《仏教哲学》悟りの世界とは、どんなものでしょうか? スマナサーラ長老との対話、テーラワーダ仏教の教え |ブッダの智慧で答えます(一問一答 日本語字幕付き)

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  • Опубліковано 23 гру 2024

КОМЕНТАРІ •

  • @marmaladelover
    @marmaladelover 6 місяців тому +2

    「楽しもうとした労力と実際得られた楽しみは、なかなか割に合わないんです。」というところのくだりから涙が止まらなくなりました。
    汚れたご飯を食っちゃうんです。も偉大なアドバイスです。
    珠玉の言葉、智慧の言葉です。

  • @snowcat215
    @snowcat215 4 роки тому +12

    10:29「智慧を開発して 物事をしっかり知って 次元を越えてみる  ~ 」
    仏道って滅茶苦茶かっこいいです👍✨

  • @yuis-2738
    @yuis-2738 5 років тому +18

    「川に流れる目的はない」というお話を聞いて人生も同じだとよくわかりました。ありがとうございます。

  • @MIKAShantiy
    @MIKAShantiy 4 роки тому +9

    このお話🔮💎💫音🎶✨✨✨には・・・わたし🦢にとって、安寧しか在りません💞🤝🤱ありがとうございます😌

  • @ankotan123
    @ankotan123 5 років тому +8

    ありがたいお言葉ですね。

  • @はたはた-g9b
    @はたはた-g9b 3 роки тому +4

    ありがとうございます

  • @z-ap1399
    @z-ap1399 2 роки тому +3

    10:45 悟りの状態(字幕>日本語)
    30:31 頭での理解、今の次元を破ったレベルで「無執着」
    32:35 最終的に~心が穏やか~逆戻りしない境地
    (2022.12.3 メモ)

  • @dondon-yu1iq
    @dondon-yu1iq 4 роки тому +11

    ただ物質的法則と精神的法則にしたがって生きてるだけ。簡潔で解りやすかったです。心が軽くなりました。ありがとうございます(__)

  • @江尻幸雄
    @江尻幸雄 5 років тому +4

    昨年名古屋の覚王山日泰寺に1人で参拝し今年は京都の泉涌寺に地元の人と参拝しました。今日は初めて和歌山県立博物館で仏像と神像へのまなざしで国宝5点田40枚釈迦如来坐像他の写真を撮って来ました!初めて和歌山県の知らない写真ばかりでした。泉涌寺の公開はお釈迦さまの涅槃図で長谷川等伯作と昨日知りました。良かったです。

  • @wataame7605
    @wataame7605 5 років тому +6

    すご

  • @herenow1793
    @herenow1793 5 років тому +5

    身無一物、福寿無尽蔵。天上天下唯我独尊。を話されているんでしょうね。

  • @村上理恵-i8e
    @村上理恵-i8e Рік тому +1

    休む魂(><)

  • @ラブラドライト-y6f
    @ラブラドライト-y6f 3 роки тому +3

    この世は投資もしくはギャンブルなのだろうと思う。煩悩を楽しみたいなら、リスクを覚悟するしかないと。努力して上手くいく事もあるけど、努力しても報われなかったり、理不尽な不孝が訪れる事も覚悟するしかないと。
    なぜなら、この世は愛や平和を望む人だけではなく、サイコパスや、人の不孝を喜ぶ人、競争や闘いが好きな人も一緒に住む世界だから。そして、天変地異のある世界だから。この世の幸せは相対的で不孝な時があるから幸せを感じ、失敗する事もあるから成功が嬉しい。
    リスクがいやな人は、解脱するしかないのだと。

  • @森野クマ-i7k
    @森野クマ-i7k 2 роки тому +3

    元々、生物に成ったのが間違いなんだと思いますよ。石は石のまま、空気は空気のまま、液体は液体のままであれば、悩み苦しむことも無かったんですよ。それをなぜ苦しむだけなのに生物などが生まれてしまったのか?その意味が分かりません。

    • @津田真佑-h7s
      @津田真佑-h7s Рік тому +3

      煩悩があるからでは、
      石を見ようとすること、水を見ようとすること、空気を感じようとすること。
      物質があると思うと、物質がないもの(精神)が出来上がる。
      つまり、日常は物質と精神で成り立つ。
      故に生命が生まれてくる。繰り返し繰り返し。

    • @marmaladelover
      @marmaladelover 6 місяців тому

      面白い疑問ですね。
      私個人の見解ですが、多分全身で何かを感じ撮っているうちに、何かをもっと感じてみたいみたいと思って、ツルを伸ばして高くに葉を伸ばしたりしているうちに、世界をみたいと思った意識のようなものが生まれて、動くようになった気がします。初めのうちは喜びだったはずなのに、感覚器官だから痛みも感じるようになり、感じるようになったら恐怖や悲しみも生じた。でも、喜びもそんなに過剰に喜ばない訓練をしたら、きっと生きる苦しみも少なくなるはずであると信じています。

    • @佐藤友成-g5x
      @佐藤友成-g5x 3 місяці тому

      生物といわれる仕組みができたのも、本来的に意味はありません。川が流れることに正解や間違いがないように、生物が誕生したのも正解や間違いはありません。ただここにある、だけであり、それに尊さ、醜さ、価値を与えているのは私たち自身であり、そこに絶対的な意味があるわけではありません。やがて地球も寿命を迎え、そこに住む生命はすべて消滅します。

  • @松田さん-s7e
    @松田さん-s7e 9 місяців тому

    タンハー&サンカーラ^^