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興味深く感想聞きました なるほどなと自分の受け取り方ですが、全ての映画を「何がどうなったか」という観終わった時に何が芯(メインテーマ)だったのか考えますこの映画では、トツ子の生まれながらの悩みが解消し心が解放される、と見えましたなので教会で私悩んでます から始まり、光り輝く(トツ子にはそう見えている)場所でバレーを舞い踊る ここまでで映画で語りたい事は終わっています あとはエピローグこの映画はこのエンディングの為に逆算で描かれたかと思うくらいキャラクター、エピソード、小物まで綺麗に配置されていましたそれに違和感を感じて最初に考察したのがテルミンとギター(リッケンバッカー)でしたテルミン=電子楽器の元祖 しかもアホほど演奏が上手 この楽器置いそれとあんなに上手く演奏できませんよ から、ルイくん音楽へのマニア性や情熱がみて取れます リッケンバッカーはロックの元祖ビートルズで使用された有名なギターです なのでキミちゃんの心持ちはロックなので品行方正なミッションスクールに違和感があり退学してしまうのも当然です とまー考察しだしたら止まらなくなるほど良く良く考えられていますが、宗教色本筋に多いか関わる為ある程度毛嫌いする人が出てきても仕方ないテーマなのかもしれません最後に自分はすごく好きです 売れてほしいなー 長文失礼では
川村Pはむしろ「山田尚子監督100%の世界を描いてください!」ったオファーした側なので、監督が萎縮せずやりたいことをやってくれてニヤニヤしてるはず
見終わった感想としては、美しい芸術作品を鑑賞した気分、が端的かなと思いました。ほんっとうに起承転結が激しくあるわけでも、登場人物の葛藤やら背景やらを深ぼるわけでもない。のに不思議な満足感に満たされる、そんな映画だと思います。合わない人には刺さらなくて観終わってもポカーンとするだけになるかもしれないですが、個人的にはこのストーリーラインに驚きや伏線があるみたいな映画じゃないからこその何度も観たくなる面白さがあったと思います。また観に行きます。
川村Pは、君の名は。で「大衆受け狙って監督の作家性をチューニングした」という評価を真に受けて以来、逆に監督の作風を尊重することに拘り過ぎてるような。作品を「商品」に仕上げるプロデューサーの仕事を半分放棄してるのはどうなんだろう
トツ子は共感覚だろうからこそ深堀されてないのでは?個人的には受け取り手が共感覚のことを知ってる前提で物語の中ではあえて言語化してない気がした。
吉田玲子と花田十輝の脚本の違いも強く感じました。花田脚本なら、なぜキミちゃんが学校辞めたのか、なんかドロドロいっぱい書きそう。なんも説明しないので、コンサートシーン見てああおばあちゃんと校長グルか…とか。まあ現在の北極ラーメンみたいな旨辛濃いアニメに慣れちゃうと、こういう作品に物足りなさを思う人もいるかもしれないですが、けいおん!からアニオタになった私にはああ正常進化だなあ…と思います(男出したしw)。最後に凸子はなぜトツコなのかはわかりませんが、キミは明らかにキミの色なんですね。
山田尚子監督と基本的相性が悪い側の人間で、本作も未見です苦手な理由がまさに動画内で言われているカメラ、光、感情芝居のせいなんですが、キャラデザや背景とリアリティラインが揃ってるように思えなくて、実写でやれば?と感じますPV見た感じその印象がひっくり返る感じはしませんでしたが、話聞いててちょっと興味沸きました
けいおんが苦手だった理由が、この映画を見てなんとなくわかった
なんか淡い雰囲気の、ゆる~い世界観でしたけど、ベイビーワルキューレの子が声を担当されていてビックリ!3曲も聴けて幸せでした。
ほんとに兄弟?すごい感性の差だね。川村元気は、世界の映画史のど真ん中に挑戦してる。で、映画史上での極みに届いてる凄い作品。それを芸術と言えば芸術だけどさ。見ててよぎった作家はクシシュトフ・キェシロフスキやエリック・ロメール。カンヌが大好きすぎな映画監督。まぁ今のカンヌがその手の作家を評価するのかしらないけど、映画文化史でひとつの「極」を作り上げてくれてありがとう!アプローズ!
映画らしくないということは無いと思います。娯楽映画的でないということならそうかも。ところで「退学RTA」は違うんじゃない?(この3人はもう高3ですよね)
あの川村元気が「手に負えねえ」と嘆いてる様が目に浮かぶ
逆でしょ、山田監督にオファーしたのも監督の作家性を尖らせる方向にどんどんアクセル踏んだのも川村P
この方がSNSでルックバックの京本は都合の良いキャラだけどこの3人の恵まれた環境=都合の良さは『ちゃんと設計されている』は、ちょっとそれこそ都合の良いこと言ってんなーって思った
コメントありがとうございます。この点についてはぜひ補足させてください。端的に言えば、都合の良さをどこまで意図したものとみなせるか──すなわちリアリティラインというものは、その作品の表現や構造によって変わると考えています。『ルックバック』の場合は感想でも述べたように、たとえば前半はあくまで客観的な実在として存在する少女が後半で主観的に捉え直されてしまう、といった構造があるわけでもなかったので、京本を「都合の良い装置」以上の何かとして捉えうる根拠を見出せませんでした。一方で『きみの色』の場合は、冒頭から一貫した色彩表現や光の表現、全編に渡り作品テーマに関係する要点以外の要素を排除する作りが一貫していたため、その「都合の良さ」が意図的なものであると感じることができたということになります。もちろん、これもあくまで自分の主観なのですが、一応その背景となる考え方や理屈は述べているつもりです。また、下記の質問箱ではルックバックの京本が装置に見えてしまったポイントについてさらに補足していますので、よければ参考にしてください。marshmallow-qa.com/messages/19afd914-0b1a-4fa2-a052-7b8ac9c60c92
@@shino-movie 個人の感想ですが例えば藤野と京本が手を繋ぐシーンが2度ありますが、1度目と2度目では藤野の手が遠くに伸びていくように描写されておりあのシーンで京本の現状への不安が描写され、藤野の回想で「画力が上がれば・・・」のシーンで京本が美大に行く理由が原作への補完として描かれていると思いました。とは言え京本の他者性がもっとあっても良いかなとも思います。扉を開けたら藤野の知らない京本を示唆する何かが部屋にあれば京本のキャラとしてはもっと深く描けたように感じました。しかしそのきみの色評は正直ズルイです。色彩表現もなにもキャラクターにはなにも関係ないのでは?私自身は可もなく不可もなくすぎて特に感想すらなかった手前、考察については言えることはありませんが・・・。
自分の場合は、作品がどういう世界観であるかということ(それは映像やアングルや編集等の表現にも依存します)と、そこでキャラクターがどう扱われるかということは切り離せないと考えているので、その前提や考え方が違うのかもしれません。たとえば極端な話、動物もパンも喋るようなファンタジーな世界において、毎度遠距離から正確な位置に頭部を投げられるキャラクターの現実味や、ばい菌を模した悪役を暴力で制裁することの是非等が気になる人は少ないでしょう。あくまであの世界観だからこそ許容できる「都合の良さ」なわけです。同様に、自分にとっては『きみの色』が採用している色彩設計等の表現、それによる世界観構築には、「これくらいの都合の良さは許容できる」と見做せるだけの強度や意図が感じられたということになります。再三言うように、この基準もあくまで主観的なものです。しかし、その主観的な基準をなるべく言語化する試みとして感想を配信しています。理解いただく必要はなく、「ああこういう考え方もあるんだ面白いな」と思っていただければと考えていますが、都合の良さやズルさの印象の方が強かったということであれば、力不足と受け止めたいと思います。
興味深く感想聞きました なるほどなと
自分の受け取り方ですが、全ての映画を「何がどうなったか」という観終わった時に何が芯(メインテーマ)だったのか考えます
この映画では、トツ子の生まれながらの悩みが解消し心が解放される、と見えました
なので教会で私悩んでます から始まり、光り輝く(トツ子にはそう見えている)場所でバレーを舞い踊る ここまでで映画で語りたい事は終わっています あとはエピローグ
この映画はこのエンディングの為に逆算で描かれたかと思うくらいキャラクター、エピソード、小物まで綺麗に配置されていました
それに違和感を感じて最初に考察したのがテルミンとギター(リッケンバッカー)でした
テルミン=電子楽器の元祖 しかもアホほど演奏が上手 この楽器置いそれとあんなに上手く演奏できませんよ から、ルイくん音楽へのマニア性や情熱がみて取れます リッケンバッカーはロックの元祖ビートルズで使用された有名なギターです なのでキミちゃんの心持ちはロックなので品行方正なミッションスクールに違和感があり退学してしまうのも当然です とまー考察しだしたら止まらなくなるほど良く良く考えられています
が、宗教色本筋に多いか関わる為ある程度毛嫌いする人が出てきても仕方ないテーマなのかもしれません
最後に自分はすごく好きです 売れてほしいなー 長文失礼では
川村Pはむしろ「山田尚子監督100%の世界を描いてください!」ったオファーした側なので、監督が萎縮せずやりたいことをやってくれてニヤニヤしてるはず
見終わった感想としては、美しい芸術作品を鑑賞した気分、が端的かなと思いました。
ほんっとうに起承転結が激しくあるわけでも、登場人物の葛藤やら背景やらを深ぼるわけでもない。のに不思議な満足感に満たされる、そんな映画だと思います。
合わない人には刺さらなくて観終わってもポカーンとするだけになるかもしれないですが、個人的にはこのストーリーラインに驚きや伏線があるみたいな映画じゃないからこその何度も観たくなる面白さがあったと思います。
また観に行きます。
川村Pは、君の名は。で「大衆受け狙って監督の作家性をチューニングした」という評価を真に受けて以来、逆に監督の作風を尊重することに拘り過ぎてるような。
作品を「商品」に仕上げるプロデューサーの仕事を半分放棄してるのはどうなんだろう
トツ子は共感覚だろうからこそ深堀されてないのでは?個人的には受け取り手が共感覚のことを知ってる前提で物語の中ではあえて言語化してない気がした。
吉田玲子と花田十輝の脚本の違いも強く感じました。
花田脚本なら、なぜキミちゃんが学校辞めたのか、なんかドロドロいっぱい書きそう。
なんも説明しないので、コンサートシーン見てああおばあちゃんと校長グルか…とか。
まあ現在の北極ラーメンみたいな旨辛濃いアニメに慣れちゃうと、こういう作品に物足りなさを思う人もいるかもしれないですが、けいおん!からアニオタになった私には
ああ正常進化だなあ…と思います(男出したしw)。
最後に凸子はなぜトツコなのかはわかりませんが、キミは明らかにキミの色なんですね。
山田尚子監督と基本的相性が悪い側の人間で、本作も未見です
苦手な理由がまさに動画内で言われているカメラ、光、感情芝居のせいなんですが、キャラデザや背景とリアリティラインが揃ってるように思えなくて、実写でやれば?と感じます
PV見た感じその印象がひっくり返る感じはしませんでしたが、話聞いててちょっと興味沸きました
けいおんが苦手だった理由が、この映画を見てなんとなくわかった
なんか淡い雰囲気の、ゆる~い世界観でしたけど、ベイビーワルキューレの子が声を担当されていてビックリ!
3曲も聴けて幸せでした。
ほんとに兄弟?すごい感性の差だね。
川村元気は、世界の映画史のど真ん中に挑戦してる。で、映画史上での極みに届いてる凄い作品。それを芸術と言えば芸術だけどさ。見ててよぎった作家はクシシュトフ・キェシロフスキやエリック・ロメール。カンヌが大好きすぎな映画監督。まぁ今のカンヌがその手の作家を評価するのかしらないけど、映画文化史でひとつの「極」を作り上げてくれてありがとう!アプローズ!
映画らしくないということは無いと思います。娯楽映画的でないということならそうかも。
ところで「退学RTA」は違うんじゃない?(この3人はもう高3ですよね)
あの川村元気が「手に負えねえ」と嘆いてる様が目に浮かぶ
逆でしょ、山田監督にオファーしたのも監督の作家性を尖らせる方向にどんどんアクセル踏んだのも川村P
この方がSNSでルックバックの京本は都合の良いキャラだけどこの3人の恵まれた環境=都合の良さは『ちゃんと設計されている』は、ちょっとそれこそ都合の良いこと言ってんなーって思った
コメントありがとうございます。この点についてはぜひ補足させてください。端的に言えば、都合の良さをどこまで意図したものとみなせるか──すなわちリアリティラインというものは、その作品の表現や構造によって変わると考えています。
『ルックバック』の場合は感想でも述べたように、たとえば前半はあくまで客観的な実在として存在する少女が後半で主観的に捉え直されてしまう、といった構造があるわけでもなかったので、京本を「都合の良い装置」以上の何かとして捉えうる根拠を見出せませんでした。一方で『きみの色』の場合は、冒頭から一貫した色彩表現や光の表現、全編に渡り作品テーマに関係する要点以外の要素を排除する作りが一貫していたため、その「都合の良さ」が意図的なものであると感じることができたということになります。
もちろん、これもあくまで自分の主観なのですが、一応その背景となる考え方や理屈は述べているつもりです。また、下記の質問箱ではルックバックの京本が装置に見えてしまったポイントについてさらに補足していますので、よければ参考にしてください。
marshmallow-qa.com/messages/19afd914-0b1a-4fa2-a052-7b8ac9c60c92
@@shino-movie 個人の感想ですが
例えば藤野と京本が手を繋ぐシーンが2度ありますが、1度目と2度目では藤野の手が遠くに伸びていくように描写されておりあのシーンで京本の現状への不安が描写され
、藤野の回想で「画力が上がれば・・・」のシーンで京本が美大に行く理由が原作への補完として描かれていると思いました。
とは言え京本の他者性がもっとあっても良いかなとも思います。扉を開けたら藤野の知らない京本を示唆する何かが部屋にあれば京本のキャラとしてはもっと深く描けたように感じました。
しかしそのきみの色評は正直ズルイです。
色彩表現もなにもキャラクターにはなにも関係ないのでは?
私自身は可もなく不可もなくすぎて特に感想すらなかった手前、考察については言えることはありませんが・・・。
自分の場合は、作品がどういう世界観であるかということ(それは映像やアングルや編集等の表現にも依存します)と、そこでキャラクターがどう扱われるかということは切り離せないと考えているので、その前提や考え方が違うのかもしれません。
たとえば極端な話、動物もパンも喋るようなファンタジーな世界において、毎度遠距離から正確な位置に頭部を投げられるキャラクターの現実味や、ばい菌を模した悪役を暴力で制裁することの是非等が気になる人は少ないでしょう。あくまであの世界観だからこそ許容できる「都合の良さ」なわけです。
同様に、自分にとっては『きみの色』が採用している色彩設計等の表現、それによる世界観構築には、「これくらいの都合の良さは許容できる」と見做せるだけの強度や意図が感じられたということになります。
再三言うように、この基準もあくまで主観的なものです。しかし、その主観的な基準をなるべく言語化する試みとして感想を配信しています。理解いただく必要はなく、「ああこういう考え方もあるんだ面白いな」と思っていただければと考えていますが、都合の良さやズルさの印象の方が強かったということであれば、力不足と受け止めたいと思います。