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「哀れデヴィット最後尾」というワードをこの動画を見て思い出したやっぱマクラーレンはWestカラーが一番好き。
この頃のマクラーレンがいちばん格好いいと感じる
当時ハッキネンを応援していた自分にとって2001年はマジで地獄でした、2戦に1回はリタイアしてるのを見ると現代のF1は信頼性すごいなぁと思います。
ミカ大好き‼️今でもミカの大大大ファンです‼️
2001年のスペインGPのハッキネンのレースを見てこんな事があるのかとショックを覚えました。このレースがきっかけで本格的にF1にハマり、今に至ります。。ハッキネンの引退は悲しかった…。この年の鈴鹿でハッキネンを見れたのは非常に良い思い出になっています。
シューマッハがえげつなかったから熱い闘志とクリーンな走りのハッキネンを応援しちゃうよね
ハッキネン自身も「ガラスのメンタル」でした。気の毒な程、繊細だし、優し過ぎました。
人間らしくて俺は好きだったミカ
うん。俺も好きです。@@仝紳士な変態仝
ドライバーもアスリート。タフなメンタルは必須でした。大和魂で突貫!ではないですが、強い精神力は大いに肉体をカバー出来ると思います。
ハッキネンの引退レース、鈴鹿に見に行ったんだけどフェラーリのマシンよりシューマッハの凄さをS字で見て全然他のレーサーとは違ってた。ハッキネンは3位になりそうだったけどクルサードにゆずって4位でした。ゆっくり人がはけた後にスタンドから遊園地に方向に向かうロン・デニスを見て、かなり疲れた雰囲気だったけど、ファンが声をかけて写真を並んで撮ったりしっかりファンサービスをしていた。
2000年のベルギーのオーバーテイク2001年のスペインの最終周でのリタイアいまでも脳裏に焼きついている。
何故か、ハッキネンライコネンがいなくなってからマクラーレンメルセデスの信頼性が上がるという😮
ハッキネン、栄光(2年連続のチャンピオン)から引退までがあっという間だったような印象でしたね。
その栄光までがあまりにも長すぎたね…デビューから優勝まででも7年かかってるし
かつてのチームメイトがレース中のクラッシュで亡くなり、自身もクラッシュで生死の境をさまよって、苦労に苦労を重ねてようやく日の目を浴びたって感じだからねえ。
ニューウェーイ氏は、レイトン在籍時も攻め過ぎた車を制作していた。ニューウェーイ氏には行き過ぎる設計を舵取りする番頭さん(ウィリアムズのPヘッド氏みたいな)が必要なのだろう。
ウェーイ!!吉高由里子登場
2002もライコネンが苦労してたな。速いけど信頼性がないイメージ
ハッキネンのモチベーションが落ちる中でクルサードが奮闘が目立った。だけどクルサードの速さもこの辺りがピークだったかな?
グラデーションカラー&ニューウェイのマクラーレンは本当に美しいですね。タミヤのプラモデルではグラデーションをドットでごまかしてましたが。それにしてもハッキネンの引退はビックリしましたね。
エイドリアン・ニューウェイの作ったマクラーレンのマシンはガラスのマシンって言われてたな。でもマシンサウンドはMP4/15が一番好き。
ハッキネンの後、ライコネンもメルセデスの信頼性には苦しめられたなライコネンもタイヤが飛んだり、リアウィングが飛んだりして大クラッシュしてたよねハッキネンの不運はしっかりライコネンへと受け継がれてるんだよ
コバライネンにボッタス、フィンランド人は何かと運に見放される時があるよね…
パーツが飛ぶ(フライング)フィン
@@スネ吉ヘッド そのボッタスの来季残留が微妙になって、ミハエルの息子のミック氏がレギュラー返り咲きの噂も
F1引退してもDTMで走ってたし、レースへの意欲は消えてなかったんだよね
2000-2001年のマクラーレンは2台合わせてDNF17回(ハッキネン11回、クルサード6回)、さらに言えば翌2002年シーズンもDNF15回(クルサード4回、ライコネン11回)でその殆どはマシントラブルに起因するものだったので、トップチームとしてはあまりに信頼性が低かった…
このあたりで一度やる気をなくしたのか、ニューウェイさんもマクラーレン離脱まですっかり地味になっちゃったよね。そして台頭したのがマイク・コフラン。
ハッキネンの頭の中に『移籍』する考えがあまり無かったのはマクラーレンの居心地が良かったのか他チームでは勝てるマシンが無かったか、政治的な駆け引きは全然聞かなかったな。 ハッキネンはシューマッハと違ってクリーンなレーサーのイメージ、少し泣き虫だったが。
シューマッハ好きですが、ハッキネンの恐ろしいまでのスピードは惚れ惚れですね。なんて事は2000年のスパ見りゃ判るよね。
ケメルストレートのF1史上最高に美しいオ-バ-テイク!あの時のシュ-マッハもぐうの音も出ず参りました!って感じだったね
アレは真ん中のゾンタも肩すくんだ事でしょう。
政治的動きやを含めた権謀術数やピット作戦など駆け引きの限りを尽くして戦うシューミ対すぐ壊れるけどハマったら何をやっても絶対止められないハッキネンの構図好きだったな。
2001年のマクラーレン、特にハッキネンにはなんでこんなに不運なことが起きるんだろうってずっと思ってました。でも、その代わりにウィリアムズBMWが上昇してきてモントーヤとラルフがフェラーリに対抗して来たりで面白くなったシーズンでもあったと思います。特に、2001年デビューのモントーヤには後のチャンピオンとしての可能性をものすごく感じてファンになってしまいました。
チムニーダクトに始まる、F1が「異形の形容し難きもの」になる直前のマシンま美しかった時代かな...。
97年の最終戦ヨーロッパGPで、ハッキネンとクルサードが1·2フィニッシュしたところから、マクラーレンの時代が来るかなと想像していました。98年と99年は苦戦しながらもチャンピオンになったのにもったいなかったです。
マシンはカッコいいと思うんだけどなぁ…。
ASビデオのマカオが面白かった。あれでシューマッハが嫌いになったwハッキネンは、口は悪いが良い奴だなと思った。
ハッキネンが引退してからF1がつまらなくなったな~
そんなことはない
ニューエイのマクラーレンからの移籍先は当時のホンダエンジンユーザーのBAR又はジョーダン、トヨタワークスでも良かったと思います。^^
はい。①MP4/15で印象深かったのは00年のスパですかね。ハッキネンがトップでちょい濡れの中ハーフスピンしてミハエルに抜かれた後、猛追撃で最後ケメルストレートでミハエルをゾンタ諸共ブチ抜いて優勝したのは…凄すぎました(テレビで解説聞いていて亜久里さんはミハエルびいきでしたね)。②MP4/16と言えば、01年カタロニアですかね。ここまで不調だったハッキネンが復調してミハエルとトップ争いしてピットストップで追い抜きましたよね。けど、最終ラップで止まってしまうなんて…今考えるとあのレース辺りが引退を決めるきっかけになったかも知れないですね。
あいつらクレイジーだ ってゾンタが無線で叫んだやつですね。21世紀最大のオーバーテイクと当時言われてましたね
ミカファンとして、2001年のスペインGPは絶対に忘れられない。フジの放送を観てて、終盤で勝利を確信したところ、CMへ···。アイキャッチで「この後ハッキネンに異変が!?」的なテロップが。直後にシューファンの友人から電話があり、通話しながら観戦。ファイナルラップでまさかのエンジンブロー&リタイアで呆然としてるところに友人の歓喜の声が響いてたのを思い出した···。2001年はマジで酷かった···(涙)
届かないのか。ハッキネンは届かないのか。あー!!!停まった… って実況でしたよね。しかも独走からトラブルかかえてたシューが逆転。自分もシューファンの先輩とメールの嵐だったのを覚えてます。
思えばGP Car Story外伝のミハエルシューマッハ特集での良き最大のライバルのハッキネン氏のインタビュー記事は胸熱の一言
プライベートジェットの事故はほんとにショッキングで惨劇に感じた自分少年時代😞F1に直接関係ないものの今でも衝撃史に残ります😖🙏ハッキネンのクラッシュというと同じくオーストラリアでこちらはアデレート市街地でしたが動画回にもあるようにこちらも衝撃的で印象的でしたね😵
イギリス競馬でも同様の事故が多発(そのうちの1件がトップ騎手のデットーリ)していたのでクルサードの事故も賭博絡みではないかとの噂も飛び交っていました
@@crankyfranky9801 まぁ💦噂であることを信じてやりましょう……あれは語るも難しい悲劇です😞
嫁さんが怖そうだった。
この年からマクラーレンはあまり勝てなくなり、鎬を削ってたライバルのフェラーリの方は黄金無双時代へと突入する…
90年代のF1マシンのNo.1デザイナーといえばエイドリアン・ニューウェイを挙げる人が多いと思います。そのニューウェイが00年代に入った途端、一気に失速しマクラーレンメルセデスは坂を転がり落ちるかのような低調ぶりをみせることに・・・今回取り上げられた00年、01年の失敗が後につながればよかったのですが、03年には新車投入ができずに終わるなんてことにもなりマクラーレンは没落。2000年代前半のF1はミハエル・シューマッハが勝ち続けるという退屈なものにしてしまった一因になったと思いますね。
個人的ですがハッキネンには2005年位までF1で走ってほしかった2003年2005年と3回目のチャンピオンになれる可能性もあったから非常に残念でした
2004年もMP4/19Bの戦闘力が序盤からあれば、王者を狙えたかもしれませんね😢シルバーストンでライコネンがポールを取った辺りから、別物のマシンになってました。(なお、次戦のホッケンハイムでライコネンのリヤウイングが脱落するんですけどね)2004年はフェラーリがぶっちぎりでしたから、私もハッキネン&ライコネンのマクラーレン追い上げ劇を見てみたかったです!
@@Kugelschreiber518寝言は寝てからにしてね(笑)
ミカとシュミーが争ってた時が一番楽しかった鈴鹿の予選でPP取り合った時が最高だったよ
予選で同タイムとか痺れましたよね
1000分の9秒差!距離にして45cmの差だったそうです。ミカの最終シケインに片輪乗り上げるような、エグい走りを今もよく憶えています😊
トラコン積んでたフェラーリの勝ち2000年鈴鹿ですね
ハッキネンは96年オーストラリアGPの大クラッシュの後遺症にその後も悩まされていたらしい。
ハッキネンのアクシデントは1995年では?
2001年の鈴鹿🥺ザウバーのピットの上で観戦。ミカに肩をポンポンして貰えてフリーズ😳😳ミハエルとサムアップ👍したのが大切な時間、思い出。激アツな時代のF1
ハッキネンとクルサードのバランスって今で言う強化版ルクレール&サインツだよね
MP4/13以降は、エンジンに使われたベリリウムが発癌性物質と判定され、その上、エンジンパワーをマシンの空力に頼った結果、どんどん良い所がスポイルされた感じになっちゃいましたね。個人的にはニューウェイらしいぶっ飛んだデザインのMP4/17と前年改良型の17Dが好みでした。
それが後のオフスロットルブロウンディフューザーの原型になるんでしょうかね❓
F-1ってさ、「フェラーリのフェラーリによるフェラーリのためのレース」なんだよね、いつになっても。強いチームが出てくると、決まってFIAにクレーム入れるからね。
あの独裁者バレストルが、エンツォに忖度するんですから、いかに古参のフェラーリが幅を効かせていたかが判ろうというものです。
寝言は寝てからにしなよ
今にして思えば、最後の年のハッキネン「焼きが回ったかな?」と感じたシーン多かったな。
歴代のマシーンを見ても一番綺麗でかっこいいマシーンだと思うけどな。ベネトンやフェラーリは芋っぽいんだよねwまあ、この後の「ちんこノーズ」でF1に興味が無くなったんだけどw
あの辻褄合わせのレギュレーション対応は、ある意味物理的な恥部を遺しました。格好良さも、重要な要素ですから。
見た目はたいした意味は持たないんだよ!結果が全ての世界君には一生理解出来ないかぁ(笑)
なんぼすぐ壊れるといっても競争は十分できるレベルのマシンだったはず。ロータス時代やマクラーレン在籍前期(あまり競争力がないだけじゃなく、ヤバイクラッシュも経験)にやる気なくして辞めたいなど思わなかったんだから、単純に目標を失ったためのモチベーション低下だろうと思う。
GP2マクラーレンに成り果てるまではコンスト2~3位辺りだったのは名門の意地かな
速いクルマを作る為には、信頼性に目を瞑ってしまうのは仕方ない。わかると言えばわかるんですけど、ドライバーは命を張っていますからねぇ。車のトラブルによって、操縦不可になり、クラッシュで...というのが2001年開幕戦でミカは思っちゃったのかな?
レイトンハウスマーチ時代に発掘されたのが、当時無名なイルモアエンジンでした。奇しくもレイトンハウスのデザイナーはニューウェイ。かなり期待したけど、2台共の予選落ちも経験してさぞやチームマネージャーは辛かっただろう。某モータースポーツ雑誌では、CG891は悪いマシンではないんです、と語っていました。そのイルモアエンジンをメルセデスバッジにして走らせたマクラーレン。レイトンハウスの呪いでもかけられたのだろうか?
CG891に搭載されたエンジンはイルモアではなくジャッドでは?
そうでした。調べて見たところ、イルモアエンジンはCG911からの搭載とありました。ご指摘ありがとうございます。
参考までですが2台共に予選落ちした時のマシンはCG901(1990年ブラジルとメキシコ)です
「哀れデヴィット最後尾」というワードをこの動画を見て思い出した
やっぱマクラーレンはWestカラーが一番好き。
この頃のマクラーレンがいちばん格好いいと感じる
当時ハッキネンを応援していた自分にとって2001年はマジで地獄でした、2戦に1回はリタイアしてるのを見ると現代のF1は信頼性すごいなぁと思います。
ミカ大好き‼️今でもミカの大大大ファンです‼️
2001年のスペインGPのハッキネンのレースを見てこんな事があるのかとショックを覚えました。このレースがきっかけで本格的にF1にハマり、今に至ります。。ハッキネンの引退は悲しかった…。この年の鈴鹿でハッキネンを見れたのは非常に良い思い出になっています。
シューマッハがえげつなかったから熱い闘志とクリーンな走りのハッキネンを応援しちゃうよね
ハッキネン自身も「ガラスのメンタル」でした。気の毒な程、繊細だし、優し過ぎました。
人間らしくて俺は好きだったミカ
うん。俺も好きです。@@仝紳士な変態仝
ドライバーもアスリート。タフなメンタルは必須でした。大和魂で突貫!ではないですが、強い精神力は大いに肉体をカバー出来ると思います。
ハッキネンの引退レース、鈴鹿に見に行ったんだけどフェラーリのマシンよりシューマッハの凄さをS字で見て全然他のレーサーとは違ってた。
ハッキネンは3位になりそうだったけどクルサードにゆずって4位でした。
ゆっくり人がはけた後にスタンドから遊園地に方向に向かうロン・デニスを見て、かなり疲れた雰囲気だったけど、ファンが声をかけて写真を並んで撮ったりしっかりファンサービスをしていた。
2000年のベルギーのオーバーテイク
2001年のスペインの最終周でのリタイア
いまでも脳裏に焼きついている。
何故か、ハッキネンライコネンがいなくなってから
マクラーレンメルセデスの信頼性が上がるという😮
ハッキネン、栄光(2年連続のチャンピオン)から引退までがあっという間だったような印象でしたね。
その栄光までがあまりにも長すぎたね…
デビューから優勝まででも7年かかってるし
かつてのチームメイトがレース中のクラッシュで亡くなり、自身もクラッシュで生死の境をさまよって、苦労に苦労を重ねてようやく日の目を浴びたって感じだからねえ。
ニューウェーイ氏は、レイトン在籍時も攻め過ぎた車を制作していた。ニューウェーイ氏には行き過ぎる設計を舵取りする番頭さん(ウィリアムズのPヘッド氏みたいな)が必要なのだろう。
ウェーイ!!
吉高由里子登場
2002もライコネンが苦労してたな。速いけど信頼性がないイメージ
ハッキネンのモチベーションが落ちる中でクルサードが奮闘が目立った。だけどクルサードの速さもこの辺りがピークだったかな?
グラデーションカラー&ニューウェイのマクラーレンは本当に美しいですね。タミヤのプラモデルではグラデーションをドットでごまかしてましたが。それにしてもハッキネンの引退はビックリしましたね。
エイドリアン・ニューウェイの作ったマクラーレンのマシンはガラスのマシンって言われてたな。でもマシンサウンドはMP4/15が一番好き。
ハッキネンの後、ライコネンもメルセデスの信頼性には苦しめられたな
ライコネンもタイヤが飛んだり、リアウィングが飛んだりして大クラッシュしてたよね
ハッキネンの不運はしっかりライコネンへと受け継がれてるんだよ
コバライネンにボッタス、フィンランド人は何かと運に見放される時があるよね…
パーツが飛ぶ(フライング)フィン
@@スネ吉ヘッド そのボッタスの来季残留が微妙になって、ミハエルの息子のミック氏がレギュラー返り咲きの噂も
F1引退してもDTMで走ってたし、レースへの意欲は消えてなかったんだよね
2000-2001年のマクラーレンは2台合わせてDNF17回(ハッキネン11回、クルサード6回)、さらに言えば翌2002年シーズンもDNF15回(クルサード4回、ライコネン11回)でその殆どはマシントラブルに起因するものだったので、トップチームとしてはあまりに信頼性が低かった…
このあたりで一度やる気をなくしたのか、ニューウェイさんもマクラーレン離脱まですっかり地味になっちゃったよね。そして台頭したのがマイク・コフラン。
ハッキネンの頭の中に『移籍』する考えがあまり無かったのはマクラーレンの居心地が良かったのか他チームでは勝てるマシンが無かったか、政治的な駆け引きは全然聞かなかったな。 ハッキネンはシューマッハと違ってクリーンなレーサーのイメージ、少し泣き虫だったが。
シューマッハ好きですが、ハッキネンの恐ろしいまでのスピードは惚れ惚れですね。なんて事は2000年のスパ見りゃ判るよね。
ケメルストレートのF1史上最高に美しいオ-バ-テイク!
あの時のシュ-マッハもぐうの音も出ず
参りました!って感じだったね
アレは真ん中のゾンタも肩すくんだ事でしょう。
政治的動きやを含めた権謀術数やピット作戦など駆け引きの限りを尽くして戦うシューミ対すぐ壊れるけどハマったら何をやっても絶対止められないハッキネンの構図好きだったな。
2001年のマクラーレン、特にハッキネンにはなんでこんなに不運なことが起きるんだろうってずっと思ってました。
でも、その代わりにウィリアムズBMWが上昇してきてモントーヤとラルフがフェラーリに対抗して来たりで面白くなったシーズンでもあったと思います。
特に、2001年デビューのモントーヤには後のチャンピオンとしての可能性をものすごく感じてファンになってしまいました。
チムニーダクトに始まる、F1が「異形の形容し難きもの」になる直前のマシンま美しかった時代かな...。
97年の最終戦ヨーロッパGPで、ハッキネンとクルサードが1·2フィニッシュしたところから、マクラーレンの時代が来るかなと想像していました。98年と99年は苦戦しながらもチャンピオンになったのにもったいなかったです。
マシンはカッコいいと思うんだけどなぁ…。
ASビデオのマカオが面白かった。
あれでシューマッハが嫌いになったw
ハッキネンは、口は悪いが良い奴だなと思った。
ハッキネンが引退してからF1がつまらなくなったな~
そんなことはない
ニューエイのマクラーレンからの移籍先は当時のホンダエンジンユーザーのBAR又はジョーダン、トヨタワークスでも良かったと思います。^^
はい。
①MP4/15で印象深かったのは00年のスパですかね。ハッキネンがトップでちょい濡れの中ハーフスピンしてミハエルに抜かれた後、猛追撃で最後ケメルストレートでミハエルをゾンタ諸共ブチ抜いて優勝したのは…凄すぎました(テレビで解説聞いていて亜久里さんはミハエルびいきでしたね)。
②MP4/16と言えば、01年カタロニアですかね。ここまで不調だったハッキネンが復調してミハエルとトップ争いしてピットストップで追い抜きましたよね。けど、最終ラップで止まってしまうなんて…今考えるとあのレース辺りが引退を決めるきっかけになったかも知れないですね。
あいつらクレイジーだ ってゾンタが無線で叫んだやつですね。21世紀最大のオーバーテイクと当時言われてましたね
ミカファンとして、2001年のスペインGPは絶対に忘れられない。
フジの放送を観てて、終盤で勝利を確信したところ、CMへ···。
アイキャッチで「この後ハッキネンに異変が!?」的なテロップが。
直後にシューファンの友人から電話があり、通話しながら観戦。
ファイナルラップでまさかのエンジンブロー&リタイアで呆然としてるところに友人の歓喜の声が響いてたのを思い出した···。
2001年はマジで酷かった···(涙)
届かないのか。ハッキネンは届かないのか。
あー!!!停まった… って実況でしたよね。
しかも独走からトラブルかかえてたシューが逆転。
自分もシューファンの先輩とメールの嵐だったのを覚えてます。
思えばGP Car Story外伝のミハエルシューマッハ特集での良き最大のライバルのハッキネン氏のインタビュー記事は胸熱の一言
プライベートジェットの事故はほんとに
ショッキングで惨劇に感じた自分少年時代😞
F1に直接関係ないものの今でも衝撃史に残ります😖🙏
ハッキネンのクラッシュというと同じく
オーストラリアで
こちらはアデレート市街地でしたが動画回にもあるように
こちらも衝撃的で印象的でしたね😵
イギリス競馬でも同様の事故が多発(そのうちの1件がトップ騎手のデットーリ)していたので
クルサードの事故も賭博絡みではないか
との噂も飛び交っていました
@@crankyfranky9801 まぁ💦噂であることを信じてやりましょう……あれは語るも難しい悲劇です😞
嫁さんが怖そうだった。
この年からマクラーレンはあまり勝てなくなり、鎬を削ってたライバルのフェラーリの方は黄金無双時代へと突入する…
90年代のF1マシンのNo.1デザイナーといえばエイドリアン・ニューウェイを挙げる人が多いと思います。
そのニューウェイが00年代に入った途端、一気に失速しマクラーレンメルセデスは坂を転がり落ちるかのような低調ぶりをみせることに・・・
今回取り上げられた00年、01年の失敗が後につながればよかったのですが、03年には新車投入ができずに終わるなんてことにもなりマクラーレンは没落。
2000年代前半のF1はミハエル・シューマッハが勝ち続けるという退屈なものにしてしまった一因になったと思いますね。
個人的ですがハッキネンには2005年位までF1で走ってほしかった
2003年2005年と3回目のチャンピオンになれる可能性もあったから非常に残念でした
2004年もMP4/19Bの戦闘力が序盤からあれば、王者を狙えたかもしれませんね😢
シルバーストンでライコネンがポールを取った辺りから、別物のマシンになってました。
(なお、次戦のホッケンハイムでライコネンのリヤウイングが脱落するんですけどね)
2004年はフェラーリがぶっちぎりでしたから、私もハッキネン&ライコネンのマクラーレン追い上げ劇を見てみたかったです!
@@Kugelschreiber518寝言は寝てからにしてね(笑)
ミカとシュミーが争ってた時が一番楽しかった
鈴鹿の予選でPP取り合った時が最高だったよ
予選で同タイムとか痺れましたよね
1000分の9秒差!距離にして45cmの差だったそうです。
ミカの最終シケインに片輪乗り上げるような、エグい走りを今もよく憶えています😊
トラコン積んでたフェラーリの勝ち
2000年鈴鹿
ですね
ハッキネンは96年オーストラリアGPの大クラッシュの後遺症にその後も悩まされていたらしい。
ハッキネンのアクシデントは1995年では?
2001年の鈴鹿🥺
ザウバーのピットの上で観戦。
ミカに肩をポンポンして貰えて
フリーズ😳😳
ミハエルとサムアップ👍したのが
大切な時間、思い出。
激アツな時代のF1
ハッキネンとクルサードのバランスって今で言う強化版ルクレール&サインツだよね
MP4/13以降は、エンジンに使われたベリリウムが発癌性物質と判定され、その上、エンジンパワーをマシンの空力に頼った結果、どんどん良い所がスポイルされた感じになっちゃいましたね。
個人的にはニューウェイらしいぶっ飛んだデザインのMP4/17と前年改良型の17Dが好みでした。
それが後のオフスロットルブロウンディフューザーの原型になるんでしょうかね❓
F-1ってさ、「フェラーリのフェラーリによるフェラーリのためのレース」なんだよね、いつになっても。
強いチームが出てくると、決まってFIAにクレーム入れるからね。
あの独裁者バレストルが、エンツォに忖度するんですから、いかに古参のフェラーリが幅を効かせていたかが判ろうというものです。
寝言は寝てからにしなよ
今にして思えば、最後の年のハッキネン「焼きが回ったかな?」と感じたシーン多かったな。
歴代のマシーンを見ても一番綺麗でかっこいいマシーンだと思うけどな。
ベネトンやフェラーリは芋っぽいんだよねw
まあ、この後の「ちんこノーズ」でF1に興味が無くなったんだけどw
あの辻褄合わせのレギュレーション対応は、ある意味物理的な恥部を遺しました。格好良さも、重要な要素ですから。
見た目はたいした意味は持たないんだよ!
結果が全ての世界
君には一生理解出来ないかぁ(笑)
なんぼすぐ壊れるといっても競争は十分できるレベルのマシンだったはず。
ロータス時代やマクラーレン在籍前期(あまり競争力がないだけじゃなく、ヤバイクラッシュも経験)にやる気なくして辞めたいなど思わなかったんだから、単純に目標を失ったためのモチベーション低下だろうと思う。
GP2マクラーレンに成り果てるまではコンスト2~3位辺りだったのは名門の意地かな
速いクルマを作る為には、信頼性に目を瞑ってしまうのは仕方ない。
わかると言えばわかるんですけど、ドライバーは命を張っていますからねぇ。
車のトラブルによって、操縦不可になり、クラッシュで...というのが2001年開幕戦でミカは思っちゃったのかな?
レイトンハウスマーチ時代に発掘されたのが、当時無名なイルモアエンジンでした。奇しくもレイトンハウスの
デザイナーはニューウェイ。かなり期待したけど、2台共の予選落ちも経験してさぞやチームマネージャーは辛かっただろう。某モータースポーツ雑誌では、CG891は悪いマシンではないんです、と語っていました。そのイルモアエンジンをメルセデスバッジにして走らせたマクラーレン。レイトンハウスの呪いでもかけられたのだろうか?
CG891に搭載されたエンジンはイルモアではなくジャッドでは?
そうでした。調べて見たところ、イルモアエンジンはCG911からの搭載とありました。ご指摘ありがとうございます。
参考までですが2台共に予選落ちした時のマシンはCG901(1990年ブラジルとメキシコ)です
何故か、ハッキネンライコネンがいなくなってから
マクラーレンメルセデスの信頼性が上がるという😮