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私の受け持ち患者様にY様という方がおられまして「私が高校生の頃小樽市交通博物館に飾られていたC62-3号機が修復されて走っていたんですよね。15年間野ざらしだったのによく修復しましたよねぇ~!」と話したらそのY氏「そりゃそうだよ。あの3号機が廃車になったとき俺がボイラーの中に入っていつでも復帰できるようグリース塗ったんだから!」と誇らしげに話していたのを覚えています。「え”そうだったんですか!?流石・・・」Y様が亡くなられたのはその数か月後でした。
まさか、その方は元検査長のあの人でしょうか・・・?
懐かしい先輩達の姿を多く見掛けました。国道6号バイパス関連で手宮線鉄橋が廃止なる事が表面化し、先に手を打ったC623機『復元調査工事の為の移送』との事でしたが、この映像に映る築港機関区マンの半数が、その半年後に、まさに奇跡の復活を遂げた時には国鉄には居りませんでした。殆どその真実も事実も伝わっておりませんC623機の再復活劇ですが、この手宮からの回送は宅に大きなエポックメイキングでございました。しかも美しい映像と視点、感激でございます。
転車台に乗せられたC623を見守る皆さんの達成感溢れる表情がお伝え出来ないのが残念です!インタビュー映像はカットさせていただきましたが、ある職員の”ひとつになれた”というコメントは非常に印象的でした。
御返信賜り誠にありがとうございました!この復元調査移送は既に復元は可能であると言うOBの皆様による見立てがございまして、同時に道総局内に漂っていた『危惧による反対』を押し切る力技の一つでした。これがゴールではなく、スタートでございました。この頃、国鉄再建関連法成立は決定的となりまして、同時に失業の恐怖を当時の全国鉄職員が抱いた時期でもございます。私や仲間達も国鉄上野駅に潜んでおりましたが雇用が無い事が確定した頃となります。その微妙な空気感の中で、唯一の『存在意義が覚知出来る場』としての走将・C623機復活への第一歩でございました。
営業線にまだ繋がっていたとは言え、廃線になった線路を使用して保存車両を営業線へ引き出したのは国鉄だからこそできたのでしょう。運輸省より国鉄のほうが偉いという経緯の名残りですね。
DD16 15は小樽総合博物館ではなく、三笠鉄道村に保存されています。
今はなき小樽築港機関区。この機関区も保存されていたら、貴重な観光施設になっていたのではないでしょうか。貴重な映像、ありがとうございます。
いまも当該区間は広い敷地になっていて当時の面影を感じることができます。
同感ですね‼️🚂ここは、残しておくべきでした。🚂三位一体になれなかったですね‼️舞台となった函館山線も、当時は活気がありましたね‼️函館山線も、新幹線🚄開通と引き換えに廃線バス転換に。
まだ日が浅いとはいえ廃線になった手宮線上を静態保存10年の機関車を引っ張ってくるなんて大変でしょうね。
旧小樽交通記念館は現在の小樽市総合博物館の事ですね。
これまたものすごい映像…
これが本当の手宮線ラストランですね。
保存場所から移動する際、C623は『ワシもいよいよ解体か・・・・』と思ったかもでしょうね。小樽築港機関区で解体整備に入って、『?』と不思議に思ったかもしれません。まさか釜に再び火を入れるための整備だとはC623も思わなかったでしょうから。
何年かに一度は小樽に出掛けますが、小樽駅と運河プラザの間にある「あの踏み切り」には、自分の気持ちとして立ち寄ることにしています。北海道の鉄道、北海道の開拓の原点として。1年も前の画像に、遅レスですみません。追記 今週末の貨物トーク、楽しみにしております。
この小樽築港移送からすべてが始まったんですね、今苗穂で眠っていますが、またの復活せめて有火展示を期待してしまいます、モザイクやインタビューカットの件、御局の方針は仕方ありませんが、また蔵出しドキュメント等で放映される事を期待しております。
素晴らしいコンテンツありがとうございます。札沼線のラストランの映像も感動しました。深名線や広尾線の廃線当時の様子について、地元の人々の様子もわかる映像がありましたらお願いいたします。これからも楽しみにしています!
突然のラストランをご視聴いただきましてありがとうございます。広尾、深名についても随時アップさせていただきます!
先行して初めて北海道に渡った1両のC62 3号機古巣の小樽築港機関区に帰り、共に活動した2号機や仲間達の想い出の場所でのひと時色々問題はあり叶わぬ夢だと思いますが、また北海道で走って欲しいと願っています
初めてコメントさせていただきます 貴重な映像ありがとうございます 今から思うと小樽築港機関区の力だけでc62を静態保存された状態から動ける状態にしたのはすごいと思います まあ本格的に本線走らせる状態に復元したのは苗穂ですが ここのすごい技術を生かして またc62を復活させてほしいですね
ATS等の安全対策が大変なのかもしれません
牽引してる「DD16 15」今は手宮の博物館に保存されている機関車のようですね。
この区間は法的廃止に(1985)なっていたけど、当時は規則がいまほど厳しくなくて回送できたんだよね。踏切の新設といいもう少し法律を柔軟に対応してほしいもの、河野大臣に縦割り110に電話すればいいのかしら
築港機関区の意地で有火運転可能にまで復旧出来たけど、苗穂工場でボイラー交換を含む完全復元へ。運航再開までは良かったが、運航団体とJR北海道の利権の取り合いとなりまた静態保存へ。どうにかまた雄姿を見たいものです。
SL冬の湿原号もよろしくお願いいたします!
利権の取り合いとはひどい。JR北海道にその力(財力、やる気)がなかっただけ。実際その後の復活SLはタンク機関車だけで、テンダー機関車はJR北には無理。この際JR東に移管してくれれば、運行可能。でもJR北が手放さない。死蔵状態。
梅小路でC622と対面させて欲しいよ
こいつはスゲェ
ありがとうございます
nice
北海道鉄道文化協議会?確か寄付した。
私の受け持ち患者様にY様という方がおられまして「私が高校生の頃小樽市交通博物館に飾られていたC62-3号機が修復されて走っていたんですよね。15年間野ざらしだったのによく修復しましたよねぇ~!」と話したらそのY氏「そりゃそうだよ。あの3号機が廃車になったとき俺がボイラーの中に入っていつでも復帰できるようグリース塗ったんだから!」と誇らしげに話していたのを覚えています。「え”そうだったんですか!?流石・・・」Y様が亡くなられたのはその数か月後でした。
まさか、その方は元検査長のあの人でしょうか・・・?
懐かしい先輩達の姿を多く見掛けました。
国道6号バイパス関連で手宮線鉄橋が廃止なる事が表面化し、先に手を打ったC623機『復元調査工事の為の移送』との事でしたが、この映像に映る築港機関区マンの半数が、その半年後に、まさに奇跡の復活を遂げた時には国鉄には居りませんでした。
殆どその真実も事実も伝わっておりませんC623機の再復活劇ですが、この手宮からの回送は宅に大きなエポックメイキングでございました。
しかも美しい映像と視点、感激でございます。
転車台に乗せられたC623を見守る皆さんの達成感溢れる表情がお伝え出来ないのが残念です!インタビュー映像はカットさせていただきましたが、ある職員の”ひとつになれた”というコメントは非常に印象的でした。
御返信賜り誠にありがとうございました!
この復元調査移送は既に復元は可能であると言うOBの皆様による見立てがございまして、同時に道総局内に漂っていた『危惧による反対』を押し切る力技の一つでした。
これがゴールではなく、スタートでございました。
この頃、国鉄再建関連法成立は決定的となりまして、同時に失業の恐怖を当時の全国鉄職員が抱いた時期でもございます。
私や仲間達も国鉄上野駅に潜んでおりましたが雇用が無い事が確定した頃となります。
その微妙な空気感の中で、唯一の『存在意義が覚知出来る場』としての走将・C623機復活への第一歩でございました。
営業線にまだ繋がっていたとは言え、廃線になった線路を使用して保存車両を営業線へ引き出したのは国鉄だからこそできたのでしょう。運輸省より国鉄のほうが偉いという経緯の名残りですね。
DD16 15は小樽総合博物館ではなく、三笠鉄道村に保存されています。
今はなき小樽築港機関区。この機関区も保存されていたら、貴重な観光施設になっていたのではないでしょうか。
貴重な映像、ありがとうございます。
いまも当該区間は広い敷地になっていて当時の面影を感じることができます。
同感ですね‼️🚂ここは、残しておくべきでした。🚂三位一体になれなかったですね‼️舞台となった函館山線も、当時は活気がありましたね‼️函館山線も、新幹線🚄開通と引き換えに廃線バス転換に。
まだ日が浅いとはいえ廃線になった手宮線上を静態保存10年の機関車を引っ張ってくるなんて大変でしょうね。
旧小樽交通記念館は現在の小樽市総合博物館の事ですね。
これまたものすごい映像…
これが本当の手宮線ラストランですね。
保存場所から移動する際、C623は『ワシもいよいよ解体か・・・・』と思ったかもでしょうね。
小樽築港機関区で解体整備に入って、『?』と不思議に思ったかもしれません。
まさか釜に再び火を入れるための整備だとはC623も思わなかったでしょうから。
何年かに一度は小樽に出掛けますが、小樽駅と運河プラザの間にある「あの踏み切り」には、自分の気持ちとして立ち寄ることにしています。
北海道の鉄道、北海道の開拓の原点として。
1年も前の画像に、遅レスですみません。
追記 今週末の貨物トーク、楽しみにしております。
この小樽築港移送からすべてが始まったんですね、今苗穂で眠っていますが、またの復活せめて有火展示を期待してしまいます、モザイクやインタビューカットの件、御局の方針は仕方ありませんが、また蔵出しドキュメント等で放映される事を期待しております。
素晴らしいコンテンツありがとうございます。札沼線のラストランの映像も感動しました。
深名線や広尾線の廃線当時の様子について、地元の人々の様子もわかる映像がありましたらお願いいたします。
これからも楽しみにしています!
突然のラストランをご視聴いただきましてありがとうございます。広尾、深名についても随時アップさせていただきます!
先行して初めて北海道に渡った1両のC62 3号機
古巣の小樽築港機関区に帰り、共に活動した2号機や仲間達の想い出の場所でのひと時
色々問題はあり叶わぬ夢だと思いますが、また北海道で走って欲しいと願っています
初めてコメントさせていただきます 貴重な映像ありがとうございます 今から思うと小樽築港機関区の力だけでc62を静態保存された状態から動ける状態にしたのはすごいと思います まあ本格的に本線走らせる状態に復元したのは苗穂ですが ここのすごい技術を生かして またc62を復活させてほしいですね
ATS等の安全対策が大変なのかもしれません
牽引してる「DD16 15」今は手宮の博物館に保存されている機関車のようですね。
この区間は法的廃止に(1985)なっていたけど、当時は規則がいまほど厳しくなくて回送できたんだよね。踏切の新設といいもう少し法律を柔軟に対応してほしいもの、河野大臣に縦割り110に電話すればいいのかしら
築港機関区の意地で有火運転可能にまで復旧出来たけど、苗穂工場でボイラー交換を含む完全復元へ。運航再開までは良かったが、運航団体とJR北海道の利権の取り合いとなりまた静態保存へ。どうにかまた雄姿を見たいものです。
SL冬の湿原号もよろしくお願いいたします!
利権の取り合いとはひどい。JR北海道にその力(財力、やる気)がなかっただけ。実際その後の復活SLはタンク機関車だけで、テンダー機関車はJR北には無理。この際JR東に移管してくれれば、運行可能。でもJR北が手放さない。死蔵状態。
梅小路でC622と対面させて欲しいよ
こいつはスゲェ
ありがとうございます
nice
北海道鉄道文化協議会?確か寄付した。