- 20
- 360 505
ふるさとはぼろ
Japan
Приєднався 3 кві 2015
北海道北部日本海沿いの町、羽幌(はぼろ)町。
かつてそこには1万人以上が生活を共にしていた羽幌炭砿がありました。
私はここで生まれ幼少期を過ごしました。
閉山から50年以上が経ちましたが、私と同じく羽幌炭砿や羽幌町を「ふるさと」と思う人は少なくないと思います。
懐かしい当時の映像や写真と現在のようすを紹介したくチャンネルを開設しました。
羽幌炭砿がふるさとではなくても、長い歴史のなかのほんの一瞬ではありますが石炭がエネルギーの主役であった時代をのぞいてみてほしいです。
羽幌炭砿や羽幌町、さらには留萌管内の動画を紹介したいと思います。
かつてそこには1万人以上が生活を共にしていた羽幌炭砿がありました。
私はここで生まれ幼少期を過ごしました。
閉山から50年以上が経ちましたが、私と同じく羽幌炭砿や羽幌町を「ふるさと」と思う人は少なくないと思います。
懐かしい当時の映像や写真と現在のようすを紹介したくチャンネルを開設しました。
羽幌炭砿がふるさとではなくても、長い歴史のなかのほんの一瞬ではありますが石炭がエネルギーの主役であった時代をのぞいてみてほしいです。
羽幌炭砿や羽幌町、さらには留萌管内の動画を紹介したいと思います。
母校の変貌
令和5年度までに15、300名もの児童が巣立った羽幌小学校。
およそ60年使われた校舎が新しくなりました。
旧校舎を卒業した方はさぞかし残念とは思いますがその変貌をご覧下さい。
およそ60年使われた校舎が新しくなりました。
旧校舎を卒業した方はさぞかし残念とは思いますがその変貌をご覧下さい。
Переглядів: 1 083
Відео
未公開映像含む!羽幌炭砿の公共交通 羽幌坑・上羽幌坑へ行こう!編
Переглядів 12 тис.2 роки тому
羽幌町から公共交通を利用して羽幌炭砿に行く・・・的な感じの続編です。 曙からバスに乗り換え羽幌坑と上羽幌坑へ行きます。 到着後は当時の羽幌坑と上羽幌坑の様子を紹介します。 所々に未公開の映像が含まれています。 羽幌炭砿について詳しくは haborocolor.com/haborotanko.html
未公開映像含む!羽幌炭砿の公共交通 築別坑へ行こう!編
Переглядів 12 тис.2 роки тому
羽幌町から公共交通を利用して羽幌炭砿に行く・・・的な感じの動画です。 羽幌町から国鉄車両に連結された羽幌炭礦鉄道車両に乗って築別駅へ。 そして切り離された羽幌炭砿鉄道の車両は築別駅から曙を通り築別炭砿駅に到着します。 到着後は当時の築別坑の様子をご覧下さい。 羽幌炭砿について詳しくは haborocolor.com/haborotanko.html
未公開映像満載!羽幌炭砿のマンモス幼稚園!築炭幼稚園
Переглядів 5 тис.2 роки тому
羽幌炭砿(はぼろたんこう)の築別坑(ちくべつこう)にあった「築炭幼稚園」。羽幌炭砿が著しい成長時に開園しました。園児の数は最盛期で230名を超えるマンモス幼稚園でした。 ここに映っている子供たちは現在60歳位になっています。 羽幌炭砿について詳しくは haborocolor.com/haborotanko.html
未公開映像!羽幌炭砿ではこんな事もやっていました①築炭プール落成式
Переглядів 3,2 тис.2 роки тому
羽幌炭砿ではヤマで暮らす人々のために、様々な行事を行っていました。 第一弾は、築別坑の築炭プール落成式を紹介します。 とっても貴重な映像です。 羽幌炭砿について詳しくは haborocolor.com/haborotanko.html
蔵出し映像 第2弾 羽幌炭砿野球部~元監督が語る当時の思い出~
Переглядів 4,8 тис.2 роки тому
羽幌炭砿は昭和33年、ノンプロ野球連盟に加入します。その後わずか2年で全国大会出場の偉業を達成しました。 羽幌炭砿野球部の監督を務めた、宮崎一夫氏の貴重なインタビューを交え、当時の羽幌炭砿野球部を紹介します。すべて貴重な映像です。 羽幌炭砿について詳しくは haborocolor.com/haborotanko.html
羽幌炭砿と共に発展~衰退した街「曙」 貴重な曙小学校も公開
Переглядів 11 тис.2 роки тому
曙(御料)地区は、羽幌炭砿ができる前から農家を中心とした350人ほどの集落でした。 それが羽幌炭砿が鉄道を引き曙に駅を置きます。 曙駅は築別駅に向けて石炭を搬送するための中継地として、重要な役割を果たしました。 曙は最盛期には人口が800人を超えるまでになりました。 羽幌炭砿について詳しくは haborocolor.com/haborotanko.html
当時の貴重映像を公開!今もある羽幌炭砿遺産#3 住宅
Переглядів 31 тис.3 роки тому
築別坑には現在も4階建鉄筋住宅が4棟あります。 羽幌坑にも住宅のブロック部分があり人々が生活をしていた形跡が残されています。 簡単ではありますが、当時の貴重な映像で当時の住宅内部などを紹介します。 羽幌炭砿について詳しくは haborocolor.com/haborotanko.html
当時の貴重映像を公開!今もある羽幌炭砿遺産 #2 北辰中学校
Переглядів 18 тис.3 роки тому
羽幌坑へ向かう途中にいかにも廃校だと解る大きな建物があります。 最盛期にはこの周辺に5000人以上もの人々が生活をしていた証の建物です。 簡単にではありますが、当時の貴重な映像で北辰中学校の歴史を紹介します。 若かりしあなたや友達が映っているかも! 羽幌炭砿について詳しくは haborocolor.com/haborotanko.html
当時の貴重映像を公開!今もある羽幌炭砿遺産 #1 運搬立坑
Переглядів 14 тис.3 роки тому
羽幌炭砿に現在も残る産業遺産を当時の映像で解説します。 第一弾は「運搬立坑(うんぱんたてこう)」です。 建設時の写真や貴重な映像が満載です。 羽幌炭砿について詳しくは haborocolor.com/haborotanko.html
蔵出し映像 羽幌炭砿鉄道~元鉄道職員が語る 当時の思い出~
Переглядів 52 тис.3 роки тому
2007年に元羽幌炭砿鉄道職員から当時の思い出を取材した素材を蔵出し。 鉄道の開通から廃止までの30年間で、特に記憶に残っている事を語ってくれています。 数ある出来事の中の、ほんの一部ではありますが、当時の写真や映像を添えて動画制作しました。 羽幌炭砿について詳しくは haborocolor.com/haborotanko.html
貴重映像!羽幌炭砿バス
Переглядів 26 тис.3 роки тому
羽幌炭砿は羽幌坑と上羽幌坑を新たに開坑し、築別坑を含めた三地区の往来のため、バスを購入しました。 当時の貴重なカラー映像をご覧下さい。 羽幌炭砿について詳しくは haborocolor.com/haborotanko.html
国鉄羽幌線 最後の日
Переглядів 76 тис.3 роки тому
昭和62(1987)年3月29日。 留萌と幌延を結ぶ国鉄羽幌線が、分割民営化を3日後に控えた、 国鉄の最後の廃止路線として、今日限りで廃止され「さよなら列車」が運転されました。 羽幌駅では別れを惜しむ地元の人達など、およそ2千人がホームを埋め尽くしました。
また一つ羽幌炭砿の遺産が無くなった!~太陽小学校体育館崩壊~
Переглядів 17 тис.3 роки тому
2018年、春。 羽幌炭砿、築別坑にある太陽小学校の体育館が崩壊しているのが確認されました。 思い出のある方も多いと思い、とても残念です。 簡単ではありますが、太陽小学校校舎の沿革と崩壊した体育館をご覧下さい。 羽幌炭砿について詳しくは haborocolor.com/haborotanko.html
黒いダイヤが築いた街 ~羽幌炭砿 激動の30年~ プロモーションMovie
Переглядів 4 тис.4 роки тому
黒いダイヤが築いた街 ~羽幌炭砿 激動の30年~ プロモーションMovie
最終日の一日前に乗りました。 海側の席は取れなかったけど座れました。 同席した一学年上の方と話をしました。 帰って来てしばらくするとその方から便りが来ました。
昭和38年の早生まれで、小学校に入学して早々内地に引っ越したので、町の名が北辰町だったことと、幼稚園の頃のことを少ししか覚えてませんが、当時、クリスマスにサンタさんが馬ぞりで来て、各家にプレゼントを配って行き、私も着せ替え人形セットをもらったのを覚えています。もしかしたら幼稚園は、ミッション系だったのかもしれませんね。当時としては画期的な事だったと思います。
薪、たいて、走ってた、ボンネットばす。懐かしい、たまに、お客が、おりてバスを押した。
思い出、の、ふるさと、ありがとう。
北海道だと色々と保存は 難しいのだろうな
駅跡しか見たことがありませんが、こんなに大きな駅があったんですね。紋別やここはそれなりに利用者がいたと聞きますが、全線廃止で容赦なく無くなってしまったのでしょうね。近い将来、余市駅もこんな風に懐かし映像でしか見られないようになってしまうんですかね。
こんな事なら普段から利用してくれればいいのに。
今でも有るんか知らんが、砂川のマテック前、国道沿いにこれの残骸が並べてあった、末永く残ること祈る
はじめしゃちょーから来ました、歴史を知れて嬉しいです
昭和50年の北海道時刻表でもまだ沿岸バスが「羽幌~上羽幌」4往復と「羽幌~築別~曙~道道分岐点」5往復運行してますね。 まだその時点で人住んでいたんでしょうか
鉄道のある街に住んでるって幸せな事なんだなって改めて思う
まだ若い頃?太陽高校定時制にいってました曙から築別炭砿寄の桜ヶ丘と言うところにあった羽幌機工という工場の事務所で働いていましたが1年に1回炭鉱に連れて行ってもらっていましたが跡形もなく寂しく懐かしく探してきましたがとうとう分からずじまいでした
先週三山に行ってきたよ。胸が締めつけられる想い。 働いてた人も住んでた人も悪くない。悪いのはエネルギー革命という名の国の政策。 いつの時代も国民が被害者。
5年!?🥺
懐かしい! とても貴重な映像で当時を思い出しました、 約3年近く通学で利用していました。
とても貴重な映像を残せましたね☺️👍
最終列車の発車合図を出した方は、羽幌線と共に鉄道から去ったようです。 羽幌線と自らの鉄道員人生に幕を下ろす発車合図で、心にきてしまいました。
この時、近くの食堂に勤めてました。最後の日はすごかったです。寂しいですが、仕方のない事でしたね。今も町は人口がこの時より減って哀しいです。
At least we have other 8620s preserved
せめて博物館で、保存するべき車両を解体するなんて
可哀想だが、部品だけでも残して欲しかった… 部品があれば今の動態保存機の形見になるだろうに…
廃校になった学校の黒板には巣立って行った人たちの落書きがあるんですよね。 それを観ると切なさを感じますわ
毎年屋根の雪下ろししてたのじゃ 潰れてしまうのは当然だな
操業時住んでいた方々にとっては懐かしい映像でしょうね 思い出は心の中に
羽幌線は昭和58年に乗りました。羽幌駅で降りて天売島にオロロン鳥を見にいきましたよ。デーゼル列車がとても懐かしいですよね素晴らしい映像をありがとうございます!
私は1976年の20歳の時に国鉄の周遊券を利用して道内だけでなく天売・焼尻・利尻・礼文を回りました。そう、天売島に行くときに羽幌ユースに一泊しました。天売・焼尻ユースはもうなくなってしまったんですよね。さみしいな。
貴重な映像ありがとうございます。1950年上羽幌生まれです。母の実家がある羽幌から上羽幌まで冬は、馬そりで帰って来た記憶が残っています。
北辰中学校の閉山卒業式でした。卒業後本州に就職した同級生はどうしてるかな?会いたですね。
国としての文化遺産と言う概念が我々日本人にはないんですよ。欧米のように絵画や建築物同様に鉄道も自分の国の遺産と言う文化がない。この国はある意味で災害国家だから仕方ないけれど、それでもドイツやイギリス、アメリカでは復元どことか新造までしてしまう国力の底力を思い知るのです‼️金の問題じゃないのです。
1970年まで築別炭鉱に住んでいました。懐かしい映像です。
今はほとんどが森に戻っていますが当時は本当に栄えていたんですね❗
ずいぶん長いこと道案内してくれましたね☺️
去年、ぷらっと近隣を走ってみたが、本っ当にな~んにもなかった。かつてこんなに活気があった地区だとは到底思えないというレベルで、当時を想起させる廃墟すら殆ど見当たらないという。。。
幼稚園までバスで行ってました。
ハチロクじいさん「嫌だーー‼︎‼︎わしはまだ死にたくない‼︎‼︎‼︎」 重機「へへへ、貴様をステーキか、カツ丼か、唐揚げか、フライか、天ぷらにして食べてやる〜。」 ハチロクじいさん「嫌だ〜〜〜‼︎‼︎‼︎‼︎やめてくれ〜〜‼︎‼︎‼︎‼︎死にたくな〜〜〜い‼︎‼︎‼︎グワァァァァ〜〜‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
東京花屋(駄菓子屋)にオクサワ(おもちゃ屋)にサービスセンターに八幡屋。 街中にいつも流れていた♪浮島音頭で どどんとねっ♪笑 当時はまだ賑わいのあった羽幌も過疎化が深刻のようで💧 町から離れ もう40年。 ふと思い出したアボちゃんとスッコのその後が気になって仕方ない。
まだ木造校舎の頃に次兄が教員をしていましたが、私が昭和39年8月に転職するまでの半年間程居候していました!😄
30年後の札幌ドーム。
『名羽線は一部私鉄の軌道上を乗り入れる計画だった』☜驚きました。こんな秘密が有ったのですね。動画内には詳細な地図もあり、一部は供用されていたようなので、国のエネルギー転換計画発表があと1年遅ければ実現していたのかも知れません。あぁ~惜しい!
残念ではあるけど、 北海道も人口減少に伴い 撤退戦にてこれもその一つ。 SL残してももはや保守できる 人員も居らず危険鉄屑化する 前に解体とな。
この動画を消さないで下さいm(_ _)m
消さないで‼
同じ炭鉱にゆかりがある北九州平成筑豊鉄道に茨城から一両来ました
アタシも兎さんを追いかけた事あるよ。道路蛇行しながら走るから後ろからついて行くしかなくて・・・余りにも気の毒なので、こちらが止まると・・・兎さんも止まってしまい、こっちを見ている状態。こっちが走り出すと、兎さんも走り出す・・・その繰り返し。結局、兎さんは急カーブで路肩に脱出した。 ・・・兎さん、ごめんね。
築別炭砿駅横にエッソの給油所がありますね。時代を感じるサインポール。で、いつ頃昭和石油に変わったのだろう?
しょうがなかったのかな。 でも、日本の輪郭の一部を描いていた鉄道インフラを剥がしたことには今も釈然としない思いが一抹。
集まってるけどこういうの葬式鉄っていうんでしょ。
当時は「葬式鉄」の言葉はございませんでした。
不思議の国へ導きされそう
炭鉱だけど、ちょっとした自治体規模を形成していたのは、凄いですよね。 それにしても昭和は復興、復活の良い時代だった。炭鉱ももう少しエネルギーとしての期待値があれば、羽幌も違う形になっていましたかね。。
たった5年でお払い箱とか悲しすぎる😅まあTVゲームで言えば専用ソフト5本しか出ずに失敗したPCエンジンスーパーグラフィックスってとこか。
美味しそうですね。 柔らかいけど、噛めば噛むほど味が出るってタイプです。
蒸気式の操重車は初めて見ました