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毎度動画を見るたびに思うのですが史記のみを参考にするのでなく歴史書以外の複数の資料を参考にしつつ考察をしてく感じは研究者みたいですごいですね。
史記をただ読んでるだけのゆっくり動画とはそこが違うんですよねだからこそここまで伸びるんだなぁ
多分鳥人間さんは、結構有名な大学の中国史を研究している(又は、していた)院生か現役研究者なんだろうな、と思っています。
素人なら史料を見てもわからんから、そのへん研究とかするなら基礎知識がないと出来ないもんな我々一般人が史料見比べても、なかなか合理的な推察は難しい
大学でまさしく中国史を習っていましたが、教授たち(京大卒)から言われたのは「春秋戦国時代以前は資料が少なすぎて研究が難しいから、研究のテーマにするのは辞めろ」でした実際、当時の修士課程の方も、隋か宋あたりの研究しかしてなかったですし、そんな難しい時代をガッツリ解説してくれる辺り、博士課程以上の方じゃないと無理ではないかと推察します本当に勉強になります😭
ありがとうございます!
ご支援ありがとうございまァす!!光栄に……光栄にござります……!!
牧野の戦いを、金文や甲骨文字を下地にしてここまで詳しく取り上げたyoutube動画はこれまでなかったと思います。再生回数が恐らく凄く伸びると思いますね。本当にありがとうございました。
甲骨文在牧野之前。。。。怎么可能有记载?青铜器出土过一件周簋,记载过武王伐纣时的天象。。。中国所有的历史都有文物作为对照。。而西方的历史有文物对照么?另外,你日本的日本刀,茶道,棋道,漆器,建筑,相扑,文字,服饰。。。。。都是源自中国,可懂?
@@didida6207 我能懂你的汉语,可是不会理解你的论点。对对、现代的日本人坚信很多现代日本的东西源自古代中华文明、对现代的中国东西一样。这是很多为什么日本人热爱古代中华历史。可是、你的论点是什么的?
@@doraeemon4015 我幫你解釋...他說日本傳統的東西都是中國的. 所以日本是中國的.
つい最近見たんだよなぁ…(初期の動画)『夏王朝なんて無い』の魔理沙のヤベー顔とか『激突 呉楚の戦い』の雑コラサムネほんと好き。愛していると言っても過言じゃないわ。
興味深いのは春秋戦国時代の時に「殷の紂王ってマジ暴君?」って疑問が投げ掛けられていることだと思う。そもそも周代の儀礼や思想に多大なる影響を与えた孔子の弟子である子貢が否定しちゃうのはわらた。
凄い平和そうに見えて、実は凄い重要な戦い
紂王「総勢1名参陣!」
ありがとうございます。中国史上最古の「天下分け目の戦い」,殷の存亡をかけた闘いがここまで多くの人により研究されることに,この闘いの残したものの大きさを感じました。政治,戦争,文芸,そして,それぞれの時代を生きた人物たちの魅力を今後もご紹介ください。
『歴史と伝説の違い』ここをキッチリと示してくれるのでロマンが溢れ、知的好奇心を満たしてくれる。
Thanks!
ご支援まことに感謝!!ありがたく頂戴いたしまする……!!
今更だけど古代中華史はそんな前の記録が、ある程度しっかり確認できるのが凄い話だよね。
最高の記録媒体は石とか腐食のあまりしない金属とか亀の甲羅に文字を刻むのが一番なんだろうなやっぱり現代は紙と電子媒体だけど、両方とも1000年以上持つかと言われたら微妙だな
エジプトやメソポタミアはこれよりさらに2000年前の記録があるからおそろしい
@@ゴンベエ-c1l ブレードランナーの新作で語られた状況の様になりかねないですからね…
@user-cj8kl6dd4q紙は持つよ。普通の紙(パルプ紙)は数十年でダメになるけど、繊維を化学的にほぐしてない和紙などの古い紙は千年以上経っても朽ちていない。
@user-cj8kl6dd4qあと最古の文字資料は石でも金属でも甲羅でもなく粘土板。大陸では、石や砂利などが乏しく無限の粘土、泥地が広がっている土地がいくつかある。メソポタミアやインドは泥が多い。だからレンガで建築し粘土板に番号や伝票を刻むという全てを泥から焼いて賄う文化が生まれた。もちろん家も日干しレンガや焼成レンガで作る。意外と珍しくないスタイル。
紂王は、NHKFMのラジオドラマでの藤岡弘さんの渋い声に聞き惚れたせいか、強くてカッコいい悪役💕という印象でした。懐かしいです。
ご安心くだされ、周王列伝シリーズはリアタイで見ておりましたよ
大体3000年前くらい?そんな時代の資料が現存してるって凄いよなぁ
子供の頃、漫画の封神演義で歴史に興味を持ちました。太公望が格好良かったです。
鳴条の戦いは牧野の戦いを参考に想像されたんだろうなぁ・・・
投稿主の解説は原典主義に則っており、非常に参考になる。確かに大邑商を強襲して制圧し、牧野の戦い自体なかったかもしれないという話は、金文をストレートに解釈すれば成立してしまう。以前は、歴史学研究の拠り所は歴史書などの文字史料がメインであった。しかし、文字史料だけでは解明できなかった部分も多く残っていた。考古学の成果によって歴史書の内容の正確さや誤りを突合して検証できるようになり、研究は飛躍的に進んだ。そして、今後の歴史研究は他の学問の研究者もまじえ、総合的に歴史を確定させていく必要があるのではないかと考える。
人物史だけでなく史書と甲骨文、金文などから牧野の戦いを考察するのは歴史学らしく非常に良いと思います。つい先日も前漢の文帝陵が特定されたとのビックニュースがありましたね。ここからまた史書にない資料が出てくることを期待してます。
今度周シリーズ一気見しよっと♫
26:11 あたりの詩経の画像が、私にはカステラに見えました!私にとっては、それこそが事実なのであります!おなか空いた、ゆえに我あり。
仕事中見れないけど、これはめっちゃ楽しみ
ふっきれましたね。素晴らしいです。これこそ鳥人間と言うべき動画です。自分の好きなことを好きなだけ語るそれだけで良いのです。西洋のルイ16世もまた悪い君主だったとされてたものが後から言うほど悪い王でもなかったとなり今ではマリーアントワネットと共に悲劇の王族だったとされています。紂王もまたそうなのかも知れませんね。
21:03この崇という国名から、封神演義の崇公虎というキャラができたんでしょうね。
藤崎版はカルタゴのハンニバルの戦術をベースにしているところがあると思う。カンネーの戦いをそのままやっているのもあるし。
楽しく見ました。過去動画全然恥ずかしくないですよ。また次回作待っています。
牧野の戦いの動画、ありがとうございます。太古の戦いということでわからないことも多いのですが、それだけに文学的な肉付けもしやすいんですよね。
おお、久方ぶりの春秋戦国以前の古代中国!古代のロマン、大好き!
今回も動画を閲覧した者です。 中国古代史は、まだまだ謎が多く、新しい証拠等が出てきたら、今までの定説が引っくり返る【パラダイムシフト】なと感じました。 これは古代史に限ったことではなく、今の状態でも、【実は⁉️】と新しい証拠が出てきたら、同様のことが起きるなと、改めて思いました。 今回のテーマは、パラダイムシフトの話だったなということが、感想ですね。 【学習まんが 中国の歴史【旧】】、封神演義【ジャンプの漫画】、殷周伝説【横山光輝】。 読んだ漫画なので、懐かしい‼️と感じました。 歴史は、定説が変化する時があるから、これもまた、歴史の面白さ。今回の動画で改めて勉強になりました。 話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
いつも、楽しく拝見させていただいております。周以前の古代中国を取り扱った動画の中でも秀逸な内容に、勉強させていただいております。以前見た歴史ドキュメンタリーで、殷が青銅器に甲骨文字を刻んで周辺国に「文字を下賜する」と言うことをやっていたと言うのがありました。これを多く下賜されたのが周だったらしく、周はこれを研究し、話し言葉が通じない他部族と文字でコミュニケーションを取って連合した、という話です。そして、殷の軍主力が地方討伐に出かけていたところを、奇襲で王都を落としたらしい。そのため、底力の残っていた殷の反撃を恐れた周は殷の遺民をあちこちに分散・強制移住させたようです。(杞とか宋とか)不毛な地に追いやられた殷(商)の人々は分散させられたのを逆手に取って、交易で生計を立てるようになった。なので交易をする人を商人と呼ぶようになった。とありました。後半で言及されているように牧野の戦いはなかったのかもしれません。
オリジナルがあるのは確かなのに後世の人が改変し続けた結果、もはや別物になってしまってるのが面白いですね。
うぽつです。まるで神話と歴史の境目を見るようでワクワクしますね。真実は当時を生きた人々にしか分かりませんが、こうして様々な情報に触れながら当時に思いを馳せ、考えを巡らす事が歴史のロマンを追い求めるということなのかもしれないと思いました。
資料に言及しているところが良かったです。「三国時代」実際の最大動員兵力は、魏で20万、呉で8万、蜀で5万と読んだことがありますが、70万はおおすぎますよね。時代が古くなればなるほどロマン度がまします。
投稿ありがとうございます。史記以外の史料をあたるのはハードルが高いので本当に有難いです。しかしこのような古代の戦いが、甲骨文字等でここまで分かるのはやはり中国はすごいなと。
鳥人間さんの真骨頂は金文からの史書の精査ですなあ過去動画を見ないでくれとか初めて聞きましたw
有史として確認できる最初の決戦が牧野の戦いでまだまだわからないことも多く、特に勃発年が変わればいろいろとずれてくると…。8割方ロマンが占めていますね!
殷の紂王が悪く記録されている様に、周も相当美化されとるのかもしれないね。
殷についてこれからの発見や発表が楽しみです。
十八史畧を延々と復文しながら讀んでいってるのですが、殷周交代も讀みましたねぇ!本文では單に「紂、牧野に敗れ、寶玉を衣て自ら焚死す。殷亡ぶ。」としか記述されないので、解說有難いです。
歴史は勝者が作るってことですかね。
比干も紹介して欲しかったです…
王曰:「御妻偶發沉痾心痛之疾,惟玲瓏心可愈。皇叔有玲瓏心,乞借一片作湯,治疾若愈,此功莫大焉。」比干曰:「心是何物?」紂王曰:「乃皇叔腹內之心。」比干怒奏曰:「心者一身之主,隱于肺內,坐六葉兩耳之中,百惡無侵,一侵即死。心正,手足正;心不正,則手足不正。心為萬物之靈苗,四象變化之根本。吾心有傷,豈有生路!老臣雖死不惜,只是社稷坵墟,賢能盡絕。
伝説が終わり、歴史がはじまる。
銀河英雄伝説のラストですね😉👍✨自分にとっては、歴史が単なる勉強だけではなく、趣味として楽しめるようになった切欠の作品です。懐かしい☺️
何気にそんなに昔からある「酒」が凄いですね
「酒(発酵飲料)」と「歌(音楽)」は人類が洞穴暮らしの時代からコミュニケーションも兼ねた手段として発祥したのではないか?と言う考察をしていた番組を見たことがあります。番組名はわかりませんが
@user-pi4ot1pz2y果実の発酵アルコールは自然界に存在しますし、ブドウを皮ごと潰すとそのままワインになります。果皮に付いてる菌で発酵させるので、ナットウのように藁で包む必要すらありません。ただし、酵母菌よりも納豆菌の方がはるかに強いので、ほっとけば雑菌を殲滅する納豆菌とは違って葡萄酒造りは腐敗のリスクが有ります。
姫発が一旦、軍を収めた話しから、老子の「敢えてするに勇なれば則ち殺し、敢えてせざるに勇なれば則ち活く。勇于敢則殺、勇于不敢則活。」という言葉を連想しました。中国の方が、前へ進むだけの勇気をあまり評価しないなどと聞くと、歴史に根ざした考え方なのかなと納得しました。太公望を裏付ける発見があるといいですね!動画面白かったです。長文すみません。
休みです!ビール片手に古代中国史です!古代になればなるほど浪漫が溢れますね!
動画ありがとうございます。妲己、太公望の存在はある種の神話なのですね。古代史にはそうした要素があるとは思っていましたが。
何かの本で、紂王が諸侯から嫌われたのは、貝貨による貨幣経済を急激に進めて、経済に影響が出たからだ、という話が載っていた。インフレでも起こしたんだろうか。ちなみに、貝貨として扱われたのは、うちの地元、宮古島の宝貝らしい。うちの島、何気に三千年の歴史があるようだ。
豊京(ほうけい)って良い名前ですな。なんとなく皮に包まれているような感じがします。
まあ、弱っている殷を強くなった周が倒しただけ、そんな歴史によくあることだったんでしょうな。他では取り上げられない、金文や甲骨文字という、殷周当時の史料をお出ししてお話ししてくれるのが、ほんと希少でありがたいです。
数ある歴史解説日本語動画の中で、古代中国史を金文から解説しているのものはここくらいのもので、迷わず登録した理由でもありました。話は変わりますが、前漢の文帝の墓が先日判明したそうですねぇ。新発見があるといいですねぇ。
〜史書等の紂王〜紂王「この国は俺のモンだ!民から税を絞り上げて、贅沢三昧するぞ!!」妲己「紂王と一緒に贅沢三昧を楽しむわよ。逆らうヤツは許さないわ。」武王「諸侯の皆さん、僕に力を貸してください。一緒に殷をボコしましょう。」〜金文からの紂王〜紂王「あちこちで反乱が起こりまくって、対処が追いつかねぇ。え?孟方でも起きたの?え?待って、これ、詰んでね?」諸侯「殷は終わりだ。武王に着くか。」武王「この国は俺のモンだ!」
早朝に戦いが始まったのなら、攻撃側は東から仕掛けた可能性が高いと思う。なぜなら早朝は太陽の位置が東の空低くにあるはずで、西側にいると太陽がまぶしくて敵が見れないから。しかし周は西から攻め上ったはずであり、東から攻撃するにはまず一度殷軍を迂回するしかない。悪天候であれば、太陽は無視できるがその場合は荒天に乗じて攻撃した可能性もある。(悪天候であれば詩経の牧野の戦いの明朝、暗雲は消え大気は澄み渡ったという記述に近いことになる)発掘調査によれば、殷墟は中国の伝統的な都市のように四角い城壁で囲まれたものではなく、宮殿の回りに小規模な壕があるくらいで防御力はほぼゼロ。夏の陣の大阪城よりもさらに弱そうな水準。つまり殷墟の防衛軍は大阪夏の陣同様に近づく敵軍を出撃して迎え撃つしかなく当然短期間で終わってしまう。また、殷墟の周辺には殷に従属していたであろう小都市が20以上は散在しており、それらの防衛(下手すればその小都市も離反する可能性がある、と言うか周についた微や召は離反した勢力)も考えればやはり出撃するしかなく、必然的に野戦ですべてが決まってしまい、その後に殷墟になだれ込んでやはり一日で戦いが終わったというのはおそらく事実と思います。
進軍ルートが大規模河川にピッタリ沿っているので、古代でも大規模な兵力が動員できたリアリティがありますね
10:53 ダチョウ倶楽部的お約束ですね分かります。てな訳で再度紂王の辺りから見直して来ますね(勿論ちゃんと当動画を見終わってからにします)。
鳥🦆🦉🦅氏はああ言ってますが、初期動画も実に快作多くてこっそり何度も見に行ってます。太公望回、春秋五覇回は名作。リメイクも大歓迎。考古学的な解説にも期待したい
最初期の殷周時代の動画や盤龍城、三星堆遺跡、野人、怪異などの動画は今でもよく見るお気に入りです。紂王動画の再録、おさらいと新情報によりロマンが深まりました!
周が一旦撤兵したのは、その時殷と周の間で和睦が成立したから…?もちろん、双方にそれなりの事情がなければ成り立たないが、殷側は東方の精力を討伐するのに力を注ぎたかったからという推察がけっこう簡単にできるが、周側の事情はどうなんでしょうね…。予想以上に味方の軍隊が増えすぎて、統率が取りづらくなったからとか、予想に反して殷軍にまだ主力の精鋭部隊や殷側に付いた邑がけっこういたからとか色んな事が推察できますね…。実際どうだったのか…。(てか、本来の理由が記録に残っているのか…?)2回目の時はたぶん、帝辛が殷の主力を連れて東方勢力討伐に出かけていて、周が攻めてきたという情報を聞いて慌てて戻ってきたが、まだ主力が全部戻ってきていない状態で戦わざるを得なくなったから、急いで新たに部隊を編成したが、寄せ集め(たぶん奴隷として都にいた者を大勢兵にした。少なくとも士気はイマイチな部隊だっただと思う。)だったため、あっさり突破されたんじゃないかと思います。(なお、おそらく周側は長年殷に奴隷狩りや生贄狩りをされて来た邑が多くいたため、士気は高そう。)
周王朝の諸王の動画も好きです!
宮城谷昌光「太公望」では太公望は老獪な軍師ではなく、知勇兼ね揃えた武人として戦いに参陣していたな。ところで斉という国は王畿に食邑を持ちながら、本家が斉の領主を兼ねていたという当時としては特殊な国(当時は地方の諸侯は王畿の本家(邦君=中央貴族)の庶流の分家が統治するのが慣例だった)だったわけだがそういった事情から太公望が実在するかしないかに関わらず、少なくとも初代斉公も同族をそれほど持たない低い身分だったのではないかと推測される(同じく低い身分から天下を取った秀吉も同族がいないことが悩みの種だった)。
酒については、酒に酔って「神と一体になる」という考え方があったとも言われていますが、それは祭祀を重視した商(殷)の価値観に合っていると思います。
謎の反転は殷側の出方を窺う為かもしれない。それにしても鳥人間さんは「甲骨文や金文はこうなってます。閉廷ガラガラ」で終わってないのが面白い。
新しい国家形態の成立であり、古代史研究の定点にもなっているのですね。夏王朝に慎重な鳥人間さんのスタンスが分かる気がします。というか、説得されてしまいました。
動画投稿ありがとうございます。戦いが無かったかもだなんて非常に為になりました。中々史実の証拠が見つからないのは、やはり王朝交代で前王朝を否定する習わし?で史料を処分したり、ですかね
横光さんの晩年の作品で「殷周伝説」がありますが、主人公の太公望が良いですね。「殷周伝説」の前に執筆した、「若き獅子たち(項羽と劉邦)」の中では范増が一番好きなキャラクターでしたが、その横光版范増をそのまま主人公にした感じですね。
よかった覆水盆に帰らなくなったイケズ奥さんは実在しなかった…のかな?
もしかしたら「太公望なんていう人物は存在しなかった」ってなる可能性も大いにあるわけですな。そうなったらそうなったでちょっと寂しいですね・・・
邯鄲とかキタイとかの小ボケ大好きです魔理沙はクールに去るぜ
ここまで大変革の戦いなのにわかっていないことが多いというのも歴史のロマンだと思う。
動画ありがとうございます!私は夏王朝も実在してるかなーって思うけどどうなんだろう。日本で易姓革命〜といったらやはり封神演義ですよね!藤崎先生の漫画は面白かったです、許仲琳氏の原著も悪くないのですが宝貝がだいたい全自動頭かちわり機というのは笑うw漫画では目立っていた王飛虎が高継能という謎の虫使いにやられたのもショックでした笑
ヨーロッパでも、昔から今に至るまで聖書年代学で過去の歴史年代を探る試みが続いてきたけど、中国史も同じようなスケールがあるね。
漫画だと封神演義というファンタジーが殆どで横山光輝ですら封神演義がベースでより史記をもとにリアルな話しが見たかったから宮城谷昌光先生の王家の風日は読み応えありました。
殷と周は社会体制が大違いと言われていたが、意外と共通点も多かったんですね。古代の歴史は空白や矛盾が多いので、宮崎市定先生は西周の存在すらも疑わしいと述べていましたが、今後の発掘調査に期待です。
ほんと中国史は深いわ
殷周革命発生の理由は、祭祀の犠牲となった人たちの復讐の一面もあるんじゃないかと思ってるんですけど、史書には生贄の話は記載されていないんですよね。故に、それが転じて暴君エピソードに繋がったのかな。
清末まで甲骨文字の骨片(竜骨)は当初現地人には全く意味が解らなく骨片で有った事から漢方薬の薬として一部流通していましたが動画でも紹介された王国維先生(日本語訳が殆ど無いのです)ともう一人の先生(失念)が文字だと気付き収集し始めたのが切っ掛けと聞きました。義和団事件で混乱し研究が困難な時期もありましたが史記に出てくる王の名前などと一致する事から史記の信憑性が増したと言うのもあります。そして日本の関東軍が満州で活動しだす頃に日本の考古学者や言語学者も興味を持ち日中で戦前から盛んに研究され始めました(うろ覚え)毛沢東の文化大革命で知識層が弾圧された時は日本での研究が盛んになりその頃に様々な説が出ました。甲骨文字と言うと白川静先生の存在を抜きに話せませんね。「口(サイ)の人」ですが確かに当時の他の学者から色々と批判や罵倒されましたがそれだけに一歩も引かず論戦していました。甲骨文字の成り立ちの「真実」は文字を作った数千年前の当事者に聞かないと解らないため、飽く迄も「白川設」の域は出ませんが、竜骨の記載が祭事の事が多く、例えば一つの儀式(政治課題)に必要な生贄の数を何回も占い殺す奴隷の数が一緒に出土した首を斬られた状態の人骨の数との数が一致し文字の意味が解明されたりと殷は宗教国家だったりする事が切っ掛けで白川先生は漢字の起源は大変オドロオドロしいものだと発表しました。殷は生贄を周辺の野人を討伐し調達した事も解りました。白川先生は大変優しい方だったそうですが色々とエピソードの有る方で学生運動の激しかった当時、白川先生が自室の研究室に居る時に血気だった学生達がなだれ込もうとした時に「私の研究を邪魔するな!」と一括したりと気骨もあったそうです。中国史のロマンと同じように漢字の成り立ちにも大変なロマンを与えてくれた白川設も大好きです。殷は甲骨文字(以後「漢字」)を政治で占う為に開発したと言われますが周は文字伝達の為に漢字を引き継いだと言われています。漢字の偉大な所は漢字の一字一字の文字自体に意味を持たせた事です。(読み(音)は重要視しなかった)沢山の部族の集まった殷周は連合国家で話し言葉は統一されていなかったと言われていますが、朝廷が各部族に命令を下す時に文字で伝えれば文字の意味さえ伝われば命令が伝わる事が出来たからです。現代の日本と中国での会話が出来なくでも漢字の筆談で有る程度相互理解出来るのと同じです。白川設による漢字の成り立ちは殷の時代の風習や風俗を想像させ今でも興味が尽きません。書物は高価ですが。。。。新しい甲骨文字が発見されれば面白いのですが。
実は漢字の”白”も頭蓋骨から来ている事が甲骨文で明らかになっています。生贄の首だったんでしょうね…。
”白”を逆さまにすると頭蓋骨になりますよね。漢字の成り立ちは面白いです。。昔、甲骨文字に就いて様々な説も読みましたが事実かどうかは置いといて白川設だと漢字一字一字にちゃんとストーリーが出来て来るので説得力が出てしまう(笑民、残、道、色、命、真、親。。。。また部首や造りで連続して文字に物語が出来るので漢字辞典を読むと時間を忘れさせてしまいます。他の先生の説も説得力が無くは無いのですが漢字にいまいち関連性が持てなくて。例えば遠藤先生も甲骨文字の権威で白川先生と激しく論戦しましたが自分個人では残酷的でホラーな白川設がしっくり来ます。コロナ前の2年前の話ですが未だに甲骨文字で不明な文字がかなり数多くあり、解明したら一文字に就き150万円の懸賞が掛かっているとか。AIも動員して完全解読される日が来るのでしょうか。(AIによりボイニッチ手稿が解明されたとかロンゴロンゴ文字がどうとか言われていますが、どうなんでしょうね。。。。。)
封神演義めっちゃ好きなのにジョー・トーリのせいで頭に入ってこない。嬉しい
この動画は本当に無料で公開されていていいものなのか?
夏王朝の滅亡はまだ、伝説扱いか・・・
ちなみに殷は青銅器文明で周は鉄器文明だったわけで、そういう意味では新旧文明の激突でもあった。ちなみに製鉄技術を独占していたヒッタイトはこの200年前に滅亡しており、ちょうど中華に製鉄技術が伝わった時期でもある。
19:33この曲のタイトルは?地味にいい曲なんですけど。
これだけ金文や甲骨文字が出土してるのに、中国と台湾は文献資料の権威が強くて未だに史記を殷周時代の資料として最重要視する学者さんが多いんだってね。
もし夏王朝の実在が考古学的に実証されれば、中国大陸最古の王朝・最古の決戦も更新されていくかもしれないのが歴史の面白いところだよなぁ歴史の解釈は新たな発見により塗り替えられているというのが良いよね
武王の撤兵に関しては、プリゴジンの乱が理解の助けになりそう。あれも意味不明な事件だったけど、それと同じことが起きたと考えれば良さそう。
自ら倒れる王朝はないと中国史は言っているのだろう。広葉樹の森の変遷を見る思いだねえ。森の最初は光を求めて我先に枝葉を広げ、幹を一番に伸ばした樹木が光の独占を図る。勝利したはずの樹木も枯れて行く。でも倒れず立っている。これを倒すのは雷雨、暴風である。その後の光が復活した森にまた競争が始まる。
youtubeにある項羽と劉邦の日本語吹き替えドラマ面白いですよね
NHK-FMラジオドラマ・青春アドベンチャー「封神演義」。還暦まえの身には、感涙のキャスティングでした。録っておかなかったのはただただ不覚!
静先生は浪漫派ハードボイルド文体で素晴らしい本を書くので学者というより孔子や孟子や孫子のような思想家に近い存在。文章が素晴らし過ぎて読んでいる時は完全に信じてしまう。独自の説も多いので批判される事もありますが愛書家にとってはアイドルの1人。しずかちゃんとよんでます。
金文を残す事になる青銅器はどのような役割を当時果たしてたんだろ?辞令?顕彰?我が記念碑?祭器?副葬品?ある種の動産?金属粘土板?王冠的な権威の印?鼎をはじめ器形も独特、しかも長文が記されている。不思議だ
16:01 唐突に登場する玄奘三蔵。
こんにちは。トーリ監督好きでした。ワールドシリーズ制覇4回の名将でしたね。私の記憶が確かなら当時の大陸は必ずしも長子が跡継ぎにはならない文化で紂王も長子ではないが兄弟の中で一番優秀だったから王になったと聞いたことが。要するに本人はどんだけ優秀でも国を奪われたら途端に評価が逆になるんだろうな、と思う次第。今後の研究、新発見を期待します。
紂王は呉王夫差のように都を離れて戦っている間に都を落とされて急いで戻ってきて決戦を行ったのが牧野の戦いと言われる戦いになったのではないか?周は後の王朝の隋唐の関係のように血統的に殷よりも上だった可能性があるな…
カテ違いだけど、所謂邪馬台国論争が中国側の考古学から解決される可能性も高い。出来れば日本での決定的な発見を期待したいけど
現在では、卑弥呼と邪馬台国は日本では無かったのでは?と言う主張も強く言われていますね。あまりに当時の日本人との風俗が違う事(顔の入墨等)、卑弥呼前後のほぼ神話の様な人物でさえ「神社」が大体存在するのに「卑弥呼神社」が存在しないとか、第二次世界大戦以前の教育ではあまり主張されなかったのに、GHQの大プッシュで「日本の一番始めの歴史は卑弥呼」みたいな風潮が型創られたとの説ですが。
「西山に登り 采薇(わらび)を采る暴を以て暴に易え その非を知らず神農・虞・夏、忽焉として没す 我いずくにか適帰せん于嗟(ああ)徂かん 命衰えたるかな」と、自分の国を棄てた伯夷・叔斉も申しておりますw
再生リスト「殷」に追加いただきたいですねェ
史記だけの記述でなく、色々な資料や発掘資料を参考にされていて凄いと思いました。兵数は約1200年後の赤壁の戦いでさえ、曹操、15万~20万前後、孫権3~5万前後ですもんね、自分は十分の一前後の、殷・5~6万前後、周・3~4万と思っていたのですが、1万でも多いと知りました。(よく考えたら日本も太平記は、兵数を誇張してますもんね☺️、関ヶ原や大坂の陣より多い(-_-;))
勿論まさに「歴史とロマン」で偽書って説も大いにあるし、全部内容がホントとかあり得ないけどこの辺の前の時代をある程度記した契丹古伝も面白いよね。内容によると「長江文明の倭種が沢山居て、その時代が争いが無く皆が平和だった」とか今やそんなの実際に確かめる術は無いけど、実際長江文明って倭人が沢山居たのは骨から確認されてるしホントこの超古代の中華史は面白い。
7:45初めて史記読んだ時妲己の妲の字すら出てこなくて不思議に思ってた。
武王の1回目の挙兵後の謎の撤兵は、殷側が財宝などの貢物を渡して「これで勘弁してくれ」と済ませただけなんじゃないか?それじゃあまりにも心象が悪いから周側の後世の人間は貢物の記述を残さなかっただけ
モンゴルのルーシ諸国侵攻の時、モンゴル軍がノヴゴロド市100km手前で引き返した理由にノヴゴロド公国側が抵抗して略奪される前に貢物を贈ってお引き取り願ったんじゃないかと東洋史家の宮脇淳子氏が言ってたので、周の場合もあるかもしれませんね。当時の周は半分西戎で遊牧民気質が濃かったんじゃないかと想像してます。
スープーちゃんの活躍まだー
山本勘助も存在が疑問視されていたけれど古文書で実在が確認されたように、将来太公望も考古学上の発見があるかもしれませんね。
伝説すぎてなんとも…太公望は実在して欲しい…本当の実力者は有能なNO.2の元祖で、トップは神輿っていう概念の元祖だから!
毎度動画を見るたびに思うのですが史記のみを参考にするのでなく歴史書以外の複数の資料を参考にしつつ考察をしてく感じは研究者みたいですごいですね。
史記をただ読んでるだけのゆっくり動画とはそこが違うんですよね
だからこそここまで伸びるんだなぁ
多分鳥人間さんは、結構有名な大学の中国史を研究している(又は、していた)院生か現役研究者なんだろうな、と思っています。
素人なら史料を見てもわからんから、そのへん研究とかするなら基礎知識がないと出来ないもんな
我々一般人が史料見比べても、なかなか合理的な推察は難しい
大学でまさしく中国史を習っていましたが、教授たち(京大卒)から言われたのは「春秋戦国時代以前は資料が少なすぎて研究が難しいから、研究のテーマにするのは辞めろ」でした
実際、当時の修士課程の方も、隋か宋あたりの研究しかしてなかったですし、そんな難しい時代をガッツリ解説してくれる辺り、博士課程以上の方じゃないと無理ではないかと推察します
本当に勉強になります😭
ありがとうございます!
ご支援ありがとうございまァす!!
光栄に……光栄にござります……!!
牧野の戦いを、金文や甲骨文字を下地にしてここまで詳しく取り上げたyoutube動画はこれまでなかったと思います。
再生回数が恐らく凄く伸びると思いますね。本当にありがとうございました。
甲骨文在牧野之前。。。。怎么可能有记载?
青铜器出土过一件周簋,记载过武王伐纣时的天象。。。
中国所有的历史都有文物作为对照。。而西方的历史有文物对照么?
另外,你日本的日本刀,茶道,棋道,漆器,建筑,相扑,文字,服饰。。。。。都是源自中国,可懂?
@@didida6207 我能懂你的汉语,可是不会理解你的论点。
对对、现代的日本人坚信很多现代日本的东西源自古代中华文明、对现代的中国东西一样。
这是很多为什么日本人热爱古代中华历史。
可是、你的论点是什么的?
@@doraeemon4015 我幫你解釋...他說日本傳統的東西都是中國的. 所以日本是中國的.
つい最近見たんだよなぁ…(初期の動画)
『夏王朝なんて無い』の魔理沙のヤベー顔とか『激突 呉楚の戦い』の雑コラサムネほんと好き。愛していると言っても過言じゃないわ。
興味深いのは春秋戦国時代の時に「殷の紂王ってマジ暴君?」って疑問が投げ掛けられていることだと思う。
そもそも周代の儀礼や思想に多大なる影響を与えた孔子の弟子である子貢が否定しちゃうのはわらた。
凄い平和そうに見えて、実は凄い重要な戦い
紂王「総勢1名参陣!」
ありがとうございます。中国史上最古の「天下分け目の戦い」,殷の存亡をかけた闘いがここまで多くの人により研究されることに,この闘いの残したものの大きさを感じました。政治,戦争,文芸,そして,それぞれの時代を生きた人物たちの魅力を今後もご紹介ください。
『歴史と伝説の違い』ここをキッチリと示してくれるのでロマンが溢れ、知的好奇心を満たしてくれる。
Thanks!
ご支援まことに感謝!!
ありがたく頂戴いたしまする……!!
今更だけど古代中華史はそんな前の記録が、ある程度しっかり確認できるのが凄い話だよね。
最高の記録媒体は石とか腐食のあまりしない金属とか亀の甲羅に文字を刻むのが一番なんだろうなやっぱり
現代は紙と電子媒体だけど、両方とも1000年以上持つかと言われたら微妙だな
エジプトやメソポタミアはこれよりさらに2000年前の記録があるからおそろしい
@@ゴンベエ-c1l ブレードランナーの新作で語られた状況の様になりかねないですからね…
@user-cj8kl6dd4q
紙は持つよ。普通の紙(パルプ紙)は数十年でダメになるけど、繊維を化学的にほぐしてない和紙などの古い紙は千年以上経っても朽ちていない。
@user-cj8kl6dd4q
あと最古の文字資料は石でも金属でも甲羅でもなく粘土板。大陸では、石や砂利などが乏しく無限の粘土、泥地が広がっている土地がいくつかある。メソポタミアやインドは泥が多い。だからレンガで建築し粘土板に番号や伝票を刻むという全てを泥から焼いて賄う文化が生まれた。もちろん家も日干しレンガや焼成レンガで作る。意外と珍しくないスタイル。
紂王は、NHKFMのラジオドラマでの藤岡弘さんの渋い声に聞き惚れたせいか、強くてカッコいい悪役💕という印象でした。懐かしいです。
ご安心くだされ、周王列伝シリーズはリアタイで見ておりましたよ
大体3000年前くらい?
そんな時代の資料が現存してるって凄いよなぁ
子供の頃、漫画の封神演義で歴史に興味を持ちました。
太公望が格好良かったです。
鳴条の戦いは牧野の戦いを参考に想像されたんだろうなぁ・・・
投稿主の解説は原典主義に則っており、非常に参考になる。
確かに大邑商を強襲して制圧し、牧野の戦い自体なかったかもしれないという話は、金文をストレートに解釈すれば成立してしまう。
以前は、歴史学研究の拠り所は歴史書などの文字史料がメインであった。しかし、文字史料だけでは解明できなかった部分も多く残っていた。
考古学の成果によって歴史書の内容の正確さや誤りを突合して検証できるようになり、研究は飛躍的に進んだ。
そして、今後の歴史研究は他の学問の研究者もまじえ、総合的に歴史を確定させていく必要があるのではないかと考える。
人物史だけでなく史書と甲骨文、金文などから牧野の戦いを考察するのは歴史学らしく非常に良いと思います。つい先日も前漢の文帝陵が特定されたとのビックニュースがありましたね。ここからまた史書にない資料が出てくることを期待してます。
今度周シリーズ一気見しよっと♫
26:11 あたりの詩経の画像が、私にはカステラに見えました!私にとっては、それこそが事実なのであります!おなか空いた、ゆえに我あり。
仕事中見れないけど、
これはめっちゃ楽しみ
ふっきれましたね。
素晴らしいです。これこそ鳥人間と言うべき動画です。
自分の好きなことを好きなだけ語るそれだけで良いのです。
西洋のルイ16世もまた悪い君主だったとされてたものが後から言うほど悪い王でもなかったとなり
今ではマリーアントワネットと共に悲劇の王族だったとされています。紂王もまたそうなのかも知れませんね。
21:03
この崇という国名から、封神演義の崇公虎というキャラができたんでしょうね。
藤崎版はカルタゴのハンニバルの戦術をベースにしているところがあると思う。カンネーの戦いをそのままやっているのもあるし。
楽しく見ました。過去動画全然恥ずかしくないですよ。また次回作待っています。
牧野の戦いの動画、ありがとうございます。
太古の戦いということでわからないことも多いのですが、それだけに文学的な肉付けもしやすいんですよね。
おお、久方ぶりの春秋戦国以前の古代中国!古代のロマン、大好き!
今回も動画を閲覧した者です。
中国古代史は、まだまだ謎が多く、新しい証拠等が出てきたら、今までの定説が引っくり返る【パラダイムシフト】なと感じました。
これは古代史に限ったことではなく、今の状態でも、【実は⁉️】と新しい証拠が出てきたら、同様のことが起きるなと、改めて思いました。
今回のテーマは、パラダイムシフトの話だったなということが、感想ですね。
【学習まんが 中国の歴史【旧】】、封神演義【ジャンプの漫画】、殷周伝説【横山光輝】。
読んだ漫画なので、懐かしい‼️と感じました。
歴史は、定説が変化する時があるから、これもまた、歴史の面白さ。今回の動画で改めて勉強になりました。
話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
いつも、楽しく拝見させていただいております。周以前の古代中国を取り扱った動画の中でも秀逸な内容に、勉強させていただいております。以前見た歴史ドキュメンタリーで、殷が青銅器に甲骨文字を刻んで周辺国に「文字を下賜する」と言うことをやっていたと言うのがありました。これを多く下賜されたのが周だったらしく、周はこれを研究し、話し言葉が通じない他部族と文字でコミュニケーションを取って連合した、という話です。
そして、殷の軍主力が地方討伐に出かけていたところを、奇襲で王都を落としたらしい。そのため、底力の残っていた殷の反撃を恐れた周は殷の遺民をあちこちに分散・強制移住させたようです。(杞とか宋とか)不毛な地に追いやられた殷(商)の人々は分散させられたのを逆手に取って、交易で生計を立てるようになった。なので交易をする人を商人と呼ぶようになった。とありました。後半で言及されているように牧野の戦いはなかったのかもしれません。
オリジナルがあるのは確かなのに後世の人が改変し続けた結果、もはや別物になってしまってるのが面白いですね。
うぽつです。
まるで神話と歴史の境目を見るようでワクワクしますね。
真実は当時を生きた人々にしか分かりませんが、
こうして様々な情報に触れながら当時に思いを馳せ、考えを巡らす事が歴史のロマンを追い求めるということなのかもしれないと思いました。
資料に言及しているところが良かったです。「三国時代」実際の最大動員兵力は、魏で20万、呉で8万、蜀で5万
と読んだことがありますが、70万はおおすぎますよね。時代が古くなればなるほどロマン度がまします。
投稿ありがとうございます。
史記以外の史料をあたるのは
ハードルが高いので本当に有難いです。
しかしこのような古代の戦いが、甲骨文字等でここまで分かるのはやはり中国はすごいなと。
鳥人間さんの真骨頂は金文からの史書の精査ですなあ
過去動画を見ないでくれとか初めて聞きましたw
有史として確認できる最初の決戦が牧野の戦いでまだまだわからないことも多く、特に勃発年が変わればいろいろとずれてくると…。
8割方ロマンが占めていますね!
殷の紂王が悪く記録されている様に、周も相当美化されとるのかもしれないね。
殷についてこれからの発見や発表が楽しみです。
十八史畧を延々と復文しながら讀んでいってるのですが、殷周交代も讀みましたねぇ!
本文では單に「紂、牧野に敗れ、寶玉を衣て自ら焚死す。殷亡ぶ。」としか記述されないので、解說有難いです。
歴史は勝者が作るってことですかね。
比干も紹介して欲しかったです…
王曰:「御妻偶發沉痾心痛之疾,惟玲瓏心可愈。皇叔有玲瓏心,乞借一片作湯,治疾若愈,此功莫大焉。」比干曰:「心是何物?」紂王曰:「乃皇叔腹內之心。」比干怒奏曰:「心者一身之主,隱于肺內,坐六葉兩耳之中,百惡無侵,一侵即死。心正,手足正;心不正,則手足不正。心為萬物之靈苗,四象變化之根本。吾心有傷,豈有生路!老臣雖死不惜,只是社稷坵墟,賢能盡絕。
伝説が終わり、歴史がはじまる。
銀河英雄伝説のラストですね😉👍✨
自分にとっては、歴史が単なる勉強だけではなく、趣味として楽しめるようになった切欠の作品です。懐かしい☺️
何気にそんなに昔からある「酒」が凄いですね
「酒(発酵飲料)」と「歌(音楽)」は人類が洞穴暮らしの時代からコミュニケーションも兼ねた手段として発祥したのではないか?と言う考察をしていた番組を見たことがあります。番組名はわかりませんが
@user-pi4ot1pz2y
果実の発酵アルコールは自然界に存在しますし、ブドウを皮ごと潰すとそのままワインになります。果皮に付いてる菌で発酵させるので、ナットウのように藁で包む必要すらありません。ただし、酵母菌よりも納豆菌の方がはるかに強いので、ほっとけば雑菌を殲滅する納豆菌とは違って葡萄酒造りは腐敗のリスクが有ります。
姫発が一旦、軍を収めた話しから、老子の「敢えてするに勇なれば則ち殺し、敢えてせざるに勇なれば則ち活く。勇于敢則殺、勇于不敢則活。」という言葉を連想しました。中国の方が、前へ進むだけの勇気をあまり評価しないなどと聞くと、歴史に根ざした考え方なのかなと納得しました。太公望を裏付ける発見があるといいですね!動画面白かったです。長文すみません。
休みです!ビール片手に古代中国史です!
古代になればなるほど浪漫が溢れますね!
動画ありがとうございます。
妲己、太公望の存在はある種の神話なのですね。古代史にはそうした要素があるとは思っていましたが。
何かの本で、紂王が諸侯から嫌われたのは、貝貨による貨幣経済を急激に進めて、経済に影響が出たからだ、という話が載っていた。インフレでも起こしたんだろうか。ちなみに、貝貨として扱われたのは、うちの地元、宮古島の宝貝らしい。
うちの島、何気に三千年の歴史があるようだ。
豊京(ほうけい)って良い名前ですな。
なんとなく皮に包まれているような感じがします。
まあ、弱っている殷を強くなった周が倒しただけ、そんな歴史によくあることだったんでしょうな。
他では取り上げられない、金文や甲骨文字という、殷周当時の史料をお出ししてお話ししてくれるのが、ほんと希少でありがたいです。
数ある歴史解説日本語動画の中で、古代中国史を金文から解説しているのものはここくらいのもので、迷わず登録した理由でもありました。
話は変わりますが、前漢の文帝の墓が先日判明したそうですねぇ。新発見があるといいですねぇ。
〜史書等の紂王〜
紂王「この国は俺のモンだ!民から税を絞り上げて、贅沢三昧するぞ!!」
妲己「紂王と一緒に贅沢三昧を楽しむわよ。逆らうヤツは許さないわ。」
武王「諸侯の皆さん、僕に力を貸してください。一緒に殷をボコしましょう。」
〜金文からの紂王〜
紂王「あちこちで反乱が起こりまくって、対処が追いつかねぇ。え?孟方でも起きたの?え?待って、これ、詰んでね?」
諸侯「殷は終わりだ。武王に着くか。」
武王「この国は俺のモンだ!」
早朝に戦いが始まったのなら、攻撃側は東から仕掛けた可能性が高いと思う。
なぜなら早朝は太陽の位置が東の空低くにあるはずで、西側にいると太陽がまぶしくて敵が見れないから。
しかし周は西から攻め上ったはずであり、東から攻撃するにはまず一度殷軍を迂回するしかない。
悪天候であれば、太陽は無視できるがその場合は荒天に乗じて攻撃した可能性もある。
(悪天候であれば詩経の牧野の戦いの明朝、暗雲は消え大気は澄み渡ったという記述に近いことになる)
発掘調査によれば、殷墟は中国の伝統的な都市のように四角い城壁で囲まれたものではなく、宮殿の回りに小規模な壕があるくらいで防御力はほぼゼロ。夏の陣の大阪城よりもさらに弱そうな水準。
つまり殷墟の防衛軍は大阪夏の陣同様に近づく敵軍を出撃して迎え撃つしかなく当然短期間で終わってしまう。
また、殷墟の周辺には殷に従属していたであろう小都市が20以上は散在しており、それらの防衛(下手すればその小都市も離反する可能性がある、と言うか周についた微や召は離反した勢力)も考えればやはり出撃するしかなく、必然的に野戦ですべてが決まってしまい、その後に殷墟になだれ込んでやはり一日で戦いが終わったというのはおそらく事実と思います。
進軍ルートが大規模河川にピッタリ沿っているので、古代でも大規模な兵力が動員できたリアリティがありますね
10:53 ダチョウ倶楽部的お約束ですね分かります。
てな訳で再度紂王の辺りから見直して来ますね(勿論ちゃんと当動画を見終わってからにします)。
鳥🦆🦉🦅氏はああ言ってますが、初期動画も実に快作多くて
こっそり何度も見に行ってます。太公望回、春秋五覇回は名作。リメイクも大歓迎。考古学的な解説にも期待したい
最初期の殷周時代の動画や盤龍城、三星堆遺跡、野人、怪異などの動画は今でもよく見るお気に入りです。紂王動画の再録、おさらいと新情報によりロマンが深まりました!
周が一旦撤兵したのは、その時殷と周の間で和睦が成立したから…?もちろん、双方にそれなりの事情がなければ成り立たないが、殷側は東方の精力を討伐するのに力を注ぎたかったからという推察がけっこう簡単にできるが、周側の事情はどうなんでしょうね…。予想以上に味方の軍隊が増えすぎて、統率が取りづらくなったからとか、予想に反して殷軍にまだ主力の精鋭部隊や殷側に付いた邑がけっこういたからとか色んな事が推察できますね…。実際どうだったのか…。(てか、本来の理由が記録に残っているのか…?)
2回目の時はたぶん、帝辛が殷の主力を連れて東方勢力討伐に出かけていて、周が攻めてきたという情報を聞いて慌てて戻ってきたが、まだ主力が全部戻ってきていない状態で戦わざるを得なくなったから、急いで新たに部隊を編成したが、寄せ集め(たぶん奴隷として都にいた者を大勢兵にした。少なくとも士気はイマイチな部隊だっただと思う。)だったため、あっさり突破されたんじゃないかと思います。(なお、おそらく周側は長年殷に奴隷狩りや生贄狩りをされて来た邑が多くいたため、士気は高そう。)
周王朝の諸王の動画も好きです!
宮城谷昌光「太公望」では太公望は老獪な軍師ではなく、知勇兼ね揃えた武人として戦いに参陣していたな。
ところで斉という国は王畿に食邑を持ちながら、本家が斉の領主を兼ねていたという当時としては特殊な国(当時は地方の諸侯は王畿の本家(邦君=中央貴族)の庶流の分家が統治するのが慣例だった)だったわけだがそういった事情から太公望が実在するかしないかに関わらず、少なくとも初代斉公も同族をそれほど持たない低い身分だったのではないかと推測される(同じく低い身分から天下を取った秀吉も同族がいないことが悩みの種だった)。
酒については、酒に酔って「神と一体になる」という考え方があったとも言われていますが、それは祭祀を重視した商(殷)の価値観に合っていると思います。
謎の反転は殷側の出方を窺う為かもしれない。それにしても鳥人間さんは「甲骨文や金文はこうなってます。閉廷ガラガラ」で終わってないのが面白い。
新しい国家形態の成立であり、古代史研究の定点にもなっているのですね。夏王朝に慎重な鳥人間さんのスタンスが分かる気がします。というか、説得されてしまいました。
動画投稿ありがとうございます。戦いが無かったかもだなんて非常に為になりました。
中々史実の証拠が見つからないのは、やはり王朝交代で前王朝を否定する習わし?で史料を処分したり、ですかね
横光さんの晩年の作品で「殷周伝説」がありますが、主人公の太公望が良いですね。「殷周伝説」の前に執筆した、「若き獅子たち(項羽と劉邦)」の中では范増が一番好きなキャラクターでしたが、その横光版范増をそのまま主人公にした感じですね。
よかった覆水盆に帰らなくなったイケズ奥さんは実在しなかった…のかな?
もしかしたら「太公望なんていう人物は存在しなかった」ってなる可能性も大いにあるわけですな。そうなったらそうなったでちょっと寂しいですね・・・
邯鄲とかキタイとかの小ボケ大好きです
魔理沙はクールに去るぜ
ここまで大変革の戦いなのにわかっていないことが多いというのも歴史のロマンだと思う。
動画ありがとうございます!
私は夏王朝も実在してるかなーって思うけどどうなんだろう。
日本で易姓革命〜といったらやはり封神演義ですよね!藤崎先生の漫画は面白かったです、許仲琳氏の原著も悪くないのですが宝貝がだいたい全自動頭かちわり機というのは笑うw
漫画では目立っていた王飛虎が高継能という謎の虫使いにやられたのもショックでした笑
ヨーロッパでも、昔から今に至るまで聖書年代学で過去の歴史年代を探る試みが続いてきたけど、中国史も同じようなスケールがあるね。
漫画だと封神演義というファンタジーが殆どで横山光輝ですら封神演義がベースでより史記をもとにリアルな話しが見たかったから宮城谷昌光先生の王家の風日は読み応えありました。
殷と周は社会体制が大違いと言われていたが、意外と共通点も多かったんですね。古代の歴史は空白や矛盾が多いので、宮崎市定先生は西周の存在すらも疑わしいと述べていましたが、今後の発掘調査に期待です。
ほんと中国史は深いわ
殷周革命発生の理由は、祭祀の犠牲となった人たちの復讐の一面もあるんじゃないかと思ってるんですけど、史書には生贄の話は記載されていないんですよね。
故に、それが転じて暴君エピソードに繋がったのかな。
清末まで甲骨文字の骨片(竜骨)は当初現地人には全く意味が解らなく骨片で有った事から漢方薬の薬として一部流通していましたが動画でも紹介された王国維先生(日本語訳が殆ど無いのです)ともう一人の先生(失念)が文字だと気付き収集し始めたのが切っ掛けと聞きました。
義和団事件で混乱し研究が困難な時期もありましたが史記に出てくる王の名前などと一致する事から史記の信憑性が増したと言うのもあります。
そして日本の関東軍が満州で活動しだす頃に日本の考古学者や言語学者も興味を持ち日中で戦前から盛んに研究され始めました(うろ覚え)
毛沢東の文化大革命で知識層が弾圧された時は日本での研究が盛んになりその頃に様々な説が出ました。
甲骨文字と言うと白川静先生の存在を抜きに話せませんね。
「口(サイ)の人」ですが確かに当時の他の学者から色々と批判や罵倒されましたがそれだけに一歩も引かず論戦していました。
甲骨文字の成り立ちの「真実」は文字を作った数千年前の当事者に聞かないと解らないため、飽く迄も「白川設」の域は出ませんが、竜骨の記載が祭事の事が多く、例えば一つの儀式(政治課題)に必要な生贄の数を何回も占い殺す奴隷の数が一緒に出土した首を斬られた状態の人骨の数との数が一致し文字の意味が解明されたりと殷は宗教国家だったりする事が切っ掛けで白川先生は漢字の起源は大変オドロオドロしいものだと発表しました。
殷は生贄を周辺の野人を討伐し調達した事も解りました。
白川先生は大変優しい方だったそうですが色々とエピソードの有る方で学生運動の激しかった当時、白川先生が自室の研究室に居る時に血気だった学生達がなだれ込もうとした時に「私の研究を邪魔するな!」と一括したりと気骨もあったそうです。
中国史のロマンと同じように漢字の成り立ちにも大変なロマンを与えてくれた白川設も大好きです。
殷は甲骨文字(以後「漢字」)を政治で占う為に開発したと言われますが周は文字伝達の為に漢字を引き継いだと言われています。
漢字の偉大な所は漢字の一字一字の文字自体に意味を持たせた事です。(読み(音)は重要視しなかった)
沢山の部族の集まった殷周は連合国家で話し言葉は統一されていなかったと言われていますが、朝廷が各部族に命令を下す時に文字で伝えれば文字の意味さえ伝われば命令が伝わる事が出来たからです。
現代の日本と中国での会話が出来なくでも漢字の筆談で有る程度相互理解出来るのと同じです。
白川設による漢字の成り立ちは殷の時代の風習や風俗を想像させ今でも興味が尽きません。
書物は高価ですが。。。。
新しい甲骨文字が発見されれば面白いのですが。
実は漢字の”白”も頭蓋骨から来ている事が甲骨文で明らかになっています。生贄の首だったんでしょうね…。
”白”を逆さまにすると頭蓋骨になりますよね。
漢字の成り立ちは面白いです。。
昔、甲骨文字に就いて様々な説も読みましたが事実かどうかは置いといて白川設だと漢字一字一字にちゃんとストーリーが出来て来るので説得力が出てしまう(笑
民、残、道、色、命、真、親。。。。
また部首や造りで連続して文字に物語が出来るので漢字辞典を読むと時間を忘れさせてしまいます。
他の先生の説も説得力が無くは無いのですが漢字にいまいち関連性が持てなくて。
例えば遠藤先生も甲骨文字の権威で白川先生と激しく論戦しましたが自分個人では残酷的でホラーな白川設がしっくり来ます。
コロナ前の2年前の話ですが未だに甲骨文字で不明な文字がかなり数多くあり、解明したら一文字に就き150万円の懸賞が掛かっているとか。
AIも動員して完全解読される日が来るのでしょうか。
(AIによりボイニッチ手稿が解明されたとかロンゴロンゴ文字がどうとか言われていますが、どうなんでしょうね。。。。。)
封神演義めっちゃ好きなのに
ジョー・トーリのせいで頭に入ってこない。
嬉しい
この動画は本当に無料で公開されていていいものなのか?
夏王朝の滅亡はまだ、伝説扱いか・・・
ちなみに殷は青銅器文明で周は鉄器文明だったわけで、そういう意味では新旧文明の激突でもあった。ちなみに製鉄技術を独占していたヒッタイトはこの200年前に滅亡しており、ちょうど中華に製鉄技術が伝わった時期でもある。
19:33
この曲のタイトルは?
地味にいい曲なんですけど。
これだけ金文や甲骨文字が出土してるのに、中国と台湾は文献資料の権威が強くて未だに史記を殷周時代の資料として最重要視する学者さんが多いんだってね。
もし夏王朝の実在が考古学的に実証されれば、中国大陸最古の王朝・最古の決戦も更新されていくかもしれないのが歴史の面白いところだよなぁ
歴史の解釈は新たな発見により塗り替えられているというのが良いよね
武王の撤兵に関しては、プリゴジンの乱が理解の助けになりそう。
あれも意味不明な事件だったけど、それと同じことが起きたと考えれば良さそう。
自ら倒れる王朝はないと中国史は言っているのだろう。
広葉樹の森の変遷を見る思いだねえ。森の最初は光を求めて我先に枝葉を広げ、幹を一番に伸ばした樹木が光の独占を図る。勝利したはずの樹木も枯れて行く。でも倒れず立っている。これを倒すのは雷雨、暴風である。その後の光が復活した森にまた競争が始まる。
youtubeにある項羽と劉邦の日本語吹き替えドラマ面白いですよね
NHK-FMラジオドラマ・青春アドベンチャー「封神演義」。還暦まえの身には、感涙のキャスティングでした。録っておかなかったのはただただ不覚!
静先生は浪漫派ハードボイルド
文体で素晴らしい本を書くので学者というより
孔子や孟子や孫子のような思想家に近い存在。文章が素晴らし過ぎて読んでいる時は完全に
信じてしまう。独自の説も多いので批判される事もありますが
愛書家にとってはアイドルの1人。しずかちゃんとよんでます。
金文を残す事になる
青銅器はどのような役割を
当時果たしてたんだろ?
辞令?顕彰?我が記念碑?
祭器?副葬品?
ある種の動産?金属粘土板?
王冠的な権威の印?
鼎をはじめ器形も独特、しかも
長文が記されている。不思議だ
16:01 唐突に登場する玄奘三蔵。
こんにちは。トーリ監督好きでした。ワールドシリーズ制覇4回の名将でしたね。
私の記憶が確かなら当時の大陸は必ずしも長子が跡継ぎにはならない文化で紂王も長子ではないが兄弟の中で一番優秀だったから王になったと聞いたことが。
要するに本人はどんだけ優秀でも国を奪われたら途端に評価が逆になるんだろうな、と思う次第。
今後の研究、新発見を期待します。
紂王は呉王夫差のように都を離れて戦っている間に都を落とされて急いで戻ってきて決戦を行ったのが牧野の戦いと言われる戦いになったのではないか?
周は後の王朝の隋唐の関係のように血統的に殷よりも上だった可能性があるな…
カテ違いだけど、所謂
邪馬台国論争が中国側の
考古学から解決される可能性も
高い。出来れば日本での決定的な発見を期待したいけど
現在では、卑弥呼と邪馬台国は日本では無かったのでは?と言う主張も強く言われていますね。あまりに当時の日本人との風俗が違う事(顔の入墨等)、卑弥呼前後のほぼ神話の様な人物でさえ「神社」が大体存在するのに「卑弥呼神社」が存在しないとか、第二次世界大戦以前の教育ではあまり主張されなかったのに、GHQの大プッシュで「日本の一番始めの歴史は卑弥呼」みたいな風潮が型創られたとの説ですが。
「西山に登り 采薇(わらび)を采る
暴を以て暴に易え その非を知らず
神農・虞・夏、忽焉として没す 我いずくにか適帰せん
于嗟(ああ)徂かん 命衰えたるかな」
と、自分の国を棄てた伯夷・叔斉も申しておりますw
再生リスト「殷」に追加いただきたいですねェ
史記だけの記述でなく、色々な資料や発掘資料を参考にされていて凄いと思いました。兵数は約1200年後の赤壁の戦いでさえ、曹操、15万~20万前後、孫権3~5万前後ですもんね、自分は十分の一前後の、殷・5~6万前後、周・3~4万と思っていたのですが、1万でも多いと知りました。(よく考えたら日本も太平記は、兵数を誇張してますもんね☺️、関ヶ原や大坂の陣より多い(-_-;))
勿論まさに「歴史とロマン」で偽書って説も大いにあるし、全部内容がホントとかあり得ないけど
この辺の前の時代をある程度記した契丹古伝も面白いよね。
内容によると「長江文明の倭種が沢山居て、その時代が争いが無く皆が平和だった」とか
今やそんなの実際に確かめる術は無いけど、実際長江文明って倭人が沢山居たのは
骨から確認されてるしホントこの超古代の中華史は面白い。
7:45初めて史記読んだ時妲己の妲の字すら出てこなくて不思議に思ってた。
武王の1回目の挙兵後の謎の撤兵は、殷側が財宝などの貢物を渡して「これで勘弁してくれ」と済ませただけなんじゃないか?
それじゃあまりにも心象が悪いから周側の後世の人間は貢物の記述を残さなかっただけ
モンゴルのルーシ諸国侵攻の時、モンゴル軍がノヴゴロド市100km手前で引き返した理由にノヴゴロド公国側が抵抗して略奪される前に貢物を贈ってお引き取り願ったんじゃないかと東洋史家の宮脇淳子氏が言ってたので、周の場合もあるかもしれませんね。当時の周は半分西戎で遊牧民気質が濃かったんじゃないかと想像してます。
スープーちゃんの活躍まだー
山本勘助も存在が疑問視されていたけれど古文書で実在が確認されたように、将来太公望も考古学上の発見があるかもしれませんね。
伝説すぎてなんとも…太公望は実在して欲しい…本当の実力者は有能なNO.2の元祖で、トップは神輿っていう概念の元祖だから!