妹失い…映画製作の女性 “大川小学校の悲劇” 東日本大震災12年目の思い「被災者をやめない」これが私のひとつのプロフィール

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  • Опубліковано 17 жов 2024
  • 東日本大震災から3月11日で12年です。宮城県石巻市の大川小学校では津波で児童と教職員あわせて84人が犠牲になりました。そこで、妹を亡くした女性がその後、映画を作り、全国で上映会が開かれています。製作した女性の12年目の思いと、小学校が縁となって開かれた上田市での上映会をお伝えします。

КОМЕНТАРІ • 3

  • @そんなこともある
    @そんなこともある Рік тому +12

    私がよぼよぼのババアになって死んだ後になるかもしらんけど、この時に語り継いだことが100年後200年後だれかの命を救うことになってほしい…いや、きっとなる。がんばれ。

  • @yui6529
    @yui6529 Рік тому +12

    12年目の3.11の日、大川小学校の竹あかり行ってきました。
    お父さんおられましたよ。
    大川小学校が避難場所であったがゆえに、山に逃げられなかった。
    当時学校の責任者であった教頭としても迷ったんだろうと思います。
    山に逃げて生徒が土砂崩れ、倒木で怪我をしてしまったら
    避難してきた、生まれながらにこの地区で暮らしてきた長老から
    今まで津波は来たことが無いんだから
    ここにいた方が安全と言われたら
    それでもし津波が学校まで来なかったら
    学校に留まっていれば怪我をすることなかったのにと
    責められると考えたのでは。
    それでも広報車が津波の襲来を伝えた時に
    大橋では無く、山に逃げると言う判断が下せていればなと
    思わずにはいられない。
    非常に残念です。
    妹さんはお父さん、お母さん、お姉さんの幸せを
    心から願っています。
    この家族の元に生まれたことを
    誇りに思っていますよ。