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0:00 ガールズバー犯人は依里?1:00 依里くん犯人説の3つの根拠4:00 依里くんはなぜガールズバーに火をつけた? 5:25 異性愛が支配する世界の象徴=ガールズバー 6:45 猫の埋葬で火=転生にこだわる依里くん9:45 ラストシーンと放火事件の関係は?11:30 火事シーンについての解説が世の中に足りてない…12:25 【保利先生飴問題の考え方】
保利先生の飴の件で否定的なコメントが多くてゲンナリしていましたが、大島さんの考察で腑に落ちました。作り手が練りに練って完成した作品を否定するのはあまり好ましくないと思う派なので、肯定的な意見が聞けて良かったです😊ありがとうございました。
校長室で飴を食べたのは「またこんなバカ相手にしなくちゃいけねーのかよ、めんどくせーなぁ」という気持ちに、絶対に自分は悪くないので「このバカな母親を挑発したい」という気持ちが乗って、堂々と飴を口に入れてしまったのだと思います自分が教師なら、こう考えてわざと相手をバカにするように鼻で笑いながらながら飴を口に入れてしまうだろう自分の正義に自信があるので「お前の見当違いな抗議なんか、わざわざ聞くに値しないんだよ」という態度を見せつけたいですまぁ保身は大事ですから実際にはやらないにせよ、保利先生の飴くらいは全然リアリティがあると感じます
保利先生の飴は、あの謝罪の前々日に恋人から「大変な時こそ肩の力抜かないと」と口に放り込まれた&渡されたリラックス効果の飴だろうと思います(2回目鑑賞後にシナリオブックで確認して確信に至りました)。・恋人が個包装を開封して口に入れていたことと袋ごと保利先生の手にギュッと押しつけていたことから、その同一性が推測できる・メンタルに負荷のかかるあの状況で自身を落ち着かせるためにとった行動・恋人の言うことをきく素直で生真面目ゆえに鈍感な保利先生のキャラクターとして整合性がある(彼の理屈の中ではあの場面で飴を食べちゃいけない理由がないとも考えられる)保利先生に対して多くの人が「普通そんなことしないでしょ」と考えるけれど、保利先生にとってあの行動は「普通」。その人の人間性を深く理解していない時点であのようにインパクトの大きい行動を目にしたことによって「普通じゃない」「とんでもない人だ」と強く印象づけられて、沙織も観客もこの人は生徒に暴力をふるう人間だろうと安易に認定してしまう。「普通じゃない」という、実はかなり主観的で不確実な(しかし自分にとっては合理的な根拠として)フィルターをかけたまま過剰に不信感を抱いたり人間性を決めつけてしまう、という人の無意識を突くようなシーンなのかもしれません。長々と失礼しました!引き続き楽しみにしています!
そうですね。飴を食べたのがお母さん目線のパートだったことも重要かと思います。疑念を抱いている母には、こんな時に飴を食べるなんてこいつはやっぱり普通じゃない!と映ったのだろうし、それを見ているこちらにも印象づけている。ところが先生目線に移ったときに、こういう伏線があったのね、そもそもこういう人なのね、と私たちの印象が変化しますよね。飴のことや誤植のことで先生をやばい人だと感じたという感覚も、やはり「怪物」に思えます。
保利先生の飴舐めは他の先生たちから圧をかけられてしまって、その中でできる唯一の抵抗だったのかなと感じました。保利先生の不器用さもあるのかと思います。
やっぱり大島さんの考察が理論的で腑に落ちます。感想なのか考察なのか、わからないものが多いので、とても参考になります。
ありがとうございます!
保利先生全然ヤバいやつだとは思わなかったけどな、むしろ個人的に一番人間味感じた。誰しもが自分の中に正義があって、それに従って行動することで誰かからしたら異常に見えたり、加害性が生じてしまうってことでしょ。タイミング的におかしいって点で言えばエレベータープロポーズの方がヤバいと思うし、保利先生にとってはそんなタイミングはどうでも良くて本質的解決を最優先してるというか、雑に言うと思ってることすぐ口にしちゃうタイプの極端な例なんじゃないかなあと。飴のときは精神を落ち着かせること、エレベーターでは思いをすぐに伝えること、誤植訂正は正しい文章に直すこと。いじめについてもずっと気付けなかっただけで常に根本解決を一番考えてた人間だと思うし。まさに無自覚の不器用者という感じで歯痒いけど憎めない絶妙な役だったと個人的に思う。飴問題でとやかく言う人は起こった事象だけ見て自分が共感できるかしか見られない人なんだろうな。それの行為自体が良い悪いではなくて、作品全体としてどういう意図があるかとか、その人物の心情を掴む貴重な材料として観られたらもっと楽しめるのにと素直に思った。少なくとも一貫性はあって納得できたし、だからこそ最後自分の解釈の間違いに気付いて台風の中でもお構い無しに湊の家に謝りに行ったんじゃないかな。
賛成。疑念を抱いている母から見たら、それが決定的にやばい人に映ってしまう、というズレこそがキモだと思いますね。
@@これ-n7m せっかく羅生門スタイルなのに最初の母親視点と最後の子供視点に偏っている人が多く見受けられて残念ですね。役柄や立場的に感情移入しやすい対象が多いことは分かりますが、そのズレをそれぞれの加害性と被害性として公平な視点で見られないとポジショントークのようなものになってしまう思いますね。
ホリ先生、自分の週刊誌の記事に付箋貼っていたシーン、ニヤっとした気がします。この表情はどう解釈しましたか?
めちゃ気になってた内容アップありがとうございます😭小学生が上の階あたりから放火して何事もなかったかのように歩いてくることに不自然を感じていましたが、意図を汲むなら依里が一番しっくりきますよね、、考察が的確で刺さりました😮ちなみに、6/10に早稲田大のマスターズオブシネマという授業に是枝監督と坂元さんがゲスト登場されたらしいのですが、そこで、ラストシーンについて、坂元さん「いちスタッフの意見だけど、全然、一択。彼らはこのまま生きているとしか僕は思えなかった」是枝監督「2人の心象風景だと思ったらあそこは嵐の中で光が満ちていた方がいいだろうと僕は考えました。子供達がもう一度自分たちとして生き始めることを祝福して終わる話だと思った」というやりとりがあったそうです。大島さんが前回までで「世界は、生まれ変われるか」が根底にあると仰っていたように、彼らの生死というよりは包んでいる世界のほうに訴えかける作品だと、ご勝手ながら共感させていただきました。個人的に、保利先生が仕掛けられた袋の中身が気になりました笑校長先生の動画、楽しみです!
無意識の加害性を誇張して煮しめたキャラ!!素晴らしい表現。その保利が二人に気付いて、それでいい、間違いじゃない、と嵐の中で叫ぶのは納得。
そうそう、保利先生軸で見ても通るんですよね!
久々のコメント失礼します。やっと観てきました、いつもどの解説も楽しみにしてます。今回の怪物のどの解説もとても分かりやすくて最高でした。早織さんがごま油買いに行くシーンあったと思います。あのシーンで早織さんがごま油買いに行ってる間、湊くんは消しゴムをずっと取らなかったんです。あれについてどう思いますか?私の安易な考えですが、「取れない消しゴム」=「取り消せない」なのかな?とか思ったりしてました。湊くんの先生に対する言動などは取り消せないくらい大事になってきたって意味かなと私は考えます。あのシーン私はとても印象に残っているので、大島さんの意見もぜひ聞きたいです。
good
私は、よりくんをいじめてたワルガキ共が放火の犯人でチャッカマンを渡してよりくんに被せた、又は無理やりよりくんにやらせたのではないかと思いましたいじめの時にも無理やりキスさせようとしたり、悪口を言うように強制したりしてたので。火事の時もワルガキたちが走って逃げている、よりくんは別で歩いてる。湊のスマホによりくんのせいにしてるような音声があった(星川に似てる、似てないなど)
走って逃げているのではなく消防車を追いかけている状況ですよ
保利先生の「夜景ってただの電飾だよ」みたいに言うセリフ、最高の離婚の光生や大豆田とわ子のシンシンが言ってそうだなって思いました。理屈っぽく、自覚は一応あるけど変えられない人…みたいな。でも憎めないんですよね~。
ラストは台風で世界を変える事に成功ってゆうのは、ラストはSF、ファンタジーと考えればいいんでしょうか。最後だけ現実離れした解釈で納得できなくて……
違いますね。死後の世界は誰も体験したことがないので、死後だと解釈するとしても同じように「現実離れ」です。「現実離れした解釈で納得できない」と言うのであれば許容できるのは「ただただ現実と地続きの草原」という解釈だけになりますが、それだと物語としてあまりにも意味がないので、何かしら頑張ってください。
@@zyasuoki 素晴らしい映画なので何度も鑑賞して、色々発見していきたいです!ありがとうございます!
校長先生の最後のシーンは何を意味していたのか、ご説明いただけると嬉しいです。
よりくんが犯人だと思いつつも、悪人感がないのがよくわからなかったのですが、転生を祈る行為との表現がとてもしっくりきました。ありがとうございました。もしまだ間に合えばなのですが、よりくんのお宅にみなと母が訪ねるシーンで、よりくんのお水の入れ方がとても不自然でした。(お母さんの分も自分の分も3回に分けて入れる)あの行動には何か意味があるのでしょうか?もしなにかお考えがあれば教えてください。
私もそれ気になります!最初は、出だしの水は捨てる派なのかな?とか思いましたが、自分のくむときも数回に分けてましたよね。何か意味があるのかな。
飴問題ですが私も大島さんの解説の通り、保利先生は元々変わった人物だと敢えて描写したかったのだと思いました。行き過ぎる趣味、偏執的に間違いを正そうとする心理の持ち主で、日常的に人の神経を逆撫でしてしまういわゆるKYな部分がある人物。そしてあえてその描写を入れた理由として、そういう人物故にこの事件以前から奏には先生からのトゲが刺さって蓄積していたのだろうと思います。保利先生だと嘘をついたのは咄嗟の知恵+仕返しでもあった....子供は無邪気で時に残酷ですから。
火事についてはフランケンシュタインのオマージュです。怪物という題名も。
それもあるけどそれは二次的、メタ的な説明だと思いますね。もっと見える物語上で意味があるところに意味があるからそれを説明しています。
保利先生の飴問題は、かなり納得しています。最初はムカつきましたが。彼女に袋ごと飴を渡されたときに、「飴でも食べて落ち着いて」みたいな感じでしたよね。「リラックスキャンディー」とパッケージに書いてあった気がします。(見間違いかも)とにかく気持ちを落ち着かせるために、彼女に渡された飴を食べた。つまりかなり気が動転してたんだろうなと思います。
依里の逆さ文字、私はわざとで、手紙は湊への秘密の暗号(とまで言わずとも2人だけにわかる)で、作文も誰かに気がついてほしい(認めてほしい)故だと思ったのですが、単なる間違いかわざとかどちらだと思いますか?
私はわざとだと思います。花に詳しくないミナトくんへの花言葉の件も、作文のメッセージを「ホリ先生にはわからないでしょ」みたいなことを言ってたのも、ヨリくんはこれまで、人に言えないことをそれでも1人で発信してきたのだと思いました(分析というより、思いっきりただの感想をリプしてすみません)また、どこかでどなたかの解説を見かけた中で面白かったのが、メッセージは後ろが写りきらず切れているが、逆さ文字だと「むぎのみなとほしかわす」に見えるという説です。「むぎのみなとほしかわすき」なのではないかと。その説を見かけてから、まだ映画を見返せてないので、実際のところはわかりませんが。。
わざとだと思います。作文の1番上の段以外の「な」は、鏡文字じゃなかったです。さおりがよりくんの家に行った時のお手紙ですかさず鏡文字を指摘されたから、「書き続けたら湊へのメッセージがバレる」と思って途中でやめたのかなと思いました。
そうなんですよ!火についての解説が何処にもなくてモヤモヤしてました。ありがとうございます象徴的に解釈すると確かにそうですね。個人的には依里くんの放火に対する悪びれのなさ、相手の懐にスッと入ってくる頭の良さに不穏な印象を持ってました。トイレに閉じ込められて、湊がいる気配を察知したり、鏡文字をわざと使うとか、水彩画で不気味で怖い人を描いていたことが引っかかってます。
保利先生は「アメ」と「作文の添削」と「自身の記事の添削」ですね。その他もあるのですが、まず「ありえない」アメで驚かせて、自身の悪評記事を「喜々とした表情で」添削して誤字を見つける、そして事件の核心の「真剣な表情での作文の添削」に至る、というひっかけがたまらなく面白かったです。
こんばんは。動画楽しく拝見させていただいております。私は保利先生のキャラクターを、誤植を見つける趣味などから、アスペルガー症候群や発達障害の傾向がある大人として描いているのかなと感じました。(白黒思考や完璧主義など)飴事件に関しては「大変な時こそ〜」と彼女に飴を口に詰め込まれたシーンから、「今大変だから、彼女に言われた通り飴なめよう!」という行動に見えました。
ヨリが火をつけたかどうかは、かなり匂わせておきながら決定的な答えは伏せていることから、あえてどちらと正解を求めるのではなく、それぞるの受止めでいいのかな、と感じます。また、「ガールズバーが異性愛の象徴的な場だから火をつけた。ゲイバーだったら火をつけてないのでは」というのはさすがに大人目線がすぎる解釈に思えてしまいます。彼は小学5年生ですし、自分のアイデンティティに関しも「自分は同性愛者だ。異性愛はいやなんだ」というくっきりとした受け止めができる段階ではないと思うんですよね。「自分は麦田君が好きだ。これって同性愛ってやつなのかな」くらいが精一杯ではないでしょうか。もし火をつけたのであっても、男の女の場所だから火をつけたのではなく、「お父さんがお酒を飲むところだから、飲みすぎは良くないから火をつけた」くらいのことかな、と私は感じました。
くっきりした意識ではないかもしれないと動画内でも説明しています。依里くんの無意識と作品における象徴的な行為についての説明で、依里くんの内心の動機が具体的であったとは私も思っていないし、この動画の中でも言ってないと思います。
大島さんの動画みてもう一度映画観で見てこようかなぁと思ってます!次の動画も楽しみにしてます🥰
校長の謎が多すぎて気になってるので次の回が楽しみです!お菓子泥棒、船の折り紙、床掃除、子供は守るけど大人は切り捨てる、嘘とは本当はなんだったのか、などなど。
私もそれ全部気になります!最後の方の湊に向けたセリフも分かるような分からないような。田中裕子の演技であのセリフに引き込まれたけど、え?どゆこと?誰でも手に入るのが幸せというが、湊たちの恋愛はなかなか手に入らないタイプのやつだぞ?と思ったり。解説楽しみです!
保利先生は自分が悪くないことで謝らされてるし、モンスターペアレントだと思っているから、反省の色とかないだろうし飴ぐらい舐めると思うけどな。
飴で冷めるは無かった。ちょっと変だけど、そこに至るプレッシャーは説明されていたじゃない。引っかかる理由はないよ。毎日カート引いてるとかのがよほど😂それも理解の範囲内でした
高畑充希さんが帰った理由は?ぜひ教えてください
恋人が体罰教師としてマスコミ(テレビ) からも追っかけられるようになったら普通の人間は別れると思いますが。
「女のまた今度は信じるな」と言っていたのに、正確なセリフは覚えてませんが「また連絡する」みたいなことを言って去られてましたね...避妊具なしに性行為もしたくないようでしたし、そこまで深い関係ではなかった、ただ飛び火で火傷したくなかったんだろうと感じました。
@@魚太郎-m9x 「女のまた今度は信用するな」と言っていたからこそ「また連絡する」が離別宣言ですよね。結婚する気があっても子どもを作るタイミングは考えますよね、女の方は。避妊具云々は、結婚する気があるから子どもができてもいいでしょ?っていう保利の考えの甘さみたいなものを表現しているように思います。あんなことがなければ結婚していたと思いますよ。クセの強い保利のことをちゃんと理解して付き合っていましたから。
確かに、そうですね!また、決めつけちゃいました、、映画ではこういう決めつけが怪物を生んでいたのに、、私はこうやってうっかり決めつけて、このように指摘をいただくまで気がつけない😭高畑充希さん役の考えは、本当には、本人にしか分からないのでしょうけど、まず愛が薄いというのは、暴論でした😭
児童のことで面倒な事態になっているのは先生自身から聞いていましたし、その件でマスコミの人間が来た、しかも写真も撮られていたから世に出るだろうということで、もう関わりたくないと思って逃げたんだと思いました。
この方ほど深く考察できてはいなかったですが、感覚的にはほぼ全てにおいて同じ解釈で見れたので、この動画が上手く言語化してくれてて非常にスッキリできました。 ただ、この映画において校長の足引っ掛けシーンとホリ先生の飴問題がとても大きなノイズに感じました。特に雨問題。第二章を見た時、ホリ先生に対しては、あれ?かなりまともな人じゃんという印象でした。"多少"変わってるところはあるけど、決しておかしな人ではないと。なのであの場面の飴とそれ以外の言動を見てもどうしても行き過ぎだと思うし、ミスリードが目的のキャラを必要以上に捻じ曲げた演出に見えてしまい"ノイズ"に感じたんだと思います。この考察視聴後でもやっぱりそれは変わらずやりすぎ感がぬぐえなかったです。本当に素晴らしい映画だと思っています。
湊が母親の「誰に言われたの?」の返しに濁さずはっきりホリ先生だと嘘をついた理由が気になります...咄嗟に嘘をついたって間じゃなかった気がする。。
私が思うには、よりくんが今までお父さんから豚の脳と言われていたのが同性愛的な理由であった上で、お母さんから求められた普通になれない事で、自分も豚の脳ではないのかと思ったけど、お母さんに言われたなんて言えるわけないし、ほり先生は社会からすでに変な人という枠に入れられていたため、ほり先生に言われたと嘘ついてもみんなが信じてくれるだろう、僕はおかしいと思われないだろうと思ったのでは?まだ1回しか観ていないので明確にはわからないのですが、、
もう一つ思うのが、ほり先生本人も男らしさをよく話すことから、豚の脳と言われていたと感じたのでは?だから完全に嘘ではないと思った部分もあるのかも?
保利先生の彼女はガールズバーで知り合った可能性はあるのでしょうか?若しくは保利先生はガールズバーに行っていたのでは無いかと思うと何かしらのメッセージがあるのかと考えました。もしそうであった場合ストーリー上のメッセージなのかはわからないですが出て行く時に荷物が少ないのとのりが軽くて写真撮られた事を凄く気にしていて世間体を気にしていたのでお客さんにバレたくないと思っていたのかと思いました。何か脚本段階では設定
深読みしすぎで、ガールズバーの件は本人には全く関係なくて彼女と近くを歩いていただけなのに、SNSでガールズバーの子と歩いていたと間違って拡散されて、それを公の場で否定することもできず受け入れるしかないということを描いただけだと思いますよ。モンスターペアレントや週刊誌報道問題も描かれていましたしね。
いつも楽しみに見ております。校長先生は、私には理解が出来ないことが多かったので、待ってました〜!写真(お孫さんと写ってる?)をお母さんから見えるように置く。スーパーで子どもに足をかける。旦那さんとの話のお菓子ドロボウ。折り紙で船を折る。一度しか見ていないので間違っているかもしれませんが、考察していただけたら嬉しいです。
火事と対比するのは台風だと思います。二人の少年の力の及ばないもの、物語のはじまりと終わりで映画的によろしいかと思います。
大変興味深く拝見させて頂いています。ひとつ、誰も言及していないのが保利先生の彼女。高畑充希さんです。彼女はガールズバーに勤めていたのか?それとも、学生時代からの恋人?僕はガールズバー勤めと思うんですが。大島さんはどう見ますか?
火事の表現は、蠍の炎を少し意識しているのかなって思ってる
大島さんまたは視聴者の方に教えていただきたいです。時系列のことです。木田さんが先生にネコの死骸を見せるシーンの前に湊たちはネコを火葬していると思うのですが、湊たちが火をつけたネコと、木田さんが先生に見せたネコは別のネコですか??まさか途中で火を消したネコを学校の元の場所に戻したってことは無いですよね?あと、湊がよりを突き飛ばした日の次の日が絵の具のけんかの日?絵の具の日とCTを撮った夜は同日?CTの次の日から湊は学校を休んでる?安藤サクラの最初の学校訪問から保護者会までは何日も経過している感覚だったけど実はそんなに日が経ってない?この辺もよく分からなくて、時系列の解説があるととっても嬉しいです。4月24日に火事、4月25日が校長復帰、作文の授業、髪の毛触る、5月12日に鼻血、靴を片方貸す、7月3日トロンボーンとホルンで合ってますでしょうか?
坂元さんの生み出すキャラクター像は比較的分かりやすいとは思っていたのですが、あの状況で飴を食べる人が異常者なのかどうかを世の中私たち観客に判断を委ねた気がしてミスリード気味だったけどその後、落ち着くという理由で先生なら食べかねないなとは思いました😅火事のシーン(遠くの引きの画インサート含め、火事があったよねと思い出させるシーン)が時間軸を整理させる意味もあったように感じていたのですが度々そのシーンをなぞる意味、「祈り」を表現しているとは深すぎるよ監督!って思いました😊まだまだ感想を言い合いたい映画なのでもう一回劇場で観て参ります!
ガールズバーの放火の解釈すごく腹落ちしました。
次校長回とのことですが、自分は校長が足を引っかけたところだけが、納得いかないでいます。トロンボーンとホルンエピソードから、生徒を突き放すような人ではなかったと思うのですが、スーパーでの子どもへの対応だけどうしても受け取りづらいです。大島さんに解釈をお聞きしたいです。
私個人の感想ですが、あれ以上走り回って子どもが人にぶつかったり危険な目に遭わないように"その場を収める"という意味でやったのかなーと思いました。堀先生に全ての責任を押し付けたように、今の現状をどうすれば簡単に最小限の被害で丸く収められるかという事を考えて行動される人であれば、あの行動もある意味納得するというか…
ホリ先生の飴については自分の解釈と一致していてそれを詳細に言語化されていてより理解が深まりましたし解説してくれて感謝したいです。校長のスーパーでの足引っ掛けが気になるので次の動画も楽しみです。個人的にモヤモヤする箇所としてホリ先生が彼女と事に及ぼうとする際に"ぬいぐるみペニスショック"を感じたのですがなにか解説ありましたら嬉しいです
みなとと依は両思いなのでしょうか?
読み解きありがとうございます。全く面白い作品だなと思っております。初見にどこに視点を置いたのか、どういう感想をもつかで“自分の抱えた怪物性”がクリアに炙り出されてくるようだとなり。また、自分以外の方の解説を聞くたびに変化する自分の内面を感じ“時代の変化への柔軟性”や“頑なさ”も炙り出され。見れば見るほど価値観が耕されていくようにも思ってます。なので、作品の解説へのコメント欄すらその現れのひとつとして読むと興味が尽きません。作品そのものがひとつのオーパーツ味を帯びてるように感じてます。
放火犯・・やはりそうですよね正直今でも自分は依里君じゃないと信じたいところですが解説を聞いて、祈りとしての行為だとしたらすごく美しいというか、彼の精神にも適っていると思えました火ではじまり水で終わるというのは監督もおっしゃってましたが、確かに火事の考察って見たことなかったです!また見に行くので今度は火に注目しようと思いました
飴のシーン、最初はかなり驚きましたが堀先生の交際相手の女性の雰囲気だったり趣味の話だったり…少し個性があり周りから変わった人だと思われやすい人間であればあのシーンも有り得なくはないんですよね。教師という一般的には聖人に見える職業からの先入観であの状況で飴を食べるという行動に違和感を覚えたのかなあ。
聖職者という先入観、大いにありますね
2回観たんですが、まわりまわって、校長先生が放火の犯人じゃないかと…学校のため、子供のため、不要なものは許せない。学校の靴箱シーンでやたらとゴミを除去していたのも必要なシーンだとしたら…正義感からより君のチャッカマンの場面でタバコ吸ってましたし!願望として、大人が犯人であって欲しいだけかもですが😅
アメなめ論、納得、得心しました。すごいです。
アメのシーンは精神的に不安定になりつつある心境を描写していると、初見から感じましたので自分はそれそほど違和感は感じなかったです、湊が消ゴムを拾おうとしたままお母さんがコンビニから帰ってくるまで同じ体勢のままでいたのも不安定な心境を描写したんでしょうから、先生がアメを口にした描写も必要だったんではないでしょうか。確かに少しオーバーですけどね。
私は放火犯は依里くんではないと思っていたんですが、たしかにミスリードのレベルではないですね!ガールズバーの象徴するものなどをつなげると、実に納得です。大島さんの「怪物」のさらなる深い解説楽しみにしてます、ぜひ!
大島さんのこの作品の分析、すっごく勉強になります。そこでよろしかったらぜひ、校長分析をお願いします😀私が最初、つかめなかった人物が二人います。「保利先生」と「伏見校長」です。ただ、 映画を2回、シナリオ本、ノベライズを読み終えて、 保利先生に対する見方がだいぶ変わりました。 たぶん、きちんとコミュニケーションさえとれていれば、 この母親と教師は、わかり合えたし、子どもたちのために協力し合えたかもしれない。 それを阻んだのが学校という社会だったと思います。 まあ、保利先生もいま一歩、担任としての踏み込みが足らんと思うけど。で、その学校を守れと校長は言う。彼女が守ろうとした学校って何?彼女自身が秘密を持っていて、ウソをついたから、 湊の「僕はウソをつきました」に共感できたのでしょう。ただ、校長視点の章がないので、 この人物まだまだ謎だし、とても興味があります。
僕が変わり者なだけかもですが、誤植の趣味は「僕もやってみようかな?」って思っちゃいました。しかし、飴については自分は絶対にできないです。アブノーマルな気配を感じました。とはいえ、そんな人もいるだろうなぁと思ったので、特に怒りとかないです😅どちらかといえば、先生が飛び降りを楽器の音で思いとどまったのが理解できませんでした。なんででしょう???
こんにちは。「怪物」の解説動画、なかなか無い視点での考察楽しいです。衣里君の放火犯人説は、自然に映画を鑑賞すると導かれる結論だと思います。だとすると、放火、孤独な少年、山奥の秘密基地、ネコの葬式、独自のビッグクランチ宗教感。90年代の酒鬼薔薇聖斗事件を連想させるかなりヤバイ設定です。これを多くの解説UA-camrはミスリードと考察してます。衣里君の、異常な良い子ぶりもサイコパス的です。また、謎の件ですが、台風の日に、湊君が、衣里君の家に行くと、なんと衣里君がお風呂で倒れている。父親の虐待を連想させるシーンです。そして、二人は銀河鉄道にのって旅立ちます。父親は、嵐の中かなりとり乱しているカット。銀河鉄道の原作からすると、ジョバンニは大好きなカムパネルラとの銀河旅行の幻想から目が醒めると、カムパネルラほ友達を助ける為に川で溺死してました。子供を虐待死させてしまった衣里君の父親。風呂で溺死した衣里君の魂との銀河旅行を妄想してしまっのは私だけなのか。色々、解説動画を見ても誰も指摘しない、サイコパス仮説と銀河鉄道オマージュで謎が深まります。
@@かおる-b7f保利先生ですか?
こんばんは。🌃🤱🌇🤱🌆🤱今日も、動画、ありがとうございます。🐜🤱🍨🤱🍧🤱🍦🤱☕🤱
制作陣から心理テストさせられているロールシャッハのような映画だから、別に決めつけてはいないだろう。「やった」と思うのなら、そう思えばよいし、「やってない」と思うのなら、やってないんだと思う。ちなみにラストシーンは子供達の描いた理想の世界線へ移行したのだと思うことにします。マルチバース理論ですね。
…と言うのは楽ですが「やってない」と言える客観描写としての理由がないんですよ。
@@zyasuoki この映画ってわざと明確な答えを用意していないんですよ。まず、そのことに気付いてください。「そう思いこまされている」んです。観客側も映画の中の登場人物同様になる仕掛けです。
@@かおる-b7f ですね。校長先生が孫を轢いたかどうか問題も同じで、映画の中では校長先生も学校のベランダで湊が嘘をついたことへ同調しますが、「やったこと」の決定的な描写は見せていません。同じく「やってない」客観描写も見せていません。見せてしまったら、観客側も、やっぱりやってないんだ…という心理が働きますから、わざと描かないんだと思います。観客の心理もテストさせられているかのような映画でした。
ちなみに「依里くんが放火した」という結果が真実であるのならば、大抵の映画では最後の章で、そういう「やったことの描写」が明かされることが比較的多いです。あくまでも意味ありげな状況描写のみで、決定的な描写を一切描かないのは、この映画(制作陣)の意図と捉えた方が宜しいでしょう。
このマーヴェリックの人、あらゆる考察/感想動画に同じこと書いてるな。『怪物』では「ロールシャッハ」、『君たちはどう生きるか』では「不思議の国の宮崎駿」ってフレーズを絶対使ってる。「w」をつけて書いてることが空回りしてとことんつまらない
シネマリンさんって方が出してるキリスト教を絡めた考察面白かったので、是非見てください。
この作品て、いかにその人の立場に立って心情を理解できるかを試されている気がします。飴はたしかにミスリードの誘引なんですが、そういう行動に出るのも理解できる説得力をちゃんと用意してあると思います。人一倍間違いを正したい人がしてもいない暴言や体罰を認めさせられてこの時点でいじめの張本人ではないかと疑う児童の母に謝罪を迫られているのだから。1日中同じ児童数十人と親より長い時間過ごすのが小学教師。こういう問題が発生したら地獄ですよ。無意識に飴を口に入れたとしても不思議ではないです。この作品に拒否反応示す人って思い込み、先入観が強くて視野が狭い人なんだろうなと思います。ちなみに登場人物に決定的な怪物はいないと思っています。誰かを怪物と認定した時点で自分の怪物性を露呈している仕掛け。校長先生も怪物とは思いません。次回の動画を楽しみにしています。そこで自分なりの解釈を書きたいと思います。
4本目、有難うございます。ガールズバー~台風のあたり、特に興味深かったです。ホリ先生はその通りだと思います。(あと、変人で子供っぽいから(子供からみて距離感も近いから)、気軽に逆襲されたのかなとも思いました)
高畑充希って記者に堀先生売ったんですかね?
飴のシーン最初は違和感があったのですが考える内に、(時間帯と食べてるものの記憶が曖昧ですが)職員室で女性の先生と話していて保利先生だけ食事しているシーンを思いだして理由はよくわかりませんがキャラクターとして納得できるなと思い直しました。
飴を口に入れるシーン、最初はびっくりしましたがよく見えないですが、彼女から渡された飴のパッケージに「リラックスキャンディー」とか書いてあった気がしました!気持ちを落ち着かせるために食べたと思うと納得出来ました。かなり気が動転してたんでしょうね。。
誤植を見つけて手紙書くのって、クレームじゃないしそんなにやばい趣味じゃないと思います。本の最後には大抵「落丁乱丁がある場合は弊社までお送りください」とかって書かれてありますよね。実際やる人は少ないと思うけど、ヤバい人という根拠にはならないと思います。クレームですらない。
本に「お送りください」と書いてあることと、誤植を探すこと自体を快楽として趣味にすることにはなんの関係もありません。
@@zyasuoki なるほど、そうですね。でも見つけた誤植の本を送る行為との間には関係がありますよね。「送れと書いてあるんだから送る」というのは、クレームとは言えません。誤植を見つけて送るというのは、「金を返せ」と言ったようなやり取りでは無いのです。そんなことを繰り返していたら強要で訴えられます。わざわざその本の当該箇所に印をつけ、おそらくは短い手紙も添えて梱包し発送する、手間と時間のかかる行為です。しかも少なくとも名目上は、見つけたから知らせたという善意の行いです。指摘があることで出版社は次の版の時に直しがきくわけですし。誤植を見つけることが趣味である男をどういったキャラクターとして捉えるか、それはもちろん人によりますが、相当ヤバいやつと断定すると、違和感を持つ人は少なくないと思いますよ。細かくて生真面目で陰湿な皮肉屋、そんな印象を受ける趣味です。変わり者には違いないです。およそ人好きのしないタイプにも思えます。でも真に受けてわざわざ知らせるところには、微かな善意も見え隠れします。先生が彼女や周りの人から言われていた「笑顔が怖い」とか、そういった印象や、トイレに金魚を流すという酷い思いつきを、それでも直前で思いとどまった様子にもぴたりハマると感じます。あの趣味はそういう彼の人柄を伺わせるとても上手い設定だと感じました。決してシリアルキラーやサイコパスとイコールとは限らないと思います。絶対に違うとまで、私は言い切りません。考察は人により様々で良いのですから、あなたのお考え自体を否定はしませんが、もう少し広い視野で別の見方もあるということを受け入れられてはいかがかなと思います。先生目線のパートで、彼が子供たちに接する様子を見て、果たしてあれが「相当ヤバいやつ」に見えたでしょうか。
@@これ-n7m ちゃんと話を聴いてください。。。ここまでの動画で保利先生について責めてないですよ。そういうコメントが多いから見え方・見せ方について答えているだけです。別に現実にその趣味の人がいてもいいしヤバくないと思います。この作品の中の描かれ方についての話をしてます。また、1人の人物を多面的に描くチャレンジ、という立場の解説に向けて「先生目線のパートで、彼が子供たちに接する様子を見て、果たしてあれが『相当ヤバいやつ』に見えたでしょうか。」などと言われても、、、
さすがの考察ですね。まだ映画を見ていないですが、この考察を聞いた上で映画を見たいなと思いました。改めてこの映画は、一言では言い表せないぐらい深い作品がのだと思います。
確定的な描写はされてないから断定は出来ませんよ。それこそ空白で女の子が万引きしたのかしてないのか分からないのと同じです。
断定してますかねえ…
0:00 ガールズバー犯人は依里?
1:00 依里くん犯人説の3つの根拠
4:00 依里くんはなぜガールズバーに火をつけた?
5:25 異性愛が支配する世界の象徴=ガールズバー
6:45 猫の埋葬で火=転生にこだわる依里くん
9:45 ラストシーンと放火事件の関係は?
11:30 火事シーンについての解説が世の中に足りてない…
12:25 【保利先生飴問題の考え方】
保利先生の飴の件で否定的なコメントが多くてゲンナリしていましたが、大島さんの考察で腑に落ちました。
作り手が練りに練って完成した作品を否定するのはあまり好ましくないと思う派なので、肯定的な意見が聞けて良かったです😊
ありがとうございました。
校長室で飴を食べたのは
「またこんなバカ相手にしなくちゃいけねーのかよ、めんどくせーなぁ」という気持ちに、絶対に自分は悪くないので「このバカな母親を挑発したい」という気持ちが乗って、堂々と飴を口に入れてしまったのだと思います
自分が教師なら、こう考えてわざと相手をバカにするように鼻で笑いながらながら飴を口に入れてしまうだろう
自分の正義に自信があるので「お前の見当違いな抗議なんか、わざわざ聞くに値しないんだよ」という態度を見せつけたいです
まぁ保身は大事ですから実際にはやらないにせよ、保利先生の飴くらいは全然リアリティがあると感じます
保利先生の飴は、あの謝罪の前々日に恋人から「大変な時こそ肩の力抜かないと」と口に放り込まれた&渡されたリラックス効果の飴だろうと思います(2回目鑑賞後にシナリオブックで確認して確信に至りました)。
・恋人が個包装を開封して口に入れていたことと袋ごと保利先生の手にギュッと押しつけていたことから、その同一性が推測できる
・メンタルに負荷のかかるあの状況で自身を落ち着かせるためにとった行動
・恋人の言うことをきく素直で生真面目ゆえに鈍感な保利先生のキャラクターとして整合性がある(彼の理屈の中ではあの場面で飴を食べちゃいけない理由がないとも考えられる)
保利先生に対して多くの人が「普通そんなことしないでしょ」と考えるけれど、保利先生にとってあの行動は「普通」。その人の人間性を深く理解していない時点であのようにインパクトの大きい行動を目にしたことによって「普通じゃない」「とんでもない人だ」と強く印象づけられて、沙織も観客もこの人は生徒に暴力をふるう人間だろうと安易に認定してしまう。
「普通じゃない」という、実はかなり主観的で不確実な(しかし自分にとっては合理的な根拠として)フィルターをかけたまま過剰に不信感を抱いたり人間性を決めつけてしまう、という人の無意識を突くようなシーンなのかもしれません。
長々と失礼しました!引き続き楽しみにしています!
そうですね。
飴を食べたのがお母さん目線のパートだったことも重要かと思います。疑念を抱いている母には、こんな時に飴を食べるなんてこいつはやっぱり普通じゃない!と映ったのだろうし、それを見ているこちらにも印象づけている。
ところが先生目線に移ったときに、こういう伏線があったのね、そもそもこういう人なのね、と私たちの印象が変化しますよね。
飴のことや誤植のことで先生をやばい人だと感じたという感覚も、やはり「怪物」に思えます。
保利先生の飴舐めは他の先生たちから圧をかけられてしまって、その中でできる唯一の抵抗だったのかなと感じました。保利先生の不器用さもあるのかと思います。
やっぱり大島さんの考察が理論的で腑に落ちます。感想なのか考察なのか、わからないものが多いので、とても参考になります。
ありがとうございます!
保利先生全然ヤバいやつだとは思わなかったけどな、むしろ個人的に一番人間味感じた。誰しもが自分の中に正義があって、それに従って行動することで誰かからしたら異常に見えたり、加害性が生じてしまうってことでしょ。タイミング的におかしいって点で言えばエレベータープロポーズの方がヤバいと思うし、保利先生にとってはそんなタイミングはどうでも良くて本質的解決を最優先してるというか、雑に言うと思ってることすぐ口にしちゃうタイプの極端な例なんじゃないかなあと。飴のときは精神を落ち着かせること、エレベーターでは思いをすぐに伝えること、誤植訂正は正しい文章に直すこと。いじめについてもずっと気付けなかっただけで常に根本解決を一番考えてた人間だと思うし。まさに無自覚の不器用者という感じで歯痒いけど憎めない絶妙な役だったと個人的に思う。飴問題でとやかく言う人は起こった事象だけ見て自分が共感できるかしか見られない人なんだろうな。それの行為自体が良い悪いではなくて、作品全体としてどういう意図があるかとか、その人物の心情を掴む貴重な材料として観られたらもっと楽しめるのにと素直に思った。少なくとも一貫性はあって納得できたし、だからこそ最後自分の解釈の間違いに気付いて台風の中でもお構い無しに湊の家に謝りに行ったんじゃないかな。
賛成。
疑念を抱いている母から見たら、それが決定的にやばい人に映ってしまう、というズレこそがキモだと思いますね。
@@これ-n7m
せっかく羅生門スタイルなのに最初の母親視点と最後の子供視点に偏っている人が多く見受けられて残念ですね。役柄や立場的に感情移入しやすい対象が多いことは分かりますが、そのズレをそれぞれの加害性と被害性として公平な視点で見られないとポジショントークのようなものになってしまう思いますね。
ホリ先生、自分の週刊誌の記事に付箋貼っていたシーン、ニヤっとした気がします。
この表情はどう解釈しましたか?
めちゃ気になってた内容アップありがとうございます😭
小学生が上の階あたりから放火して何事もなかったかのように歩いてくることに不自然を感じていましたが、意図を汲むなら依里が一番しっくりきますよね、、考察が的確で刺さりました😮
ちなみに、6/10に早稲田大のマスターズオブシネマという授業に是枝監督と坂元さんがゲスト登場されたらしいのですが、そこで、ラストシーンについて、
坂元さん「いちスタッフの意見だけど、全然、一択。彼らはこのまま生きているとしか僕は思えなかった」
是枝監督「2人の心象風景だと思ったらあそこは嵐の中で光が満ちていた方がいいだろうと僕は考えました。子供達がもう一度自分たちとして生き始めることを祝福して終わる話だと思った」
というやりとりがあったそうです。
大島さんが前回までで「世界は、生まれ変われるか」が根底にあると仰っていたように、彼らの生死というよりは包んでいる世界のほうに訴えかける作品だと、ご勝手ながら共感させていただきました。
個人的に、保利先生が仕掛けられた袋の中身が気になりました笑
校長先生の動画、楽しみです!
無意識の加害性を誇張して煮しめたキャラ!!素晴らしい表現。その保利が二人に気付いて、それでいい、間違いじゃない、と嵐の中で叫ぶのは納得。
そうそう、保利先生軸で見ても通るんですよね!
久々のコメント失礼します。やっと観てきました、いつもどの解説も楽しみにしてます。今回の怪物のどの解説もとても分かりやすくて最高でした。
早織さんがごま油買いに行くシーンあったと思います。あのシーンで早織さんがごま油買いに行ってる間、湊くんは消しゴムをずっと取らなかったんです。あれについてどう思いますか?私の安易な考えですが、「取れない消しゴム」=「取り消せない」なのかな?とか思ったりしてました。湊くんの先生に対する言動などは取り消せないくらい大事になってきたって意味かなと私は考えます。あのシーン私はとても印象に残っているので、大島さんの意見もぜひ聞きたいです。
good
私は、よりくんをいじめてたワルガキ共が放火の犯人でチャッカマンを渡してよりくんに被せた、又は無理やりよりくんにやらせたのではないかと思いました
いじめの時にも無理やりキスさせようとしたり、悪口を言うように強制したりしてたので。
火事の時もワルガキたちが走って逃げている、よりくんは別で歩いてる。湊のスマホによりくんのせいにしてるような音声があった(星川に似てる、似てないなど)
走って逃げているのではなく消防車を追いかけている状況ですよ
保利先生の「夜景ってただの電飾だよ」みたいに言うセリフ、最高の離婚の光生や大豆田とわ子のシンシンが言ってそうだなって思いました。理屈っぽく、自覚は一応あるけど変えられない人…みたいな。でも憎めないんですよね~。
ラストは台風で世界を変える事に成功ってゆうのは、ラストはSF、ファンタジーと考えればいいんでしょうか。最後だけ現実離れした解釈で納得できなくて……
違いますね。死後の世界は誰も体験したことがないので、死後だと解釈するとしても同じように「現実離れ」です。「現実離れした解釈で納得できない」と言うのであれば許容できるのは「ただただ現実と地続きの草原」という解釈だけになりますが、それだと物語としてあまりにも意味がないので、何かしら頑張ってください。
@@zyasuoki 素晴らしい映画なので何度も鑑賞して、色々発見していきたいです!ありがとうございます!
校長先生の最後のシーンは何を意味していたのか、ご説明いただけると嬉しいです。
よりくんが犯人だと思いつつも、悪人感がないのがよくわからなかったのですが、転生を祈る行為との表現がとてもしっくりきました。ありがとうございました。
もしまだ間に合えばなのですが、よりくんのお宅にみなと母が訪ねるシーンで、よりくんのお水の入れ方がとても不自然でした。(お母さんの分も自分の分も3回に分けて入れる)あの行動には何か意味があるのでしょうか?もしなにかお考えがあれば教えてください。
私もそれ気になります!
最初は、出だしの水は捨てる派なのかな?とか思いましたが、自分のくむときも数回に分けてましたよね。何か意味があるのかな。
飴問題ですが
私も大島さんの解説の通り、保利先生は元々変わった人物だと敢えて描写したかったのだと思いました。行き過ぎる趣味、偏執的に間違いを正そうとする心理の持ち主で、日常的に人の神経を逆撫でしてしまういわゆるKYな部分がある人物。
そしてあえてその描写を入れた理由として、そういう人物故にこの事件以前から奏には先生からのトゲが刺さって蓄積していたのだろうと思います。保利先生だと嘘をついたのは咄嗟の知恵+仕返しでもあった....
子供は無邪気で時に残酷ですから。
火事についてはフランケンシュタインのオマージュです。怪物という題名も。
それもあるけどそれは二次的、メタ的な説明だと思いますね。もっと見える物語上で意味があるところに意味があるからそれを説明しています。
保利先生の飴問題は、かなり納得しています。
最初はムカつきましたが。
彼女に袋ごと飴を渡されたときに、「飴でも食べて落ち着いて」みたいな感じでしたよね。
「リラックスキャンディー」とパッケージに書いてあった気がします。(見間違いかも)
とにかく気持ちを落ち着かせるために、彼女に渡された飴を食べた。つまりかなり気が動転してたんだろうなと思います。
依里の逆さ文字、私はわざとで、手紙は湊への秘密の暗号(とまで言わずとも2人だけにわかる)で、作文も誰かに気がついてほしい(認めてほしい)故だと思ったのですが、単なる間違いかわざとかどちらだと思いますか?
私はわざとだと思います。
花に詳しくないミナトくんへの花言葉の件も、
作文のメッセージを「ホリ先生にはわからないでしょ」みたいなことを言ってたのも、
ヨリくんはこれまで、人に言えないことをそれでも1人で発信してきたのだと思いました(分析というより、思いっきりただの感想をリプしてすみません)
また、どこかでどなたかの解説を見かけた中で面白かったのが、
メッセージは後ろが写りきらず切れているが、
逆さ文字だと「むぎのみなとほしかわす」に見えるという説です。
「むぎのみなとほしかわすき」なのではないかと。
その説を見かけてから、まだ映画を見返せてないので、実際のところはわかりませんが。。
わざとだと思います。
作文の1番上の段以外の「な」は、鏡文字じゃなかったです。
さおりがよりくんの家に行った時のお手紙ですかさず鏡文字を指摘されたから、「書き続けたら湊へのメッセージがバレる」と思って途中でやめたのかなと思いました。
そうなんですよ!火についての解説が何処にもなくてモヤモヤしてました。ありがとうございます
象徴的に解釈すると確かにそうですね。
個人的には依里くんの放火に対する悪びれのなさ、相手の懐にスッと入ってくる頭の良さに不穏な印象を持ってました。
トイレに閉じ込められて、湊がいる気配を察知したり、鏡文字をわざと使うとか、水彩画で不気味で怖い人を描いていたことが引っかかってます。
保利先生は「アメ」と「作文の添削」と「自身の記事の添削」ですね。その他もあるのですが、まず「ありえない」アメで驚かせて、自身の悪評記事を「喜々とした表情で」添削して誤字を見つける、そして事件の核心の「真剣な表情での作文の添削」に至る、というひっかけがたまらなく面白かったです。
こんばんは。動画楽しく拝見させていただいております。
私は保利先生のキャラクターを、誤植を見つける趣味などから、アスペルガー症候群や発達障害の傾向がある大人として描いているのかなと感じました。(白黒思考や完璧主義など)
飴事件に関しては「大変な時こそ〜」と彼女に飴を口に詰め込まれたシーンから、「今大変だから、彼女に言われた通り飴なめよう!」という行動に見えました。
ヨリが火をつけたかどうかは、かなり匂わせておきながら決定的な答えは伏せていることから、あえてどちらと正解を求めるのではなく、それぞるの受止めでいいのかな、と感じます。
また、「ガールズバーが異性愛の象徴的な場だから火をつけた。ゲイバーだったら火をつけてないのでは」というのはさすがに大人目線がすぎる解釈に思えてしまいます。
彼は小学5年生ですし、自分のアイデンティティに関しも「自分は同性愛者だ。異性愛はいやなんだ」というくっきりとした受け止めができる段階ではないと思うんですよね。
「自分は麦田君が好きだ。これって同性愛ってやつなのかな」くらいが精一杯ではないでしょうか。
もし火をつけたのであっても、男の女の場所だから火をつけたのではなく、「お父さんがお酒を飲むところだから、飲みすぎは良くないから火をつけた」くらいのことかな、と私は感じました。
くっきりした意識ではないかもしれないと動画内でも説明しています。依里くんの無意識と作品における象徴的な行為についての説明で、依里くんの内心の動機が具体的であったとは私も思っていないし、この動画の中でも言ってないと思います。
大島さんの動画みてもう一度映画観で見てこようかなぁと思ってます!
次の動画も楽しみにしてます🥰
校長の謎が多すぎて気になってるので次の回が楽しみです!
お菓子泥棒、船の折り紙、床掃除、子供は守るけど大人は切り捨てる、嘘とは本当はなんだったのか、などなど。
私もそれ全部気になります!
最後の方の湊に向けたセリフも分かるような分からないような。田中裕子の演技であのセリフに引き込まれたけど、え?どゆこと?誰でも手に入るのが幸せというが、湊たちの恋愛はなかなか手に入らないタイプのやつだぞ?と思ったり。
解説楽しみです!
保利先生は自分が悪くないことで謝らされてるし、モンスターペアレントだと思っているから、反省の色とかないだろうし飴ぐらい舐めると思うけどな。
飴で冷めるは無かった。ちょっと変だけど、そこに至るプレッシャーは説明されていたじゃない。引っかかる理由はないよ。毎日カート引いてるとかのがよほど😂
それも理解の範囲内でした
高畑充希さんが帰った理由は?
ぜひ教えてください
恋人が体罰教師としてマスコミ(テレビ) からも追っかけられるようになったら普通の人間は別れると思いますが。
「女のまた今度は信じるな」と言っていたのに、
正確なセリフは覚えてませんが「また連絡する」みたいなことを言って去られてましたね...
避妊具なしに性行為もしたくないようでしたし、
そこまで深い関係ではなかった、ただ飛び火で火傷したくなかったんだろうと感じました。
@@魚太郎-m9x
「女のまた今度は信用するな」と言っていたからこそ「また連絡する」が離別宣言ですよね。
結婚する気があっても子どもを作るタイミングは考えますよね、女の方は。避妊具云々は、結婚する気があるから子どもができてもいいでしょ?っていう保利の考えの甘さみたいなものを表現しているように思います。
あんなことがなければ結婚していたと思いますよ。クセの強い保利のことをちゃんと理解して付き合っていましたから。
確かに、そうですね!
また、決めつけちゃいました、、
映画ではこういう決めつけが怪物を生んでいたのに、、
私はこうやってうっかり決めつけて、このように指摘をいただくまで気がつけない😭
高畑充希さん役の考えは、本当には、本人にしか分からないのでしょうけど、
まず愛が薄いというのは、暴論でした😭
児童のことで面倒な事態になっているのは先生自身から聞いていましたし、その件でマスコミの人間が来た、しかも写真も撮られていたから世に出るだろうということで、もう関わりたくないと思って逃げたんだと思いました。
この方ほど深く考察できてはいなかったですが、感覚的にはほぼ全てにおいて同じ解釈で見れたので、この動画が上手く言語化してくれてて非常にスッキリできました。
ただ、この映画において校長の足引っ掛けシーンとホリ先生の飴問題がとても大きなノイズに感じました。特に雨問題。
第二章を見た時、ホリ先生に対しては、あれ?かなりまともな人じゃんという印象でした。
"多少"変わってるところはあるけど、決しておかしな人ではないと。
なのであの場面の飴とそれ以外の言動を見てもどうしても行き過ぎだと思うし、ミスリードが目的のキャラを必要以上に捻じ曲げた演出に見えてしまい"ノイズ"に感じたんだと思います。
この考察視聴後でもやっぱりそれは変わらずやりすぎ感がぬぐえなかったです。
本当に素晴らしい映画だと思っています。
湊が母親の「誰に言われたの?」の返しに濁さずはっきりホリ先生だと嘘をついた理由が気になります...
咄嗟に嘘をついたって間じゃなかった気がする。。
私が思うには、よりくんが今までお父さんから豚の脳と言われていたのが同性愛的な理由であった上で、お母さんから求められた普通になれない事で、自分も豚の脳ではないのかと思ったけど、お母さんに言われたなんて言えるわけないし、ほり先生は社会からすでに変な人という枠に入れられていたため、ほり先生に言われたと嘘ついてもみんなが信じてくれるだろう、僕はおかしいと思われないだろうと思ったのでは?まだ1回しか観ていないので明確にはわからないのですが、、
もう一つ思うのが、ほり先生本人も男らしさをよく話すことから、豚の脳と言われていたと感じたのでは?だから完全に嘘ではないと思った部分もあるのかも?
保利先生の彼女はガールズバーで知り合った可能性はあるのでしょうか?
若しくは保利先生はガールズバーに行っていたのでは無いかと思うと何かしらのメッセージがあるのかと考えました。
もしそうであった場合ストーリー上のメッセージなのかはわからないですが
出て行く時に荷物が少ないのとのりが軽くて写真撮られた事を凄く気にしていて世間体を気にしていたのでお客さんにバレたくないと思っていたのかと思いました。
何か脚本段階では設定
深読みしすぎで、ガールズバーの件は本人には全く関係なくて彼女と近くを歩いていただけなのに、SNSでガールズバーの子と歩いていたと間違って拡散されて、それを公の場で否定することもできず受け入れるしかないということを描いただけだと思いますよ。モンスターペアレントや週刊誌報道問題も描かれていましたしね。
いつも楽しみに見ております。
校長先生は、私には理解が出来ないことが多かったので、待ってました〜!
写真(お孫さんと写ってる?)をお母さんから見えるように置く。
スーパーで子どもに足をかける。
旦那さんとの話のお菓子ドロボウ。
折り紙で船を折る。
一度しか見ていないので間違っているかもしれませんが、考察していただけたら嬉しいです。
火事と対比するのは台風だと思います。二人の少年の力の及ばないもの、物語のはじまりと終わりで映画的によろしいかと思います。
大変興味深く拝見させて頂いています。ひとつ、誰も言及していないのが保利先生の彼女。高畑充希さんです。彼女はガールズバーに勤めていたのか?それとも、学生時代からの恋人?僕はガールズバー勤めと思うんですが。大島さんはどう見ますか?
火事の表現は、蠍の炎を少し意識しているのかなって思ってる
大島さんまたは視聴者の方に教えていただきたいです。
時系列のことです。
木田さんが先生にネコの死骸を見せるシーンの前に湊たちはネコを火葬していると思うのですが、湊たちが火をつけたネコと、木田さんが先生に見せたネコは別のネコですか??
まさか途中で火を消したネコを学校の元の場所に戻したってことは無いですよね?
あと、
湊がよりを突き飛ばした日の次の日が絵の具のけんかの日?
絵の具の日とCTを撮った夜は同日?
CTの次の日から湊は学校を休んでる?
安藤サクラの最初の学校訪問から保護者会までは何日も経過している感覚だったけど実はそんなに日が経ってない?
この辺もよく分からなくて、時系列の解説があるととっても嬉しいです。
4月24日に火事、4月25日が校長復帰、作文の授業、髪の毛触る、5月12日に鼻血、靴を片方貸す、7月3日トロンボーンとホルン
で合ってますでしょうか?
坂元さんの生み出すキャラクター像は比較的分かりやすいとは思っていたのですが、あの状況で飴を食べる人が異常者なのかどうかを世の中私たち観客に判断を委ねた気がしてミスリード気味だったけどその後、落ち着くという理由で先生なら食べかねないなとは思いました😅
火事のシーン(遠くの引きの画インサート含め、火事があったよねと思い出させるシーン)が時間軸を整理させる意味もあったように感じていたのですが度々そのシーンをなぞる意味、「祈り」を表現しているとは深すぎるよ監督!って思いました😊
まだまだ感想を言い合いたい映画なのでもう一回劇場で観て参ります!
ガールズバーの放火の解釈すごく腹落ちしました。
次校長回とのことですが、自分は校長が足を引っかけたところだけが、納得いかないでいます。トロンボーンとホルンエピソードから、生徒を突き放すような人ではなかったと思うのですが、スーパーでの子どもへの対応だけどうしても受け取りづらいです。
大島さんに解釈をお聞きしたいです。
私個人の感想ですが、あれ以上走り回って子どもが人にぶつかったり危険な目に遭わないように"その場を収める"という意味でやったのかなーと思いました。
堀先生に全ての責任を押し付けたように、今の現状をどうすれば簡単に最小限の被害で丸く収められるかという事を考えて行動される人であれば、あの行動もある意味納得するというか…
ホリ先生の飴については自分の解釈と一致していてそれを詳細に言語化されていてより理解が深まりましたし解説してくれて感謝したいです。
校長のスーパーでの足引っ掛けが気になるので次の動画も楽しみです。個人的にモヤモヤする箇所としてホリ先生が彼女と事に及ぼうとする際に"ぬいぐるみペニスショック"を感じたのですがなにか解説ありましたら嬉しいです
みなとと依は両思いなのでしょうか?
読み解きありがとうございます。
全く面白い作品だなと思っております。
初見にどこに視点を置いたのか、どういう感想をもつかで“自分の抱えた怪物性”がクリアに炙り出されてくるようだとなり。
また、自分以外の方の解説を聞くたびに変化する自分の内面を感じ“時代の変化への柔軟性”や“頑なさ”も炙り出され。
見れば見るほど価値観が耕されていくようにも思ってます。
なので、作品の解説へのコメント欄すらその現れのひとつとして読むと興味が尽きません。
作品そのものがひとつのオーパーツ味を帯びてるように感じてます。
放火犯・・やはりそうですよね
正直今でも自分は依里君じゃないと信じたいところですが
解説を聞いて、祈りとしての行為だとしたらすごく美しいというか、彼の精神にも適っていると思えました
火ではじまり水で終わるというのは監督もおっしゃってましたが、
確かに火事の考察って見たことなかったです!また見に行くので今度は火に注目しようと思いました
飴のシーン、最初はかなり驚きましたが堀先生の交際相手の女性の雰囲気だったり趣味の話だったり…少し個性があり周りから変わった人だと思われやすい人間であればあのシーンも有り得なくはないんですよね。教師という一般的には聖人に見える職業からの先入観であの状況で飴を食べるという行動に違和感を覚えたのかなあ。
聖職者という先入観、大いにありますね
2回観たんですが、まわりまわって、校長先生が放火の犯人じゃないかと…
学校のため、子供のため、不要なものは許せない。学校の靴箱シーンでやたらとゴミを除去していたのも必要なシーンだとしたら…正義感から
より君のチャッカマンの場面でタバコ吸ってましたし!
願望として、大人が犯人であって欲しいだけかもですが😅
アメなめ論、納得、得心しました。すごいです。
ありがとうございます!
アメのシーンは精神的に不安定になりつつある心境を描写していると、初見から感じましたので自分はそれそほど違和感は感じなかったです、
湊が消ゴムを拾おうとしたままお母さんがコンビニから帰ってくるまで同じ体勢のままでいたのも不安定な心境を描写したんでしょうから、先生がアメを口にした描写も必要だったんではないでしょうか。確かに少しオーバーですけどね。
私は放火犯は依里くんではないと思っていたんですが、たしかにミスリードのレベルではないですね!ガールズバーの象徴するものなどをつなげると、実に納得です。大島さんの「怪物」のさらなる深い解説楽しみにしてます、ぜひ!
ありがとうございます!
大島さんのこの作品の分析、すっごく勉強になります。
そこでよろしかったらぜひ、校長分析をお願いします😀
私が最初、つかめなかった人物が二人います。
「保利先生」と「伏見校長」です。
ただ、 映画を2回、シナリオ本、ノベライズを読み終えて、
保利先生に対する見方がだいぶ変わりました。
たぶん、きちんとコミュニケーションさえとれていれば、
この母親と教師は、わかり合えたし、
子どもたちのために協力し合えたかもしれない。
それを阻んだのが学校という社会だったと思います。
まあ、保利先生もいま一歩、担任としての踏み込みが足らんと思うけど。
で、その学校を守れと校長は言う。
彼女が守ろうとした学校って何?
彼女自身が秘密を持っていて、ウソをついたから、
湊の「僕はウソをつきました」に共感できたのでしょう。
ただ、校長視点の章がないので、 この人物まだまだ謎だし、
とても興味があります。
僕が変わり者なだけかもですが、誤植の趣味は「僕もやってみようかな?」って思っちゃいました。しかし、飴については自分は絶対にできないです。アブノーマルな気配を感じました。とはいえ、そんな人もいるだろうなぁと思ったので、特に怒りとかないです😅
どちらかといえば、先生が飛び降りを楽器の音で思いとどまったのが理解できませんでした。なんででしょう???
こんにちは。「怪物」の解説動画、なかなか無い視点での考察楽しいです。衣里君の放火犯人説は、自然に映画を鑑賞すると導かれる結論だと思います。だとすると、放火、孤独な少年、山奥の秘密基地、ネコの葬式、独自のビッグクランチ宗教感。90年代の酒鬼薔薇聖斗事件を連想させるかなりヤバイ設定です。これを多くの解説UA-camrはミスリードと考察してます。衣里君の、異常な良い子ぶりもサイコパス的です。また、謎の件ですが、台風の日に、湊君が、衣里君の家に行くと、なんと衣里君がお風呂で倒れている。父親の虐待を連想させるシーンです。そして、二人は銀河鉄道にのって旅立ちます。父親は、嵐の中かなりとり乱しているカット。銀河鉄道の原作からすると、ジョバンニは大好きなカムパネルラとの銀河旅行の幻想から目が醒めると、カムパネルラほ友達を助ける為に川で溺死してました。子供を虐待死させてしまった衣里君の父親。風呂で溺死した衣里君の魂との銀河旅行を妄想してしまっのは私だけなのか。色々、解説動画を見ても誰も指摘しない、サイコパス仮説と銀河鉄道オマージュで謎が深まります。
@@かおる-b7f
保利先生ですか?
こんばんは。🌃🤱🌇🤱🌆🤱今日も、動画、ありがとうございます。🐜🤱🍨🤱🍧🤱🍦🤱☕🤱
制作陣から心理テストさせられているロールシャッハのような映画だから、別に決めつけてはいないだろう。
「やった」と思うのなら、そう思えばよいし、「やってない」と思うのなら、やってないんだと思う。
ちなみにラストシーンは子供達の描いた理想の世界線へ移行したのだと思うことにします。
マルチバース理論ですね。
…と言うのは楽ですが「やってない」と言える客観描写としての理由がないんですよ。
@@zyasuoki この映画ってわざと明確な答えを用意していないんですよ。
まず、そのことに気付いてください。
「そう思いこまされている」んです。
観客側も映画の中の登場人物同様になる仕掛けです。
@@かおる-b7f ですね。
校長先生が孫を轢いたかどうか問題も同じで、映画の中では校長先生も学校のベランダで湊が嘘をついたことへ同調しますが、「やったこと」の決定的な描写は見せていません。
同じく「やってない」客観描写も見せていません。見せてしまったら、観客側も、やっぱりやってないんだ…
という心理が働きますから、わざと描かないんだと思います。
観客の心理もテストさせられているかのような映画でした。
ちなみに「依里くんが放火した」という結果が真実であるのならば、大抵の映画では最後の章で、そういう「やったことの描写」が明かされることが比較的多いです。
あくまでも意味ありげな状況描写のみで、決定的な描写を一切描かないのは、この映画(制作陣)の意図と捉えた方が宜しいでしょう。
このマーヴェリックの人、あらゆる考察/感想動画に同じこと書いてるな。『怪物』では「ロールシャッハ」、『君たちはどう生きるか』では「不思議の国の宮崎駿」ってフレーズを絶対使ってる。「w」をつけて書いてることが空回りしてとことんつまらない
シネマリンさんって方が出してるキリスト教を絡めた考察面白かったので、是非見てください。
この作品て、いかにその人の立場に立って心情を理解できるかを試されている気がします。
飴はたしかにミスリードの誘引なんですが、そういう行動に出るのも理解できる説得力をちゃんと用意してあると思います。
人一倍間違いを正したい人がしてもいない暴言や体罰を認めさせられてこの時点でいじめの張本人ではないかと疑う児童の母に謝罪を迫られているのだから。
1日中同じ児童数十人と親より長い時間過ごすのが小学教師。
こういう問題が発生したら地獄ですよ。無意識に飴を口に入れたとしても不思議ではないです。
この作品に拒否反応示す人って思い込み、先入観が強くて視野が狭い人なんだろうなと思います。
ちなみに登場人物に決定的な怪物はいないと思っています。
誰かを怪物と認定した時点で自分の怪物性を露呈している仕掛け。
校長先生も怪物とは思いません。
次回の動画を楽しみにしています。
そこで自分なりの解釈を書きたいと思います。
4本目、有難うございます。
ガールズバー~台風のあたり、特に興味深かったです。ホリ先生はその通りだと思います。
(あと、変人で子供っぽいから(子供からみて距離感も近いから)、気軽に逆襲されたのかなとも思いました)
高畑充希って記者に堀先生売ったんですかね?
飴のシーン最初は違和感があったのですが考える内に、(時間帯と食べてるものの記憶が曖昧ですが)職員室で女性の先生と話していて保利先生だけ食事しているシーンを思いだして理由はよくわかりませんがキャラクターとして納得できるなと思い直しました。
飴を口に入れるシーン、最初はびっくりしましたが
よく見えないですが、彼女から渡された飴のパッケージに「リラックスキャンディー」とか書いてあった気がしました!
気持ちを落ち着かせるために食べたと思うと納得出来ました。
かなり気が動転してたんでしょうね。。
誤植を見つけて手紙書くのって、クレームじゃないしそんなにやばい趣味じゃないと思います。
本の最後には大抵「落丁乱丁がある場合は弊社までお送りください」とかって書かれてありますよね。
実際やる人は少ないと思うけど、ヤバい人という根拠にはならないと思います。クレームですらない。
本に「お送りください」と書いてあることと、誤植を探すこと自体を快楽として趣味にすることにはなんの関係もありません。
@@zyasuoki なるほど、そうですね。
でも見つけた誤植の本を送る行為との間には関係がありますよね。
「送れと書いてあるんだから送る」というのは、クレームとは言えません。誤植を見つけて送るというのは、「金を返せ」と言ったようなやり取りでは無いのです。そんなことを繰り返していたら強要で訴えられます。
わざわざその本の当該箇所に印をつけ、おそらくは短い手紙も添えて梱包し発送する、手間と時間のかかる行為です。
しかも少なくとも名目上は、見つけたから知らせたという善意の行いです。指摘があることで出版社は次の版の時に直しがきくわけですし。
誤植を見つけることが趣味である男をどういったキャラクターとして捉えるか、それはもちろん人によりますが、相当ヤバいやつと断定すると、違和感を持つ人は少なくないと思いますよ。
細かくて生真面目で陰湿な皮肉屋、そんな印象を受ける趣味です。変わり者には違いないです。およそ人好きのしないタイプにも思えます。でも真に受けてわざわざ知らせるところには、微かな善意も見え隠れします。
先生が彼女や周りの人から言われていた「笑顔が怖い」とか、そういった印象や、トイレに金魚を流すという酷い思いつきを、それでも直前で思いとどまった様子にもぴたりハマると感じます。あの趣味はそういう彼の人柄を伺わせるとても上手い設定だと感じました。決してシリアルキラーやサイコパスとイコールとは限らないと思います。
絶対に違うとまで、私は言い切りません。考察は人により様々で良いのですから、あなたのお考え自体を否定はしませんが、もう少し広い視野で別の見方もあるということを受け入れられてはいかがかなと思います。
先生目線のパートで、彼が子供たちに接する様子を見て、果たしてあれが「相当ヤバいやつ」に見えたでしょうか。
@@これ-n7m
ちゃんと話を聴いてください。。。
ここまでの動画で保利先生について責めてないですよ。
そういうコメントが多いから見え方・見せ方について答えているだけです。別に現実にその趣味の人がいてもいいしヤバくないと思います。この作品の中の描かれ方についての話をしてます。
また、1人の人物を多面的に描くチャレンジ、という立場の解説に向けて「先生目線のパートで、彼が子供たちに接する様子を見て、果たしてあれが『相当ヤバいやつ』に見えたでしょうか。」などと言われても、、、
さすがの考察ですね。まだ映画を見ていないですが、この考察を聞いた上で映画を見たいなと思いました。改めてこの映画は、一言では言い表せないぐらい深い作品がのだと思います。
確定的な描写はされてないから断定は出来ませんよ。それこそ空白で女の子が万引きしたのかしてないのか分からないのと同じです。
断定してますかねえ…