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今日が玉の海の命日でしたね。大ファンでした。残念ですね。あれから50年早いな。合掌
今だに元気なのが凄い。
正に本当のライバル関係だったんでしょう。素晴らしい。北の富士は玉の海が好きだと思います。玉の海が亡くなっから相撲に対する情熱がなくなったて言ってました。
琴桜と同郷ですが、自分は玉の海が大好きで堪りませんでした。盲腸手術後に亡くなったのは虎ノ門病院でしたが、後、この病院の近くで勤めていたことがあり、この病院の前を通る度に玉の海を思い出したものです。
玉の海が急死した時、北の富士が人目も憚らず号泣していた場面が忘れられません。
北の富士と玉の海の取組で、勝負がついた時にお互いに見つめ合って頷き合う場面が印象的ですね。2人は理解し合った本当のライバルだったんだと分かります。
土俵上ではライバル 土俵を降りれば親友同士だったそうでしたね。
北の富士は、典型的なハンサム顔だけど、玉の海は、母性本能をくすぶるタイプに感じます。
大鵬さんも自分の後継者は玉の海だ!と思った矢先の急死だったのかもしれない
美男力士で横綱に上り詰め、親方師匠としてもこの上ない実績。そして今は誰も何も言えないご意見番・・・。大相撲に愛された男。
北の富士は相撲エリート 現役時代は一時代を築いた名横綱 師匠としても大横綱千代の富士や後の八角理事長の北勝海を育てた名指導者 解説としても名解説者
@@カズ-h7j5i 北の富士の孫弟子千代の富士ルート:千代大海、千代丸、千代大龍、千代の国、千代鳳、千代翔馬、千代嵐、千代白鵬など北勝海ルート:北勝力、隠岐の海、北勝富士など
玉乃島関は同郷で、中学柔道部の先輩です。玉乃島関が7歳上ですので、北の富士関共々、応援してましたが急逝し大変残念でした。解説の北の富士関は大好きです。お身体大事に、厳しくも、筋の通った解説を楽しみにしております。
若貴時代から相撲を見始めた自分にとって、玉乃島といえば今の放駒親方なんですが😅、横綱はなぜ島から海に変えたんでしょうね?🤔
玉乃島関の親方が現役のとき玉の海の四股名で相撲取ってましたので、横綱になれば親方の名跡を継ぐのがしぜんな流れのようです。
玉の海の大ファンでした。小学4年生でしたが、物凄くショックだったのを覚えています。玉の海が生きていたら、その後の相撲界は大きく変わったでしょうね。玉の海が何回優勝したかわかりませんね。北の富士ももっと優勝したでしょうね。貴ノ花も玉の海を尊敬し可愛がられていたので、もっと強くなったでしょうね。
小学3年生でした。同じく、大ショックでした。蒲郡出身て事で、こちらは、浜名湖で身近に感じてましたし。後は、あなた様のおっしゃる通りです。
玉の海関と亡き大場政夫選手がツーショットで笑顔いっぱいの肩抱き合ったボクシング雑誌「ゴング」の1枚が、今でも忘れられない思い出になってる。
若き北の湖の壁になっていたかもしれないですね
素敵な動画ありがとうございました。すっかり見入ってしまいました。杉山アナのナレーション。聞き心地がホントに良くて安心してしまうのが不思議です。取り組み映像も、ついつい見てて力が入ってしまいました。中日の結びのいちばんでやってた、大鵬VS貴ノ花、北の富士VS貴ノ花の行事泣かせの一番、もう一度見てみたいですねぇ。貴ノ花の髷が土俵についたかどうかで物言いがついて軍配指し違いの一番、探してます。
北の富士、玉の海は、ライバルで同時に昇進して、二人が栃若時代みたいな名勝負を期待したが、入院した玉の海が、亡くなってしまい、北の富士さんが巡業中の関ヶ原で玉の海の訃報を知り人目もはばからず泣いて悲しんだのをテレビで見て、ライバルで親友を亡くして本当に悲しかったのだと涙が出てきた。北の富士さん、昔の良い時代のエピソードを後進の人に伝えてください。玉の海の分まで長生きして100歳まで長生きしてください。🤗
なんか人柄が、回まみえる、今の力士にない華がある、
うまいすね、のお酒の広告。中の北の富士が関ヶ原の取材の帰りに、訃報を聞いてTVでもう泣いていました。
玉の海の死は小生の人生で一つの事件です。
当時、子供ながらも相撲が好きで、偉大な大鵬さん、北の富士さん玉の海さんワクワクしてました。貴乃花さんはやはり応援してましたね。大相撲の一番いい時代だったかも知れませんね。
小学生だったが大鵬関を逆転して優勝した玉の海関が好きだった。この映像を見ると足腰が強く強かった、責任感が強く虫垂炎を散らして土俵をつとめたが無理をしなければ😣
本当に残念でした。💧
中学柔道部時代 3段を持っていたのは玉の海(玉乃島)関だけだったその強さは伝説的でした。新関脇のとき中学に凱旋されましたが、小柄ながらすごい体してましたよ!
北の富士さんカッコいい。左が硬い。マワシキルの上手い。調子の波はあったが10回優勝は凄い。玉の海が生きていたらもう少し北玉の時代が続いたのに。でもイケメンで歌も上手い。足長くカッコいいよ。プレイボーイだね。
小学校高学年のこの頃玉の海の大ファンだった。突然亡くなり、新聞の一面に貴ノ花一度も勝てずと載っていたような記憶が。ほんとに強い横綱だった。北の富士と貴ノ花戦はよく土俵際までもつれ、かばい手で決まった戦いもあり、そんなんなしやとぼやいてました。ほんとに面白い時代でした。
不世出の大横綱、玉の海。もし、生きていていれば親方になって、後進の指導に当たり、未来の逸材と呼ばれる力士達を、世に送り出していた事でしょう。
というか輪島、貴ノ花、北の湖らに対して大変な壁になっていたでしょうね、、😔。北の湖の最年少とか優勝24回もなかったろうし、昇進はもっともっと遅れていたと思います😔
仰る通り、ご存命なら幕内優勝20回以上なさったかも知れません。
まだまだ北玉時代は続いてましたね?あの亡くなる前の六場所の安定感は半端なかったですね。盲腸炎をおして大鵬の引退相撲の太刀持ちをした九日後に玉の海はこの世を去ってしまいました。もし生きていたら27歳と若く、輪島も北の湖も玉の海には中々通じなかったでしょうから、横綱昇進は遅かったでしょうかね?あの貴乃花(初代)はとうとう一度も玉の海には勝てませんでした。 玉の海が急死したことで北の富士は力が急激に落ちていきましたね。
懐かしい!
かえすがえすも玉の海の急死は角界にとって大きな痛手でした。輪島との対戦はわずか一回に終わり、北の湖との対戦も叶わないままでしたから。土俵入りもキレイでしたね。親方になってから審判員としての勇姿も見れることなく、もしかしたら理事長になってたかもしれません。
それ以前に輪島、貴ノ花、北の湖に対して大変な壁になっていたと思います。後の昇進にも大変な影響を与えてたでしょう😔北の富士と二人で君臨していたら、実際大変な重石だし、重石が一つだけと二つだったら番付一つ違ってきますからね!実際いまは三役程度の実力でも、重石がないから実力が伴わなくても大関になれてしまいますからね。重石の数というのはめちゃくちゃ重要です。少なくとも北の湖の最年少横綱とか優勝24回はなかったろうし、昇進はもっともっと後だったでしょうね
そうそう、私は玉乃島の時から応援してて玉の海は大好きな力士だった。私が16歳の頃に盲腸で(腹膜炎だったかな)入院したと聞いて盲腸手術なら大丈夫と思っていた矢先に亡くなって、・・・もう悲しくて残念で、これから全盛期を作って行くはずだったのに、悔しくてたまらなかった事を覚えています。とても印象に残る大横綱でした。
大鵬の引退相撲の為に手術を先延ばしにして無理をさせられ腹膜炎寸前まで辛抱して相撲も泣いて大鵬に花を持たせたと言う噂もあったし、何もかも独りで背負わされて誰も助けてくれなかった・・・貴ノ花(二子山親方)の「苦労して、苦労して、苦労して、死んじゃった・・・」の言葉が、今でも重くのしかかってくるなァ
私もそんな『島ちゃん』が大好きでした😢70歳のお婆さんになっちゃいましたが😅
懐かしい面々、名取り組みの数々、ありがたい動画です。😊
北の富士さんの現役時代の映像で映ってる観客や親方衆のほとんどは死んでるんだろうなと思うと感慨深い
おばあちゃんが大の玉乃島→玉の海ファンで、急死した時大泣きしてたのを思い出した・・・
こんなにも若々しくかっこいい北の富士さんを目にするとは光栄です。昔も今もかっこいい男で嬉しいです。
自身は残念ながら玉乃島関の現役時代を知らないのですが、親が、「玉乃島は強くて、品格のある横綱だった。本当にもったいない…」と言っていたので、偉大な横綱だったんだなと思います。今映像を見ても、引き締まったよい体型をしているしひきつけも強かったですね。この頃は、とにかくぶくぶく太った関取がいませんでしたよね。あんこと言われても、不自然な太り方ではなかった。
私が高2くらいだったかなァ 大関玉乃島が急に強くなってきて、見る間に横綱に昇進!というのに急死してしまったのを覚えている。北の富士はカッコ良かったね。男前で面白い相撲で楽しませてもらった。危なかった取り組みを、自分で「黄金の引き足!」などとお茶目に表現して見せたり。あ、忘れてたけど 私は大砲に憧れてよく相撲をしましたよ。この頃は男の子の遊びと言えば相撲で、体の小さかった私だけど同級生には負けなかったし真剣にやれば上級生にだって! 組んでも離れてもどっちでも来い! ああ、あの頃が懐かしくてたまらない。
昔の相撲は勝負がついた後、負けた相手に手を差し伸べている。相撲道の基本は相手に敬意を表すること。今の大相撲ではあまり見られない光景ですね😢
北の富士さんには、元気になってなんとか1日でもいいから解説に復帰して欲しい。
琴櫻めっちゃ福耳
玉ノ海関はとにかく強い印象だけが残っています。 自分は当時9歳でしたが亡くなられたと聞き喪失感は子供ながらに大きかったのを覚えています。 その後の北の湖関と自分の中ではダブって捉えていた気がします。 遊び人の粋な力士より実直な部分に魅かれて居たような気もします、、北の湖関は現役中は不人気でしたが、引退後に再評価されていたような気もします。 昭和46年前半までの白黒映像の方が鮮明で映画のようですね。
北玉時代は、短期間に終わり、激動の昭和47年を経て、大関琴櫻が横綱に昇進。琴櫻も短命横綱でしたが、次世代の時代を引き継ぐ横綱でした。引退後に、琴櫻は佐渡ヶ嶽部屋を継承され、相撲界の発展に寄与されました。琴櫻さんは、親方になってからは、スカウトマンになり、自ら将来有望な人材を発掘する為に、日本全国を飛び回りスカウトに尽力されました。確か、琴櫻さんが存命中は、関取が途切れた事は無かったはずです。稽古は、非常に厳しかったけど、所属力士のフォローもきちんとされてたから、彼を慕う弟子は大勢いました。琴ノ若、琴光喜、琴欧州などの関取を育て上げ、親方を定年直後に亡くなりました。
F1相撲&若貴キラーと呼ばれた二代目琴錦も忘れてはいけませんよ
@@stofyuki3875 分かりました、琴錦も知ってますよ。わざと外したわけではありません。例として三力士を挙げましたが、その3人以外にもいた事は知ってます。
安土桃山時代みたいな感覚だった・・・
圧倒的に玉の海強かった 特に亡くなる前1年間は 生きてたらあと10回は優勝してたね
あと元気だったら、連勝記録もどのくらい延ばせたものだろうか?
連勝記録は何とも言えないけど 弱点が限りなくなかったね😲あるとすれば身体の大きさくらいかも
でも実際は亡くなる3カ月くらい前から「盲腸炎」で体調も良くなかったようだから、手術後仮に無事に退院できても腹に力が入らず、調子を崩してどうだったかなとも思います。
それでも強かったですね 千代の富士と琴錦を足した感じでした
@@AI-wg2lb それは盛り過ぎ。せめて足して2で割りましょうね。千代の富士の2倍近く強かったら、それは人間じゃねー。
大鵬が引退して、跡継ぎ横綱の玉の海が急死。大相撲の激動の時代でした。
本当にショックでした。玉の海大好きでした。
勝昭は玉の海さんが亡くなったと聞いた時、(解説の)玉の海さんが亡くなったと思ったらしいがそれも無理はない返すがえすも残念だし惜しい
北の富士さんは、自分の親と同じくらいの歳なので、当然リアルタイムでは見てないけど、北の富士さんは、現役当時「現代っ子横綱」と言われていたそうだ。言動も遊び方も「今の若いもんは」の対象になる代表格だったみたい。引退相撲でタキシードきて自分がレコードを出した歌を唄ったのも北の富士さんが初めてだしな。
北の富士さんは集中力を持続させることが難しい性格らしい。強い時は強いが、集中力途切れると、不利な体勢から首投げに行ったり、引き技で自滅したり。
休場も多かったような。
北の富士は強いときは他を寄せ付けない強さだったけど、場所ごとのムラが大きかった、という印象。安定感は亡くなる前の玉の海の方が上だったと思う。
北の富士の、腹蔵の無い大きい器ぶりが言葉の端々に伺えますね。琴桜、新横綱になって2場所連続優勝だったですね。その後2年も経たずして引退。これからと言う時急逝してしまった玉の海。この両横綱もっと優勝回数を伸ばしていたのにと残念です。再び貴重な動画、有難うございました。
私が大相撲に興味を持ったのは、1976年春場所(1975年にも、かすかながら興味を持っていました)でしたので、あと3〜4年位早く相撲に興味を持っていれば、北の富士、琴桜、玉の海の現役時代が見れただけに、残念です😭😭😭でも動画を見ることができたことによって北の富士、玉の海、琴桜の相撲を生で見れたこと凄く嬉しかったです♥️玉の海が亡くなられる前の言葉、感動を呼びました😭😭7回目の優勝に向けて闘志を燃やしておりましたね😭😭😭北の富士昭和47年秋場所の全勝優勝全ての相手、みんな懐かしい人ばかりでした♥️琴桜の横綱昇進の伝達式も印象に残りました♥️2年後位に2代目琴桜の横綱昇進伝達式が見れることを望みます♥️2代目琴桜、まだおとなしい感じが、します。初代琴桜の様に闘志を表に出し、初優勝できること望みます。天国で、初代琴桜が側から北の富士さんも、2代目琴桜を応援📣しておりますよ♥️素晴らしい貴重な動画ありがとうございます♥️
貴重な画像を有難うございます。この時代の立ち合いは両手をつかずかなりアバウトな立ち合いでした。
それが今となっちゃきちんと下ろさないと不成立。変わったねぇ😅😅
@@昭和の大相撲大好き それそれ。この立ち合いを作ったのが、先代若乃花。この立ち合いになってから、弱い力士が強い力士とやる時の立ち合いでの微妙なやり取りができなくなった。今の力士は、デブで相撲も下手なのばかりで面白くない。何故、先代若乃花はこんなことをしたのか理解できない。力の劣る力士が強い力士と同じタイミングで立ち会うのならほぼ勝ち目はない。まぁ、今は悲惨で横綱になれる力士もいなく、大関も問題外。優勝ラインも12勝くらいでレベルも落ち、おそらく照ノ富士の引退も近いと思う。貴景勝が横綱になることがあっても超短命に終わると思う。まわしを取られれば平幕にも勝てないような弱さ。大ピンチ。大相撲で横綱がいなくなる危機。角界が今1番焦ってる状態。まぁ焦っても誰もいないもんね。大相撲史上横綱がいない例は横綱制度ができてから1度もないらしい。
済まねぇ。先代若乃花って若乃花3人いるんだぜ??どっちのだ。2代??それとも初代??まあ初代だろうけど😂
@@昭和の大相撲大好き 初代。若貴のおじいさん。初代が理事長になって、周囲の反対を押し切って強引に作った規則です。あと、若乃花は3人共に横綱です。2代目は、めっちゃ弱かったけどね。横綱になったものの下位への取りこぼし、苦手力士が多く28歳で引退したわ。ある横綱と同じ年齢で期待されたけど、その横綱に勝てなかった。その相手とは、北の湖。しかも可哀そうに横綱になったのはよかったけど、北の湖の全盛期やったんでどうしようもなかった。
若貴のおじさんじゃね??あと若乃花が3人とも横綱なのは百も承知。2代目は勝率7割超えてるから弱くはないだろ。なんだったら3代の方が弱かったな。
この年位のお相撲さんの本当に強かったこといまの力士さんはもっと力を入れてって 私のかつてなお願いなのかな(・・? 昔の力士力強さ 本気に、、なってとは言えないが今も一生懸命頑張っておられるのだとおもいますが。。。
北の富士は波に乗ると強い。玉の海が生きていたら15回は優勝しただろう。玉の海よりはさしみはよかった。しかし上手とりがっぷりだと玉の海も負けない。玉の海が生きていたら輪島や北の海も苦戦したし琴桜は横綱にはなっていない。玉の海の死んだのは今でも悔やまれる。北の富士は10回優勝しかも全勝3回は立派だと思う。
玉の海の早死には、後の昇進事情まで大きく変えたと思います!特に輪島、貴ノ花、北の湖にとっては、大変な壁になっていたはずで、仮に後に横綱になっていたとしても、もっともっと後だったと思います!実際重石が北の富士一つなのと玉の海も居て二つなのとでは全然違います😔北の富士のモチベーションも全然違っていたでしょうからね。琴桜は横綱になれてなかった可能性大だし、北の湖の最年少横綱も優勝24回もなく、輪島北の湖時代というのがあったとしても、もっと後でごく僅かな期間になっていたと思います!
「玉の海」玉乃島時代からの大ファン豪快な投げが魅力的な力士大鵬と同じ二所ノ関部屋数年後片男波部屋に移る肩幅広くて柔らかい身体で右四つの型を持っていた大関から横綱に上がる頃は立ち会いつっぱり良しがっぷり四つ身になり吊り上げるか寄り切り万全の相撲は双葉山2世足腰柔らかくてしぶとい大鵬に逆転優勝などこれから先が楽しみだった盲腸で入院して悲報が入る「玉の海死去」は国内へ私の故郷でも玉の海の大ファンお年寄りがショックで首吊り自殺する私自身も中学2年の頃涙が止まらなかった27歳の最後だった生きていたら大相撲は大きく変わったと思います輪島.北の湖.千代の富士.が上がる少し前だったどの対戦でも楽しみなのに残念です北の湖.千代の富士.の多くの優勝は出来ないかったと言える玉の海は万全の相撲は負けない横綱と言われた離れて良し.組んで良し.万全の吊り.寄り切り残る所投げる大技.小技.身体は柔らかい八百長は認めない方なので千代の富士は難しい輪島も玉の海には難しい北の湖も若い頃は勢いだけだったので玉の海には難しい大きい存在のある横綱だったどこまで双葉山に近づくか楽しみだった大相撲の歴史の中でNO1のアクシデント玉の海死去だった
玉の海の悲劇がなければ、相撲史が実際とは全く違う展開になっていたかもしれませんね。大鵬→北の湖→千代の富士→貴乃花→朝青龍→白鵬と、一般的に大横綱と言われる人達で、大鵬と北の湖の間に数年の空白がありますが、実際に玉の海がいてもおかしくなかったし、もし存命であれば北の湖の壁になっていた可能性があります。大鵬引退→北の湖昇進、千代の富士引退→貴乃花昇進の間にそれぞれ3・4年の空白がありますが、その間は平幕優勝の乱立など混戦状態にあり、白鵬が去った今と状況が似ていますね。
そもそも貴ノ花が動画内で言っている、玉の海が千秋楽の夜でも走っていた、それは玉の海が酒を一切飲まない主義だったことによりますね。タニマチに誘われても、千秋楽のパーティーでもアルコールには一切口にしないストイックさがありました。横綱勝率は今日でも白鵬に継ぐ史上2位(八割六分七厘)、史上唯一休場しなかった横綱でもありますね。
懐かしい懐かしい
双葉山、玉の海、貴乃花が一つの流れのような気がする
昭和以降の強豪横綱といえば双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士などがよく挙がるが、玉の海が普通に現役を全うしていたら彼らを超える超強豪になったかもしれない。横綱在位10場所中9場所で優勝、優勝同点、次点を記録。昭和45年9月から翌年9月の7場所に限れば96勝9敗、勝率.914で双葉山をも抜くという驚くべき数字。
へぇ...そうでしたか...その頃の相撲、良く見て(テレビ観戦)いたはずですが、今の今まで横綱になってそんなとてつもない強さだったとは思いもしませんでした。それでは確かに超一流の横綱になっていたでしょうね。
@@hn4806 当時の相撲評論家は「北玉時代から玉の海の独走時代になる」と異口同音に語っていました。小柄でありながら反り腰の強さと右四つの型の完成度から「双葉山の再来」とすら評されていました。あと5年存命で横綱を勤めたとしたらほとんどの場所を制していたかもしれません。
肩幅広い筋肉隆々の右肩から当たって行って大鵬さんや北の富士さんとの取組勝利後の素晴らしい態度最高でした🎉恥ずかしそうにはにかんだ笑顔😇大好きでした🎉スモ女のハシリだった18歳の高校3年生でした👧忘れません😢忘れられません😢
絶対的な右四つの完成相撲!令和の玉の海を目指せ朝乃山!
大阪で生まれて蒲郡市で育った玉の海さんが亡くなられた時はショックでしたよ、いくら横綱でも体調悪くても無理しないでほしかったよ、早く亡くなられた事で多くの片方が悲しまれましたね。亡くなられて今年の10月11日でまるっと53年、まさか現役の横綱亡くなられるなんて思いもしない出来事でしたね。
タバコを吸いながら取材を受ける仕草は昭和独特ですね
この頃は立会いはほとんど誰も手を付かなかったんですね?
【貴ノ花】 29' 56"玉の海さんが神宮芸苑、走っていたんですよね。大鵬親方に負けたその夜に千秋楽の晩に飲んでたわたし、本当に恥ずかしかったですよ
玉乃島は四股名が玉の海になったころはそうとは、知らなかった時、亡くなってしまいました。派手な相撲でなく、我慢して四つに組んで寄り吊りと、相手に逆転を許さない取り組み方で、まさに双葉山の再来と思える相撲でした。(昔の双葉山の映像を見てのこと)横綱相撲とはこうだということを表現した相撲だと思いました。同世代の北の富士は派手な相撲で横綱のくせに足癖を使ったり、派手なパフォーマンスを出す相撲取りでした。私生活も同様に感じました。玉乃島は責任感の強さが寿命を縮める結果になったのがすごく残念です。
琴桜が北の富士をのど輪で押し倒した一番はテレビで見ていました。琴桜の鬼の形相は凄かった!
この時代の相撲は、おもしろかったな
玉の海の弟弟子の玉ノ富士の孫弟子に当たる玉鷲が優勝したのはきっと天国から玉の海が「お前ならできる」と力を貸してくれたおかげかもしれませんね
玉鷲は巡業の時のサービス精神とかナンバーワンです。ニコニコしているし、率先して赤ちゃんを抱っこしたり、大好きです!そういえば玉の海さんにチラリと似ているかも?
とてもロマンチックな事を書かれますね。素晴らしい文章です。
玉鷲は玉ノ富士の弟子ですよ!
私は人生において2度大きなショックを感じた 一つは由紀さおりのルームライトを聞いたとき 地球がどうにかなっちまうのかと かなり驚いた もう一つは横綱玉ノ海の現役死亡 当時 兄妹は盲腸手術済みだったけど 私は未だに持ってる 玉ノ海は横綱としての勝率がずば抜けていて まさに これからの力士だった・・・時が止まったかのような感じになった
歴史にもしもは無いが、もし玉の海が健在だったなら、輪島と北の海の大きな壁となって尚一層華やかな角界となっていた事でしょう。そして北の富士の土俵人生ももっと長いものとなっていたかもしれない。惜しい人を亡くしました。。
確かに玉の海が存命だったら北の湖、千代の富士など後に続く人達の実績など、相撲史が大きくひっくり返っていた可能性も否定できないですね。
この時代は大関清国だけが、両手を着いた立ち合いだった記憶が有ります。初代若乃花の二子山理事長時代、行司に「手を着いて!」と言わせる等、立ち合いが綺麗になりましたよね。
昭和40年代、当時の時津風理事長が立ち合いの正常化を求めた際、大横綱大鵬は疑問を呈しました。アマチュアではないのだからと…今、両手を着く立ち合いが徹底されていますが、間違いなく待った!が増えました。 お互いの呼吸で立つのが昔の相撲。 私は柏鵬時代からの好角家ですが、立ち合いの乱れは確実に今の方が多いし、その結果、シラける場面を何度も見せられるのには閉口しています。 昔の力士の立ち合いは迫力がありました!
皆さん、信じられます?猛牛・琴櫻関、あの巨体でなんとバク宙が出来たんですよっ!それを見た北の富士関「凄いよっ、山がひっくり返ったみたいだ!」これって結構有名な話だったんですよ、当時は
この時代の力士は、勝った方が負けた方の力士に手を貸して、起こしてあげる礼儀をわきまえた時代でしたね。今の様な無礼な横綱など決して居らず、気持ちの良い相撲でした。これぞ、心技体だと思います。
そう思います!
北の湖は負けた相手に手を貸さなかったけど、無礼な横綱とは思わなかったな。
その無礼な横綱は、拳銃不法所持したり警官と大立ち回りしたり八百長相撲はしませんでしたね。
@@奥田典久 説明不足ですみません。私も北の湖を無礼などと思いません。勝敗が決した後にいつまでも土俵を去らず、文句を付けたり、とても、かち上げとは言えない程の肘打ちを当てたり、勝負がついた後に明らかなダメ押しをして相手を突き落としたりした横綱の事を無礼な横綱と言いました。
曙対貴乃花の取組集をUA-camで観ることができますが、曙が優しく貴乃花を起こしてあげるシーンが印象的でした。曙は協会から立派な横綱だと評されただけあって品格抜群の横綱でした。
玉乃島関と書いたのは、当方が中学2年の時、新関脇になられた関取が、中学を訪問され講堂で全校生徒とお話をされた後、急きょ柔道場を見学されたいとの事で、柔道部員だけ同行を許されました。短い時間でしたが、目の前で見る関取は、着物の奥から想像される肉体美がすごかったと記憶しています。それから、北の富士関共々大関、横綱となられ、玉乃島関は、玉の海と改名されています。ですから、当方の想い出は、玉乃島時代の後に、玉の海時代と感じており、ついつい当時を思い出して、玉乃島関と書いてしまいました。北の富士関と玉の海関の取り組みは、大変楽しみでした。北玉時代と言われた当時、玉の海関の急逝で終わった事は残念でなりません。学年では8つ上となります。懐かしい思い出です。動画有難うございます。
いい逸話ですね。
北玉の取組みで、玉の海十分の右四つになったことはないのでは?それほど差し身の良かった北の富士!一方、常に相手十分の左四つでありながら、ほとんど五分の対戦成績に持ち込んだ玉の海の実力!素晴らしいライバルでした
玉の海さんが若くして亡くならなかったら、20近い優勝はしてたと思います!
煙草が似合いますなぁ~、ダンディな北の富士さん、お身体に御自愛下さいませ。
北の富士さん、健診とかマメにやってるんだろう。横綱に成った人の平均寿命のトップクラス!弟子の大横綱は平均位でしたから、今後も長生きして下さい。
この3人で健在なのは北の富士さんだけになってしまいました。この北の富士さんも最近、解説を長期間お休みされていて非常に心配です。来場所は新年の1月場所。是非元気になられて舞の海さんと楽しいトークを見せて下さい。
この映像の主役は北の富士さんと玉の海さんなんだが。貴ノ花さんが男前でカッコいいわ。
玉乃島が横綱になるとは思わなかった。努力の人だったのだろう。
もし玉の海が元気だったら、北の富士も優勝回数をもう少し増せたかもしれないし、玉の海も優勝記録を何回まで延ばせたものだろうか?琴櫻も横綱に、貴ノ花も大関に、輪島も横綱になれたんだろうか?北の富士さんもタバコを吸いながらのインタビューもかっこいい。今ならアウトだろうね。
北の湖さんの台頭も遅れたかもしれない
@@丘みどり-b7u 同じくですね。玉の海、北の富士が昭和51年くらいまで現役を続けていたらの話ですね。北の湖も大関止まりかな?そして2代目若乃花、三重ノ海も横綱になれていなかったかもですね。
@@和男軍司 いやいや北の湖が大関どまりなら、誰も横綱になれなくなってしまうw
@@丘みどり-b7u 北の湖の横綱昇進が遅れて最年少記録は二代目貴乃花だったでしょう。
@@奥田典久 玉の海が存命なら北の富士さんは若き日の千代の富士を玉の海の元に連れて行っていろいろと学ばせたかもしれない引退してからもライバル・親友関係は続くでしょうからウルフキラーの隆の里北勝海の同い年で千代の富士をいつも苦しめた双羽黒この2人を超えるような力士を育てたかもしれないウルフの53連勝も1045の勝ち星も31回の優勝もどうなっていたか?
北の富士さん若くカッコいい
15:46 この映像(琴桜)を、孫の琴の若(2代目)は、「お爺ちゃんのような力士になるんだ!」と意気込んだ。その祖父と孫の写真もあるしね。がんばれ!琴の若
玉の海関の横綱時代の勝率メチャクチャ高かったような気がする。
仰られた通り、玉の海関の横綱時代の通算勝率は.867(10場所…130勝20敗)と安定感抜群、エグい成績デス。
39:57 BGMカッコ良い
横綱琴櫻 孫の 将且少年現2代目琴ノ若がいよいよ大関へ そしてしこ名琴桜を襲名へ前進!!
この時代の相撲は四つ相撲が多かった、今は闘牛相撲舞の海の解説が上手いから見とれるけど、昔の相撲は解説なかっても面白い。
大鵬さんに負けた夜中に走ってもぅ翌場所に向けて努力🎉かっちょええ!それを見て猛反した貴ノ花さんもかっちょええ
北の富士の相撲雑だな笑 当時としては懐の深い体格だったのが大きいと思う。
この頃の力士はホントに強くて風格も品位もありましたね~今の薄っぺらな力士とは雲泥の差だね(笑)🙄
高校1年生の時、母が塾の迎えに来た時に橫綱玉の海が盲腸の手術後の血栓症で急死したと聞いた。悲報だった。
橫綱はもう少し太らなければ、との風評で玉の島は無理に体重を付けた。それで手術後血栓の出来やすい体質になった。医師嘉納。
仕切りで手をつかないのを当時は普通に見ていたが、今見ると全く美しくない立ち合い。
輪島、貴ノ花に1度も負けなかった玉の海は凄い。琴桜は娘さんが生まれた時の強さは無双だった。北の富士は黒姫山を攻めあぐね土俵中央でビンタをさく裂、高見山に立ち合いから腕ひねりを仕掛けたが押しつぶされ(いずれも惨敗)今の解説ぶりからは想像つかない取り口だった。
琴桜大鵬相手に張り手が凄いな!まるで貴闘力の上位互換だな笑
三者三様、完成された相撲をとる横綱。
俺は大麒麟が好きだった
玉の海が亡くなった後、相撲に興味が無くなった。大相撲の屋台骨を支えて行く人だった。
男はつらいよ寅さん
稲妻雷五郎伝稲妻が吼える 自立編・完結編 根本浩著面白いですよ。
その騒動は知らなかった
手を差し伸べて素晴らしいと思います。
35:50 その2週間後に近鉄大阪線総谷(そうだに)トンネルで忌まわしい衝突事故が・・・。
勝負あり、で相手に手を差し伸べる。取り組み後の礼も丁寧。この時代の大相撲は綺麗だった。モンゴル勢が幅をきかせてから抑えがきかなくなったな。
松方弘樹に見える。
仕切りで手をついてないので その時代の力士と手をつく仕切りに変わった後の力士の力量は比べれないな
立ち会いとか全く手を着かないし(笑)
このくらいの体格どうしのほうが面白い相撲になる。それでも大型化になるのは、大型のほうが強いからか?この時代の力士は今だったら通用しないのであろうか?
5:56
48:55 柱の奥にいる若い力士、天龍さんに似てるなぁ😅
今日が玉の海の命日でしたね。大ファンでした。残念ですね。あれから50年早いな。合掌
今だに元気なのが凄い。
正に本当のライバル関係だったんでしょう。素晴らしい。北の富士は玉の海が好きだと思います。玉の海が亡くなっから相撲に対する情熱がなくなったて言ってました。
琴桜と同郷ですが、自分は玉の海が大好きで堪りませんでした。盲腸手術後に亡くなったのは虎ノ門病院でしたが、後、この病院の近くで勤めていたことがあり、この病院の前を通る度に玉の海を思い出したものです。
玉の海が急死した時、北の富士が人目も憚らず号泣していた場面が忘れられません。
北の富士と玉の海の取組で、勝負がついた時にお互いに見つめ合って頷き合う場面が印象的ですね。
2人は理解し合った本当のライバルだったんだと分かります。
土俵上ではライバル 土俵を降りれば親友同士だったそうでしたね。
北の富士は、典型的なハンサム顔だけど、玉の海は、母性本能をくすぶるタイプに感じます。
大鵬さんも
自分の後継者は
玉の海だ!
と思った矢先の
急死だったのかもしれない
美男力士で横綱に上り詰め、親方師匠としてもこの上ない実績。そして今は誰も何も言えないご意見番・・・。
大相撲に愛された男。
北の富士は相撲エリート 現役時代は一時代を築いた名横綱 師匠としても大横綱千代の富士や後の八角理事長の北勝海を育てた名指導者 解説としても名解説者
@@カズ-h7j5i 北の富士の孫弟子
千代の富士ルート:千代大海、千代丸、千代大龍、千代の国、千代鳳、千代翔馬、千代嵐、千代白鵬など
北勝海ルート:北勝力、隠岐の海、北勝富士など
玉乃島関は同郷で、中学柔道部の先輩です。玉乃島関が7歳上ですので、北の富士関共々、応援してましたが急逝し大変残念でした。解説の北の富士関は大好きです。お身体大事に、厳しくも、筋の通った解説を楽しみにしております。
若貴時代から相撲を見始めた自分にとって、玉乃島といえば今の放駒親方なんですが😅、
横綱はなぜ島から海に変えたんでしょうね?🤔
玉乃島関の親方が現役のとき玉の海の四股名で相撲取ってましたので、横綱になれば親方の名跡を継ぐのがしぜんな流れのようです。
玉の海の大ファンでした。
小学4年生でしたが、物凄くショックだったのを覚えています。玉の海が生きていたら、その後の相撲界は大きく変わったでしょうね。玉の海が何回優勝したかわかりませんね。北の富士ももっと優勝したでしょうね。貴ノ花も玉の海を尊敬し可愛がられていたので、もっと強くなったでしょうね。
小学3年生でした。同じく、大ショックでした。蒲郡出身て事で、こちらは、浜名湖で身近に感じてましたし。後は、あなた様のおっしゃる通りです。
玉の海関と亡き大場政夫選手がツーショットで笑顔いっぱいの肩抱き合った
ボクシング雑誌「ゴング」の1枚が、今でも忘れられない思い出になってる。
若き北の湖の壁になっていたかもしれないですね
素敵な動画ありがとうございました。すっかり見入ってしまいました。
杉山アナのナレーション。聞き心地がホントに良くて安心してしまうのが不思議です。
取り組み映像も、ついつい見てて力が入ってしまいました。
中日の結びのいちばんでやってた、大鵬VS貴ノ花、北の富士VS貴ノ花の行事泣かせの一番、もう一度見てみたいですねぇ。貴ノ花の髷が土俵についたかどうかで物言いがついて軍配指し違いの一番、探してます。
北の富士、玉の海は、ライバルで同時に昇進して、二人が栃若時代みたいな名勝負を期待したが、入院した玉の海が、亡くなってしまい、北の富士さんが巡業中の関ヶ原で玉の海の訃報を知り人目もはばからず泣いて悲しんだのをテレビで見て、ライバルで親友を亡くして本当に悲しかったのだと涙が出てきた。北の富士さん、昔の良い時代のエピソードを後進の人に伝えてください。玉の海の分まで長生きして100歳まで長生きしてください。🤗
なんか人柄が、回まみえる、今の力士にない華がある、
うまいすね、のお酒の広告。中の北の富士が関ヶ原の取材の帰りに、訃報を聞いてTVでもう泣いていました。
玉の海の死は小生の人生で一つの事件です。
当時、子供ながらも相撲が好きで、
偉大な大鵬さん、北の富士さん
玉の海さんワクワクしてました。
貴乃花さんはやはり応援してましたね。
大相撲の一番いい時代だったかも知れませんね。
小学生だったが大鵬関を逆転して優勝した玉の海関が好きだった。この映像を見ると足腰が強く強かった、責任感が強く虫垂炎を散らして土俵をつとめたが無理をしなければ😣
本当に残念でした。💧
中学柔道部時代 3段を持っていたのは玉の海(玉乃島)関だけだったその強さは伝説的でした。新関脇のとき中学に凱旋されましたが、小柄ながらすごい体してましたよ!
北の富士さんカッコいい。左が硬い。マワシキルの上手い。調子の波はあったが10回優勝は凄い。玉の海が生きていたらもう少し北玉の時代が続いたのに。でもイケメンで歌も上手い。足長くカッコいいよ。プレイボーイだね。
小学校高学年のこの頃玉の海の大ファンだった。突然亡くなり、新聞の一面に貴ノ花一度も勝てずと載っていたような記憶が。ほんとに強い横綱だった。
北の富士と貴ノ花戦はよく土俵際までもつれ、かばい手で決まった戦いもあり、そんなんなしやとぼやいてました。ほんとに面白い時代でした。
不世出の大横綱、玉の海。もし、生きていていれば親方になって、後進の指導に当たり、未来の逸材と呼ばれる力士達を、世に送り出していた事でしょう。
というか輪島、貴ノ花、北の湖らに対して大変な壁になっていたでしょうね、、😔。北の湖の最年少とか優勝24回もなかったろうし、昇進はもっともっと遅れていたと思います😔
仰る通り、ご存命なら幕内優勝20回以上なさったかも知れません。
まだまだ北玉時代は続いてましたね?あの亡くなる前の六場所の安定感は半端なかったですね。盲腸炎をおして大鵬の引退相撲の太刀持ちをした九日後に玉の海はこの世を去ってしまいました。もし生きていたら27歳と若く、輪島も北の湖も玉の海には中々通じなかったでしょうから、横綱昇進は遅かったでしょうかね?あの貴乃花(初代)はとうとう一度も玉の海には勝てませんでした。 玉の海が急死したことで北の富士は力が急激に落ちていきましたね。
懐かしい!
かえすがえすも玉の海の急死は角界にとって大きな痛手でした。輪島との対戦はわずか一回に終わり、北の湖との対戦も叶わないままでしたから。土俵入りもキレイでしたね。親方になってから審判員としての勇姿も見れることなく、もしかしたら理事長になってたかもしれません。
それ以前に輪島、貴ノ花、北の湖に対して大変な壁になっていたと思います。後の昇進にも大変な影響を与えてたでしょう😔北の富士と二人で君臨していたら、実際大変な重石だし、重石が一つだけと二つだったら番付一つ違ってきますからね!実際いまは三役程度の実力でも、重石がないから実力が伴わなくても大関になれてしまいますからね。重石の数というのはめちゃくちゃ重要です。少なくとも北の湖の最年少横綱とか優勝24回はなかったろうし、昇進はもっともっと後だったでしょうね
そうそう、私は玉乃島の時から応援してて玉の海は大好きな力士だった。私が16歳の頃に盲腸で(腹膜炎だったかな)入院したと聞いて盲腸手術なら大丈夫と思っていた矢先に亡くなって、・・・もう悲しくて残念で、これから全盛期を作って行くはずだったのに、悔しくてたまらなかった事を覚えています。とても印象に残る大横綱でした。
大鵬の引退相撲の為に手術を先延ばしにして無理をさせられ腹膜炎寸前まで辛抱して
相撲も泣いて大鵬に花を持たせたと言う噂もあったし、何もかも独りで背負わされて
誰も助けてくれなかった・・・貴ノ花(二子山親方)の「苦労して、苦労して、苦労して、死んじゃった・・・」の言葉が、今でも重くのしかかってくるなァ
私も
そんな『島ちゃん』が大好きでした😢
70歳のお婆さんになっちゃいましたが😅
懐かしい面々、名取り組みの数々、ありがたい動画です。😊
北の富士さんの現役時代の映像で映ってる観客や親方衆のほとんどは死んでるんだろうなと思うと感慨深い
おばあちゃんが大の玉乃島→玉の海ファンで、急死した時大泣きしてたのを思い出した・・・
こんなにも若々しくかっこいい北の富士さんを目にするとは光栄です。昔も今もかっこいい男で嬉しいです。
自身は残念ながら玉乃島関の現役時代を
知らないのですが、親が、
「玉乃島は強くて、品格のある横綱だった。
本当にもったいない…」と言っていたので、
偉大な横綱だったんだなと思います。
今映像を見ても、引き締まったよい体型をしているし
ひきつけも強かったですね。
この頃は、とにかくぶくぶく太った関取が
いませんでしたよね。
あんこと言われても、不自然な太り方ではなかった。
私が高2くらいだったかなァ 大関玉乃島が急に強くなってきて、見る間に横綱に昇進!
というのに急死してしまったのを覚えている。
北の富士はカッコ良かったね。男前で面白い相撲で楽しませてもらった。危なかった取り組みを、自分で「黄金の引き足!」などとお茶目に表現して見せたり。
あ、忘れてたけど 私は大砲に憧れてよく相撲をしましたよ。この頃は男の子の遊びと言えば相撲で、体の小さかった私だけど同級生には負けなかったし真剣にやれば上級生にだって! 組んでも離れてもどっちでも来い! ああ、あの頃が懐かしくてたまらない。
昔の相撲は勝負がついた後、負けた相手に手を差し伸べている。相撲道の基本は相手に敬意を表すること。今の大相撲ではあまり見られない光景ですね😢
北の富士さんには、元気になってなんとか1日でもいいから解説に復帰して欲しい。
琴櫻めっちゃ福耳
玉ノ海関はとにかく強い印象だけが残っています。 自分は当時9歳でしたが亡くなられたと聞き喪失感は子供ながらに大きかったのを覚えています。 その後の北の湖関と自分の中ではダブって捉えていた気がします。 遊び人の粋な力士より実直な部分に魅かれて居たような気もします、、北の湖関は現役中は不人気でしたが、引退後に再評価されていたような気もします。 昭和46年前半までの白黒映像の方が鮮明で映画のようですね。
北玉時代は、短期間に終わり、激動の昭和47年を経て、大関琴櫻が横綱に昇進。
琴櫻も短命横綱でしたが、次世代の時代を引き継ぐ横綱でした。
引退後に、琴櫻は佐渡ヶ嶽部屋を継承され、相撲界の発展に寄与されました。
琴櫻さんは、親方になってからは、スカウトマンになり、自ら将来有望な人材を発掘する為に、日本全国を飛び回りスカウトに尽力されました。
確か、琴櫻さんが存命中は、関取が途切れた事は無かったはずです。
稽古は、非常に厳しかったけど、所属力士のフォローもきちんとされてたから、彼を慕う弟子は大勢いました。
琴ノ若、琴光喜、琴欧州などの関取を育て上げ、親方を定年直後に亡くなりました。
F1相撲&若貴キラーと呼ばれた二代目琴錦も忘れてはいけませんよ
@@stofyuki3875
分かりました、琴錦も知ってますよ。
わざと外したわけではありません。
例として三力士を挙げましたが、その3人以外にもいた事は知ってます。
安土桃山時代みたいな感覚だった・・・
圧倒的に玉の海強かった 特に亡くなる前1年間は 生きてたらあと10回は優勝してたね
あと元気だったら、連勝記録もどのくらい延ばせたものだろうか?
連勝記録は何とも言えないけど 弱点が限りなくなかったね😲あるとすれば身体の大きさくらいかも
でも実際は亡くなる3カ月くらい前から「盲腸炎」で体調も良くなかったようだから、手術後仮に無事に退院できても腹に力が入らず、調子を崩してどうだったかなとも思います。
それでも強かったですね 千代の富士と琴錦を足した感じでした
@@AI-wg2lb それは盛り過ぎ。
せめて足して2で割りましょうね。
千代の富士の2倍近く強かったら、それは人間じゃねー。
大鵬が引退して、跡継ぎ横綱の玉の海が急死。
大相撲の激動の時代でした。
本当にショックでした。玉の海大好きでした。
勝昭は玉の海さんが亡くなったと聞いた時、(解説の)玉の海さんが亡くなったと思ったらしいがそれも無理はない
返すがえすも残念だし惜しい
北の富士さんは、自分の親と同じくらいの歳なので、当然リアルタイムでは見てないけど、北の富士さんは、現役当時「現代っ子横綱」と言われていたそうだ。言動も遊び方も「今の若いもんは」の対象になる代表格だったみたい。引退相撲でタキシードきて自分がレコードを出した歌を唄ったのも北の富士さんが初めてだしな。
北の富士さんは集中力を持続させることが難しい性格らしい。強い時は強いが、集中力途切れると、不利な体勢から首投げに行ったり、引き技で自滅したり。
休場も多かったような。
北の富士は強いときは他を寄せ付けない強さだったけど、場所ごとのムラが大きかった、という印象。安定感は亡くなる前の玉の海の方が上だったと思う。
北の富士の、腹蔵の無い大きい器ぶりが言葉の端々に伺えますね。琴桜、新横綱になって2場所連続優勝だった
ですね。その後2年も経たずして引退。これからと言う時急逝してしまった玉の海。この両横綱もっと優勝回数を
伸ばしていたのにと残念です。再び貴重な動画、有難うございました。
私が大相撲に興味を持ったのは、1976年春場所(1975年にも、かすかながら興味を持っていました)でしたので、あと3〜4年位早く相撲に興味を持っていれば、北の富士、琴桜、玉の海の現役時代が見れただけに、残念です😭😭😭でも動画を見ることができたことによって北の富士、玉の海、琴桜の相撲を生で見れたこと凄く嬉しかったです♥️
玉の海が亡くなられる前の言葉、感動を呼びました😭😭7回目の優勝に向けて闘志を燃やしておりましたね😭😭😭北の富士昭和47年秋場所の全勝優勝全ての相手、みんな懐かしい人ばかりでした♥️琴桜の横綱昇進の伝達式も印象に残りました♥️2年後位に2代目琴桜の横綱昇進伝達式が見れることを望みます♥️2代目琴桜、まだおとなしい感じが、します。初代琴桜の様に闘志を表に出し、初優勝できること望みます。天国で、初代琴桜が側から北の富士さんも、2代目琴桜を応援📣しておりますよ♥️素晴らしい貴重な動画ありがとうございます♥️
貴重な画像を有難うございます。この時代の立ち合いは両手をつかずかなりアバウトな立ち合いでした。
それが今となっちゃきちんと下ろさないと不成立。変わったねぇ😅😅
@@昭和の大相撲大好き それそれ。この立ち合いを作ったのが、先代若乃花。この立ち合いになってから、弱い力士が強い力士とやる時の立ち合いでの微妙なやり取りができなくなった。今の力士は、デブで相撲も下手なのばかりで面白くない。何故、先代若乃花はこんなことをしたのか理解できない。力の劣る力士が強い力士と同じタイミングで立ち会うのならほぼ勝ち目はない。まぁ、今は悲惨で横綱になれる力士もいなく、大関も問題外。優勝ラインも12勝くらいでレベルも落ち、おそらく照ノ富士の引退も近いと思う。貴景勝が横綱になることがあっても超短命に終わると思う。まわしを取られれば平幕にも勝てないような弱さ。大ピンチ。大相撲で横綱がいなくなる危機。角界が今1番焦ってる状態。まぁ焦っても誰もいないもんね。大相撲史上横綱がいない例は横綱制度ができてから1度もないらしい。
済まねぇ。先代若乃花って若乃花3人いるんだぜ??どっちのだ。2代??それとも初代??まあ初代だろうけど😂
@@昭和の大相撲大好き 初代。若貴のおじいさん。初代が理事長になって、周囲の反対を押し切って強引に作った規則です。あと、若乃花は3人共に横綱です。2代目は、めっちゃ弱かったけどね。横綱になったものの下位への取りこぼし、苦手力士が多く28歳で引退したわ。ある横綱と同じ年齢で期待されたけど、その横綱に勝てなかった。その相手とは、北の湖。しかも可哀そうに横綱になったのはよかったけど、北の湖の全盛期やったんでどうしようもなかった。
若貴のおじさんじゃね??あと若乃花が3人とも横綱なのは百も承知。2代目は勝率7割超えてるから弱くはないだろ。なんだったら3代の方が弱かったな。
この年位のお相撲さんの本当に強かったこといまの力士さんはもっと力を入れてって 私のかつてなお願いなのかな
(・・? 昔の力士力強さ 本気に、、なってとは言えないが今も一生懸命頑張っておられるのだとおもいますが。。。
北の富士は波に乗ると強い。玉の海が生きていたら15回は優勝しただろう。玉の海よりはさしみはよかった。しかし上手とりがっぷりだと玉の海も負けない。玉の海が生きていたら輪島や北の海も苦戦したし琴桜は横綱にはなっていない。玉の海の死んだのは今でも悔やまれる。北の富士は10回優勝しかも全勝3回は立派だと思う。
玉の海の早死には、後の昇進事情まで大きく変えたと思います!特に輪島、貴ノ花、北の湖にとっては、大変な壁になっていたはずで、仮に後に横綱になっていたとしても、もっともっと後だったと思います!実際重石が北の富士一つなのと玉の海も居て二つなのとでは全然違います😔
北の富士のモチベーションも全然違っていたでしょうからね。琴桜は横綱になれてなかった可能性大だし、北の湖の最年少横綱も優勝24回もなく、輪島北の湖時代というのがあったとしても、もっと後でごく僅かな期間になっていたと思います!
「玉の海」
玉乃島時代からの大ファン
豪快な投げが魅力的な力士
大鵬と同じ二所ノ関部屋
数年後片男波部屋に移る
肩幅広くて柔らかい身体で
右四つの型を持っていた
大関から横綱に上がる頃は
立ち会いつっぱり良し
がっぷり四つ身になり
吊り上げるか寄り切り
万全の相撲は双葉山2世
足腰柔らかくてしぶとい
大鵬に逆転優勝など
これから先が楽しみだった
盲腸で入院して悲報が入る
「玉の海死去」は国内へ
私の故郷でも玉の海の大ファン
お年寄りがショックで
首吊り自殺する
私自身も中学2年の頃
涙が止まらなかった
27歳の最後だった
生きていたら大相撲は大きく
変わったと思います
輪島.北の湖.千代の富士.が
上がる少し前だった
どの対戦でも楽しみなのに
残念です
北の湖.千代の富士.の多くの
優勝は出来ないかったと言える
玉の海は万全の相撲は
負けない横綱と言われた
離れて良し.組んで良し.
万全の吊り.寄り切り
残る所投げる
大技.小技.身体は柔らかい
八百長は認めない方なので
千代の富士は難しい
輪島も玉の海には難しい
北の湖も若い頃は勢いだけ
だったので玉の海には難しい
大きい存在のある横綱だった
どこまで双葉山に近づくか
楽しみだった
大相撲の歴史の中でNO1の
アクシデント
玉の海死去だった
玉の海の悲劇がなければ、相撲史が実際とは全く違う展開になっていたかもしれませんね。
大鵬→北の湖→千代の富士→貴乃花→朝青龍→白鵬と、一般的に大横綱と言われる人達で、大鵬と北の湖の間に数年の空白がありますが、実際に玉の海がいてもおかしくなかったし、もし存命であれば北の湖の壁になっていた可能性があります。
大鵬引退→北の湖昇進、千代の富士引退→貴乃花昇進の間にそれぞれ3・4年の空白がありますが、その間は平幕優勝の乱立など混戦状態にあり、白鵬が去った今と状況が似ていますね。
そもそも貴ノ花が動画内で言っている、玉の海が千秋楽の夜でも走っていた、それは玉の海が酒を一切飲まない主義だったことによりますね。タニマチに誘われても、千秋楽のパーティーでもアルコールには一切口にしないストイックさがありました。横綱勝率は今日でも白鵬に継ぐ史上2位(八割六分七厘)、史上唯一休場しなかった横綱でもありますね。
懐かしい
懐かしい
双葉山、玉の海、貴乃花が一つの流れのような気がする
昭和以降の強豪横綱といえば双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士などがよく挙がるが、玉の海が普通に現役を全うしていたら彼らを超える超強豪になったかもしれない。横綱在位10場所中9場所で優勝、優勝同点、次点を記録。昭和45年9月から翌年9月の7場所に限れば96勝9敗、勝率.914で双葉山をも抜くという驚くべき数字。
へぇ...そうでしたか...その頃の相撲、良く見て(テレビ観戦)いたはずですが、今の今まで横綱になって
そんなとてつもない強さだったとは思いもしませんでした。それでは確かに超一流の横綱になっていた
でしょうね。
@@hn4806 当時の相撲評論家は「北玉時代から玉の海の独走時代になる」と異口同音に語っていました。小柄でありながら反り腰の強さと右四つの型の完成度から「双葉山の再来」とすら評されていました。あと5年存命で横綱を勤めたとしたらほとんどの場所を制していたかもしれません。
肩幅広い
筋肉隆々の右肩から当たって行って
大鵬さんや北の富士さんとの取組勝利後の素晴らしい態度
最高でした🎉
恥ずかしそうにはにかんだ笑顔😇大好きでした🎉
スモ女のハシリだった18歳の高校3年生でした👧
忘れません😢
忘れられません😢
絶対的な右四つの完成相撲!令和の玉の海を目指せ朝乃山!
大阪で生まれて蒲郡市で育った玉の海さんが亡くなられた時はショックでしたよ、いくら横綱でも体調悪くても無理しないでほしかったよ、早く亡くなられた事で多くの片方が悲しまれましたね。
亡くなられて今年の10月11日でまるっと53年、まさか現役の横綱亡くなられるなんて思いもしない出来事でしたね。
タバコを吸いながら取材を受ける仕草は昭和独特ですね
この頃は立会いはほとんど誰も手を付かなかったんですね?
【貴ノ花】 29' 56"
玉の海さんが神宮芸苑、走っていたんですよね。大鵬親方に負けたその夜に
千秋楽の晩に飲んでたわたし、本当に恥ずかしかったですよ
玉乃島は四股名が玉の海になったころはそうとは、知らなかった時、亡くなってしまいました。派手な相撲でなく、我慢して四つに組んで寄り吊りと、相手に逆転を許さない取り組み方で、まさに双葉山の再来と思える相撲でした。(昔の双葉山の映像を見てのこと)横綱相撲とはこうだということを表現した相撲だと思いました。同世代の北の富士は派手な相撲で横綱のくせに足癖を使ったり、派手なパフォーマンスを出す相撲取りでした。私生活も同様に感じました。玉乃島は責任感の強さが寿命を縮める結果になったのがすごく残念です。
琴桜が北の富士をのど輪で押し倒した一番はテレビで見ていました。琴桜の鬼の形相は凄かった!
この時代の相撲は、おもしろかったな
玉の海の弟弟子の玉ノ富士の孫弟子に当たる玉鷲が優勝したのはきっと天国から玉の海が「お前ならできる」と力を貸してくれたおかげかもしれませんね
玉鷲は巡業の時のサービス精神とかナンバーワンです。ニコニコしているし、率先して赤ちゃんを抱っこしたり、大好きです!そういえば玉の海さんにチラリと似ているかも?
とてもロマンチックな事を書かれますね。素晴らしい文章です。
玉鷲は玉ノ富士の弟子ですよ!
私は人生において2度大きなショックを感じた 一つは由紀さおりのルームライトを聞いたとき 地球がどうにかなっちまうのかと かなり驚いた もう一つは横綱玉ノ海の現役死亡 当時 兄妹は盲腸手術済みだったけど 私は未だに持ってる 玉ノ海は横綱としての勝率がずば抜けていて まさに これからの力士だった・・・時が止まったかのような感じになった
歴史にもしもは無いが、もし玉の海が健在だったなら、輪島と北の海の大きな壁となって尚一層華やかな角界となっていた事でしょう。
そして北の富士の土俵人生ももっと長いものとなっていたかもしれない。
惜しい人を亡くしました。。
確かに玉の海が存命だったら北の湖、千代の富士など後に続く人達の実績など、相撲史が大きくひっくり返っていた可能性も否定できないですね。
この時代は大関清国だけが、両手を着いた立ち合いだった記憶が有ります。初代若乃花の二子山理事長時代、行司に「手を着いて!」と言わせる等、立ち合いが綺麗になりましたよね。
昭和40年代、当時の時津風理事長が立ち合いの正常化を求めた際、大横綱大鵬は疑問を呈しました。
アマチュアではないのだからと…
今、両手を着く立ち合いが徹底されていますが、間違いなく待った!が増えました。 お互いの呼吸で立つのが昔の相撲。 私は柏鵬時代からの好角家ですが、立ち合いの乱れは確実に今の方が多いし、その結果、シラける場面を何度も見せられるのには閉口しています。 昔の力士の立ち合いは迫力がありました!
皆さん、信じられます?
猛牛・琴櫻関、あの巨体でなんと
バク宙が出来たんですよっ!
それを見た北の富士関
「凄いよっ、山がひっくり返ったみたいだ!」
これって結構有名な話だったんですよ、
当時は
この時代の力士は、勝った方が負けた方の力士に手を貸して、起こしてあげる礼儀をわきまえた時代でしたね。今の様な無礼な横綱など決して居らず、気持ちの良い相撲でした。これぞ、心技体だと思います。
そう思います!
北の湖は負けた相手に手を貸さなかったけど、無礼な横綱とは思わなかったな。
その無礼な横綱は、拳銃不法所持したり警官と大立ち回りしたり八百長相撲はしませんでしたね。
@@奥田典久 説明不足ですみません。私も北の湖を無礼などと思いません。
勝敗が決した後にいつまでも土俵を去らず、文句を付けたり、とても、かち上げとは言えない程の肘打ちを当てたり、勝負がついた後に明らかなダメ押しをして相手を突き落としたりした横綱の事を無礼な横綱と言いました。
曙対貴乃花の取組集をUA-camで観ることができますが、曙が優しく貴乃花を起こしてあげるシーンが印象的でした。曙は協会から立派な横綱だと評されただけあって品格抜群の横綱でした。
玉乃島関と書いたのは、当方が中学2年の時、新関脇になられた関取が、中学を訪問され講堂で全校生徒とお話をされた後、急きょ柔道場を見学されたいとの事で、柔道部員だけ同行を許されました。短い時間でしたが、目の前で見る関取は、着物の奥から想像される肉体美がすごかったと記憶しています。それから、北の富士関共々大関、横綱となられ、玉乃島関は、玉の海と改名されています。ですから、当方の想い出は、玉乃島時代の後に、玉の海時代と感じており、ついつい当時を思い出して、玉乃島関と書いてしまいました。
北の富士関と玉の海関の取り組みは、大変楽しみでした。北玉時代と言われた当時、玉の海関の急逝で終わった事は残念でなりません。
学年では8つ上となります。懐かしい思い出です。動画有難うございます。
いい逸話ですね。
北玉の取組みで、玉の海十分の右四つになったことはないのでは?
それほど差し身の良かった北の富士!
一方、常に相手十分の左四つでありながら、ほとんど五分の対戦成績に持ち込んだ玉の海の実力!
素晴らしいライバルでした
玉の海さんが若くして亡くならなかったら、20近い優勝はしてたと思います!
煙草が似合いますなぁ~、ダンディな北の富士さん、お身体に御自愛下さいませ。
北の富士さん、健診とかマメにやってるんだろう。横綱に成った人の平均寿命のトップクラス!弟子の大横綱は平均位でしたから、今後も長生きして下さい。
この3人で健在なのは北の富士さんだけになってしまいました。
この北の富士さんも最近、解説を長期間お休みされていて非常に心配です。
来場所は新年の1月場所。是非元気になられて舞の海さんと楽しいトークを見せて下さい。
この映像の主役は北の富士さんと玉の海さんなんだが。
貴ノ花さんが男前でカッコいいわ。
玉乃島が横綱になるとは思わなかった。努力の人だったのだろう。
もし玉の海が元気だったら、北の富士も優勝回数をもう少し増せたかもしれないし、玉の海も優勝記録を何回まで延ばせたものだろうか?琴櫻も横綱に、貴ノ花も大関に、輪島も横綱になれたんだろうか?
北の富士さんもタバコを吸いながらのインタビューもかっこいい。今ならアウトだろうね。
北の湖さんの台頭も遅れたかもしれない
@@丘みどり-b7u 同じくですね。玉の海、北の富士が昭和51年くらいまで現役を続けていたらの話ですね。
北の湖も大関止まりかな?そして2代目若乃花、三重ノ海も横綱になれていなかったかもですね。
@@和男軍司
いやいや北の湖が大関どまりなら、誰も横綱になれなくなってしまうw
@@丘みどり-b7u 北の湖の横綱昇進が遅れて最年少記録は二代目貴乃花だったでしょう。
@@奥田典久
玉の海が存命なら
北の富士さんは若き日の千代の富士を
玉の海の元に連れて行って
いろいろと学ばせたかもしれない
引退してからもライバル・親友関係は続くでしょうから
ウルフキラーの隆の里
北勝海の同い年で千代の富士をいつも苦しめた双羽黒
この2人を超えるような力士を育てたかもしれない
ウルフの53連勝も1045の勝ち星も31回の優勝もどうなっていたか?
北の富士さん若くカッコいい
15:46 この映像(琴桜)を、孫の琴の若(2代目)は、「お爺ちゃんのような力士になるんだ!」と意気込んだ。その祖父と孫の写真もあるしね。がんばれ!琴の若
玉の海関の横綱時代の勝率メチャクチャ高かったような気がする。
仰られた通り、玉の海関の横綱時代の通算勝率は.867(10場所…130勝20敗)と安定感抜群、エグい成績デス。
39:57 BGMカッコ良い
横綱琴櫻 孫の 将且少年現2代目琴ノ若がいよいよ大関へ そしてしこ名琴桜を襲名へ前進!!
この時代の相撲は四つ相撲が多かった、今は闘牛相撲舞の海の解説が上手いから見とれるけど、昔の相撲は解説なかっても面白い。
大鵬さんに負けた夜中に走ってもぅ翌場所に向けて努力🎉かっちょええ!それを見て猛反した貴ノ花さんもかっちょええ
北の富士の相撲雑だな笑 当時としては懐の深い体格だったのが大きいと思う。
この頃の力士はホントに強くて風格も品位もありましたね~今の薄っぺらな力士とは雲泥の差だね(笑)🙄
高校1年生の時、母が塾の迎えに来た時に橫綱玉の海が盲腸の手術後の血栓症で急死したと聞いた。悲報だった。
橫綱はもう少し太らなければ、との風評で玉の島は無理に体重を付けた。それで手術後血栓の出来やすい体質になった。医師嘉納。
仕切りで手をつかないのを当時は普通に見ていたが、今見ると全く美しくない立ち合い。
輪島、貴ノ花に1度も負けなかった玉の海は凄い。琴桜は娘さんが生まれた時の強さは無双だった。
北の富士は黒姫山を攻めあぐね土俵中央でビンタをさく裂、高見山に立ち合いから腕ひねりを仕掛けたが押しつぶされ(いずれも惨敗)今の解説ぶりからは想像つかない取り口だった。
琴桜大鵬相手に張り手が凄いな!まるで貴闘力の上位互換だな笑
三者三様、完成された相撲をとる横綱。
俺は大麒麟が好きだった
玉の海が亡くなった後、相撲に興味が無くなった。大相撲の屋台骨を支えて行く人だった。
男はつらいよ寅さん
稲妻雷五郎伝稲妻が吼える 自立編・完結編 根本浩著
面白いですよ。
その騒動は知らなかった
手を差し伸べて素晴らしいと思います。
35:50 その2週間後に近鉄大阪線総谷(そうだに)トンネルで忌まわしい衝突事故が・・・。
勝負あり、で相手に手を差し伸べる。取り組み後の礼も丁寧。
この時代の大相撲は綺麗だった。モンゴル勢が幅をきかせてから抑えがきかなくなったな。
松方弘樹に見える。
仕切りで手をついてないので その時代の力士と手をつく仕切りに変わった後の力士の力量は比べれないな
立ち会いとか全く手を着かないし(笑)
このくらいの体格どうしのほうが面白い相撲になる。それでも大型化になるのは、大型のほうが強いからか?この時代の力士は今だったら通用しないのであろうか?
5:56
48:55 柱の奥にいる若い力士、天龍さんに似てるなぁ😅