Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
初めて見ました。「ケア」については何のことなのか全く分かりませんでしたが、答えの出ない問いについては少しインスパイアされました。問いかけは答えを得るためにあるわけではなく、関係を持つことそのものではないか、逆に言うとするなら、問いかけのない関係は関係ではない。問いかけによって生きた関係がそこに生まれる。生きるということは他者に問いかけることである。というふうに連鎖的につながりました。また見たいと思いました。
安易に答えを出そうとしないことは、人間の思考や認識の能力が不完全である以上大切なことだと思います。ですが、悩んでいる暇のない、今決断しなければならないような問いが生まれてきた時、やはり人は今までの自分が手にしてきた不完全な結論達を道具にして、不完全ながらも自らにとって最善の結論を出さなくてはいけない時もあるよなと感じます。
とても、よかったです。「問い」をずっと、抱えてしんどくて、哲学、宗教など様々な書物から、「答え」を得ようとあがいていましたが、晴れてきました。いっしょに、真理にむかっていく人との出会いを求めていきたい。ありがとうございました。「ケアを基盤とした民主主義」広げたいですね。
すすふ
なるほどなぁと感じること、そうやなぁと納得することがたくさんありました。林たけじさん、昔聞いた懐かしい名前です。お二人のお話は、納得し、さすがだなあと思うのも正直な気持ちなのですが、もうひとつの心の声として「こんなん、当たり前のことやんか。今ごろ気づいてはるねんな。」と言う声もありました。もしかすると、お二人とも、「強い」人だったんかなぁ?と感じたのも事実です。
意味のある繋がりをつくることは、ほんまにたいへんです。5年かかってやっとひとりと繋がった感じがします。ものすごく、儚く危うい繋がりですが、コロナのお陰で繋がった部分もあり、不思議なこと、怪我の巧妙かなと思います。
訪問型の支援、絶対大事やと思います。
素晴らしい対話ありがとうございます◎他者との依存の仕合いが、仕合わせ(幸せ)の根源なんですね。
失礼します…問はそのままで答えであり…好きな詩の一部です。弱さを許容する社会…心に灯をともすような関係を手探りします。有難うございました!
お祈りと聖書学び、対談、感謝します。
この動画きっかけで水中の哲学者たち買ったよ!!笑読むの楽しみです。
「最近流されて過ごしてるな」と思う日々って「問うこと」をしていない又は諦めてる日々だったりしますね。振り返ってみると。「なんで⁉︎なんで⁉︎」な子どもに辟易する時も多々あるけれど笑、その問いから始まる対話を楽しみながら歳をとっていきたいです😌久々に読書したくなりました。
す
遠藤周作さんの「沈黙」に出てくる「キチジロー」のことを思い浮かべていました。
みんな違って大変だ、から始めないといけないかもしれない。
よわそうにおもう人は、つよいし、つよそうな人はよわい、当然のこと。
「問い」がなくなって「効率」よく生きるのが資本主義なんだろうけどそんなもんが進めば確かに国は脆くなる。言ってしまえば「自分が勝つためにどうすればいいか」という社会なんてみずほらしくてしょうがない。
なぜ、主体が揺らぐことに恐れを感じるのだろう。真理に近づくには、いかにに主体を無くして考えることなのではないのか?
皆プライドを捨てられないからではないでしょうか?😅
林竹二さんって若い頃はまった先生なので、懐かしく聴きました。。。灰谷健次郎さんが尊敬されていた先生ですネ。。。もー30年も40年も前の林先生の進化論の解釈は、解明が進んできた現在の説に何ら違和感ないです。。。抜群の洞察力がお有りになったのでしょう〜 私はキリスト教の信者さんには進化論の話は禁物だと、、、知らないからでしょうか⁉️ 奥田牧師にお聞きしたい〜🙇♀️
すごいおじさん構文w
"「主 イエス を 信じなさい。 そうすれば, あなたもあなたの 家族も 救われます。 」聖書,使徒の働き16章31節"
初めて見ました。「ケア」については何のことなのか全く分かりませんでしたが、答えの出ない問いについては少しインスパイアされました。問いかけは答えを得るためにあるわけではなく、関係を持つことそのものではないか、逆に言うとするなら、問いかけのない関係は関係ではない。問いかけによって生きた関係がそこに生まれる。生きるということは他者に問いかけることである。というふうに連鎖的につながりました。また見たいと思いました。
安易に答えを出そうとしないことは、人間の思考や認識の能力が不完全である以上大切なことだと思います。ですが、悩んでいる暇のない、今決断しなければならないような問いが生まれてきた時、やはり人は今までの自分が手にしてきた不完全な結論達を道具にして、不完全ながらも自らにとって最善の結論を出さなくてはいけない時もあるよなと感じます。
とても、よかったです。「問い」をずっと、抱えてしんどくて、哲学、宗教など様々な書物から、「答え」を得ようとあがいていましたが、晴れてきました。いっしょに、真理にむかっていく人との出会いを求めていきたい。ありがとうございました。「ケアを基盤とした民主主義」広げたいですね。
すすふ
なるほどなぁと感じること、そうやなぁと納得することがたくさんありました。
林たけじさん、昔聞いた懐かしい名前です。
お二人のお話は、納得し、さすがだなあと思うのも正直な気持ちなのですが、もうひとつの心の声として「こんなん、当たり前のことやんか。今ごろ気づいてはるねんな。」と言う声もありました。
もしかすると、お二人とも、「強い」人だったんかなぁ?と感じたのも事実です。
意味のある繋がりをつくることは、ほんまにたいへんです。5年かかってやっとひとりと繋がった感じがします。ものすごく、儚く危うい繋がりですが、コロナのお陰で繋がった部分もあり、不思議なこと、怪我の巧妙かなと思います。
訪問型の支援、絶対大事やと思います。
素晴らしい対話ありがとうございます◎
他者との依存の仕合いが、仕合わせ(幸せ)の根源なんですね。
失礼します…問はそのままで答えであり…好きな詩の一部です。弱さを許容する社会…心に灯をともすような関係を手探りします。
有難うございました!
お祈りと聖書学び、対談、感謝します。
この動画きっかけで水中の哲学者たち買ったよ!!笑
読むの楽しみです。
「最近流されて過ごしてるな」と思う日々って「問うこと」をしていない又は諦めてる日々だったりしますね。振り返ってみると。
「なんで⁉︎なんで⁉︎」な子どもに辟易する時も多々あるけれど笑、その問いから始まる対話を楽しみながら歳をとっていきたいです😌
久々に読書したくなりました。
す
遠藤周作さんの「沈黙」に出てくる「キチジロー」のことを思い浮かべていました。
みんな違って大変だ、から始めないといけないかもしれない。
よわそうにおもう人は、つよいし、つよそうな人はよわい、当然のこと。
「問い」がなくなって
「効率」よく生きるのが資本主義なんだろうけど
そんなもんが進めば確かに国は脆くなる。
言ってしまえば「自分が勝つためにどうすればいいか」という社会なんて
みずほらしくてしょうがない。
なぜ、主体が揺らぐことに恐れを感じるのだろう。
真理に近づくには、いかにに主体を無くして考えることなのではないのか?
皆プライドを捨てられないからではないでしょうか?😅
林竹二さんって若い頃はまった先生なので、懐かしく聴きました。。。灰谷健次郎さんが尊敬されていた先生ですネ。。。もー30年も40年も前の林先生の進化論の解釈は、解明が進んできた現在の説に何ら違和感ないです。。。抜群の洞察力がお有りになったのでしょう〜 私はキリスト教の信者さんには進化論の話は禁物だと、、、知らないからでしょうか⁉️ 奥田牧師にお聞きしたい〜🙇♀️
すごいおじさん構文w
"「主 イエス を 信じなさい。 そうすれば, あなたもあなたの 家族も 救われます。 」聖書,使徒の働き16章31節"