると言われる
    3 他力信心というのは自分の智恵や
     学問や経験や才能で信じ固めたも
     のではない
     他力と言うのは、弥陀から頂いた  
     信心である 仏心を頂く
     南無阿弥陀仏の仏心をこの一念、
     平生の一念で頂いた 頂いて自分 
     のものになったのを信心と言う
     信心とは仏心 仏の心を頂く
     信心獲得と言うだから他力信心と 
     言う  一念で頂く
    早くこの仏心を頂く身になって下さい そして親鸞聖人と同じ心になって下さいということを唯一円は思ってこのように書いた
    正信偈の中に
      『道俗時衆共同心』😢
        僧侶も在家の人もそこに集 
        まった人々も共に同心して
        くれよと親鸞聖人は仰って
        いる
        そのために正信偈を書いた
     
    本日はとても良き学びとなりました。ありがとうございました。

  • @瑞紀西川
    @瑞紀西川 6 місяців тому +2

    こんばんは。🌃🤱🌆🤱🌇🤱🌉🤱今日も、ありがとうございます。🤱🧑‍🍼👨‍🍼👩‍🍼

  • @pino365
    @pino365 6 місяців тому +2

    廻入かぁ…
    私たちは皆んな、個の視点で物事を考えます。俯瞰して全体を見渡せるような尊い人でさえ個から全体を見てる。良いかえれば下から上を見上げてるような感じ。廻入ってのは多分、全体から個を見渡すような、上から下を見下ろしているような視点になるってことなんじゃないのかな…と、お話を聴いていてそんな風に感じました。
    やっぱり皆んな一つです。尊く愛おしく何一つ不要なものなんかない感じ。
    人生なんて一瞬の時の流れなんだし、不滅不変なものなど初めから無い世界なんだし、小さなことで言い争い悩みなさんなって心境なんじゃないのかな。
    そう思うと、戦争とか奪い合いとか、人類は相変わらず罪深いなぁって思う…

  • @ehikaru3502
    @ehikaru3502 6 місяців тому +2

    同じ富士山でも同県民が見るのと、他県民が見るのと、また人生で一度しか見ない人がいたとして、その価値は千差万別です。
    同じモチーフでも、受けとるものが皆同じとはならないのが人の心です。

  • @八兵衛さんと十兵衛さん
    @八兵衛さんと十兵衛さん 6 місяців тому

    信心をいただける根拠は己の悪性

  • @Hoittony
    @Hoittony 6 місяців тому +1

    歎異抄を誰でも読めて書ける文字にしてほしい。漢字満腹😅
    漢字が難しいと気が向かないよ😢

  • @117neko
    @117neko 6 місяців тому

    南無阿弥陀仏m(__)m

  • @デュークジョーダン
    @デュークジョーダン 6 місяців тому

    善人が往生するくらいだから、悪人ならなおさら往生する。これ判る人いますか?

  • @Cathy-okari
    @Cathy-okari 6 місяців тому +1

    マンガで読める、バージョン欲しいやつ笑

  • @tsuboikunihiko
    @tsuboikunihiko 6 місяців тому +1

    ありがとうございます!