#さだまさし

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  • Опубліковано 27 сер 2024
  • 中学の時おこづかい握り締めて初めて買ったLPレコードはさだまさしの帰去来。1番好きな歌は「夕凪」だけど、この奈良の大仏殿の前で歌った「フレディもしくは三教街」は別格。歌に出てくる戦闘機は漢口を攻める日本の岩本徹三や原田要搭乗の戦闘機だと漠然と思ってましたが違うようです。租界ってなに?も調べてみました。

КОМЕНТАРІ • 9

  • @user-pv6xe3xo4z
    @user-pv6xe3xo4z 5 місяців тому +3

    富士山が見える檜風呂から眺めれるお庭から玄関までが植物や虫たちの生態系の営みによって形成されたお家に二人暮らしが出来たら最高です。そこでさだまさしさんの楽曲が聴けたらなお最高です。

  • @momoko593
    @momoko593 6 місяців тому +4

    この曲とさだまさしさん製作映画「長江」に魅せられて、大学の卒業旅行にグループで中国を廻りました。
    香港から列車の旅で最後に訪れた場所がフランス租界のあった所でした。
    佐田さんのお母さまは若い時に、ロシア租界にあるお兄さんの会社で働いていたそうです。
    ガイドによる説明を聞きながら、この曲が頭の中で巡っていました。

    • @user-kg2fy1np9t
      @user-kg2fy1np9t  6 місяців тому +2

      「ニイハオ!中国」ってアルバムの「旅の終わり」が大好きです。旅の終わりに聞いたら涙が出そう。フレディはドイツ人青年らしく、そのあたりを続編でまとめたいと思ってます。

  • @user-gw3tm8vq8t
    @user-gw3tm8vq8t 6 місяців тому +3

    美しいメロディと恋人を奪われて感情を爆発させるかのような最後の迫力が好きで、カラオケで歌ってるのですが、この曲の歴史的背景は正直よく理解出来ていませんでした。コーデリアさんのご説明で理解出来ました。ありがとうございました。

    • @user-kg2fy1np9t
      @user-kg2fy1np9t  6 місяців тому +3

      コメントありがとうございます。漢口空襲は1939年にも中ソ連合により行われています。但しこの時の空襲は日本軍事施設への爆撃でしたので、1944年の絨毯爆撃の時発生したという誤爆によりフレディは亡くなったと考えます。フレディは「フレデリック」などの愛称で、中国人居住区に居たイギリス人なのかと。この歌の一人称はさだまさしの母親なのか、もしくは三教街にもともと居住していた中国人なのか?さだまさしさんに聞いてみたいです。

  • @user-fv3pw3zu3b
    @user-fv3pw3zu3b 6 місяців тому +4

    この曲はさださんが20年間
    日和山で 野外コンサートで 大竹しのぶ さんが 朗読をしました
    本当に素敵な曲だと思います

    • @user-kg2fy1np9t
      @user-kg2fy1np9t  6 місяців тому +2

      大竹しのぶさん、さだまさしの詩の朗読を2枚組みのCDで発表してますね。「フレディもしくは三教街」も入ってました!

  • @user-fe5xm5oh1r
    @user-fe5xm5oh1r Місяць тому

    私はこの歌は直接的ではないけど「反戦歌」だと捉えていました。
    当時の友人は、かぐやひめの「あの人の手紙」の方が良い反戦歌だと譲らず、言い争いました。

    • @user-kg2fy1np9t
      @user-kg2fy1np9t  Місяць тому +1

      こんばんは^^)私も「反戦歌」だと思います。直接的ではないというのも同意です。主題は「失われた美しきもの」で、失われた原因は戦争なので、間接的な反戦歌だと思います。漢口租界という特殊で華やかな世界は度重なる中国の敗戦により作り上げられたというのが皮肉な気がします。