【文化人類学のおもしろすぎる研究】「荒神」を祭る村のほうが結束力が高い 「美」と「崇高」の関係  中野信子×石津智大

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  • Опубліковано 25 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 7

  • @ikarugo7885
    @ikarugo7885 7 місяців тому

    よく漫画とかでは強大で底が知れないよという説明に色々見ますが、でっかい自然を見るだけで
    畏怖などシンプルにボカーンと来ますし、そこにいる自分にワクワクするような気持ちは確かに感じます。
    言語化されなるほどパカッと開いた感じがします

  • @user-ne9vz7zj5w
    @user-ne9vz7zj5w 7 місяців тому +3

    静岡県民は穏やかで競争意識が低いとよく言われているのを思い出しました。これも崇高さの影響なのかも。

  • @ABCintention
    @ABCintention 7 місяців тому +1

    すげえ話

  • @gop0909
    @gop0909 7 місяців тому

    絶壁とか、刀の刃を見てる時の感覚なのかな。

  • @しょうこ-p7d
    @しょうこ-p7d 7 місяців тому

    中野信子さんの動画を定期的に出して下さい。

  • @sk-kl6zo
    @sk-kl6zo 7 місяців тому

    荒魂と荒神は違うと思います。すべて生物には霊があり、それに四魂が漏れなく付いてるという概念ですから。
    荒神にも和魂はあります。

  • @user-hs6oz7dn2g
    @user-hs6oz7dn2g 7 місяців тому +3

    崇高という概念はいつからなのかという問いは、間違いです。概念はすでにあって、言語化したのがいつなのかというお話だったかと思われます。崇高という概念を人間がいつから感じているのかというのは、調べようはないでしょうが、個人的には、超古代にも高度な文明があって、何度も再生と破壊を繰り返してきた人類の経験の中で、宗教的な権威を感じ遺伝的に書き込まれたのかと妄想にふけったりしましたが、崇高という概念は、絶対的な強制力を感じた時、恐怖を超えて抗い様のない中で受け入れるという状態、即ち、絶対的強制下での受動的覚悟だと言えますので、おそらく、火山の噴火や大地震や津波など、大自然による絶対的な強烈な恐怖の中を生き残った現生人類の祖先の遠い記憶なのでしょう。遺伝子すご