椰子の実 東海林太郎

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  • Опубліковано 15 вер 2024
  • 島崎藤村:作詞、大中寅二:作曲。昭和十一年。国民歌謡。冒頭の波の音は合成です。

КОМЕНТАРІ • 69

  • @fredericklin552
    @fredericklin552 Рік тому +5

    美しい詩と曲.思わず涙がこぼれそうです。

  • @iast359
    @iast359 2 місяці тому +1

    中学校の頃音楽の時間に唄った歌でしたがその現地を見て胸が熱くなります!!

  • @hemotanmama
    @hemotanmama 2 роки тому +10

    元々この歌は大好きでしたが、東海林太郎さんバージョン聴いて更に好きになりました🥰

  • @user-rz8pp2yh5u
    @user-rz8pp2yh5u 2 роки тому +13

    祖父が幼少期、寝る前に歌ってくれた曲。やっと見つけた。

  • @etsukodarani8385
    @etsukodarani8385 3 роки тому +12

    東海林太郎さんの歌い方は、日本語の一字一句が手に取るようにわかりました。不思議です。

  • @藤原孝郎
    @藤原孝郎 6 років тому +20

    美しい音楽と
    美しい歌詞です
    日本語はこんなにも美しかったのですね

  • @seishonagon9957
    @seishonagon9957 Рік тому +7

    私にとって藤村の椰子の実を歌う歌手は東海林太郎さんをおいて他にはおりません。

  • @akiraplastic5
    @akiraplastic5  12 років тому +15

    こんばんは。この動画は四年ほど前に編集したものですが、気に入っていただけたら幸いです。コメントありがとうございました。

  • @user-rm6cd4yb6c
    @user-rm6cd4yb6c 10 років тому +52

    多くの歌手がこの唱歌を歌っていますが、淡々とてらい無く歌っているにもかかわらず味わい深く聞くくことができるのは東海林太郎の人間性だと思います。上手に歌うのと、心に響く歌とはちがいますね、

    • @akiraplastic5210
      @akiraplastic5210 10 років тому +5

      こんばんは。。国民歌謡「椰子の実」を最初に吹き込んだのが東海林だったと思います。BKが音頭をとったようです。

    • @tadaaccess
      @tadaaccess 8 років тому +3

      +猪俣賢允 ほんとうにそう思います。

    • @devieasutarisia4673
      @devieasutarisia4673 2 роки тому +3

      この頃の東海林さん決して下手じゃないですよ。

  • @塚本龍三-d4h
    @塚本龍三-d4h Рік тому +4

    東海林太郎さんの歌唱からは、おだやかな海辺に立ち遥かな海線を見やる島崎藤村の着物姿が見えてくるようです。

  • @user-gw1xq1fl5e
    @user-gw1xq1fl5e Рік тому +4

    小学校のころ、国語だとおもうのですが文章だけよんだ気がします。その時に先生が唄われました。いまだに記憶に、のこっています。今日は、すんだ綺麗な歌声聴けて良かったです。

  • @TheOotai
    @TheOotai 9 років тому +34

    43歳で逝ってしまった父の好きな歌でした。
    子供の頃、お風呂場で歌ってくれました。

  • @makoto163
    @makoto163 9 років тому +13

    素晴らしいです。一発で引き込まれる。
    うつくしい、海の情景が浮かんでくるようです。

  • @michako7758
    @michako7758 5 років тому +19

    明治30年の夏に、伊良湖岬を旅した大学2年の柳田國男(当時 は、松岡國男)が浜に流れ着いた椰子の実を見つけたそうですね。東京に戻った柳田から、その話を聞いた島崎藤村が書いた詩だそうです。「海上の道」という柳田の著作に書かれているようです。
    石垣島からの「ヤシの実流し」が30年も続いているそうですよ。黒潮に乗ってどこかの浜に流れ着くのでしょうか。

  • @user-ko1oc1ry2o
    @user-ko1oc1ry2o 2 роки тому +4

    名も知らぬ遠き島より流れきた、この歌を聴いた子供の頃どんな島だろう、椰子の木も実も見た事がない子供の頃は夢一杯でした。今はハワイ旅行も簡単に行けます。

  • @iast359
    @iast359 Рік тому +3

    渥美半島の岬に近くこの詩の碑があり南方から流れ着いた椰子の実を観て島崎藤村の詩としりました。懐かしいです。東海林太郎の唄かなり古いですが素晴らしいです。

  • @tonyr9OTZo
    @tonyr9OTZo 2 роки тому +5

    1980年代生まれの自分にはなじみがなく、ずっと同報無線チャイムのオリジナル曲だと思っていました。
    原曲があったことを初めて知りました。

  • @user-gw1xq1fl5e
    @user-gw1xq1fl5e Рік тому +4

    東海林太郎さんと同じ時代の歌手のかたも唄っておられますが、私は、東海林さんの歌いかたのほうがすきです。

  • @akiraplastic5
    @akiraplastic5  12 років тому +11

    こんばんは。国民歌謡には覚えている良い歌が多くありますね。

  • @akiraplastic5
    @akiraplastic5  11 років тому +5

    こんにちは。懐かしくお聴きいただけて何よりです。この唱歌は戦後も生き続け、娘の合唱コンクールでも
    聞いたものです。コメントありがとうございました。

  • @kouhaku-tuukawa-channel
    @kouhaku-tuukawa-channel 9 років тому +21

    心が洗われるような演奏ですね・・・・
    歌詞も感動します。

  • @鳳爆黒爆
    @鳳爆黒爆 5 років тому +19

    今日は74年前の東京大空襲の日。そして明日は8年前の東日本大震災の日。
    東京大空襲の日の17時のニュースの後、この曲が流れ銃後の人々は心身共に束の間の休息を取っていた…。
    東日本大震災が起こった年、人々は滅多に経験することのない極限状態に直面していた。
    今日この日にこの曲を聴くとそのような人々の色々な思いが凝縮されているような気がして涙が出た。

    • @user-el6js9wh5z
      @user-el6js9wh5z Рік тому

      わたしも 涙が出ます。このヤシの実を 「朝鮮半島」か来ておられた方々
      ハンセン病舎で 呻吟する方々・・・重ね合わせたとき 一段と悲しみが つのります。

  • @silver7silver7
    @silver7silver7 5 років тому +7

    子供の時 家族で伊良湖岬へ行ったときに
    父が歌ってくれました
    懐かしい

  • @1999miyaginu
    @1999miyaginu 4 роки тому +13

    upありがとうございます!
    文部省唱歌だとばかり…。東海林太郎さんとは知りませんでした。
    美しい歌詞、美しい旋律…。
    「庭の千草」「われは海の子」などとともに大好きな曲です。

  • @田中守株
    @田中守株 2 роки тому +3

    同じエ段の音でも、長いか短いかで、発音が違うところ。曲の最後、「ら」を伸ばしてから「ん」を発音するところ。勉強になりました。up主さん、ありがとう。

  • @塙吉之助
    @塙吉之助 9 років тому +9

    良い歌です。

  • @hiroshihayashi2497
    @hiroshihayashi2497 11 років тому +8

    私の母の幼少期に日本を離れてこの歌を聴き日本に残してきた我が子、我が祖国を懐かしみ

  • @かわいとしまさ
    @かわいとしまさ 2 роки тому +5

    昔も昔 53年も前 高3の夏 伊良湖はビューホテルの 電気配線のアルバイトでのこと。
    遠州灘と 三河湾を一望する 山上に現場はあった。
     山上に立ち 潮風を全身に受け 海を見下ろすと ふつふつと青春の情熱がわきあがった。
    空は高く 夏の終わりを告げていた。 波間は輝いていた。この時 椰子の実の歌が 口をついて出てきた。
     歌と共に 孤独 劣等感 未熟 無力なる自分が 湧きあがった。
    その時  現代国語で学んだ 詩人 日夏耿之介の 詩の一節が 浮かびあがってきた。
    「君は今 青春のまっただ中 未開発なる 全人生を 君はもっている。
    それは 初夏の日輪のように弱いが 曲がり江で ピカピカと輝いている」と・・・。
     思えば 私は 椰子の実一つ 日夏の歌と共に 大海原へ 旅立ち そして 今の私となったのだろう。
    思えば長い長い 波間の旅であった。やがて 力尽きて 海と空の果てに溶けこむことであろう。

  • @16yoshi52
    @16yoshi52 6 років тому +12

    平成の30年2月22日ラジオ放送ではじめてしりました。まさか東海林太郎さんとは。驚きです。

  • @いろは-g5t
    @いろは-g5t 3 роки тому +2

    一人身にとって、波を枕に旅をする人生そのものやな、

  • @daihuuhukudaihuuhuku
    @daihuuhukudaihuuhuku 3 роки тому +1

    「国民歌謡」を愛して 戦中戦後を強く生きてきた人々も
    自然の流れとは言え 少なくなっていきます

  • @sawa_mental
    @sawa_mental 3 роки тому +2

    年末の歌番組で、愛知県を代表する曲として紹介されていました。

  • @Storm07YY
    @Storm07YY 6 років тому +29

    サイパン、硫黄島…
    離島で戦った英霊の方々は故郷を愛し、この唄を何度も歌ったことでしょう。
    今の日本があるのは、この日本を遠く離れ、食糧もままならない遥か島国で戦った私と同じ20歳前後の若者であった、あなた方のおかけであることを決して忘れません。
    亡き御霊に、敬礼。

  • @永山修身
    @永山修身 2 роки тому +1

    最近、沖縄の詩だと思う方が増えましたね。軽いですね。

  • @かわいとしまさ
    @かわいとしまさ 2 роки тому +4

    日夏耿之介は 老いとは 嵐の立ち去った 冬枯れの 荒涼たる風景と
    表現しました。
    若き日の 自分を思えば あり余るほどの後悔と懺悔ばかり
     もう七十余歳 時は あまりに早く過ぎ去り 友の訃報を聴き 自分の旅立ちの近きを思う
    思えば 家を出た23歳・・・独り立ちの春・・早朝が 鮮やかに思い浮かびます
    旅立つ日 母がいつまでも 見送ってくれました それを知りつつ 
    振り返ることなく 家を後にしました。故郷を出て はや50年の歳月 まさに夢そのもの 
      我が妻の 後ろ姿に 別れの日 ふと感じいる 春の夕暮れ
      感謝とは 償いきれぬ 悲しみの 裏返しかな 父母を思いて
      吾が姉の セーラー服にて 身を包み 椰子の実歌う 初夏の夕
      いつしかに 我も歌いて 古希となり 姉のすがたや 今もあざやか
      姉の夫(つま) みまかりにし 七月の 海にもどりぬ 椰子の実の如(ごと)
      一つとして 満足のいく ことはなし ただ今ある命 尊かりけり

  • @khs431228
    @khs431228 12 років тому +10

    本当に良いお声ですね。
    詩を歌詞にした歌はいくつか作られたと聞きますが、残ったのはこの歌だけですね。

  • @user-ob4qw2on6n
    @user-ob4qw2on6n 7 років тому +7

    映画 太平洋の奇跡を見たときにこの歌を初めて聴きました

    • @user-ob4qw2on6n
      @user-ob4qw2on6n 7 років тому +3

      石田未来さん太平洋の奇跡は本当にこの歌と似合いますよね

  • @masahirohayashi938
    @masahirohayashi938 8 місяців тому

    東海林太郎さんの「椰子の実」の歌い方は最後の「帰ら~~~ん」とラのアトを延ばしてンと結ぶのが東海林太郎のオリジナル歌唱です。

  • @sw-oi2sp
    @sw-oi2sp 3 роки тому +30

    59歳だが涙がでた、こんなに素晴らしい歌がある日本人に生まれて良かった。

  • @user-tr9yq6yn5e
    @user-tr9yq6yn5e 6 років тому +38

    これは太平洋戦争よりも前に作られた望郷の歌ですが
    1番と3番は太平洋戦争で南方の島々へ行った日本の兵隊たち一人ひとりの思いが被ってしまいます。そう思うと目頭が熱くなります。

    • @user-mp2xv9tz2s
      @user-mp2xv9tz2s 2 роки тому +3

      小学生の時音楽の授業で習い知りました。子供ながら、胸が痛くなりました。色々調べ今は昔、国の為に努力してくださった方に感謝で仕方ありません。

    • @あいあむジャパニーズ-p2p
      @あいあむジャパニーズ-p2p 2 роки тому +1

      本当ですね。
      目頭が熱くなりかけたところで、アイコンのせいで台無しな気分になりました。

    • @user-mp2xv9tz2s
      @user-mp2xv9tz2s 2 роки тому

      @@あいあむジャパニーズ-p2p 波平さんは戦時中の方ですよ、たぶん。でも、あのアイコンでしんみりが和らいでいいですね😇

    • @あいあむジャパニーズ-p2p
      @あいあむジャパニーズ-p2p 2 роки тому +2

      @@user-mp2xv9tz2s 1943ビルマで、私の祖父と所属していた連隊の写真を見る限り、ハゲは1人もいませんでした。
      (牟田口だけかと思う)
      唄はほっこりしました。

    • @user-mp2xv9tz2s
      @user-mp2xv9tz2s 2 роки тому +1

      @@あいあむジャパニーズ-p2p ほっこりなさってよかったです🤗 あなたのお爺様にも感謝します。お爺様を見送りなさったご家族の方にも、感謝します。

  • @hiroshihayashi2497
    @hiroshihayashi2497 11 років тому +10

    口ずさんでいたのかなーと思います. 祖父の思い出の笑顔とともに暫し懐かしい思い出に浸らせて頂きました。ありがとうございます。 分割が多すぎてすいません。

  • @tuwawa2228
    @tuwawa2228 6 років тому +3

    こんなヨキ時代もありましたね。

  • @woof348
    @woof348 10 років тому +14

    私が、20歳の時、今から約30年前に他界した母が良く唄っていました。
    フラッシュバックしてしまいました。
    一人親なのに苦労かけたなぁ。。。
    ゴメン、、、

  • @sugicrystal7224
    @sugicrystal7224 8 років тому +18

    子供の頃よく散策した伊良湖岬の恋路が浜
    潮騒と潮の香に包まれズボンの裾を捲り上げ波と戯れた。
     ふと足元を見ると椰子の実が…
    そんな記憶があったかな~
    もう60年前の遠い記憶

    • @user-dp1yy9qh9d
      @user-dp1yy9qh9d 2 роки тому

      伊良湖
      良い所ですねー、就職して車を買って最初のドライブが
      伊良湖岬灯台でしたねー。^_^

  • @kurikuri3691
    @kurikuri3691 4 роки тому +2

    実家の近所の方です

  • @hiroshihayashi2497
    @hiroshihayashi2497 11 років тому +3

    始めまして 私がまだ幼い頃、祖父に「お爺ちゃん何か歌を歌って〜」

  • @良子成田
    @良子成田 Рік тому

    渥美半島の伊良湖岬。

  • @hsmt8023
    @hsmt8023 Рік тому

    2:04

  • @kusochappy11
    @kusochappy11 8 років тому +2

    バックミュージックのヴィオロンの響きが、ヴェルレーヌの詩のようで、またいい(笑)。

  • @ごろう-m1t
    @ごろう-m1t 2 роки тому

    #

  • @--2204
    @--2204 6 років тому

    すみません自分用です。

    • @--2204
      @--2204 6 років тому

      0:30

    • @--2204
      @--2204 6 років тому

      1:18

    • @--2204
      @--2204 6 років тому

      2:09

    • @user-kw9qq1jm9r
      @user-kw9qq1jm9r 5 років тому +2

      もう、迷いはありませんか?笑