日比谷279米 地下鉄工事記録関連ページ工業・産業 | 教育 | 英映画社
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- Опубліковано 30 вер 2024
- 日比谷279米 地下鉄工事記録
受賞歴
第3回産業映画コンクール 産業映画大賞
作品概要
製作:英映画社 企画:間組
1965年 カラー 54分
はげしい交通量のある日比谷、その地下に建設された地下鉄日比谷線の難工事。その工法・技術・働く人々を記録。
(引用:映文連データベースより)
スタッフ
製作:高橋銀三郎
脚本・演出:千石秀夫
撮影:宮下英一/長井貢
解説:平光淳之助
音楽効果:武田俊一
録音:アオイスタヂオ
照明:東京照明
線画:村田映画製作所
製作主任:瀧川正年
父は東北からの出稼ぎで日比谷線工事にいました。その後、別の工事作業中の事故で重労働はできなくなりましたが、現在も元気で過ごしています。私も大江戸線工事で仕事をしていました。
貴重な映像、どうもありがとうございます🥲
この時代、もちろんPCやCADがなく、紙の図面で、真空管計算機などで計算し、建築物を設計する時代、設計者も大変だ。
偉大なる先人の皆様に最高の敬意を!
いやぁーすごい。普段何も考えずに乗降している日比谷駅が、こんなとてつもない汗が流されて出来上がっていたなんて。
男たちに感謝と最大の敬意をはらいたい。
ケーソンの手掘りってのが何とも凄い
あの空間で何時間くらい作業出来たのだろう・・・
先人の努力に感謝!
今より全てにおいて酷い社会環境だったろうが、未来の希望がまだあった時代なんだろうな
名もない作業員のみなさんの情熱と努力が今の東京を作ったのだという感激とともに、次の僕らは何ができるのだろうか、何をしてきたんだろうかと反省し発奮させられました。令和に生きる僕らも頑張らないとね。作業員の方々の努力もさることながら、撮影スタッフも大変な努力だったと思います。この時代にこの画質を照明焚いてフィルムで1発勝負...GoProで撮影してPremiereProで編集したんじゃないんだぜ、素晴らしいな...
通路の天井低いな、と思っていつも歩いていたけど、文句言えなくなった(笑)
次回からは、感謝しながら歩こうと思った。
しかし、前回のオリンピックを迎える希望と力強さに比べて、今回の息が詰まる閉塞感の差の大きさに愕然とするしかない。
すばらしい映像をありがとうございました。
土木技術者として、感銘を受けました!60年近く前の映像なのにカラーで、しかも画質も素晴らしいです。是非、後世に残していってほしい作品であると感じました。
スカパーで見た37年製作の地下鉄建設作業員一家を取り上げたTBSのドキュメント番組で知ったんですがこの頃の地下鉄工事作業員の家族用居住、新宿小田急デパート斜め前にあったそうです、それも地下鉄完成後 昭和39年には消えたようで。
明治期の遺構の取り壊しから、首都の近代化を納めた大変貴重な映像。
当時の最新技術ではあるものの、土砂の掻き出しなどはまだまだ人力に頼っていて、気の遠くなるような作業を成し遂げたことが解る。
あらためて当時の職人さんの凄さと、この方々の技術が今の首都を支えていることに感謝です。
出だし・・様々な建設機械の音が、この荒々しい舞台の伴奏を務める。
今のドキュメンタリーで、ここまで美しい日本語はなかなか出てこないですね・・
シールド工法じゃないんですね。潜函工法?
パソコンもインターネットもない時代に,これほどの工事をやり遂げたのはすごい。しかもシールドマシンでなくスコップで!
この人たちのおかげで,茅場町,六本木,虎ノ門ヒルズ,広尾など,有数の駅が利用できるようになっていると思うと感慨深い。
しかも残土が,豊洲の埋立てに使われているとは。現在に繋がっているんだなぁ。
かつては東急東横線、今は東武スカイツリーラインと相互乗り入れしている営団日比谷線(ご存知東京メトロ日比谷線の前身)、その基礎を築いた人達の記録でもある。
日比谷線だけはない、その残土が豊洲の埋立てに繋がり、今の東京を築いているのである。
@@hatatomo 図面もCADじゃなくて全部製図台で作ってたと思うと,想像すらしづらいです。
この頃は 東京も街灯は少なく コンビニもない こんなに暗かったんだ。
自分の生まれた年です。
作業の方々は自分の親世代。
日比谷線や地下鉄の日比谷駅は
今も乗り換えで使います。
残土が豊洲辺りの埋め立てに使われたそうで今年の東京オリンピック開催とも繋がり感慨深いものがありました。
ここに映っている大人の多くはもうこの世にはいないと思うと感慨深い。
自分もそんな事を考える。
最近はプラスして『この映像の時代には産まれてなかった人が今の世の中を動かしてる』って事も感慨深い。
ここに映っている人の人生とか勝手に考えたりもする
14:12バカw
エルフ不二家トラックの動くカラー映像も貴重だ
ピンク色のトラックですか?
@@さはらけんすけ そうです。
14:13 背中にバカって書かれとるやないかい!(笑)
この種の映像を見ていつも思うことは、我が国の土木技術と労働意欲表現の巧みなところ。
半世紀前にこれだけのことをやれたのはアジアは勿論、きっと今でも世界に希に違いない。
映像中「一年後のオリンピック開催を控えて工事が急がされた」とあるが、これだけの工事がやれた国だからこそオリンピックが開催できた。と言い換えることもできる。
タイルが貼られる瞬間、急に知ってる日比谷駅が現れた!って感じでなんだか感動する。地上の建物は軒並み建て変わってるけどよくよく見ると今でも残ってる建物があって面白い,日東紅茶の看板の建物とか
これはまた貴重なすごい映像です。最後のオリンピックファンファーレで終わるのもイイ!
ここで働いてくれていた労働者の方々も今は高齢者だよな。
9:15
この時間にコレって・・・昔はおおらかな時代だったんだなぁ。
この頃の日本には夢と希望があったのでしょうね
全て右肩上がりの社会で勢いもあり、今みたいにちょっと何かしらあれば叩き、やれコンプライアンスや〜ハラスメントとか…
確かに、当時はモラルもあまり無かったと思いますが、現代はちょっと厳し過ぎてるように感じます
でも、ここに写ってる方々大半はまうお亡くなりになってるのかもと思うと…
この当時は戦場経験者が多数いましたから、敵の爆撃、機銃掃射や十字砲火と比べたら2徹3徹したぐらいで死にやしないでしたからね。
銀座線や丸ノ内線の構想が
なかなかスゴい。
地下鉄日比谷線の敷設に命を懸ける男たちの息吹と苦闘とが伝わってくる映画だ!
What an absolutely amazing video and the sheer amount of work is remarkable. Wow!
間組の皆さんご苦労さんでございます、日本の礎を有難うございました。
当時の地下鉄工事は、こうやって地上からの工事でしたから、都内の各所の道路を車で走ると、
塞がれた鉄板の上のバッテンで、タイヤが「うー、うー」と鳴るのが思いだされます。
34:12
展示されている菊の花をチラ見して顔を綻ばせる作業員の皆さんの様子が微笑ましい。
こういう動画大好きです日本の素晴らしい技術から学んでいます。
42:24 遠隔カメラが普及していなかった時代とはいえ、監視員を地下に残してコンクリを流し込むなんですごい時代だ…。
銀座四丁目交差点の角の三愛ビルがいまだ健在なのは何気にすごい!
ベルコン、ジーゼルハンマー、ホッパー、カート、複胴ウインチ、コンクリートタワー、ガイデリッキ、懐かしいですね。良い記録ですねー、
2:26
・3号の二子玉川園延伸(のちに11号に変更)
・4号の成増延伸(のちに13号に変更)
・6号の西馬込延伸(のちに1号に変更)と上板橋分岐(のちに分岐を廃止し和光市延伸に変更)
・8号の錦糸町延伸(のちに豊洲から分岐に変更)
が興味深い
はるか後年に建設された7号線(南北線)が予定通りのルートなのが意外ですね。
霞ヶ関周辺は、戦前から
地下街ありましたか
よかったね
涙の出る深い感動で、皆さんの命をかけた作業を拝見致しました。地下鉄に乗るたびに感謝の気持ちをこれから思い起こします。
23区の地域図を2:24みたいな向きで見るのは初めて。
俺、シートパイルのオペやってるけど今の時代でよかった😭
こういう動画を観ると、今の高齢者が優遇されてるとは言えないよな。
今の高齢者批判ばかり言ってる若者が同じ仕事出来るのかと言われれば、ゆとりじゃとても無理だよなぁ。
若者から見たら週1休みで3K職場なんかあり得ないから。
全員マッチョ‼️
5:17 この時代には現場事務所を近場に設定出来なくて現場までバス輸送という事が行われていたんですね。
映像の杭打機、昭和49年頃位まで見かけましたがそれ以降はドリルで掘って最後だけスコン!っとやってた記憶が。
当時の工事・技術関係の方々に大感謝やね。
カラー映像は凄いですね‥。いつもありがとうございます!
物を作ることは美しいことなのだと実感できました。
62年の建設業の給与って、日比谷地下開発、25億円で、延べ30万人ということだから、2年の期間で1人あたり8千円ということ。いかに労務費が安かったか解る時代だ。
・当時の大卒初任給が月2万円程度なので、肉体労働者といっても2年で8000円はありえません
・2年でのべ30万人とはつまり30万人日のことで、単純に25億円を30万人で割ると1人1日8000円になります。しかしこれだと人件費としては多すぎます
・そもそも25億円が全部人件費に使われるわけではなく、その工区の総工費ではないでしょうか
@@osooshi 国家公務員甲種合格者で17800円ということなので、平均的サラリーマンの初任給では、せいぜい1万3千円程度だとおもいます。当時の出稼ぎの土木建設労働者に月給というのは、いまでいう海外の技能研修の名のもとの実質出稼ぎ労働総の給与と同様でしょう。
1年とおしての支払金額が一人当たり8千円程度というのがあたりどころだとおもいます。
@@タダタカサトウ
もう少し自分の要旨をはっきり言うと
・25億円を単純に30万人で割って一人当たりの2年間の工賃とするのは見積もりがおかしい
・実際に一人当たりいくら支払われたかはこのデータからはわからない
ということです。そして肉体労働者がどんな扱いを受けていたとしても2年で8000円や1年で8000円で到底暮らしてはいけないのです。8000円とは今のお金の価値で10万円程度なのですから。
5:44
和光が今と全然変わらなくて驚いた、、
たいへん面白い動画でした。自分の生まれるずっと前にほぼ人力に近い工事によって、普段利用している場所ができていたのを知り、この工事に携わったすべての人に感謝と尊敬の念を禁じえません。この動画に映っている作業員のおそらくほとんどは今はもう鬼籍に入られていることと思いますが、すべての先輩方にありがとうと言いたい。
終戦~この映像までが約20年
この映像~現代までが約60年
当時の日本がどれだけ短期間で復興を成し遂げたかよく分かる
「もはや戦後ではない」と言われただけある
Brilliant.
Thank you, NPO.
Stay safe.
welcome
9:55 ヒヤリハット…ご安全に
プリンスクリッパー冷凍車マツダロンパーワーゲンバス営業車の動く貴重なカラー映像
カラー映像が美しすぎて50年以上前の光景には見えない。
写ってる人々の殆どがもう居ないであろうことや、駅はそのままの状態で今も残ってる事を思うと不思議な感覚になってきますね。
狭い空間にカメラ入れるのも大変だったんじゃないかなぁ。
あと最後の完成直後の駅構内、出来たばかりなのになんとなく使用感があるのだけどあれが当時の「新品」なんですねぇ。
日比谷線だいすきー
冒頭の街中の映像など見てると、この時代に比べて日本人がいかにむやみにクラクションを鳴らなくなったのがよくわかる。
手堀りで地下鉄の空間を掘っているなんて、ものすごい重労働。地下鉄に乗る際は先人のご苦労に感謝しなくてはならないと思います。銀座の入り口の不二家ペコちゃんがかわいい。
52:27 撮影技術かっこええ~
働いてた方、ただただ、ありがとうございます😊。この方方のおかげで、感謝しかないいてす🙏🥰
こうしてみると今も昔も基本的な施工方法は一緒なんですね。人力部分が減っただけで。
8:07
赤い投光器って
もうあの時代にはあったんや
正月の初荷で日の丸を掲げて走っている動くトラックのカラー映像正にレア二時代前の世界
米と書いて、メートルって、素晴らしい。
メートルが上がって来ました…
@@kttk964
どの位飲まれたのですか?ww
日本一の日雇い人夫・リアル星一徹と山谷ブルース の世界だ。皆さん本当に有難う。
産まれる前からあった日比谷線がまだ工事中って新鮮に見える
機械ではなく手堀りで作業… 凄い!!
ハイロー型ミキサー車の動く貴重なカラー映像
コロナライン営業車の動くカラー映像貴重
まさにスクラップ&ビルドだな
日雇い派遣のふりしてビル建設現場で無給で仕事したことあったわ
気に入られて現場内で重機運転したり、ダンプ乗ったりして、飲み会とかも参加してたけど
俺がタダ働きしてたことなんて誰も知らんだろうな
この頃はまだ戦前期の建築がちゃんと残ってたんだな…………
何も片っ端から建て替えなくたって…………
まぁ日本はあまりそういう物の保護に関心がないし、景観の話もあまり理解されないから仕方無いかも知れないけど………
気候がそもそも建物の保存に向いてないって話知らんの?
@@ひとくいようかん
構造物の劣化は日本に限った問題ではありませんよ。というか………むしろ耐震強度の方が問題になっているように思われます。
まぁ、どちらにしろ保存や景観に対しての理解がないとできない事なので、日本の場合そちらがネックだったように思います。
ただ、近年は見直す動きも強くなってきていますから、今ある物はある程度後世に残していけるかもしれませんね。
31:30地下は蒸し蒸しして体力の消耗も激しいでしょうが、昔の人って身体が強い、無駄な肉が無い。当時は農閑期の地方からの出稼ぎ者も多かったそうです。俺なんか慢性痛風持ちだから大量に汗をかく仕事は今は無理。作業員さん達も仕事終わったら飯場で酒を煽り博打を打ち、より体力(精力)のある者は、吉原や堀之内、南町に遊女を抱きに行く。宵越しの銭は持たない方も多かったでしょう。ホワイトカラーと違ってブルーカラーは金使いがいいから公共事業は景気高揚の起爆剤になった。
すごい!素晴らしい!本当にたいへんだね!
正に、ものづくり大国日本土木の底力です。 作業に従事した方々に改めて、敬意を表します。
(旅客)
昔の人ってすごいなぁ😃限られた機械や道具で作るんだから今は、色々な機械や道具がある
大御所の俳優さんが、駆け出しの頃に日比谷線の工事現場でアルバイトに明け暮れたと何かのインタビューで話されていました。
古い記録映像で街角のシーンって必ずクラクションがけたたましく
鳴ってるけど
後入れの音なのか?
当時はクラクションがんがん鳴ってたのか?
Wonderful!
皆さんヘルメット着用偉いです、映画撮影してるからか
健康管理云々の話も実際どこまでやってたか少し疑問ですよね
日比谷線・・・マジ手掘り・・・頭が下がります。
凄すぎます。コロナ禍以来利用頻度が減りましたが通勤経路なので今度通るときはこの動画を再生しながら感謝したいと思います。
この頃はまだ覆工板無かったんだな。
50年以上も経って大丈夫なのかな⁉️
サムネイルが千原ジュニアだったので見に来ました。
素晴らしい動画を見れました!
これは日本の技術だけで建設されたんだろうか。だとすれば凄いなぁ。
この時代の日本は過去の因習なども残っていただろうが、世界最先端の未来へ向かって、皆一直線に突き進んでいたんだな。希望に溢れていた時代。
今見ると、違う国の話のように見えてしまう。
ごくたまに通るが,あの車用の一方通行の地下道がこのように作られたとは予想だにしていなかった.お疲れさま,
潜函工法!
凄いですね。熱と湿気と周りから土圧が作用する地下空間。
神(じん)ナンバートヨタDA90型ダンプ最終型のレアな動く新車当時の映像
素晴らしい映像、困難が見て取れる。
47:13危な!!ヽ(゚д゚ヽ)(ノ゚д゚)ノ!!あと少しで下敷きじゃん
the best ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
今考えるとほとんどが手作業で原始的か?と思われる工法ですが、緻密な計算と作業の経験や勘によって成立した工法は、さすがですね!今の中国や韓国の建築構造物の崩壊事故を見ていると、いかに長年にわたる技術や経験の蓄積が大切かが理解できる貴重な映像です。
聞き覚えがあり安心感のあるナレーションだと思ったらNHKの平光アナだったのですね。
1962年の国家予算2兆円、2021年の予算は100兆を優に超える。どれだけ労務費が安かった時代なのだろう?逆説からいえば、ピンハネともいえる公務員給与に対応する作業をAI(人口頭脳)に任せれば、5割は国家予算を減らすことができるだろう!!
地方自治体の公務員の給与、地方住民税では、支払いきれない。地域で負担できない役人は不要だ。
日比谷線のあたりは元々海の底だったのか
現代から見るとかなり危なっかしい施工でハラハラしながら見れました(汗)
ベレルタクシーの貴重なカラー映像
これだけの大工事だと、亡くなられた方もおられるのかなあ…。
帝愛の地下帝国みたい
みんな凄い筋肉だなぁ。