【写真で語る】日の丸を失った日本陸軍機
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- Опубліковано 25 лип 2024
- 誤:仏領インドネシア
正:仏領インドシナです、お詫びして訂正いたします。
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00:00 Technical Air Intelligence Unit
00:46 一式戦闘機 隼
02:41 二式戦闘機 鐘馗
03:53 二式複座戦闘機 屠龍
05:18 一〇〇式司令部偵察機
06:24 三式戦闘機 飛燕
08:14 四式重爆撃機 飛龍
09:06 A-26
10:13 キ-83
11:14 四式戦闘機 疾風
12:44 五式戦闘機
VOICEVOX:春日部つむぎ
VOICEVOX:玄野武宏
VOICEVOX:雨晴はう
参考サイト
Captured Wings Wiki
captured-wings.fandom.com/wik...
Captured Aircraft Special Section
j-aircraft.com/captured/index...
大日本帝国軍 主要兵器
japanese-warship.com/
他 - Наука та технологія
複雑な気持ちと言いたいことが
たくさんあるのですが、
現在までキレイに展示してくれて
心から感謝です、ありがとう😆👍✨
四式戦「疾風」は昭和40年代アメリカより返還され「誉」エンジンも稼働状態で日本の空を飛んだが保存状態が悪く飛べなくなってしまった、何とも慙愧にたえない最後でしたね。
非常に残念なことですし、アメリカでレストアに尽力してくださった方にも失礼ですね。
他の動態保存機も、この経緯があるために見送られたり、渋られたと何かの記事で読みました。
私は疾風を70年代入間基地にて実機を見ました。当日天候不順で飛べなかったので残念でした、後日天候の良い日に行けば良かったのに、とても後悔しています、国際航空宇宙ショーだったと思います、去年鹿児島の知覧で再会しましたが、撮影禁止でした、2回とも写真に残っていないので残念で仕方ないです。
稼働状態を維持するのは、消耗した部品を交換し続けなければならないのでオリジナル度という史料的価値が下がってしまうという問題があります。零戦のように何十機も残っているなら、数機が飛行するのはいいけど、疾風のように1機しかないのなら、そのまま保存すべきという意見もあります。
飛べなくなった理由は整備の問題ではありません。飛ばすためには現代の法規にあった機器を搭載する必要と保安基準を満たさなくてはなりません。そのためオリジナルの状態を破棄して現代の機器を搭載する必要があります。オリジナルの状態で保存するか、飛ばすために当時と掛離れた状態にするかの考え方によるものです。整備保管を問うのであれば、船の科学館の二式大艇の方が問題です。コメントの内容は巷で言われていることの受け売りです。
@@user-cg4lv8pg3b 横浜『船の科学館』に展示されていた時から、野外で野晒しでしたからね😰。 現状も、同様ですから、あれでは台風や暴風で簡単に破壊されます。 貴重な技術遺産ですから、恒久的な屋内展示が必要ですよね🤔。 疾風は当初、富士重工で動態保存されていましたが。 嵐山神社に売却、録な整備もされず飛行不能になりました。 貴重な部品も盗難にあっていますね。 日本に帰還した時点で、飛行に必要な計器は当時のアメリカ製に替わっていたので。 現行の航空法規に必要な計器や機器を追加すれば飛行は可能でしょうけども。 おそらく、飛行させるには機体の強度部品(桁など)を交換しなくてはいけないでしょう。 現在、知覧に展示されている疾風は。 詳細な調査が行われており。 エンジン、機体、油圧系統、動翼操作系統は良好な状態であると診断されていますが。 飛行は考えてはいないそうです。
虜囚の無念・・・ではありますが塗装を剥がされ米軍のマークを付け銀翼を輝かせ飛翔する日本機も、モダンな雰囲気を醸し出しカッコいいとも思います。
アメリカ軍によって鹵獲された機体が何れも最高速度が更新されていますが、これは全備重量や戦闘重量ではなく
武装、弾薬未搭載、燃料も少量の低負荷状態で発揮されたものです。
アメリカ軍の調査は戦闘機と言うより飛行機としてのポテンシャルを測っていた為です。
すなわち現行の状態がMAXなのか更に伸びしろがあるのかを調べて、今後の対抗策を練る為だったのでしょう。
コメントありがとうございます。
頂いたような指摘は今後の糧になるので助かります。
@@Izuko-Camera あと燃料も日本とは違い米軍の高オクタン値の燃料を使っていたのも理由の一つですね。
素晴らしい動画や!
こういう記録を残していくだけでも、後世の人間への歴史遺産となる。
失われたものが多い戦争だったけど、残されたものは決して無駄ではなかった。
日本軍機にコード名があったとは、ありがとうございます。
7:55 Yontan Tony(読谷飛燕 Ki-61-Id)は帝国陸軍第19戦隊(その前は第55戦隊)所属機と考えられており米海兵隊VMF-322により鹵獲・整備され、1945年7月21日にチャールズ・クンツ少佐により嘉手納にて鹵獲後初飛行したとされているようです。
8:14 飛龍は、岐阜県各務原で接収された5機がアメリカに送られ、FE-2200/T2-2200からFE-2204/T2-2204の登録記号が付与されています。FEはオハイオ州ライト・フィールドに置かれた外国機評価部門に送られてきた機体に付与された記号でForeign Equipment(外国機)の意味です。外国機評価部門はのちTechnical Data Laboratoryの第2部門(T2)になり、所属機の記号ははFEからT2は変更されます。アメリカに送られた飛龍5機のうち少なくとも3機は護衛空母コア(USS Core CVE-13)に載せられ1945年11月14日に横須賀を出港しカリフォルニア州のアラメダ港に運ばれました。そこから何らかの方法でペンシルベニア州のミドルトンに運ばれ評価試験を受けています。その後ニュージャージー州ニューアークのAOAMC(Atlantic Overseas Air Material Center)で一時保管されたのち1946年中に廃棄処分となっています。8:53の写真はニューアークで撮影されたものです。ただFE-2200/T2-2200は博物館への保管計画があったようで1946年9月18日に博物館に運ばれたとの記録があるそうですが、その後の行方は不明です。
飛行可能な隼はロマンの塊
コードネームについてですが、100式司偵はLILIY、五式戦は飛燕と同じ(TONY)だったと思います。ただ、半世紀以上も前の記憶なので自信がない… 😅
五式戦はカテゴリー上トニーとなっている資料も有るが正式ではないらしい。米軍は五式戦を余り認識(評価)しておらず、つまり興味が無かっと言う事らしいです。
百式司令部偵察機はダイナーと呼ばれてました。
リリーは九十九式双発軽爆撃機(キ48)でした。
@@user-yo1so8tv8l
ご教示ありがとうございました
アクタン島で鹵獲されたゼロ戦の写真に星のマークを着けたゼロ戦を見た時は何か屈辱的な感じがしてショックだったな。
「ゼロ戦は日の丸を着けたのがゼロ戦でしょう」
日本機のプラモ買って米軍デカールや塗装したら面白そうだな
というかソ連塗装やデカールやドイツデカールや塗装したり第一次中東戦争で使用される日本軍機とかプラモでやると面白そう
というか第一次中東戦争をエリア88みたいな漫画やってほしい
そこに戦死したと思われた日本のエースが傭兵として日本機や外国機を駆る物語
輸送機上で練達の技量を発揮できずに非業の死を遂げた西沢氏が生きてメッサー109Gを乗るという設定とか
接収された後いい燃料を入れると本来の性能が出たといわれると少し寂しい。
旧日本軍機は欧米の軍用にに比べ圧倒的に少なく飛行可能となるとほんの数機しか現存しないのが悲しい
敗戦国の宿命か‥
松本零士先生の「復讐を埋めた山」に登場する米軍マークの零戦がハセガワからキット化されていますね。胴体に星マークは何とも奇妙ではあります。
胴は星、翼は日の丸、これは確かに奇妙ですね…
三式戦は整備性より生産性が悪かったと。事実 飛行第244戦隊の小林大尉の活躍する部隊の飛燕の稼働率は安定していたので。
第244戦隊の飛燕の稼働率は80%と言われていますが。 戦隊発足当初は、飛燕の稼働率の悪さに頭を抱えており。 小林戦隊長は、鍾馗、疾風を運用して稼働率100%を達成していた、87戦隊の整備将校の刈谷大尉に整備のアドバイスを求めに行っています。 優秀な整備将校の刈谷大尉でしたが。 液冷エンジンは不得手なので。 関係の深い、陸軍航空審査部で、液冷エンジンのエキスパートで技量優秀な坂井技術少尉を紹介。 坂井少尉が第244戦隊に出向して整備指導を実施、また本土であった事から。 川崎のエンジニアも召集して、稼働率向上を果たしています。 ちなみに、坂井技術少尉は、日本陸軍が中国で鹵獲した不時着P-51Bを現地まで出向き。現地の整備兵がメチャクチャに壊したモノを、現地で手作りで部品を造り出し。 修復可能な部品は修理して、完全な状態に復元する。 知識だけでなく、加工技能も優秀な技術将校でした。 このP-51Bは本土に飛行して搬入して、陸軍航空審査部で試験、データ収集の後に。 審査部のテストパイロットを勤めていた、エースパイロット黒江少佐の操縦で。 陸軍航空部隊を巡回して空戦訓練を実施しています。
戦後アメリカは接収した日本機を良質なガソリン、エンジオイル、点火プラグ等を使用してテストしたら日本軍での使用時
よりも高性能を発揮したとか。
流布する飛行機のスペックというのが信用できないんだよな。紫電改が2000馬力のはずが低速なのは出力が出てない時点での計測らしいし、米軍調査の紫電が670kmは理論値であって実測値ではないらしいし、F6Fのスペック上の最高速は大したことなさそうにみえて緊急出力は加味されてないからそれ以上に出るらしいし。
そうなると複数の報告書から推測値を出すしかないのでしょうか。
実機がないので完全な値とはいかないと思いますが…。
@@rohikimyao6832 参考までに。 紫電11型初期580㎞/h。 紫電11型(乙型)約600㎞/h。 紫電改(試作機)620~630㎞/h。 カタログ値596㎞/h。 343空のパイロットの証言 600~610㎞/h以上出ていた。 横空での雷電との比較テストによる計測で611㎞/hとのデータが残されています。 因みに、この時の雷電21型は580㎞/h程度しか出せていません。 雷電は、どうやら600㎞/hは出ない機体であったようです。 海軍公式データは587~596㎞/h、33型で606㎞/hとなっていますね。 611㎞/hのデータもありますが、これは盛った数値であった様子です😔。 雷電は振動対策でプロペラを分厚くして強度を上げる事で共振を抑えてやっと、振動が許容範囲に収まったのですが。 副作用でプロペラ効率が低下しています。 どうやらプロペラ対策後のデータが587㎞/hと想像できます。 ただ嬉しい誤算もあって、根元まで太くしたプロペラのおかげで。 上昇性能が向上していて、10000m迄の上昇時間が短縮されたとの報告もあります。
飛燕について、「調査隊、陸海軍、交戦したパイロットの評価が一致しない…」とありましたが、具体性にどのような内容であったのか、とても気になります。
TAICはF4Fより水平速度で優る以外はほとんどの面で劣っており特にP-51と比較すると大きく劣る。
操作レバーなどの配置は操作しやすく、飛行するのが楽しい機体
軍の陸海軍合同識別帳(Allied Intelligence Identification Book, Japanese Aircraft)では、重武装と良好な防弾性能を備えた素晴らしい機体
F6Fのパイロットは他の日本軍機より戦いやすかった述べる者と、速度200ノット以下で高度10,000フィート以下ならF6Fは苦戦すると述べる者、P-40NのパイロットはP-40Nに勝る機体ではないと述べる者。一方で沖縄戦では四式戦闘機や紫電よりも高評価を受けたのが飛燕だったそうです。
詳しい解説ありがとうございます。
「飛行するのが楽しい機体」
は、飛燕も日本機らしく運動性と使い勝手が良いのでしょうね。
「重武装と良好な防弾性」の重武装は解りますが、防弾性に対する高評価は日本機としては少し意外でした。
@@boo-boo1965 乗り手の好みに左右される事柄も書くんだなぁと思わせられました。
評価のバラつきはバリエーションが多いですから、一概に言えないのかもしれませんね。
@@boo-boo1965 液冷エンジンに泣かされた飛燕ですが、機体を流用し空冷エンジンに換装した5式戦も高評価されてますね。
@@Hiroshi-iv4gu高い評価を与えたのは、5式戦を配備された一部の部隊だけ。 アメリカ軍は5式戦の存在を認知してすらいません。 終戦後に、鹵獲した機体を検分して写真を撮った程度で。 飛行テストすらしていません。 日本陸軍の一部のパイロットからは大変に評判のよい機体でしたが。 あくまでも『首なし飛燕』の緊急処置であり、増産命令すら出ていません。 あくまでも陸軍の本命は『疾風』なんですよ。
誤:仏領インドネシア 正:仏領インドシナ
やっちまいました、指摘ありがとうございます。概要欄のほうで訂正させていただきます。
三式戦闘機は米軍機みたい
鹵獲された日本海軍機もみたいです。
制作中なので今しばらくお待ちを~
日本機に米軍国籍マークは似合わないネ🤔
敵国に鹵獲された機体の方が大事にされている皮肉。母国に帰っても…
なぜ屋外展示で長期間放置してしまったんでしょうね。
アメリカが塗装すると急にあか抜けて高性能機に見えて来るなぁ
これこそ「機体」だよね。
昨今のオモチャのロボット「機体」と呼ぶのには違和感があり、辟易とするものがある。
本馬に陸軍機は能無し海軍機と違いエエ飛行機ばかりやなぁ〜
欠陥機零戦は隼、振動発生装置付き雷電は鍾馗、屠竜でエエのに月光、下駄履き改造の紫電改は四式戦疾風の方がよっぽど傑作機、ホンマ海軍機は終わっとるで。
開発生産全ての足を引っ張って、輸送船護衛を軽視したので稼働率を下げる始末。
終戦を早めたかったんやろな。
隼は、艦上戦闘機として使えないからボツ。 鍾馗は確かに実用化も雷電よりスムーズであったが。 着陸速度が200㎞/hに迫る戦闘機であり、長い滑走路が必要なので。 陸軍ですら南方の島々への配備は見送っているから、日本の基地設営能力不足で運用が限られるからボツ。 飛燕も、エンジンがダメだし、実際の性能は急降下性能意外は零戦52型以下だからボツ。 陸軍の戦闘機は防弾に関しては海軍より優秀。 だが搭載機銃の威力不足は問題視されていて。 特にアメリカ陸軍のB25、B24、B17の迎撃戦では苦戦しており。 本気で『対爆撃機迎撃専用』に零戦の供与を海軍に求める直前まで行っています。 『当たらない20ミリ伝説』を未だに信じているのですね、もう少し勉強しましょう。 疾風に関しては半分正解。 戦争末期の陸海軍の航空機統一の流れの中で疾風の共用が言及されていて。 少なくとも疾風1機が海軍に貸与されています。 陸軍を誉めるだけでなく、両方の組織の長い因縁があるのでね、どちらも悪いんですよ。 でもね、最前線で同じ飛行場で作戦をする陸、海軍の地上員やパイロットは良好な関係だった話しもありますよ。 お互いの戦闘機を比べたり、隼のパイロットが零戦を『羨ましい』と言ったりね。 陸軍は確かに、後継戦闘機は実用化したけど。 1942年いっぱいは隼1型が主力で、97戦ですら戦闘機不足で運用していたのよ。 そのへんも見ないとダメよ。 海軍が零戦以降の後継機の開発計画を失敗させたのは事実。 だからと言って、運用思想の異なる陸軍の戦闘機を簡単には導入はできないのですよ。