いい加減でだらしない!室町幕府を開いた足利尊氏ってどんな人?

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  • Опубліковано 27 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 140

  • @supremegarbage9796
    @supremegarbage9796 2 роки тому +46

    11:53 壮大なフラグ。
    13:51 フラグ回収。
    観応の擾乱で尊氏が強気に出たのは恩賞を与える権力があったから。負けて勝つ典型が尊氏であり、数多くの日本の武将で稀有なカリスマ性の持ち主でもある。

    • @非理法権天-t4o
      @非理法権天-t4o 2 роки тому +13

      勝っていた直義が最後に負けた原因は恩賞宛行権を兄尊氏から取り上げなかった事ですね。
      直義は兄に対してそこまで非常になれなかったのかな。

    • @柳尾匡彦
      @柳尾匡彦 2 роки тому +4

      /

    • @giantnioinoba2023
      @giantnioinoba2023 6 місяців тому +3

      ​@@非理法権天-t4oずっと一緒に生きてきた同母兄弟だったからですね。

  • @Parthenos-666
    @Parthenos-666 2 роки тому +31

    どんな悪い状況も自分が都合がいいように解釈する。これ大切な能力だと思いますね。相手から理不尽な要求されても自分に都合がいいように解釈してやり込める。

  • @kurita1201
    @kurita1201 Рік тому +29

    源頼朝 徳川家康が持ってるものを持ってなく、頼朝、家康が持ってないものを持ってた男。

  • @あらまたびっくり
    @あらまたびっくり 2 роки тому +48

    尊氏は良くも悪くも何事にも執着がないんだろうな。
    妻の実家を滅ぼし、主君を滅ぼし、長年の家臣も見限り、弟を滅ぼす。他人の命も自分の命にも、財宝にも土地にも執着しない。

  • @ホーエンジョージ
    @ホーエンジョージ 2 роки тому +26

    正直尊氏は本気で後醍醐天皇に反旗翻す意思はなかったと思う。
    実際、偏諱変えてないのがその証拠かと。
    むしろ、周りに流されて行動した感じがある。
    まあ、その後の足利氏の勢力拡大もできてないから将来展望がなかったんだろうなぁ。

  • @ChangShu-v6w
    @ChangShu-v6w 2 роки тому +17

    尊氏「よう働いてくれたな。〇〇の地を与えよう。」
    郎党A「はは、ありがたき幸せ。」
    尊氏「よう働いてくれたな。〇〇の地を与えよう。」
    郎党B「はは、ありがたき幸せ。」
    郎党A「〇〇の地はワイが尊氏様から与えられたんや。」
    郎党B「ちゃうちゃう、尊氏様はワイに与えたんやで。」
    郎党AB「ワイのもんや!」
    当時、本当にこういうことが頻発したそうで。

  • @PatadNour
    @PatadNour Рік тому +15

    尊氏から見ればきっと朝廷も武家たちも全員が身内で、どちらの勢力の為ともなく常に困ってる誰かのために戦い続けた結果として滅茶苦茶に世が乱れたんだと思う
    このことを自覚さえして周りのために隠居したいと願ってもなお、あまりの強さとカリスマ性がそれを許さないという悲劇だったと

  • @tif9590
    @tif9590 2 роки тому +26

    源頼朝と違って実戦沢山経験して実戦勝ちもあるからな足利尊氏

  • @seishiashikaga8164
    @seishiashikaga8164 2 роки тому +10

    動画の配信、大変有り難うございました。

  • @john_andaman3498
    @john_andaman3498 2 роки тому +23

    大河太平記見る前「なんか安定しない時代あったんだってなぁ~」
    大河太平記見た後「なんで御所なんてなっちゃったの?!」

  • @フランかわいい-n9l
    @フランかわいい-n9l Рік тому +10

    いい加減なんだろうけど、一緒にいると元気貰えそうな人やなと思った。楽しそう

  • @村っち
    @村っち 2 роки тому +11

    天下人は気前の良さと猜疑心を使い分けるが、足利尊氏の場合もっと上手くやっていればこんなに泥沼にならなかった気がする。しかし、歴史上朝廷が南北に別れてしまった事や、家臣団同士の争いを考えるとかなり難しい舵取りだった事が伺える。

  • @佐藤一郎-y3z
    @佐藤一郎-y3z 2 роки тому +20

    尊氏、マンガの主人公としてはかなりおもしろい気がしてきた!

  • @星建盞天目
    @星建盞天目 2 роки тому +33

    尊氏、政治57 戦闘91 智謀64 魅力99

  • @hononi
    @hononi  2 роки тому +1

    💬皆さまのコメントをお待ちしています
    ----------------------------------------------
    あなたは足利尊氏についてどう思いますか?
    参考になった皆様の考察・歴史感をコメント欄に固定化させていただきます。
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  • @武闘派のび太
    @武闘派のび太 2 роки тому +25

    気前が良いところは漢の劉邦に似ている(猜疑心が強かったところや逃亡時に子たちを馬車から投げ捨てたところ等は異なるが)。尊氏は「多々良浜(たたらはま)の戦い」では兄弟討ち死に覚悟で奇跡的勝利を収めたり「観応の擾乱」で高師直の恫喝を毅然と拒むなどやる時はやる男だった。だからこそ、だらしない面もあったにせよ支持する武士たちも多く、征夷大将軍になれたのだろう。

    • @非理法権天-t4o
      @非理法権天-t4o 2 роки тому +7

      前半の100年間は戦続きでその為に前後の幕府と違い室町幕府は経済基盤が頗る脆弱でしたね。

  • @Traffics520712
    @Traffics520712 2 роки тому +38

    南北朝時代で戦が一番上手いのは尊氏。2番目に上手いのは尊氏の腹心、高師直。

    • @1977okazaki
      @1977okazaki 2 роки тому +14

      将軍になっても死ぬまで戦い続け、死因も矢傷が原因みたいだし
      武家の棟梁に恥じない侍よね

    • @星建盞天目
      @星建盞天目 2 роки тому +10

      細川頼之は?

    • @shinpeikitajima7115
      @shinpeikitajima7115 3 місяці тому +3

      楠木正成じゃないの⁉︎と思ったけど、あの人は横紙破りのゲリラ戦術が本領だもんなぁ。

  • @nob5915
    @nob5915 2 роки тому +31

    幕府開府の三人の中で一番人間味があった人ではないかと思います。
    ただ、施政者(特に創業の)としては冷徹さに欠けたのかも…

  • @多羅尾伴内-g1c
    @多羅尾伴内-g1c 2 роки тому +16

    身体的な話でアレだけど尊氏は真田広之さんのイメージが強すぎる為、実際は180cmを越す巨軀であった事にひたすら驚いた!

  • @ハルサミコス
    @ハルサミコス 2 роки тому +8

    亀田先生の観応の擾乱読んだ印象だと、観応の擾乱までは直義の方が野心が強くてそれに押されて倒幕した感じな気がします。倒幕とか幕府設立とかには最初は興味なく弟や家臣のピンチのみモチベーションなイメージです。後醍醐天皇や直義の失敗から学んだことと大切な弟と戦うことになってから将軍頑張るってモチベーションが出てきた感じがします。新田との一騎打ちしようとしたり、最後の直冬との京都の戦いで自ら囮になったり(大将なのに)直冬を認知しなかったのも登子の立場を思ってのこととの話とか、強い人間らしさが尊氏から感じられて大好きすぎます。

    • @かがみ純
      @かがみ純 2 роки тому +6

      現代人的というか、優しい性格だったと思う。しかし、あんなんで生き延びて、政敵はひととおり滅ぼしてしまったのだから、並みの政治力ではなかったろう。運も強かったか

  • @タク-n3z
    @タク-n3z Рік тому +3

    追伸ですが、
    大河ドラマで言うと、太平記からの、花の乱を見て、戦国大河(特に信長と、麒麟が来る)を見たら、決して足利幕府も安定していたとは言えず、内部抗争が酷かったと思います。
    ある意味、鎌倉幕府と同じような二の舞を受けたと思います。
    もちろん、尊氏にも悪いところと良い点ありますが。

  • @corjioono7463
    @corjioono7463 2 роки тому +21

    自らの手で実戦経験武士団率いて幕府開設の戦に勝つ才能は足利尊氏はあるけどな

  • @つっちー歴史語りチャンネル

    とても面白い動画ですね。チャンネル登録させていただきました。

  • @kenyuri8797
    @kenyuri8797 2 роки тому +14

    教科書などで長年、源頼朝と平重盛の肖像画が足利兄弟のモノと知った時は意外だった。

  • @アルマ-r8x
    @アルマ-r8x 2 роки тому +8

    日本の歴史上こんなに負け続けている武将は滅多にいません!頼朝は負けて安房に逃げますが、尊氏は九州まで逃げのびて、転んでも勢力を盛り返して復活して幕府を開いたのですから人間的な魅力があったんですね😮
    脆弱と言われた室町時代も250年近く続いたのは立派ですし、足利一族が滅びたわけでも無いので、もっとこの時代の研究が進む事を期待します。

  • @matukawatositane
    @matukawatositane 2 роки тому +19

    尊氏本人は将軍を宮将軍しか知らない以上直義、師直に政務の大部分を委譲するほかないって話は見たな
    矢面に立てば最終的には必ず勝つし尊氏は尊氏で怪物
    未だ以前からの土地支配システムが破壊されていない室町幕府はああいう風にならざるを得なかったから責任を尊氏一人に帰すのは妥当じゃないのではないか

  • @noriaki4927
    @noriaki4927 2 роки тому +7

    圧倒的に有能な軍人
    不得手な政治力すべてを軍事的勝利でひっくり返す強者!!
    だから当時の武士からの支持があった。
    ただ跡を継いだ歴代将軍には重荷だっただろう。

  • @ichthys358
    @ichthys358 2 роки тому +8

    明治期に南朝正統説が言われるようになって尊氏が悪人のように言われたと聞くけど、この動画を見ると後醍醐天皇を慕っていたんだろうなと思えてくる。

  • @フォード-i1w
    @フォード-i1w 2 роки тому +22

    いい加減というか、そもそもが尊氏の中の征夷大将軍が執権の言いなりだった「摂家将軍」のイメージだったからじゃないかな…?だから自分は「諸侯に担がれる立場」が妥当みたいなそういうスタンスだったんかもしれないし、義教とか義政とか義輝とか自分でどうこう決めたいみたいな存在がむしろ特殊な政権だったとも言える?

    • @shinpeikitajima7115
      @shinpeikitajima7115 3 місяці тому +1

      おそらく「権威のみで実権を有さない立憲君主」になりたかったんだろうな。
      当時はそんな概念なかったけど・・・・・いや、そんなこともないか。
      当時、「帝が必要なら銅か何かで像でも作ればいい」と言った婆娑羅がいたそうだけど、コレって「立憲君主制という概念の萌芽」と解釈できそうな気もするのですが・・・・・

  • @サンダル娘
    @サンダル娘 2 роки тому +7

    今日も、楽しく動画配信、観ました。
     次の動画配信、楽しみに、致しております。

  • @サトゥー博士-d2w
    @サトゥー博士-d2w 2 роки тому +9

    お話を拝聴させていただきました。足利尊氏は戦に負けても逆転できたりするあたり戦は強くてついてくる人たちはいるのかもしれませんが、恩賞に関する話を聞いているとメリハリがない人だったのかもしれませんね。そういう方は戦は強くても政治や外交は苦手だったのでしょうか?もう少し尊氏が上手いこと政治的に根回しができるような人だったら南北朝の争いは長引かなかった、もしくは南北朝に分かれることもしなかったのでしょうか?戦上手でカリスマ性があるのは正直厄介な部分がありそうで本来ならある程度の段階で一線を引いた方が良い印象を持ちました。

  • @アプリ-z9x
    @アプリ-z9x 2 роки тому +7

    私達の村の庄屋様は
    何と足利氏に弓を引いて私達の村に逃げてきて私達の庄屋様になったそうです、名字を安墨から安黒に姓を変えたらしいです、今でも安黒様の屋敷跡がありますが、お城のような石垣を積み凄いそれはそれはビックリするような跡が残っていますよ、

  • @信濃中将-h5f
    @信濃中将-h5f 2 роки тому +24

    まさかここで直義のポルナレフ状態が見られるとは思わなかった(笑)。

  • @竹内一晃-y5m
    @竹内一晃-y5m 2 роки тому +13

    なんとなく漢の劉邦に近い人物の印象です。楠木正成が逃げ出す兵を見て、勝ち目が無くても後醍醐天皇の為に戦い続けたのは理解に苦しむけど、日本人ならではの価値観なんでしょうね。

    • @須藤貴臣
      @須藤貴臣 2 роки тому +5

      劉邦思いました!

    • @matukawatositane
      @matukawatositane 2 роки тому +7

      劉邦よりは戦に強いかなぁって思ったけど劉邦は項羽に勝てないだけで戦には強かったわ

  • @ヒストレイン
    @ヒストレイン 2 місяці тому +1

    いい加減というか、几帳面さがなく、細かい事にこだわらず、大らかな性格であったようだ。そこが多くの武士から支持を得た一因のように思える。

  • @snd00261jp
    @snd00261jp 2 роки тому +7

    室町幕府は鎌倉・江戸の幕府と違ってその歴史の大半が戦乱の世だった。関東にあった両幕府と違い将軍が京都にあったのも、権力争いが武力と切り離されず戦乱に拍車を掛ける原因となったのだろう。江戸幕末も最後の将軍徳川慶喜は将軍に就任してから辞任するまで一度も江戸に居たことがないw
    頼朝や家康が「関東にオラが政府を作って日本を支配するベェ〜」と思っていたのに対して、尊氏は「戦じゃ!戦じゃ!!」っていう感じだったんでしょうねw

  • @useall1556
    @useall1556 2 роки тому +3

    2:37 テロップと系図で足利2代を義廉(ヨシヤス)と表記、発音されていますが、義兼(ヨシカネ)の誤りでしょうか?😅
    義廉なら、応仁の乱での斯波義廉(ヨシカド)か…

  • @BURU1224
    @BURU1224 2 роки тому +4

    足利氏は源氏の分家筋ですがそもそも源氏の鎌倉幕府も結局は平家筋の北条に乗っ取られ、分家の足利氏の室町幕府も応仁の乱を巻き起こした挙句、事態を収拾できなかった…
    こう考えると江戸幕府を作った徳川氏は…優秀ですね

    • @ひろたかし-w8m
      @ひろたかし-w8m Рік тому +4

      江戸幕府より優る政権は世界をみても少ないのでは?

  • @giantnioinoba2023
    @giantnioinoba2023 6 місяців тому +2

    解説そのまま大河ドラマにした「太平記」は、珠玉の名作になりました。尊氏を演じた真田広之さんは、ハリウッドドラマ「SHOUGUN」で家康インスパイアの虎永を演じ、「日本の武士」の本質を世界に見せつけました。コチラも傑作でした。

  • @織田上総介三郎信-j5z
    @織田上総介三郎信-j5z 2 роки тому +19

    尊氏は徳川家康と源頼朝は違います。尊氏は人間魅力な性格を強い、これは多くの武士は彼を従った重要な原因ですね

  • @マサノリ-u5h
    @マサノリ-u5h 11 місяців тому +2

    『いい加減』は『良い加減』なので丁度良い感じなのです(泣笑)

  • @真小久保
    @真小久保 Рік тому +6

    源頼朝と徳川家康よりいい人だったのが、グダグダ幕府になった要因かと。

  • @marieiru
    @marieiru 2 роки тому +6

    色々な解釈が存在しますが、「自軍を弱勢と判断すると一旦は後退」「味方の動揺を様子見・敵情分析に徹する」「敵勢に隙を見つけたら即座に反撃」という一連の流れだけで毎度勝利している。他、「慈悲深く・無欲・勇敢」という人物評価は、物欲・権勢欲は無いが、戦いとなったら味方しない存在には容赦無いという部分が出ていないので、誰かが配慮した人物評価でしょうね。「戦いの場で敵は殺して当然」という扱いかもしれませんが。

  • @礫川散人
    @礫川散人 2 роки тому +11

    戦場では勇敢で部下には優しくて欲深くもないのが尊氏。いわば「いい人」なんですね。でも幕府を開き政権を安定させるには頼朝や家康のような冷酷さが必要なんでしょう。

    • @あらまたびっくり
      @あらまたびっくり 2 роки тому +5

      頼朝は安定させることが出来たのは彼が存命の時だけだよ。
      有力御家人で生き残ったのは僅か。

    • @PatadNour
      @PatadNour Рік тому

      他の2人は幼少期から大変な境遇に苦労してきた経験から性悪説的な慎重さがあった一方で、不自由なく育った尊氏はどんな人でも受け入れる癖が付いてたのかも

  • @松澤勇輝
    @松澤勇輝 2 роки тому +11

    もし直義が兄であり将軍であり、尊氏が弟で副将軍のバランスだったら、南朝を数年で滅ぼし、観応の擾乱も発生させずに、室町幕府は強固な礎を築き、長い太平の世となり、戦乱を回避する土台になるので、やはり、江戸の家康•秀忠•家光の様に、どの政権や組織においても創業者による黎明期が全ての命運を決めるので、やはり義満が鹿苑寺おじさんになろうとも、悲劇は免れない運命なのが、室町幕府かもしれない。

  • @hogehoge11111
    @hogehoge11111 2 роки тому +23

    足利尊氏ほど波乱に満ちた人生は無いと思う。

    • @kenao7501
      @kenao7501 2 роки тому

      息子の一人基氏(義詮の弟)の鎌倉公方の血統は、当初は真逆になり、二台目以降はむしろ幕府の足をひっぱり、紆余曲折あって衰退しながら、現代に残っていますね。 しぶとさは尊氏譲りでしょうか。

  • @john_andaman3498
    @john_andaman3498 2 роки тому +9

    ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
    vvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv

  • @須藤貴臣
    @須藤貴臣 2 роки тому +6

    なんてか、成功した明智光秀って感じでしょうか(  ̄▽ ̄)?
    はたまた、最初から地位の有った秀吉?
    室町幕府開設時のゴタゴタは、まるで明治維新の京を濃縮したようだし、実は戦国時代以上に面白いのが足利尊氏とその時代なのかなと、ためになる動画でした(^^)

  • @user-ub8jh8bp3s
    @user-ub8jh8bp3s 2 роки тому +11

    いい加減な部分がなかったら、尊氏の時代に南北朝の平定されていたかもしれない。

    • @memejiro7147
      @memejiro7147 Рік тому +2

      後醍醐天皇が逃げた時「手間が省けた」とかヘラヘラ笑ってないで捕まえて ガッチリ幽閉するか帰って来れない島に流すかして 天皇が2人居る状況を作っちゃいけなかった。 さらに 将軍自ら(直義君もだけど) 南朝と組んで立ち回ったりして、これやると便利だよー、と教えているようなもの。 南北朝のぐだぐだは 後醍醐天皇だけのせいではないと思うけどな〜

  • @mocchi2643
    @mocchi2643 2 роки тому +10

    足利尊氏は源頼朝と同じ権大納言に任じられた時、自らを「鎌倉殿」と称していた。

  • @直重秋野
    @直重秋野 2 роки тому +7

    『評価は後世に委ねたい』と言う政治家がいるけど、尊氏や徳川慶喜は後世での評価がぶれまくりですね(苦笑)

  • @土光敏夫-d4o
    @土光敏夫-d4o 2 роки тому +12

    戦がうまかった劉邦みたいな人間だったでいいだろうね。簡単に紹介すると

  • @kurita1201
    @kurita1201 Рік тому +5

    石田三成と対照的な人物ですね。

  • @toshisyun9508
    @toshisyun9508 2 роки тому +8

    いい加減で、だらし無いとは、失礼なるぞ。躁鬱気質ではあったが。立派な魅力的な武将で、いくさに滅法強く、地蔵信仰心あり、物事の整理をしないと寝なかった!優柔不断ではあったが、そのため政治は弟任せではあったがな!尊氏の為なら死んでも良いと言う部下にも恵まれていた。家康や頼朝よりずっと上等である。

  • @mako3237
    @mako3237 2 роки тому +6

    ねこねこ日本史で描かれた尊氏が良かった。逆賊とか得体のしれない怪物のような描写は好かない。

  • @村雨良-n6j
    @村雨良-n6j 2 роки тому +12

    これを観ると行き当たりばったりで後先考えて無いイメージになりました(((^^;)

  • @稲田良雄-c8s
    @稲田良雄-c8s 2 роки тому +3

    味方する武士には守護や地頭の恩賞を与えたので足利将軍家の直轄地が減った。

  • @Gumontheroad
    @Gumontheroad 2 роки тому +17

    戦上手でカリスマ性あり

  • @SY-sw9tu
    @SY-sw9tu 2 роки тому +3

    敵方となった後醍醐天皇の菩提をとむらうため天龍寺を建てたりといい人だけれど、大事なとこで出家しようとしたり自害しようとしたりと武人、リーダーとしては向いてない印象

  • @kリプト-t2w
    @kリプト-t2w 6 місяців тому +1

    やっていることをある角度から見ればいい加減ですが 別の角度から見れば天才ですよ しかしながら南北朝の状態は今日まで影響が残っていますね

  • @tomoyaokano1081
    @tomoyaokano1081 2 роки тому +3

    影薄いよなぁ尊氏って源氏の頭領にしては頼朝と比べると弱い江戸幕府の家康のように悪代官っぽくないやはり中世の匂いが残る。藤原北家の支配が強く荘園を守るのが武士

  • @タク-n3z
    @タク-n3z Рік тому +2

    大河ドラマの太平記の主人公ですね?
    大河ドラマの影響で、そんないい加減なイメージがないっす💦

  • @user-tm6ue3nq7e
    @user-tm6ue3nq7e 2 роки тому +4

    同じ源氏の一族でも新田は義重以来失策続き…

  • @lx1125
    @lx1125 Рік тому +3

    今度はどうする尊氏だなw
    多分家康以上に優柔不断で、家康以上に家臣の力が強く、家康程面白い人生ではないと思うけど、どうする家康を踏まえて最近の研究結果とかも加味して新しく大河やったら面白そう

  • @チョコボーイ鷹
    @チョコボーイ鷹 8 місяців тому +2

    室町幕府は尊氏亡き後、二代義詮三代義満四代義持の期間は、それなりに将軍に力があり世は安定していた。しかし六代義教の恐怖政治からおかしくなったのは間違いない。

  • @rosan6179
    @rosan6179 2 роки тому +5

    他の幕府の創業者の頼朝と家康も人気がありませんが、尊氏の場合は嫌いというより何か印象が薄く関心が湧いてこない。
    政治力では弟の直義や執事の高師直の方が上。
    大河ドラマの主役になっていますが、足利将軍の中で大河の主役になるのは義満の方が先だろうと思っていたくらいです。

  • @登鳥
    @登鳥 2 роки тому +10

    鎌倉幕府は頼朝と義経の兄弟喧嘩
    室町幕府は尊氏と直義の兄弟喧嘩
    幕府開くと兄弟喧嘩する説

    • @あらまたびっくり
      @あらまたびっくり 2 роки тому +1

      というよりは骨肉の争いは清和源氏のお家芸。
      義家の嫡男の暗殺に、義平の義賢の殺害、甲斐源氏への弱体化工作、頼朝の義仲、義経、範頼の討伐に公暁の実朝の暗殺と上げ出すと切りがない。室町幕府でも清和源氏のお家芸は度々繰り返される。

    • @user-tm6ue3nq7e
      @user-tm6ue3nq7e 2 роки тому

      @@あらまたびっくり 足利と新田、山名と細川も犬猿の仲で有名。

  • @登鳥
    @登鳥 2 роки тому +6

    栃木の足利氏と群馬の新田氏は仲が悪いとかいう話聞いた事あります。

    • @user-tm6ue3nq7e
      @user-tm6ue3nq7e 2 роки тому +3

      両家とも同じ八幡太郎義家の血を引いていますが、遡れば頼朝の時代から確執が続いていました。

    • @ひろたかし-w8m
      @ひろたかし-w8m Рік тому

      足利市と太田市は仲良しです。

  • @深縹-t1q
    @深縹-t1q 2 роки тому +1

    源頼朝さんの鎌倉幕府の下で、北条氏と比企氏が対立したのと似てるんだよね~
    足利尊氏さんの室町幕府においてのそれは、どちらも足利氏家中を代表する家宰だった高氏と上杉氏なんだけど~
    幕府を開いた場所が鎌倉でなく陰謀渦巻く京だったからか?もしくは、頼朝さんと比べて尊氏さんの組織内の調整能力が低かったからか?
    尊氏さんの存命中に対立が明るみとなり、弟の直義さんを巻き込んで足利氏を二分化する戦を引き起こしました~
    結局、高氏は滅び上杉氏は中央から離されて関東へ~
    天下の家宰の地位は足利氏の傍流三氏の持ち回り制という落とし所で決着した感じです~
    鎌倉幕府→飾り将軍に執権独裁→北条氏のみ
    室町幕府→実働将軍の補佐役管領→斯波氏、畠山氏、細川氏の三氏から選出
    江戸幕府→平時は飾り将軍に老中合議制、緊急時は将軍or大老の独裁→譜代大名から選出
    江戸幕府では大老を臨時職とし、通常は老中の合議制にしてますから、幕府の運営方法は時を経るに従って進化していったのかも?知れませんね~

  • @1977okazaki
    @1977okazaki 2 роки тому +5

    かつて皇国史観でこき降ろされたんだから、称賛するような反骨精神をみせてもらいたかったなあ

    • @ひろたかし-w8m
      @ひろたかし-w8m Рік тому +1

      逆賊呼ばわりこそされなくなったけど、かといって評価が爆上がりという訳では決してないですもんね。どうしても頼朝家康よりは劣る。

  • @daioh_gtonburi9204
    @daioh_gtonburi9204 2 роки тому +4

    信玄 「領地の殆どを北条一門で独占?! 勝ち過ぎはいかん! 五分で充分じゃ!」

    • @corjioono7463
      @corjioono7463 2 роки тому +5

      約束破りまくり同盟破棄し嫡男死に追いやったおまいう

    • @sugisinfkk
      @sugisinfkk 2 роки тому +1

      @@corjioono7463 その通り(笑)

  • @sss-jm8wo
    @sss-jm8wo 2 роки тому +6

    組織管理者という点では、先人の源頼朝や後の徳川家康に劣るという評価をされている足利尊氏。

  • @user-miqurikamisiro
    @user-miqurikamisiro 2 роки тому +3

    南北朝の結末だが、
    何時も悪い癖が発揮され
    言葉遊びをしてしまう
    足利って氏を尊ぶ
    のか、
    楠木が正しく成る
    のか、
    正直
    どっちがマシだったのだろう

  • @木田あざらし
    @木田あざらし 2 роки тому +4

    やはり御所巻は良いなぁw
    つかバカにしすぎでは…
    てか政務調整能力低かったのは直義だからこそ見捨てられたはずだし、直冬にだって冷たくはしていなかったと🐢先生も…

  • @shinpeikitajima7115
    @shinpeikitajima7115 3 місяці тому +1

    足利尊氏ってなんか劉邦に似てるような気がする・・・・・

  • @moccchin
    @moccchin 2 роки тому +7

    ありのまま、、、爆笑🤣

  • @nekocat3999
    @nekocat3999 2 роки тому +4

    足利尊氏、腫物で亡くなったんですね。

  • @おにのテクノロジー
    @おにのテクノロジー 2 роки тому +3

    あれ?なんか似たような政治家いませんでした?最近。

  • @久米圭一-y4q
    @久米圭一-y4q 24 дні тому

    ワシも足利尊氏のような無責任な将軍になりたいものだ

  • @ヨシツグムラカミ
    @ヨシツグムラカミ 2 місяці тому

    政治や仕事は弟に押し付けてヤブサメを鑑賞するような人で流されて決断するのやめるのは弟との戦いの後半になってから。
    合議制な幕府だったため毎回、御所巻き(下の者が御所を包囲して主張を強引に通らせること)していたのは鎌倉でも徳川ではなく室町幕府だけ

  • @toto60561
    @toto60561 2 роки тому

    降りかかる火の粉を振り払って、生き残る為に勢力を鞍替えしていった結果なりたかったわけでもないのに天下人になってしまった人に思う。
    戦いは滅法強いけど政治に関しては後先考えずその場の気分で色々やって周囲と後世の人達を困らせた印象。

  • @多羅尾伴内-g1c
    @多羅尾伴内-g1c 2 роки тому +4

    夢想の尊氏評は尊氏が夢想の大パトロンであった事を差し引いて考えないとね。

  • @lullaby000kawa
    @lullaby000kawa Рік тому

    よく記紀以前の記録が無いからそれ以前の歴史がわからんと言われてるけど、少々残ってたとしてもこんな無茶苦茶やる奴おったら大してわからんのちゃうかと思わされてしまう。

  • @ultraman.ultraseven
    @ultraman.ultraseven Рік тому +1

    足利幕府から小笠原幕府にすげ替えましょう✌️🤫!

  • @大和-d9p
    @大和-d9p 2 місяці тому +1

    結論足利尊氏は、面倒くさい。

  • @yurara105
    @yurara105 2 роки тому +2

    唐澤尊師

  • @NENE-KEN18
    @NENE-KEN18 2 роки тому +1

    幕命の命令

  • @アルベルトアムル
    @アルベルトアムル 2 роки тому +4

    尊氏からすれば最初の頃こそ楠木正成や新田義貞と共に志高く武門を掲げた物の自身の名声が高くなるに従い高慢で自己欲求の高い人になり最終的には天皇の側位で揉めたと言う所が適切ではないかと思います。
    そう言う意味では政治的な目的も軍事的な目的も曖昧なまま自己欲求に走りまくったと言う感じでどちらかと言えば配下達に恵まれて何とか保っていたと言う感じでしょうね。

  • @myunmyun17
    @myunmyun17 3 місяці тому

    棟梁…統領か頭領ならわかるけど、棟梁だと大工の親方になるんじゃないかなぁ

  • @MR-ek7km
    @MR-ek7km 2 роки тому +3

    室町って義満までは力有ったけど、それ以降って全然分からん、衰退していくだけ。
    末期は下克上だらけで無茶苦茶。他の大名ばっかり頼って追放されておしまい。

    • @matukawatositane
      @matukawatositane 2 роки тому +8

      義教とかいう特異点
      実は言うほど幕府と将軍の権威が無いわけでもない(ただしめちゃくちゃ強い権力があるわけでは無いです

    • @かがみ純
      @かがみ純 2 роки тому +6

      この幕府は初めから終わりまでグラグラしていた。創業者尊氏のキャラクターがずっと尾を引いていた気がしないでもない

    • @officialyoutubechannel9198
      @officialyoutubechannel9198 2 роки тому +3

      おしまいにした十五代、ここに参上っ!

  • @久米圭一-y4q
    @久米圭一-y4q 27 днів тому

    窓際将軍

  • @日本酒-l1q
    @日本酒-l1q 2 роки тому +6

    明治時代に墓を破壊されることになるけどね

    • @user-tm6ue3nq7e
      @user-tm6ue3nq7e 2 роки тому +9

      もとはといえば徳川光圀が尊王思想の一環として尊氏を逆賊扱いしたのが始まり。

    • @john_andaman3498
      @john_andaman3498 2 роки тому +5

      義満「ワイの舎利殿は世界大戦あっても無事やったなぁ(なお数年後)」

    • @ひろたかし-w8m
      @ひろたかし-w8m Рік тому

      ​@@user-tm6ue3nq7eその逆賊足利(喜連川)氏は今は水戸藩の血筋です。

  • @ultraman.ultraseven
    @ultraman.ultraseven 3 місяці тому

    もし、正室腹の嫡男である高義が壮健だったら、側室腹の高氏は本来なら家督は継げず一門として最も高い家臣でしかなかったのにバカ天の気まぐれにて高氏にお鉢が回って来てしまい、あんな不安定な政権しか築けなかったのさ👎🤷!あと、新田義貞がもうちょいパピッとしてくれてたら、新田幕府も有りだったのに嗚呼~🤦!

  • @花木桜子
    @花木桜子 Рік тому +3

    ちょと待って。尊氏のどこがダメなの?後醍醐天皇、新田義貞、直義、直冬のほうがアカンでしょう?じゃあ誰のお陰で北条の悪政を倒せたの?尊氏の誹謗中傷とかおかしい。勉強し直せば?

  • @岩間裕紀
    @岩間裕紀 2 роки тому +6

    100年続くことを
    あなたはつくれますか?
    よく方々お調べになって
    中途半端な動画を作られたようですが、
    あなたのチャンネルも
    続いて2〜3年でしょうか。
    100年。
    軽々しく言わないことです。

  • @飯星光
    @飯星光 3 місяці тому

    いい加減なら良いのでは?

  • @TFERA21
    @TFERA21 Рік тому

    なんだこいつw

  • @kurita1201
    @kurita1201 Рік тому

    狩野英孝に似てる部分がありますね。

  • @panthertiger4883
    @panthertiger4883 Рік тому

    岸田じゃなくって?

  • @naughtnaught
    @naughtnaught 2 роки тому +4

    人気があり戦争指揮に強くて政治・軍政の特に実務がダメと。
    争って負けているところからして政治面や戦争での裏方など勝利の土台作りをカバーした優秀な補佐役が弟の直義というところだったんでしょうけれど、彼が離反した後は室町幕府自体がグダグダになっていった?
    慕われる人柄で幕府を束ねる要ではありますが、あんまり実務面で決裁権を持つべき人でもなかったんでしょうね。

    • @かがみ純
      @かがみ純 2 роки тому +4

      実務は部下に丸投げ。自分は征夷大将軍なんで戦争の時だけ呼んでね、的なスタンス。よくあれで、幕府を乗っ取っられず、自分も殺されずに済んだもの。締めるところは締めていたんだろうが、師直や直義がその気になっていたら、簡単に殺されていたと思う。結構強運