Kamikaze attack October 25, 1944 Yukio Seki, Captain of the Navy, who scattered at the age of 23
Вставка
- Опубліковано 16 жов 2024
- Special Attack No. 1 centered on Yukio Seki, Captain of the Navy
It will be a video of the Kamikaze special attack corps Shikishima corps
Kamikaze
Special attack
Ten death zero life
/ japan_inari
#Kamikaze #Special Attack Corps #World War II
96歳になる私の父親も17歳の歳で予科練習生を経て飛行練習生として霞ヶ浦の近くの飛行場で地面に印した目標に向かって突っ込む体当たりの特攻訓練を続けておりました。
しかし、日本には、特攻に使う飛行機がなくなり、ついには終戦となり、幸か不幸か父親は死なずに帰郷しました。
2年近くの間、日本を、また、家族を守る事の一心で、命を散らす事を厭わず、上官の厳しい訓練にも耐え、未だに家族のことを思う父を私は誇りに思う。
私今63歳ですが、特攻でお亡くなりになった方々は皆様私の亡き大正生まれの両親と同じ世代なんですね。お国を守ってくささってありがとうございます。安らかにお眠りください。合掌合掌合掌・・・・・・・・
Russia war 1945 fight Japanese
自分は58の若造です
自分の祖父は戦争で🇺🇸兵の弾を受け野戦病院で生死を彷徨ってる時に終戦
自分は生前祖父から知覧特攻隊跡地記念館に行けば当時の我々の気持ちが分かると言って兵隊行ってた時の事はあまり話さなかった
爺ぃちゃん亡くなって自分にも息子が出来たので
知覧特攻隊跡地記念館に行きました
展示してる零戦の小ささとベニヤ板にトタン板貼って
燃料タンクが原付位の大きさなのを実際に見て本間に還る気が無いし還れる様な造りに最初から造ってないのを理解した時 泣きました…
南九州に行かれる事が有れば是非知覧特攻隊跡地記念館に行かれたらと思います
英霊に心より感謝申し上げます
大西中将は半日以上絶命するまで、救命治療、介錯も拒否し苦しみ続けた。人間の精神力の凄さを感じる。
腹切っただけでは死ねないので「介錯仕ります」「かたじけない」になります
特攻隊は散華で歩兵は餓死・病死・犬死 同じ兵隊・同じ人間の命なのになぁ。
と辛くも生還した祖父は常々言っておりました。
米軍の戦車に対し明治三十八年式の銃に6.5mmの弾5発 矢玉尽きる以前の問題。
皆さんも国のために死んだのは派手な特攻隊だけでなく地味な歩兵もいたことを忘れないで下さいね。
おじい様の大変貴重なお話ですね。
自身は地味な日本人はとかく景気のいい話や派手なことが大好きです。
困ったものです。
少しは真実にも目を向けてほしいです。
もちろん!
肝に銘じております。😭
もちろんです!
50歳を過ぎてから数年前に靖國に参拝に行かせていただきました。
大鳥居をくぐった時、今の日本の平和を作った方々の気持ちに触れ、恐れ多くも涙が出そうでした。
是非日本国民なら命あるうちに靖國に出向き、英霊が安らかに眠れる様に参拝しようではありませんか。
父は海軍航空隊の艦攻の通信士でした。体調を壊す70歳位まで、毎年靖国神社を参拝して、戦友と再会している姿は忘れられません。
私の父親も大正生まれで生きていれば今年100歳です。
私が中学生の頃愛知県の一色町での大提灯祭りに横井庄一さんが見えてて、酒に酔ってた父親が本人に「恥を知れ!」とか言ってた記憶が有ります。
そんな父親の生きてた歳よりも自分が今上なのが何故か不思議です。
関中佐、私の母親の実家の近所の人でした、白い軍服姿がかっこよかったらしいです!我が西条の誇り
関中佐とお母様が同郷ですか!
関中佐の母サカエさんも地元で愛され、子供から大人まで、多くの人に見送られたとか。
素敵なふるさとをお持ちですね!
@@Inari_Japan はい、ありがとう御座います、毎年10月25日の慰霊祭は出席します、セスナ機が低空飛行で全開で翼を三回揺らして飛び交います!涙涙ですよ
私の父は西条の氷見の学校で関行男中佐の後輩で彼の影響で海軍に志願したそうです。通信兵として戦艦大和に短い間勤務して沖縄特攻出撃のちょっと前に軽巡北上に転勤になり終戦迎えてそのあと南方からの復員活動に従事しました。
@@takujisakiyama4981 凄い西条市の鏡です!
小学生の頃にテレビでこの方の話をしていた記憶がある。
優秀な隊員であった関さんに命令が出る。
それに対して関さんは体当たりせずとも5番?(爆弾の種類)を命中させることができると述べていたが、出撃される。
優秀な関さんが自ら特攻したとされ、他の隊員も逆らえなくなった。
と。
お国の為に
ありがとうございました。
関行雄の母は軍神の母として持ち上げられていましたが、
戦後は世間の目から逃げるように生活をしたとか。
ツライ余生だったようです。
馬鹿な事は無いて英霊の母に
関行男さんと同じ出身地なこと本当に光栄に感じます
敷島隊は5人出撃した指揮官!関行男さんは愛媛で2人出撃しています!私は大黒繁雄さんの親戚の方を知っています
その方は大黒繁雄さんの従兄弟にあたる人です
後輩に当たる真鍋かをりさんも光栄に感じていてくれてたらいいなぁ。
関行男の特攻知った同期のあの菅野直さんも特攻志願しましたが、戦術眼や技量の高さから特攻は認められなかったので。
神風特別攻撃隊の全ての英霊に現在の日本があることを感謝しつつ残りの人生を大切に生きていきますのでどうか安らかにお眠り下さい。有難う御座いました。
國の為、重き務めを果たし得て、矢弾尽き果て散るぞ悲しき。本当に頭が上がりません。
栗林忠道中将ですね。
好きなうたです。
@@鮫島恭平 さんへ
夜分遅くの返信申し訳ございません。はい!御名答でございます。
すごい!を超え上手く伝えれませんが嬉しく感じました。
失礼します。
@@hitoshi-xy6610さん
私の最も尊敬する人物ですので、覚えていました。
ご丁寧にありがとうございました!
先人達の勇気ある決断と命を捧げたことに現在の平和な日本があることに本当に心から感謝いたします😫
大切な家族や恋人を思う気持ちははかりしれません。
涙が出てきます😭
ご冥福をお祈りいたします🙏🙏🙏
なんと言ったら良いのか、たまらん!
この特攻初期の段階では隊員の選出基準として、長男又は一人っ子、妻帯者は除かれるはずだったのになぜか関大尉は一人っ子で妻帯者という異例尽くしだったんだよね。しかも志願者でもなかった。そして関大尉と海兵同期の中津留大尉は終戦の玉音放送の後に宇垣纏長官に請われ沖縄の米軍野営地へ突入しようとしたが、上空から終戦を悟り操縦桿をひねって何もない畑へ突入された。城山三郎著「指揮官達の特攻」をぜひ読んでほしい、戦争の悲惨さ、戦争に翻弄された尊い命への畏敬に満ちた作品です。
死にたくなかっただろうな。心身共に健康な若者ならば、正直もっと生きていたいと思ってたはず・・・
B-29の無差別爆撃、敵艦載機の機銃掃射で子供たち女学生が命落としている中での敵艦隊への攻撃 その背景は理解しないといけないかと
命をかけて特攻した英霊の皆さんの事忘れない。
自分が情けなく、泣き言を言いたくなった時、皆さんを思い出して叩き直します。
関行夫見海軍大尉お見事です確かに見ましたよ。お疲れ様です、安らかに御ねむり下さい。
関大尉の面が大好きです。まさにサムライですね。当時の国民がどれほど彼に熱狂したのかもっと知りたいです。義経を思い起こします。
関行男大尉殿・他の隊員達はどのように自分を納得させて飛び立ったのか、平和なお花畑で育ってきた私達には想像することもできません。しかし、日本の恒久平和は皆様が作ってくれた。これだけは間違いありません。靖國に祀られし英霊の皆様に感謝いたします。ありがとうございました。幾重にも…🙏
彼は本来艦爆のパイロットで管野大尉(戦闘機パイロット)が帰国中の為代わりに戦闘機に乗っていた。
特攻隊員が下士官、兵のみではと言って士官の彼が加えられたのです。彼は自分は艦爆で敵艦に確実に爆弾を命中させることのできる熟練パイロットだ、そんな自分をこんな攻撃に使うようでは、日本は負けると言っていたそうです。
彼は出撃前従軍記者に「自分が死ねば親を見る者が無い」と言っていたそうです。
彼らの直衛に日本海軍航空隊屈指の撃墜王西沢飛曹長が付き、生還後基地で零戦を残し輸送機で帰隊させられ輸送機を撃墜され戦死しました。
戦後関大尉の御母堂は村の公民館のこずかいとして生き、遺言は「行男に墓を」だったそうです。
特攻、こんなことに多くの若者を志願と言う命令で出撃させ敗戦すると出撃させた責任は取らず、のうのうと天寿を全うした軍官僚の多さ、こんな官僚を二度と日本に生み出してはいけません。
以前、ご遺族の方のブログを読みましたが結構内容が濃かったですね。
関大尉の直系子孫は特攻前に新妻を実家に帰らしたので元々いませんが、
妹さん(といっても遠縁)のお孫さんがブログで、我々が知らない事を
いろいろと書き綴っていました。
特攻は関大尉率いる敷島隊が最初という認識が一般的だが、その数日前に久納中尉率いる特攻隊が出撃しています。
関大尉が海軍兵学校出に対して、久納中尉は法政大学出の予備士官でした。大本営は軍神と公表した最初の特攻は、海兵出身が絶対だったのが真相です。
久納中尉の出撃は、後に松山三四三空の紫電改パイロット小高貫貫兵曹の著書にも書かれていました。戦果確認機により、駆逐艦、輸送船撃沈と報告しています。
関大尉、久納中尉をはじめ、多くの若者の戦士はなんだったのでしょう。彼らが祖国を思い、家族を守る為に出撃したのは間違いありません。
私の叔父も海軍航空隊で形ばかりの零戦の訓練を終えて、同期の多くは特攻で出撃しましたが、終戦により生き残ったそうです。
戦藻録(せんそうろく)を書き残した宇垣纏(うがきまとめ)
や特攻の責任者であった大西瀧次郎など、自決した将官も
いますが、戦後も生き続けた佐官、将官も多い。
「生きて捕虜のはずかしめを」なんて言葉は何だったのか。
マジそれ 特攻関係者で名前変えてまで逃げた上官とかもいましたよね…
@@夕月夜-w1q本当ですか?
許せない。あんな酷い攻撃させておいて。特攻攻撃を始める前に降伏して欲しかった。
@@user-lb8in1jm9v (なぜか消えちゃったので、もう一度ポストします。すみません)大田正一ですね。特攻兵器「桜花」の発案者。桜花は自分で操縦できない設計で、他の飛行機に吊り下げてもらって出撃する人間棺桶。スピードが遅いのでほぼ全て米軍に撃墜されました。(ベニヤ板の回天と同じくらい悪名高き失敗作です。)大田は、国民にも恨まれ、米軍からみると戦犯。終戦後に逃亡を図り、その後も正体を隠して、3人の子をもうけ平成まで長生きしました。晩年、昔のことでうなされるようになり、子供の嫁に本名を自白。正体がバレました。大西瀧次郎も神風特攻の発案者ですが、人相占いで搭乗員を決める謎の男で、敗戦時、下手ながら切腹、一応一人で死んでいます。一番許せないのは、宇垣纏司令官。なぜか「終戦後に」特攻。23人の若者に命令して、自分の道連れに片道燃料で特攻させました。A級戦犯は縛り首なので、怖かったのでしょう。思い出すたびに腹が立ちます(怒)一緒に怒って下さい。これからも、こういう歴史は繰り返してはいけませんね。
関大尉と海兵同期であった中津留大尉が、終戦の日、司令官の宇垣中将を載せ最後の特攻に飛び立ったが、米軍の記録に、その日に特別攻撃があったことは記されていない。
すでに終戦を迎えても尚、生き残った若者達を死へのみちづれとした司令官の罪は重い。
若い尊い命が。このような犠牲者を二度と出してはいけない。
関行男大尉は元々、艦爆乗りでしたから特攻隊の隊長に選らばられた時に、艦爆乗りの俺なら何度も爆弾を投下出来るのに、戦闘機に乗って体当りさせる様なら戦争は負けるだろうと話していたと言います。
だから余計に悲しい…
航空特攻はこの一度だけの予定だったと聞いたことがある。
この作戦が大失敗していたら、その後の人生が大きく変わった人達も多かったのだろうか。
なんにしても日本が2度と戦争をせず国民が幸せに生きる事が死んでいった人達への最大の供養になると思う。
そもそもが、日本が進んで戦争をしたわけではなく、中国、ソ連ルーズベルトが日本を戦争へと追い詰めた。植民地になるしかない場合、戦うしか道は無かった。戦争は憎んでやまないが、日本が2度と戦争をしないと言っていても、日本侵略を企てる国は周囲にはあるという現実から目を背けてはならない。領土を守ってこその平和だと言う事を忘れてはならないと思う
今平和な日本国を作ってくださりましたのは、第二次世界大戦で戦った軍人の方々のおかげです。本当にありがとうございます。ご冥福を心からお悔やみ申し上げます。(この映像内容に、涙が止まりません。)
大東亜戦争です。
神風特攻隊の生みの親でもある大西さんの最後は責任を取っての自決でした。
この攻撃は終戦に向けての日本人の死しても心は折れないというものを示すもので、それを勇敢だと称賛したマスコミに戦時下とはいえ問題もある。
こんな状態なら天皇も戦争をやめるように動いてくれるだろうという思惑もあったと聞くが、
敷島隊の後もたくさんの特攻隊員や民間人の犠牲が出たことは、日本人として反省しなければいけない。
戦争は人を狂わせるやってはいけない
大東亜戦争でした。
アジアの国を米英の植民地支配から守るためでもありました。
負けるとわかって特攻攻撃へ向かったと言うことは正気だった。
馬鹿な軍の上層部がおいしい密を吸っていたのでしょう。早く降伏するべきだった。
戦果を報告した西澤飛曹長(後中尉)は、10月24日、愛機の零戦を特攻隊に引き渡して、一式陸攻で帰還中にグラマンに撃墜され戦士する。
昭和18年以降は個人撃墜は認められず、共同撃墜のみとなったが、実家への手紙には143機撃墜と記載してあったので、150機程度と思われる。
爆弾は不発。。。という説明がたまにありますが暴発しないようにつけてある安全装置を外すのを忘れたというのが正しいようです
護衛戦闘機が突入態勢に入ろうとしている機に身振り手振りで「外せ外せ」とやってようやくわかってもらえたという記述がありましたから
エンジン不良や敵艦を発見できずに帰還したパイロット
に対して「卑怯者」「臆病者」などと言って戦死あつかい
され、隔離された者もいたそうだ。そんなことを言った
上官や司令官は戦後ぬくぬくと生きていた者も多い。
この間、テレビ番組特集見ました、10回出撃して生還したパイロットの話しに、上官に次は必ず死ねと強制された話しをしてました、大本営に戦死発表は天皇陛下も同じと言われたそうだ、生きて帰るなと
確か福岡に何らかの理由で特攻できず帰還した特攻隊員の隔離収容施設があったはず……。
神風特攻隊の方々に可哀想などとは思っておりません。お国の為また家族を守るために命を捧げた方々に感謝しかないです!桜は散ってもその後には見事な葉をつけ新緑が芽吹いています。そこにはまた一年後に桜が咲きます日本国は今も英霊に守られています感謝!
可哀想で可哀想で仕方ありません。
負けるとわかっていても征くしかなかった彼らの気持ちを思うと涙しかでません。特攻攻撃が成功したのはその時だけ。後は敵艦の空母に突撃する前に撃ち落されていた。それなのに命令した人達はのうのうと生きていたんですよ。1番に突撃するべきは軍人でしょ。それが武士道じゃないんですか?
大和魂じゃないんですか?
戦没者と戦後の焼け野原をここまでにしてくださった方たちのお陰です。
でも、その裏では朝鮮戦争があったから、日本は高度経済成長期となり発展したのです。皮肉ですね。どこかの悲劇(戦争)が今日の日本を立て直していたなんて。どこかで戦争が起きるたび、どこかはお金儲け。人が死んでいるというのに…
後押しではなく、制裁でもなく、止めさせる方法はないものか…
栗田艦隊がなぜ反転したのか。小沢艦隊・西村艦隊が奮戦奮闘していたのに
神風特攻隊はこの上もなく哀しく美しく勇ましい。関大尉はその魁として敵艦上の炎となって輝いた。大西滝次郎が言った、作戦は邪道でも日本にこんな立派な若者がいたことを後世に残したい、その思いに共感する。しかし、セントローの犠牲者数は特攻の甚大な効果なのか、双方傷ついただけで終わった、、、そんな虚しさも感じる。もうこんなことは止めよう。
今年も慰霊祭滞りなく終わりました、雨の中皆さんありがとう御座いました!
また来年元気であいましょう!
あ!関中佐とお母様が同郷の びんびやしげちゃんさんでしたか。今気が付きました。
大変遅くなりましたが、慰霊祭の報告ありがとうございます。
@@Inari_Japan はい、雨の中皆さんありがとう御座いました!
悪天候で飛行はありませんでした👮
涙が止まらないです
我が国大日本帝国の為に散っていった英霊様に感謝しております。我々も、英霊様の後を追い祖国の有事の際は英霊様の様に天皇陛下と国の為戦死する覚悟で戦います。
私も彼らが大好きです。とくに関大尉の精悍な顔付が。ただ、「俺たちは出撃するけど、将来の若者たちに二度とこんなことをさせんなよ!」と訴えているような気がします。
自分が戦死した後でも、祖国日本が偉大成らしめんと腹を決めて出撃されて行ったと思います。そして今の我々日本国民は、この祖国のために特攻戦死した方々に恥ずかしくない生き方をしているだろうか?戦死した方々があの世で、今の日本国民の生き様をどう見ているだろうか? 何か考えさせられる。
ダメダメですよ。
カウントダウンの終わった後の渋谷はゴミだらけ、政治家は金まみれ。
情けなくて恥ずかしい。
顔向けできません。
確か海軍兵学校では、国内では菅野デストロイヤーと呼ばれてアメリカ軍からイエローファイターと呼ばれて恐れられた菅野直さんと同期では。菅野直さんもこの後、特攻志願して戦術眼や技量の高さで特攻隊にはなれずにいたので。
66才です。亡くなった母親の従兄弟の年は近い叔父にあたる叔父さんは関大尉さんと兵学校の同期と叔父の息子さんが話していました。その叔父は駆逐艦で、サイパン島付近で沈没して戦死したそうです。
当時の大切なお話ありがとうございます。
英霊に感謝。
関大尉のお名前は、まさにその通りだったんですね。高杉晋作を超える私の尊敬する男です。
Such brave young men, gone too soon.
Japan gravely underestimated America's will to fight.
I salute those brave souls, and horrified for their needless death.
God speed brave airmen R.I.P.
Thank you for your respect for our predecessors and leaving a comment
泣いた!
天下無敵の荒鷲😳
発信ありがとうございます
関大尉に敬礼😓黙とう
本当に、今の政治家にあなた達は、本当に日本のために覚悟でやっているのか
私利私欲しかない。
なくなった方も
今こうしていきてる私たちも
同じ命なのに、、、
あまりにも辛いです、、
そうぞうしただけで
胸がくるしくなります。
私も年ですが今まで本当に幸せの人生をすごせました!
感謝しかないです。
沢山の犠牲のもとに今の日本ですから、、、今の日本は
恥ずかしい、、、国ですね
政治家は、悪さばかり、、
市民の事は、考えてない
馬鹿な、、、悲しい国です。
本当に...おっしゃる通りだと思います。
敷島隊の関行男大尉 (1944.10.25戦死) が特攻第一号とされ軍神にもされたが、海軍特攻の名簿で調べると関大尉の
前に2名の名前が出てくるんだよな。久納好孚中尉 (44.10.21戦死・愛知県出身) と佐藤聲上飛曹 (44.10.23戦死・
香川県出身) があり、共に大和隊として零式戦闘機でセブ飛行場から出撃しているんだよ。
おっしゃる通りです。
戦後、大西瀧治郎中将の副官であった門司親徳氏が特攻第一号について
「久納中尉、佐藤上飛曹は『未帰還』で、わずかでも生存の可能性がある以上、戦死認定とはならず
一番早い確報が敷島隊であったこと。と
突入時間がどうであれ、第一神風特別攻撃隊の指揮官関大尉が筆頭(特攻第一号)として報じられるのは当然
と海軍の認識を語っています。
神風も惜しかったですよ。名だたる米空母、全部当ててます。ただし、零戦は1000馬力250キロ爆弾の搭載が限界、、、
せめて出撃機が2000馬力の紫電改疾風なら500キロ爆弾が搭載可能。空母を大破させることができます。
更に特攻は、空戦能力など要りません。早さが重要です。旧式機、に2000馬力とか、1500馬力のエンジンに換装、、、、それだけでも結果はかわりましたね。
場合によっては、250キロ爆弾で、甲板に穴を開けるだけ、、、ギリギリのところで戦ってくれましたね。
ニミッツも沖縄戦で特攻により、一万近く死傷者がでて、そろそろ講話を考えてはと、意見具申してますね。
関大尉は今の日本や世界を見て何を思うのだろう?
一見、平和ですけど、嘆いておられるのではないでしょうか。戦後だいぶたってから産まれた私でもそう思います。日本という国を大事に思ってる人の割合が減っているように感じます。
講和の声が上がっていればこれ以上犠牲が抑えされたのに…。
切なく悔しくて辛い
私の叔父海軍少尉 太平洋戦争で 亡くなり 身寄りの無い部下 引き取り お墓に 階級より 墓石が違います 終戦にはお墓参りしています。
朝香宮孚彦王(あさかのみやたかひこおう)と読む。
久野好孚と書いて「くのよしたか」と読む。
栗田は当然に特攻支援のある事は耳にしていたと思う。
ならば、レイテ侵入も特攻であるべきと覚悟しなければならないが、敷島隊の覚悟に反し、ターンしたる事は天に対し恥じ入る事は無かったか。
赤とんぼの戦果を考えたら、剣が実戦投入されてたらアメリカ海軍は沖縄から一時撤退していたかも知れない。キルレシオで考えたら外道の統率と言いながらも、やむなしだった。
沖縄 知覧 靖国神社 稚内氷雪の門 何処へ行ってもこの人達もう帰って来ない 何の為に死んでいったのか 慎んで合掌
日本を護る為に!!私達はかれらの尊い命のお陰で日本と言う国で平和に暮らしています。
謹んで合掌。
日本を守るために、家族を敵から守るために散華されたと思います。
平和のために。
なんの為は無いだろう❢❢
特攻で。亡くなられた方々は、家族を守る為に行われたと思います❗それを、英雄視して、祭り上げて、当時の国の指導者は、何も感じなかったのか?と疑問に思う。皆さん死にたくはなかっただろう❗
😹 敬礼😹
特攻队的军人们值得尊敬!👍👍👍
特別攻撃隊には感謝の念しかないが、戦後米国によって発足せられた自衛隊は旧陸海軍の生き残りも自衛隊に参加し、設立に関わっており、旧軍の伝統を引き継いでいる事から、アフガン軍の様な事は無いと思うが、同じく米国によって軍隊と成った韓国軍は士気が低いと言われている。同じ様に米国によって設立された自衛隊の士気で、いざ戦えるのか疑問である。
自衛隊の技術力は世界一です。
最後の、特攻隊いんの紹介動画はもっとゆっくりしてほしい、
読んでる間に消えてしまう。一番の感動部分です😢
ご指摘のコメントありがとうございます!
今後に活かしたいと思います。
誠に申し訳有りませんが特攻第一号は、「せきつらお」さんでは有りません!実は戦果確認機が不在だったので既に二日前には別の隊の特攻機が突入して戦果を上げてますし…実は彗星艦爆の隊長が特攻して戦果を上げたのが切欠だったのです。「せきゆきお」と勘違いされてるのも残念ですね。
現在の日本を貶める国賊に対する怒りを新たに致しました。
皆若過ぎる…
ただ畏敬の念しかない
戦争とそれを煽るマスコミは害悪
今の日本めちゃくちゃや‼
そのとおり。情けない。
このときに同行された西沢広義飛曹長は翌日に零式輸送機に搭乗している時に撃墜され戦死されましたよ、なぜなら本来の搭乗機を敷島隊に渡されたからですよ。
関行男中佐のお母様は戦後には手のひらかえしの人々によって苦しめられ終戦後から程なくして病気て亡くなられましたよ。
関行男中佐の奥様は戦後に再婚されお子様二人に恵まれましたよ、尚関中佐の兵学校同期の中津留大尉は宇垣纒の身勝手な玉音放送後の特攻で奥様と娘さん残され亡くなられましたよ、中津留大尉のご遺族は宇垣纏を酷く恨まれましたよ。
栗田は軍艦もったいないで、謎のUターン。関大尉は見事敵艦に突入。なんて矛盾のあることか。栗田大和男子に非ず。恥ずかしきかな。
栗田のような海大出てないような つつがない海軍生活を送っていた多くの海軍軍人は 軍令部の艦を失うなという命があればそうします
アンタ 会社の上司が意図している方向に指示に従って温存方向にしないで 勝負できますか?
多くの人には無理ですよ そういうことです 中央との繋がりがあり 佐官時代から有名人で自信満々の司令官であったら違っていたかもです
レイテ湾突入は、軍令部の作戦では?栗田中将は、死にたくなかっただけです。
先の大戦でもね、そりゃ空母使った航空艦隊決戦など物量で負けますが、、、、陸軍の力技と言うことであれば、硫黄島・沖縄・ペリリューみたく戦えるのです。ただしこれは、中小決戦!一番惜しいのはフィリピン戦、ここで30万対30万の一大決戦!で15万とか20万やれば、フィリピン戦あたりでの手打ちもあり得ました。海軍の嘘情報などで、ルソン島からレイテ島に転進!大失敗!陸軍には一大決戦の機会がありませんでした。
日本は弱くて負けたのではないです。原爆でやめようとなっただけです。本土決戦、九州か関東に上陸しても米軍は大変な被害のはずです。陸軍としてはこれが残念ですね。
よくやった。
何が?何がよくやった?💢
軍神関行男中佐-2階級特進ーは急降下爆撃の名手で出撃の前日, 従軍記者に生きて何回でも爆撃できるとされております。なお撃沈されたのは正式空母でdなく貨物船を改造した護衛空母でした。輸送空母も改造船で、神風攻撃の過大効果の重大な誤認となりました。巡洋艦以上の大型艦の撃沈は皆無であります。なお関中佐は唯一の海兵出身で以後一人も海兵出身者はありません。この差別は公僕である政府関係者ー巡査も含むーに引き継がれております。政府が改善しない男女差別も同じであります。
今我々の生活があるのは、敷島隊のおかげなんですね。彼らは、昭和のサムライとして散っていたんですね。大西中将の切腹は当然です。栗田はその後どうしたんじゃ?
何故、字幕を重ねて、表示するのか? 読みの基本に則り、リハを重ねてから、配信を!
🌸全ての人に取って《体当たり突入》は練度が高く、難度の高潔過ぎる職業で在った物と思います。《急降下爆撃の練度》の高さを選択しなかった当時の《戦争指導者》の思想哲学も完全に追求しなければなりません❕ 第二次世界大戦終結から79年経った2024年現在の時点で、第二次世界大戦を歴史的に俯瞰する人はどのくらいおりますか❔ 《戦争反対派の人》には理解出来ない物が在ります。神風特攻隊は戦争遂行者では在りませんでした。自らの職業を完遂しただけです。全人類の祝福を願っての《名誉の戦死》でした。
あなたの命は《あなたの足元》に在ります。🌸
栗田よ、お前だけ
任務放棄か、
関以外は同評価されたいたのか
動画感謝致します。今週彼らの慰霊のためフィリピンに参拝しに行きます。
コメントありがとうございます。
私もいつかはフィリピンに...お気を付けて行ってらしてください。
ただ凄い、悲しい、若い命を散らした特攻隊、なんて事させた
今の平和を噛み締めて、戦争は二度と起こさないやうに。😂
大尉は、海軍ではだいいと発音します。
日本には素晴らしい若者が居た事を忘れてはなりません。只、これらの方々が本当に日本は正義の戦争をして居たか ? と解かって居たかと言う事です。軍部財閥政治家の都合で・・・
大学の選りすぐりが学徒出陣兵として集められていました。彼らはわかっていたと思います。大東亜戦争であることを。
軍部財閥政治家は本当にバカですが。
何億年も生命のリレーによって進化して来た彼ら多くの若者の優秀な遺伝子を消し去ってしまうのが戦争です。
今の私たちは運よく生き延びたご先祖によって引き継がれた幸運な遺伝子です。絶やすことなく子孫に伝え続けたいものです。
😥😢😥
作者「永遠の0」尚樹も泣いてます!
#あさ8
国家に無理やり死を強制された方に御悔やみ申し上げます
国家は無慈悲かち無責任ですね
戦死された方々、特に特攻隊として亡くなられた方々を英霊として美化することについては賛成しない。彼らの死を無駄な死と表現することも賛成しない。がしかし、彼らの死に意味があったのか?というと、そこには疑問符しかない…。ただただ冥福を祈るだけだ。
日本を護る為に命を賭した方々を英霊として合掌する事は決して彼らを美化しているわけではないと思います。戦争を憎む前に、何故戦争が始まったのか、何故多くの命が失われたのか、それらを私達日本人が知る事が最も大事な事だと思います。そうすれば英霊の方々を奉る事の尊さにも気づくはず・・・今の日本の平和は命を賭して戦った英霊のお陰です
感謝を込めて合掌致します
@@nemunemu1117
大東亜戦争を調べてみてください。
何故、日本が戦争をしてしまったのかわかります。
同じ攻撃が何度も通用するわけないのに。。
まさしく今日78回目慰霊祭
敷島隊に敬礼
英霊は今の日本をどのようにみているのでしょうね
正に特攻隊員は悲惨です。
彼らの多くは覚醒剤などヒロポン中毒にされていました。
だから勇敢そうになれて敵艦に突っ込んだのです。
日本は本当に残酷な国だと思います。
そんな人は、いません皆まっしぐらに死にむかっていきました、聖戦に命を捧げた靖国の英霊に栄誉礼、捧げ~銃!
特攻前にヒロポン等を渡されて服用した特攻隊員が相当数いたのは事実。また日本酒を一升瓶でがぶ飲みしてから出発して行った隊員も数多くいたのも事実。まともな精神状態では特攻に行けないということは上官も良く分かっていた。
悲しすぎる。
悲しい歴史ですね。