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大阪湾における地理的変遷の解析から神武天皇の存在、東遷の科学的、合理的証明をされている。地質学的方法での証明は、神武天皇が見られたであろう大阪湾の風景を現代人にも想像させるものでした。これらが古事記、日本書紀の内容と合致しているのは大きな驚きでした。長浜氏のさらなる御活躍を楽しみにしています。
すばらしい解説でした。すべての謎がすっと解けてゆくようなお話でした。
ありがとうございます。何回か聞きなおしたいと思います。
これは日本の正史として認識されるべき講座だと思います。お聴かせいただき、本当に感謝いたします。
心待ちにしておりました。今回は特に、神武天皇が九州北部に何年かお止まりになったことの訳が、とてもストンと心に落ちて嬉しかったです。ありがとうございました!
古代史に関してのいろいろな説を多くの研究者の方々から聞いてきましたが長浜先生の話が一番しっくり受け入れることができました。モヤモヤ感が晴れたような気分です。
河内ガタん最初に述べられたのは考古学の大家で同志社大学の森名誉教授です、その後、大阪市立大学でも述べられた。今回の富雄丸山古墳の発表により神武は、生駒の富雄に来て、同じ出自で、物部王朝から神武に位を譲った!
事実と証拠の積み重ねで論を進められる長浜さんの科学的態度は素晴らしいです。
こういう教育こそ今の日本には必要なんですよ。欧米や中国ましてや韓国を有難がる理由が全くわかりません。
素晴らしいお話だと思います。「日本の誕生」も読ませて頂き、触発されて日本書記(河出文庫版)を読んでみました。東征がスタートする部分、「この年は、神武天皇即位前7年、太歳(木星)は甲寅の方角にあった。その年、冬10月の5日、天皇はみずから皇子たちや舟軍を率いて、東へと遠征した。」は、東征への出発の時、木星が東北東に出ていたと読めます。先生が東征開始の年とされているBC74年の冬に木星が見えれば、御説の補強になるかと思い、ステラナビゲータと言う星座プログラムを使って調べてみました。「冬10月」といのは現在の歴で何時になるかは分かりませんが、5日と明示されていますので、月齢が5日程度と解釈できます。そこで、太陽暦で10月から1月頃の、月齢5日の日で木星が北~東に見える年を調べてみると、BC64年~67年の明け方となり、残念ながらBC74年には木星は見られませんでした。木星は公転周期が約12年ですので、その前は、BC76年~79年となります。日本書記の中で実際の星に関する記載は少ないので、前記記述は具体性があると思ったのですが、残念です。
全国民に観てほしい。真実を知ってほしい。
長浜先生ありがとうございます。1回~3回まで拝聴してひと言申し上げます。神武東征に関して、日本書紀・古事記の文面と過去の地理・地質・気候の科学的な比較検証は実にストンとしました。過去の文献だけに頼る歴史学者もこの動画を視て欲しいです。 天皇の年齢に関しても、倍年齢の事は実に興味深く拝聴しました。
ありがとうございます。古代史が見えて来ました。
だから、大きな和「大和」なのですね!生口の観点から見る素晴らしい切り口を、ありがとうございます!
とても興味深かったです。ユダヤの件ですが、ユダヤ人は2種類に分けられるとユダヤ教徒の方がおっしゃっていました。今のイスラエルは政治的に戦後建国されていて「ユダヤ教を信仰する人の国」で人種ではないとのことです。アシュケナージユダヤ人呼ばれるようです。正統派(スファラディ)は分散しているようですが、パレスチナにもいると言っている方もいます。ですから遺伝子の解析で日本人とイスラエルの方を比較するのはあまり正確ではないような気がします。田中先生は一年程前から聞いていますが、驚くことばかりです。歴史教科書の不思議にも気付きました。是非、討論できるような機会があればいいのにと思います。今回のシリーズは深い内容でしたのでまた、ゆっくり聴いてみます。
田中先生との討論について、私は何度も「受けて立つ」と明言しています。ただ、田中先生は拒否されています。
日本最古の氏族物部氏が書いた古事記では第10代崇神天皇だけをハツクニシラススメラミコトとしています。崇神天皇が初代天皇であると言うことは古事記ではそれ以前の天皇は認めていない事になります。一方百済系の藤原氏が百済の文人に書かせた日本書紀では神武天皇と崇神天皇の2人をハツクニシラススメラミコトとしていますが、初代天皇が2人と言う事はおかしいので、これは藤原氏が歴史を改ざんしているのではないでしょうか。日本の歴史を古くみせるため、崇神天皇の前に初代神武天皇から9代天皇までを後から付け足したと思われます。初代神武天皇は第16代応神天皇と共通点が多いので、応神天皇を元に作られた架空人物ではないでしょうか。
非常に素晴らしいと思います。ただもっといろいろな傍証が欲しいところですね。今後も研究を続けてください。
筋道がとおっていて面白く為になる話し
当時の地名が今尚残っているのですね。同じ血が受け継がれてきた証、地名は宝物ですね。多方面からの証拠の合致を基に導き出された歴史というものは、感動を誘います。
田中英道先生の「魏志倭人伝などデタラメ」という説もなかなか説得力があります。文献至上主義の歴史学者に対する強烈な鉄槌でしょうか。文字はなくても土器も青銅器も埴輪もあるという。
中国が隣国のことについて嘘をつく必要はないからその説はないかな。むしろ古事記や日本書紀は蘇我氏から藤原氏に政権交代してから書かれたから古事記や日本書紀の方が怪しい。蘇我氏と邪馬台国が近い関係にあったとしたら古事記や日本書紀に書かれないのも頷ける。中国の王朝でも前の王朝のことはボコボコに貶すからね
田中英道先生の説もかなりトンデモではないでしょうか。
@@儒教 金さえもらえば何でもありの中国 古代の資料改ざんなど当たり前
神武天皇のご実在が明らかにされたことで日本史がはっきりしました。私は、神武天皇の東征によって日本国が一つになったことで現在まで日本国が外国の侵略を防ぐことができたと思うようになりました。2000年以上、もっと古いかもしれませんが、日本語が使われ続けていることは日本国の歴史の優れた姿だと思います。年代はそれほど正確にする必要は感じません。
つまりBC70年からしか「日本史」は語れないと墓穴を掘った。
建設の知識は実践学ですから、地質や景観など様々な分野に通じますね。科学的論拠を織り交ぜ、歴史や神話を考察すると色々な姿が見えますね。素晴らしい。
あくまでも証明できる事実をつないで歴史の解明を試みる姿勢で導き出した推論は聞きごたえがありますね。
とても得心に至る内容でした。私も失礼ながら、当初眉唾的な見方で、この動画を拝見させて頂きましたw。【魏志倭人伝の邪馬台国】がイコール北部九州の伊都(夷都・漢委奴)連合とは思いにくいのですが、様々な点で面白かったです。特に春秋毎で年数を数えていた暦制の可能性です。(知ってはいましたが重要視していませんでした。)記紀の記述年数の差も含め、魏志倭人伝の倭人長命の内容にもこれなら納得がいくからです。そもそも私は【魏志倭人伝の邪馬台国】は大和盆地だと思っています。素人の勝手な推論ですが、それは河内が海であった時代、寝屋川近辺に迎賓館(公的な閨・ねや)があり、それが泊(港・トマリ・とま・投馬)であり、3世紀中葉の9代天皇のご家族に面会した記述が、あの内容であったと考えるからです。つまりやたら誇大に考えられている卑弥呼とは、中華・シナにおける天壇で天帝の命を受ける天子・皇帝がごとき、(神に祈る斎王的な存在を)女王と解したのだと思うのです。そうなると二等官記述のイシマ某(イザカワの宮)から、9代を一世30年(シナでは「世」は30年の意味)と考えれば、神武天皇の即位は紀元前1世紀頃の70年前後になります。先生の推定と完全に合致します。さらに言えば吉備の高嶋宮や安芸での滞在年数も、軍事・政治的にも長すぎる疑問にも納得がいきます。特に高嶋宮には行きましたが、当時の海岸線から考えて児島に城を築き、その前面に象徴的な宮を置くには、東西南北の水運海路の理想的な要の島です。それを見ても、かなり神武東征が現実的なのです。また近辺には安仁(あに)神社という神武の兄たちを奉る大きな社もあります。それらが符合し腑に落ちた内容でした。たいへん勉強になりました。
神武東征:大阪では、子供の頃、大阪の戦前戦後の習俗も学びます。戦後直ぐまで、北河内や大東市界隈あたりの多くが蓮レンコン・水田に覆われた湿地帯。民は、丘を除いて、小舟で移動していたと。私の子供の頃でも、古びた小舟が残っていました。 つまり、たった何十年前まで、湖ほどではないが湿地(水深2m以上、底ぬかるみ粘土質)が多く...古代の西暦3~4世紀くらいまでなら、底が平らな船で移動は可能だったと推測されます。
神武東征の意義がはっきり理解しました。ありがとうございます。
潮干狩りがとりたい放題で羨ましい。
西中島南方は御堂筋線ですねそれ以外は乗らなかった大阪での大学院生活が思い出されます懐かしい…
ご指摘くださり、ありがとうございます。御堂筋線です。会社への下車駅が淀屋橋だったので、勘違いしてしまいました。年は取りたくないものです。
@@八咫烏-o9q いえいえ、興味深いお話をありがとうございました😭
長命な天皇が多いことが実在しない根拠になっていたと思いますが、今回の講義でその謎が解けました。
素晴らしい研究です。教科書にして欲しいです。
長浜浩明先生の解説は最高です。日教組の先生こそ長浜先生の薫陶を受けるべきです。
内容は面白い、が資料を右から読んだり、左から読んだりわけわからんくなる…図や編集を若い詳しい人にやらせて監修するのがこの方には向いているのではないでしょうか?そうすれば地図や記紀のどこを辿っているのか色をつけたり、読み間違いや記憶が曖昧な貝の名前をグダグダとした言い回しで退屈に聞くこともなくなるはず
同感です、マウスポイントが表示されたり、ドラグエリアが変色する動画は普通に観ることが出来ますので、「ここ」・・・「何処?」のタイムラグ及び迷子状況が」解消できると思います。
【崇神天皇】は【神武天皇】よりも前に【日本列島】の來倭(らいわ)してきた。それは西暦何年かということだと、思いますが。私の推定は西暦461~2年頃が第一陣であろう。第二陣は西暦661年~663年頃ではないかと考えています。ここで、根拠はいえませんが、いずれの機会にしたいと思います。
長浜先生の講義は画期的です。科学で記紀の事実を証明されてます。考古学者全てに見てほしい。
淀屋橋線?は存在しないのでは。御堂筋線の西中島南方駅ですね。
失礼しました。確かに御堂筋線です。私の会社が淀屋橋にあり、常にそこで下車していたため、その印象が強かったせいか勘違いしてしまいました。過ちを指摘して下さり、感謝申し上げます。
神武東征があったと考えるほうが自然だよね。さすがに、一人でやったのではないと思うけど。西から東へ文明が広がる。東が日本のフロンティアだったんだね。
西中島南方駅は地下鉄御堂筋線です。東三国から中百舌鳥が通勤経路でした。ラーメン屋が多くてたまに行きます。淀川の北の繁華街ですね。15代目の応神天皇からガクっと傾きが変わるのが面白いですね。
57、107年 には邪馬台国はあったのだろうか?筑紫に相当する地名も隋書あたりから。記紀もだいぶ後の文献、伝承も不確実である
天照大神は女性なんだから女系でもいいという人たちがいます。しかし、天照大神はニニギに列島の支配権を委ねる役割であり、その役割を受ける前提には、列島を作ったイザナギの正当な血筋であることが必要なのではないかと思います。イザナギの男系はスサノオ・アマテラスであり、スサノオを通じてニニギはイザナギの男系なわけです。天皇はその2つのことから天皇と認められるのではないかと思われるわけで、女系になれば天皇とは認められないのではないかと思います。
「遡流而上りて」→「かはよりさかのぼりて」は意訳では? 原文は「三月丁卯朔丙子、遡流而上、徑至河內國草香邑靑雲白肩之津」「遡流而上」は流れを遡りて、「川」とは書かれていないのでは。大和エリアで西暦60年頃の鉄製品やその他遺跡などが出土しているのでしょうか?
日本の古代史が謎である理由は文献と事実つまり考古学や民俗学などの成果が合致していないのが理由です。長浜先生も、多くの日本人も、文献を都合の好いように解釈して乗り切ろうとしていますが、謎のままです。文献は政治文書だということに気づけばいいのですが、洗脳されているので難しいのです。考古学の成果からは、前方後円墳の発祥地の纏向遺跡で3世紀にヤマト王権が成立したことは分かっているので、神武東征神話と河内湖の話と結びつけてもダメです!3世紀以前に大和盆地には王が存在したことを示す証拠も大規模な戦闘が行われた証拠も見つかっていないのです(詳細は「刮目天の古代史 日本の古代史が謎な理由?」参照)。現存する日本最古の正史「日本書紀」は天武天皇が編纂を命じたので天皇の歴史書と学校で習っていますが、完成は崩御34年後です。時の権力者は藤原不比等でした。皇后とされた鵜野讃良(持統天皇とされているがウソ)と組んで皇位を簒奪して孫を即位させた事実を隠すために、日本神話を創って、その後の歴史も改ざんしていることが事実を検証して分かりました。古事記ですが、九世紀に朝廷で日本書紀を講義した学者多人長(おおのひとなが)が突然を出してきたものです。その序文に正史の前に完成したと書かれていますが、正史には古事記に関する記録が一切ないですし、引用した痕跡もありませんから、人長が作った偽書なのです。正史が隠した史実に導く暗号書だったことが分かりました。詳しくは「刮目天の古代史 空白の世紀と倭の五王の謎」などを参照してください。藤原氏にとって日本建国の史実が都合が悪いので卑弥呼も隠していますが、権力者の意図を推理して邪馬台国の場所も判明していますよ。卑弥呼の墓は宇佐市「三柱山古墳」です(詳細は「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」参照)。お邪魔しました(^_-)-☆
人間、どこの馬の骨か分からないのは困るのです。日本も国としてあるのですから、いつとも誰によってかも分からないのでは私は日本人です、日本国民ともいえないでしょう。神話が必要なのですよ。どこの国も建国神話を持ってますよ。韓国なんかも李承晩によって作られた国なんて思いたくもないから檀君神話を持ち出したりするのです。「纏向遺跡で3世紀にヤマト王権が成立したことは分かっている」こんなことが言えますか、遺跡のあるなしが国の条件とはいえないでしょう。「神話をなくした民族は命を失う」(フランス神話学者 デュメジル)
神話がすべて客観的で正しくなければならないのか?聖書の冒頭には、神が6日間で世界と動植物と人間を創造した様子が描かれています。現代の人間が神話を分析して間違ってるなんて言う事じたいどういう意味が有るの?長浜先生の研究は後世の歴史を忘れた日本人に有益だと思います。
この説は前から知っていたがこれが事実だらうな。
この話を聞くと、地政学と分子生物学に基づかない古代史学はもはや全く意味がない戯言であることを確信できる
初代から染色体の性質を知っていたのはなぜなのか、その事実はのちの時代に判明したわけで。本当に、神からのお告げがあったのか、統計、それよりずっと前からの経験を積み重ね、伝えていたことになる。確信に到る精度を高めるには、数千年から数万年はかかるのではないか。
地下鉄御堂筋線、西中島南方です。
GHQによる言論統制以前に、明治政府からも天皇絶対化の為、かなり話を盛っていると思います。科学的な検証が大切ですね。
古事記と日本書紀に大きな違いがあることは、どちらも正しいことはありえません。どちらかが、間違っているか、どちらも間違っているかとどちらかだ、と思います。ファンタジーと妄想から成り立つ神話を、史実と考えるは、個人の自由ですが、客観性はほとんどありません。
生口って、奴隷でしょうか?奴隷なんて向こうにもたくさんいたのではないでしょうか?そんなものもらって、うれしいですかね。それよりも、技術者等ではなかったのでしょうか。
奴隷以前に、生け贄制度があって「雨乞い」もあるでしょう。
北の日本人を連れて来て「機織り」をさせたら「不器用」で、できない。つまり、「製品」にならない「歴史」があります。それが「現実」です。渡来人は、「技術者」だったのです。それから「北の日本人」は?
いずれにしても「武力」によって得られた権力。人類の歴史。武力。
出雲の国譲りを受けたのにどうして天孫降臨が九州なのか分かりません。何故九州からの東征になるのでしょうか?その時、出雲は何してたんでしょうか?神武天皇の即位時期と東征の時期が大阪平野の地形どドンピシャなのに。
藤原東征
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
東京が直下型地震で首都機能が
防衛側の武器類が出てないので嘘ピョンか🤔その後動乱。やはり武器類は🤔
大阪平野と神武東征の関係性がわからないなんで証明になるのだろう?新羅本記も日本、中国側の文献をもとに書けば一致するのは当然と思います。
書き込むと消す!
神武東征は河内湖が消滅寸前の5世紀頃の出来事でしょう流れがないと白肩の津までは遡れないですから河内湖I以後の時代じゃないと記紀の記述と合わないですよ。
キリストが墓から蘇ったんやから、神武天皇が東征しとっても全然おかしくないし
仮説の即位はBC70年。倭国王帥升が奴隷を献上した時期はAD107年 。女王国連合30余国の時期はAD239年。仮説の東征の時期と邪馬台国の時期を混同してる気が。
AD239邪馬台国なら神武天皇即位BC70年を書き記す古事記には卑弥呼関係も知れていた〜古事記に記す必要がなかったむしろ表に出すのはまずい❓大和朝廷が隋の援助や後ろ盾のあった今は亡き邪馬台国と敵対関係に置かれるのはまずいと思ったので表には書かないようにした〜だがむかしの倭の女王(卑弥呼を指す)が朝貢したことは倭人の条に書いてあるので〜神功皇后の欄に書き込んで不問にした😂
オカルト雑誌の月刊ムーにも掲載して欲しい。
神話に科学的なメスは無理がある。記紀や魏志倭人伝の著者や時代背景が必要。道鏡問題で宇佐神宮に行ったのは応神天皇近辺が鍵になると思う。
これ全部この人の想像じゃん。なんで これが事実って言えるんだ?
旧中華帝国の文献を見れば、邪馬台国は遼東半島付近の公孫氏の国であることが明白。それらに基づくと朝鮮半島が倭であって、その倭と政治的経済的関係を持つ可能性があるのは北部九州という事である。烏桓や鮮卑などの北方東夷に注目した魏志の付録としての倭人の条を読み違えるのは、記述者の陳寿の動機を考えないからである。陳寿は、如何なる音韻を聞いて卑弥呼という文字をあてたのか?軍事以外の地理的風物詩的興味で書いたのか?この点を説明できなければ如何なる仮説も成立しない。少し、考えれば答えは直ぐ出るのである。東大や京大の文献史学の思い込みから完全に離れることをお勧めしたい。
流石に無理がある。ファンタジーと事実は違う。義務教育で建国神話を教えるのは愛国心を育むという意味で否定しないが、学者までファンタジーを信じるのは違う。藤原不比等が書いた古事記や日本書紀なんて信じられない
色々な研究をたくさん伺ってきましたが瞬時に納得できるほどのご研究です。
…日本の歴史って聖書を元にされていて年代などは濁しな気がする…八咫烏12羽の話などもそうだし。キリストにも12の使徒がいるし。聖母マリア=天照大神、神武天皇=イエス様、麻生太郎もカトリック教だし。日本の神道の上にカトリック教がある僕はカトリックは好きではないが。
神話が現実であった。だから何?つまらない。
大阪湾における地理的変遷の解析から神武天皇の存在、東遷の科学的、合理的証明をされている。地質学的方法での証明は、神武天皇が見られたであろう大阪湾の風景を現代人にも想像させるものでした。これらが古事記、日本書紀の内容と合致しているのは大きな驚きでした。長浜氏のさらなる御活躍を楽しみにしています。
すばらしい解説でした。すべての謎がすっと解けてゆくようなお話でした。
ありがとうございます。何回か聞きなおしたいと思います。
これは日本の正史として認識されるべき講座だと思います。
お聴かせいただき、本当に感謝いたします。
心待ちにしておりました。
今回は特に、神武天皇が九州北部に何年かお止まりになったことの訳が、とてもストンと心に落ちて嬉しかったです。
ありがとうございました!
古代史に関してのいろいろな説を多くの研究者の方々から聞いてきましたが長浜先生の話が一番しっくり受け入れることができました。モヤモヤ感が晴れたような気分です。
河内ガタん最初に述べられたのは考古学の大家で同志社大学の森名誉教授です、その後、大阪市立大学でも述べられた。
今回の富雄丸山古墳の発表により神武は、生駒の富雄に来て、同じ出自で、物部王朝から神武に位を譲った!
事実と証拠の積み重ねで論を進められる長浜さんの科学的態度は素晴らしいです。
こういう教育こそ今の日本には必要なんですよ。
欧米や中国ましてや韓国を有難がる理由が全くわかりません。
素晴らしいお話だと思います。「日本の誕生」も読ませて頂き、触発されて日本書記(河出文庫版)を読んでみました。東征がスタートする部分、「この年は、神武天皇即位前7年、太歳(木星)は甲寅の方角にあった。その年、冬10月の5日、天皇はみずから皇子たちや舟軍を率いて、東へと遠征した。」は、東征への出発の時、木星が東北東に出ていたと読めます。先生が東征開始の年とされているBC74年の冬に木星が見えれば、御説の補強になるかと思い、ステラナビゲータと言う星座プログラムを使って調べてみました。「冬10月」といのは現在の歴で何時になるかは分かりませんが、5日と明示されていますので、月齢が5日程度と解釈できます。そこで、太陽暦で10月から1月頃の、月齢5日の日で木星が北~東に見える年を調べてみると、BC64年~67年の明け方となり、残念ながらBC74年には木星は見られませんでした。木星は公転周期が約12年ですので、その前は、BC76年~79年となります。日本書記の中で実際の星に関する記載は少ないので、前記記述は具体性があると思ったのですが、残念です。
全国民に観てほしい。
真実を知ってほしい。
長浜先生ありがとうございます。1回~3回まで拝聴してひと言申し上げます。
神武東征に関して、日本書紀・古事記の文面と過去の地理・地質・気候の科学的な比較検証は
実にストンとしました。過去の文献だけに頼る歴史学者もこの動画を視て欲しいです。
天皇の年齢に関しても、倍年齢の事は実に興味深く拝聴しました。
ありがとうございます。古代史が見えて来ました。
だから、大きな和「大和」なのですね!
生口の観点から見る素晴らしい切り口を、ありがとうございます!
とても興味深かったです。
ユダヤの件ですが、ユダヤ人は2種類に分けられるとユダヤ教徒の方がおっしゃっていました。今のイスラエルは政治的に戦後建国されていて「ユダヤ教を信仰する人の国」で人種ではないとのことです。アシュケナージユダヤ人呼ばれるようです。正統派(スファラディ)は分散しているようですが、パレスチナにもいると言っている方もいます。
ですから遺伝子の解析で日本人とイスラエルの方を比較するのはあまり正確ではないような気がします。
田中先生は一年程前から聞いていますが、驚くことばかりです。歴史教科書の不思議にも気付きました。是非、討論できるような機会があればいいのにと思います。
今回のシリーズは深い内容でしたのでまた、ゆっくり聴いてみます。
田中先生との討論について、私は何度も「受けて立つ」と明言しています。ただ、田中先生は拒否されています。
日本最古の氏族物部氏が書いた古事記では第10代崇神天皇だけをハツクニシラススメラミコトとしています。崇神天皇が初代天皇であると言うことは古事記ではそれ以前の天皇は認めていない事になります。一方百済系の藤原氏が百済の文人に書かせた日本書紀では神武天皇と崇神天皇の2人をハツクニシラススメラミコトとしていますが、初代天皇が2人と言う事はおかしいので、これは藤原氏が歴史を改ざんしているのではないでしょうか。日本の歴史を古くみせるため、崇神天皇の前に初代神武天皇から9代天皇までを後から付け足したと思われます。初代神武天皇は第16代応神天皇と共通点が多いので、応神天皇を元に作られた架空人物ではないでしょうか。
非常に素晴らしいと思います。
ただもっといろいろな傍証が欲しいところですね。
今後も研究を続けてください。
筋道がとおっていて面白く為になる話し
当時の地名が今尚残っているのですね。同じ血が受け継がれてきた証、地名は宝物ですね。
多方面からの証拠の合致を基に導き出された歴史というものは、感動を誘います。
田中英道先生の「魏志倭人伝などデタラメ」という説もなかなか説得力があります。文献至上主義の歴史学者に対する強烈な鉄槌でしょうか。文字はなくても土器も青銅器も埴輪もあるという。
中国が隣国のことについて嘘をつく必要はないからその説はないかな。
むしろ古事記や日本書紀は蘇我氏から藤原氏に政権交代してから書かれたから古事記や日本書紀の方が怪しい。
蘇我氏と邪馬台国が近い関係にあったとしたら古事記や日本書紀に書かれないのも頷ける。
中国の王朝でも前の王朝のことはボコボコに貶すからね
田中英道先生の説もかなりトンデモではないでしょうか。
@@儒教 金さえもらえば何でもありの中国 古代の資料改ざんなど当たり前
神武天皇のご実在が明らかにされたことで日本史がはっきりしました。
私は、神武天皇の東征によって日本国が一つになったことで現在まで日本国が外国の侵略を防ぐことができたと思うようになりました。
2000年以上、もっと古いかもしれませんが、日本語が使われ続けていることは日本国の歴史の優れた姿だと思います。年代はそれほど正確にする必要は感じません。
つまりBC70年からしか「日本史」は語れないと墓穴を掘った。
建設の知識は実践学ですから、地質や景観など様々な分野に通じますね。
科学的論拠を織り交ぜ、歴史や神話を考察すると色々な姿が見えますね。素晴らしい。
あくまでも証明できる事実をつないで歴史の解明を試みる姿勢で導き出した推論は聞きごたえがありますね。
とても得心に至る内容でした。
私も失礼ながら、当初眉唾的な見方で、この動画を拝見させて頂きましたw。
【魏志倭人伝の邪馬台国】がイコール北部九州の伊都(夷都・漢委奴)連合とは思いにくいのですが、様々な点で面白かったです。
特に春秋毎で年数を数えていた暦制の可能性です。(知ってはいましたが重要視していませんでした。)
記紀の記述年数の差も含め、魏志倭人伝の倭人長命の内容にもこれなら納得がいくからです。
そもそも私は【魏志倭人伝の邪馬台国】は大和盆地だと思っています。
素人の勝手な推論ですが、それは河内が海であった時代、寝屋川近辺に迎賓館(公的な閨・ねや)があり、それが泊(港・トマリ・とま・投馬)であり、3世紀中葉の9代天皇のご家族に面会した記述が、あの内容であったと考えるからです。
つまりやたら誇大に考えられている卑弥呼とは、中華・シナにおける天壇で天帝の命を受ける天子・皇帝がごとき、(神に祈る斎王的な存在を)女王と解したのだと思うのです。
そうなると二等官記述のイシマ某(イザカワの宮)から、9代を一世30年(シナでは「世」は30年の意味)と考えれば、神武天皇の即位は紀元前1世紀頃の70年前後になります。
先生の推定と完全に合致します。
さらに言えば吉備の高嶋宮や安芸での滞在年数も、軍事・政治的にも長すぎる疑問にも納得がいきます。
特に高嶋宮には行きましたが、当時の海岸線から考えて児島に城を築き、その前面に象徴的な宮を置くには、東西南北の水運海路の理想的な要の島です。
それを見ても、かなり神武東征が現実的なのです。また近辺には安仁(あに)神社という神武の兄たちを奉る大きな社もあります。
それらが符合し腑に落ちた内容でした。たいへん勉強になりました。
神武東征:大阪では、子供の頃、大阪の戦前戦後の習俗も学びます。戦後直ぐまで、北河内や大東市界隈あたりの多くが蓮レンコン・水田に覆われた湿地帯。民は、丘を除いて、小舟で移動していたと。私の子供の頃でも、古びた小舟が残っていました。
つまり、たった何十年前まで、湖ほどではないが湿地(水深2m以上、底ぬかるみ粘土質)が多く...古代の西暦3~4世紀くらいまでなら、底が平らな船で移動は可能だったと推測されます。
神武東征の意義がはっきり理解しました。ありがとうございます。
潮干狩りがとりたい放題で羨ましい。
西中島南方は御堂筋線ですね
それ以外は乗らなかった大阪での大学院生活が思い出されます
懐かしい…
ご指摘くださり、ありがとうございます。御堂筋線です。会社への下車駅が淀屋橋だったので、勘違いしてしまいました。年は取りたくないものです。
@@八咫烏-o9q いえいえ、興味深いお話をありがとうございました😭
長命な天皇が多いことが実在しない根拠になっていたと思いますが、今回の講義でその謎が解けました。
素晴らしい研究です。教科書にして欲しいです。
長浜浩明先生の解説は最高です。日教組の先生こそ長浜先生の薫陶を受けるべきです。
内容は面白い、が資料を右から読んだり、左から読んだりわけわからんくなる…
図や編集を若い詳しい人にやらせて監修するのがこの方には向いているのではないでしょうか?
そうすれば地図や記紀のどこを辿っているのか色をつけたり、読み間違いや記憶が曖昧な貝の名前をグダグダとした言い回しで退屈に聞くこともなくなるはず
同感です、マウスポイントが表示されたり、ドラグエリアが変色する動画は普通に観ることが出来ますので、「ここ」・・・「何処?」のタイムラグ及び迷子状況が」解消できると思います。
【崇神天皇】は【神武天皇】よりも前に【日本列島】の來倭(らいわ)してきた。それは西暦何年かということだと、思いますが。私の推定は西暦461~2年頃が第一陣であろう。第二陣は西暦661年~663年頃ではないかと考えています。ここで、根拠はいえませんが、いずれの機会にしたいと思います。
長浜先生の講義は画期的です。科学で記紀の事実を証明されてます。考古学者全てに見てほしい。
淀屋橋線?は存在しないのでは。
御堂筋線の西中島南方駅
ですね。
失礼しました。確かに御堂筋線です。私の会社が淀屋橋にあり、常にそこで下車していたため、その印象が強かったせいか勘違いしてしまいました。過ちを指摘して下さり、感謝申し上げます。
神武東征があったと考えるほうが自然だよね。
さすがに、一人でやったのではないと思うけど。
西から東へ文明が広がる。東が日本のフロンティアだったんだね。
西中島南方駅は地下鉄御堂筋線です。東三国から中百舌鳥が通勤経路でした。ラーメン屋が多くてたまに行きます。淀川の北の繁華街ですね。
15代目の応神天皇からガクっと傾きが変わるのが面白いですね。
57、107年 には邪馬台国はあったのだろうか?
筑紫に相当する地名も隋書あたりから。
記紀もだいぶ後の文献、伝承も不確実である
天照大神は女性なんだから女系でもいいという人たちがいます。
しかし、天照大神はニニギに列島の支配権を委ねる役割であり、その役割を受ける前提には、列島を作ったイザナギの正当な血筋であることが必要なのではないかと思います。
イザナギの男系はスサノオ・アマテラスであり、スサノオを通じてニニギはイザナギの男系なわけです。
天皇はその2つのことから天皇と認められるのではないかと思われるわけで、女系になれば天皇とは認められないのではないかと思います。
「遡流而上りて」→「かはよりさかのぼりて」は意訳では? 原文は「三月丁卯朔丙子、遡流而上、徑至河內國草香邑靑雲白肩之津」
「遡流而上」は流れを遡りて、「川」とは書かれていないのでは。大和エリアで西暦60年頃の鉄製品やその他遺跡などが出土しているのでしょうか?
日本の古代史が謎である理由は文献と事実つまり考古学や民俗学などの成果が合致していないのが理由です。長浜先生も、多くの日本人も、文献を都合の好いように解釈して乗り切ろうとしていますが、謎のままです。文献は政治文書だということに気づけばいいのですが、洗脳されているので難しいのです。考古学の成果からは、前方後円墳の発祥地の纏向遺跡で3世紀にヤマト王権が成立したことは分かっているので、神武東征神話と河内湖の話と結びつけてもダメです!3世紀以前に大和盆地には王が存在したことを示す証拠も大規模な戦闘が行われた証拠も見つかっていないのです(詳細は「刮目天の古代史 日本の古代史が謎な理由?」参照)。
現存する日本最古の正史「日本書紀」は天武天皇が編纂を命じたので天皇の歴史書と学校で習っていますが、完成は崩御34年後です。時の権力者は藤原不比等でした。皇后とされた鵜野讃良(持統天皇とされているがウソ)と組んで皇位を簒奪して孫を即位させた事実を隠すために、日本神話を創って、その後の歴史も改ざんしていることが事実を検証して分かりました。古事記ですが、九世紀に朝廷で日本書紀を講義した学者多人長(おおのひとなが)が突然を出してきたものです。その序文に正史の前に完成したと書かれていますが、正史には古事記に関する記録が一切ないですし、引用した痕跡もありませんから、人長が作った偽書なのです。正史が隠した史実に導く暗号書だったことが分かりました。詳しくは「刮目天の古代史 空白の世紀と倭の五王の謎」などを参照してください。藤原氏にとって日本建国の史実が都合が悪いので卑弥呼も隠していますが、権力者の意図を推理して邪馬台国の場所も判明していますよ。卑弥呼の墓は宇佐市「三柱山古墳」です(詳細は「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」参照)。お邪魔しました(^_-)-☆
人間、どこの馬の骨か分からないのは困るのです。日本も国としてあるのですから、いつとも誰によってかも分からないのでは私は日本人です、日本国民ともいえないでしょう。神話が必要なのですよ。どこの国も建国神話を持ってますよ。韓国なんかも李承晩によって作られた国なんて思いたくもないから檀君神話を持ち出したりするのです。
「纏向遺跡で3世紀にヤマト王権が成立したことは分かっている」こんなことが言えますか、遺跡のあるなしが国の条件とはいえないでしょう。
「神話をなくした民族は命を失う」(フランス神話学者 デュメジル)
神話がすべて客観的で正しくなければならないのか?聖書の冒頭には、神が6日間で世界と動植物と人間を創造した様子が描かれています。現代の人間が神話を分析して間違ってるなんて言う事じたいどういう意味が有るの?長浜先生の研究は後世の歴史を忘れた日本人に有益だと思います。
この説は前から知っていたがこれが事実だらうな。
この話を聞くと、地政学と分子生物学に基づかない古代史学はもはや全く意味がない戯言であることを確信できる
初代から染色体の性質を知っていたのはなぜなのか、その事実はのちの時代に判明したわけで。本当に、神からのお告げがあったのか、統計、それよりずっと前からの経験を積み重ね、伝えていたことになる。確信に到る精度を高めるには、数千年から数万年はかかるのではないか。
地下鉄御堂筋線、西中島南方です。
GHQによる言論統制以前に、明治政府からも天皇絶対化の為、かなり話を盛っていると思います。科学的な検証が大切ですね。
古事記と日本書紀に大きな違いがあることは、どちらも正しいことはありえません。
どちらかが、間違っているか、どちらも間違っているかとどちらかだ、と思います。
ファンタジーと妄想から成り立つ神話を、史実と考えるは、個人の自由ですが、客観性はほとんどありません。
生口って、奴隷でしょうか?奴隷なんて向こうにもたくさんいたのではないでしょうか?
そんなものもらって、うれしいですかね。
それよりも、技術者等ではなかったのでしょうか。
奴隷以前に、生け贄制度があって「雨乞い」もあるでしょう。
北の日本人を連れて来て「機織り」をさせたら「不器用」で、できない。つまり、「製品」にならない「歴史」があります。それが「現実」です。渡来人は、「技術者」だったのです。それから「北の日本人」は?
いずれにしても「武力」によって得られた権力。人類の歴史。武力。
出雲の国譲りを受けたのにどうして天孫降臨が九州なのか分かりません。何故九州からの東征になるのでしょうか?その時、出雲は何してたんでしょうか?神武天皇の即位時期と東征の時期が大阪平野の地形どドンピシャなのに。
藤原東征
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
東京が直下型地震で首都機能が
防衛側の武器類が出てないので嘘ピョンか🤔
その後動乱。やはり武器類は🤔
大阪平野と神武東征の関係性がわからない
なんで証明になるのだろう?
新羅本記も日本、中国側の文献をもとに
書けば一致するのは当然と思います。
書き込むと消す!
神武東征は河内湖が消滅寸前の5世紀頃の出来事でしょう
流れがないと白肩の津までは遡れないですから
河内湖I以後の時代じゃないと記紀の記述と合わないですよ。
キリストが墓から蘇ったんやから、神武天皇が東征しとっても全然おかしくないし
仮説の即位はBC70年。倭国王帥升が奴隷を献上した時期はAD107年 。女王国連合30余国の時期はAD239年。
仮説の東征の時期と邪馬台国の時期を混同してる気が。
AD239邪馬台国なら神武天皇即位BC70年を書き記す古事記には卑弥呼関係も知れていた〜古事記に記す必要がなかったむしろ表に出すのはまずい❓大和朝廷が隋の援助や後ろ盾のあった今は亡き邪馬台国と敵対関係に置かれるのはまずいと思ったので表には書かないようにした〜だがむかしの倭の女王(卑弥呼を指す)が朝貢したことは倭人の条に書いてあるので〜神功皇后の欄に書き込んで不問にした😂
オカルト雑誌の月刊ムーにも掲載して欲しい。
神話に科学的なメスは無理がある。記紀や魏志倭人伝の著者や時代背景が必要。道鏡問題で宇佐神宮に行ったのは応神天皇近辺が鍵になると思う。
これ全部この人の想像じゃん。なんで これが事実って言えるんだ?
旧中華帝国の文献を見れば、邪馬台国は遼東半島付近の公孫氏の国であることが明白。それらに基づくと朝鮮半島が倭であって、その倭と政治的経済的関係を持つ可能性があるのは北部九州という事である。烏桓や鮮卑などの北方東夷に注目した魏志の付録としての倭人の条を読み違えるのは、記述者の陳寿の動機を考えないからである。陳寿は、如何なる音韻を聞いて卑弥呼という文字をあてたのか?軍事以外の地理的風物詩的興味で書いたのか?この点を説明できなければ如何なる仮説も成立しない。少し、考えれば答えは直ぐ出るのである。東大や京大の文献史学の思い込みから完全に離れることをお勧めしたい。
流石に無理がある。
ファンタジーと事実は違う。
義務教育で建国神話を教えるのは愛国心を育むという意味で否定しないが、学者までファンタジーを信じるのは違う。
藤原不比等が書いた古事記や日本書紀なんて信じられない
色々な研究をたくさん伺ってきましたが瞬時に納得できるほどのご研究です。
…日本の歴史って聖書を元にされていて年代などは濁しな気がする…
八咫烏12羽の話などもそうだし。
キリストにも12の使徒がいるし。
聖母マリア=天照大神、
神武天皇=イエス様、
麻生太郎もカトリック教だし。
日本の神道の上にカトリック教がある
僕はカトリックは好きではないが。
神話が現実であった。だから何?つまらない。