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子供の頃郷里土湯温泉の「向滝」に毎年お盆の頃に泊まりに来ていた大きな爺さんがいた.何時も部屋に遊びに行って足に絡んで遊んでいたらた、なんとその方が栃錦の親方の元横綱栃木山。サインをもらい、家の神棚に飾ってそれ以来「栃錦、春日野部屋」フアンで今でも変わらない!!仕事で偶然東京の料亭「栃錦」に招待を受けて昔を思い出した。
立ち合いと横綱土俵入りでのせり上がり、栃錦のすり足が美しく素晴らしい。
栃錦の大ファンだった❗仕切る時の鋭い眼光、全身に漲る闘志!最後の最後迄決して諦めない敢闘精神…。 35年だったか、全勝同士で宿敵若乃花と対戦し、栃錦は敗れた。悔しくて悔しくて当時小学生だった私は、夜も眠れず悔し涙を流したものだった。 次の場所だったか、初日から二敗した栃錦はアッサリした。現役時代の火を吐く様な敢闘の姿と、 引退する時の鮮やかな。桜の花が散る様な見事な姿だった❗なん日も連敗しながら、横綱の地位にしがみついている様なな姿は見せなかった。 有史以来継承されて来た日本大相撲の"在るべき姿”を、歴史にハッキリ刻印し、後に続く後輩達にその 進むべき方向をしてくれた不世出の大横綱だつた‼️
栃錦が、横綱時代いろいろな力士がいたので、取りあげると先ず横綱は若乃花、千代の山、朝潮、鏡里、(大関)栃光、北葉山、琴ケ浜、(関脇)(小結)は除く、(前頭)若羽黒、房錦、大内山、安念山、明武谷、出羽錦、松登、信夫山、後は思い出せない今日この頃である 何せ小生が小学生の時であるこの頃、の記憶にある力士と言えば内掛けの名人琴ケ浜、人間起重機と言われた明武谷、二メ―トル以上と言われた大内山であるその中でも一段と眼を見張るもの横綱、栃錦であろうか、あの小さい身体でいく練磨、技で勝負する姿を魅了されてしまった事だろうか
上手出し投げ東富士
栃錦は、関脇であった昭和27年秋場所に、14勝1敗の成績で初優勝を果たしました。そしてその場所直後、大関に昇格しました。更に地方巡業で、嬉しいことにわが街(山口県)にとやってきたのです。小学生の時から熱烈なファンであった私(当時中学1年生)がどれだけ喜んだか、今でも忘れることが出来ません。まだ各家庭にTVの無かった時代、専らの情報源はラジオに頼っていたのですから、憧れの新大関を眼前に見ることの出来たのは、奇跡でした。生涯一番の良き思い出です。
Pg@ 家の画面明るくしてください 画面を明るくしてください
42:23めちゃくちゃ貴重な対戦。
栃錦は、青春時代の素晴らしい力士でした。研究熱心でしぶとく諦めない精神を植え付けたものでした。画像を有り難う御座いました🎉
自分が最初に大相撲に興味を持ったのが小学3,4年頃だったと思います。栃錦関が大好きでその後、栃光、栃ノ海と春日野部屋の力士が好きで意味なく応援してました。小さい身体なのに足腰がしっかりしてたので、いつも安心して見てました。出し投げが得意で正に技のデパートでしたよ。記憶では36歳位まで現役で頑張ったと思います。なんだかんだ言っても、やはり近代相撲では、双葉山、栃錦、若乃花、大鵬だと思う。
我が家でテレビを購入したのが昭和34年。父親が相撲好きだったので、就学前でしたので朧気な記憶で栃錦みたのを覚えています。今改めて見ると栃錦も若の花も足が土俵に吸い付いているような感じ。スピードもスタミナもあり素晴らしいの相撲。黄金時代の意味が理解できました。
栃錦大鵬の取り組みは貴重
春日野理事長時代に、岐阜県恵那市明智町の日本大正村の初代議長もされ、女優の今は亡き高峰三枝子さんが村長として来られましたのが一番印象深いし、理事長をライバルの初代若乃花の二子山親方に指名しました!
「スポーツ」としては現代の方が進化しているかもしれないが「勝負への執念」という点ではこの時代の力士の方がすごい気がする。
栃錦の現役時代はさすがに知らないけど、俺の世代なら春日野理事長としての記憶があります。理事長になった時は晋松が理事長になるまでの繋ぎのつもりが14年の長きに渡り理事長を勤め理事長として還暦土俵入りも行った。爆発的な人気は勝治だったかもしれないけど、横綱としては勝治とほぼ互角。理事長としては春日野理事長の圧勝だったと思います。相談役にはなれたけど、定年目前で亡くなったため館長にはなれなかったのは残念だった。春日野前理事長の栃錦館長を少しでも見たかった。後の北の湖理事長を本気で養子にしたかったと春日野理事長は語ってたね。春日野さんの見立て通りに北の湖さん理事長になったから春日野理事長も喜んでいると思います。
私も栃錦の全盛時代まだ家はテレビが無く町で電気店に見せて貰うにはペースト〔はんだずけにつかう〕を買わなければ見れないので家のラジオで栃錦の勝負を聞くのが少年時代の唯一の楽しみでした?あの双葉山に1歩でも近づけるように精進したと語っていた?
栃錦大正生まれの最後の横綱で若乃花昭和生まれ最初の横綱、ちなみに平成生まれの横綱はまだいない、大鵬とは一回だけの対戦だったけどもっと大鵬の壁になって欲しかったが、当時36才だったから仕方がないけど、
照ノ富士、平成3年生まれ。
Üdvözlet. Mindig csodáltam a szumó birkózást. Gyönyörű küzdő sport. Én nem tudok japánul, de végig néztem, és a képek alapján képzelem el a tartalmat. Így is tetszett.
60数年前、私の英雄は、栃錦、初代若乃花でした。自宅にテレビは無く、ラジオでアナウンサーの実況中継を頼りに、頭の中で闘ってっている姿を想像して、子供心に緊張感を持たせてくれた力士は、この2人。6才の頃から遊びは、相撲と決めていた。ズボンに通したベルトを掴む為、ズボンは綻びが多く、父親にしょっちゅう怒られた。母親は既に亡く、父子家庭。よって、小学低学年から糸、針を自分で使い、繕っていましたし、洗濯もタライの中で自分で洗っていました。怒られるのも嫌、友達との相撲もやめられない。隣の家でテレビを購入してからは、相撲中継が始まると、迷惑も考えず、毎日入り浸りでした。大人は、何人も観に来ていましたが、子供は私ひとりでした。中学2年迄の夢は、力士以外、考えられませんでした。小学高学年になると、人気力士の似顔絵描写でした。その影響か、体育と美術は4か5の通信簿で他は全て3,いや2に近い3だったと思う。身体は、小柄なのに中学3年の時に市の相撲大会三役相撲で横綱優勝、新聞社からの賞品や振興組合からの賞品で、持ちきれない程頂きました。生まれて初めて、山の様な賞品を頂き、誇らしげに帰宅した。栃錦、若乃花がキッカケで少年時代を楽しく過ごせました。子供の頃の英雄を70才近くになっても、この映像で蘇ります。
子供の頃に栃若に憧れ中学では相撲部に入部しました。厳しい稽古に辞めていく部員が多い中、歯を食い縛って耐える事が出来たのはやはり栃若の存在があったからだと思います。憧れの力士、目標にする力士がいたという事が本当に幸せな事だったんだなと改めて思いました。
美声の元立て呼び出し寛吉で始まるとはなんともいいですね〜!
38:20この対戦は、典型的な人情相撲であろう。八百長相撲とは違いますよ。誰もが期待して、誰もがその結果に納得する。
Tochinishiki - I'll never forget this super-hero of my childhood.
寡婦か
団塊の世代です。千代の山、鏡里は、いたかなくらいの記憶ですが、実際は栃錦、若の花から以降目に焼き付いています。以来70年ほど相撲ファンです。今の押すだけの160㎏力士の相撲はおもしろくはありません。栃若の相撲は素晴らしい迫力です。
素晴らしい、このようなスモウがこれから出る事を、のぞみます、
10回目の優勝の後の次の場所で引退...若乃花はその最後の対戦勝利を含めて少し対戦成績は悪かった。この優勝は7回目か8回目ですか?するとやはり現役としてはやはり栃錦が上だったんですかね?私は若乃花ファン、悪友達は栃錦ファン。栃錦の偉大さは分かるはずもなかった...貴重な動画有難うございました。
まわしの切り方参考になります
栃錦の退き際は見事なり
小学生の頃、栃錦が大好きで相撲ファンになり負けると悔しくて泣いた!!それからは柏戸、稀勢の里、現在は朝乃山の大ファンで応援しています
技能すごい引き際キレイ、最高横綱つです今の力士にはいない。
/ didn't know they enjoyed Sumo during WW2 enjoyed it. Thanx for the upload ! /
栃、若戦は小学生🎒でした。懐かしい
栃錦清隆。私が生まれた頃、曾祖父さんが相撲ファンで栃錦が優勝、名横綱名力士、ボロ錦と言われるくらいに練習の鬼由来で私は清隆に命名されたらしい。
その話を、通算記録保持者だった大潮親方に偶然あった時に己の名前の由来を話した。名誉なことで握手もしていただいた。白鵬、千代の富士、魁皇に抜かれるまでは通算勝利1位でした。名力士です。
51:21 俺の世代だとやっぱ、「理事長」というと春日野さんのイメージが1番強い。両国国技館を遺した功績は偉大。
昔はどんな世界でも ライバルがいたよね
相撲を見始めた時の理事長が元栃錦の春日野親方でした。
よく小兵の栃若、と言われますが栃は横綱昇進後に太り出して、130kg以上あったそうです。当時としてはけっこう重量級では?実際に横綱晩年の栃錦は太鼓腹ですし。
(横綱)栃錦、若乃花、千代の山、朝潮、鏡里、吉葉山(大関)琴ケ浜、栃光、北葉山、(関脇)(小結)は除く (前頭)出羽錦、房錦、大内山、安念山、信夫山、明武 谷、松登、若羽黒、岩風など多数二十年生まれの小生はしりえる事は以上で有る 栃錦の技師、 マムシと呼ばれ た意味が解るだろうか、それ程強かった事あの頃を思い出す懐かしい配信動画に感謝したい因みに、琴ケ浜は内掛けの名人と、明武谷は人間起重機吊り出しが得意と言われた 三根山、羽_黒山、又大内山はニメトール以上身長があった
横綱らしからぬ相撲と言われお前らに横綱の何がわかると言い放った一言が印象的。ほんとそのとうりだと思う。二枚蹴りが印象的。
お相撲さんにもっと長生きして欲しい、😢
手を付かない立合いをやり始めたのはこの人。その当人が引退後、理事長在任中に「立合いの正常化」の名で立合いの手付きを徹底させる指導をした。「マッチポンプ」そのものと言うべき。
懐かしい
大鵬は栃錦にこの一回の対戦で負けて以降対戦がない。
大鵬は関脇に昇進した時に巡業で我が町の河原でにわか土俵を作って見に行ったが昭和34~5年ごろだと思うがその頃から態度が横柄でいっぺんに嫌いになった!😂ひどいもんだったよ。😂市民も殆どファンから遠ざかってしまいました!😂止まっている旅館の3階の部屋から他の力士は窓を開けて手を振ったりとファンサービスに勤めていたが全然部屋の窓も開けず、何回も市民が大鵬コールをしたが一度も開けることはなかったことを記憶しています。😢
出羽錦さんも懐かしいなぁ。
若乃花の追っ付けてまわしを切るの横綱輪島もよくやる切り方
相撲は栃若から柏鵬時代、栃錦であり柏戸であった。
お疲れ様でした。
内掛の琴ヶ浜
霧島が決めましたね、二枚蹴り
時津風親方元横綱双葉山
長年のファンで あるが今の相撲は面白くない 肥り過ぎで 技が少ない怪我が多くサポーター姿も見苦しい 稽古で筋肉を付けた力士を育てて欲しい
朝青龍41手千代の富士39手だから40手の栃錦はその中間だ。
頭から博多までです。横綱審議委員会についてです。
栃錦 尻に出来物あとが出来て 汚かったを覚えている
双羽黒といふしこ名をせうせうださいと麿は思つてをつたが若羽黒といふ力士がゐたとは知らなかつた。
なぜ千代の山と栃錦の取組一回もない?
同門だから。栃錦は千代の山はだか、共にに所属する為取り組みは無かったのです。 しかし、稽古場でのは激しく、千代の山の猛烈な突っ張りにより、栃錦の歯はガタガタになっていた、と言う事です。
@@しきしま-v6p そうですね、わかりました、どうもありがとうございます!あのう、何年に初めて同門対戦ありますか?
@@takanohanakouji 部屋別総当たりになったのは、1960年代の半ばです。 それによって栃の海対佐田の山の同門対決が実現しました。
@@しきしま-v6p 千代の山のご子息が歯科医になられたとき、栃錦のがたがたになった歯を治療されたそうです。
今の相撲はデブの押し合いとはたき込みばかりで見る気もおこらん。栃錦のようなホントの相撲巧者が出てほしい。
相撲甚句は呼出が歌う。
子供の頃郷里土湯温泉の「向滝」に毎年お盆の頃に泊まりに来ていた大きな爺さんがいた.何時も部屋に遊びに行って足に絡んで遊んでいたらた、なんとその方が栃錦の親方の元横綱栃木山。サインをもらい、家の神棚に飾ってそれ以来「栃錦、春日野部屋」フアンで今でも変わらない!!仕事で偶然東京の料亭「栃錦」に招待を受けて昔を思い出した。
立ち合いと横綱土俵入りでのせり上がり、栃錦のすり足が美しく素晴らしい。
栃錦の大ファンだった❗仕切る時の鋭い眼光、全身に漲る闘志!最後の最後迄決して諦めない敢闘精神…。
35年だったか、全勝同士で宿敵若乃花と対戦し、栃錦は敗れた。悔しくて悔しくて当時小学生だった私は、夜も眠れず悔し涙を流したものだった。
次の場所だったか、初日から二敗した栃錦はアッサリした。現役時代の火を吐く様な敢闘の姿と、
引退する時の鮮やかな。桜の花が散る様な見事な姿だった❗なん日も連敗しながら、横綱の地位にしがみついている様なな姿は見せなかった。
有史以来継承されて来た日本大相撲の"在るべき姿”を、歴史にハッキリ刻印し、後に続く後輩達にその
進むべき方向をしてくれた不世出の大横綱だつた‼️
栃錦が、横綱時代いろいろな力士がいたので、取りあげると先ず横綱は若乃花、千代の山、朝潮、鏡里、(大関)栃光、北葉山、琴ケ浜、(関脇)(小結)は除く、(前頭)若羽黒、
房錦、大内山、安念山、明武谷、出羽錦、松登、信夫山、後は思い出せない今日この頃である 何せ小生が小学生の時である
この頃、の記憶にある力士と言えば内掛けの名人琴ケ浜、人間起重機と言われた明武谷、二メ―トル以上と言われた大内山である
その中でも一段と眼を見張るもの横綱、栃錦であろうか、あの小さい身体でいく練磨、技で勝負する姿を魅了されてしまった事だろうか
上手出し投げ東富士
栃錦は、関脇であった昭和27年秋場所に、14勝1敗の成績で初優勝を果たしました。そしてその場所直後、大関に昇格しました。更に地方巡業で、嬉しいことにわが街(山口県)にとやってきたのです。小学生の時から熱烈なファンであった私(当時中学1年生)がどれだけ喜んだか、今でも忘れることが出来ません。まだ各家庭にTVの無かった時代、専らの情報源はラジオに頼っていたのですから、憧れの新大関を眼前に見ることの出来たのは、奇跡でした。生涯一番の良き思い出です。
Pg@ 家の画面明るくしてください 画面を明るくしてください
42:23めちゃくちゃ貴重な対戦。
栃錦は、青春時代の素晴らしい力士でした。研究熱心でしぶとく諦めない精神を植え付けたものでした。画像を有り難う御座いました🎉
自分が最初に大相撲に興味を持ったのが小学3,4年頃だったと思います。栃錦関が大好きでその後、栃光、栃ノ海と春日野部屋の力士が好きで意味なく応援してました。小さい身体なのに足腰がしっかりしてたので、いつも安心して見てました。出し投げが得意で正に技のデパートでしたよ。記憶では36歳位まで現役で頑張ったと思います。なんだかんだ言っても、やはり近代相撲では、双葉山、栃錦、若乃花、大鵬だと思う。
我が家でテレビを購入したのが昭和34年。父親が相撲好きだったので、就学前でしたので朧気な記憶で栃錦みたのを覚えています。今改めて見ると栃錦も若の花も足が土俵に吸い付いているような感じ。スピードもスタミナもあり素晴らしいの相撲。黄金時代の意味が理解できました。
栃錦大鵬の取り組みは貴重
春日野理事長時代に、岐阜県恵那市明智町の日本大正村の初代議長もされ、女優の今は亡き高峰三枝子さんが村長として来られましたのが一番印象深いし、理事長をライバルの初代若乃花の二子山親方に指名しました!
「スポーツ」としては現代の方が進化しているかもしれないが「勝負への執念」という点ではこの時代の力士の方がすごい気がする。
栃錦の現役時代はさすがに知らないけど、俺の世代なら春日野理事長としての記憶があります。理事長になった時は晋松が理事長になるまでの繋ぎのつもりが14年の長きに渡り理事長を勤め理事長として還暦土俵入りも行った。爆発的な人気は勝治だったかもしれないけど、横綱としては勝治とほぼ互角。理事長としては春日野理事長の圧勝だったと思います。
相談役にはなれたけど、定年目前で亡くなったため館長にはなれなかったのは残念だった。春日野前理事長の栃錦館長を少しでも見たかった。
後の北の湖理事長を本気で養子にしたかったと春日野理事長は語ってたね。春日野さんの見立て通りに北の湖さん理事長になったから春日野理事長も喜んでいると思います。
私も栃錦の全盛時代まだ家はテレビが無く町で電気店に見せて貰うにはペースト〔はんだずけにつかう〕を買わなければ見れないので家のラジオで栃錦の勝負を聞くのが少年時代の唯一の楽しみでした?あの双葉山に1歩でも近づけるように精進したと語っていた?
栃錦大正生まれの最後の横綱で
若乃花昭和生まれ最初の横綱、
ちなみに平成生まれの横綱はまだいない、
大鵬とは一回だけの対戦だったけど
もっと大鵬の壁になって欲しかったが、当時36才だったから仕方がないけど、
照ノ富士、平成3年生まれ。
Üdvözlet. Mindig csodáltam a szumó birkózást. Gyönyörű küzdő sport. Én nem tudok japánul, de végig néztem, és a képek alapján képzelem el a tartalmat. Így is tetszett.
60数年前、私の英雄は、栃錦、初代若乃花でした。
自宅にテレビは無く、ラジオでアナウンサーの実況中継を頼りに、頭の中で闘ってっている姿を想像して、子供心に緊張感を持たせてくれた力士は、この2人。
6才の頃から遊びは、相撲と決めていた。
ズボンに通したベルトを掴む為、ズボンは綻びが多く、父親にしょっちゅう怒られた。
母親は既に亡く、父子家庭。
よって、小学低学年から糸、針を自分で使い、繕っていましたし、洗濯もタライの中で自分で洗っていました。
怒られるのも嫌、友達との相撲もやめられない。
隣の家でテレビを購入してからは、相撲中継が始まると、迷惑も考えず、毎日入り浸りでした。
大人は、何人も観に来ていましたが、子供は私ひとりでした。
中学2年迄の夢は、力士以外、考えられませんでした。
小学高学年になると、人気力士の似顔絵描写でした。
その影響か、体育と美術は4か5の通信簿で他は全て3,いや2に近い3だったと思う。
身体は、小柄なのに中学3年の時に市の相撲大会三役相撲で横綱優勝、新聞社からの賞品や振興組合からの賞品で、持ちきれない程頂きました。
生まれて初めて、山の様な賞品を頂き、誇らしげに帰宅した。
栃錦、若乃花がキッカケで少年時代を楽しく過ごせました。
子供の頃の英雄を70才近くになっても、この映像で蘇ります。
子供の頃に栃若に憧れ中学では相撲部に入部しました。厳しい稽古に辞めていく部員が多い中、歯を食い縛って耐える事が出来たのはやはり栃若の存在があったからだと思います。
憧れの力士、目標にする力士がいたという事が本当に幸せな事だったんだなと改めて思いました。
美声の元立て呼び出し寛吉で始まるとはなんともいいですね〜!
38:20
この対戦は、典型的な人情相撲であろう。
八百長相撲とは違いますよ。
誰もが期待して、誰もがその結果に納得する。
Tochinishiki - I'll never forget this super-hero of my childhood.
寡婦か
団塊の世代です。千代の山、鏡里は、いたかなくらいの記憶ですが、実際は栃錦、若の花から以降目に焼き付いています。以来70年ほど相撲ファンです。
今の押すだけの160㎏力士の相撲はおもしろくはありません。
栃若の相撲は素晴らしい迫力です。
素晴らしい、このようなスモウがこれから出る事を、のぞみます、
10回目の優勝の後の次の場所で引退...若乃花はその最後の対戦勝利を含めて少し対戦成績は
悪かった。この優勝は7回目か8回目ですか?するとやはり現役としてはやはり栃錦が上だったん
ですかね?私は若乃花ファン、悪友達は栃錦ファン。栃錦の偉大さは分かるはずもなかった...
貴重な動画有難うございました。
まわしの切り方参考になります
栃錦の退き際は見事なり
小学生の頃、栃錦が大好きで相撲ファンになり負けると悔しくて泣いた!!
それからは柏戸、稀勢の里、現在は朝乃山の大ファンで応援しています
技能すごい引き際キレイ、最高横綱つです今の力士にはいない。
/ didn't know they enjoyed Sumo during WW2
enjoyed it. Thanx for the upload ! /
栃、若戦は小学生🎒でした。懐かしい
栃錦清隆。私が生まれた頃、曾祖父さんが相撲ファンで栃錦が優勝、名横綱名力士、ボロ錦と言われるくらいに練習の鬼由来で私は清隆に命名されたらしい。
その話を、通算記録保持者だった大潮親方に偶然あった時に己の名前の由来を話した。名誉なことで握手もしていただいた。白鵬、千代の富士、魁皇に抜かれるまでは通算勝利1位でした。名力士です。
51:21 俺の世代だとやっぱ、「理事長」というと春日野さんのイメージが1番強い。両国国技館を遺した功績は偉大。
昔はどんな世界でも ライバルがいたよね
相撲を見始めた時の理事長が元栃錦の春日野親方でした。
よく小兵の栃若、と言われますが栃は横綱昇進後に太り出して、130kg以上あったそうです。当時としてはけっこう重量級では?実際に横綱晩年の栃錦は太鼓腹ですし。
(横綱)栃錦、若乃花、千代の山、朝潮、鏡里、吉葉山
(大関)琴ケ浜、栃光、北葉山、(関脇)(小結)は除く
(前頭)出羽錦、房錦、大内山、安念山、信夫山、明武 谷、松登、若羽黒、岩風など多数二十年生まれの小生はしりえる事は以上で有る 栃錦の技師、 マムシと呼ばれ た意味が解るだろうか、それ程強かった事あの頃を思い出す懐かしい配信動画に感謝したい
因みに、琴ケ浜は内掛けの名人と、明武谷は人間起重機吊り出しが得意と言われた 三根山、羽_黒山、又大内山はニメトール以上身長があった
横綱らしからぬ相撲と言われお前らに横綱の何がわかると言い放った一言が印象的。ほんとそのとうりだと思う。二枚蹴りが印象的。
お相撲さんにもっと長生きして欲しい、😢
手を付かない立合いをやり始めたのはこの人。その当人が引退後、理事長在任中に「立合いの正常化」の名で立合いの手付きを徹底させる指導をした。「マッチポンプ」そのものと言うべき。
懐かしい
大鵬は栃錦にこの一回の対戦で負けて以降対戦がない。
大鵬は関脇に昇進した時に巡業で我が町の河原でにわか土俵を作って見に行ったが昭和34~5年ごろだと思うがその頃から態度が横柄でいっぺんに嫌いになった!😂ひどいもんだったよ。😂市民も殆どファンから遠ざかってしまいました!😂止まっている旅館の3階の部屋から他の力士は窓を開けて手を振ったりとファンサービスに勤めていたが全然部屋の窓も開けず、何回も市民が大鵬コールをしたが一度も開けることはなかったことを記憶しています。😢
出羽錦さんも懐かしいなぁ。
若乃花の追っ付けてまわしを切るの横綱輪島もよくやる切り方
相撲は栃若から柏鵬時代、栃錦であり柏戸であった。
お疲れ様でした。
内掛の琴ヶ浜
霧島が決めましたね、二枚蹴り
時津風親方元横綱双葉山
長年のファンで あるが
今の相撲は面白くない
肥り過ぎで 技が少ない
怪我が多くサポーター姿も
見苦しい 稽古で筋肉を付けた力士を育てて欲しい
朝青龍41手千代の富士39手だから40手の栃錦はその中間だ。
頭から博多までです。横綱審議委員会についてです。
栃錦 尻に出来物あとが出来て 汚かったを覚えている
双羽黒といふしこ名をせうせうださいと麿は思つてをつたが若羽黒といふ力士がゐたとは知らなかつた。
なぜ千代の山と栃錦の取組一回もない?
同門だから。栃錦は千代の山はだか、共にに所属する為取り組みは無かったのです。
しかし、稽古場でのは激しく、千代の山の猛烈な突っ張りにより、栃錦の歯はガタガタになっていた、と言う事です。
@@しきしま-v6p そうですね、わかりました、どうもありがとうございます!あのう、何年に初めて同門対戦ありますか?
@@takanohanakouji 部屋別総当たりになったのは、1960年代の半ばです。 それによって栃の海対佐田の山の同門対決が実現しました。
@@しきしま-v6p 千代の山のご子息が歯科医になられたとき、栃錦のがたがたになった歯を治療されたそうです。
今の相撲はデブの押し合いとはたき込みばかりで見る気もおこらん。栃錦のようなホントの相撲巧者が出てほしい。
相撲甚句は呼出が歌う。