日本100名城巡り89 №13白河小峰城 2015/04/19
Вставка
- Опубліковано 13 вер 2024
- 2015年4月18日(土)~19日(日)、JR東日本の企画乗車券「週末パス」を利用して福島県の旅をした2日間の記録です。
2015年4月19日(日)、白河小峰城(福島県白河市)を訪れました。
3回目の訪城です。
映像順:JR東北本線→JR白河駅→二の丸跡→白河集古苑→白河小峰城さくらまつり→小峰城復興式→清水門跡→前御門→三重櫓→本丸御殿跡
東日本大震災による被害が甚大だったことから入城することができなかった小峰城でしたが、2015年4月19日(日)12時から「小峰城復興式」が開催され、復興式終了後から入城できるようになりました。
しかし、まだ石垣が崩落した箇所が残っていて、2017(平成29)年度末には修復完了できるように取り組んでいるそうです。
復興式後に登城してみましたが、三重櫓に入れるのは50人までと人数制限があり今回はあきらめました。
100名城スタンプは、最初に訪城した2009年の同日4月19日に押印済み。現在は、小峰城三重櫓だけでなく、白河集古苑、二ノ丸茶屋、JR白河駅観光案内所で押印できるようです。
映像内のコメントは、以下の資料を参考にしました。
「日本100名城公式ガイドブック」(株式会社学習研究社発行)
「みちのくの玄関 白河市」(白河市産業部観光課発行パンフレット)
「白河ポケットガイド」(白河観光物産協会発行パンフレット)
「白河小峰城」(白河市商工観光課発行パンフレット)
「白河桜マップ」(白河観光物産協会発行パンフレット)
「白河小峰城さくらまつり」(白河観光物産協会発行パンフレット)
「小峰城跡修復事業経過説明」(小峰城復興式の当日配布されたレジメ)
next 「週末パス」の旅・福島編#08 特急ひたち5号 上野→水戸 2015/06/27
• 「週末パス」の旅・福島編#08 特急ひたち5...
prev JR東日本「駅からハイキング」 鏡石駅(2/2) 2015/04/19
• JR東日本「駅からハイキング」 鏡石駅(2/...
緑色の侍、実は俺の友達です(笑)。
アイドリング田中 さん、コメント有り難うございます。
白河小峰城跡は大変立派な城跡ですね。ちゃんと櫓や前御門が再建されていて羨ましいです。関西の安土城跡や竹田城跡も少しは再建してほしいものです。ただこういう事にはぼう大なお金がかかるそうですね。それからお城にはやはり桜がいちばん似合いますね、自分も春になったら彦根城や長浜城の桜を見に行きたいですね。また石垣の構造などの詳しいご説明ありがとうございました。とても勉強になりました。
fuppomadoka1962 さん、有り難うございます。
小峰城は、石垣が立派な城跡だなあと思います。特に、半同心円形に積まれた石垣は見事でした。
そんな石垣も東日本大震災の揺れには勝てず、かなりの崩落があり、たいへんな復旧工事を経て、ようやく公開にこぎ着けたということのようです。
櫓や前御門は、平成になって間もないころの再建でした。城の再建ブームの魁となったような感じですね。
再建については、賛否両論ありますね。
本当に、桜とお城は絵になりますね。今回の旅で福島にある2城に行きましたが、どちらも桜と城跡の美しさに感動でした。ご覧くださり有り難うございました。
白河市も東日本大震災の被害が大きかったとは知りませんでした。白河市は津波ではないでしょうが、大きな揺れが有ったのでしょうね。東日本大震災では、津波と福島原発事故が大きくクローズアップされて、大きな被害が出た他の地域は、全国報道されないので分からないものです。阪神・淡路大震災でも神戸の被害が甚大過ぎて、京都でも死者が出て数百人の方がケガをされたのは全国放送されていないと思います。大震災が発生すれば、報道が偏るのは仕方ないかも知れません。
n orito さん、有り難うございます。
どうしても、津波や原発で被災した沿岸部がクローズアップされてしまいますね。白河市の被害についてはそれほど報道されていないと思いました。
阪神のときの京都の被害の報道というと、人的被害の報道はほとんどなく文化財についてがほとんどだったかなと記憶しています。報道の偏りを前提に情報に接していかないとならないですね。
遅ればせながら、こちらも大変興味深く拝見いたしました。
小峰城と周辺はかなり前ですが、俳諧した経験があるので、懐かしい限りです。
奥州街道(道中)終着点で、源平の頃より重要な地で有りながら、江戸期の城主は
かなりの頻度で入れ替わっています。 幕末戊辰戦争時には、幕府直轄地でしたので
城主は居なかったわけで、二本松丹羽家預かりですから、幕府番方の駐屯も無かった
でしょう。 ある程度の規模の城ですから、三の丸、外堀傍には重臣の屋敷も多く配置されて
いたはずですが、ほぼ空っぽ状態だったと推測されます。
重要な城地の割には、打ち捨てられた感が強い印象を感じたました。
官により奥州に置かれた城はほぼ、南を大手とし開け、北を搦め手として防御を重視していますが
攻めてはいずれも、南からというのが歴史の皮肉なところですね。
+daikom oroshi さん、コメント有り難うございます。
歴史にそんなに詳しいわけではないので、コメントを寄せてくださり勉強になります。
白河は、奥州街道の終着点。戊辰戦争の舞台にもなりましたね。
終着点と覚えていたのですが、以前福島市に訪れたときに福島市にも奥州街道が通っていて、地元ガイドさんに「奥州街道は白河までじゃないんですか。」と訪ねたら、「違う。」と一蹴されました。いくつかの定義があるのかなと思いました。
白河を歩いたときに、こちらも地元ガイドさんに「あそこが戦いがあったところ」と教えてもらいました。城下町も素敵な所ですね。またじっくりと歩きに行きたいところです。
+shimodataf 奥州街道の定義は、広義では津軽三厩までですが、幕府の道中支配は白河までで、奥州道中として助郷役もここまででしたので、狭義という位置づけでよいと思います。 お城裏をすこし行くと、T字路になっており、右が仙台道、左が会津道と古石標識が現存しています。
街道という表記は明治以降ですね。
北越後の村上、新発田の諸家も、会津経由で白河から江戸に参勤したので、
北日本と関東の接点である、白河はまさに交通の要衛ですね。
白河城と城下町は、二本松丹羽家が幕命で、ほとんど新しく建設させられたのですが、完成してまもなく、二本松に領地替えとなり、二本松てせも新しい城つくりを
させられました。 10万石ちょいですから、青息徒息だっことでしょう。
白河楽扇と言われた、松平定信が著名藩主ですが、戊辰戦争の桑名松平家は
この白河松平家が、桑名に転封した家です。 興味は尽きない地です。
+daikom oroshi さん、詳細な解説、有り難うございました。
幕府の道中支配が白河までだったんですね。
青森市の善知鳥神社で、奥州街道終点の碑が建っているのを見て、初めはここが終点なのだと思っていました。
白河では、ここが終点だと教えられ、福島市ではここにも通っていると言われ、???だったのですが、すっきりしました。
日本橋から、日光道中は歩いて踏破していますので、いずれ宇都宮から奥州街道踏破に挑戦してみるつもりです。
鏡石の駅ハイをなんで急いでいたのかなと納得が出来ました。
以前に被害のあった小峰城を拝見させてもらいましたが、仮復旧したのですね。
普段は滅多に訪れないであろう市民も大勢詰め掛け、復興を祝っていますね。
櫓入場は人数制限で断念されましたか、悔しいですね。
まあ、まだ何回も通ることがあるでしょうから、空いている時の方が良いでしょう。
昨日、大野市博物館と言うところから越前大野城ビデオにコメントが入り、城内の撮影禁止箇所が撮影されているので市の条文を入れて禁止箇所は削除しろとクレームが入りました。
ほんとの1~2秒でしたが、確かに映っていたので編集して削除しました。
禁止に気が付かなかったので、今後は細心の注意がいるなぁと思いました。
JH1KSS さん、有り難うございます。
昨年秋に訪れた際、春には公開の予定という情報をガイドさんがお話ししていましたので、今回駅ハイに合わせて訪れてみることにしました。
市民のみなさんも、たくさん祝福していました。震災前の状態に戻るということが大事なんでしょうね。
櫓は、今回は断念。初登城のときに入ってはいるものの、もう一度ちゃんと見てみたいと思っていますので、静かなときにまた再訪したいと思います。
クレームが入りましたか。よくチェックするものだなあと思ってしまいます。
私も注意していきたいと思います。