【ゆっくり戦国武将解説】山県昌満 赤備えの後継者として武田勝頼を補佐した若武者

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  • Опубліковано 14 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 5

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke 6 годин тому +1

    江尻城代だったら…

  • @REKI-AKAHOSI
    @REKI-AKAHOSI 5 годин тому

    昌景は万能型だけど息子は政治方面の才能を受け継いだのかな? 赤備えは誰が引き継いだんだろう。
    死に場所が伊那とか郡内とかなら、勝頼を見捨てることなく最後まで付き従ったのかな?
    個人的には昌景の息子だし、そうだと嬉しくはあるけど……

  • @昔屋回天
    @昔屋回天 6 годин тому

    「息子は別の能力に秀でている」歴史人物でけっこうあるあるですね。おそらく親父と違った才能の子供と思われて、親父も武辺な場所に連れて行かなかったかな?

    • @nanao_no_dokusen
      @nanao_no_dokusen  5 годин тому +2

      昌景自身は信玄のもとで内政・外政・軍事をハイレベルにこなしていたので、能力の見極めもできたのかもしれませんね。
      もう一つの要因としては、勝頼が重用する家臣の傾向が、長篠以前の重臣の息子たちから、跡部勝資らに変わっていったことも挙げられるのかもしれません。

    • @昔屋回天
      @昔屋回天 5 годин тому

      @nanao_no_dokusen おそらくその説はかなり有力でしょう。そう考えると、勝頼の領国経営の細かい内容とかなり合致しますしね。いやはや、相変わらず素晴らしい考察と見識、感服しますわ!