1964 年パラリンピック東京は初物ばかりの手作り大会だった、関係者だけが知る裏話
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- Опубліковано 29 гру 2024
- 1964 年に行われたパラリンピックは、手探りの中はじめた大会でした。
当時の日本には、障がい者がスポーツをする機運もなく、予算もなく、会を立ち上げたものの、予算のでどころや役員の配分でもめ、意味八方ふさがり。
それでも結果的にはパラリンピックは大成功!
パラリンピックの名称を使ったのも、身障者だけでなく、盲や聾唖の人に門戸を広げたのも東京大会からでした。
当時の関係者向け用につくられた写真集を使って、裏話もたっぷりお届けします。
イラスト作成は、iPadでProcreateを使用しています。
procreate.com/...
【資料&使用素材サイト】
写真AC www.photo-ac.com/
イラストAC www.ac-illust....
動画AC video-ac.com/
ぱくたそ www.pakutaso.com/
うきよえすとっく ukiyoestock.co...
国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/ja/
看護師のケアや選手の見守りなど試行錯誤の部分がありますね。でもところどころに日本のあたたかみを感じる部分もありました。
64年の東京五輪は、小学校の時に電車で代々木競技場に行ったが、プログラムも何も無いので、何の競技の何なのか何も分らなかった後年大人に成っても行ったが、
やはり、プログラムが、必要だと思った。最近は、競技場の掲示板も見易いが、小中学生には、プログラム等のアナログ情報とパラリンピックにも小中高生を連れて行って欲しい。
このパラリンピック東京大会には日本人選手は成績が良過ぎて金メダル独占する結果になるのが宜しくないとの判断で、参加しなかったと聞いたのですが本当ですか?
日本人がパラリンピックの第一部(国際大会)に参加しなかったということでしょうか?
日本人も第一部にでていますよ。
中には複数人でている競技もあります。
でも、車いすも海外ほどスポーツできる状態じゃなかったですし、慣れない競技も多く、結構苦戦しているようです。
一方、国内大会の第二部は日本独自の競技が多く、こちらは海外の方はやったことがない感じで参加できなかったという面もあるかと。
@@Cosono-Japan なるほど、そういう経緯でしたか。わかりました。ありがとうございます。