Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
よく当時の函館山の写真を残すことができましたね。当時の函館山は要塞があることから、函館山の写真を撮ったりスケッチすること軍事機密を漏らした、ということで重罪に処せられた時代でした。地図にも函館山の記載はなく、山などないことになっていたのです。だから、函館の風景を撮った写真は全て軍の検閲にかけられ、「検閲済」のお墨付きをもらうのです。それを密かに持っていたのですね。今はそういうしがらみもないので「よく残っていた」と関心するものであります。
素晴らしい。
おじいちゃん、おばあちゃんが写っていないか探してみました、発見できませんでしたが😁1:00くらいから写る山は函館山でしょうか?山の形(尖り具合)が違う気がしますが、ロープウェイがないからそう感じるのでしょうか?素敵な写真有り難うございます😊
1:30前くらいに映っているのは、間違いなく函館山ですね。ずいぶん前に頂上付近は削られて、今の建物や駐車場が整備されたんです。私が小さな頃は339メートルで、東京タワーより6メートル高いって教わりましたが、今は幾らか低いはずです。当たり前ですが、街並みもずいぶん違いますね^^
0:55は仁山の方面でしょうか?凄い貴重なお写真をありがとうございます。
0:50~1:18の写真はどうみても昭和初期の写真ではない。要塞地帯法で函館山の撮影が禁止される明治30年以前か、少なくとも大正以前に撮影された物。明治後期から大正~昭和初期頃に存在するはずの建造物も写っておらず、風景は明治15年に撮影されたパノラマ写真とほぼ同じ。しかも、これらの写真に写ってる建物は明治・大正の大火でほとんど焼失している。その証拠に、1:15に映っている町会所は明治40年の大火で焼失しており、昭和初期には存在しない。その場所には明治43年に旧函館区公会堂が建てられている。(建物は現在もあり、改修工事後2021年4月26日にリニューアルオープンした今でも有名な観光スポット)1:31のレンガ倉庫を写した写真も、写真家である田本研造が明治期に撮影した有名な写真である。(2022年の函館市、奇跡のパノラマ写真展にて展示された)
よく当時の函館山の写真を残すことができましたね。当時の函館山は要塞があることから、函館山の写真を撮ったりスケッチすること軍事機密を漏らした、ということで重罪に処せられた時代でした。地図にも函館山の記載はなく、山などないことになっていたのです。だから、函館の風景を撮った写真は全て軍の検閲にかけられ、「検閲済」のお墨付きをもらうのです。それを密かに持っていたのですね。今はそういうしがらみもないので「よく残っていた」と関心するものであります。
素晴らしい。
おじいちゃん、おばあちゃんが写っていないか探してみました、発見できませんでしたが😁
1:00くらいから写る山は函館山でしょうか?山の形(尖り具合)が違う気がしますが、ロープウェイがないからそう感じるのでしょうか?
素敵な写真有り難うございます😊
1:30前くらいに映っているのは、間違いなく函館山ですね。ずいぶん前に頂上付近は削られて、今の建物や駐車場が整備されたんです。私が小さな頃は339メートルで、東京タワーより6メートル高いって教わりましたが、今は幾らか低いはずです。当たり前ですが、街並みもずいぶん違いますね^^
0:55は仁山の方面でしょうか?凄い貴重なお写真をありがとうございます。
0:50~1:18の写真はどうみても昭和初期の写真ではない。
要塞地帯法で函館山の撮影が禁止される明治30年以前か、少なくとも大正以前に撮影された物。
明治後期から大正~昭和初期頃に存在するはずの建造物も写っておらず、風景は明治15年に撮影されたパノラマ写真とほぼ同じ。
しかも、これらの写真に写ってる建物は明治・大正の大火でほとんど焼失している。
その証拠に、1:15に映っている町会所は明治40年の大火で焼失しており、昭和初期には存在しない。
その場所には明治43年に旧函館区公会堂が建てられている。
(建物は現在もあり、改修工事後2021年4月26日にリニューアルオープンした今でも有名な観光スポット)
1:31のレンガ倉庫を写した写真も、写真家である田本研造が明治期に撮影した有名な写真である。
(2022年の函館市、奇跡のパノラマ写真展にて展示された)