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映像タイムトラベル
Japan
Приєднався 12 чер 2021
「映像タイムトラベル 」チャンネルは、20世紀を「映像の世紀」ととらえ、半世紀以上前の古いフィルム映像に説明を加えた動画集です。どうぞ懐かしい時代へのタイムトラベルをお楽しみください。
動画の制作著作はドキュメンタリー新社にあります。無断使用・転載はご遠慮ください。
ドキュメンタリー新社
Our channel name is “映像タイムトラベル,” in Japanese.
It means, traveling through time with old film footage.
We adds own explanation to the old footage of the 20th century.
This is the official channel of Eizo Time Travel.
The copyright of all videos on this channel is owned by Documentary Shinsha , Inc.
Documentary Shinsha , Inc.
【お知らせ】
映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。
UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。
昭和館HP
www.showakan.go.jp/floor/5f/kiroku/index.html
【動画を視聴頂いた皆様へ】
映像タイムトラベルでは、番組制作時の資料のデーター化を進めております。
動画に対して頂いた皆様からのコメントは、貴重な情報として保存し参考にさせて頂きます。
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ドキュメンタリー新社
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Train Story 8: From steam locomotives to bullet trains
昭和35-40年代にかけては、蒸気機関車(SL)、ディーゼル機関車(DL)、電気機関車(EL)、そしてディーゼルカー(DC)、電車(EC)が混在していた時代。それらを山下勝久さんの撮影した映像で見ていく。
「動力集中列車」は、SL、DL、ELが客車、貨物などをけん引するタイプで、「動力分散列車」は、DC、ECのように各車両が動力を持つタイプだ。
D51に引かれた「お召列車」が越美北線、越前大野駅で「お召装備」を受けて走り出す。ピカピカに磨かれたお召列車は、山下さんたち鉄道マニアの心をひきつけた。また、機関車交代時代によく見られたSLとDLの重連も多数登場。
また、北陸本線田村駅で撮影された、交流・直流の切り替えの様子も興味深い。
昭和14年に始まった弾丸列車構想は、新幹線の誕生へとつながった。スピードへのあこがれが構想を実現していく時代を見ることができる。
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【動画を視聴頂いた皆様へ】
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In the 1960s, there was a mixture of steam locomotives (SL), diesel locomotives (DL), electric locomotives (EL), diesel cars (DC), and electric trains (EC). We will look at that era through videos shot by Katsuhisa Yamashita.
"Power Concentrated Train" is a type of train in which SL, DL, and EL pull passenger cars and freight. ``Distributed power train'' is a type in which each vehicle has its own power, such as DC and EC.
The imperial train pulled by D51 starts running with imperial equipment at Echizen-Ono Station on the Etsumi North Line. The shiny, polished train captivated the hearts of Mr. Yamashita and other railway maniacs. In addition, many SL and DL double trains, which were often seen in the era when locomotives were replaced by trains, also appeared.
Also interesting is the switching between AC and DC, which was filmed at Tamura Station on the Hokuriku Main Line.
The bullet train concept that began in 1939 led to the birth of the Shinkansen. You can see the era when the yearning for speed is realizing the concept.
放送日:12/10/1998 OA
#1960s #機関車 #ディーゼル機関車#ディーゼルカー#動力集中列車#動力分散列車#お召列車#北陸本線#田村駅#新幹線#d51 #羽越本線 #伯備線 #越前大野#磐越東線#東北本線#急行高千穂#急行雲仙西海#急行明星#あさかぜ#はやぶさ#はくつる#浜松町駅#急行そてつ#鹿島本線#急行はくと#特急かもめ#特急いそかぜ#特急おき#山口線#急行いこま#なにわ#急行たてやま#こだま#しおかぜ#つばめ#みどり
This video is a remix version of a TV program "Eizo Time Travel" for UA-cam .
All rights to this video belong to Documentary Shinsha Inc.
d-sin.com
「動力集中列車」は、SL、DL、ELが客車、貨物などをけん引するタイプで、「動力分散列車」は、DC、ECのように各車両が動力を持つタイプだ。
D51に引かれた「お召列車」が越美北線、越前大野駅で「お召装備」を受けて走り出す。ピカピカに磨かれたお召列車は、山下さんたち鉄道マニアの心をひきつけた。また、機関車交代時代によく見られたSLとDLの重連も多数登場。
また、北陸本線田村駅で撮影された、交流・直流の切り替えの様子も興味深い。
昭和14年に始まった弾丸列車構想は、新幹線の誕生へとつながった。スピードへのあこがれが構想を実現していく時代を見ることができる。
【お知らせ】
映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。
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映像タイムトラベルでは、番組制作時の資料のデーター化を進めております。
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In the 1960s, there was a mixture of steam locomotives (SL), diesel locomotives (DL), electric locomotives (EL), diesel cars (DC), and electric trains (EC). We will look at that era through videos shot by Katsuhisa Yamashita.
"Power Concentrated Train" is a type of train in which SL, DL, and EL pull passenger cars and freight. ``Distributed power train'' is a type in which each vehicle has its own power, such as DC and EC.
The imperial train pulled by D51 starts running with imperial equipment at Echizen-Ono Station on the Etsumi North Line. The shiny, polished train captivated the hearts of Mr. Yamashita and other railway maniacs. In addition, many SL and DL double trains, which were often seen in the era when locomotives were replaced by trains, also appeared.
Also interesting is the switching between AC and DC, which was filmed at Tamura Station on the Hokuriku Main Line.
The bullet train concept that began in 1939 led to the birth of the Shinkansen. You can see the era when the yearning for speed is realizing the concept.
放送日:12/10/1998 OA
#1960s #機関車 #ディーゼル機関車#ディーゼルカー#動力集中列車#動力分散列車#お召列車#北陸本線#田村駅#新幹線#d51 #羽越本線 #伯備線 #越前大野#磐越東線#東北本線#急行高千穂#急行雲仙西海#急行明星#あさかぜ#はやぶさ#はくつる#浜松町駅#急行そてつ#鹿島本線#急行はくと#特急かもめ#特急いそかぜ#特急おき#山口線#急行いこま#なにわ#急行たてやま#こだま#しおかぜ#つばめ#みどり
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Відео
A Day on the Joto Freight Line of 1960's
Переглядів 58 тис.2 роки тому
JR城東貨物線の昭和40年(1965年)代初期の映像。城東貨物線は太平洋戦争の頃、戦車や砲弾などの輸送のために建設され、その後大阪の主要な貨物線だった。 高度経済成長真っただなかの商都大阪の活気が伝わってくる映像である。現在はおおさか東線の開業(2018年)によって様変わりしてしまったが、勢いのあった大阪が懐かしくなる。見どころはSLのオンパレード。D51をはじめD52、C11、C62、はては懐かしい阪急、京阪、片町線の列車が登場する。列車マニアの中島忠夫さんが、番組の進行役だった玉井孝さんとおもしろおかしいエピソードを語っている。現場に1か月以上通い詰めて作品にした中島さん、国鉄職員と顔見知りになり信号所の内部の撮影にも成功。どれも見事なアングルで撮影している。 放送日 1996/02/29OA 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけ...
Disappearing streetcars of Osaka in the 1960s
Переглядів 2,9 тис.2 роки тому
昭和36(1961)年10月31日を最後に大阪・玉造~玉船橋間の東西の路線と、阿部野橋~玉造間の南北の路線が廃止された。当時、上本町6丁目界隈に住んでいた吉村久雄さんが、消えゆく市電を記録している。大阪市交通局に尋ねると、最初の市電の廃止は昭和36年ではなく、昭和20年8月15日の終戦の日と分かった。終戦の混乱で、あまり記憶に残らなかったと思われる。 一方、吉村さんが撮影した映像からは、当時の活気ある大阪市内の様子が見えてくる。市民の足として活躍していた市電や、オート三輪、工事中の長堀通や、現在は埋め立てられてしまった、4つ橋があったことからその名前がついた四ツ橋など、懐かしい大阪の姿を映像に残してくれている。 1998/10/1 OA 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。 UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。 ...
Japan Railway Man's Family Trip
Переглядів 2,9 тис.2 роки тому
京都・西大路の国鉄の公社宅に住んでおられた枠山托司さんが撮影された家族の記録。枠山さんは昭和31年に8ミリカメラを購入し、3人の子供さんの成長を撮り続けた。 御室の桜見物、昭和38年7月名神高速道路の栗東~尼崎の開通で、家族でドライブ旅行もしている。マイカー時代の幕開けの頃で、名神高速は驚くほど車が少ない。枠山さんは、飛行機好きの次男のために埼玉県の入間基地で開催された航空ショーを見に行っている。昭和41年のことだ。家族の記録は、そのまま日本の高度成長期の暮らしを映し出している。 放送日:1997/10/18OA 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。 UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。 昭和館HP www.showakan.go.jp/floor/5f/kiroku/index.html 【動画を視聴頂いた皆様...
Train Story Limited Express and Karikachi Pass in the 1960s
Переглядів 59 тис.2 роки тому
鉄道マニアの中島忠夫さんが、新幹線誕生以前の数々の特急を撮った作品。1956年11月に東海道本線の全線電化が完成、東京-大阪間を特急「つばめ」「はと」が、7時間30分の新記録で走ったことがニュースになっている。これはそんな頃の鉄道の映像。 展望車があった「つばめ」「はと」、淡いピンクの花びらのヘッドマークを持つ「さくら」、ブルートレインの「あさかぜ」、1958年にビジネス特急として登場した「こだま」など、特急づくしだ。 後半は1966年9月に北海道の狩勝峠をゆく列車の映像。中島さんと「映像トラベル案内人」の玉井孝さんの掛け合いトークの軽妙さが旅の気分を盛りあげる。 放送日:1996/11/7 OA 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。 UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。 昭和館HP www.showakan.g...
Train Story 3 Usui Pass in 1962.
Переглядів 137 тис.2 роки тому
鉄道ファンの中島忠夫さんと「映像タイムトラベル案内人」玉井孝さんのトークで出発進行!中島さんがめざしたのは、信越本線の横川から軽井沢の間にある碓氷峠。昭和37年12月真冬の寒さのなかで撮影した。 峠の勾配はきついため、ノコギリのような歯車を動かして走らせる、アプト式が採用された。 スイスの登山列車にも使用され、日本では唯一の珍しい方法だった。中島さんは新しい工法に切り替わることを知り、仲間と一緒に撮りにいったという。この撮影が行われた1962年の翌年、新方法に切り替わったが、1997年には長野新幹線の開通に伴い信越本線は廃線となった。中島さんが記録したアプト式の映像は、大変貴重な歴史資料だ。 放送日:1997/10/16OA 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。 UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。 昭和館HP ...
Railway Man Goes North America in1929
Переглядів 6252 роки тому
白石鐡蔵さんは昭和4年(1929年)鉄道省から在外研究員としてアメリカ、カナダ、ヨーロッパに派遣され、約2年間の記録映像を残した。娘の節子さんがその記録映像を保管していた。その16ミリをもとに昭和初期の北米の旅を紹介。 ニューヨーク、華やかな摩天楼時代が始まっている。エンパイアステートビルは外観が完成しオープンを待つばかり。しかしウオールストリートは暗黒の木曜日を迎えて世界的な恐慌に突入していた時代でもある。7月4日の独立記念日を祝うパレードが、職を求めるデモになっているのも時代を感じさせて面白い。 現在は見られない高架高速鉄道や、陸橋など、鉄道技師という職業の視点から撮影されている。 放送日:1999/8/19OA 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。 UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。 昭和館HP www....
1930's railway man
Переглядів 6 тис.2 роки тому
昭和6年、出征兵士を送る金沢駅。昭和6年9月に満州事変が起きた直後に記録された映像だ。鉄道省の職員白石鐵三さんは、海外研修から帰国して2か月後の駅の様子を記録していた。 戦争の気配が色濃くなる一方で、義妹の結婚式で、白石さんは俄然はりきってカメラを回す。当時では珍しい洋装だ。近所の人の見送りの様子にも時代があらわれている。 昭和8年、白石一家は金沢から札幌に転勤となった。江別では水害で線路の補修に携わる。 冬の北海道には欠かせられないのが除雪作業。豪雪の羽幌で、ラッセル車がぐいぐい切り開いていく光景は圧巻。深名線、羽幌線など今は廃線となった路線を見ることができる。保線技師だった白石さんが記録した、貴重な昭和初期の鉄道保全の記録だ。 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。 UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。 昭和館...
Eizo Time Travel : Railway Man Goes to Europe 1931
Переглядів 6642 роки тому
鉄道省に勤務していた白石鐵蔵さんは、昭和4年に日本をでてアメリカで1年半の研修をうけた。その帰りヨーロッパに3ケ月滞在し、鉄道の仕事の傍ら南欧や東欧の旅を楽しんだ記録だ。 昭和6年(1931年)3月、ヨーロッパの旅は始まる。ドイツからオランダへ。職業柄だろうか、跳ね橋の撮影に夢中になる白石さん、ヨーロッパ観光も研究者の視点が感じられる。イタリア・ミラノでは、大聖堂に心動かされ、上まで登って聖人たちの像を目の高さで撮影している。 ローマでは、黒シャツ党の一団とすれ違った様子がある。すでにムッソリーニのファシズムが台頭していたのだ。何気ない旅の風景の中にも、映像は時代を記録している。 放送日:1999/8/26 OA 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。 UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。 昭和館HP www.sh...
Railway Worker Family Movie Collection 2
Переглядів 2,7 тис.2 роки тому
元国鉄マン・池尾博行さんの提供映像で見るSL時代。昭和40年頃の関西線。主役はD51だ。懐かしい汽笛を響かせ豪快に煙を吐きながらやってくる。その力強い走り方から、池尾さんは「野武士」と呼んだ。関西線のD51は峠越えで有名、特に「加太越え」は機関士泣かせの難所だった。なんだ坂こんな坂とあえぎながら峠をこえるD51は、鉄道ファンを引きつけてやまなかった。 運転台からの景色は格別。また、車で並走しながら捉えたD51や、DD51とD51の重連など、終焉を迎えつつあったSL時代の貴重な記録である。 放送日 2001/3/8 OA 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。 UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。 昭和館HP www.showakan.go.jp/floor/5f/kiroku/index.html 【動画を視聴頂い...
Railway Worker Family Movie Collection 1
Переглядів 5 тис.2 роки тому
元国鉄マン一家だった池尾博行さんの提供フィルムをもとにしたSLグラフィティ。池尾さんの叔父さんの撮影したフィルムは、国鉄関係者ならではのもの。熱気あふれる蒸気機関車の運転台の映像や、列車の運転席から見る線路や沿線の様子など、これまでのタイムトラベルでは見られなかったものが活写されている。 主役は“貴婦人”と呼ばれた蒸気機関車C57。なぜそのような愛称がついたのか、箱型の動輪、流線形のドーム、直立の長い煙突・・・その美しさを存分に楽しむことができる。京都から園部までの35.8キロの旅。昭和40年代当時は片道1時間半かかり、石炭は2トン半から3トン、水は20立方メートルつかったという。“貴婦人”は大食いだった。 放送日:2001/3/1 OA 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。 UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。...
Nostalgic Steam Locomotive 1960's
Переглядів 11 тис.2 роки тому
昭和40年代は明治から走り続けてきた蒸気機関車が最後に活躍した時代である。昭和50年代には蒸気機関車がなくなると噂され、何とかその雄姿を記録しょうとカメラを回したファンの一人、吉岡孝一郎さんの映像記録。 1969年、京都駅から山陰本線に乗り込む。汽車は園部へと走り出す。高架になる前の地上にあった丹波口駅からは市場の様子が見え、移築する前の木造の二条駅の様子など、今は貴重で懐かしい映像ばかり。さらに、吉岡さんは、京都の梅小路機関区、大阪の吹田機関区では、出発前の機関車の準備も丁寧に記録していた。石炭の補給、給水、点検の様子など、普段は見ることができない光景だ。また草津線石部駅ではタブレット交換、手動式のポイント切り替えと、鉄道運行の安全のための工夫がみられる。 1968年の米原機関区では、C50形の活躍する姿が見られるが、煙を上げて走る蒸気機関車の後ろを0系新幹線が走りすぎる。まさに時...
Aiming for Cinepoetry 1960s
Переглядів 2,3 тис.3 роки тому
昭和30年代、8ミリカメラが流行し、家族の記録を撮り始めた人は少なくない。島田敏宏さんもそのひとり。セミプロとして多くの作品を制作、ついに朝日放送のカメラマンとなった。たくさんの作品の中から「山名湖といで湯を巡る」を紹介、映像詩をめざしていた若き日の島田さんの意気込みにふれていく。 島田さんの当時の月給は15000円、カメラは48000円でなかなか買えなかったという。短縮版は無声だが、放送ではスタジオに島田さんに来てもらい当時の撮影談をきいている。 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。 UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。 昭和館HP www.showakan.go.jp/floor/5f/kiroku/index.html 【動画を視聴頂いた皆様へ】 映像タイムトラベルでは、番組制作時の資料のデーター化を進め...
Dad is a great photographer
Переглядів 6443 роки тому
大阪の森本庄三郎さん撮影による昭和10年(1935年)頃の映像。森本さんは大のカメラ好きで、自分の結婚式や新婚旅行の様子を映像に残している。お孫さんの黒田信人さんが 大好きだったおじいちゃんの形見のフィルムを送ってくださり番組にしたのが、この作品。 庄三郎さんは、大阪市西区京町掘の呉服屋の息子さん、そこへ陶器の卸問屋の娘記代さんは嫁ぎました。立派な婚礼の荷物が数々、近所の人たちが花嫁を見にやってきて黒山の人だかり。今も昔も結婚式は気持ちが弾む。庄三郎さんは、最愛の妻、記代さんを撮りまくっている。これは昭和初期の幸福の肖像画である。 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。 UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。 昭和館HP www.showakan.go.jp/floor/5f/kiroku/index.html 【動...
Train Story 5 C62 and Friends
Переглядів 4,7 тис.3 роки тому
SLファンの山下勝久さんのC62特集。昭和30年~40年(1955年~1965年)代に撮影されたSLの旅である。「かもめ」や「あさかぜ」「はやぶさ」など、山陽本線を走る特急列車を引くC62を広島や下関、博多駅などで撮影している。 山下さんは函館本線のニセコ号に思い入れが深い。独身時代C622とC623の重連、ゴールデンコンビと言われたニセコ号のとりこになった山下さんは、新婚旅行にこの線を選んだ。ニセコ号バックに新妻とのツーショットをお見逃しなく。 【お知らせ】 映像タイムトラベルの作品の一部を昭和館(5F映像音響室)にてご覧いただけます。 UA-camで公開しているものとは別の厳選作品です。 昭和館HP www.showakan.go.jp/floor/5f/kiroku/index.html 【動画を視聴頂いた皆様へ】 映像タイムトラベルでは、番組制作時の資料のデーター化を進めて...
Train Story 7 “Great Supporting SLs”
Переглядів 1,8 тис.3 роки тому
Train Story 7 “Great Supporting SLs”
The day Kyoto's streetcars disappeared
Переглядів 2,5 тис.3 роки тому
The day Kyoto's streetcars disappeared
Train story 6; "Lady" C57 and her companions
Переглядів 1,8 тис.3 роки тому
Train story 6; "Lady" C57 and her companions
昭和32年生まれですが城東貨物線淀川鉄橋周辺は子供時代の遊び場でした。あの鉄橋の歩道は懐かしい映像です。私も1本だけ8ミリ動画が残ってます。
鉄橋の歩道!渡られたのでしょうか。蒸気機関車の煙と振動で、歩行者は大変だったのかなーと想像がふくらみ、あのカットを見るとわくわくいたします。
今となっては懐かしいトラストトレイン、スロ40系の霧島、高千穂は乗っておきたかったです。 20系、あさかぜ時代は大阪スルーで急行銀河で乗れました。 DCは国鉄の石井氏、のちJR九州の社長になられましたがキハ58は名車でした。全国で走っていました。 153系電車急行、みな関西由良のネームドトレイン、懐かしいです。 151系のスピード試験、昭和34年7月27日から7月31日まで東海度線金谷〜掛川間にて行なわれ、見事163キロの記録を達成しました。
すばらしい鉄道知識ありがとうございます。151系、163キロも出せたんですね!! びっくりです。
東海道新幹線の開業前で、もちろん山陽新幹線もまだない時代。 電化区間が広島周辺まで伸びて、 東京~大阪は電車特急「こだま」「富士」「つばめ」「はと」などが 1~3等+展望車に換わり、 日帰りビジネス客の一番の需要を引き受け始めました。 「つばめ」の名称は「こだま」に取って代わられ、 「つばめ」は東京~広島の昼間の看板列車に用いられました。 その電車特急が広島を発車する時には、後部に電機の補助機関車が 連結されて、瀬野八を多分協調運転(?)して登り、 八本松近くで峠を昇り切ると、後部の補助機関車は走行中に 切り離されて次第に遠ざかっていくのが車窓に顔をくっつけて、 見る事が出来ました。圧搾空気管の連結もせずに、苦肉の策で。 当時、京都~大阪では特急「さくら」列車番号《1》、 電車特急「第一こだま」が同じく《1М》、 気動車特急「かもめ」が同《1D》と豪華な揃い踏みでした。上りは《2~》で。 後年、寝台客車特急に名義変更した日豊本線周りの西鹿児島行の「富士」には 乗りました、東京駅発が18:00で所要時間が24時間30分ほど。 2等寝台の日中は退屈な長途の旅でしたけど。 寝台特急「さくら」は上りで個室に乗車して、その頃が設備でも最盛期? 現川(うつつがわ)を通る新線経由で、本河内のスイッチバックは別の機会に。 そんな苦行も今になると、夢に出るまでの渇望の復活旅でありましょうぞ!?
いつも思うが、蒸気機関車の映像で何でBGMを使うのかなぁ? 蒸気の魅力はその音なのに! 興醒めです。
当時の8ミリフィルムは、映像のみ記録するタイプの場合、残念ながら同時録音はできませんでした。提供いただいたフィルムも、音がないものがほとんどでBGMを入れさせて頂いております。
素晴らしい映像、完全な記録映像。ノロノロ走る情景、客室からはどんな風に映っていたのだろう?こう言う時代を過ぎて、いつの間にか廃線になり新幹線で あっと言う間に 通り過ぎていく現在。こんな時代があったんだな〜と懐かしむと共に、寂しいさを感じます。素晴らしい映像のUP有難うございます。
ご視聴ありがとうございます!速さと便利さだけでなく、車窓でぼんやりと過ごす時間も大切にしたいと思います。
7:28 ラックレールエントランス部ではこんなに減速するんですね
丁寧に見てくださりありがとうございます!撮影した中島さんは、そういったポイントを調べつくして、撮影しておられたのだと思います。
25年前に新内駅跡〜旧狩勝トンネルを歩き、狩勝峠・旧線動画が観ることが出来て大変感動いたしました。 撮影の中島忠夫さんは総持寺にお住まい…と言われてました、私とご近所さまですネ(笑)。 この度は、懐かしく貴重な映像、ありがとうございました。
ご近所の方にコメントを頂けるとは、中島さんも喜ばれると思います!ご視聴ありがとうございます!
この当時、列車トイレは全て垂れ流し式ですので、撮影していると、飛んでくる可能性があります。撮影時は気を使ったでしょうね。あと、他に撮影している人がいないんですが、当時は今で言う鉄オタはほとんどいなかったんでしょうか?
そういえば…撮影者には危険ですね!中島さんは、同じ鉄道マニアのお友達と撮影にいかれたそうです。他のフィルムには、撮影する愛好者の方が写っておりました。
貴重な8ミリ映像ありがとうございます。 こうしてみるといくら電機とはいえアプトのノロさがよく分かりますね。 新線化+63化で劇的に輸送力アップできたのが待望だったのも頷けます。 とはいえアプト時代も粘着時代も勾配との闘いをこなし続けた乗務員方々、地上設備を支えた保線の方々には感謝しかありません。 今夏(2024.08)に久々に旧道を走りに行きましたが、道路の賑わいと横川駅・峠付近の静かさは対照的でしたね。
ご視聴ありがごうございます!碓氷峠の歴史は鉄道マンの挑戦の歴史でもありますね。今も足を運んでくれるファンがいらっしゃることもうれしいです。
S 44年生まれの横川育ちです。目覚めの(汽笛?)が懐かしい。
近くでお住まいだったとは。いろんな思い出をお持ちなのですね。うらやましいです。
今から27年前、1997年9月30日に碓氷線が廃止する2ヶ月くらい前に横川から軽井沢へ碓氷線に乗ったことがあった。 電車の中は乗客の旅を楽しむ話し声が飛び交っていたが、突如車内放送が流れた。 「横川〜軽井沢間は9月をもって廃止されます…」みたいな内容だったがすごく悔しそうな、悲しそうな声だった… その途端、車内がシーン…と静まり返ったのを今でも覚えている…😧
そんな車内放送があったのですね。廃止前の貴重なエピソード、有難うございます。車掌さんの気持ちが伝わります。
昔、横川にターンテーブルがあったの?
碓氷峠鉄道文化むらには、転車台が残っているようです。
拝見して感動しました、解説も判り易く素晴しいです。
ありがとうございます!何より撮影・お話をしてくださった中島さんと玉井アナのおかげです。
只々凄いとしか表現が浮かばない! 今の鉄道各社もそうですが、当時の国鉄が如何に輸送の主軸として大きな役割を担っていたかがよく分かります。 色々批判もありましたが、「国鉄」という体制でなければ、ひたすら右肩上がりで増えて行っていた当時の輸送需要に応えるのは不可能だったのではないかな。
ご視聴ありがとうございます。ご指摘の通りだと思います。時代は変りましたが、「赤字」とばかり言わず地方路線を守ってほしい…と思うこのごろです。
この峠をいかに越えるか! 日本経済を支えた先人の努力を伝える貴重な記録です。 鉄道システムが時代のニーズと技術革新によりさまざま更新が行われて現在に至っています。 やがて今の景色も間違いなく過去のものとなります。
そうですよね!技術革新は難題に挑戦するから生まれるのですよね!
貨物列車も今はコンテナばかり面白味が無いですが、当時はバラエティーでいろんな貨車を引っ張ってたから会社が東海道線の側に有りお昼時は楽しく見てました。
東海道線の列車を見ながらのお昼ご飯、想像するだけで素敵ですね。
1:26 信越線単線だったんだ。上越線と分岐するところの上り線の陸橋がない
丁寧にご視聴いただきありがとうございます!
熊ノ平駅ってすごい手間のかかる行き違いをしてたのですね
そうなんですよ。鉄道を守る人の愛も感じますよね。
狩勝峠の旧線は蒸機牽引の時代の夜行急行「まりも」で通りましたが、 真っ暗でここで初めて景色を拝見しました。60年ほど昔です。 昨年秋に代行バスで新得~東鹿越の国道を通って、 帯広十勝平野の三大車窓をようやく堪能する事が出来ました、 ほぼ一瞬でしたけど。先人のご苦労をしのびます。
夜景だった車窓をみるため、バスで再び訪れられたのですか!素敵な旅すぎます。
@@映像タイムトラベル ;夜行急行「まりも」からの夜景は、 満天の星空だった筈、60年も昔の事ですし。 三大車窓では肥薩線でも霧島連山は昼の景色しか楽しめません。 この大畑(オコバ)駅付近のループ線やスイッチバックも、 10年前に通りましたが、旧鹿児島線の栄華の跡が偲ばれました。 三つ目の車窓は篠ノ井線の姨捨駅ですけど、 ここは唯一善光寺平(長野市)の夜景も楽しめて、 スイッチバック構造の駅が滞在(停車)時間を長めてより楽しめます。 何より、松本~長野を結ぶ重要幹線上にあって、 空いた時間にちょっとでも、眺望を楽しめに行けてお奨めです。 ここが最後に現存する三大車窓になって仕舞ったので・・・・・。
私も夏に篠ノ井線の姥捨駅行ってまいりました!すばらしい絶景ですよね。通勤通学している方も多くいて、毎日が異世界と行き来しているようでとてもうらやましく思いました。
ただただ、素晴らしい映像です!ご苦労された映像です!私には、こんな行動力はありません。
ご視聴頂きありがとうございます!撮影者中島さんの鉄道愛のおかげです。
信越本線のキハ82白鳥は、S36/10のタイヤ改正の目玉として、向日町運転所はキハ82の運転所として開所された。中でもこの白鳥が目玉でした。キハ57志賀号は善光寺の観光のためアプト対策のエアサス搭載、ディスクブレーキ搭載キハとして誕生しました。実際の動画を拝見でき感無量です。いろんな意味で信越本線の最も熱い時代、懐かしいです。
貴重な情報たくさんありがとうございます!エアサスペンションや、ディスクブレーキ、見えないところで様々な進化を続けていたのですね。
レトロ列車レトロ車たくさん
レトロ車たくさん
アプト式想像以上に急斜面やな。
そのようです!
城東貨物線と言えば、おおさか東線(大阪駅〜新大阪駅〜放出駅〜久宝寺駅)の路線で時々貨物列車も走ります。
貨物列車もいいですよねー。
8:48 玉屋前かな?
でしょうか?!
阪急吹田をJR側から見下ろすのいう今となっては不可能なアングル
いいですよねー。
蒸気機関車は西武山口線、山口線のC57しか撮影出来ませんでした。住宅地を走るシーン見ると、父親がクラシックマニアでかなり高価なA❤V機器を持っていたので、中古の蒸気機関車のLPで住宅地を走る蒸気機関車の音を再生したとき家中のガラスがドラフト音に合わせてガラスが鳴り、両親にえらく怒られたのを思い出します。
家のガラスがなるほどの蒸気機関車音、本物と同じ迫力をご自宅で体感されたのですねー。すてきです。
東芝から出た蒸気機関車のCDもありますが、アナログのLPの方が面白いですね。盛岡機関区のC60の出区前の点検の音は、機関区の火を燃やしているので機関区内の暑さ、点検の為のハンマーの音が機関区内の反響に見事出ています
20系あさかぜ、マイテ付きのはアーカイブ価値あります。狩勝峠旧線の映像は素敵です。狩勝峠は落合駅から十勝平野を見通しすることが出来て当時の北陸本線の杉津、肥薩線の大畑とならんで見晴らしの見事な名勝として価値がありました。北海道でキハ82のおおぞら号に乗れたのが懐かしいです。
現役の車両に乗られたのですね。うらやましい。「20系あさかぜ、マイテ付き」アーカイブ価値あり、有難うございます。そういっていただけるとうれしいです。
自分は東海道新幹線と同い年の1964年生まれです。 自分の知らない時代の超貴重映像を、それもカラーで見られるなんて感動ものです。 何度でも見たいです。 ありがとうございます😭
こちらこそ、有難うございます!UPしたかいがございました。撮影者の中島さんもきっと喜んでくださると思います。
11:35〜 国道1号線と貨物線が交差している所、線路が斜めに道路を横切っているので、よく自転車が前輪を取られてコケていました(笑)。 特に雨の日は線路上でブレーキをかけたりペダルを踏んだりするのは厳禁でした。 一応注意書きはあったと記憶していますが…
確認いたしました。たしかにこれは…自転車コケますね。雨の日は危ない!自転車通勤の気持ちになりました。貴重な記憶ありがとうございます
都島区民です。 8:28 地元赤川生まれ育ちの祖母は「淀川橋梁」を「18門鉄橋」と呼んでいました。 この鉄橋の歩道部分の床は元々木製で、時々割れてる箇所もあり怖かったです。 数年に一回新しく張り替えられていたように思います。 昭和の頃までは近くの堤防ではヨモギが取り放題でした^^
蒸機だけ見てたらめちゃくちゃ古いって思うけど481系やDD51がおったらそない前には思えんわ 少なくとも481系が走ってるっちゅう事は東海道新幹線も開通してるんやし
片町線も、昭和47年頃まで蒸気機関車が残っていたな(今はマクドの真横な四条畷駅近くの踏切を走っていた記憶が)。
片町線のC11撮りに行きました。 1日1本しかも蒸気機関車が廃止されると聞き、初めて貰ったカメラ、ミノルタ16。実家は写真屋してましたが、初めての自分のカメラ。 もう一台お年玉貯めて買ったリコーオートハーフSE。ゼンマイ式のモータードライブゼンマイを目一杯巻いておけば5枚程の巻き上げをしてくれました。 この2台を持って撮影に行きました。 動画で使用されておられるのはいわゆる8mmカメラですがこの時代だとダブル、シングル、スーパーと3種類有りましたよね。動画はシングル8ですか?1カットの録画時間からしてダブルでは無いのかな?確か18コマでダブルなら1分30秒程の撮影時間、シングルやスーパーでも3分少々だったと記憶しています。 ひょっとして24コマ撮影の感じもしてますが。
当時の担当スタッフも退職し、シングルだったか、ダブルだったか…さだかではなく申し訳ございません。小北さんが撮影された映像も、きっと素敵な記録かと想像いたします。コメントからも鉄道愛とカメラ愛を感じます。
阪和貨物線も残して杉本町じゃなくて高架後の長居駅と吹田でくっつけて旅客化しておおさか東線の一部として高架旅客化されてたらどんな未来やったんでしょうかね?
ご視聴ありがとうございます。その手もあったかーと想像ふくらみますねー。
昭和44年生まれの者ですが、ちょうど平成に変わった頃を中心に、近鉄長瀬駅の近くに数年住んでいました。 仕事の自動車修理工場へ行く時、蛇草あたりからずっと南に平行して通っていたのを思い出します。 バイクが事故で廃車になった後に徒歩で通った際、東大阪の衣摺から延々と線路の横を歩き、近鉄俊徳道あたりまで歩いていったものでした。 あの頃は沿線不法投棄の粗大ごみだらけで、犬の散歩をしている人と線路のそばで話し込んだりと、なんとも牧歌的な時代でした。
当時の状況ご存じなのですね。粗大ごみだらけ!にびっくりいたしましたが、新しい情報ありがとうございます。個人的には鉄道と人が近かった時代がうらやましくも感じます。
最後の狩勝峠の映像、新内~狩勝トンネル間の映像は写真も含め今でも多く見られますが、新得~新内間の映像は極めて貴重ですね。 貴重な映像を拝見させていただきまして、ありがとうございました。
ありがとうございます。皆さんに喜んで頂き、きっと撮影された中島さん喜んでおられると思います。
昭和2年に開通して当時は紀州から阪和貨物線をへてみかんを運ぶ列車や名古屋方面から奈良を経てくる列車など様々列車があって今より貨物の本数が多かったらしい、8:28 赤川鉄橋(淀川橋梁)では戦時中 6/7の空襲の際淀川付近で起こったP51ムスタングによる機銃掃射何千もの人命が奪われ橋脚にはその時弾痕の痕跡残っている言われている。
赤川鉄橋の橋脚にそのような痕跡が!大変貴重な情報ありがとうございます!
城東貨物線は現在、おおさか東線として機能してる
コメント有難うございます。おおさか東線に乗車して、変化を楽しむのも素敵ですよね。
動く臨時特急さくら、初めて見ました!😂
ご視聴ありがとうございます!また、面白いと思ったカット教えてください。皆さんのご意見、貴重な情報です!
懐かしいです、昭和48年~放出駅に勤務していました 「そぅそぅこのホーム駅舎」嬉しい😢 既にSLは引退していましたが、構内には給水塔が残っていましたねぇ 当時の懐かしい映像、編集は大変だったと思いますが本当に素晴らしい映像を有り難うございました感謝感謝です、一生の宝物です本当に有り難うございました。😂
放出駅に勤務しておられたのですね!鉄道関係者の方に見てもらい、きっと撮影した中島さんも喜んでおられると思います。
最後の根室本線の狩勝峠越えはめっちゃ貴重 旧線は勿論、この後に出来た新線も富良野-新得間が廃止になるので希少価値は今以上に高くなるね
コメントありがとうございます!廃線のニュースを聞くのは、積み上げられた歴史が消えていくようで辛いです。富良野-新得間は来年3月まで。あとわずかですね。
記録映像の対談形式は暖かみを感じますね。😊
ありがとうございます!撮影したご本人に語って頂くことも、大切な記録と感じております。
中島さんだ!
そうなんです!
昔、関西線に乗って龍華操車場を通る時に、本線の関西本線が電化していないのになんで阪和貨物線が電化しているのか、いつも不思議に思ってました。
竹中平蔵を日銀総裁に万博担当大臣に認定
竹中平蔵を万博担当大臣に認定
SL牽引20系あさかぜが動いてるの初めて見た。貴重すぎる!
ご覧頂きありがとうございます!また、面白いポイントあれば教えてください。
高度経済成長期の活気にあふれた映像。外から帰って来たら、鼻👃の掃除が欠かせせない。😊
コメントありがとうございます!私も、この映像を見ると活力を感じます。でも、一方で各地で公害が深刻な問題となった時代でもありますね。