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父は電信兵で大村航空隊で雷電を見たと言ってました。熊ん蜂みたいな形でキ〜ンと唸りにら急角度で上昇していたのが記憶に残っていると言ってました。紫電改や零戦もいたが雷電は強く印象に残っていたとか。
その金属音は強制冷却ファンの回転音ですネ❕
雷電のフォルムは格好いい美しい
格好いいですよね。機首を火星エンジンの太さのまま、尾翼まで絞っていくと、ゼロ戦そっくりになります。堀越技師のデザインアイデンティティですね。
赤松中尉の愛機ですね🎵
「あのね、メッサーシュミットなの。寝ても覚めてもメッサーシュミットなの。」糸川英夫博士が鍾馗の開発時を振り返ってのコメント
そしてメッサーシュミット完全に超えてるオチ4分30秒で5000mとかマーリンどころかグリフォンエンジンでやっと相手になるレベルアリソンエンジン搭載のP-51Aに至っては「鍾馗に勝てる要素無いじゃないですか」って匙投げてる
クセが強いというのが面白くて最高🤗 鍾馗は好きです。👌五式はバランスが最高だったようで正しく苦肉の策から生まれた傑作機だと思います。零戦も好きですが五式は最後の傑作機なので大好きです。💮
たしかに、クセが強さで考えると、鍾馗が浮かびますね
「五式戦闘機をもってすれば絶対不敗」は名言😊P51相手でも恐るに足らず💯
屠龍、好きです。何より名称がカッコいい!まさにドラゴンスレイヤー。
生まれて初めて一人で作ったプラモデルが鍾馗でした。プラモデル屋に父と一緒に行って自分で選んだと記憶しています。どうして人気の零戦ではなくて、鍾馗だったのか、今もって理解不能です。小2の自分には零戦と区別がつかなかったのかもしれません。一生忘れられない機体です。
続けての投稿ありがとうございます。今回も楽しめました。次回投稿楽しみに待ってます。
鍾馗、雷電、五式戦、全部私の好きな戦闘機ばかり。トップが柔軟な考え方で、適材適所な運用をしていたからなぁ。歴史にタラレバはないが、もしもと思ってしまう。戦後鹵獲された日本の戦闘機が、極めて優秀な性能を発揮したのは愉快ですね。
航空総監の安田中将が柔軟な思考をする閣下だった様ですね。
松本零士氏の父、松本強氏は兵卒から少佐にまでなったとんでもない人物で、川崎航空機明石工場のテストパイロットもつとめていた超ベテランでしたが、幹候生あがりが(普通は大尉で予備役)少佐になったからか米軍の上陸が必至のフィリピンで練習飛行隊の隊長になってしまいます。その部隊には隊長と教官以外はヒヨコばかり、飛行機も2機の屠龍以外は九七式という部隊でしたが、松本少佐はみずから屠龍の操縦桿を握り、部隊がシンガポールに撤退するまで屠龍でF6F相手に立ち回ったそうです。おそらく川崎航空機のテストパイロット時代に、相当な時間乗っていたのではないでしょうか
二式単戦は一見不細工だけど、じっくり見ると美しく見えてくる。美しい戦闘機はもれなく強い。米軍の呼称はTOJO
少なくとも、昭和の頃は二式単戦とは言わなかった。鍾馗は二式戦闘機で、屠竜は二式複座戦闘機。はっきり言いましょう。二式単戦と言うのは誤りです。
投稿お疲れ様です♪
飛燕の工場に四人しかいない、フルカン継手(フルードカップリング)の調整担当が、「招集されて南方の飛行場にいて、偶然来た飛燕を調整し、快調になった」と昔の「丸」に手記がありました。 五式戦闘機は、エンジンを空冷にして、普通の整備が出来る、普通の戦闘機になったと思いますね。機体は頑丈で急降下の制限なしでしたし。当方、土井技師(教授)に材料力学を学びました。
追記すると、飛燕、五式の機体は、製造しやすい構造でした。複雑なのはエンジンと過給機などパワープラントだけです。だから、昭和19年なのに機体は順調に製造されて、エンジンなし=首なしが数百も発生しました。
なんか戦後、機体を分解して廃棄するのに、頑丈すぎて非常に難儀したらしいですねwそりゃ三式戦がダイブ性能良かったのも頷けます
@@bio-cancer1903 主翼が左右一本桁のままで製作されており、そのままで前後に位置を調整出来たので、空冷水冷エンジンの換装が容易だったとのこと。しかも強度テストでは16Gに耐え、テストを中止したほどです。しかし各務原の博物館に有る三式戦は、以前の仮保管時、長すぎると主翼を切断してしまったとのこと。馬鹿ですよ。
@@bio-cancer1903 今の岐阜の飛行場の博物館の飛燕は、その前に「一時保管倉庫に入れるときに、左右一体の主翼桁を、長すぎるち切断してしまった」とのこと。唯一日本に有る機体はもう二度と飛行することは出来ません。静的テストで16G掛けても壊れなかった、頑丈な主翼が・・・・・涙
97戦についてはノモンハン事件でのI-16の戦術転換は防弾鋼板が重く操縦桿を一杯に引いていないと水平飛行もままならなくなり急降下で一撃を加えて離脱するしか無かった為です雷電の振動問題は原因がプロペラの強度不足で究明に時間はかかりましたが判明後は収まってますよ
雷電の振動問題・・・根本は星形大出力エンジンの振動とプロペラの共振です。本来はエンジン側で解決すべき問題で、米国は解決していた。雷電や彩雲(この機体でも振動問題が起きた)ペラの剛性を高めて共振が実用回転域で起きないように対策した。副作用はプロペラ効率の低下だった。
クセが強い戦闘機って必ずしも悪い戦闘機と言う事でも無いと思う。対地攻撃で戦果を挙げたイギリスのタイフーンや当初は艦上機として運用できなかったF4Uコルセアもクセが強い戦闘機だよな。ドイツのジェット戦闘機のMe262だってクセがあるし、Me163にいたってはもうクセの塊。兵器として見るならば単にカタログスペックだけでなく運用方法も重要だよな。
Me163は内外共に酷い評価だったけどねwそりゃあ減速できないロケットで流鏑馬の数倍はあろうかって速度差で爆撃機に迫り(当然ほとんど当たらない)燃料切れで滑空してるところを倒すだけの簡単なお仕事、燃料が危険すぎて都市部近辺の空港に配置できずちょっとルートから逸れれば航続距離が足らず防空にも使えない、あの桜花よりもひどい評価
とてもおもしろかつたです。
先年に亡くなった父親が1回だけ雷電が飛んでるのを間近で見たそうです。音がブーンでなくカッカカカだったそうです。
屠龍は組み合わせ次第かと対爆撃機に効果あるなら敵護衛機を引き付ける疾風などと連動すれば良いだけ迎撃機、一撃離脱機の方が好きですね。慣れと習熟ですがプロペラ、点火プラグ、高オクタン燃料航空オイル( ´Д`)=3制約されないものはどうしようもない😅
大正から敗戦まで陸軍で設計図を入れて二百種、海軍も同じく設計図入れて百二十種の航空機が計画開発製造されました。こで挙げられた戦闘機以外にも色々な航空機があり当時の日本軍がどれだけ航空機を重視していたかわかります。決して前近代的な軍隊ではなかったです。
タイトルで真っ先に雷電が思い浮かんだw飛燕も来るかなと思ったら五式戦だったw97式戦は確かに日本を旋回戦至上主義に持ち込んだという意味でクセつよですね昔のゲーム「空運大戦略」(システムソフト)で鍾馗の有効さに気づいたw
中国大陸で二式単戦鍾馗と対戦したブラウン中尉は「敵機はすごく高速でP40の上を悠々と回っていた、射撃の腕が悪かったから助かった」と報告。ドイツ人操縦士シュティーアは「この飛行機を乗りこなせれば日本は世界一になるだろう」と称賛している
アメリカの調査部隊も「日本最高のインターセプター、なんでもっと量産しないのか不思議」って報告上げてますしね…
翼面荷重の大きい鍾馗は沈下率が高く軽戦闘(隼)に慣れた日本人パイロットには乗りこなすが困難だった。 技量の問題。ドイツ人パイロットが言った言葉はドイツ機が翼面荷重が重い機体が多くそれで当然の教育を受けてた。一撃離脱の戦闘方法。欧米機は皆日本機に比べ翼面荷重が高い。
@@暇時郎戯言翁 なので隼や97戦に慣れたベテランは「難しい、危険」と不評だったけど隼や97戦のクセが付いていない新人は普通に乗りこなしてしまったという話も…翼面荷重の大きい鍾馗でも欧米基準だとグラマン相手に巴戦出来る位空戦性能があってそこそこ早い厄介な相手って認識だったらしいですね
三式戦飛燕と五式戦の登場が逆だったら、一式戦隼の生産を早めに終了し、余裕を持って四式戦疾風にバトンを渡せたかもしれない。質の良い誉エンジンを積んだ四式戦は間違いなく強い戦闘機。それくらい五式戦はもしも?を捗らせる戦闘機。兵器は信頼性が大事。ところで二式単戦鍾馗は実機が世界中のどこにも残ってないそうですね。
昔の航空ファンに雷電の本があり、米国でのテストで評価は良かったようで、コメントに「多少視界は悪いが四式戦ほどではない」って書いてあつた日本では視界不良の代名詞の様に雷電が書かれているが、四式戦、P-51、フォッケウルフ後期型、イタリアの戦闘機 見るからにロングノーズなのに視界不良の事触れていない?何でだろう?
イタリアのマッキ戦闘機は前方視界が悪く、後期型のドイツ製20ミリ装備型はパイロットが旋回性能の良さを頼りに勘で打ちまくったとか…
鍾馗と雷電はアメリカ人が好きそうな機体性能とフォルムだと思う
キ100五式戦はクセが強いというよりも、エンジン換装によってまともに戦える機体になったというイメージ。ベースのキ61飛燕は元々の素性は良かったのだが液冷エンジに泣かされ、むしろ日本機離れした流麗なスタイルも含め飛燕のほうがクセが強いような気がする。
三式戦は、DB 601エンジン自体のが悪いのではなく、陸軍が材料指定でベアリングのニッケルをケチれと言う指令を出したおかげで駄作機になっただけですわ。同じくDB601系列の海軍のアツタエンジンでは、あまり問題が出ませんでしたし…
@@日野四十朗 アツタもハ40・ハ140よりマシだったという程度。ロッドの精度が悪いからじゃないかな?でなければ彗星を金星エンジンに乗せ換えない。(五式戦と全く同じエンジンだというのも面白いし、金星6X(ハ112Ⅱ)搭載機が570~580km/h最高速度で揃うのも面白いけどねw)
@@jimmy-qu7tj 結果零戦も金星搭載機が登場したからむしろ全力で金星を作るべきだったのではないかとw
@@日野四十朗さん但しここで酷い苦労をしたことが後年DD51の開発に生きている。逆に金星シリーズで成功していた三菱はDD54と言うとんでもないババを掴まされて国鉄から一般には売れもしないタイプの高速バスを買い叩かれて大損こいてるからね。まあ国鉄専用高速バスはDD54でしくじり、江川卓事件で大手私鉄全てから出禁食らった(京阪、京成、京急は元々取引が無かった)結果頭取が国鉄に泣きついたのもあるけどね。
イタリアがドイツのDBエンジンのライセンス生産許可を得て生産したが不具合が多く、結局ドイツから輸入したと。
雷電の振動問題はエンジンを機体中央部に寄せたからではなく、機首の巨大な4翔プロペラを回すにはプロペラシャフトが長くなり過ぎたからだ
雷電を乗りこなした赤松さんはやっぱりおかしい
アメリカ軍が接収した後に試験したが、全然違和感無く使い易い戦闘機だったとレポートしてる。
@@ahawaha2400 あれ?雷電って暴れ馬って言われてて事故るって言われて気がするんだけど.....なんでだ?
@@KAITOgarerianそれはね、雷電に乗る人は大概零戦から機種転換してるので操縦のクセが違うのでそれで事故が起きてますね
@@カリウス-w5x なるほど。そういう事か。ありがとう
視界が悪いのと、着陸速度が速くて扱いにくかったと聞いてます。
陸軍が軽戦重視から重戦重視へ思想転換したのは、昭和16年に行われたBf109との模擬空戦の結果が大きいと言われている様です。Bf109相手に97戦では負けないまでも追い付けないので攻撃が出来ない、が、キ44試作機ならば攻撃されても振り切れるし逃げられても追い付けるので攻撃も可能という現実があり、模擬空戦後に行われた実戦経験豊富な搭乗員達による研究会で「今後の空戦はいかに速く攻撃出来る位置に占位出来るかが重要になる」という報告がされた事で陸軍は重戦重視に方向転換したと、現在読んでいる「戦闘機「飛燕」技術開発の戦い」という本に書かれていました。
五式戦を語るならFw190を参考にしたことは出して欲しいね。あちらも液例エンジンをBf109に取られて無理やり空冷エンジンを積まされた機体。五式戦に改造する際、非常に参考になっている。
欧州の戦闘機なんて航続距離が700km弱だから、日本の戦闘機の足の長さが異常なだけあと、多数入り乱れる乱戦ではどうやったって一斉射を受けるから、防御力は必要だわ。軽快な運動性なんて装甲の薄さからくるもので、一斉射で撃墜確実だ。
装甲もあるけど外板を厚くして強度を確保したグラマンとかは下手な弾だと表面で爆発するだけでケロっとしてたなんてのもありましたな日本機は(特にゼロ戦)薄すぎて破れた所から簡単に裂けたりしてたそう…
F6F「そうだろうか?」(1754km-増槽時2977km)P-39「ソ連で戦後にも採用してたほど大人気だし1000km行かない欧州が低レベルなだけ」P-47「ルフトバッフェぶちのめしたのも私なんだよなぁ」(2740km)P-51「軽快な運動性…私より1t軽いスピットファイヤにも聞かせてやって」
もっと言えば隼はF8Fをもしのぐ運動性を持ちハナから防弾もシッカリ考慮されている一方で零戦は防御を後から付け足したせいでF6Fにも格闘戦で負けてる結果三菱は戦後すぐに国産機(YS-11)や軍用機を作れたが中島(スバル)は自動車作ってるのに米軍の監視下でF-3でようやく携われた
@@呑龍ハルカ さんちなみに三菱はDD54で大しくじりやらかしてる。戦時中の戦闘機より遥かに長寿命の鉄道車両においてたった三年で代替機(DE50)開発を三菱以外に命じてるからね
日本帝国軍の兵器の名称にはセンスを感じます。といっても各国、唸るほど素晴らしい名称が多いですが。翔鶴、紫電改の名称は特に好きです。後独国の戦車は武骨でいいですねー。軍服も最高です。
五式戦はベースになった飛燕2型から最大速度が30キロ低下しています。
その代わり、(エンジン換装で軽くなった分)運動性能が向上し、使い勝手が良くなったらしい(あと、機体が頑丈だったので、急降下しても〝機体分解〟しにくかったとの事)。
雷電 紫電 月光飛燕 鍾馗 屠龍あ 六種か良く 特化して使ったもんだ 紫電改も疾風も 時はあれど誉エンジンが高性能かつ繊細過ぎて稼働率低し五色戦は飛燕の話であ 全部哀愁漂って 好き❤️です
3:36格闘戦重視自体は問題ないんだよね、スピットファイヤにyak-3、P-51がそれを証明してるソ連に於いてドイツ機の猛攻から潮目を変えたのも格闘戦に強いP-39だったしF6FやFM-2も格闘戦において零戦52丙型を凌駕し、マリアナ沖海戦で沈没艦ゼロを達成した事実がある
五式戦闘機はむしろクセがなく扱いやすい素直な操縦性だったと聞いたような
わし年寄りですが子どもの頃戦争物のマンガたくさんあったけど!紫電改のタカ、零戦太郎日の丸くん、ロボット三等兵など知ってる方いないですかね~
ゼロ戦隼人、あかつき戦闘隊、ゼロ戦黒雲隊、遊撃隊、勝新の兵隊やくざを昔ワクワクしながら見ました。😢
航空機戦争後(終わった時の数)7000台
ドイツのメッサーBf110に、陸軍はある意味あこがれを持ってたんだろうな…屠龍は武装を外した状態で空中一回転半とかをやってのける軽快さがあったとか。総じて日本の双発戦闘機は出力不足が仇となったけど、アルミやマグネシウムなどの金属加工技術やダーボ技術があったら評価が変わったと思う。
大日本帝国の航空搭乗員にもっと一撃離脱が得意な人員が多ければ鍾馗や雷電の戦果も上がったのだろうけど
五式戦闘機「飛燕」・・・V型12気筒エンジンなんて現在の「トヨタ」ですら一瞬しか造られませんでした。それをあの当時飛べるような飛行機を造ったなんて凄まじい技術力です。
俺はなんと言われても零式ゼロ戦が好きです😁
元が同じDB601だけど愛知はニードルベアリングを諦め使い慣れたケルメットにしたのに対し川崎は律義にベアリングを使いました。稼働率は愛知のアツタのほうがマシだったそうです。現存飛燕のベアリングを測定したら誤差は0.2mmもあったので使い物にならなかったのも当然。日本の敗戦は真空管とベアリングが主因。それが戦後はソニーやミネベアで両方とも世界一になったのも皮肉な話ですな。
DB601お詳しそうなので、伺います。イタリアではなぜ、MC202のエンジンにDB601のコピーができたのか、ご存じありませんか?当時の日本より、イタリアの方が工作レベルが高そうなのですが、そのあたりの背景などもご存じでしたら。
2:26対戦闘車両での成果は日本のがずっと上だったけどな当時のソ連戦車も九二式重機関銃(7.7mm)で撃ち抜かれるほど装甲ペラッペラでT-40水陸両用軽戦車では機関銃に撃ち抜かれない程度の装甲が求められてた
陸軍「鍾馗」や海軍「雷電」は、「旋回性能が悪い」からというより、回復不能な「水平スピン」に陥り易いから「思い切り操縦桿を引けない」ので忌避されたようです
鍾馗と5式戦が好き❤😊
日本陸軍も日本海軍も格闘戦を技量で好んだことが戦闘機の開発を腕としたことが戦闘機開発を代えた。GHQが来たとき日本軍の戦闘機を見て歎いたと資料を見てわかった。武器開発の思想が戦争を変えたと言える。親父に聞いた話では斥候体の分隊長として一式戦闘機を見て余りにも貧弱くな戦闘機と見えたと言っていた。
【九七式戦闘機】「軽快な旋回性能を持つことで」との説明ですが、あくまでも海外で同時期に出現した「単葉戦闘機」と比べてですね。純粋に旋回性能だけならば「複葉戦闘機」には敵わない。つまり此の機体が採用されたのは速度性能が一定水準に達したからですね。競作機の中で川崎キ28が速度性能で優位に立ったものの時速500kmには全然届かず、他の競作機と比べ大きな差が無いと判断され─水冷式エンジンの不調が多いこともあって─不採用となり、中島キ27(九七式戦闘機)に軍配が上がった。不採用となった川崎は悔しかったらしく、後に「旋回性能」に優れる新型「複葉戦闘機」を陸軍に提案するも却下された。このことからも日本陸軍航空隊は「格闘戦至上主義」だったという通説は見直した方が良いと思う。
陸軍は97戦のアトは3式戦を採用するつもりで1式戦は採用するつもりはなかった。と聞いていますが、
九七戦は究極の格闘戦闘機と言われるが、海軍の九六艦戦とともに陸海軍のパイロットに格闘戦偏重の考え方を植え付けたと言っていいだろう。ノモンハン事件で防弾装備がなかったことが、陸軍首脳部に防弾装備の重要性を感じさせている。鍾馗と雷電は格闘戦重視のパイロットからは嫌われた機体。どちらも爆撃機用のエンジンを搭載したことも共通してましたね。
赤松貞明「雷電いいなぁ!もうちっと燃料積めれば西郷なんだけどなぁ」
雷電の開発が無ければ、烈風の開発が間に合うケースもあったかもしれませんね。あとはハ43が……
口やかましい海軍側が口出ししすぎるがら、遅れに遅れて間に合わなかっただけだよ。
【五式戦闘機】「五式戦闘機」として制式採用された文書は発見されておらず、今のところは単に“キ100”と称するのが正しいようです。キ100に対する過大評価は、大元となったキ61(飛燕)の稼働率が日本軍用機の中で極端に悪かったこと。そして御多分に漏れず性能低下も著しく最大速度の実測値が540km程度になったと云われている。そういった理由でエンジン換装により誕生したキ100は当時の日本戦闘機が発揮できた性能水準に近づいたと言える。
五式戦を操縦した小林照彦244戦隊長の「絶対不敗」の言葉は「回避に徹すれば絶対に落とされない」の意味であり「絶対勝てる」を意味しません。米軍の主力機に対抗し得る、優秀な戦闘機ではありましたが、無敵ではありませんでした。戦時は過大な戦果報告により米軍を圧倒したようにとられることもありましたが、日米両軍の損害から、やや米軍側のほうが優勢だった、と見るのが妥当なようです。
私の書籍の中に五式戦の戦果が記録されており、F6F22機と五式戦8機の戦闘でF6F全機撃墜、五式戦被害無しと言う大戦果を挙げた記録も残っているとあり、この結果をみた244戦隊小林戦隊長がキ100を持ってすれば絶対不敗と書いてあります。ただ総生産数が378機では大局に寄与する事も無かったとも書いてあります。
鍾馗はベテランには嫌われましたが、比較的飛行時間が少ないパイロットは、なんなく乗りこなしてたそうですよ。雷電は、たしか空戦フラップは無かったはずで、振動問題はエンジンからプロペラを繋ぐ延長軸に問題があり、解決に手間取った挙げ句生産が遅れましたがね。戦後、雷電をテストした米軍は良好な結果を出しており、旧海軍が妙な言いがかりを言ってた印象です。
特別少年兵が鍾馗を易々と乗りこなすので佐官級以上の将校パイロットはバカにされていたそうです。また下士官クラスもこの鍾馗を乗りこなし隼にさえ手こずっていた戦隊長クラスをバカにしていたそうです。
五式戦は、敵機とドッグファイトしなかったのでしょうか?
しましたよ、私の持っている本の中にF6F22機と五式戦8機の闘いでF6F全機撃墜、五式戦被害無しと記載されております。
これ残念ながら誤報です。45年7月25日の八日市上空戦が誤って伝わったもの。戦後の確認によれば実際に戦ったのは第244戦隊の五式戦15機と米空母ベローウッドのVF-31のF6F 10機で、実際の損失は両軍2機ずつでした。22機撃墜を報じた日本側の戦果報告は残念ですが、米軍側も撃墜8撃墜不確実3撃破3、などと報じており、当時の戦果報告の精度は両軍概ねこんな感じ。かなり詳しく調査をされているブログがあり、陸軍第244戦隊HPから飛べますがドッグファイトはしていないようですね。この時期の空戦は両軍とも基本、一撃離脱でした。
うっ…頭に艦これが…っ!
2式は単座と複座が有るから2式単座戦闘機/2式複座戦闘機と呼称を分けている!
2式単座戦闘機って、平成になってから、ネット上だけで使われてる呼び方ですよ。
そんな事言ったらヘルキャットは、とんでもクセじゃないかって。重量が日本の艦爆並。
アイ16というかなあ?
エンジンの振動については、鹵獲した米軍が「特に問題なし」との記載を読んだことがあります。日本パイロットは文句が多いのでは?
「クセが強い」という表現からはキ27やキ100は該当しないと思うぞ。飛行特性は非常に素直でパイロットからも好評だったからな。
鍾馗は欧米では当たり前になっていた一撃離脱戦法を重視した戦闘機であったので格闘戦重視の日本軍には合わなかったろうなぁ。癖が強いというより欧米の戦術を取り入れたから日本では熟知するパイロットしか使いこなせなかったという事では?、と、思うんですが。それを知ってたのが糸川先生だけだったのかも。上層部も一部のパイロットも判ってたけど一般のパイロットはそれを意識していなかった、格闘戦ってエネルギーを著しく失う行為だし、戦は一瞬で決まる、先に発見優位な位置から攻撃する、これは欧米のパイロットも同じだった様だし。
逆にベテランほど嫌い若手の方が鍾馗を歓迎していて易々と乗りこなしていました。戦後に書かれた吉谷和典氏の「すかたん電車」によるとベテラン運転手ほど1500〜1800、900や2600と言った旧性能車を好んだのですが、吉谷氏の様な若手は最新鋭の3001型を乗りこなし、四つ橋線をぶっ飛ばして地下鉄御堂筋線より早く着いただのベテランの乗る旧性能車を煽りまくっただのあったくらい。
加藤隼隊の一員の檜さんは加藤隊長が戦死した後も隼戦闘機に乗り続け欧米の特にドイツのロッテ戦法や一撃離脱を採用してます。あの隼戦闘機で急降下から一撃離脱をやる程の名手だったとか。 後に撃墜され片足失っても今度は五式戦闘機に乗ってます。
@@ahawaha2400檜垣さんでなく、檜與平さんでは?間違ってたら、すみません。
@@aterui802 そうみたいです。ご指摘ありがとうございます。
バックの音楽の英語?と混ざって混乱してナレーションが頭に入りません💦いつも大体最後まで拝聴できず、私達夫婦の中で最後までナレーション聞けたら勝ち、というゲームが流行っています。笑今日も負けました😂
ライデンはなぁ、機体設計理論が外れまくった設計だから、せめて表面層流とかプロペラ後流とか。五式戦は、元の機体の三式戦のDB601のデッドコピーエンジンを見切りをつけて空冷化してたら、3年くらい早く正式化されてたらの機体ですね。
直径の大きな火星エンジンで、600km/h出そうとしたんですよ。設計理論もなにもあったもんじゃないですよ。キ61は空冷エンジンを使うために設計されているのに、昭和18年時点で空冷化の検討は、あり得ません。機体だけが完成して、エンジンができてない「首なし飛燕」が工場の外にまで並ぶことになったから、空冷化したまでです。
まぁ雷電はその名の通り局地戦闘機ですからね。にしてももう少し燃料詰めればね
「屠龍」・・懐かしい。おいらの先生、陸軍で「屠龍」に乗っていたらしい。初飛行から17時間で「変態」、違った「編隊」ができたとのこと。ほうれん草だ。「甜菜」だ。天才か。また陸軍の割にスマートだった。うまかったけどなぁ~。。。ラーメンじゃないよ。スキルのこと。例えば小指一本(ステアリング・ホイール)で「ケーキ」も見ずに、違った、外だけ見て急旋回。一周回って「ケーブル」・・また違った・・「コード」・・「高度計」の針がピクリともしなかった。一周回ったところでガクンと自分の「屁」にはいる。また海の上200ft以下(内緒)で背面飛行。波がすごい勢いで動く。160ktsくらいだったと思う。「キャノピー」はなかったが上に窓があったのでよく見えた。飛行機って速いんだな。ジェットと違ってレシプロ・エンジンではプロペラ・トルクがあり、さらにパワーがジェットエンジンに比べ劣っているので低高度での背面飛行は難しい。当然システムはドライ・サンプ方式。昔の人はすごかった。なんで米国に負けたのかなぁと思う今日この頃。
海軍機と陸軍機を足して二で割る航空機が出なかったことが残念。一例は防弾鋼板。海軍は基本無視、陸軍機はある程度考慮していたからこれでけでも大きな違い
欧米の戦闘機に比べると癖強くないと思うけどな〜
観れば見るほど勝機の薄い戦いでしたね
ハッキリ言ってどれもクセは強いと思う!
Iー16はアイ16じゃなくイー16だねえ。
屠龍と言ったら斜め銃でしょ.......
正確にいうと上向き砲。
🌸🇯🇵🇮🇶
どんなに「クセが強」くても侵略戦争ではしょうもない。
五式戦はうーん……結果的に軽戦闘機になって相手の意表を突けたから結果を出せたし、末期だからそのまま終戦になってスコアを残せた機体と言うイメージなんだけどなぁ。結局、重戦闘機と軽戦闘機の戦いってジャンケンみたいなもんで。
クセが強いって表現はあんまり良くないかも
「おぶ」じゃない。
キ100の機首は 体はスリムなのに胸が大きい女性の脇の下 のように見える?
説明長すぎ
癖が強い戦闘機にあの『震電』が無いのは納得出来ない。カシラに『正式採用された』とか『大量生産された』とか『配備された』と有るなら分かるが。あの『震電』の癖の強さは5選の戦闘機の欠点なんて目じゃ無い。ついでに癖が強すぎてベテランですら乗りこなすのが難しかったのが、水上戦闘機だが川西『強風』。カウンタートルクで左右どちらだったか忘れたが引っ張られるので離着陸が難しかったそうです。 後に陸上機に設計変更して発動機をあの(開発中の実験機を軍部が無理やり実用化を急がせ数々のテストをすっ飛ばし現場で過大な負担を強いた)『誉』に換装したのが『紫電』。
インターセプターのリソースはキ44に集中すべきでした。J2Mは要らない子。
迎撃戦闘機を陸海軍で共同使用する発想があれば、もう少しマシな戦いが出来たかもしれませんね。
キー44はエンジン不調が酷く、12・7ミリ機銃4の固定武装では無理ゲー。
海軍型には20mmが積まれますから大丈夫!!エンジントラブルも延長軸がないし、解決するよね!!寧ろ誉搭載のⅢ型が実用化されるかもね!!
@@理重蒔田 ハ41やハ109は、寿エンジンの14気筒版故に故障頻発だから無理。しかもⅢ型はエンジンがキー84と同系統のエンジンだから、キー84でよくね?という結論になる。
昭和14年時点でキ44は存在しないし、海軍の要求するスペックには、キ44では不足では?キ44は迎撃機という発想で開発してないし。
なかしま
今となってはどうでもいい話だ
何をもってクセ(英語でいえばDirtyかな)が強いというのか、ちゃんと考えず、適当なことを言ってるいい加減な内容。一つ上げれば、雷電の失速特性。なんの兆候もみせずにスポンと入るくせに失速警報器なしだからこまったもんだ。
ほう、ここにも自称専門家(笑)がいましたか
@@明石則実 / なんせここは娯楽の場なんだよん。でも、一応は有資格の航空従事者なもんで・・・。いじるだけならなんとでも。で、あなたのご感想は如何?
正直過去に見たこのチャンネル、あんまり納得いかないところが多いんですよ。
震電を知らずにそっくりなレシプロ最速機は作られたww
いやいやいや(笑)欠陥機零戦と振動発生装置付きの雷電と下駄履き改造の紫電改、屠竜の真似の月光、このクセのある飛行機に勝るものはないで。空中分解する強度、防弾装備なし、当たらない弾数少ない20ミリ、航続距離の長さすらパイロットからしたら欠陥の零戦、二式単座戦闘機で充分やのに無理から作った雷電、四式戦を共同で使えばエエのに下駄履き改造してまた無理から作った紫電改、月光もいらんよな(笑)海軍はクセというより無駄遣いのオンパレード。足を引っ張り早く終戦させたかったんやろな。
ゲームで戦闘機のスペックを知ったクチですか?開発秘話が文庫本でたくさん出てるから、読んだ方がいいですよ。
@@けん-b5o ゲーム?おっさんはゲームを知りません(笑)。本やインターネット、当時整備やパイロットしてた人の話から事情をコメントしてるんよ。零戦は決して傑作機ではなく、欠陥機でした。
一応海軍も疾風を試験してますよ。
父は電信兵で大村航空隊で雷電を見たと言ってました。
熊ん蜂みたいな形でキ〜ンと唸りにら急角度で上昇していたのが記憶に残っていると言ってました。
紫電改や零戦もいたが雷電は強く印象に残っていたとか。
その金属音は強制冷却ファンの回転音ですネ❕
雷電のフォルムは格好いい美しい
格好いいですよね。
機首を火星エンジンの太さのまま、尾翼まで絞っていくと、ゼロ戦そっくりになります。
堀越技師のデザインアイデンティティですね。
赤松中尉の愛機ですね🎵
「あのね、メッサーシュミットなの。寝ても覚めてもメッサーシュミットなの。」
糸川英夫博士が鍾馗の開発時を振り返ってのコメント
そしてメッサーシュミット完全に超えてるオチ
4分30秒で5000mとかマーリンどころかグリフォンエンジンでやっと相手になるレベル
アリソンエンジン搭載のP-51Aに至っては「鍾馗に勝てる要素無いじゃないですか」って匙投げてる
クセが強いというのが面白くて最高🤗 鍾馗は好きです。👌
五式はバランスが最高だったようで正しく苦肉の策から生まれた傑作機だと思います。零戦も好きですが五式は最後の傑作機なので大好きです。💮
たしかに、クセが強さで考えると、鍾馗が浮かびますね
「五式戦闘機をもってすれば絶対不敗」は名言😊P51相手でも恐るに足らず💯
屠龍、好きです。何より名称がカッコいい!
まさにドラゴンスレイヤー。
生まれて初めて一人で作ったプラモデルが鍾馗でした。プラモデル屋に父と一緒に行って自分で選んだと記憶しています。
どうして人気の零戦ではなくて、鍾馗だったのか、今もって理解不能です。小2の自分には零戦と区別がつかなかったのかもしれません。一生忘れられない機体です。
続けての投稿ありがとうございます。今回も楽しめました。次回投稿楽しみに待ってます。
鍾馗、雷電、五式戦、全部私の好きな戦闘機ばかり。トップが柔軟な考え方で、適材適所な運用をしていたからなぁ。歴史にタラレバはないが、もしもと思ってしまう。戦後鹵獲された日本の戦闘機が、極めて優秀な性能を発揮したのは愉快ですね。
航空総監の安田中将が柔軟な思考をする閣下だった様ですね。
松本零士氏の父、松本強氏は兵卒から少佐にまでなったとんでもない人物で、川崎航空機明石工場のテストパイロットもつとめていた超ベテランでしたが、幹候生あがりが(普通は大尉で予備役)少佐になったからか米軍の上陸が必至のフィリピンで練習飛行隊の隊長になってしまいます。その部隊には隊長と教官以外はヒヨコばかり、飛行機も2機の屠龍以外は九七式という部隊でしたが、松本少佐はみずから屠龍の操縦桿を握り、部隊がシンガポールに撤退するまで屠龍でF6F相手に立ち回ったそうです。おそらく川崎航空機のテストパイロット時代に、相当な時間乗っていたのではないでしょうか
二式単戦は一見不細工だけど、じっくり見ると美しく見えてくる。美しい戦闘機はもれなく強い。
米軍の呼称はTOJO
少なくとも、昭和の頃は二式単戦とは言わなかった。
鍾馗は二式戦闘機で、屠竜は二式複座戦闘機。
はっきり言いましょう。二式単戦と言うのは誤りです。
投稿お疲れ様です♪
飛燕の工場に四人しかいない、フルカン継手(フルードカップリング)の調整担当が、「招集されて南方の飛行場にいて、偶然来た飛燕を調整し、快調になった」と昔の「丸」に手記がありました。
五式戦闘機は、エンジンを空冷にして、普通の整備が出来る、普通の戦闘機になったと思いますね。機体は頑丈で急降下の制限なしでしたし。当方、土井技師(教授)に材料力学を学びました。
追記すると、飛燕、五式の機体は、製造しやすい構造でした。複雑なのはエンジンと過給機などパワープラントだけです。だから、昭和19年なのに機体は順調に製造されて、エンジンなし=首なしが数百も発生しました。
なんか戦後、機体を分解して廃棄するのに、頑丈すぎて非常に難儀したらしいですねw
そりゃ三式戦がダイブ性能良かったのも頷けます
@@bio-cancer1903 主翼が左右一本桁のままで製作されており、そのままで前後に位置を調整出来たので、空冷水冷エンジンの換装が容易だったとのこと。しかも強度テストでは16Gに耐え、テストを中止したほどです。しかし各務原の博物館に有る三式戦は、以前の仮保管時、長すぎると主翼を切断してしまったとのこと。馬鹿ですよ。
@@bio-cancer1903
今の岐阜の飛行場の博物館の飛燕は、その前に「一時保管倉庫に入れるときに、左右一体の主翼桁を、長すぎるち切断してしまった」とのこと。唯一日本に有る機体はもう二度と飛行することは出来ません。
静的テストで16G掛けても壊れなかった、頑丈な主翼が・・・・・涙
97戦についてはノモンハン事件でのI-16の戦術転換は防弾鋼板が重く操縦桿を一杯に引いていないと水平飛行もままならなくなり急降下で一撃を加えて離脱するしか無かった為です
雷電の振動問題は原因がプロペラの強度不足で究明に時間はかかりましたが判明後は収まってますよ
雷電の振動問題・・・根本は星形大出力エンジンの振動とプロペラの共振です。本来はエンジン側で解決すべき問題で、米国は解決していた。雷電や彩雲(この機体でも振動問題が起きた)ペラの剛性を高めて共振が実用回転域で起きないように対策した。副作用はプロペラ効率の低下だった。
クセが強い戦闘機って必ずしも悪い戦闘機と言う事でも無いと思う。
対地攻撃で戦果を挙げたイギリスのタイフーンや当初は艦上機として運用できなかったF4Uコルセアもクセが強い戦闘機だよな。
ドイツのジェット戦闘機のMe262だってクセがあるし、Me163にいたってはもうクセの塊。
兵器として見るならば単にカタログスペックだけでなく運用方法も重要だよな。
Me163は内外共に酷い評価だったけどねw
そりゃあ減速できないロケットで流鏑馬の数倍はあろうかって速度差で爆撃機に迫り(当然ほとんど当たらない)
燃料切れで滑空してるところを倒すだけの簡単なお仕事、燃料が危険すぎて都市部近辺の空港に配置できず
ちょっとルートから逸れれば航続距離が足らず防空にも使えない、あの桜花よりもひどい評価
とてもおもしろかつたです。
先年に亡くなった父親が1回だけ雷電が飛んでるのを間近で見たそうです。
音がブーンでなくカッカカカだったそうです。
屠龍は組み合わせ次第かと
対爆撃機に効果あるなら
敵護衛機を引き付ける
疾風などと連動すれば
良いだけ
迎撃機、一撃離脱機の
方が好きですね。
慣れと習熟ですが
プロペラ、
点火プラグ、高オクタン燃料
航空オイル( ´Д`)=3
制約されないものは
どうしようもない😅
大正から敗戦まで陸軍で設計図を入れて二百種、海軍も同じく設計図入れて百二十種の航空機が計画開発製造されました。こで挙げられた戦闘機以外にも色々な航空機があり当時の日本軍がどれだけ航空機を重視していたかわかります。決して前近代的な軍隊ではなかったです。
タイトルで真っ先に雷電が思い浮かんだw
飛燕も来るかなと思ったら五式戦だったw
97式戦は確かに日本を旋回戦至上主義に持ち込んだという意味でクセつよですね
昔のゲーム「空運大戦略」(システムソフト)で鍾馗の有効さに気づいたw
中国大陸で二式単戦鍾馗と対戦したブラウン中尉は「敵機はすごく高速でP40の上を悠々と回っていた、射撃の腕が悪かったから助かった」と報告。ドイツ人操縦士シュティーアは「この飛行機を乗りこなせれば日本は世界一になるだろう」と称賛している
アメリカの調査部隊も「日本最高のインターセプター、なんでもっと量産しないのか不思議」って報告上げてますしね…
翼面荷重の大きい鍾馗は沈下率が高く軽戦闘(隼)に慣れた日本人パイロットには乗りこなすが困難だった。 技量の問題。
ドイツ人パイロットが言った言葉はドイツ機が翼面荷重が重い機体が多くそれで当然の教育を受けてた。
一撃離脱の戦闘方法。
欧米機は皆日本機に比べ翼面荷重が高い。
@@暇時郎戯言翁 なので隼や97戦に慣れたベテランは「難しい、危険」と不評だったけど
隼や97戦のクセが付いていない新人は普通に乗りこなしてしまったという話も…
翼面荷重の大きい鍾馗でも欧米基準だとグラマン相手に巴戦出来る位空戦性能があってそこそこ早い厄介な相手って認識だったらしいですね
三式戦飛燕と五式戦の登場が逆だったら、一式戦隼の生産を早めに終了し、余裕を持って四式戦疾風にバトンを渡せたかもしれない。質の良い誉エンジンを積んだ四式戦は間違いなく強い戦闘機。
それくらい五式戦はもしも?を捗らせる戦闘機。兵器は信頼性が大事。
ところで二式単戦鍾馗は実機が世界中のどこにも残ってないそうですね。
昔の航空ファンに雷電の本があり、米国でのテストで評価は良かったようで、コメントに「多少視界は悪いが四式戦ほどではない」って書いてあつた
日本では視界不良の代名詞の様に雷電が書かれているが、四式戦、P-51、フォッケウルフ後期型、イタリアの戦闘機 見るからにロングノーズなのに視界不良の事触れていない?
何でだろう?
イタリアのマッキ戦闘機は前方視界が悪く、後期型のドイツ製20ミリ装備型はパイロットが旋回性能の良さを頼りに勘で打ちまくったとか…
鍾馗と雷電はアメリカ人が好きそうな機体性能とフォルムだと思う
キ100五式戦はクセが強いというよりも、エンジン換装によってまともに戦える機体になったというイメージ。ベースのキ61飛燕は元々の素性は良かったのだが液冷エンジに泣かされ、むしろ日本機離れした流麗なスタイルも含め飛燕のほうがクセが強いような気がする。
三式戦は、DB 601エンジン自体のが悪いのではなく、陸軍が材料指定でベアリングのニッケルをケチれと言う指令を出したおかげで駄作機になっただけですわ。
同じくDB601系列の海軍のアツタエンジンでは、あまり問題が出ませんでしたし…
@@日野四十朗
アツタもハ40・ハ140よりマシだったという程度。ロッドの精度が悪いからじゃないかな?でなければ彗星を金星エンジンに乗せ換えない。
(五式戦と全く同じエンジンだというのも面白いし、金星6X(ハ112Ⅱ)搭載機が570~580km/h最高速度で揃うのも面白いけどねw)
@@jimmy-qu7tj 結果零戦も金星搭載機が登場したからむしろ全力で金星を作るべきだったのではないかとw
@@日野四十朗さん
但しここで酷い苦労をしたことが後年DD51の開発に生きている。
逆に金星シリーズで成功していた三菱はDD54と言うとんでもないババを掴まされて国鉄から一般には売れもしないタイプの高速バスを買い叩かれて大損こいてるからね。
まあ国鉄専用高速バスはDD54でしくじり、江川卓事件で大手私鉄全てから出禁食らった(京阪、京成、京急は元々取引が無かった)結果頭取が国鉄に泣きついたのもあるけどね。
イタリアがドイツのDBエンジンのライセンス生産許可を得て生産したが不具合が多く、結局ドイツから輸入したと。
雷電の振動問題はエンジンを機体中央部に寄せたからではなく、機首の巨大な4翔プロペラを回すにはプロペラシャフトが長くなり過ぎたからだ
雷電を乗りこなした赤松さんはやっぱりおかしい
アメリカ軍が接収した後に試験したが、全然違和感無く使い易い戦闘機だったとレポートしてる。
@@ahawaha2400 あれ?雷電って暴れ馬って言われてて事故るって言われて気がするんだけど.....なんでだ?
@@KAITOgarerianそれはね、雷電に乗る人は大概零戦から機種転換してるので操縦のクセが違うのでそれで事故が起きてますね
@@カリウス-w5x なるほど。そういう事か。ありがとう
視界が悪いのと、着陸速度が速くて扱いにくかったと聞いてます。
陸軍が軽戦重視から重戦重視へ思想転換したのは、昭和16年に行われたBf109との模擬空戦の結果が大きいと言われている様です。
Bf109相手に97戦では負けないまでも追い付けないので攻撃が出来ない、が、キ44試作機ならば攻撃されても振り切れるし逃げられても追い付けるので攻撃も可能という現実があり、模擬空戦後に行われた実戦経験豊富な搭乗員達による研究会で「今後の空戦はいかに速く攻撃出来る位置に占位出来るかが重要になる」という報告がされた事で陸軍は重戦重視に方向転換したと、現在読んでいる「戦闘機「飛燕」技術開発の戦い」という本に書かれていました。
五式戦を語るならFw190を参考にしたことは出して欲しいね。
あちらも液例エンジンをBf109に取られて無理やり空冷エンジンを積まされた機体。
五式戦に改造する際、非常に参考になっている。
欧州の戦闘機なんて航続距離が700km弱だから、日本の戦闘機の足の長さが異常なだけ
あと、多数入り乱れる乱戦ではどうやったって一斉射を受けるから、防御力は必要だわ。
軽快な運動性なんて装甲の薄さからくるもので、一斉射で撃墜確実だ。
装甲もあるけど外板を厚くして強度を確保したグラマンとかは下手な弾だと表面で爆発するだけでケロっとしてたなんてのもありましたな
日本機は(特にゼロ戦)薄すぎて破れた所から簡単に裂けたりしてたそう…
F6F「そうだろうか?」(1754km-増槽時2977km)
P-39「ソ連で戦後にも採用してたほど大人気だし1000km行かない欧州が低レベルなだけ」
P-47「ルフトバッフェぶちのめしたのも私なんだよなぁ」(2740km)
P-51「軽快な運動性…私より1t軽いスピットファイヤにも聞かせてやって」
もっと言えば隼はF8Fをもしのぐ運動性を持ちハナから防弾もシッカリ考慮されている
一方で零戦は防御を後から付け足したせいでF6Fにも格闘戦で負けてる
結果三菱は戦後すぐに国産機(YS-11)や軍用機を作れたが中島(スバル)は自動車作ってるのに米軍の監視下でF-3でようやく携われた
@@呑龍ハルカ さん
ちなみに三菱はDD54で大しくじりやらかしてる。
戦時中の戦闘機より遥かに長寿命の鉄道車両においてたった三年で代替機(DE50)開発を三菱以外に命じてるからね
日本帝国軍の兵器の名称にはセンスを感じます。といっても各国、唸るほど素晴らしい名称が多いですが。
翔鶴、紫電改の名称は特に好きです。後独国の戦車は武骨でいいですねー。軍服も最高です。
五式戦はベースになった飛燕2型から最大速度が30キロ低下しています。
その代わり、(エンジン換装で軽くなった分)運動性能が向上し、使い勝手が良くなったらしい(あと、機体が頑丈だったので、急降下しても〝機体分解〟しにくかったとの事)。
雷電 紫電 月光
飛燕 鍾馗 屠龍
あ 六種か
良く 特化して使ったもんだ
紫電改も疾風も 時はあれど誉エンジンが高性能かつ繊細過ぎて稼働率低し
五色戦は飛燕の話で
あ 全部哀愁漂って 好き❤️です
3:36
格闘戦重視自体は問題ないんだよね、スピットファイヤにyak-3、P-51がそれを証明してる
ソ連に於いてドイツ機の猛攻から潮目を変えたのも格闘戦に強いP-39だったし
F6FやFM-2も格闘戦において零戦52丙型を凌駕し、マリアナ沖海戦で沈没艦ゼロを達成した事実がある
五式戦闘機はむしろクセがなく扱いやすい素直な操縦性だったと聞いたような
わし年寄りですが子どもの頃戦争物のマンガたくさんあったけど!紫電改のタカ、零戦太郎日の丸くん、ロボット三等兵など知ってる方いないですかね~
ゼロ戦隼人、あかつき戦闘隊、ゼロ戦黒雲隊、遊撃隊、勝新の兵隊やくざを昔ワクワクしながら見ました。😢
航空機戦争後(終わった時の数)7000台
ドイツのメッサーBf110に、陸軍はある意味あこがれを持ってたんだろうな…
屠龍は武装を外した状態で空中一回転半とかをやってのける軽快さがあったとか。総じて日本の双発戦闘機は出力不足が仇となったけど、アルミやマグネシウムなどの金属加工技術やダーボ技術があったら評価が変わったと思う。
大日本帝国の航空搭乗員にもっと一撃離脱が得意な人員が多ければ鍾馗や雷電の戦果も上がったのだろうけど
五式戦闘機「飛燕」・・・V型12気筒エンジンなんて現在の「トヨタ」ですら一瞬しか造られませんでした。それをあの当時飛べるような飛行機を造ったなんて凄まじい技術力です。
俺はなんと言われても零式ゼロ戦が好きです😁
元が同じDB601だけど愛知はニードルベアリングを諦め使い慣れたケルメットにしたのに対し川崎は律義にベアリングを使いました。稼働率は愛知のアツタのほうがマシだったそうです。現存飛燕のベアリングを測定したら誤差は0.2mmもあったので使い物にならなかったのも当然。日本の敗戦は真空管とベアリングが主因。それが戦後はソニーやミネベアで両方とも世界一になったのも皮肉な話ですな。
DB601お詳しそうなので、伺います。イタリアではなぜ、MC202のエンジンにDB601のコピーができたのか、ご存じありませんか?
当時の日本より、イタリアの方が工作レベルが高そうなのですが、そのあたりの背景などもご存じでしたら。
2:26
対戦闘車両での成果は日本のがずっと上だったけどな
当時のソ連戦車も九二式重機関銃(7.7mm)で撃ち抜かれるほど装甲ペラッペラで
T-40水陸両用軽戦車では機関銃に撃ち抜かれない程度の装甲が求められてた
陸軍「鍾馗」や海軍「雷電」は、「旋回性能が悪い」からというより、回復不能な「水平スピン」に陥り易いから「思い切り操縦桿を引けない」ので忌避されたようです
鍾馗と5式戦が好き❤😊
日本陸軍も日本海軍も格闘戦を技量で好んだことが戦闘機の開発を腕としたことが戦闘機開発を代えた。GHQが来たとき日本軍の戦闘機を見て歎いたと資料を見てわかった。武器開発の思想が戦争を変えたと言える。親父に聞いた話では斥候体の分隊長として一式戦闘機を見て余りにも貧弱くな戦闘機と見えたと言っていた。
【九七式戦闘機】
「軽快な旋回性能を持つことで」との説明ですが、あくまでも海外で同時期に出現した「単葉戦闘機」と比べてですね。純粋に旋回性能だけならば「複葉戦闘機」には敵わない。つまり此の機体が採用されたのは速度性能が一定水準に達したからですね。競作機の中で川崎キ28が速度性能で優位に立ったものの時速500kmには全然届かず、他の競作機と比べ大きな差が無いと判断され─水冷式エンジンの不調が多いこともあって─不採用となり、中島キ27(九七式戦闘機)に軍配が上がった。
不採用となった川崎は悔しかったらしく、後に「旋回性能」に優れる新型「複葉戦闘機」を陸軍に提案するも却下された。このことからも日本陸軍航空隊は「格闘戦至上主義」だったという通説は見直した方が良いと思う。
陸軍は97戦のアトは3式戦を採用するつもりで1式戦は採用するつもりはなかった。と
聞いていますが、
九七戦は究極の格闘戦闘機と言われるが、海軍の九六艦戦とともに陸海軍のパイロットに格闘戦偏重の考え方を植え付けたと言っていいだろう。ノモンハン事件で防弾装備がなかったことが、陸軍首脳部に防弾装備の重要性を感じさせている。鍾馗と雷電は格闘戦重視のパイロットからは嫌われた機体。どちらも爆撃機用のエンジンを搭載したことも共通してましたね。
赤松貞明「雷電いいなぁ!もうちっと燃料積めれば西郷なんだけどなぁ」
雷電の開発が無ければ、烈風の開発が間に合うケースもあったかもしれませんね。あとはハ43が……
口やかましい海軍側が口出ししすぎるがら、遅
れに遅れて間に合わなかっただけだよ。
【五式戦闘機】
「五式戦闘機」として制式採用された文書は発見されておらず、今のところは単に“キ100”と称するのが正しいようです。
キ100に対する過大評価は、大元となったキ61(飛燕)の稼働率が日本軍用機の中で極端に悪かったこと。そして御多分に漏れず性能低下も著しく最大速度の実測値が540km程度になったと云われている。そういった理由でエンジン換装により誕生したキ100は当時の日本戦闘機が発揮できた性能水準に近づいたと言える。
五式戦を操縦した小林照彦244戦隊長の「絶対不敗」の言葉は「回避に徹すれば絶対に落とされない」の意味であり「絶対勝てる」を意味しません。
米軍の主力機に対抗し得る、優秀な戦闘機ではありましたが、無敵ではありませんでした。
戦時は過大な戦果報告により米軍を圧倒したようにとられることもありましたが、日米両軍の損害から、やや米軍側のほうが優勢だった、と見るのが妥当なようです。
私の書籍の中に五式戦の戦果が記録されており、F6F22機と五式戦8機の戦闘でF6F全機撃墜、五式戦被害無しと言う大戦果を挙げた記録も残っているとあり、この結果をみた
244戦隊小林戦隊長がキ100を持ってすれば絶対不敗と書いてあります。ただ総生産数が378機では大局に寄与する事も無かったとも書いてあります。
鍾馗はベテランには嫌われましたが、比較的飛行時間が少ないパイロットは、なんなく乗りこなしてたそうですよ。
雷電は、たしか空戦フラップは無かったはずで、振動問題はエンジンからプロペラを繋ぐ延長軸に問題があり、解決に手間取った挙げ句生産が遅れましたがね。
戦後、雷電をテストした米軍は良好な結果を出しており、旧海軍が妙な言いがかりを言ってた印象です。
特別少年兵が鍾馗を易々と乗りこなすので佐官級以上の将校パイロットはバカにされていたそうです。
また下士官クラスもこの鍾馗を乗りこなし
隼にさえ手こずっていた戦隊長クラスをバカにしていたそうです。
五式戦は、敵機とドッグファイトしなかったのでしょうか?
しましたよ、私の持っている本の中にF6F22機と五式戦8機の闘いでF6F全機撃墜、五式戦被害無しと記載されております。
これ残念ながら誤報です。45年7月25日の八日市上空戦が誤って伝わったもの。戦後の確認によれば実際に戦ったのは第244戦隊の五式戦15機と米空母ベローウッドのVF-31のF6F 10機で、実際の損失は両軍2機ずつでした。22機撃墜を報じた日本側の戦果報告は残念ですが、米軍側も撃墜8撃墜不確実3撃破3、などと報じており、当時の戦果報告の精度は両軍概ねこんな感じ。かなり詳しく調査をされているブログがあり、陸軍第244戦隊HPから飛べますがドッグファイトはしていないようですね。この時期の空戦は両軍とも基本、一撃離脱でした。
うっ…頭に艦これが…っ!
2式は単座と複座が有るから2式単座戦闘機/2式複座戦闘機と呼称を分けている!
2式単座戦闘機って、平成になってから、ネット上だけで使われてる呼び方ですよ。
そんな事言ったらヘルキャットは、とんでもクセじゃないかって。重量が日本の艦爆並。
アイ16というかなあ?
エンジンの振動については、鹵獲した米軍が「特に問題なし」との記載を読んだことがあります。日本パイロットは文句が多いのでは?
「クセが強い」という表現からはキ27やキ100は該当しないと思うぞ。飛行特性は非常に素直でパイロットからも好評だったからな。
鍾馗は欧米では当たり前になっていた一撃離脱戦法を重視した戦闘機であったので格闘戦重視の日本軍には合わなかったろうなぁ。
癖が強いというより欧米の戦術を取り入れたから日本では熟知するパイロットしか使いこなせなかったという事では?、と、思うんですが。
それを知ってたのが糸川先生だけだったのかも。上層部も一部のパイロットも判ってたけど一般のパイロットはそれを意識していなかった、
格闘戦ってエネルギーを著しく失う行為だし、戦は一瞬で決まる、先に発見優位な位置から攻撃する、これは欧米のパイロットも同じだった様だし。
逆にベテランほど嫌い若手の方が鍾馗を歓迎していて易々と乗りこなしていました。
戦後に書かれた吉谷和典氏の「すかたん電車」によると
ベテラン運転手ほど1500〜1800、900や2600と言った旧性能車を好んだのですが、吉谷氏の様な若手は最新鋭の3001型を乗りこなし、四つ橋線をぶっ飛ばして地下鉄御堂筋線より早く着いただのベテランの乗る旧性能車を煽りまくっただのあったくらい。
加藤隼隊の一員の檜さんは加藤隊長が戦死した後も隼戦闘機に乗り続け欧米の特にドイツのロッテ戦法や一撃離脱を採用してます。あの隼戦闘機で急降下から一撃離脱をやる程の名手だったとか。
後に撃墜され片足失っても今度は五式戦闘機に乗ってます。
@@ahawaha2400檜垣さんでなく、檜與平さんでは?
間違ってたら、すみません。
@@aterui802 そうみたいです。ご指摘ありがとうございます。
バックの音楽の英語?と混ざって混乱してナレーションが頭に入りません💦いつも大体最後まで拝聴できず、私達夫婦の中で最後までナレーション聞けたら勝ち、というゲームが流行っています。笑
今日も負けました😂
ライデンはなぁ、機体設計理論が外れまくった設計だから、せめて表面層流とかプロペラ後流とか。
五式戦は、元の機体の三式戦のDB601のデッドコピーエンジンを見切りをつけて空冷化してたら、3年くらい早く正式化されてたらの機体ですね。
直径の大きな火星エンジンで、600km/h出そうとしたんですよ。設計理論もなにもあったもんじゃないですよ。
キ61は空冷エンジンを使うために設計されているのに、昭和18年時点で空冷化の検討は、あり得ません。
機体だけが完成して、エンジンができてない「首なし飛燕」が工場の外にまで並ぶことになったから、空冷化したまでです。
まぁ雷電はその名の通り局地戦闘機ですからね。
にしてももう少し燃料詰めればね
「屠龍」・・懐かしい。おいらの先生、陸軍で「屠龍」に乗っていたらしい。初飛行から17時間で「変態」、違った「編隊」ができたとのこと。ほうれん草だ。「甜菜」だ。天才か。
また陸軍の割にスマートだった。うまかったけどなぁ~。。。ラーメンじゃないよ。スキルのこと。例えば小指一本(ステアリング・ホイール)で「ケーキ」も見ずに、違った、外だけ見て急旋回。一周回って「ケーブル」・・また違った・・「コード」・・「高度計」の針がピクリともしなかった。一周回ったところでガクンと自分の「屁」にはいる。また海の上200ft以下(内緒)で背面飛行。波がすごい勢いで動く。160ktsくらいだったと思う。「キャノピー」はなかったが上に窓があったのでよく見えた。飛行機って速いんだな。ジェットと違ってレシプロ・エンジンではプロペラ・トルクがあり、さらにパワーがジェットエンジンに比べ劣っているので低高度での背面飛行は難しい。当然システムはドライ・サンプ方式。昔の人はすごかった。なんで米国に負けたのかなぁと思う今日この頃。
海軍機と陸軍機を足して二で割る航空機が出なかったことが残念。一例は防弾鋼板。海軍は基本無視、陸軍機はある程度考慮していたからこれでけでも大きな違い
欧米の戦闘機に比べると癖強くないと思うけどな〜
観れば見るほど勝機の薄い戦いでしたね
ハッキリ言ってどれもクセは強いと思う!
Iー16はアイ16じゃなくイー16だねえ。
屠龍と言ったら斜め銃でしょ.......
正確にいうと上向き砲。
🌸🇯🇵🇮🇶
どんなに「クセが強」くても侵略戦争ではしょうもない。
五式戦はうーん……結果的に軽戦闘機になって相手の意表を突けたから結果を出せたし、末期だからそのまま終戦になってスコアを残せた機体と言うイメージなんだけどなぁ。
結局、重戦闘機と軽戦闘機の戦いってジャンケンみたいなもんで。
クセが強いって表現はあんまり良くないかも
「おぶ」じゃない。
キ100の機首は 体はスリムなのに胸が大きい女性の脇の下 のように見える?
説明長すぎ
癖が強い戦闘機にあの『震電』が無いのは納得出来ない。
カシラに『正式採用された』とか『大量生産された』とか『配備された』と有るなら分かるが。
あの『震電』の癖の強さは5選の戦闘機の欠点なんて目じゃ無い。
ついでに癖が強すぎてベテランですら乗りこなすのが難しかったのが、水上戦闘機だが川西『強風』。カウンタートルクで左右どちらだったか忘れたが引っ張られるので離着陸が難しかったそうです。
後に陸上機に設計変更して発動機をあの(開発中の実験機を軍部が無理やり実用化を急がせ数々のテストをすっ飛ばし現場で過大な負担を強いた)『誉』に換装したのが『紫電』。
インターセプターのリソースはキ44に集中すべきでした。J2Mは要らない子。
迎撃戦闘機を陸海軍で共同使用する発想があれば、もう少しマシな戦いが出来たかもしれませんね。
キー44はエンジン不調が酷く、12・7ミリ機銃4の固定武装では無理ゲー。
海軍型には20mmが積まれますから大丈夫!!
エンジントラブルも延長軸がないし、解決するよね!!
寧ろ誉搭載のⅢ型が実用化されるかもね!!
@@理重蒔田 ハ41やハ109は、寿エンジンの14気筒版故に故障頻発だから無理。しかもⅢ型はエンジンがキー84と同系統のエンジンだから、キー84でよくね?という結論になる。
昭和14年時点でキ44は存在しないし、海軍の要求するスペックには、キ44では不足では?
キ44は迎撃機という発想で開発してないし。
なかしま
今となってはどうでもいい話だ
何をもってクセ(英語でいえばDirtyかな)が強いというのか、ちゃんと考えず、適当なことを言ってるいい加減な内容。一つ上げれば、雷電の失速特性。なんの兆候もみせずにスポンと入るくせに失速警報器なしだからこまったもんだ。
ほう、ここにも自称専門家(笑)がいましたか
@@明石則実 / なんせここは娯楽の場なんだよん。でも、一応は有資格の航空従事者なもんで・・・。いじるだけならなんとでも。で、あなたのご感想は如何?
正直過去に見たこのチャンネル、あんまり納得いかないところが多いんですよ。
震電を知らずにそっくりなレシプロ最速機は作られたww
いやいやいや(笑)
欠陥機零戦と振動発生装置付きの雷電と下駄履き改造の紫電改、屠竜の真似の月光、このクセのある飛行機に勝るものはないで。
空中分解する強度、防弾装備なし、当たらない弾数少ない20ミリ、航続距離の長さすらパイロットからしたら欠陥の零戦、二式単座戦闘機で充分やのに無理から作った雷電、四式戦を共同で使えばエエのに下駄履き改造してまた無理から作った紫電改、月光もいらんよな(笑)
海軍はクセというより無駄遣いのオンパレード。足を引っ張り早く終戦させたかったんやろな。
ゲームで戦闘機のスペックを知ったクチですか?
開発秘話が文庫本でたくさん出てるから、読んだ方がいいですよ。
@@けん-b5o
ゲーム?おっさんはゲームを知りません(笑)。
本やインターネット、当時整備やパイロットしてた人の話から事情をコメントしてるんよ。
零戦は決して傑作機ではなく、欠陥機でした。
一応海軍も疾風を試験してますよ。