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昔は高松築港から瓦町でスイッチバックして志度線に直通運転してましたよね。今は線路が分断されて長い乗り換えが必要になり不便になりました。その代わりに今は長尾線に直通してますが。
この路線で使われている車両は、以前は名古屋の地下鉄で使われていましたね。
元名古屋市営名城、名港線を走っていた車両ですね。名古屋時代は栄から金山までよく利用していました。
琴電は私の地元を走っていた京急の車輌も沢山走ってますよね。こんぴらさんに行った時に乗りました。
名古屋市営地下鉄の車両まだ元気に走ってる。
四国香川県へようこそ。楽しんでいってください。
元名古屋市営地下鉄名城線名港線の300型です。名古屋市営地下鉄時代は冷房がなく、夏は少々暑かったですがことでんでは冷房車になったのですね。集電は、第三軌条方式からパンタからの。。架線集電に改造されています。ちなみに以前志度線を訪れたときは、元東山線の250型にのりました。2回目に訪れたときは元京急の30型に乗りました。今度訪れたときは元名城線の300型に乗りたいです。
元名古屋市交通局 東山線・名城線の車両ですね。学生時代に通学で大変お世話になってました。
9:47左…元名城線1000形、右…元東山線300形
琴電の志度線は、元京急の230形(もちろん17㍍車)が、主力だった頃に、乗りに行ったことがあります(^^)貫通扉が設置されて、京急時代と、見た目がちがう車両も、いました😊
志度線だけなんですよね、長さ16m以下の小型車しか入線できないのは。他の琴平線・長尾線は問題なく18mクラスの車両を入れられるのに…。
僕は元地元民だからわかりますが、沖松島・新川橋梁・房前の大径カーブが、大型車輌の導入を阻んだとも言えますね。
元々、軌道線(路面電車)規格で開業。現在もそれが色濃く残っているため、大型車両の入線は困難です。ちなみに、志度線の本来の起点は今は無き公園前(現在の栗林公園北門前付近)であり、そこから現在の県庁前通りにほぼ沿う形で市内線(終点は高松築港)が戦前にはありました。
@@川原政仁 さんその市内線(志度線と同じ旧四国水力電気[現:四国電力]→讃岐電鐵→高松琴平電気鉄道と経営が変遷)が1945年7月の高松空襲で車輌や施設が大規模な被害を受けて戦後その代替として、瓦町ー高松築港が延伸された経緯がありましたからね、後その市内線のターミナルである広場(現在の兵庫町エリア)には、郊外バスのターミナルが点在していたようですね。
踏切が降りない鉄道会社さんですね!車屋さんが運営、
それならばこれからも段々と運賃が永遠に値上がりしてくることを決して忘れては嫌ですよね。待ったなしですよね。
昔は高松築港から瓦町でスイッチバックして志度線に直通運転してましたよね。今は線路が分断されて長い乗り換えが必要になり不便になりました。その代わりに今は長尾線に直通してますが。
この路線で使われている車両は、以前は名古屋の地下鉄で使われていましたね。
元名古屋市営名城、名港線を走っていた車両ですね。
名古屋時代は栄から金山までよく利用していました。
琴電は私の地元を走っていた京急の車輌も沢山走ってますよね。こんぴらさんに行った時に乗りました。
名古屋市営地下鉄の車両まだ元気に走ってる。
四国香川県へようこそ。楽しんでいってください。
元名古屋市営地下鉄名城線名港線の300型です。名古屋市営地下鉄時代は冷房がなく、夏は少々暑かったですがことでんでは冷房車になったのですね。集電は、第三軌条方式からパンタからの。。架線集電に改造されています。ちなみに以前志度線を訪れたときは、元東山線の250型にのりました。2回目に訪れたときは元京急の30型に乗りました。今度訪れたときは元名城線の300型に乗りたいです。
元名古屋市交通局 東山線・名城線の車両ですね。
学生時代に通学で大変お世話になってました。
9:47
左…元名城線1000形、右…元東山線300形
琴電の志度線は、元京急の230形(もちろん17㍍車)が、主力だった頃に、乗りに行ったことがあります(^^)
貫通扉が設置されて、京急時代と、見た目がちがう車両も、いました😊
志度線だけなんですよね、長さ16m以下の小型車しか入線できないのは。
他の琴平線・長尾線は問題なく18mクラスの車両を入れられるのに…。
僕は元地元民だからわかりますが、沖松島・新川橋梁・房前の大径カーブが、大型車輌の導入を阻んだとも言えますね。
元々、軌道線(路面電車)規格で開業。現在もそれが色濃く残っているため、大型車両の入線は困難です。
ちなみに、志度線の本来の起点は今は無き公園前(現在の栗林公園北門前付近)であり、そこから現在の県庁前通りにほぼ沿う形で市内線(終点は高松築港)が戦前にはありました。
@@川原政仁 さん
その市内線(志度線と同じ旧四国水力電気[現:四国電力]→讃岐電鐵→高松琴平電気鉄道と経営が変遷)が1945年7月の高松空襲で車輌や施設が大規模な被害を受けて
戦後その代替として、瓦町ー高松築港が延伸された経緯がありましたからね、後その市内線のターミナルである広場(現在の兵庫町エリア)には、郊外バスのターミナルが点在していたようですね。
踏切が降りない鉄道会社さんですね!車屋さんが運営、
それならばこれからも段々と運賃が永遠に値上がりしてくることを決して忘れては嫌ですよね。待ったなしですよね。