「大怪獣のあとしまつ」を語る。本当にクソ映画なのか?
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- Опубліковано 18 вер 2024
- #大怪獣のあとしまつ,#山田涼介,#三木聡
公開初日からのクソ映画認定で話題の「大怪獣のあとしまつ」
確かに人を選ぶ作風ですが、このタイミングでこの内容、
怪獣映画の歴史の間隙を縫う絶妙なバランス感覚で生み出された怪作だと感じます。
シンゴジラの二番煎じ、恋愛映画+怪獣映画パロディで静かにスベる…、
なんて展開よりはよっぽどぶっこんでくれたと思います。
気になるのは、これが製作陣の想定内だったか否か。
正統派怪獣映画しか認めないオタク、
そのツイートをネット記事の餌にするライター、
それに便乗して観る観ないを決める大衆…。
本当に「人の世はさまさまですな」と実感します。
大森一樹脚本の怪獣映画が好きな我々は言わせた頂きたい。
「あなた方はいつも、自分たちには理解できないという理由で反対するだけだ!」
(文責:ぶなしめじ)
妖怪大戦争 ガーディアンズの方が酷いと思わない奴に 邦画を語って欲しくない定期
糞映画は事実ですよね、三木監督なんぞ知らんし笑、せっかくいい題材なのにわざと外しまくってる感じ、まあ目的は庵野監督を揶揄し笑うために作りたかったらかな?
この映画を最初に観た時の感想としては、『悪ふざけの軽いナンセンスコメディー』だと思えましたが、どうしてどうして、実に真剣にふざけている、リアリティーに満ちた深い映画だと感じています。
確かにシンゴジラは面白かった。だけど、内容のリアリティーに関しては、ある意味、この映画の方が、現実の人間社会をシンゴジラよりも、リアルに描いた作品のように思えます。
私の勝手な思い込みかもしれませんが、この映画のメインテーマは、『退治された怪獣をどう後始末するか?』ではなく、災害や伝染病蔓延の際、自分の立場や欲を優先し、一向に物事を進められないどうしょうもなく醜い登場人物たちの『グダグダな対応』を表現したかったのではないのかと。そのためにも、登場人物の『空気を読めない、くだらない滑りギャグ』の連発は、必要不可欠だったのではとも考えます。
劇中の政府の対応や日常会話の一つ一つが、コロナ禍の政府与党のグダグダと変わらない印象を受けています。
役に立たないアベノマスク騒動、犬を抱いた「首相の家に帰ろう」動画、若者に媚びた「ガースーで〜す。」動画、コロナ禍の真っ最中の唐突な政権放棄、緊急事態なのになかなか国会を開かない、国民不在な総裁選挙、オリンピック直前までのゴタゴタと開催中の弁当発注廃棄問題、政治家によるパーティーや食事会問題、連日報道された失言や問題発言とその撤回謝罪記者会見など、現実の政権のグダグダは、この映画の政府と何ら変わらない印象を受けます。
多くの特撮ファンの中には、『不倫要素はいらない』『恋愛要素はいらない』『ふざけたセリフはいらない』『下ネタもいらない』『あの唐突なエンディングに納得がいかない。』『怪獣の後始末に特化したシリアスな映画のほうがいい』『そもそも、ふせえりと岩松了が邪魔だ。』などという意見が多いようですが、私はそう思いません。
不倫要素も恋愛要素も、意味のないふざけたセリフも、下品にもほどがある下ネタも、三木監督の演出の特徴でもあるスベりギャグ連発も、あの唐突なエンディングも、すべてこの作品にとって必要不可欠なファクターだと考えています。
政治家だけでなく、劇中のヒロインも、同様に欲にまみれた人間でした。恋人が突然いなくなった2年の間に、出世した同僚と結婚し、セレブな生活を手にする。しかし、再び現れた元恋人との不倫を画策。
唐突に主人公が変身し、怪獣を宇宙に持ち去るラストシーンを見て、多くの観客は『だったら最初から変身して、宇宙の持っていけば良かったのに。』と口々に言っていますが、主人公は、ラストギリギリまで地球人を信じ、地球人が力を合わせて解決することを願っていたのだと思います。しかし、怪獣の体に登り、自らを犠牲にし事態を収めようとしているその時に、唐突に爆撃を受け落下。
ついに呆れ返った主人公は、近づいてこようとするヒロインを右手で制し、もういいんだとばかりに、『希望』もろとも宇宙に帰って、地球には二度と戻らぬことを決めたという、『地球との決別シーン』だったのではないのかと推測しました。
私は、この映画を観た、特撮映画や怪獣の特別なファン以外のごく一般の映画ファンの批評を多数見ました。彼ら彼女らの中では、それほど評判が悪くないようです。
その中には、あの予告を観て、これはコメディー要素があると最初から気づいた方もいますし、それとは別に、あなたのように予告に含まれたジワジワとした『おふざけ感』に気づかずに、シンゴジラのような真面目な特撮映画だと思い込んで観に行った方の批評もありましたが、観はじめてから途中でこれはコメディー映画だなと気付き、『なるほど。こっち系の映画なのか。』と気持ちを入れ替えたら、『意外なほど、普通に面白かった』という感想をお持ちになった方もかなりいることを最近知りました。
先日、別の映画批評チャンネルに私が書いたコメントにも、このような返信が届きました。
iriking
1 時間前
私も勘違いして観に行った一人ですが、楽しめました
笑いの好みは人それぞれ。映画の好みも人それぞれ。
答えは常にひとつではないのではないでしょうか。
この映画を観て、『予告に騙された』『観たい映画ではない』『ふざけすぎ』と憤慨している特撮マニアや怪獣ファンにとって、この映画は『クソ映画』かもしれませんが、私的には、この作品は十分楽しめましたし、かなり面白かったと評価しています。
ある意味『ご都合主義のシンゴジラ』よりも大好きですし、実は深い映画だと思っています。
この映画を本当に『クソ映画』だと酷評しているのは、『ごく一部の特撮マニアや怪獣ファンだけ』だと思っています。
最後に、
ほとんどの映画批評チャンネルの主は、実際に鑑賞した作品のレビューを動画で公開していますが、批判している方の中のかなり多い割合で、自分は観ていないのに観た方の批判を元に『便乗批判』しているという、悪い傾向にあります。
ニュース記事のコメント欄やUA-cam動画を参考に、映画を全く観てもいないのに『便乗批判する』ということは、食べ物を一口も食べてもいないのに食べログやSNSの評価を参考にバッシングすることや、音楽を一度も聴いてもいないのにAmazonのカスタマーレビューを参考に酷評を書き込むのと同じことです。
そんなことが許されるわけがありませんよね。
さらに、多くの『ピントの外れた、いい加減な批判』のせいで、劇場でしっかり鑑賞した方が『面白かった』と、堂々とアピール出来ない状況はおかしな事だと思います。
批評する場合には最低限、自分の目で観て、耳で聴いて、自分の口で味わってこそ、各々が批評する権利があると考えられます。