2020年11月1日「神様が無茶苦茶で助かった ―赦すとはどういうことか」マルコ12:1-11 奥田知志牧師宣教 東八幡キリスト教会 主日礼拝

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  • Опубліковано 11 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 12

  • @なおちゃん-d1s
    @なおちゃん-d1s 10 місяців тому +1

    涙が出ました。主イエス様の愛、つまり父なる神様の計り知れない大きな愛を知ることができました。温かいメッセージをありがとうございました。

  • @マルタヨウスケ-w3r
    @マルタヨウスケ-w3r 2 роки тому +2

    お祈りと聖書の学び感謝いたします😊

  • @加藤真理-s8q
    @加藤真理-s8q 4 роки тому +3

    今[2日18時24分]、NHK 首都圏ネットワークで、
    奥田先生の抱樸の活動が放映されています❗
    憲法25条生存権

  • @久保司-l9r
    @久保司-l9r 4 роки тому +4

    宣教ありがとうございます。
    マタイ五章の有名な箇所についてですが、無理に赦せない相手を赦す必要はないと思います。たとえ自分が赦されるに値しない存在だとしてもです。ただ相手を激しく憎むのは避けたいです。無駄な労力を使うことになります。

  • @1959マリー
    @1959マリー 4 роки тому +3

    「赦された罪人」として、生かされていることを心に留めながら生きるのが、クリスチャンということですね?主の祈り。神様に愛されていると信じると、寂しさが不思議と消えていきます。神は愛なり。すべての人を等しく愛しておられる神様。それも信じられます。人間(私)は、罪を憎んで人を憎まず、の心境になれたらいいな、と思います。あまりにも嘘やご都合主義、忖度が溢れている社会の中で、腹立たしいことが多すぎて。筋の通らぬことばかり。古い歌にもあったから、確かに、そんなことは遥か昔から延々と続いていることか・・・。
    しかし、今、「世界的破局の始まり」が現実のものとして感ぜられ、一つの終焉の時を私たちは生きているように思えてならない、という中村哲先生のことばは、胸に突き刺さります。それだからこそ、東八幡キリスト教会の働きは「希望」ですね。 
    たらたら、書いてしまいました。奥田先生と石橋先生のバトル、聞いてみたいです。今はしない?
    タイムリーでは聞けませんでしたが、今日もありがとうございました。