人生で本当に大事なことはたった一つ【仏教の教え】
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- Опубліковано 5 жов 2024
- 室町時代の禅僧一休は、アニメ「一休さん」で有名です。
快活で、賢くて、つぶらな瞳の「一休さん」。
あのイメージが強かったせいか、図鑑で一休の肖像画を初めて見たとき
「えっ、これが一休さん?」と驚いたのを覚えています。
頬がこけ、無精髭を生やし、どこかふて腐れたような、肝が据わった風貌には、アニメの「一休さん」のイメージはまったくありません。
仏教を聞くようになり、一休の書き遺した、反骨精神に満ちた、毒舌と称してもいい歌や文章を知ってからは、アニメの一休さんの方が虚構で、肖像画に描かれている姿が実像なんだろうなと、納得しました。
毒舌と悪口は違います。
悪口は単なる非難中傷ですが、毒舌は辛辣であるものの、そこに一面の真理が光っているものです。
だから悪口は誰でも言えますが、毒舌は本質を見抜く眼を持った人しか言えません。
今日は、一休の毒舌を含んだ一首の歌を紹介します。
「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」(一休)
一休は、正月で賑わう京都の辻を、この歌を朗々と詠んで歩いたと言われます。
「こんなめでたい日に、なんて不吉な」と当時の都の人々も眉をひそめたでしょうが、人生の本質を捉えた歌といえます。
年が明け、門松が玄関先に飾られる元旦を迎えると、みんな「おめでとう」「おめでとう」と言います。
しかし一休は喝破します。
「何がめでたいんだ。元旦とは冥土の旅の一里塚ではないか」と。
「冥土の旅の一里塚」とは、どういうことでしょうか。
一里塚(いちりづか)は、街道を旅する人の目印に、一里(約4キロメートル)毎に設置した土を盛った塚のことです。
塚の側には榎などの木が植えられたり、江戸まであと何里、と書かれた標識を立てたりしていました。
今でいう高速道路に設置されている、東京まで何キロ、と書かれた緑の標識のようなものです。
旅人は一里塚を見ては「旅はまだまだ続くな」とか「もうすぐ終点だ」と
行く先に思いを馳せたのです。
一休はここで、元旦を旅の一里塚に例え、その旅は「冥土への旅」だと言っているのです。
「冥土」とは、死んだ後の世界です。
生あるものは必ず死に帰す。
生きている人は皆死に向かっています。
一日生きたということは、紛れもなく、一日死に近づいたことに他なりません。
年が明けて一年経ったということは、それだけ大きく自分が死ぬ歳に近づいたということです。
まさに元旦は「冥土の旅の一里塚」なのです。
私たちは、死ぬのは嫌だ、寂しい、怖い、と心の底で感じ、頑なに死から目を背けようとしますが、着実に毎日、毎年、墓場へ向かって行進しているその歩みを止めることができない存在です。
すべての人が、未だ知り得ぬ、死後の世界へ向かう旅人なのです。
そんな己の行く先を忘れ、元旦を迎えたからと、めでたい、めでたいとはしゃぐ人々に一休は「何がめでたいんだ、元旦は死に向かって進む旅の一里塚ではないか、こうしてどんどん進んでオレも死んでいくんだな、と確認させられる日が元旦だぞ、めでたいはずがなかろう。めでたいのは、おまえの頭でないのか」と皮肉ったのが「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」の歌なのです。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
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立って半畳、寝て一畳。最近は暖かい布団で休める事に幸せ😆🍀を感じます。震災に見舞われた方が避難所で雑魚寝姿を見ると心が痛みます。😢還暦過ぎると、人生の中でやり残した事はないのか、色々考えさせられますね。私としては、穏やかな死を迎えられたら、良いなと思います。明日の事はわからないし、今日一日を大切にしたいと願っています。😊
本当にありがとうございました。菊谷先生ただただ敬服しています。本当にそのとうりですね。‼
ありがとうございます
今日もありがとうございます🙇
菊谷先生、貴重なお話をありがとう御座いました🙇♂
菊谷先生!
今日も大変素晴らしいお話を、本当に有り難うございました。感謝申し上げます。🙇♀️✨
大変よくわかり、学びになりました。ありがとうございました。
ありがとうございました!
(菊谷隆太先生動画視聴メモ)
★人生で本当に大事なことはたった一つ【仏教の教え】
1.人間が一生懸命になっていること(小舟の上出来事)
2.仏教の説く大問題(100%行く先他界・後生、一大事・問題)
3.一番大切なこと(後生の一大事解決、接取不捨の利益、信心決定)
この様な尊い教えの説法は、一度や二度聴かせて頂きましても、私には理解ができない程、有り難い「教え」です。
繰り返し聞かせて頂きたく存じます。合掌
大切なこと、よく分かりました。お話ありがとうございます。。
有難いお話ばかりで、心に沁みます。有難うございます。
死の滝つぼのごとき人生に、信心決定する。蓮如上人はそのことを危惧されていたのですね。
今日もありがとうございました。
菊谷隆太先生、こんにちは。🤱🧑🍼👨🍼👩🍼💍今日も、ありがとうございます。🤱🧑🍼👨🍼👩🍼💍
いつもありがとうございます❤
過去と他人は変えられない。
未来を思い悩むな。(滝つぼ)
今を生きろ。(小舟の上)
ありがとうございました。 感謝‼ 合掌
全く、おっしゃる通り、慈悲深いのは素晴らしいことです
ありがとうございました。
菊谷先生いつもありがとうございます.だいたい一日、心がつまづいた時には3回は先生のお声をお聞きします.一年以上になりますが初めてメールしました.ありがとうございます❤
菊谷先生あリがとうごさいます。
菊谷ルーティン今夜も発動
いつもの話やな、菊谷さんのありがたいお話し。😊
100回聴いた。笑😊😊😊
素晴らしいです。
人生で本当の幸せとは何か、老後の幸せとか考えて根本的なこと考えないのはどうでしょうか?確かに生きるうえで生活することは大事かもしれない。
今日もありがとうございます🙇
若いと防衛本能があり死に極端に不幸を感じもします 長生きがいいのは肉体の衰えに無頓着な若さの特徴でしょうが 歳を重ねると老いた体との付き合い方や共存を考え 死への抵抗も減ります 花の生涯は人が決めた“咲く”が目的でなく散ることも視野に入れるのが花の生涯への理解です 衰え古びたままの花では咲けません 目立つ時を経て 衰え次の開花を目指すために死があります 死は不幸ではなく次の生への段取りです ありがとうございました
菊谷先生、いつも寝る前に聞かせて頂いてます。私は、海外在住でなかなか仕事がゲットできずにいました。いつも誰も私の価値を分かってくれないと思っていましたが、先生の言葉、努力が足りていないという事に気付かされました。今は頑張って努力をして、仕事場でもいい人間関係を持てるようになりました。もっと沢山お話ししたい事がありますが、まずは先生にお礼を言いたいです。ありがとうございます‼️
菊谷先生のお話聞くの大変勉強になります😊まだまだ勉強中ですが…お話がわかりやすくていつも感心しております!頑張ってください😊
人をはじめ動物の幸不幸は、心を持つ有情の盲念。仏教が説く意識を越えた心の世界に、人は自我が強くなかなか気づけませんが、八万四千と言われる無数の法門に一人でも多く与られることを願います。
後生の一大事を解決すると、捨てられることのない絶対の幸福になれる。 その方法が仏法を聴くことだ。
そのようにご説明されていると理解しましたが、私の理解は合っているでしょうか?
それはすなわち、「こうすれば、こうなります。」と言っているだけのように感じられます。
そこには「こういう理由で通常は絶対の幸福に至っていないが、こうすることでその原因が取り除かれ、こういうことが起こるから幸福になれる。 それはこういう理由で捨てられることはないと言えることから絶対の幸福だと言われている。」等の説明は存在するのでしょうか?
無料配信動画でなんでもかんでも説明はできないよ、ということだとは思うのですが、もう一歩踏み込んだ説明を頂けると仏教の理解も深まると思いますので、もう少し説明を加えて頂けないかご検討頂ければ幸いです。
菊谷先生、私はまだまだ、米俵安心です😢しかし、クリスチャンとして菊谷先生のUA-camを4年前から聴聞する前に信心決定したのかもしれません😮私は13年前に彼岸に達しました🎉その時のことはよく覚えています🎉😂あの時は心の底から喜びが溢れ10代の時から道を求め40才にして達しました❗三十年近く迷いました🎉私はその時のことはよく覚えています。新しい✨🆕✨エルサレム行くとオモイ嬉しくて仕方ありませんでした🎉私は梅山革命をやり財産や多くの物を手にしました😢しかし、死んで天国行くなら全てを捨ててもいいと思います😂私は絶対の幸福になっているのでしょうか?私は幸せいっぱいです😆🎵🎵死後、新しい✨🆕✨エルサレム行くことを確信しています。
弥勒菩薩。
「楽しむ・喜ぶ・安心する・感動する・満足する」これらを目的にして
「工夫する・やってみる・努力する」をしたら良いんじゃない。心安らかになるよ。
これらをせずに「生にしがみつく」だけでは、ただ死と苦しみを延ばすだけになる。
菊谷先生有難うございます昔の方々はこの世は地獄で有るから善行を行い浄土に行こうした又仏教の最高経に悪人が成仏し善人が不老不死に成ると云う教えがある死後の世界で親子の死に別れが無くなる事が人類にとって一番の幸せと思うお釈迦様の言われた経説を信じて命を大事にし活きる事を願います
人生は激流ほどはがし区は有りません、子供の頃は一日が長く毎日のんびりしていたものです、そのうちに家事を任され共に乗っていた兄弟がほかの船に移り両親も居なくなり、子供もほかの船に乗ってしまった。激流とは程遠いいゆっくりした流れに乗っているだけです。歳と共に流れが速くなり荷物がどんどん減ってゆきます。終活を考えると別に身軽が苦にならない、あれもこれもと懸命に抱え込んでフウフウ喘いでる人が可哀想ですね。
煩悩が「一切皆苦」を生み出す事に気が付いたお釈迦様は「苦」を捨てる為に煩悩を否定しました。仏教の目的は「苦」の無い生活であって「快」や「楽」を得る事ではない、煩悩を捨てると「喜怒哀楽」が無い日向ぼっこしながらうつらうつらしているようなもの。阿弥陀如来の光明を感じながら、手足を伸ばして日干しの布団の上でうつらうつら。
布団の材質、厚み、弾力、柄など考えるのは煩悩、執着してあれだこれだと不満や文句を言う、「これが正しい、これが美しい、これが真実」などどうだっていい、幸福なんてどうだっていい、このまんまのんびり船に乗ってれば阿弥陀様も気を使ってくれるだろうね。
心が迷い
菊谷先生のお話を聞こうと
UA-camを開きました
今日もありがとうございます
ただ
何度聞いても
迷っている私は
はっきりとこれだ!という理解にまで至りませんでした
だからこそ
もっと仏教についていろいろと聞けばわかるのでしょうか
答えがそこにあるんだろうなぁということだけは
なんとなくわかるのですが
お恥ずかしながら
まだよく理解ができません
いつか
"一番大切なこと"が理解できるといいなぁと思いつつ
今日も迷いながら生きております☺️
いつもありがとうございます!
わからなくても
菊谷先生には
いつもとても癒されてます
応援してます
これからもよろしくお願いします☺️
菊谷先生、いつもありがとうございます。
質問させて下さい。生死一如の考えからすると、「後生の一大事とは死んでからの事だけを示しているのではなく、今実際に生きている時の事も示す」と言っている浄土真宗のお坊さんがいらっしゃいます。信心決定をしたと言う事は「死後の問題を解決しただけではなく、生の問題も解決した」と言う意味になると言っておられました。僕がそのお坊さんがおっしゃっている本当の意味を理解出来ているとは思えませんが、ちょっと違和感を感じた部分があるので、先生からご教授願えると大変助かります。後生の一大事とは死んでからの事を示しているのではないかと理解しているためです。一方、後生の一大事を解決すると、未来に対し希望が湧き、現世の人生の問題も解決できると言う解釈もあるような気がします。可能であれば、どのように考えれば良いか、ご教授よろしくお願いいたします。
現世は無間地獄。
人間は絶対いつか100%死ぬ、その先は滝つぼで後生の一大事という、なんてことは耳にタコができるほど聞きました。
仏教を聞けば解決するといいつつその答えを先生の口から聞いたことがありません。何がしたいのでしょうか?
後生の一大事を解決した心の世界を信楽(絶対の幸福)といい、その解決の道は阿弥陀仏の本願を聞く一つです。
今 仏教 学んでいる途中ではありますが 今私の結論 として 言えることは 過去世 、現生 、で良い 行い していれば 良い方向へ行きますよ 。悪いことをしていれば 悪い方へ行きますよ 。ということです。 なので 今まで良いことをしていれば 死んだ 先は問題はない。 という結論です。😅
私は、本当に大事なものを、大切にしようと思いした……☺️😊
菊谷先生いつも大切なお話と大変尊い有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。弥陀の不思議の救いに値うためにも聞法正精進していきます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
小冊子欲しいです😊
こちらからどうぞよろしくお願いいたします。
kikutaniryuta.com/gift/017/index1104hatena.html
私は20才の時にある僧侶に私は死んだらお釈迦様に会えるのではないかと言いました😢すると僧侶は違うんだ君はもう既にお釈迦様に会っているんだと言われました😮
弥勒菩薩🎉
菊谷さんは、長年、動画をアップされてますが、それで信心決定とはなんなのですか?
人間生活で、尺は測れない。このご時世で、何を伝えたい?
小舟が小乗経 大船が大乗経 彼岸の川を渡る法が法華経ですね
菊谷さんの先生である高森氏はよく今日のような説法に加えて、私達は死後無間地獄へ皆堕ちるから一大事なのだと説いていました!私は今はそうはならないと抵抗できます❗釈尊は後生の解決を激流を渡るという表現をしておられるが、死後滝壺に落ちるのを救うとは言っておられません❗確かに日本人は現在、死後地獄へ行くのが7割もいるそうですが、団塊の世代がひどいそうですが、私は死後も霊界で天上や人間に生まれる自信があります❗ここだけの話、8大地獄はもうありませんし、阿鼻地獄も作り替えられました❗あと各次元地獄と無間地獄があるくらいです。はっきり言って、霊界の地獄はこの世の苦しみほどはひどくありません❗⛄私は地獄の主宰者をしているからよく分かります❗皆さんは私を信じられますか❓
信じられへん。笑
後生の一大事は、なぜいつも滝壺なんですか。
大河が海に静かに流れ込んでいるような「死」は無いのでしょうか。
仏陀というと釈尊ですね、釈尊の本懐は「未だ真実を明かさず」と最後に説き明かした「法華経」ですね。これは正法時代 次の像法時代は中国の天台大師・日本の伝教大師ですね、末法に入って日蓮大聖人ですね。すべて法華経の正当な流れです。
五重の相対を簡単に書きましたが、仏教の生命論が今注目されていますね。
人間死ねば腐って微生物の餌になるだけです、それの何処が幸せなんですかね?人生で一番大切な事は健康であることです、有りもしない死後の事を考える事ではありません・何回聞いても馬鹿げた話です。
説明に私情は関係ない
すべてのことは諸行無常であると説かれているのに「摂取不捨の利益」で絶対に壊れない幸せがあると言うのは矛盾してるように思うのですが、私の解釈が間違っているのでしょうか?
ありがとうございます
ありがとうございました。