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つくづく一度で良いから生で、巨大な旧海軍の戦艦に乗るないし見てみたかったなぁ、と思うばかりです……。大和型とかきっと凄かったんだろうなぁ。
横須賀の三笠記念館でもかなりの迫力があるので、私も過去に行って戦艦大和の威容をこの目で見てみたいと思いました。きっとたまげると思います。
爺さんが長門に乗艦していました。爺さんの遺品に昭和5年の海軍特別大演習の写真が遺されています。そこに夜間イルミネートされた長門の写真が何枚かあります…爺さんの覚え書きに「電飾された長門は本当に綺麗だった」とあります。
とても貴重なお写真ですね。電飾で彩られた戦艦はお話でしか聞いたことがありませんでした。やはりライトアップされて観艦式など行っていたんですかね!
@@user-rq4gk1kn7z 戦艦長門は日本の誇!
大和武蔵は美しくセクシーだが長門はハンサム艦だと思います
国民に親しまれた戦艦は長門ですね!
ハンサムときましたか!確かに近代改装された少し昔ながらの軍艦はとても味のある姿ですね!
高速戦艦霧島はアメリカ新型戦艦2隻と真っ向から戦い1隻中破させてもう1隻からレーダー射撃を受けて沈んでいきました。高速戦艦霧島に栄光あれ
霧島は戦艦としての戦いを繰り広げた数少ない存在ですよね。直前に比叡が沈んだことは悔やまれます。
帝国主義の時代やから、当時の人らは、日本を外敵の侵入から守る為、必死に建艦し国と民を守ろうとしたんだね!立派で強く美しいは!
今も昔も海洋国家であることを思えば、海の守りを固めるのは必然だったんですね!
私も霧島、榛名、金剛は、十二隻の戦艦の中で一番好きな艦船です。高速戦艦の流れる様なスマートな船体、模型を作るのが本当に楽しかったですよ♪若い頃の良い思い出です。
模型作りはロマンですよね!作ってる時に戦艦の美しさを存分に感じ、ちょっと自分がこの辺に乗ってたらと妄想したりして作るのが楽しい、、、余談でした。
戦争は悲しいが誇りを持つ日本国民に万歳三唱です。英霊感謝を捧げます。
ご視聴ありがとうございます。当時の日本の技術力の高さに驚くばかりです。
今の時代にはない力強さと美しさを兼ね備えた 魅力ある艦ですよね
戦艦は強く、美しく、国民に慕われ海軍の象徴となるような艦を目指して作られたんだなと思うばかりです!
これほどの艦を造り上げるのにどれ程の人達が心血を注ぎ込んだだろうか。それが今や跡形もないとは。これが戦闘艦の宿命といえども、あまりにも悲しく、虚しく、悔しく、慟哭を禁じ得ない。ただ、こんな感情をふるいおこしてくれた制作者様には感謝します。本当に彼女たちは美しかったですね。
ご視聴いただきありがとうございます。今では新幹線や国産車が国の技術の誇りとなっていますが、当時は戦艦こそが技術力の頂点であり、誇らしい存在だったのだと思います。ただ戦いのための兵器であるため、その運命は儚く悲しいものばかりですね。忘れてはいけない歴史の1ページとして心に残ったならば幸いです。
すごいよ!現代でも高度な技術が必要なのに、昔の工作機械で世界に誇る大型艦船を造り上げた先人の頭脳と偉業に頭が下がる。艦船に威厳、力強い意志、機能美を感じて心を熱くさせるなぁ。
手作業も多く、膨大な労力を投じて建造された戦艦は物凄い産物だと思いました。まさに技術の結晶ですね!
やはりカラー画像は良いですね。モノクロに色が加わると厚みと時代を感じるのが好きです。米国戦略爆撃調査団の呉軍港空襲のカラーフィルムなど見ていると何とも言えない気持ちになります。余談ですが、自分が「ゴジラ-1.0」はカラー版が好きなのは同じ理由からです。
わかります!モノクロだと、どこか遠い昔のように感じますが、カラー化されることでちょっと昔に日本はこれだけ重厚感のある艦を作っていた当時の凄さが伝わってくるような気がしてなりません。ゴジラもそうですが、遠い昔の時代を描いているのに、カラーで見る戦後昭和はそれほど遠い過去でないような気がしました!
写真のカラー化も感動ですが、自分的にはウォーターラインシリーズのプラモの箱絵が大好きでした。今はCGですが旧キットの箱捨てれず実家にしまってましたね
写真では見られないアングルの戦艦の姿がカッコよく描かれていて欲しくなってしまいますよね!とてもわかります!箱の表紙で買ってしまいます!
旧日本海軍の戦艦を見せていただきました。自分は、戦後生まれですので、本、写真集で、先の大戦の事を知りました。とても、貴重な写真ですね。それに、大和、武蔵、長門それぞれ、誇りがある戦艦でしたね。白黒写真をカラー化にするのは、凄いですね。
カラーで見ると、大昔の出来事とは言い切れない気がしてきます。70〜80年前に確かにあった出来事が今のことのように伝わってきますね。
日本海軍が最強だった時の有志だけど、BGM効果で儚く哀しい雰囲気。 これが軍艦マーチかBGMであれば猛々しく思えただろう。
勇ましいBGMだと栄光時代の海軍を思わせますが、悲しいBGMだと悲劇の歴史がジワッと感じさせられます。日本の軍艦は全てどこか悲しさを秘めていますね。
母がよく、「昔は押出しの立派な艦(フネ)がいっぱい有って頼もしかったンだけどなぁ…」と、生前に言ってましたネ
私も祖父から呉の港に停泊する連合艦隊は圧巻だったと聞きました。今とは全く異なる軍国の景色が日本にもあったんだろうなと思うばかりです。
@@user-rq4gk1kn7z 様、叔父さんが短期研修で大和に乗り込ンでたコトが有りました。( ´ ▽ ` )
大和に乗ることができた人はほんの一握りと聞くので貴重な体験だったことと思います。同時に誇らしかったのではないかと!
@@user-rq4gk1kn7z 様、駆逐艦(竹)で魚雷扱ってたんですが「修羅場かいくぐった腕っこきがもう少なくなって来てイザとなったら声がかかるかも知れ無いから行ってこい!」って言われて行って来たそうです。第2砲塔の中間砲の中潜らされた!とか私の小さい時に話してくれてましたね。
海軍最高峰の戦艦大和ですら乗組員武装があったのかもしれませんね。多くの人が訓練に参加して大和に乗り込んだことを思うと感慨深いエピソードに思います!
日本海軍の軍艦は駆逐艦から大和型戦艦まで全てに於いて雄麗でありこの時代に見ても美しい日本がもし、対米戦をせず今も海軍が健在だったとしたらどんな艦船や航空機を造った事かと想像してしまう
そうですね。大和などを越える軍艦が誕生していたか、イージス艦に大和という名前が引き継がれていたかもしれません。とにかくどの艦も美しいです!
日本の戦艦はデザインにおいても品がありますね。これだけの戦力があれば軍部も勝てると思った事でしょう。しかしながら時代は航空機が主戦力。多くの英霊に合掌🙏
似たデザインが多いですが、各艦特徴があってどれも美しいですよね。勝てるという幻想を抱かせてしまうほどに象徴的な存在だったことがうかがえます。
見たことがない写真が、結構あったわ色を付けると、日本の造船能力の凄さがよくわかる
80年前にこれほどの軍艦を独自に作っていたことを思うと、当時の日本もすごい国だったんだろうなと思うばかりです!
大和型は、世界最強の武装を搭載しながらも、コンパクトに仕上がっておりフォルムも破綻せず美しい。まさに大和撫子のように。
卓越した攻防力と操艦性の高さ、見た目の美しさがまさに海軍・戦艦を象徴する存在として今でも人気を博している所以ですね!
小学校の時水疱瘡にかかり部屋でほぼ隔離、その時タミヤの「航空戦艦伊勢」のプラモデルを作り時を過ごしたのがいい想い出。扶桑の、「樹氷」みたいな艦橋も好きです。
子供の頃のロマンですよね!プラモデルを作りながら戦艦に乗る自分を想像して2度楽しめる!伊勢は私もとても好きな戦艦です!大和型とは異なる改装跡の残る艦橋がまた良い感じです!
わたしは今79歳ですが、小学生のころだと思いますが、貴方同様水疱瘡にかかり、夜中にかゆいところを手が書いてしまい、鼻のてっぺんが少し陥没し、不細工な鼻になりました。両親とも水疱瘡の知識はなく、手当もありませんでした。プラモは就職後、作り始め、タミヤのプレ三アム大和をはじめ多数の軍艦模型、戦車模型を作ってきました。模型作りで精神的に救われた円もありますし、ボケ防止の役に立っていると思います。
「手で掻いて」に訂正します。
地元のトラス橋は、戦艦を解体して出来てると昔高校の応用力学の先生から伺ってます。映像を見ながら、どの戦艦だったのかな、と。形は変わってしまいましたが、今もみんなの為に支えてるのは、ありがたいといつも橋を通る度に思います。
貴重なお話、ありがとうございます。初めて聞きました。戦後、戦いの道具から人々の生活の支えに生まれ変わったわけですね!
ゴジラ−1.0をきっかけに戦艦などに興味が出ました
登場兵器の描写は人間ドラマと怪獣の他に注目すべきポイントでしたよね。日本軍の兵器は有名度に関わらず個々に深い物語があるので学び多い存在です。
呉市の旧海軍墓地に各艦艇が眠っています。心にしみる風景です。
今もたくさんの船の姿が見える光景ですが、かつてそこに連合艦隊がいたことを思うと感慨深い限りです!
小さい頃日本の戦艦ってアメリカのと比べてつぎはぎだらけで貧乏くさいと敬遠してたがその通りだった。今見てもそう思う。後に知った大和、武蔵の全体像を見たとき、バランスが綺麗で日本もこんなの作ってるじゃん。すげー。と感動したのを覚えている。
大和は一つ前の長門型戦艦から20年近く経って建造されたので、やはりデザインも革新的でしたね!確かに大和以前の戦艦は武骨な軍艦といった雰囲気を持っているように感じます!
父が金剛に乗っていたことを子供のころ聞いたことがあります。爆撃を受けて沈没したと聴きました。その時受けた肩口の傷を覚えています。多くを語らなかった父ですが、古い写真には仲間と一緒に肩を組んでセイラー服に金剛の刺繍でしょうか名前の入った帽子をかぶっています。まぶしいくらいの父でした。
貴重な当時のお話、ありがとうございます。私も祖父が海軍でしたが多くは語りませんでした。ただ、内火艇に乗ってる姿の写真は凛々しかったのを覚えています。過去の出来事もきちんと伝えていかなければいけませんね!
金剛は、レイテ沖海戦が終わっての帰国の途中台湾周辺で米海軍の潜水艦の魚雷で撃沈されました。金剛は金剛級戦艦の一番艦で英国製で、古い軍艦だったので、激しい戦闘で鋲もガタガタに緩んでいたはずです。思い出しました.シーライオンがその潜水艦の名です。ですからあなたの言われことは、間違いです。私は79才ですが、戦時の記憶が誤っている人の例は他にもあります。たとえば大和は沈没時には高角砲は12基持っていましたが、武蔵も12基あったと主張する人が居ました。6基であることは今では常識です。話を戻します。あなたのお父さんの傷は、レイテ沖海戦で金剛が敵護送空母に最も的確な射撃を送って居た時、護送空母の航空機の必死の反撃によるものではないかと推察します。重巡部隊とこの金剛の射撃が残りの護送空母をあと一歩というところまで追いつめていました。大和は敵の速力が遅い魚雷と並走を暫く続けていたため、敵空母群から離れてしまいました。ただ大和は副砲で他の艦と共同して駆逐艦ロバーツを撃沈したとされています。護送空母を護衛していた駆逐艦は味方空母を守ろうと空母の周りに煙幕を張ったり、日本艦隊に捨て身の突撃をかけ、撃沈されたりしました。そのため重巡が魚雷で沈みました。熊野だったかな。栗田長官は状況を空母を追いつめているという戦況を把握出来ず、不安となり、部下に集合をかけ、護衛空母部隊の全滅はできませんでした。空母部隊は全滅を覚悟し、それを追いかけていた重巡部隊は敵の全滅を確信していました。こうして、日本海軍は航空機の支援なしで戦い、わずかな局地的な小勝利すら逃し、敗残の艦隊となって帰国しました。日本の小沢空母部隊は航空機はもはやほとんど搭載しておらず。囮部隊の役目を果たし、歴戦の武勲艦であった空母瑞鶴も奮闘の末、他の空母とともに沈没しました。レイテ沖海戦は開戦史上最大の規模ではありましたが、マリアナ沖海戦とともに日本海軍の終焉を告げるものでした。もともと無理があった作戦だったのです。戦没者に感謝します。
いい動画ですな
ご視聴いただきありがとうございます。励みになります!!
大和型はカッコいいなぁ、長門もいいね、あとナレーションがあれば写真に注視できたんだけどなぁ
なるほど!ご提案ありがとうございます!!
日本も再軍備は益々するべきだ。日本護る為に必要だ。
国防とは常に今置かれている状況を意識しなければいけませんね。
ご先祖様が大和の乗員で「坊ノ岬沖海戦」で戦死されました。綺麗にカラー化していただき、ご先祖様も浮かばれることでしょう。
ご視聴ありがとうございます。大和に乗艦されていたんですね。白黒写真だと、どこか遠い昔に感じられてしまいがちですが、カラー化することでまだ時間の経っていない少し昔のことのように感じられます。昔のことと思わず歴史をとらえたいものです。
設計者も、完全な不沈艦など存在せず、味方航空機が制空権を掌握している下で艦隊作戦を挑む上で概ね不沈艦としての性能を発揮するといった考えを示されていましたね。
何かと〝大和型〟戦艦が注目されがちですが…自分は(開戦時に旗艦を務めた)〝長門〟と(ガダルカナル島へ艦砲射撃を実行した)〝金剛〟に惹かれますね。
私も戦艦金剛は大好きです!日本戦艦最大の武勲艦と思います。それぞれの戦艦に異なる物語があって、どれも勇ましく、そして悲しい歴史です。
御召艦としては比叡の印象が強いです……3回も御召艦になってましたよね。
そうですよね!練習戦艦時代を経て近代改装にて優美な姿となった比叡はとても勇ましく見えました!
日本は、当時世界一の戦艦を2隻もっていて、空母もあり、飛行機も性能の良い戦闘機を装備していて、戦争で負ける何て、今の日本政府と同じくらい能力だったのだろうね!
戦術と戦略、どちらも優れていることが一番ですね!
矢張り大和型の大和と武蔵のデザインが1番バランスが良い
そうですね、もちろん技術がそうなのですが、やはり見た目の美しさも傑出していると思います!
8:14 長門の左側に写っている2隻の大和型は手前が武蔵です。高角砲がシールド付きだと確認できます。
良く分析できましたね!私もどちらか判別しようとしましたがわかりませんでした。武蔵と長門間に最上型がいますかね、、、。
返信ありがとうございます。長門の左側に写っている武藏は、宿毛沖での全力公試中の大和の有名な写真と同じ角度で写っていますが、その大和の高角砲と同じ陰影が長門の写真に写っている武藏の煙突下に確認できます。撮影者の白石東平大尉(磯風水雷長)は、2日後にブルネイ湾を出撃する武藏や、沈没する1時間半前の武藏も撮影しています。縁があったんでしょうか。
陰影まで分析されましたか!確かに武蔵の上段高角砲にはシールドがあったりと違いがあったことは知ってますがなかなか古写真で判断は難しかったです!同じ方が武蔵の最後を写真に収められたんですね!たしかに数奇な運命だと思います!
じいちゃんは台湾で終戦迎えたと知っていたのでどの艦に乗ってたとか色々聞けば良かった・・でもあまり戦争時代の話はしてくれなかったな。。
私も海軍だった祖父からもっと話を聞きたかったです。当時の話を聞けるってとても貴重なことだったと今は思います、、、。
伊勢は、、、まだ戦う気なんだ、、、
大破着底しつつも砲身は空を向いていたと聞きます。最後の瞬間まで奮戦したことがわかりますね。
戦艦長門、水爆実験にも、使われた。戦艦誇り高い戦艦でしたね。なかなか沈まなかつた、とても凄かった、と思います。
今では大和、武蔵が注目されがちですが、日本海軍の最盛期の象徴は長門だったと言えますよね!終戦まで生き残ったのも非常に感慨深いです!
できればこの目で大和を見たかった、、、。
一度見てみたいですね、港に停泊する大型船には圧倒されますが、軍艦でしかも大和が目の前にいたらどんな気持ちになっただろうか、、、と!
世界最大最強の戦艦を作ったことを誇りに思います。
まさに当時日本が持てた最新の技術が詰め込まれた結晶だったんですね!
白人列強と超ガチンコで戦った夢のあと。清々しくさえある。
美しさの裏に儚い存在でもある戦艦の歴史はどこか悲しくなります。
長門型の最終改装時の速力、25ノットは海軍によるマイナス補正であり、実際大和等(他は金剛型)の戦艦が、レイテ沖海戦の際、26ノット以上で2時間以上航行して長門が落伍(置いてけぼり)しなかったことで、その優速を証明して見せている!
実際の長門は全速力で基準以上の速力を発揮して戦った話がありましたね!長門が歴戦の武勲艦であるのはそういうところにあるのかもしれません!
たぶん緊急時である戦闘時には、最大戦速以外に軍艦は過負荷運転をします。ただし長時間は続けられません。大和もそれをしたと聞いたことがあります。ただし敵機の空襲の時は軍艦は転舵を繰り返すので、速度はがた落ちになるはずです。
戦闘時は相当速力が落ちるんですね。よくわかりました!
後期高齢のヂヂイです。小学生の頃、夏休みの工作の宿題で戦艦山城などのキットをつくりました。プラモデル(まだ登場していなかった)ではなくて木の小片をセメダイン(接着剤)で貼り付け、細いアルミバイプやビアノ線を短く切って主砲の砲身や機銃の銃身にしました。水彩絵の具でそれらしく塗装して出来上がり。半世紀超昔の話です。
自分の好きな戦艦の模型を手元に飾っておきたくなるものですよね!私も大和を飾っていました!
今まで世界中で健造された軍艦の中で、贔屓無く、シルエット的に大和、武蔵がダントツで美しいのは何故だろうか。
不思議ですよね、ただ洗練されて行き着いた先がこのような姿なのであればそれもまた神秘的な話に感じます!
大和のシルエットは美しい
攻防力だけでなく、見た目の美しさも大和が語り継がれる所以ですね!
戦艦の色はグレー。海や空はブルー。白黒でも十分リアル。日本軍は終戦直後に大量の写真や設計図など機密書類を廃棄したのが残念。
写真や映像を処分したのは惜しいですね。戦艦大和の設計図や武蔵の進水式の映像は終戦直後に焼却されたと聞きます。より詳細な情報を知りたかったです、、、。
最期の最期まで沈まなかった戦艦長門。日本海軍の戦艦の中の戦艦。合掌。
大和や武蔵を失いながらも、それに次ぐ戦力だった長門が残ったことは感慨深いですよね!
@@user-rq4gk1kn7z 本当に。不沈艦でした。核実験に晒れたのは残念です。日本に残したかったですね🥹
変わり果てた姿でも、戦争遺構として残ったかもしれませんね。
大和武蔵漢のロマン
力強いね
戦艦は最強ですね!
戦艦を美化すると、戦争が怖くて悲しいものだという本当のことがわからなくなるからダメなんだよ。戦争は人が傷ついて悲しむことがいっぱいあるから、かっこいいとは言えないんだよ。
彼らが造る戦艦は戦争への一本道を表していますね。
凛々しく美しくそして悲しくも有ります。
栄光と悲劇に見舞われたその歴史は今も人々の心の中で語り継がれていますね。
祖父が、建造中の武蔵(=大和)の中で、海軍の「数学と機械」の教員でしたが、こんな物造らないで空母を造った方がいいんだと、教えながら、自分が志願兵として海軍に入った時の憧れの戦艦の中にいるだけで、幸せだったそうです。、、戦況が厳しく成り、函館で170m程の小さな船に赴任した時の艦長が教え子で、出撃命令が出ても、潜水艦がいたので「エンジン故障」とウソをつき、出撃せず。終戦時、艦長と俺(祖父)は逮捕されると思ってました.が、金をもらい家に帰れたそうです。、、、それだけ、戦艦には愛着があった。というお話しでした。
戦艦を廃して空母と航空機を増産すべきという意見があったと聞きます。そんな中でもやはり大和と武蔵の存在は大きかったようですね!263mの武蔵を見たら170mの船でも小さく見えてしまうなんて、大和型の大きさを感じさせるエピソードですね。
なんかアルキメデスの大戦にそんな人いたな
主人公がそんな感じの人でしたね!
叔父は山城と共に眠っています
貴重なお話ありがとうございます。山城に乗艦されていたんですね。
1番活躍した金剛が🇬🇧製って…
意外でした!しかしその技術を吸収して後に長門や大和に繋がったことを思うと感慨深いです!
大叔父の乗っていた信濃が無い。。残念です。
貴重なお話ありがとうございます!是非空母編もご覧ください。
@@user-rq4gk1kn7z ありがとう御座います。見てみます。
是非!信濃も当時の苦しい時代を戦っていた日本の様子を示すエピソードの残る艦ですよね。短い艦歴の中に重厚な物語のある艦だと思います!
信濃の写真は正横からとった写真があります。pcで探せばあるかもしれません。
@@user-jq4ew2ft8j お心遣いありがとう御座います。大叔父の姉が自宅の居間に大切に飾っていた写真がそのような正横のものでした。今はしまってあるのですが、多分仰っているものと同じ写真かもしれません。 ありがとう御座います。
シブヤン海で沈没したのは武蔵。大和ではない。トラック沖停泊中の大和と武蔵野の司令塔が何故か、傾いている。大和は後ろに、武蔵は前に。あの傾き方は尋常ではない。あり得ない写真。また、武蔵の司令塔の下部に大きな板状の物体が見える。また大和の中央部は色がピンク色に染まった何かが写っている。また大和の後部甲板上に、二つの物体が写っている。それは武蔵には写っていない。あり得ない写真。心霊写真???
俺の気のせい?サムネの大和なんか変?
太平洋海戦が無いなぁ戦艦無用論です🐭😂
時代は航空戦力主体になっていたんですね!
私は、昭和生まれ戦艦十二隻の名前は、今でも記憶している。模型でも全て作った経験がある程好きだ。愚将南雲中将が居なければ日本はかなり戦えだだろう。😢
そうですね、艦の能力だけでなく使いこなす人間の能力も問われるのが戦場なんですね。日本の戦艦が能力を発揮できなかったのは残念です。
つくづく一度で良いから生で、巨大な旧海軍の戦艦に乗るないし見てみたかったなぁ、と思うばかりです……。大和型とかきっと凄かったんだろうなぁ。
横須賀の三笠記念館でもかなりの迫力があるので、私も過去に行って戦艦大和の威容をこの目で見てみたいと思いました。きっとたまげると思います。
爺さんが長門に乗艦していました。
爺さんの遺品に昭和5年の海軍特別大演習の写真が遺されています。
そこに夜間イルミネートされた長門の写真が何枚かあります…爺さんの覚え書きに「電飾された長門は本当に綺麗だった」とあります。
とても貴重なお写真ですね。電飾で彩られた戦艦はお話でしか聞いたことがありませんでした。やはりライトアップされて観艦式など行っていたんですかね!
@@user-rq4gk1kn7z 戦艦長門は日本の誇!
大和武蔵は美しくセクシーだが長門はハンサム艦だと思います
国民に親しまれた戦艦は長門ですね!
ハンサムときましたか!確かに近代改装された少し昔ながらの軍艦はとても味のある姿ですね!
高速戦艦霧島はアメリカ新型戦艦2隻と真っ向から戦い1隻中破させてもう1隻からレーダー射撃を受けて沈んでいきました。高速戦艦霧島に栄光あれ
霧島は戦艦としての戦いを繰り広げた数少ない存在ですよね。直前に比叡が沈んだことは悔やまれます。
帝国主義の時代やから、当時の人らは、日本を外敵の侵入から守る為、必死に建艦し国と民を守ろうとしたんだね!立派で強く美しいは!
今も昔も海洋国家であることを思えば、海の守りを固めるのは必然だったんですね!
私も霧島、榛名、金剛は
、十二隻の戦艦の中で一番好きな艦船です。高速戦艦の流れる様なスマートな船体、模型を作るのが本当に楽しかったですよ♪若い頃の良い思い出です。
模型作りはロマンですよね!作ってる時に戦艦の美しさを存分に感じ、ちょっと自分がこの辺に乗ってたらと妄想したりして作るのが楽しい、、、余談でした。
戦争は悲しいが誇りを持つ日本国民に万歳三唱です。英霊感謝を捧げます。
ご視聴ありがとうございます。当時の日本の技術力の高さに驚くばかりです。
今の時代にはない力強さと美しさを兼ね備えた 魅力ある艦ですよね
戦艦は強く、美しく、国民に慕われ海軍の象徴となるような艦を目指して作られたんだなと思うばかりです!
これほどの艦を造り上げるのにどれ程の人達が心血を注ぎ込んだだろうか。それが今や跡形もないとは。これが戦闘艦の宿命といえども、あまりにも悲しく、虚しく、悔しく、慟哭を禁じ得ない。
ただ、こんな感情をふるいおこしてくれた制作者様には感謝します。本当に彼女たちは美しかったですね。
ご視聴いただきありがとうございます。今では新幹線や国産車が国の技術の誇りとなっていますが、当時は戦艦こそが技術力の頂点であり、誇らしい存在だったのだと思います。ただ戦いのための兵器であるため、その運命は儚く悲しいものばかりですね。忘れてはいけない歴史の1ページとして心に残ったならば幸いです。
すごいよ!
現代でも高度な技術が必要なのに、昔の工作機械で世界に誇る大型艦船を造り上げた先人の頭脳と偉業に頭が下がる。
艦船に威厳、力強い意志、機能美を感じて心を熱くさせるなぁ。
手作業も多く、膨大な労力を投じて建造された戦艦は物凄い産物だと思いました。まさに技術の結晶ですね!
やはりカラー画像は良いですね。モノクロに色が加わると厚みと時代を感じるのが好きです。米国戦略爆撃調査団の呉軍港空襲のカラーフィルムなど見ていると何とも言えない気持ちになります。余談ですが、自分が「ゴジラ-1.0」はカラー版が好きなのは同じ理由からです。
わかります!モノクロだと、どこか遠い昔のように感じますが、カラー化されることでちょっと昔に日本はこれだけ重厚感のある艦を作っていた当時の凄さが伝わってくるような気がしてなりません。ゴジラもそうですが、遠い昔の時代を描いているのに、カラーで見る戦後昭和はそれほど遠い過去でないような気がしました!
写真のカラー化も感動ですが、自分的にはウォーターラインシリーズのプラモの箱絵が大好きでした。今はCGですが旧キットの箱捨てれず実家にしまってましたね
写真では見られないアングルの戦艦の姿がカッコよく描かれていて欲しくなってしまいますよね!とてもわかります!箱の表紙で買ってしまいます!
旧日本海軍の戦艦を見せていただきました。自分は、戦後生まれですので、本、写真集で、先の大戦の事を知りました。とても、貴重な写真ですね。それに、大和、武蔵、長門それぞれ、誇りがある戦艦でしたね。白黒写真をカラー化にするのは、凄いですね。
カラーで見ると、大昔の出来事とは言い切れない気がしてきます。70〜80年前に確かにあった出来事が今のことのように伝わってきますね。
日本海軍が最強だった時の有志だけど、BGM効果で儚く哀しい雰囲気。
これが軍艦マーチかBGMであれば猛々しく思えただろう。
勇ましいBGMだと栄光時代の海軍を思わせますが、悲しいBGMだと悲劇の歴史がジワッと感じさせられます。日本の軍艦は全てどこか悲しさを秘めていますね。
母がよく、「昔は押出しの立派な艦(フネ)がいっぱい有って頼もしかったンだけどなぁ…」と、生前に言ってましたネ
私も祖父から呉の港に停泊する連合艦隊は圧巻だったと聞きました。今とは全く異なる軍国の景色が日本にもあったんだろうなと思うばかりです。
@@user-rq4gk1kn7z 様、叔父さんが短期研修で大和に乗り込ンでたコトが有りました。( ´ ▽ ` )
大和に乗ることができた人はほんの一握りと聞くので貴重な体験だったことと思います。同時に誇らしかったのではないかと!
@@user-rq4gk1kn7z 様、駆逐艦(竹)で魚雷扱ってたんですが「修羅場かいくぐった腕っこきがもう少なくなって来てイザとなったら声がかかるかも知れ無いから行ってこい!」って言われて行って来たそうです。第2砲塔の中間砲の中潜らされた!とか私の小さい時に話してくれてましたね。
海軍最高峰の戦艦大和ですら乗組員武装があったのかもしれませんね。多くの人が訓練に参加して大和に乗り込んだことを思うと感慨深いエピソードに思います!
日本海軍の軍艦は駆逐艦から大和型戦艦まで
全てに於いて雄麗であり
この時代に見ても美しい
日本がもし、対米戦をせず
今も海軍が健在だったとしたら
どんな艦船や航空機を造った事かと想像してしまう
そうですね。大和などを越える軍艦が誕生していたか、イージス艦に大和という名前が引き継がれていたかもしれません。とにかくどの艦も美しいです!
日本の戦艦はデザインにおいても品がありますね。
これだけの戦力があれば軍部も勝てると思った事でしょう。
しかしながら時代は航空機が主戦力。
多くの英霊に合掌🙏
似たデザインが多いですが、各艦特徴があってどれも美しいですよね。勝てるという幻想を抱かせてしまうほどに象徴的な存在だったことがうかがえます。
見たことがない写真が、結構あったわ
色を付けると、日本の造船能力の凄さがよくわかる
80年前にこれほどの軍艦を独自に作っていたことを思うと、当時の日本もすごい国だったんだろうなと思うばかりです!
大和型は、世界最強の武装を搭載しながらも、コンパクトに仕上がっておりフォルムも破綻せず美しい。
まさに大和撫子のように。
卓越した攻防力と操艦性の高さ、見た目の美しさがまさに海軍・戦艦を象徴する存在として今でも人気を博している所以ですね!
小学校の時水疱瘡にかかり部屋でほぼ隔離、その時タミヤの「航空戦艦伊勢」のプラモデルを作り時を過ごしたのがいい想い出。扶桑の、「樹氷」みたいな艦橋も好きです。
子供の頃のロマンですよね!プラモデルを作りながら戦艦に乗る自分を想像して2度楽しめる!伊勢は私もとても好きな戦艦です!大和型とは異なる改装跡の残る艦橋がまた良い感じです!
わたしは今79歳ですが、小学生のころだと思いますが、貴方同様水疱瘡にかかり、夜中にかゆいところを手が書いてしまい、鼻のてっぺんが少し陥没し、不細工な鼻になりました。両親とも水疱瘡の知識はなく、手当もありませんでした。
プラモは就職後、作り始め、タミヤのプレ三アム大和をはじめ多数の軍艦模型、戦車模型を作ってきました。模型作りで精神的に救われた円もありますし、ボケ防止の役に立っていると思います。
「手で掻いて」に訂正します。
地元のトラス橋は、戦艦を解体して出来てると昔高校の応用力学の先生から伺ってます。
映像を見ながら、どの戦艦だったのかな、と。
形は変わってしまいましたが、今もみんなの為に支えてるのは、ありがたいといつも橋を通る度に思います。
貴重なお話、ありがとうございます。初めて聞きました。戦後、戦いの道具から人々の生活の支えに生まれ変わったわけですね!
ゴジラ−1.0をきっかけに戦艦などに興味が出ました
登場兵器の描写は人間ドラマと怪獣の他に注目すべきポイントでしたよね。日本軍の兵器は有名度に関わらず個々に深い物語があるので学び多い存在です。
呉市の旧海軍墓地に各艦艇が眠っています。
心にしみる風景です。
今もたくさんの船の姿が見える光景ですが、かつてそこに連合艦隊がいたことを思うと感慨深い限りです!
小さい頃日本の戦艦ってアメリカのと比べてつぎはぎだらけで貧乏くさいと敬遠してたがその通りだった。今見てもそう思う。
後に知った大和、武蔵の全体像を見たとき、バランスが綺麗で日本もこんなの作ってるじゃん。すげー。と感動したのを覚えている。
大和は一つ前の長門型戦艦から20年近く経って建造されたので、やはりデザインも革新的でしたね!確かに大和以前の戦艦は武骨な軍艦といった雰囲気を持っているように感じます!
父が金剛に乗っていたことを子供のころ聞いたことがあります。爆撃を受けて沈没したと聴きました。その時受けた肩口の傷を覚えています。多くを語らなかった父ですが、古い写真には仲間と一緒に肩を組んでセイラー服に金剛の刺繍でしょうか名前の入った帽子をかぶっています。まぶしいくらいの父でした。
貴重な当時のお話、ありがとうございます。私も祖父が海軍でしたが多くは語りませんでした。ただ、内火艇に乗ってる姿の写真は凛々しかったのを覚えています。過去の出来事もきちんと伝えていかなければいけませんね!
金剛は、レイテ沖海戦が終わっての帰国の途中台湾周辺で米海軍の潜水艦の魚雷で撃沈されました。
金剛は金剛級戦艦の一番艦で英国製で、古い軍艦だったので、激しい戦闘で鋲もガタガタに緩んでいたはずです。思い出しました.シーライオンがその潜水艦の名です。ですからあなたの言われことは、間違いです。私は79才ですが、戦時の記憶が誤っている人の例は他にもあります。
たとえば大和は沈没時には高角砲は12基持っていましたが、武蔵も12基あったと主張する人が
居ました。6基であることは今では常識です。話を戻します。
あなたのお父さんの傷は、レイテ沖海戦で金剛が敵護送空母に最も的確な射撃を送って居た時、護送空母の航空機の必死の反撃によるものではないかと推察します。重巡部隊とこの金剛の射撃が残りの護送空母をあと一歩というところまで追いつめていました。
大和は敵の速力が遅い魚雷と並走を暫く続けていたため、敵空母群から離れてしまいました。ただ大和は副砲で他の艦と共同して駆逐艦ロバーツを撃沈したとされています。
護送空母を護衛していた駆逐艦は味方空母を守ろうと空母の周りに煙幕を張ったり、日本艦隊に捨て身の突撃をかけ、撃沈されたりしました。そのため重巡が魚雷で沈みました。熊野だったかな。
栗田長官は状況を空母を追いつめているという戦況を把握出来ず、不安となり、部下に集合をかけ、護衛空母部隊の全滅はできませんでした。空母部隊は全滅を覚悟し、それを追いかけていた重巡部隊は敵の全滅を確信していました。
こうして、日本海軍は航空機の支援なしで戦い、
わずかな局地的な小勝利すら逃し、敗残の艦隊と
なって帰国しました。
日本の小沢空母部隊は航空機はもはやほとんど搭載しておらず。囮部隊の役目を果たし、歴戦の武勲艦であった空母瑞鶴も奮闘の末、他の空母とともに沈没しました。
レイテ沖海戦は開戦史上最大の規模ではありましたが、マリアナ沖海戦とともに日本海軍の終焉を
告げるものでした。もともと無理があった作戦だったのです。戦没者に感謝します。
いい動画ですな
ご視聴いただきありがとうございます。励みになります!!
大和型はカッコいいなぁ、長門もいいね、あとナレーションがあれば写真に注視できたんだけどなぁ
なるほど!ご提案ありがとうございます!!
日本も再軍備は益々するべきだ。日本護る為に必要だ。
国防とは常に今置かれている状況を意識しなければいけませんね。
ご先祖様が大和の乗員で「坊ノ岬沖海戦」で戦死されました。
綺麗にカラー化していただき、ご先祖様も浮かばれることでしょう。
ご視聴ありがとうございます。大和に乗艦されていたんですね。白黒写真だと、どこか遠い昔に感じられてしまいがちですが、カラー化することでまだ時間の経っていない少し昔のことのように感じられます。昔のことと思わず歴史をとらえたいものです。
設計者も、完全な不沈艦など存在せず、味方航空機が制空権を掌握している下で艦隊作戦を挑む上で概ね不沈艦としての性能を発揮するといった考えを示されていましたね。
何かと〝大和型〟戦艦が注目されがちですが…自分は(開戦時に旗艦を務めた)〝長門〟と(ガダルカナル島へ艦砲射撃を実行した)〝金剛〟に惹かれますね。
私も戦艦金剛は大好きです!日本戦艦最大の武勲艦と思います。それぞれの戦艦に異なる物語があって、どれも勇ましく、そして悲しい歴史です。
御召艦としては比叡の印象が強いです……3回も御召艦になってましたよね。
そうですよね!練習戦艦時代を経て近代改装にて優美な姿となった比叡はとても勇ましく見えました!
日本は、当時世界一の戦艦を2隻もっていて、空母もあり、飛行機も性能の良い戦闘機を装備していて、戦争で負ける何て、今の日本政府と同じくらい能力だったのだろうね!
戦術と戦略、どちらも優れていることが一番ですね!
矢張り大和型の大和と武蔵のデザインが1番バランスが良い
そうですね、もちろん技術がそうなのですが、やはり見た目の美しさも傑出していると思います!
8:14 長門の左側に写っている2隻の大和型は手前が武蔵です。高角砲がシールド付きだと確認できます。
良く分析できましたね!私もどちらか判別しようとしましたがわかりませんでした。武蔵と長門間に最上型がいますかね、、、。
返信ありがとうございます。
長門の左側に写っている武藏は、宿毛沖での全力公試中の大和の有名な写真と同じ角度で写っていますが、その大和の高角砲と同じ陰影が長門の写真に写っている武藏の煙突下に確認できます。撮影者の白石東平大尉(磯風水雷長)は、2日後にブルネイ湾を出撃する武藏や、沈没する1時間半前の武藏も撮影しています。縁があったんでしょうか。
陰影まで分析されましたか!確かに武蔵の上段高角砲にはシールドがあったりと違いがあったことは知ってますがなかなか古写真で判断は難しかったです!同じ方が武蔵の最後を写真に収められたんですね!たしかに数奇な運命だと思います!
じいちゃんは台湾で終戦迎えたと知っていたのでどの艦に乗ってたとか色々聞けば良かった・・でもあまり戦争時代の話はしてくれなかったな。。
私も海軍だった祖父からもっと話を聞きたかったです。当時の話を聞けるってとても貴重なことだったと今は思います、、、。
伊勢は、、、まだ戦う気なんだ、、、
大破着底しつつも砲身は空を向いていたと聞きます。最後の瞬間まで奮戦したことがわかりますね。
戦艦長門、水爆実験にも、使われた。戦艦誇り高い戦艦でしたね。なかなか沈まなかつた、とても凄かった、と思います。
今では大和、武蔵が注目されがちですが、日本海軍の最盛期の象徴は長門だったと言えますよね!終戦まで生き残ったのも非常に感慨深いです!
できればこの目で大和を見たかった、、、。
一度見てみたいですね、港に停泊する大型船には圧倒されますが、軍艦でしかも大和が目の前にいたらどんな気持ちになっただろうか、、、と!
世界最大最強の戦艦を作ったことを誇りに思います。
まさに当時日本が持てた最新の技術が詰め込まれた結晶だったんですね!
白人列強と超ガチンコで戦った夢のあと。清々しくさえある。
美しさの裏に儚い存在でもある戦艦の歴史はどこか悲しくなります。
長門型の最終改装時の速力、25ノットは海軍によるマイナス補正であり、実際大和等(他は金剛型)の戦艦が、レイテ沖海戦の際、26ノット以上で2時間以上航行して長門が落伍(置いてけぼり)しなかったことで、その優速を証明して見せている!
実際の長門は全速力で基準以上の速力を発揮して戦った話がありましたね!長門が歴戦の武勲艦であるのはそういうところにあるのかもしれません!
たぶん緊急時である戦闘時には、最大戦速以外に軍艦は過負荷運転をします。ただし長時間は続けられません。大和もそれをしたと聞いたことがあります。ただし敵機の空襲の時は軍艦は転舵を繰り返すので、速度はがた落ちになるはずです。
戦闘時は相当速力が落ちるんですね。よくわかりました!
後期高齢のヂヂイです。小学生の頃、夏休みの工作の宿題で戦艦山城などのキットをつくりました。プラモデル(まだ登場していなかった)ではなくて木の小片をセメダイン(接着剤)で貼り付け、細いアルミバイプやビアノ線を短く切って主砲の砲身や機銃の銃身にしました。水彩絵の具でそれらしく塗装して出来上がり。半世紀超昔の話です。
自分の好きな戦艦の模型を手元に飾っておきたくなるものですよね!私も大和を飾っていました!
今まで世界中で健造された軍艦の中で、贔屓無く、シルエット的に大和、武蔵がダントツで美しいのは何故だろうか。
不思議ですよね、ただ洗練されて行き着いた先がこのような姿なのであればそれもまた神秘的な話に感じます!
大和のシルエットは美しい
攻防力だけでなく、見た目の美しさも大和が語り継がれる所以ですね!
戦艦の色はグレー。海や空は
ブルー。白黒でも十分リアル。
日本軍は終戦直後に大量の写真や
設計図など機密書類を廃棄したのが残念。
写真や映像を処分したのは惜しいですね。戦艦大和の設計図や武蔵の進水式の映像は終戦直後に焼却されたと聞きます。より詳細な情報を知りたかったです、、、。
最期の最期まで沈まなかった戦艦長門。
日本海軍の戦艦の中の戦艦。
合掌。
大和や武蔵を失いながらも、それに次ぐ戦力だった長門が残ったことは感慨深いですよね!
@@user-rq4gk1kn7z 本当に。
不沈艦でした。
核実験に晒れたのは残念です。
日本に残したかったですね🥹
変わり果てた姿でも、戦争遺構として残ったかもしれませんね。
大和武蔵漢のロマン
力強いね
戦艦は最強ですね!
戦艦を美化すると、戦争が怖くて悲しいものだという本当のことがわからなくなるからダメなんだよ。戦争は人が傷ついて悲しむことがいっぱいあるから、かっこいいとは言えないんだよ。
彼らが造る戦艦は戦争への一本道を表していますね。
凛々しく美しくそして悲しくも有ります。
栄光と悲劇に見舞われたその歴史は今も人々の心の中で語り継がれていますね。
祖父が、建造中の武蔵(=大和)の中で、海軍の「数学と機械」の教員でしたが、こんな物造らないで空母を造った方がいいんだと、教えながら、自分が志願兵として海軍に入った時の憧れの戦艦の中にいるだけで、幸せだったそうです。、、戦況が厳しく成り、函館で170m程の小さな船に赴任した時の艦長が教え子で、出撃命令が出ても、潜水艦がいたので「エンジン故障」とウソをつき、出撃せず。終戦時、艦長と俺(祖父)は逮捕されると思ってました.が、金をもらい家に帰れたそうです。、、、それだけ、戦艦には愛着があった。というお話しでした。
戦艦を廃して空母と航空機を増産すべきという意見があったと聞きます。そんな中でもやはり大和と武蔵の存在は大きかったようですね!263mの武蔵を見たら170mの船でも小さく見えてしまうなんて、大和型の大きさを感じさせるエピソードですね。
なんかアルキメデスの大戦にそんな人いたな
主人公がそんな感じの人でしたね!
叔父は山城と共に眠っています
貴重なお話ありがとうございます。
山城に乗艦されていたんですね。
1番活躍した金剛が🇬🇧製って…
意外でした!しかしその技術を吸収して後に長門や大和に繋がったことを思うと感慨深いです!
大叔父の乗っていた信濃が無い。。
残念です。
貴重なお話ありがとうございます!是非空母編もご覧ください。
@@user-rq4gk1kn7z ありがとう御座います。見てみます。
是非!信濃も当時の苦しい時代を戦っていた日本の様子を示すエピソードの残る艦ですよね。短い艦歴の中に重厚な物語のある艦だと思います!
信濃の写真は正横からとった写真があります。pcで探せばあるかもしれません。
@@user-jq4ew2ft8j お心遣いありがとう御座います。大叔父の姉が自宅の居間に大切に飾っていた写真がそのような正横のものでした。今はしまってあるのですが、多分仰っているものと同じ写真かもしれません。 ありがとう御座います。
シブヤン海で沈没したのは武蔵。大和ではない。トラック沖停泊中の大和と武蔵野の司令塔が何故か、傾いている。大和は後ろに、武蔵は前に。あの傾き方は尋常ではない。あり得ない写真。
また、武蔵の司令塔の下部に大きな板状の物体が見える。また大和の中央部は色がピンク色に染まった何かが写っている。また大和の後部甲板上に、二つの物体が写っている。それは武蔵には写っていない。あり得ない写真。心霊写真???
俺の気のせい?サムネの大和なんか変?
太平洋海戦が無いなぁ戦艦無用論です🐭😂
時代は航空戦力主体になっていたんですね!
私は、昭和生まれ戦艦十二隻の名前は、今でも記憶している。模型でも全て作った経験がある程好きだ。愚将南雲中将が居なければ日本はかなり戦えだだろう。😢
そうですね、艦の能力だけでなく使いこなす人間の能力も問われるのが戦場なんですね。日本の戦艦が能力を発揮できなかったのは残念です。