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30年も前の、ビデオテープしか無かった時代の映像が、これほどの状態を維持して保存されていたことに驚くと同時に、感謝したいと思います、ありがとうございます
ビデオデッキを処分する際に、撮りためたVHSを頑張ってDVDにダビングしておいて良かったです。
私も1994年までのF1はかなりの量あります。
リアルタイムで見ていたが今でもハッキリ覚えてます。命の大切さを痛感させられた瞬間でした。いつまでも音速の貴公子、アイルトンセナの名は忘れられません。
なんとなく過ぎていく毎日も幸運なのかもしれないと思いました。
何度も泣いた、23歳でした。
これから30年が過ぎたがいまだあのニュースを聞いたとき半端なくびっくりしたことは今でも忘れられない。悲しすぎる
リアルタイムで見てましたが、今でも信じられないです。
この中継を見た翌日、私は免停講習だったのですが、「昨日はアイルトン・セナがレース中に亡くなりましたが、あれだけの運転技術を持った人でさえ事故死するのだからあなた達はよっぽど気をつけて運転しなければならない」と講師が言ってたことがとても印象に残っています。
速度は低くても人の命にかかわる事に変わりはありません。講師のかたがおっしゃっていたことは、ごもっともだと思います。
すごいタイミングでの免停講習ですね
この放送は本当に貴重な映像だと思います。どんな事があっても、放送クルーのとして仕事を全うされた御三方。現地アナウンサーとして異常事態の中進行された三宅アナ、放送中も駆け回り情報を収集し続けた川井さん、声を詰まらせながらも、これからもF1は続いていくと先を見ていこうという今宮さん、まだ不確定情報も多い中生放送でカメラの前に立ち続けた御三方には頭が下がります。
現場が騒然としている事がありありとしています。仕事としては、辛いものだったと思います。
30年前のことなのに当時の夜中に思い浮かんだこと、翌日の燃え尽きた感じが蘇ってきます。最後まで見られる自信がないですが…ありがとうございます。
私もぼう然としてテレビを見ていた記憶があります。
この放送、リアルタイムで観てました。本当にショック過ぎて、呆然としたことを覚えてます。 今宮さん、三宅さん、川井さんの心境が痛いほど伝わってくる放送でした。アイルトン・セナは今も我々当時のF−1ファンの心の中に生きています。私もこの録画テープは持ってますが、当時以降まったく観てないので保存状態はわかりませんので、この品質でのアップは貴重だと思います。ありがとうございました。
30年たったビデオテープが見られるのか興味がありますね。保存状態が良ければ大丈夫なんでしょうか。
@@ishikoro7232 返信ありがとうございます。テープの場合、カビとかの異物が付いてないようでしたら見れることは見れると思います。ただ、画質については劣化がありますので、当時のままの画質というわけにはいかないでしょうね。私の場合、当時S−VHSの3倍で録画することが多かったので、標準モードでの録画に比べると劣化は大きいと思います。
30年経ってもセナは僕のカリスマでありヒーローです。セナを超えるドライバーはいません。ありがとう セナあなたを忘れません
私の中でも寡黙な天才として記憶に残るドライバーです。
中継中にセナ選手の死亡を伝えるニュース速報、胸が締め付けられる思いです。
この日、私は部活の大会で遠征中でした。翌日の試合に向けてチームメイトはみな就寝しており、私だけ我慢できず深夜の録画中継を見てたのですがまさかの生中継とまさかの。。翌朝チームメイト達に話してもすぐにはみんな信じてくれず。私はショックと寝不足で試合もさんざんでした。世界中のモータースポーツファンがその時自分が何をしていたか鮮明に覚えている事でしょうね
貴重な映像ありがとうございます
お役に立てて幸いです。
あの大事故から30年後の2024年にこれほど状態の良い映像を提供してくれたことに感謝します自分もこの放送を録画していて何度も繰り返し見返してきましたが再生機の老朽化で見直すことが難しくなっていたので有り難いです1周目のスタート直後エンジンストールしたレートにラミーが追突しSCが導入、そして6週目にレースが再開セナのマシンは部分的に補修されて黒くなったコース路面のバンプを通過する度にマシンが底打ちして火花を散らしています16:47にタンブレロコーナーの3つ目のバンプを通過する時は特に激しく火花を撒き散らしていますこの場所こそまさに翌周セナのマシンに異常が起きウォールに一直線に向かって行った地点ですおそらくここを通過する時の段差の衝撃でステアリングシャフトが破断し事故が起きた、ということなのでしょう驚くべきことにセナは異常が発生した瞬間の速度310kmからウォールに衝突するまでにブレーキ操作で210kmまで減速しその衝突の衝撃G自体は致命傷を避けるまで落ちていた、という事実がテレメーターに記録されていますしかし運悪く千切れ飛んだ右フロントタイヤとサスペンションアームの破片がセナの頭部に命中してしまい彼の命を奪ったウォールにぶつかる角度や路面の補修を丁寧にする等何か1つでも要素が違っていればセナは命を落とさなかったかもしれない…
喜んで頂いて幸いです。今見返しても、もしもこうなっていれば、もしもこうしていればと色々と頭をめぐってしまいます。
三宅さんと川井ちゃん若い!当日中学生だったんですが、夜中に、予選を見ていた母親に叩き起こされ、決勝の放送を最後まで見ました。ラッツェン・バーガーが亡くなったあとのセナの表情、あからさまに、大丈夫では無い顔してて、「セナも事故らないように」と、祈った結果がこれでした。翌朝、中学校の全校朝礼時に、立った状態で、泣きたい気持ちを我慢してました。
リアルタイムで放送観てました・・・・
貴重な動画をUPしていただいて、本当にありがとうございます。
当時、この中継を涙目で観ておりました。これほどの鮮明な画像をアップしていただき本当にありがとうございます。
感謝のお言葉ありがとうございます。
当時小学4年生でした。生ダラを見てセナに興味を持ち始めて夜中に録画したビデオを早朝に見たグランプリでした。幼いながら衝撃を受けた事を思い出します。あれからずっとF1は見続けていますが当時の映像をこんなに綺麗にアップしていただいて感謝です。
VHSの保存状態が最高です。私も録画してあるのですがVHS特有のノイズが乗ってしまい悲しさ倍増です。
はっきりとした記憶ではありませんが、15年ほど前にDVDにダビングしました。最近はDVDも再生出来ないものも出始めました。動画の長期保存は難しいですね。
もう30年も前なんだな。リアルタイムで見てまして、セナが亡くなったと報じられた際には発狂して何かをブチ投げてしまったのを覚えてます。私の中ではずっと音速の貴公子です。
この時代のF1は人気あった中、セナは頑張ってくれてました。この時も見ていて驚きました。今でも思い出すと涙が止まらないです。
上げてくださり大変有り難う御座いました。今も歴史に残すべきレースと考えております。😢
後藤さんの、インタビュー再び見れてよかったですアップ、ありがとうございます
後藤さんも安全性について変えなければいけないと、しきりに仰っていましたね。
貴重な映像をありがとうございます。録画予約していましたが、ふと目覚めて放送を観たことを忘れません。
30年経って曖昧になっている記憶が貴重な映像のおかげでハッキリとよみがえって来ました!ありがとうございます! これ以降、倒すべきセナを失ったシューマッハはセナの記録を超える事でセナに勝とうとした。シューマッハが41勝目を挙げた時、人目をはばからず号泣。6年間亡きセナを追い続けた男の涙だった。
シューマッハとの戦い私ももっと見たかったです。
そのシューマッハも今や😢
貴重な内容、ありがとうございました
30年前、新聞の朝刊で知ったことを思い出しました。これまで何度も切り抜きなどで見てきましたが、このように始めから観たのは初めてです。動画をあげていただき有難うございます
初めは部分的にアップしようとしたのですが、改めて見るとCMなども含めて全て見た方が(CMカットしたりしなかったりは当時の私の編集です。)当時の雰囲気が伝わるのではないかと思い、編集せずにアップさせて頂きました。
最近アイルトンセナの動画ばかり見るようになってF1に興味持ったものです…!事故死はとても悲しいですが、やはり車に命を賭けてる感じがカッコイイです😢
生きてるアイルトンセナを最後に見たのはTIに行ったとき。セナが接触リタイアして、サーキットサイドの道を、ピットへの道を歩いて戻っていたのを見ていたのが懐かしい。
しかし、みんな悲しいのに伝えなくてはならない辛さ。三宅さんも伝えながら台本もないなか番組を続けて凄いと思う。セナというスターが居なくなって、シューマッハがF1の時代を作った。世代交代の瞬間がこういった形でなってしまったのが残念セナとシューマッハがやりあってシューマッハがチャンピオンになるというならすんなりと受け入れられたんだろうにあの時高校1年でした。30年か…
セナを目標にして来たドライバーにとっても辛い出来事だっただろうと思います。
自分も高校1年でした。この放送前のニュースからセナの報道がされていて、さらにこの放送内で亡くなったことを速報で流れたのを昨日のことのように覚えています。憧れの存在を突然奪われ、悲しさに涙が止まらず、次の日の朝のニュースでもこの報道がされ、とても信じられませんでした。
貴重な映像ありがとうございます。報道陣が号泣してしまうほどに日本人の多くがセナを応援していたし思い入れがありましたね。若かりしシューマッハが劣るマシンに乗りながらセナへの追い上げも半端ではなかった。それでも衰えて世代交代することなくセナは天に召され伝説になったと思います。
一番あってはならない形での世代交代になってしまって残念でなりません。
30年たってもあの夜の衝撃は忘れられない。
貴重な映像ありがとうございます。あの日、速報を見て、あまりのショックで鬱々したことを思い出しました。
昔の映像をみるとその当時の色々な事を思い出しますよね。
動画主さん、30年前の映像を良くぞ綺麗な状態で保管してくれましたね。もうコレ、タイムマシンの様で当時に戻ってしまいますね。いや、参りました。あの時のショックが甦ってしまいますね。
特に気を使って保存していた訳ではありませんでした。カビが発生してしまっているものもありました。ビデオデッキもいつまで動くか分からなかったので、DVDにダビングしました。
当時リアルタイムで観てました。事故もショックでしたがその後の速報で涙が止まらなくなったのを思い出します…
私も当時全てのレース録画してました部屋に置いておいて家族に重ねて録画され、怒り狂った事思い出されます今と違い子供の尊厳が気薄だった頃です懐かしい映像、フルで見れるとは....ありがとうございます
VHSの時代はそういう事がありましたね。ツメを折っておけばなぁと思ったものです。
貴重な映像ありがとうございます。この当時も今の車のようにHaloがあったら、セナはきっと助かったかもと思います。
直前のラッツェンバーガーの事故を受けて、セナ自身も安全性について見直そうと提言していたようです。マーケットが大きくなり過ぎた事で、レース中止の選択肢はなかったのでしょう。
ラツェンバーガーの事故の時のアイルトン・セナの表情が蒼白で、何か、予感させるものがあったんでしょうね。
当時6歳でOPムービーかっこいいな、車速いなくらいの軽い感覚でF1見てました。この放送リアルタイムで放送見てましたが強く記憶に残っています。本当に凄い放送でした。映像遺産ありがとうございます。
私もこのオープニングは好きです。
当時1994年のF1グランプリは全レースビデオ録画して保存してあります。懐かしいです。
没後30年、当時の映像を綺麗な画像でアップして頂いた事に感謝致します。セナを知らない世代も多くなって、この映像は歴史的資料映像になると思います。
少しでも思い出すきっかけになって頂ければ幸いです。
アイルトン・セナが亡くなり3○年立ちますが貴重な映像が残っていたのは、嬉しいです、が悲惨な事故でした、いま見ても心が痛いでね。
セナがヘリで運ばれる映像はとても悲しいです。
実際の放送もレース映像があまりなくセナの話しが大半だったんですね。このレース観てないのでありがとうございます😭
貴重な映像ありがとうございます。自分も当時テレビで観てましたセナの訃報を聞いた時凄いショックを受けたのを覚えてます。内心うそだーと思いました。
こちらこそあのメカドックの風さんからコメント頂けるとは光栄です。本当に信じがたい事故でした。
当時中継で観ていた生中継だからこそ衝撃だった
30 years of this May 1st,still hurts in all Brasil and Japan,Senna is forever,like Roland and Imamiya-San,hugs from Brasil
❤ Sou Brasileira .
For both Brazilians and Japanese, Senna is a hero.
当時、見ていまし 思い出します泣いたなぁ
30年たった今でも、テレビ中継で見たサーキットの名シーンは覚えています。DVD で「アイルトンセナ~音速の彼方へ」が出ていて、ブラジル国葬のシーンは、市民の皆さんが「おかえり」と言う様に、親しみを持って迎えていました。
あれからはや30年。今宮さんは既に亡く、三宅さんはスポーツ実況から離れ、川井さんが辛うじてモータースポーツに残ってくれています。
大好きなセナ、ずっと応援してきましたプロストとの確執もみな受け入れていました 本当に辛くて信じられない出来事でしたコース脇にセナが寝かされていた場所、血痕…ニュース速報での死の報告悪夢でした
セナはドライバーとして、プロストとの純粋な戦いを望んでいただけなんだと思います。
1982年以来、12年間F1レースでの死亡事故は無かった。1987年から日本でも全戦見られるようになった。全てのマシンがカーボンモノコックになり、安全になったものと主催者側もファンも勘違いしていた。不世出の天才、スーパースターが一瞬の出来事でこの世を去ってしまった事実に若かった自分は動揺し未だにショックが残っている。
誰もがニキ・ラウダのような奇跡の生還を期待していました。
1982年F1も状況違いますがFIAが事態の収拾に乗り出すけれども混乱収まらずにF1自体存亡の危機に陥った。でも日頃は競い会って争うドライバー達も結集してGPDAと言うF1ドライバーの労働組合を結成して立ち上がりました。1994年F1もGPDAが再結成されてセナが会長となってドライバー全員をまとめる役となる予定でしたが叶わずセナの親友ベルガーとシューマッハが引き継ぐ事にGPDAの世話役後見人としてラウダも助けて協力したそうですね‼️🤗
当時、寝ていたところに生中継を見ていた女房から「セナが亡くなった」と起こされました「何を言うてんねん。セナが死ぬわけないやろ」と憤慨しながら目を開け、テレビの異様な雰囲気の中継に一気に眠気が飛んだ記憶があります翌日見るつもりで録画していたビデオは今でも書斎に大事に置いていますが、もう劣化しちゃってるでしょうねアップしていただき感謝です
10年以上前にもう見られないかなと諦める前に再生してみようとビデオデッキに入れると意外にも普通に見る事ができました。保存状態が良ければ、自分で録画したDVDより長持ちかもしれないですね。
やはり動画は辛くてヘリの辺りで止めちゃいました両解説の…シーンとか覚えているもんで。でもUPありがとう 当時はF1速報冊子は立ち読みだったけど、1994サンマリノは全部買った。家でじっくり読みふけった記憶も覚えてます(53才、男)
凄く強くて イヤミがない こんなに愛される人はもう出てこない😭
当時、日本での人気も高かったですよね。
ジムクラークから観始めて以来F-1を最高に熱を上げて観ていた時代 プロスト セナ からシューマッハへと流れて行く頃 セナ全盛期に起きたあまりにも衝撃だった😭
このレースを完走したデイモン・ヒルを称えたい。
この状況でマシンに乗る勇気はすごいと思います。
たしかチームからの指示でパワステをオフにして走り切ったとか…
チームメイトのヒルはもちろんだけど他のチームレーサー達全員もだよ。ウイリアムズだけじゃないね。他のマシンも結構壮絶なクラッシュしていたし。当時のこのレースで走ったレーサー達全員に敬意を称したい。
本当ですよね…😢 原因不明のトラブルが起きてたらもう一台もピットに引き上げる事が多い中、ヒルは凄いし、シューも目の前でこんな事ある中で…、皆んな凄い😢
このレースの内容はセナの逝去によってほとんどダイジェスト版になってしまいましたが、完全放送は1週間後にWOWOWで放映されました。それを見るとこのレースは最初から異様な空気が漂っていることが分かります。現地にいたレーススタッフの方達はあの空気感の中でよくレースを続けられたと思います。
本当にそう思います。ラッツェンバーガーの事故があった時点で誰もがこのレースに疑問を感じていたと思います。
レース本番もいつものF1🏁とは雰囲気が全く違うので違和感がありました。が、予選から何か不穏な空気が流れてて、セナ本人もレース前から暗い表情で「このレース走りたくない・・・」と述べていた事を思い出しますね。
あっという間の30年。F1への熱が冷め始めた頃にこの事故。目に心に焼き付いている。昨日のことのように自分の一つの青春の時間が止まっている。
途中まで見たけどもうダメだわ…見てられない…ゴメン!
19歳(1990年)の時に、親父の会社の同僚さんと、鈴鹿にF1見に行って、エンジン音の大きさに感動した記憶が有ります。グッドイヤーの帽子を買ったり、楽しかったです。その後F1は何気に忘れてたのですけど、1994/5アイルトン・セナ事故した時は、F1を初めて見た時から3年半経ってたので、びっくりしたのと、悲しい気持ちと色々な想いになりました。セナが居なくなって、自分の心から完全にF1が消えました。僕の心の中ではF1=アイルトン・セナだったんでしょ
V12の音は最高に素敵でした。
51:35 この時に当時高校生の自分も察して泣きました。あれから30年。とっくにセナの年齢も追い越して何もなく生きている事にも感謝しています。もしあのタンブレロコーナーに一列でもタイヤウォールがあったら何かが変わっていただろうか。ほんの少しだけ当たる角度が変わっていたらまだ生存していただろうか…と毎年思います。
そう考える人はたくさんいると思います。この事故によって、その後多くの命が救われたはずだと思いたいですね。
当時高校生でした、ラッツェンバーガーが亡くなりレースで人が死ぬ事がショックだったのに、次の日に私のヒーローが急にこの世から居なくなってしまった。
セナや他のドライバー達が最もショックを受けていたはずです。
この日は私の結婚式当日でした。式が終わり、ホテルで夜テレビを付けるとこのニュースが流れていました。私が画面に釘付けになっていると、嫁さんに「私とF-1、どっちが大事なの(怒)」と聞かれ、「今日はF-1!」と一番言ってはいけない言葉を口にしてしまいけんかになりました。セナがなくなって30年、私たち2人がこのけんかをして30年になりました。時間が過ぎるのは早いものです。
良い思い出ですね。
@@ishikoro7232 さん 逆に黒歴史の一つです!未だに「あのときは~」と言われます。
それは印象的な一日でしたね。セナの冥福を祈ります
セナの悲報は皆さんが仰ってる通り、今でも目に心に焼きついてますそして、シューマッハの脅威というか、強さを確信したレースでもありました素晴らしい動画をありがとうございます
リアルタイムで観ていて、アイルトン・セナの事故死という悲しい瞬間を目の当たりにしましたが、まさか予選からの事故続き!三宅正治アナの涙は忘れられません!
あれだけの事が続いてもレースは続く事に疑問を感じました。
当時はまだ幼稚園児だったからリアルタイムでなく親に録画してもらってから見ていましたけど、この事故よ翌朝母親がセナが死んじゃったと泣いていたのを思い出します。
セナのファン層は広かったんですね。
放送されていた時は眠っていましたが急に目覚めて、テレビをつけたら二人が訃報を告げていました。
三宅さんは、本当に凄いアナウンサーだなあ。F1だけでなくプロ野球、バレーボール、競馬など。フサイチコンコルドとサニーブライアンのダービーは至高の実況。
声がとても聞きやすいですよね。
三宅さんは92年モナコとこのサンマリノで偶然にもセナの光と影を実況するという運の持ち主だと思いました。
THANKS ❤ SENNA LEGEND FOREVER ❤ 2024
ほんと最初のスタートで赤旗を振ってほしかった。それだけで運命は大きく変わったのに…という気持ちと、今の安全なF1が存在してるのはこの出来事があったからという気持ちが混在している。30年経っても変わらずにセナはアイドルなんだよな。何にも変わらない。
このレースの前のセナの表情がもう… こんな表情見た事ないっていう乗り気じゃないっていうか、嫌な感じを自分でわかってるっていうか
セナだけでなく、他の全ての人も違和感を感じていたのではないかと思います。サーキット全体の異様な雰囲気が画面からも伝わって来るような気がします。
スピードを売りにして得意とするレーシングドライバーが自信無くしてモチベーション失うほど辛い事無いです。セナと言えども同僚F1ドライバーで怪我したバリチェロや死亡したラッンェンバーガーを見て気が滅入ったのも当然ですね。マシンを降りてレース拒否する事も出来たけれども(誰も責めない)セナはそうしなかった。使命感だからと簡単には片付ける事は出来ないけれどもレーシングドライバーの本能宿命だからかどうかも分からない。ただ言えるのは1994年にセナが背負っているモノ(レースだけでは無い)が余りにも多過ぎてレース人生に情熱を捧げる余裕表情が感じられ無かったです
もう30年前かぁ~😭😭リアルで これ見てた 頭が真っ白で よく覚えてない😭😭😭
自分もこのレースは録画していましたが、一度も録画を見ずにビデオテープは処分しました。中継は生で見ましたが、また改めて録画を見返す気にはどうしてもならなかったです。また、セナファンとしてはテープごと捨ててしまわないと気持ち的に耐えられなかったです。20年経った今だから冷静に見られますが、当時は本当にきつかったです。改めてこのように録画映像をアップしていただいて、ありがとうございます。
処分してしまったという方が多いようですね。自分もほぼ見ずに保管していました。
自分も同じです。あなたと全く同じです。
ビデオ📼捨ててはいなかったかな?その上から、別の(何か?忘れましたけど)番組を録画して消したかな?WOWOWにも当時加入していたのでその後のちゃんとしたレースも確か見たかな?これも、あんまり記憶に無いです。セナ事故シーンは見ずにトイレに籠もっていた?かもしれません。
リアルタイムで見てて、この瞬間に唖然としました。予選ではラッツェンバーガーも亡くなってましたよね。
空の上で、今宮さんはセナに出会えたかな。貴重な映像、ありがとうございます。
当時フジテレビ中継をリアルタイムで見てセナの悲しい情報が知らさせるまでドキドキした気持ちニュース速報出た時の絶望感その後の今宮さん、川井ちゃん、三宅アナの沈痛なシーンを当時子供だった自分が目の当たりにして想像以上にその画に耐えられなくて数日怖くて録画したこの映像を見られなかった事を覚えてますF1中継を毎戦当時のVHSテープが伸びるぐらい何度も楽しみに見てた自分ですら94年サンマリノGPの中継は再生ボタンを押すまでに数日かかりました意を決して再生ボタン押した瞬間もドキドキ感で吐き気すら感じながらなんとか見た覚えがありますそれぐらいこの映像は自分にとっても大きな影響を受けました
本当にショックな出来事でした。スピードは違えど、車を運転するという事に緊張感を与えてくれます。
アイルトンセナは日本のヒーローやったよな。
クラッシュ直後のアップの画像で,ピクッとセナの頭部が動いたシーンが忘れられません.
その時は助かったと思っていたのですが、それはあまりに楽観的な考えでした。
当時、私の地元ではフジテレビが映らずおのずとF1からも遠ざかっていたんですが寝ぼけながら聴いていた深夜のラジオ放送でニュース速報が入りセナの事故死を知りました。あまりの驚きにベッドから飛び起きてしまったのは言うまでもありません。
本当に悲しい出来事でした。
私も本当にびっくりして布団から飛び上がりましたセナの訃報を聞いて。他局でもニュースになりましたね。
この日のことははっきりと覚えています。当時、F1はフジテレビの独占放送で、他局がレース結果を放送することはありませんでした。フジテレビのカノッサの屈辱では、NHKの日曜のサンデースポーツでF1日本グランプリが放送されるか、また画面にフジテレビのマークがいくつ映るかをベットされていた記憶があります(F1日本グランプリは、フジテレビ日本グランプリとフジがスポンサーでした)この放送前、TBSのスポーツニュースの中で、セナが事故にあったと字幕のニュース速報が流れました。フジではなく、他局で、しかもニュース速報で、その時私は尋常なことではないと悟りました。あんなに体が震えた夜はこれ以降ありません。こんなきれいな映像を有難うございました。
スポーツにおいてビジネス的な成功は不可欠なものですが、膨らみすぎるとマイナス面が目立ちます。標準画質で録画しておいて良かったです。
タイヤウォールが一列だけでもあったなら…と考えても仕方ないのは分かっているけど、この事故の日からずーっと考えていたのを思い出した。セナは永遠のヒーローです。
このサーキットの問題はわかっていたはずなのに、何故と考えてしまいますね。
リアルタイムで観てました、次の日の月曜日が新しい会社初出勤でしたがセナのことで上の空ですぐに退職してしまったことを思い出します
当初の放送時間に生放送されたもので自分もビデオ録画したけど観る勇気がなく翌日深夜のレース部分の放送を上書き録画した。いま観ても何か辛い
私も当時は見る気が起きませんでしたが、ビデオは消さず押し入れにしまいました。
もう30年経ったことに驚きです。当時高校生で実家の福井県から夜中見てました。前日のラッツェンバーガーの事故死も電気屋でリアルルタイムで見たあとでした。血が地面に溜まっている映像を見た時に嫌な予感がしました。この日からF1を見なくなりました。確か、スタート時の事故でタイヤが客席に飛んで行き観客にも死亡者がでたと思います。本当に呪われたグランプリでした。セナは危険性を身をもって自ら突っ込んだという説マシンに何んらかの細工をして暗殺説がありましたね。本当に伝説のドライバーでした。やっぱりセナには赤と白が似合いますね。
セナ、ラッツェンバーガー、バリチェロの他にも観客も怪我人出たんだよね!!このレース本当に色んな事があった!!
これほど色々と続いた上で続行されるレースに誰もが疑問を感じたと思います。
確か、番組見てました。セナの死は本当にショックだった…。当時、普通自動二輪の免許取りに行ってたから忘れられない。
音速の貴公子がなくなったのは1994年5月1日…F1ファン、セナのファンなら絶対に忘れては行けない日!音速の貴公子、アイルトン・セナが無くなってから、早ちょうど30年…私もアイルトン・セナが好きでフジテレビの深夜にF1を見ていました。この日もテレビで見ていました!セナが亡くなったと聞いた時はショックで寝れませんでした。(ちょうど、高校卒業して、社会人になったばかり)F1中継後(その日の朝仕事はちょうど公休で休み→朝迄セナのニュースを見ていました。)ショックでした。
当時リアルタイムで観てた。少し早目にTVの電源を入れたら何故かすぐに始まって「?」だった。15分ほど早めにいきなり車載カメラの映像から始まったのを覚えている。(私の視聴地域だけではないと思うが23:45から始まる予定が23:30から始まった)
懐かしいなぁ~F1中継って
録画してるのに友人達と集まって観て、寝落ちした思い出があります。
今時点で見ても分かっているのにドキッとします…御三方が必死に状況を伝えてコメントを出すところにプロとしての矜持を感じました。
表彰台の3人シューマッハとラリーニとハッキネンの記者会見で今でもハッキリ覚えていますがシューマッハのインタビュー最中に右側のラリーニは何故か視線を反らしてシューマッハの事を避ける素振りを見せているのが印象的でした。それとは対照的に左側のハッキネンの方はシューマッハの話に耳を傾けながら寄り添っているように思えました。当時シューマッハの振る舞いに対して快く思わない同僚F1ドライバーもいた?このサンマリノGPで優勝したシューマッハでしたがセナが亡くなった事で心から喜べる心情では無かったのが気の毒で可哀想にも思いました
誰もが喜べる状況ではありませんでしたね。
@@ishikoro7232 様さすがにサンマリノGP表彰式もシャンパンファイト出来る状況には無かったでした。それでも最悪お通夜みたいな雰囲気にだけはならなかっただけ良かった?優勝したシューマッハが2位獲得したニコラ・ラリーニがトロフィー🏆を受け取って頭上高く持ち上げた姿を見届けて拍手して祝福して場を盛り上げたところにシューマッハの優しさを感じました‼️🤗
1994年サンマリノGPの惨劇、新聞でも大きく取り上げていました。当時、17歳になり高校3年生だったので、覚えています。あの事故には、俺、絶句しました。
F1がコンテンツとしてかなり盛り上がっていた時代でしたね。
オンタイムで視ていました。ニュース速報でセナの訃報が流れた瞬間、近所から大きな悲鳴が聞こえました、、もう30年か、、
セナが亡くなってからF1🏁観なくなった。
そういうかたが少なくないでしょうね。
実は私もそうなんです、ほんとにセナはF-1の面白さを教えてくれた。それだけに、この事故はショックでこれ以降見れなくなってしまいました。
この日部活の試合後の飲み会終わって、サンマリノ間に合った!と思いながら中継みてました開幕から調子上がらないセナ(というかウィリアムズ)だったのでどうなんだろ?とタンブレロのクラッシュ見ても、セナはマンセルと同じく危機回避能力高いから大丈夫だろう、と思ってたその後ニュース速報テロップ→画面変わって今宮、川井、三宅さんが声を詰まらせて事実を話し出して、始めてコレ本当なんだとあ然としました。
誰もが少し楽観的に考えていたように思います。しかし、結果はとても残念なものでした。
22:33 Newey was reduced to tears here.
こんなオープニング今作れる?!カッコ良すぎて言葉でない💦
かっこいいですよね!
強かった速かった格好良かった。
タンブレロは以前からピケやベルガーの重大事故という伏線があったのにこの年までレイアウトが変更されることはなかった。翌年からタンブレロはシケインになりました。セナが死亡して代役でデビューしたのがクルサード。
どの業種、業界に限らず誰かが命を落とさないと改善されない事が多いと思います。現代のモータースポーツはたくさんの命のうえに成り立っている事を再認識させられます。
これテレビで見てたし事の後も何回も見返したけど全般的に変だった思い出がある妙に反響して風呂の中で聞いているようなエグゾーストノート映像自体も白飛びしどこかこの世の物とは思えない映像だった・・
Wow, it's so moving to see these men upset and in tears like this. What a tragic weekend that was 😔 rest in peace Ayrton and Roland ❤❤
There were many Senna fans in Japan at that time.Everyone shed tears.
30年も前の、ビデオテープしか無かった時代の映像が、これほどの状態を維持して保存されていたことに驚くと同時に、感謝したいと思います、ありがとうございます
ビデオデッキを処分する際に、撮りためたVHSを頑張ってDVDにダビングしておいて良かったです。
私も1994年までのF1はかなりの量あります。
リアルタイムで見ていたが今でもハッキリ覚えてます。命の大切さを痛感させられた瞬間でした。いつまでも音速の貴公子、アイルトンセナの名は忘れられません。
なんとなく過ぎていく毎日も幸運なのかもしれないと思いました。
何度も泣いた、23歳でした。
これから30年が過ぎたがいまだあのニュースを聞いたとき半端なくびっくりしたことは今でも忘れられない。悲しすぎる
リアルタイムで見てましたが、今でも信じられないです。
この中継を見た翌日、私は免停講習だったのですが、
「昨日はアイルトン・セナがレース中に亡くなりましたが、あれだけの運転技術を持った人でさえ事故死するのだからあなた達はよっぽど気をつけて運転しなければならない」
と講師が言ってたことがとても印象に残っています。
速度は低くても人の命にかかわる事に変わりはありません。
講師のかたがおっしゃっていたことは、ごもっともだと思います。
すごいタイミングでの免停講習ですね
この放送は本当に貴重な映像だと思います。
どんな事があっても、放送クルーのとして仕事を全うされた御三方。
現地アナウンサーとして異常事態の中進行された三宅アナ、放送中も駆け回り情報を収集し続けた川井さん、声を詰まらせながらも、これからもF1は続いていくと先を見ていこうという今宮さん、まだ不確定情報も多い中生放送でカメラの前に立ち続けた御三方には頭が下がります。
現場が騒然としている事がありありとしています。
仕事としては、辛いものだったと思います。
30年前のことなのに当時の夜中に思い浮かんだこと、翌日の燃え尽きた感じが蘇ってきます。
最後まで見られる自信がないですが…
ありがとうございます。
私もぼう然としてテレビを見ていた記憶があります。
この放送、リアルタイムで観てました。
本当にショック過ぎて、呆然としたことを覚えてます。
今宮さん、三宅さん、川井さんの心境が痛いほど伝わってくる放送でした。
アイルトン・セナは今も我々当時のF−1ファンの心の中に生きています。
私もこの録画テープは持ってますが、当時以降まったく観てないので保存状態はわかりませんので、この品質でのアップは貴重だと思います。
ありがとうございました。
30年たったビデオテープが見られるのか興味がありますね。
保存状態が良ければ大丈夫なんでしょうか。
@@ishikoro7232
返信ありがとうございます。
テープの場合、カビとかの異物が付いてないようでしたら見れることは見れると思います。
ただ、画質については劣化がありますので、当時のままの画質というわけにはいかないでしょうね。
私の場合、当時S−VHSの3倍で録画することが多かったので、標準モードでの録画に比べると劣化は大きいと思います。
30年経ってもセナは僕のカリスマでありヒーローです。セナを超えるドライバーはいません。
ありがとう セナ
あなたを忘れません
私の中でも寡黙な天才として記憶に残るドライバーです。
中継中にセナ選手の死亡を伝えるニュース速報、胸が締め付けられる思いです。
この日、私は部活の大会で遠征中でした。翌日の試合に向けてチームメイトはみな就寝しており、私だけ我慢できず深夜の録画中継を見てたのですがまさかの生中継とまさかの。。翌朝チームメイト達に話してもすぐにはみんな信じてくれず。私はショックと寝不足で試合もさんざんでした。世界中のモータースポーツファンがその時自分が何をしていたか鮮明に覚えている事でしょうね
貴重な映像
ありがとうございます
お役に立てて幸いです。
あの大事故から30年後の2024年にこれほど状態の良い映像を提供してくれたことに感謝します
自分もこの放送を録画していて何度も繰り返し見返してきましたが再生機の老朽化で見直すことが難しくなっていたので有り難いです
1周目のスタート直後エンジンストールしたレートにラミーが追突しSCが導入、そして6週目にレースが再開
セナのマシンは部分的に補修されて黒くなったコース路面のバンプを通過する度にマシンが底打ちして火花を散らしています
16:47にタンブレロコーナーの3つ目のバンプを通過する時は特に激しく火花を撒き散らしています
この場所こそまさに翌周セナのマシンに異常が起きウォールに一直線に向かって行った地点です
おそらくここを通過する時の段差の衝撃でステアリングシャフトが破断し事故が起きた、ということなのでしょう
驚くべきことにセナは異常が発生した瞬間の速度310kmからウォールに衝突するまでにブレーキ操作で210kmまで減速しその衝突の衝撃G自体は致命傷を避けるまで落ちていた、という事実がテレメーターに記録されています
しかし運悪く千切れ飛んだ右フロントタイヤとサスペンションアームの破片がセナの頭部に命中してしまい彼の命を奪った
ウォールにぶつかる角度や路面の補修を丁寧にする等何か1つでも要素が違っていればセナは命を落とさなかったかもしれない…
喜んで頂いて幸いです。
今見返しても、もしもこうなっていれば、もしもこうしていればと色々と頭をめぐってしまいます。
三宅さんと川井ちゃん若い!
当日中学生だったんですが、夜中に、予選を見ていた母親に叩き起こされ、決勝の放送を最後まで見ました。
ラッツェン・バーガーが亡くなったあとのセナの表情、あからさまに、大丈夫では無い顔してて、「セナも事故らないように」と、祈った結果がこれでした。
翌朝、中学校の全校朝礼時に、立った状態で、泣きたい気持ちを我慢してました。
リアルタイムで放送観てました・・・・
貴重な動画をUPしていただいて、本当にありがとうございます。
当時、この中継を涙目で観ておりました。
これほどの鮮明な画像をアップしていただき
本当にありがとうございます。
感謝のお言葉ありがとうございます。
当時小学4年生でした。
生ダラを見てセナに興味を持ち始めて夜中に録画したビデオを早朝に見たグランプリでした。幼いながら衝撃を受けた事を思い出します。
あれからずっとF1は見続けていますが当時の映像をこんなに綺麗にアップしていただいて感謝です。
VHSの保存状態が最高です。私も録画してあるのですがVHS特有のノイズが乗ってしまい悲しさ倍増です。
はっきりとした記憶ではありませんが、15年ほど前にDVDにダビングしました。
最近はDVDも再生出来ないものも出始めました。
動画の長期保存は難しいですね。
もう30年も前なんだな。リアルタイムで見てまして、セナが亡くなったと報じられた際には発狂して何かをブチ投げてしまったのを覚えてます。私の中ではずっと音速の貴公子です。
この時代のF1は人気あった中、セナは頑張ってくれてました。この時も見ていて驚きました。今でも思い出すと涙が止まらないです。
上げてくださり大変有り難う御座いました。
今も歴史に残すべきレースと考えております。😢
後藤さんの、インタビュー
再び見れてよかったです
アップ、ありがとうございます
後藤さんも安全性について変えなければいけないと、しきりに仰っていましたね。
貴重な映像をありがとうございます。
録画予約していましたが、ふと目覚めて放送を観たことを忘れません。
30年経って曖昧になっている記憶が貴重な映像のおかげでハッキリとよみがえって来ました!ありがとうございます! これ以降、倒すべきセナを失ったシューマッハはセナの記録を超える事でセナに勝とうとした。シューマッハが41勝目を挙げた時、人目をはばからず号泣。6年間亡きセナを追い続けた男の涙だった。
シューマッハとの戦い私ももっと見たかったです。
そのシューマッハも今や😢
貴重な内容、ありがとうございました
30年前、新聞の朝刊で知ったことを思い出しました。これまで何度も切り抜きなどで見てきましたが、このように始めから観たのは初めてです。動画をあげていただき有難うございます
初めは部分的にアップしようとしたのですが、改めて見るとCMなども含めて全て見た方が(CMカットしたりしなかったりは当時の私の編集です。)当時の雰囲気が伝わるのではないかと思い、編集せずにアップさせて頂きました。
最近アイルトンセナの動画ばかり見るようになってF1に興味持ったものです…!事故死はとても悲しいですが、やはり車に命を賭けてる感じがカッコイイです😢
生きてるアイルトンセナを最後に見たのはTIに行ったとき。セナが接触リタイアして、サーキットサイドの道を、ピットへの道を歩いて戻っていたのを見ていたのが懐かしい。
しかし、みんな悲しいのに伝えなくてはならない辛さ。
三宅さんも伝えながら台本もないなか番組を続けて凄いと思う。
セナというスターが居なくなって、シューマッハがF1の時代を作った。
世代交代の瞬間がこういった形でなってしまったのが残念
セナとシューマッハがやりあってシューマッハがチャンピオンになるというならすんなりと受け入れられたんだろうに
あの時高校1年でした。30年か…
セナを目標にして来たドライバーにとっても辛い出来事だっただろうと思います。
自分も高校1年でした。
この放送前のニュースからセナの報道がされていて、さらにこの放送内で亡くなったことを速報で流れたのを昨日のことのように覚えています。
憧れの存在を突然奪われ、悲しさに涙が止まらず、次の日の朝のニュースでもこの報道がされ、とても信じられませんでした。
貴重な映像ありがとうございます。報道陣が号泣してしまうほどに日本人の多くがセナを応援していたし思い入れがありましたね。若かりしシューマッハが劣るマシンに乗りながらセナへの追い上げも半端ではなかった。それでも衰えて世代交代することなくセナは天に召され伝説になったと思います。
一番あってはならない形での世代交代になってしまって残念でなりません。
30年たってもあの夜の衝撃は忘れられない。
貴重な映像ありがとうございます。
あの日、速報を見て、あまりのショックで鬱々したことを思い出しました。
昔の映像をみるとその当時の色々な事を思い出しますよね。
動画主さん、30年前の映像を良くぞ綺麗な状態で保管してくれましたね。
もうコレ、タイムマシンの様で当時に戻ってしまいますね。
いや、参りました。あの時のショックが甦ってしまいますね。
特に気を使って保存していた訳ではありませんでした。
カビが発生してしまっているものもありました。
ビデオデッキもいつまで動くか分からなかったので、DVDにダビングしました。
当時リアルタイムで観てました。事故もショックでしたがその後の速報で涙が止まらなくなったのを思い出します…
私も当時全てのレース録画してました
部屋に置いておいて家族に重ねて録画され、怒り狂った事思い出されます
今と違い子供の尊厳が気薄だった頃です
懐かしい映像、フルで見れるとは....ありがとうございます
VHSの時代はそういう事がありましたね。
ツメを折っておけばなぁと思ったものです。
貴重な映像ありがとうございます。
この当時も今の車のようにHaloがあったら、セナはきっと助かったかもと思います。
直前のラッツェンバーガーの事故を受けて、セナ自身も安全性について見直そうと提言していたようです。
マーケットが大きくなり過ぎた事で、レース中止の選択肢はなかったのでしょう。
ラツェンバーガーの事故の時のアイルトン・セナの表情が蒼白で、何か、予感させるものがあったんでしょうね。
当時6歳でOPムービーかっこいいな、車速いなくらいの軽い感覚でF1見てました。
この放送リアルタイムで放送見てましたが強く記憶に残っています。本当に凄い放送でした。映像遺産ありがとうございます。
私もこのオープニングは好きです。
当時1994年のF1グランプリは全レースビデオ録画して保存してあります。懐かしいです。
没後30年、当時の映像を綺麗な画像でアップして頂いた事に感謝致します。
セナを知らない世代も多くなって、この映像は歴史的資料映像になると思います。
少しでも思い出すきっかけになって頂ければ幸いです。
アイルトン・セナが亡くなり3○年立ちますが貴重な映像が残っていたのは、嬉しいです、が悲惨な事故でした、いま見ても心が痛いでね。
セナがヘリで運ばれる映像はとても悲しいです。
実際の放送もレース映像があまりなくセナの話しが大半だったんですね。このレース観てないのでありがとうございます😭
貴重な映像ありがとうございます。自分も当時テレビで観てましたセナの訃報を聞いた時凄いショックを受けたのを覚えてます。内心うそだーと思いました。
こちらこそあのメカドックの風さんからコメント頂けるとは光栄です。
本当に信じがたい事故でした。
当時中継で観ていた
生中継だからこそ衝撃だった
30 years of this May 1st,still hurts in all Brasil and Japan,Senna is forever,like Roland and Imamiya-San,hugs from Brasil
❤ Sou Brasileira .
For both Brazilians and Japanese, Senna is a hero.
当時、見ていまし 思い出します
泣いたなぁ
30年たった今でも、テレビ中継で見たサーキットの名シーンは覚えています。DVD で「アイルトンセナ~音速の彼方へ」が出ていて、ブラジル国葬のシーンは、市民の皆さんが「おかえり」と言う様に、親しみを持って迎えていました。
あれからはや30年。今宮さんは既に亡く、三宅さんはスポーツ実況から離れ、川井さんが辛うじてモータースポーツに残ってくれています。
大好きなセナ、ずっと応援してきました
プロストとの確執もみな受け入れていました
本当に辛くて
信じられない出来事でした
コース脇にセナが寝かされていた場所、血痕…
ニュース速報での死の報告
悪夢でした
セナはドライバーとして、プロストとの純粋な戦いを望んでいただけなんだと思います。
1982年以来、12年間F1レースでの死亡事故は無かった。1987年から日本でも全戦見られるようになった。全てのマシンがカーボンモノコックになり、安全になったものと主催者側もファンも勘違いしていた。不世出の天才、スーパースターが一瞬の出来事でこの世を去ってしまった事実に若かった自分は動揺し未だにショックが残っている。
誰もがニキ・ラウダのような奇跡の生還を期待していました。
1982年F1も状況違いますがFIAが事態の収拾に乗り出すけれども混乱収まらずにF1自体存亡の危機に陥った。
でも日頃は競い会って争うドライバー達も結集してGPDAと言うF1ドライバーの労働組合を結成して立ち上がりました。
1994年F1もGPDAが再結成されてセナが会長となってドライバー全員をまとめる役となる予定でしたが叶わず
セナの親友ベルガーとシューマッハが引き継ぐ事に
GPDAの世話役後見人としてラウダも助けて協力したそうですね‼️🤗
当時、寝ていたところに生中継を見ていた女房から「セナが亡くなった」と起こされました
「何を言うてんねん。セナが死ぬわけないやろ」と憤慨しながら目を開け、テレビの異様な雰囲気の中継に一気に眠気が飛んだ記憶があります
翌日見るつもりで録画していたビデオは今でも書斎に大事に置いていますが、もう劣化しちゃってるでしょうね
アップしていただき感謝です
10年以上前にもう見られないかなと諦める前に再生してみようとビデオデッキに入れると意外にも普通に見る事ができました。
保存状態が良ければ、自分で録画したDVDより長持ちかもしれないですね。
やはり動画は辛くてヘリの辺りで止めちゃいました
両解説の…シーンとか覚えているもんで。でもUPありがとう
当時はF1速報冊子は立ち読みだったけど、1994サンマリノ
は全部買った。家でじっくり読みふけった記憶も覚えてます(53才、男)
凄く強くて イヤミがない こんなに愛される人はもう出てこない😭
当時、日本での人気も高かったですよね。
ジムクラークから観始めて以来F-1を最高に熱を上げて観ていた時代 プロスト セナ からシューマッハへと流れて行く頃 セナ全盛期に起きたあまりにも衝撃だった😭
このレースを完走したデイモン・ヒルを称えたい。
この状況でマシンに乗る勇気はすごいと思います。
たしかチームからの指示でパワステをオフにして走り切ったとか…
チームメイトのヒルはもちろんだけど他のチームレーサー達全員もだよ。ウイリアムズだけじゃないね。他のマシンも結構壮絶なクラッシュしていたし。
当時のこのレースで走ったレーサー達全員に敬意を称したい。
本当ですよね…😢 原因不明のトラブルが起きてたらもう一台もピットに引き上げる事が多い中、ヒルは凄いし、シューも目の前でこんな事ある中で…、皆んな凄い😢
このレースの内容はセナの逝去によってほとんどダイジェスト版になってしまいましたが、完全放送は1週間後にWOWOWで放映されました。それを見るとこのレースは最初から異様な空気が漂っていることが分かります。現地にいたレーススタッフの方達はあの空気感の中でよくレースを続けられたと思います。
本当にそう思います。
ラッツェンバーガーの事故があった時点で誰もがこのレースに疑問を感じていたと思います。
レース本番もいつものF1🏁とは雰囲気が全く違うので違和感がありました。が、予選から何か不穏な空気が流れてて、セナ本人もレース前から暗い表情で「このレース走りたくない・・・」と述べていた事を思い出しますね。
あっという間の30年。
F1への熱が冷め始めた頃にこの事故。
目に心に焼き付いている。昨日のことのように自分の一つの青春の時間が止まっている。
途中まで見たけどもうダメだわ…見てられない…ゴメン!
19歳(1990年)の時に、親父の会社の同僚さんと、鈴鹿にF1見に行って、エンジン音の大きさに感動した記憶が有ります。グッドイヤーの帽子を買ったり、楽しかったです。その後F1は何気に忘れてたのですけど、1994/5アイルトン・セナ事故した時は、F1を初めて見た時から3年半経ってたので、びっくりしたのと、悲しい気持ちと
色々な想いになりました。セナが居なくなって、自分の心から完全にF1が消えました。僕の心の中ではF1=アイルトン・セナだったんでしょ
V12の音は最高に素敵でした。
51:35
この時に当時高校生の自分も察して泣きました。
あれから30年。とっくにセナの年齢も追い越して何もなく生きている事にも感謝しています。
もしあのタンブレロコーナーに一列でもタイヤウォールがあったら何かが変わっていただろうか。ほんの少しだけ当たる角度が変わっていたらまだ生存していただろうか…
と毎年思います。
そう考える人はたくさんいると思います。
この事故によって、その後多くの命が救われたはずだと思いたいですね。
当時高校生でした、
ラッツェンバーガーが亡くなりレースで人が死ぬ事がショックだったのに、次の日に私のヒーローが急にこの世から居なくなってしまった。
セナや他のドライバー達が最もショックを受けていたはずです。
この日は私の結婚式当日でした。式が終わり、ホテルで夜テレビを付けるとこのニュースが流れていました。私が画面に釘付けになっていると、嫁さんに「私とF-1、どっちが大事なの(怒)」と聞かれ、「今日はF-1!」と一番言ってはいけない言葉を口にしてしまいけんかになりました。セナがなくなって30年、私たち2人がこのけんかをして30年になりました。時間が過ぎるのは早いものです。
良い思い出ですね。
@@ishikoro7232 さん 逆に黒歴史の一つです!未だに「あのときは~」と言われます。
それは印象的な一日でしたね。セナの冥福を祈ります
セナの悲報は皆さんが仰ってる通り、今でも目に心に焼きついてます
そして、シューマッハの脅威というか、強さを確信したレースでもありました
素晴らしい動画をありがとうございます
リアルタイムで観ていて、アイルトン・セナの事故死という悲しい瞬間を目の当たりにしましたが、まさか予選からの事故続き!三宅正治アナの涙は忘れられません!
あれだけの事が続いてもレースは続く事に疑問を感じました。
当時はまだ幼稚園児だったからリアルタイムでなく親に録画してもらってから見ていましたけど、この事故よ翌朝母親がセナが死んじゃったと泣いていたのを思い出します。
セナのファン層は広かったんですね。
放送されていた時は眠っていましたが急に目覚めて、テレビをつけたら二人が訃報を告げていました。
三宅さんは、本当に凄いアナウンサーだなあ。F1だけでなくプロ野球、バレーボール、競馬など。フサイチコンコルドとサニーブライアンのダービーは至高の実況。
声がとても聞きやすいですよね。
三宅さんは92年モナコとこのサンマリノで偶然にもセナの光と影を実況するという運の持ち主だと思いました。
THANKS ❤ SENNA LEGEND FOREVER ❤ 2024
ほんと最初のスタートで赤旗を振ってほしかった。それだけで運命は大きく変わったのに…という気持ちと、今の安全なF1が存在してるのはこの出来事があったからという気持ちが混在している。30年経っても変わらずにセナはアイドルなんだよな。何にも変わらない。
このレースの前のセナの表情がもう… こんな表情見た事ないっていう
乗り気じゃないっていうか、嫌な感じを自分でわかってるっていうか
セナだけでなく、他の全ての人も違和感を感じていたのではないかと思います。
サーキット全体の異様な雰囲気が画面からも伝わって来るような気がします。
スピードを売りにして得意とするレーシングドライバーが自信無くしてモチベーション失うほど辛い事無いです。
セナと言えども同僚F1ドライバーで怪我したバリチェロや死亡したラッンェンバーガーを見て気が滅入ったのも当然ですね。
マシンを降りてレース拒否する事も出来たけれども(誰も責めない)セナはそうしなかった。
使命感だからと簡単には片付ける事は出来ないけれどもレーシングドライバーの本能宿命だからかどうかも分からない。
ただ言えるのは1994年にセナが背負っているモノ(レースだけでは無い)が余りにも多過ぎて
レース人生に情熱を捧げる余裕表情が感じられ無かったです
もう30年前かぁ~😭😭リアルで これ見てた 頭が真っ白で よく覚えてない😭😭😭
自分もこのレースは録画していましたが、一度も録画を見ずにビデオテープは処分しました。中継は生で見ましたが、また改めて録画を見返す気にはどうしてもならなかったです。また、セナファンとしてはテープごと捨ててしまわないと気持ち的に耐えられなかったです。20年経った今だから冷静に見られますが、当時は本当にきつかったです。改めてこのように録画映像をアップしていただいて、ありがとうございます。
処分してしまったという方が多いようですね。
自分もほぼ見ずに保管していました。
自分も同じです。あなたと全く同じです。
ビデオ📼捨ててはいなかったかな?その上から、別の(何か?忘れましたけど)番組を録画して消したかな?
WOWOWにも当時加入していたのでその後のちゃんとしたレースも確か見たかな?これも、あんまり記憶に無いです。セナ事故シーンは見ずにトイレに籠もっていた?かもしれません。
リアルタイムで見てて、この瞬間に唖然としました。予選ではラッツェンバーガーも亡くなってましたよね。
空の上で、今宮さんはセナに出会えたかな。貴重な映像、ありがとうございます。
当時フジテレビ中継をリアルタイムで見て
セナの悲しい情報が知らさせるまでドキドキした気持ち
ニュース速報出た時の絶望感
その後の今宮さん、川井ちゃん、三宅アナの沈痛なシーンを
当時子供だった自分が目の当たりにして
想像以上にその画に耐えられなくて
数日怖くて録画したこの映像を見られなかった事を覚えてます
F1中継を毎戦当時のVHSテープが伸びるぐらい何度も楽しみに見てた自分ですら
94年サンマリノGPの中継は再生ボタンを押すまでに数日かかりました
意を決して再生ボタン押した瞬間もドキドキ感で吐き気すら感じながらなんとか見た覚えがあります
それぐらいこの映像は自分にとっても大きな影響を受けました
本当にショックな出来事でした。
スピードは違えど、車を運転するという事に緊張感を与えてくれます。
アイルトンセナは日本のヒーローやったよな。
クラッシュ直後のアップの画像で,ピクッとセナの頭部が動いたシーンが忘れられません.
その時は助かったと思っていたのですが、それはあまりに楽観的な考えでした。
当時、私の地元ではフジテレビが映らず
おのずとF1からも遠ざかっていたんですが
寝ぼけながら聴いていた深夜のラジオ放送でニュース速報が入り
セナの事故死を知りました。
あまりの驚きに
ベッドから飛び起きてしまったのは言うまでもありません。
本当に悲しい出来事でした。
私も本当に
びっくりして
布団から
飛び上がりました
セナの訃報を
聞いて。
他局でも
ニュースに
なりましたね。
この日のことははっきりと覚えています。
当時、F1はフジテレビの独占放送で、他局がレース結果を放送することはありませんでした。
フジテレビのカノッサの屈辱では、NHKの日曜のサンデースポーツでF1日本グランプリが放送されるか、また画面にフジテレビのマークがいくつ映るか
をベットされていた記憶があります(F1日本グランプリは、フジテレビ日本グランプリとフジがスポンサーでした)
この放送前、TBSのスポーツニュースの中で、セナが事故にあったと字幕のニュース速報が流れました。
フジではなく、他局で、しかもニュース速報で、その時私は尋常なことではないと悟りました。あんなに体が震えた夜はこれ以降ありません。
こんなきれいな映像を有難うございました。
スポーツにおいてビジネス的な成功は不可欠なものですが、膨らみすぎるとマイナス面が目立ちます。
標準画質で録画しておいて良かったです。
タイヤウォールが一列だけでもあったなら…と考えても仕方ないのは分かっているけど、この事故の日からずーっと考えていたのを思い出した。セナは永遠のヒーローです。
このサーキットの問題はわかっていたはずなのに、何故と考えてしまいますね。
リアルタイムで観てました、次の日の
月曜日が新しい会社初出勤でしたが
セナのことで上の空ですぐに退職して
しまったことを思い出します
当初の放送時間に生放送されたもので自分もビデオ録画したけど観る勇気がなく翌日深夜のレース部分の放送を上書き録画した。いま観ても何か辛い
私も当時は見る気が起きませんでしたが、ビデオは消さず押し入れにしまいました。
もう30年経ったことに驚きです。当時高校生で実家の福井県から夜中見てました。前日のラッツェンバーガーの事故死も電気屋でリアルルタイムで見たあとでした。血が地面に溜まっている映像を見た時に嫌な予感がしました。この日からF1を見なくなりました。確か、スタート時の事故でタイヤが客席に飛んで行き観客にも死亡者がでたと思います。本当に呪われたグランプリでした。セナは危険性を身をもって自ら突っ込んだという説マシンに何んらかの細工をして暗殺説がありましたね。本当に伝説のドライバーでした。やっぱりセナには赤と白が似合いますね。
セナ、ラッツェンバーガー、バリチェロの他にも観客も怪我人出たんだよね!!
このレース本当に色んな事があった!!
これほど色々と続いた上で続行されるレースに誰もが疑問を感じたと思います。
確か、番組見てました。セナの死は本当にショックだった…。当時、普通自動二輪の免許取りに行ってたから忘れられない。
音速の貴公子がなくなったのは1994年5月1日…
F1ファン、セナのファンなら絶対に忘れては行けない日!
音速の貴公子、アイルトン・セナが無くなってから、早ちょうど30年…
私もアイルトン・セナが好きでフジテレビの深夜にF1を見ていました。
この日もテレビで見ていました!
セナが亡くなったと聞いた時はショックで寝れませんでした。
(ちょうど、高校卒業して、社会人になったばかり)
F1中継後(その日の朝仕事はちょうど公休で休み→朝迄セナのニュースを見ていました。)
ショックでした。
当時リアルタイムで観てた。
少し早目にTVの電源を入れたら何故かすぐに始まって「?」だった。
15分ほど早めにいきなり車載カメラの映像から始まったのを覚えている。
(私の視聴地域だけではないと思うが23:45から始まる予定が23:30から始まった)
懐かしいなぁ~
F1中継って
録画してるのに友人達と集まって観て、寝落ちした思い出があります。
今時点で見ても分かっているのにドキッとします…
御三方が必死に状況を伝えてコメントを出すところにプロとしての矜持を感じました。
表彰台の3人シューマッハとラリーニとハッキネンの記者会見で今でもハッキリ覚えていますが
シューマッハのインタビュー最中に右側のラリーニは何故か視線を反らしてシューマッハの事を避ける素振りを見せているのが印象的でした。
それとは対照的に左側のハッキネンの方はシューマッハの話に耳を傾けながら寄り添っているように思えました。
当時シューマッハの振る舞いに対して快く思わない同僚F1ドライバーもいた?
このサンマリノGPで優勝したシューマッハでしたがセナが亡くなった事で心から喜べる心情では無かったのが気の毒で可哀想にも思いました
誰もが喜べる状況ではありませんでしたね。
@@ishikoro7232 様
さすがに
サンマリノGP表彰式もシャンパンファイト出来る状況には無かったでした。
それでも最悪お通夜みたいな雰囲気にだけはならなかっただけ良かった?
優勝したシューマッハが2位獲得したニコラ・ラリーニがトロフィー🏆を受け取って頭上高く持ち上げた姿を見届けて拍手して祝福して場を盛り上げたところにシューマッハの優しさを感じました‼️🤗
1994年サンマリノGPの惨劇、新聞でも大きく取り上げていました。当時、17歳になり高校3年生だったので、
覚えています。あの事故には、俺、絶句しました。
F1がコンテンツとしてかなり盛り上がっていた時代でしたね。
オンタイムで視ていました。
ニュース速報でセナの訃報が流れた瞬間、近所から大きな悲鳴が聞こえました、、
もう30年か、、
セナが亡くなってから
F1🏁観なくなった。
そういうかたが少なくないでしょうね。
実は私もそうなんです、ほんとにセナはF-1の面白さを教えてくれた。それだけに、この事故はショックでこれ以降見れなくなってしまいました。
この日部活の試合後の飲み会終わって、サンマリノ間に合った!と思いながら中継みてました
開幕から調子上がらないセナ(というかウィリアムズ)だったのでどうなんだろ?と
タンブレロのクラッシュ見ても、セナはマンセルと同じく危機回避能力高いから大丈夫だろう、と思ってた
その後ニュース速報テロップ→画面変わって今宮、川井、三宅さんが声を詰まらせて事実を話し出して、始めてコレ本当なんだとあ然としました。
誰もが少し楽観的に考えていたように思います。
しかし、結果はとても残念なものでした。
22:33 Newey was reduced to tears here.
こんなオープニング今作れる?!
カッコ良すぎて言葉でない💦
かっこいいですよね!
強かった速かった格好良かった。
タンブレロは以前からピケやベルガーの重大事故という伏線があったのにこの年までレイアウトが変更されることはなかった。
翌年からタンブレロはシケインになりました。
セナが死亡して代役でデビューしたのがクルサード。
どの業種、業界に限らず誰かが命を落とさないと改善されない事が多いと思います。
現代のモータースポーツはたくさんの命のうえに成り立っている事を再認識させられます。
これテレビで見てたし事の後も何回も見返したけど全般的に変だった思い出がある
妙に反響して風呂の中で聞いているようなエグゾーストノート
映像自体も白飛びしどこかこの世の物とは思えない映像だった・・
Wow, it's so moving to see these men upset and in tears like this. What a tragic weekend that was 😔 rest in peace Ayrton and Roland ❤❤
There were many Senna fans in Japan at that time.
Everyone shed tears.