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「他の人はもっとつらい」「他の生物は罪悪感感じながら生きてない」は励みにならない。自分がとにかく辛いんです。
人の価値。綺麗事並べてお疲れ様です。
長年精神科通いでメンタル症状の浮き沈みを繰り返し、まともに稼げず、経済的自立も出来ず、当然子や伴侶もおらず、自分の存在意義って本当にないなと思ってます。人生100年時代!なんてCMやってたりしますけど、そういうのを見るたびにこんな状態であと何十年生きなきゃいけないんだと、地獄でしかないな、としか感じません。。
希死念慮が襲って来る時、出来れば生きていたくないけれど死ぬのに十分な理由も無く、特に何か行動を起こすでもなくグダグダしています。結局生きる事にも死ぬ事にも明確な理由などありません。グダグダ悩んでも必ずそこに行きついてしまうんですよね。希死念慮の波が収まればまた適当に楽しみを見つけてぼちぼち生きて行けます。とりあえず今は月見バーガーを楽しみに生きています。
ちゃんと勉強しないといけないんですね。。私は死にたくても、どうしても死ぬ瞬間が苦しそうで痛そうで出来ないので、仕方なく生きているだけです。生まれてこないのが1番幸せ、これ以上納得する考えに会ったことがありません。
私は、あまり生きたくない。毎日、辛い。
できるだけ楽に死ぬ方法をいろいろ考えてはみましたが、後遺症のリスクや痛み苦しみを考えた結果寿命がくるまで生きるのが1番楽に死ねそうだなと思ったので、ゆるやかな自殺の途中と思って生きてます。そういうことを度外視して死を選ぶ人もたくさんいるわけなので、やはり病的ではないなと自分を見ています。私みたいな半端者は居心地のいいコミュニティがなかなか見つからないです。どうせ生きてるならなるべく楽に生きたいので、そのヒントが欲しくて見させていただいてます。いつもありがとうございます😊
何十年もの我慢を耐え続けなければならない。いずれ死ぬだけなのに。そういう考えから抜け出せません
たまたま生まれちゃっただけですし、社会のありとあらゆる競争で常にビリの人もいる。惨めだと思うのも、死なない理由を探してずるずる生きてしまうのもどっちも本能的なものだと思う。競争に勝ってる私すごい、社会の役に立ってる私すごいと思いたい人が批判してくるのも、本能的には当然だと思うけど、正しいわけではない。
僕はアスペルガーです。勉強も出来ないしスポーツも出来ません。バイトの時ミスが多いですあと仕事の優先順位も分かりません。何もかも嫌になって寝れない時もあります。何も楽しくない時もあります。今は心の片隅にあります。解決されないので本当に辛いです。
私の好きな時代小説に、失恋し、身投げしそこなって「どう生きていったらいいかわからない」と泣く女中に、「どうしたらいいかわからない時は、学問をしなさい。」と老侍が説く一説があるのですが。先生の動画を拝見して、このことか!!と初めて胸に落ちました。何か、学んでみます。ありがとうございます。
別に誰かの役に立ってなくても生きてていいんだということに気が付けました。
この病気は不運の連続でなってしまったのなら、いつかは幸運が訪れるのでしょうか?希死念慮がある自分は毎日「あぁ、死にたい」となってしまいます。毎日人生に絶望しています。いつか楽になれるといいな...。
うつ病回復中で復職しましたが、復職するということは「出来ない自分」を受け入れる必要に迫られるので、元気がある中にも希死念慮がチラつきます。そんな中、今年がんサバイバーになり、逆に気が楽になりました。命に限りがあると実感して、今までうつ病で沢山辛いことを経験した分、これから残りの人生は楽しむために生きようと思いました。本当に楽しんでいるときは、生きる意味のことは考えずに過ごしています。しんどいときは死の方へ気持ちが傾きシーソーのバランスを取ってる気分です。うっかり死なないように気をつけています。楽しいことを沢山して生きたいですね。
私が精神疾患になり10年後に母が自死し、母は何故死ぬ事を選んだのか?何故私は精神疾患になったのか?どうしたら治るのかを考え続け、ネットの無い時代から本を買ったりして精神疾患を勉強して来ました。何度も病気が酷くなり転職を繰り返し、何度も寝た切りになり、でも治ると信じ諦めず色んな事を試してきましたが、もう20年程、底辺の暮らし。今また無職で今までで1番生きる事に疲れています。何度も死にたいと思い、死ぬ方法を何度も考え、今も考えてますが、毎回死にたいけど死ねず、毎回、自殺は狂気の沙汰なんだ、私はまだ死ねないんだと思うのです。私は今、どん底で、いつ私がその狂気の沙汰になるのかと考えています。狂気の沙汰にならないのなら、目に見える病気になり余命宣告されたいです。殆ど寝たきりで何にも出来ない状態なのに、森の外に行く勇気もなく、森の中へ戻ると地獄なのに、森の外には行かないまま、また無理して働く方がいいのか?と考えたり、やっぱり死にたいと考えてたり、考えが毎日違います。生きる希望…年々無くなって、今は無いです。
これから先の事、孤独、孤独死、これから老いてくだけなのかなとか考えると希望とかないんじゃないかなとか思っちゃうんですよね。なかなか難しいです。
やはり、人間が文明化して社会が複雑化することで「なぜ生きなきゃいけないんだろう」というところまで考えやすくなるというか、追い詰められやすくなる側面もおるのではと思いました。「とりあえず食うもん困らなければOK」な立て付けの社会ならここまで考えなくても良いわけなので
皆さんのコメントを夢中で読んでしまいました みんなものすごく考えてるんですね悩むことこそ生きてる証拠ですね
自分で座禅やミャンマー式瞑想を学んで自宅で1日10分を6か月ほどやってました。人間も自然の一部で、自分を大切にすること=自然を大切にすること、という考えにたどりつきました。「自分を大切にするとはどういうことか?」についてはもっと学びが必要なようです。
死にたい、消えたい時期がありましたが病院へ行き薬物療法でなんとか前に向く事が出来ました。生きる希望は、誰かの世話をすることです。
誰かの為にしたことで、相手が助かったり喜んで貰えたならとっても嬉しいですよね!そうしていくと、自分の事を必要以上に考えなくて良くなるのかも知れませんね受けるより与える方が幸福です!って言葉もありますからね🤗生きる希望は、誰かの世話をする素敵な言葉です🎵
@@MochaSPZ 私の場合、近所の一人暮しのお年寄りのサポート。親しくなれば、シンドクなる事もありました。主治医に注意されました。距離が難しいですね。そして、ペットの世話です。癒やされます。この子たちを置いてはしねません。
益田裕介さん曰く「自分は社会、世界の一部であり、たまたま不運によってこういう病気がもたらされたかもしれないけれど、それにも何か意味があるんだ、そしてそれは誰かのためになっているんだということがわかる」これを認識することは、大切なことでしょうね。
益田先生色々なことが重なり、不幸な人生に絶望していました。この動画を見て、不幸ではなく不運が続いて体や心の不調をきたすのだと知りました。言葉一つですが「不幸」は永遠に続くような気持になり、「不運」はたまたまそうなってしまっただけで、回復できる気持にさせてくれます。周りと比べて自分の不幸を嘆いて生きてきましたが、森の外で自分の不運について価値観について考えるきっかけを頂きました。ありがとうございます。
このテーマの動画ありがとうございます。若い時は、生命力もあり感動したり泣いたり笑ったりできていました。精神疾患にもなりましたが、その中で希望を持つ事もできていました。(死にたいエネルギーも強かったですが)今は年を取り夢も希望も持つことができなくなりました。理由の一つに感動したりすることがなくなったからと思いました。だから、希望をもつこともできないのかなと動画を見て気づきました。今は、身体も不自由になり人のためにはなれませんが、小さな感動を積み重ねて生きていきたいと思います。ありがとうございました。
衝動的に死のうかと思ってしまうことがありますでも子供達がいるから死んではダメ生きれるだけ生きようでも生きてるのしんどい人と関わりたくない傷つきたくない、でもでもだっての自分なんか大嫌い消えてしまえその繰り返しの日々です
私は、医療と福祉に助けられて本当に幸せです。生きづらい学生時代はツラかったけど、みんなと同じように振る舞えなくても生きている価値はある。ツラいことは助けてもらえばいい。医療と福祉は、そういう人たちのためにある。時々、死にたいと思うけど、そんなときは益田先生の話を思い出して「死にたいと思うくらい、私、今ツラい」と言い直しています。
絶望です→絶望ではないですね病気で死んでしまう人が羨ましい→そんなこと考えてるのは今だけですよ…何度か主治医先生に言ってみた時の答えです。知りたいのは、「死んでしまうくらいなら何でも出来る」と本気で思っていた思考に戻ることはあるのかどうかです。もう戻れないのかなぁ。。
分からないことに対し人に聞くという方法はある程度有用であり、哲学や心理学、宗教といった分野の歴史から学べることは少なからずあると思います。やはり趣味を見つけるというのは人生の価値を高めようとする上で役立つのではないでしょうか。
遺伝子+環境ストレス→不運。ビンゴで辛い。人生で幸せだった年がない…。
益田先生の理解しようとしてくれている姿勢を見ていて涙が出て来ました。生きる意味や希望が見出せず、下向きに過ごす日々の中で、この話題に触れてくださっただげでも感謝の気持ちでいっぱいです😢
終盤で言われている、何事にも訓練が必要、生きることにも それが言える、という内容に、この抽象的な問題の 答えのようなものを感じました。自分では思いもつかない考え方に、何か希望めいたものを感じています。
社会の一部になれることや関われることに意味があるとか、そこに生きる希望みたいなものがあるとか、それを言われること自体が価値観の押し付けだなと感じてしまう。もちろんそれで救われる人も多いのかもしれないけど、100%じゃないというか、少なくとも自分は普段死にたいとか思ってないけど主治医に「社会と関わりを持って」と言われると急に、言ってしまえば死にたいくらい気分が落ち込みます。先生の言う「不運」の連続だったトラウマだらけの社会に、どうして戻らなきゃいけないのか、せっかく少し調子が上向いてきたのに、それを捨ててまたあのズタボロ状態に戻れというのか、そんな気分になる。(そういう意図で言ってないというのはわかるけども)自分はこれで満足と思って、実際に調子も良いから今より上の段階へ進む話をされるのだろうけど、これでいいって言ってるじゃん…とモヤモヤしちゃいますね。主治医とうまく話せてないだけの可能性もあるけど、そもそも社会に対する信頼感や自分にとっての重要度…価値観が違うんだろうなと思ってしまう。なぜなら経験が違うから。別個の人間だから。それもまた病気と捉えられてしまうのか?と思い至って、もう診察室では自分の価値観なんて話す術無しだなと絶望したりするし、どこまでが自分の価値観でどこからが病気と見られるのかわからなくなりますね。細細とひとりで生きていたいだけなんだけどなあ。それがそれなりに楽しいし安心感もあるのだけどダメなのかなあ。
生きる意味を問うってすごく残酷なことだと思うよ。それを自分自身に毎日のようにやってたらそれはもう拷問だよね。成功者やいま幸せそうな人に生きる意味を問うたら、それっぽい回答が帰ってくる。いまが苦しい人にそれを問うたら、言葉に詰まるのは当たり前。結局は生きる意味なんてその人自身の内に見出した妄想に過ぎないと思うけど、苦しいときにそんな呑気な妄想なんてしていられないよ。フランクルはユダヤ人収容所でそれをやってのけたけど、それは彼の日頃の勉強と研究の賜物だよね。生きる意味に悩んだら勉強しろは一理あると思う。
先生いつもお世話になっております。私は調剤薬局で働く2年目の薬剤師です。精神系のお薬を使う方へどう話したりお手伝いできるか日々悶々としています。ぜひ先生が薬剤師にこれしてくれたらいいね等改めて教えて欲しいです!
おはようございます。いつも、動画拝見しています。現在精神科に通院して、抗不安薬、睡眠導入剤を処方してもらってます。毎日起きたら憂鬱で死にたいと思ってしまいます。でも動画を見続けてたら、日々動画を配信し続けていらっしゃることに勇気もらいました。あきらめず、どんな小さなことにも、偏らず感動して楽しむ心を育てていく練習を、私も日々重ねていきたいです。カメより遅い歩みですが、動画見ながら、共に歩みます。いつもありがとうございます。
益田先生、おはようございます。私は怪我、病気や原因不明な痛みで毎日毎日苦痛なのです。仕事もできない。この痛みが無くならないから…肉体が無ければ痛くないのに。死して肉体が無ければって思っています。
生きるのって向き不向きありますよね。
こんばんは。先生の不運についての話を聞いて、数十年通院していても寛解しない理由が分かった気がします。症状が良くなる時は、リアルな人間関係が上手くいっている時なので 人間関係って大事だな…と思います。
私には時々、希死念慮が強くおそってくる事があるのですが、先生のお話を思い出して前を向いて生きて行こうと思います。
私にとっては芸術がそれを昇華する唯一のものではと思います。死に憧れる人がいる一方、大抵の芸術家や名を成したい人にとっては人生は短すぎて作品を作り上げられないと思う。この芸と医術というものがラテン語では同じものだったらしいのですが。医療や福祉、例えば障害のある子が生きている限りは生きていたい親、難病を解決したい医術者など芸術と同じだと思います。また、死に関連があるのは死だけ、という言葉があります。考えても生きている者には分からないからです。これはジャンコクトーの言葉です。生にそもそも属する我々はあと一日あと一日しかないです。
生きてるだけでいいんですよ。希望はなくてもいいんですよ。生まれてきたのは、自分のせいではないので、自分をいじめてはいけません。たま~にいいこともありますから。
先生、素晴らしい解説ありがとうございます!涙が溢れました。不運の連続だった私が、今も悩みながら生きてますが、そこに何らかの意味があって、後世に繋げられること、解釈の仕方でまったく違ってきますね。感じる視点を変えなければと思わせて頂きました。今後も楽しみにしています。感謝です。
生きる希望というか、生きる意味をずっと探していました。ある人が「生きる意味なんてないですよ。だってもし生きる意味が見つかったとして、途中でそれを失ったら死ななきゃいけなくなるじゃないですか?生きる意味なんてないです。ない方がいいですよそんなの。死ぬのは痛いから生きてる。明日これやんなきゃなーと考えながら寝る。嫌な事あってわんわん泣いていつのまにか寝て次の日になってる。来月の楽しみを想像しながら生きる。そんなもんですよ」と語っていました。確かになと思いました。生きる意味に縋って生きて、それを失ったら途端に生きる理由がなくなって絶望してしまう。多分生きる意味はあります。そう確信しています。が、生きてる間は考えなくていいのだと思います。それは生の外側にあるから、自分たちは知りようがない。「これか?いや違うこれか?」と確信のない迷路があるだけ。死んでから、あるいは死の間際に悟るものだと思います。生きてる間の人間はただ懸命に生きるだけでいいんだと思う。でも生を苦に思わない人のみ有効なのかなーとも思います。うーんタヒにたいw
精神疾患になってからも、何十年も不運を繰り返し治らず、何度も転職を繰り返し生活も安定せず、普通より下でもいいから自分で働いて自力で生活したいと思い頑張って来ましたが、どんどん病気が悪化して来ました。病気が悪化し1年前から病院も変わり、最近主治医から、仕事をしている時の様子や辞めてからの様子で、働けない状態だと言われましたが、福祉を受けるのも、また頑張って仕事をするのも自分で決めなければならないと言われました。後どのくらい転職を繰り返せるのかという問題もあると言われ、自分でももう頑張れそうにないと思いますが、福祉を受ける事を受け入れられず、ただ毎日、まだ働けるのではないかと悩み続けています。その為か、毎日、余計に調子も悪く、身体の痛みも酷くなり寝た切りに近いのに、所属意識の問題や福祉を受けると差別があるので悩みます。見えない病気なので余計に悩みます。
自分は幸せになりたいです。幸せなら、生きる価値とか意味なんてどうでもいいかなと思います。幸せに生きれないから、生きる意味や価値を探したくなるのかもしれないです。こうなると自分の生きる意味や価値は幸せで決まるみたいです。
改めて見たけどこの回すき。まっすー先生大好き😊
17:40 生きる希望や死なない理由を体感的に理解することが肝要だと感じました。自分も身に付けたいと思いましたし、それが、下がっている自己肯定感を元に戻す事にもなり得るのかなと強く思いました。今日も有難うございました。
死にたいとばかり考えていた時に生まれてきたことも生きていることにも意味はない生きることに目的や意味なんて考えるから辛くなるとどこかで聞きましたでも夢中になれる趣味や仕事、一緒に生きていきたい大切な誰かがいない、経済的自立も難しいとなると「目的や意味のないただ生きる」ことの難しさを日々感じます漠然とした自己肯定的の低さと命を大切に出来ないことが繋がってしまいます
先生の授業(授業?)は毎度興味深く拝見しているのですが、今回は特に面白く心に刺さりました。特に「生きる意味はないけど死ぬ意味もないから生きてみよう」ていうのは初めて聞いた言葉で、なんといったらいいか、ぐっと刺さるものがありました。死に価値があるって思い込みが一つ消えました。確かに死ぬこともさして価値はないですね。興味深いお話ありがとうございました。
優秀な精神科医が全国に満遍なく居てほしいです。僻地には選択肢がなくクスリだけ処方されておしまい。そんな状況で自分の中で負のループに陥るだけです。環境を変えれば治ると言われても困ってしまうのです。等しく優秀な精神科医、カウンセラーに出会えるシステムの構築をお願いしたいです。
「自分には価値観が無かった」ということがわかりました強いて言うなら「自分がいなくなることが正しい」という価値観でした急に仏教を勉強したくなりましたが、それは良い方向性だったのだと思えました🥰治っていく方向性や道筋って、お医者さんやカウンセラーさんが示してくれないので、大変助かります!(治療する上で、示せないのかもしれませんが)
生きる事が辛いと思いながら生きています主治医にはこの話をしていません 反応が怖いんだと思います趣味に没頭しているときだけはこの気持ちが消えてくれます精神的、身体的に障害を持って生きるには世の中厳しすぎます
益田先生に出会えてよかったと思っている。真面目だけではなく、ユーモアに溢れた、面白い先生だと思っています😊
先生に訊かれても困る話を取り上げて下さった事は有り難く思います。私は生きる希望はありませんが死ぬ勇気がない、痛い苦しいが嫌だから死ねない、だから生きてしまって申し訳ありませんな考えで生きています。どの時代を見てもみんなに嫌われていますし、親も依存する物が減るから悲しむだろうとしか考えてません。多分死ねない以上この気持ちを一生抱えて生きていくんだろうなと思っています。
「生きる希望を教えてください」という発想と「生きる希望を見出す」という発想の間のギャップが重要かなと思ったりします。「生きる希望を教えて」みたいな話は「そもそも論」のような形で考え出すことが多いのですが、さらにそのそもそもとして、「そもそもどんな生きる希望を提示されたら自分は納得して受け入れるのだろうか」とある時ふと考えて、「自分は何を言われてもそれを疑うだろう」と気づいて愕然としたことがあります。「『客観的な正解などなく、自分でそうと定義するしかないんだ』と自分が言っている」ということと同じだと思ったからです。ただその先の実際に見出していく作業となるとやはり難しさを感じます。例えば社会と自分との関係を「所属感の問題」と捉えることに拭いきれない違和感があります。自分の感覚以前に現実の問題があるんじゃないか、それを無視して感覚の調整、馴化(?)で済ませてしまうのは好ましくないのではないか、という感覚があります。ちょうど今のっぴきならない事情で転職しなければいけなくなり、うまく転職できない可能性もかなり視野に入れつつ、色々考えています。何をもって「うまく転職できた」となるのかもあまり実感として持てていないですが、何にしても自分の能力と相談しながらかなと思っています。
最近は、神社に御参りに行ったり、お札お拝んだり、お墓参りに行ったりして、心の平和を取り戻しました。いつもありがとうございます😊
すごい腑に落ちました。また、以前診療内科に通っていた際にお相手して下さっていた先生が一年目の先生だったのですが、こうした生きる希望の理由付けに付き合ってくれませんでした。その事で当時は、何度も同じ会話をする事になり、通院終盤、自分は「精神的に弱ってるわけでもないのに甘えてる」と暗にその方に伝えられている気になってしまっていましたが、確かにそれは医者の範疇ではないですね。納得です。今も挫折から立ち直ってる感は持ててませんが、宝くじ感覚で自分に合う考えがあるか調べてみようと思います。どうもありがとうございます。
『ドロドロを経験しなきゃいけない』何故かこの言葉が気持ちに深く刺さり、納得しました。
感動するにも訓練が必要ってなるほどですね漫然と生きてるだけでは心も動かなくなりますね能動的に色々取り組んでしなやかな心を保ちたいです
深いなぁ〜!先生、深いですね〜😦私は、わりかし仏教なので、死のうとかは思わないし、「消えてしまいたい…。」なんて思ったときも、自分そんなん考えるのヤバいしおかしいってなるきっかけになりましたね!そういう意味では宗教を持っていたからこそ、助かっていると思います。私が最近救われたと感じたとはPSWさんとのいつものカウンセリングで、人の事は「生きている事自体に価値がある」と思えるのに、自分のこととなると、何故かそう思えないと話したとき、「〇〇さんが、こうやって良くなろうとして通院したりデイケアでがんばっている姿を見るだけで、励まされている人がいるんだよ」と言われて号泣しました。あの体験は本当に、人間の世界ってこんなふうにあたたかくて、こんなふうに思ってくれる人も居るんだって自分以外の人で確認できて、素晴らしいなって感動しました。人間の「命の尊厳」って本当にあるんだなって、心の氷が溶けたような気持ちになりました。また、少しずつでも生きる気持ちを取り戻して、良くなっていけたらと思っています。
一人暮らしで寂しい。何の為に生きてるかわかりません。安楽死させて下さいと相談したら外国を紹介された😰。そんなに遠くまでいけない。
不運の連続!先生の数多くの貴重なコメントの中で、一番自分に聞かせたい気付きです。何度も振り返りしています。自責で苦しむ自分の為に。
病気は不運の連続で起きる、益田先生は分かっているなあと思いました。不運が積み重なる、パワハラで鬱、後に通院しながら、転職した身なので、良く分かりました。ありがとうございます。お話も、現在臨床で主治医が対応されるのと同じです。
結論が出ずにぐわーーーーーんって話が散らばってすごく自由に広がって終わるかんじが私の話し方そっくり
ルネサンス以降、生やフィジカルにフォーカスを当てているんだから、遅く発展した医学が死をタブー視したりフィジカルの細分化を優先してメンタルが精神科しかなかったりする時点でお察し。医学には取り扱うには重い話題ですよね。
定期的に見たくなります、益田先生の視野の広さ‼️
自死は地獄に行くらしく。地獄には行きたくないので必死に生きています。幸せなんだけどまた別の感情ていうか衝動だったりします。皆さんへ治療をして治るものは治して頂きたいと思います。
よく動画拝見しています。今回のテーマで仰っていたこと、大体自分が考えていた悩みそのまんまだったのでびっくりしました。本質的に全てに意味がないと、善悪の基準や生きる目的、自分の価値観、全てが揺らいでとても苦しいです。こういう事を考える自分自体が異質な気もして孤独も感じます。普通の人はこういうことで悩まないのかと思うと、なんだか世間に馴染めないような気もしてしまいます。でも先生が仰っていたように、こういう話はタブー視されているような気がしてそれで罪悪感を感じていたのかもしれません。なので先生が言葉にしてくださって安心しました。
一般論として、話を説明してくれたり、大事なことを説明してくれるのでこのようなテーマは助かります。
よく見て感じる為に、何度も視聴しました、辛く、苦しくなると、消えたいと思い、恐怖を感じない消えかたを良く考えていました、信頼、安心出来る人と場所が欲しい、その願望が凄く強いのですが、強く頼るのが人、という事は無理な事のようです。一時期、仏教に興味を持ち、浅くしか勉強していない為、自己犠牲的、防衛的で辛くなり辞めてしまいました、でも、お寺の建物の美しさに興味があり、他にも興味がある物をアートで表現するのが好きなのが分かりましたが、“こんなんで、良いのかな”と、“役に立っていないな“と思い悩む事もしばしば、でも先生のお話しを聞いて、”良いのだな”と、良い意味で頭も心も軽くなりました。いつも興味深いお話し、有り難うございます🌱
勉強すれば生きてる価値がわかるか。なるほど。話を聞いてるとさすがにプロだな。困難を抱える人の本質的な理解と、困難への対処を深く理解しているなぁという印象を持ちました。
この永遠のテーマに触れていて、精神科を超えた崇高さを感じます。私は、40年以上、この命題と向き合っていますが、未解決です。
心身の修行をして悟りに近づくと苦しみから離れて心が楽になる、というのが希望と言えば希望です。意味がないといけないと思うのは意味がないと人に捨てられるからだと思います。見向きもされなくなる恐怖、というやつかもしれません。孤独は不運の一種でしょうか?
わたし、子供の頃から変わっていて人間が生きる意味や死って何ってずっと疑問を抱きながら生きてきた。どんなに立派な人や有能な医師に尋ねてもしっくりくる回答は得られず😰そんなこんなしていたある日、アップルのスティーブジョブス氏の名言を知りストンって腑に落ちた🤗死は生命最大の発明死は生命が進化のために発明したシステム
為になります。落ち込んだ際、生死にまつわる哲学的問答に捉われることが多かった。自分を正当化することで生きる理由を見出そうとしているのだと理解していましたが、知性化という現実逃避だったんですね。知れてよかったです。また同じような負のループに苛まれそうな際には、自身を客観視出来そうです。ありがとうございます。
益田先生の動画が本当にありがたいです。「ちきんと学ぶ事で生きることの理由を見出だせる」本当にその通りです。私の学ぶ事でひとつひとつ乗り越えていきます。益田先生の動画の力もお借りしますね。
こんにちは。『哲学は心の蛹である。いつか羽化せねばならない』至言ですね!
生きる希望、死なないためにはでは死にたくなったら何かに夢中になり頑張って生きていくこと、頑張ってるのなら何も死にたくならない、兎に角何かに打ち込むこと、それが大事だ。
45年程前は、親、姉妹に大反対され結婚し夫のDV現実のショックで若かかりし時に死を考えた時に子供が頭に浮かびおいて逝けない!生きることに夢中でした。自分は生かされていると思うこともよくありました。子供が独立して回りの守ってくれる方々がいたからここまで生きられました。当時は、何処の病院に行っても原因が解らず夫からのすら病扱いに悩み精神科病院に助けを求めましたがこのような診察がありませんでしたね。。これからは犬の寿命まで生きなければとあと10年くださいと願っています!今日も感慨深いお話をありがとうございました!
「貴方は頭がおかしい」「貴方は指示が入らない」じゃあ、どうしたら良い?生きるのは辛い、死にたいが、生きろと言われる生き地獄だ
先生はちゃんと、コメント欄の皆さんの意見を聞いて、持論をブラッシュアップされてますね。登録者が増えるにつれて、読みごたえのあるコメントが増えているのを感じます。
不運によって精神疾患になったかもしれないが、意味があって、だれかの役に立っている。大事なお話でした。益田先生ありがとうございます。
弱ってる人に自己責任!だの4ぬなら勝手に4ね!だの言う人たちは、生きる事について何も考えてない・悩もうとすらしないから簡単に他人に暴言吐けるんだな、、と思いました。
歳をとると不幸の蓄積が固着したり、人間関係が希薄になったり劣化するので苦しいです。これからどうするか思案しています。
単に死ぬのが勇気がいるから生きている気がする。死にたいというのも昔も今もあるけど、色々考えてそれは単に上の人が押し付けてきた考えと、その上の人を疑いも無く尊重する大多数の日本人のせいで、そう思うのであって、誰しもが生きていたいんじゃないかな、本当は。特に今は日本は中国からミサイルを撃ちこまれたり日本の危機も迫っているから、生きていく希望が無くなっている気がする。勉強で救われたりするのかな。治療者と話というのも、向こうから話を切ってくる一分治療なので、先生のようにちゃんと話を聞いてくれる患者さんが羨ましいですね。
悩んでもうどうしようもない時に周りに相談できる相手が1人でもいれば自分もその悩みを笑い話に出来るのに、悩んだ時に周りがどんどん離れてって居なくなるから鬱になるんだと思います。最近なんか相手のこと考えて相談するのも怖くなってきました
死なないことの大切さが、論理的且つ多角的な視点で語られていて、とても分かりやすかったです。この動画は、死にたい気持ちを抱えている方が、今一度冷静になって、死なない為の具体的な解決法を探していく手掛かりになるのではないかと、思いました。
先生、いつも動画を有難うございます。コメント欄に何とお書きしたら良いのか、ずっと考えておりました。私は病気になる自分や他人を思う時、いつも「そこから何かを学べ」と神様?や宿命?運命?に言われ、問われていると考えます。例えば「体や筋肉が凝り固まっていたならば、いまのお前の心が凝り固まっているぞ」というメッセージなのかなぁ・・などです。何かしらの「答え」というのは、その患者さんが持っている!?様な気がしてしまいます。「答え」とやらが見いだせたならば、やはり「生かして欲しい、役に立てる!!」と思ってしまいます・・
69歳で、生きる事が人の使命でも有るのでは?と思ってました。使命となると何だか妙ですね。崖から落ちそうになって、ここまで生きてきたのだから、わけのわからない世界に飛び出すより、今のこの世界で生き続けてみようと、思い留まりました。先生の仰ってる事が分かる気がしています。改めて言葉にしてくださり、心がフラットになりました。ありがとうございます😂
死にたいきもちでいっぱいです。自分は失敗作で、世界から疎まれてると思っています。これを主治医に相談しても、そんなわけねぇからーと冷たくあしらわれ誰も味方がいない孤独感にさいなまれています
具体的な問題が解決していれば生きる理由が無くてもなんとなく生きていけるというのは、そうだなと思う
辛くて、会社にも休むことを伝える気力もなく、八方塞がりの状態のとき、死にたいというより、ここで、死んだら楽になれるかなと思うときは、あります。
とても興味深い内容でした。私には、生きるについて教えてくれるお気に入りの絵本、映画があります。●ぐるんぱの幼稚園●パッチ・アダムスです。どちらも、主人公が生きづらさを抱えています。しかし、悩みつつも行動することで、その人なりの生きる意味に気づきます。私は感受性が強く、すぐに泣けたり感動しやすいのですが、ある意味で良かったと考えています。次回も楽しみにしています。
人として生を受けたからには、何かしら世の中に貢献して、出来るならば生きた証として、名を残したい。なんて志を持っていたこともありましたが…。せめてこの命が続く限りは、世界の行く末を見届けたい。とは思っています。『病気は不運の連続で起きる』→それって、確立としてはかなり低いですよね?ということは、超レアな条件で自分は成り立っているんだなぁと、都合良く解釈。
良い人間関係、財政的な余裕があれば希望も持てるとは思うんですけど、そこに至る道筋が今の社会だとなかなか見つけられないです。体調が良くならなければ、森の外にいかないといけなくなりそうですね。
分かるようになるというのは、ほんとにそのとおりだなあと思いますね。自分が死んだら、子どもたちはものすごく辛いだろうとか、母や弟は傷つくだろうと言うことは昔は分からなかったです。
結局は人の痛みが分かる人は、人を助ける事が生き甲斐になる事が多いから自助会が必要なんだと思っていました。アメリカドラマなんかを見ていると特に思うのはキリスト教的なんでしょうかね。技術が必要な職業訓練とシェアハウスと心の病って結構親和性があるように思ってます。
良い治療とは何か?どこまでが医師の仕事なのか?「医師も、ディベートに持ち込んだ方が楽なんですよね…」今までなんとな〜く感じていた、一連の益田先生の冷静な態度は、こうしたバックボーンがあったからなんですね〜「なるほど納得」です😊以前、「後医は名医」ともおっしゃっていたように…抽象論でごまかし続けて、グルグルと現実逃避を繰り返して絶望し、どん底まで味わった後で、気がつけば今日もまた目が覚めて、身体もあって、何にもできなくともお腹は空くし、排泄もする自分が、死んだように横たわっている…そんな自分でも、何故かそれでもまだ息をして「生かされている不思議」に気がつく事が出来た時に、いくぶんか開き直れて、ただ生きてみようかな〜と、焦りや力みがフッと取れていきますよね笑患者さんが病や障害を受け入れられるようになると、生や死に対する考えも「現実的な良い方向に変化してくる」ような気がします。冷静だけど決して冷淡・冷酷ではない、ホット&ドライで、常にクールな益田医師の絶妙な治療センスが、患者さんのハートをよりたくましく、元気(元々持っていた気)な方向へとリードしてくれていると感じています💪
能動的に、何かをすることが大切だと思いました。
恋人が出来れば生きていこうと思えるだろうなま、一生孤独な死に損ないですわ
こんにちは!益田先生の動画初コメです!死なない理由の勉強ってこれから生きる上で大切なんだなと感じました。今回の動画で一番響いたのが死んでからのことは分からないから考えても野暮だという言葉です。そうですね。死んでからのことを考えても意味ないので、今を生きたいな思いました。宗教を学ぶことも死なない理由について深く学べるのも知り、昔宗教のことを少し学びましたが、また機会があったら宗教のこと学んでもいいのかな。今日も動画ありがとうございました。勉強になりました。
益田先生ほんと男前♪ですね。患者さんは診察日をかけがいにまいにちすごせそうですね。私はヨーロッパ在住20年中半分は診察を受けています。医師の夏休みも長いのでコロナもあるし、もう少し活動的に治したいです。
「他の人はもっとつらい」「他の生物は罪悪感感じながら生きてない」は励みにならない。自分がとにかく辛いんです。
人の価値。綺麗事並べてお疲れ様です。
長年精神科通いでメンタル症状の浮き沈みを繰り返し、まともに稼げず、経済的自立も出来ず、当然子や伴侶もおらず、自分の存在意義って本当にないなと思ってます。
人生100年時代!なんてCMやってたりしますけど、そういうのを見るたびにこんな状態であと何十年生きなきゃいけないんだと、地獄でしかないな、としか感じません。。
希死念慮が襲って来る時、出来れば生きていたくないけれど死ぬのに十分な理由も無く、特に何か行動を起こすでもなくグダグダしています。結局生きる事にも死ぬ事にも明確な理由などありません。グダグダ悩んでも必ずそこに行きついてしまうんですよね。
希死念慮の波が収まればまた適当に楽しみを見つけてぼちぼち生きて行けます。とりあえず今は月見バーガーを楽しみに生きています。
ちゃんと勉強しないといけないんですね。。私は死にたくても、どうしても死ぬ瞬間が苦しそうで痛そうで出来ないので、仕方なく生きているだけです。
生まれてこないのが1番幸せ、これ以上納得する考えに会ったことがありません。
私は、あまり生きたくない。毎日、辛い。
できるだけ楽に死ぬ方法をいろいろ考えてはみましたが、後遺症のリスクや痛み苦しみを考えた結果寿命がくるまで生きるのが1番楽に死ねそうだなと思ったので、ゆるやかな自殺の途中と思って生きてます。
そういうことを度外視して死を選ぶ人もたくさんいるわけなので、やはり病的ではないなと自分を見ています。
私みたいな半端者は居心地のいいコミュニティがなかなか見つからないです。
どうせ生きてるならなるべく楽に生きたいので、そのヒントが欲しくて見させていただいてます。いつもありがとうございます😊
何十年もの我慢を耐え続けなければならない。いずれ死ぬだけなのに。そういう考えから抜け出せません
たまたま生まれちゃっただけですし、社会のありとあらゆる競争で常にビリの人もいる。
惨めだと思うのも、死なない理由を探してずるずる生きてしまうのもどっちも本能的なものだと思う。
競争に勝ってる私すごい、社会の役に立ってる私すごいと思いたい人が批判してくるのも、本能的には当然だと思うけど、正しいわけではない。
僕はアスペルガーです。勉強も出来ないしスポーツも出来ません。バイトの時ミスが多いですあと仕事の優先順位も分かりません。何もかも嫌になって寝れない時もあります。何も楽しくない時もあります。今は心の片隅にあります。解決されないので本当に辛いです。
私の好きな時代小説に、失恋し、身投げしそこなって「どう生きていったらいいかわからない」と泣く女中に、「どうしたらいいかわからない時は、学問をしなさい。」と老侍が説く一説があるのですが。
先生の動画を拝見して、このことか!!と初めて胸に落ちました。
何か、学んでみます。ありがとうございます。
別に誰かの役に立ってなくても生きてていいんだということに気が付けました。
この病気は不運の連続でなってしまったのなら、いつかは幸運が訪れるのでしょうか?希死念慮がある自分は毎日「あぁ、死にたい」となってしまいます。毎日人生に絶望しています。いつか楽になれるといいな...。
うつ病回復中で復職しましたが、復職するということは「出来ない自分」を受け入れる必要に迫られるので、元気がある中にも希死念慮がチラつきます。
そんな中、今年がんサバイバーになり、逆に気が楽になりました。
命に限りがあると実感して、今までうつ病で沢山辛いことを経験した分、これから残りの人生は楽しむために生きようと思いました。
本当に楽しんでいるときは、生きる意味のことは考えずに過ごしています。しんどいときは死の方へ気持ちが傾きシーソーのバランスを取ってる気分です。
うっかり死なないように気をつけています。楽しいことを沢山して生きたいですね。
私が精神疾患になり10年後に母が自死し、母は何故死ぬ事を選んだのか?
何故私は精神疾患になったのか?どうしたら治るのかを考え続け、ネットの無い時代から本を買ったりして精神疾患を勉強して来ました。
何度も病気が酷くなり転職を繰り返し、何度も寝た切りになり、でも治ると信じ諦めず色んな事を試してきましたが、もう20年程、底辺の暮らし。
今また無職で今までで1番生きる事に疲れています。
何度も死にたいと思い、死ぬ方法を何度も考え、今も考えてますが、
毎回死にたいけど死ねず、
毎回、自殺は狂気の沙汰なんだ、私はまだ死ねないんだと思うのです。
私は今、どん底で、いつ私がその狂気の沙汰になるのかと考えています。
狂気の沙汰にならないのなら、目に見える病気になり余命宣告されたいです。
殆ど寝たきりで何にも出来ない状態なのに、
森の外に行く勇気もなく、
森の中へ戻ると地獄なのに、
森の外には行かないまま、
また無理して働く方がいいのか?と考えたり、
やっぱり死にたいと考えてたり、
考えが毎日違います。
生きる希望…年々無くなって、今は無いです。
これから先の事、孤独、孤独死、これから老いてくだけなのかなとか考えると希望とかないんじゃないかなとか思っちゃうんですよね。なかなか難しいです。
やはり、人間が文明化して社会が複雑化することで「なぜ生きなきゃいけないんだろう」というところまで考えやすくなるというか、追い詰められやすくなる側面もおるのではと思いました。「とりあえず食うもん困らなければOK」な立て付けの社会ならここまで考えなくても良いわけなので
皆さんのコメントを夢中で読んでしまいました
みんなものすごく考えてるんですね
悩むことこそ生きてる証拠ですね
自分で座禅やミャンマー式瞑想を学んで自宅で1日10分を6か月ほどやってました。人間も自然の一部で、自分を大切にすること=自然を大切にすること、という考えにたどりつきました。「自分を大切にするとはどういうことか?」についてはもっと学びが必要なようです。
死にたい、消えたい時期がありましたが病院へ行き薬物療法で
なんとか前に向く事が出来ました。
生きる希望は、誰かの世話をすることです。
誰かの為にしたことで、相手が助かったり喜んで貰えたならとっても嬉しいですよね!
そうしていくと、自分の事を必要以上に考えなくて良くなるのかも知れませんね
受けるより与える方が幸福です!って言葉もありますからね🤗
生きる希望は、誰かの世話をする
素敵な言葉です🎵
@@MochaSPZ
私の場合、近所の一人暮しのお年寄りのサポート。
親しくなれば、シンドクなる事もありました。主治医に注意されました。距離が難しいですね。
そして、ペットの世話です。
癒やされます。
この子たちを置いてはしねません。
益田裕介さん曰く「自分は社会、世界の一部であり、たまたま不運によってこういう病気がもたらされたかもしれないけれど、それにも何か意味があるんだ、そしてそれは誰かのためになっているんだということがわかる」これを認識することは、大切なことでしょうね。
益田先生
色々なことが重なり、不幸な人生に絶望していました。
この動画を見て、不幸ではなく不運が続いて体や心の不調をきたすのだと知りました。
言葉一つですが「不幸」は永遠に続くような気持になり、
「不運」はたまたまそうなってしまっただけで、回復できる気持にさせてくれます。
周りと比べて自分の不幸を嘆いて生きてきましたが、森の外で自分の不運について
価値観について考えるきっかけを頂きました。ありがとうございます。
このテーマの動画ありがとうございます。
若い時は、生命力もあり感動したり泣いたり笑ったりできていました。精神疾患にもなりましたが、その中で希望を持つ事もできていました。(死にたいエネルギーも強かったですが)
今は年を取り夢も希望も持つことができなくなりました。理由の一つに感動したりすることがなくなったからと思いました。だから、希望をもつこともできないのかなと動画を見て気づきました。
今は、身体も不自由になり人のためにはなれませんが、小さな感動を積み重ねて生きていきたいと思います。
ありがとうございました。
衝動的に死のうかと思ってしまうことがあります
でも子供達がいるから死んではダメ生きれるだけ生きよう
でも生きてるのしんどい人と関わりたくない傷つきたくない、でもでもだっての自分なんか大嫌い消えてしまえ
その繰り返しの日々です
私は、医療と福祉に助けられて本当に幸せです。生きづらい学生時代はツラかったけど、みんなと同じように振る舞えなくても生きている価値はある。ツラいことは助けてもらえばいい。医療と福祉は、そういう人たちのためにある。時々、死にたいと思うけど、そんなときは益田先生の話を思い出して「死にたいと思うくらい、私、今ツラい」と言い直しています。
絶望です→絶望ではないですね
病気で死んでしまう人が羨ましい→そんなこと考えてるのは今だけですよ…何度か主治医先生に言ってみた時の答えです。
知りたいのは、「死んでしまうくらいなら何でも出来る」と本気で思っていた思考に戻ることはあるのかどうかです。もう戻れないのかなぁ。。
分からないことに対し人に聞くという方法はある程度有用であり、哲学や心理学、宗教といった分野の歴史から学べることは少なからずあると思います。
やはり趣味を見つけるというのは人生の価値を高めようとする上で役立つのではないでしょうか。
遺伝子+環境ストレス→不運。
ビンゴで辛い。
人生で幸せだった年がない…。
益田先生の理解しようとしてくれている姿勢を見ていて涙が出て来ました。
生きる意味や希望が見出せず、下向きに過ごす日々の中で、この話題に触れてくださっただげでも感謝の気持ちでいっぱいです😢
終盤で言われている、何事にも訓練が必要、生きることにも それが言える、という内容に、この抽象的な問題の 答えのようなものを感じました。自分では思いもつかない考え方に、何か希望めいたものを感じています。
社会の一部になれることや関われることに意味があるとか、そこに生きる希望みたいなものがあるとか、それを言われること自体が価値観の押し付けだなと感じてしまう。
もちろんそれで救われる人も多いのかもしれないけど、100%じゃないというか、少なくとも自分は普段死にたいとか思ってないけど主治医に「社会と関わりを持って」と言われると急に、言ってしまえば死にたいくらい気分が落ち込みます。
先生の言う「不運」の連続だったトラウマだらけの社会に、どうして戻らなきゃいけないのか、せっかく少し調子が上向いてきたのに、それを捨ててまたあのズタボロ状態に戻れというのか、そんな気分になる。(そういう意図で言ってないというのはわかるけども)
自分はこれで満足と思って、実際に調子も良いから今より上の段階へ進む話をされるのだろうけど、これでいいって言ってるじゃん…とモヤモヤしちゃいますね。
主治医とうまく話せてないだけの可能性もあるけど、そもそも社会に対する信頼感や自分にとっての重要度…価値観が違うんだろうなと思ってしまう。なぜなら経験が違うから。別個の人間だから。
それもまた病気と捉えられてしまうのか?と思い至って、もう診察室では自分の価値観なんて話す術無しだなと絶望したりするし、どこまでが自分の価値観でどこからが病気と見られるのかわからなくなりますね。
細細とひとりで生きていたいだけなんだけどなあ。それがそれなりに楽しいし安心感もあるのだけどダメなのかなあ。
生きる意味を問うってすごく残酷なことだと思うよ。
それを自分自身に毎日のようにやってたらそれはもう拷問だよね。
成功者やいま幸せそうな人に生きる意味を問うたら、それっぽい回答が帰ってくる。
いまが苦しい人にそれを問うたら、言葉に詰まるのは当たり前。
結局は生きる意味なんてその人自身の内に見出した妄想に過ぎないと思うけど、苦しいときにそんな呑気な妄想なんてしていられないよ。
フランクルはユダヤ人収容所でそれをやってのけたけど、それは彼の日頃の勉強と研究の賜物だよね。生きる意味に悩んだら勉強しろは一理あると思う。
先生いつもお世話になっております。私は調剤薬局で働く2年目の薬剤師です。精神系のお薬を使う方へどう話したりお手伝いできるか日々悶々としています。ぜひ先生が薬剤師にこれしてくれたらいいね等改めて教えて欲しいです!
おはようございます。
いつも、動画拝見しています。
現在精神科に通院して、抗不安薬、睡眠導入剤を処方してもらってます。
毎日起きたら憂鬱で死にたいと思ってしまいます。
でも動画を見続けてたら、日々動画を配信し続けていらっしゃることに勇気もらいました。
あきらめず、どんな小さなことにも、偏らず感動して楽しむ心を育てていく練習を、私も日々重ねていきたいです。
カメより遅い歩みですが、動画見ながら、共に歩みます。
いつもありがとうございます。
益田先生、おはようございます。
私は怪我、病気や原因不明な痛みで毎日毎日苦痛なのです。仕事もできない。この痛みが無くならないから…肉体が無ければ痛くないのに。死して肉体が無ければって思っています。
生きるのって向き不向きありますよね。
こんばんは。先生の不運についての話を聞いて、数十年通院していても寛解しない理由が分かった気がします。症状が良くなる時は、リアルな人間関係が上手くいっている時なので 人間関係って大事だな…と思います。
私には時々、希死念慮が強くおそってくる事があるのですが、先生のお話を思い出して前を向いて生きて行こうと思います。
私にとっては芸術がそれを昇華する唯一のものではと思います。死に憧れる人がいる一方、大抵の芸術家や名を成したい人にとっては人生は短すぎて作品を作り上げられないと思う。この芸と医術というものがラテン語では同じものだったらしいのですが。医療や福祉、例えば障害のある子が生きている限りは生きていたい親、難病を解決したい医術者など芸術と同じだと思います。また、死に関連があるのは死だけ、という言葉があります。考えても生きている者には分からないからです。これはジャンコクトーの言葉です。
生にそもそも属する我々はあと一日あと一日しかないです。
生きてるだけでいいんですよ。希望はなくてもいいんですよ。生まれてきたのは、自分のせいではないので、自分をいじめてはいけません。たま~にいいこともありますから。
先生、素晴らしい解説ありがとうございます!涙が溢れました。不運の連続だった私が、今も悩みながら生きてますが、そこに何らかの意味があって、後世に繋げられること、解釈の仕方でまったく違ってきますね。感じる視点を変えなければと思わせて頂きました。今後も楽しみにしています。感謝です。
生きる希望というか、生きる意味をずっと探していました。
ある人が「生きる意味なんてないですよ。だってもし生きる意味が見つかったとして、途中でそれを失ったら死ななきゃいけなくなるじゃないですか?生きる意味なんてないです。ない方がいいですよそんなの。
死ぬのは痛いから生きてる。明日これやんなきゃなーと考えながら寝る。嫌な事あってわんわん泣いていつのまにか寝て次の日になってる。来月の楽しみを想像しながら生きる。そんなもんですよ」と語っていました。
確かになと思いました。生きる意味に縋って生きて、それを失ったら途端に生きる理由がなくなって絶望してしまう。
多分生きる意味はあります。そう確信しています。が、生きてる間は考えなくていいのだと思います。それは生の外側にあるから、自分たちは知りようがない。
「これか?いや違うこれか?」と確信のない迷路があるだけ。
死んでから、あるいは死の間際に悟るものだと思います。生きてる間の人間はただ懸命に生きるだけでいいんだと思う。
でも生を苦に思わない人のみ有効なのかなーとも思います。うーんタヒにたいw
精神疾患になってからも、
何十年も不運を繰り返し治らず、何度も転職を繰り返し生活も安定せず、普通より下でもいいから自分で働いて自力で生活したいと思い頑張って来ましたが、どんどん病気が悪化して来ました。
病気が悪化し1年前から病院も変わり、
最近主治医から、
仕事をしている時の様子や辞めてからの様子で、働けない状態だと言われましたが、福祉を受けるのも、
また頑張って仕事をするのも自分で決めなければならないと言われました。
後どのくらい転職を繰り返せるのかという問題もあると言われ、自分でももう頑張れそうにないと思いますが、
福祉を受ける事を受け入れられず、
ただ毎日、まだ働けるのではないかと悩み続けています。
その為か、毎日、余計に調子も悪く、身体の痛みも酷くなり寝た切りに近いのに、
所属意識の問題や
福祉を受けると差別があるので悩みます。
見えない病気なので余計に悩みます。
自分は幸せになりたいです。
幸せなら、生きる価値とか意味なんてどうでもいいかなと思います。
幸せに生きれないから、
生きる意味や価値を探したくなるのかもしれないです。
こうなると自分の生きる意味や価値は幸せで決まるみたいです。
改めて見たけどこの回すき。まっすー先生大好き😊
17:40 生きる希望や死なない理由を体感的に理解する
ことが肝要だと感じました。
自分も身に付けたいと思いましたし、それが、下がっている自己肯定感を元に戻す事にもなり得るのかなと強く思いました。
今日も有難うございました。
死にたいとばかり考えていた時に生まれてきたことも生きていることにも意味はない
生きることに目的や意味なんて考えるから辛くなるとどこかで聞きました
でも夢中になれる趣味や仕事、一緒に生きていきたい大切な誰かがいない、経済的自立も難しいとなると「目的や意味のないただ生きる」ことの難しさを日々感じます
漠然とした自己肯定的の低さと命を大切に出来ないことが繋がってしまいます
先生の授業(授業?)は毎度興味深く拝見しているのですが、今回は特に面白く心に刺さりました。特に「生きる意味はないけど死ぬ意味もないから生きてみよう」ていうのは初めて聞いた言葉で、なんといったらいいか、ぐっと刺さるものがありました。死に価値があるって思い込みが一つ消えました。確かに死ぬこともさして価値はないですね。興味深いお話ありがとうございました。
優秀な精神科医が全国に満遍なく居てほしいです。
僻地には選択肢がなくクスリだけ処方されておしまい。
そんな状況で自分の中で負のループに陥るだけです。
環境を変えれば治ると言われても困ってしまうのです。
等しく優秀な精神科医、カウンセラーに出会えるシステムの構築をお願いしたいです。
「自分には価値観が無かった」ということがわかりました
強いて言うなら「自分がいなくなることが正しい」という価値観でした
急に仏教を勉強したくなりましたが、それは良い方向性だったのだと思えました🥰
治っていく方向性や道筋って、お医者さんやカウンセラーさんが示してくれないので、大変助かります!(治療する上で、示せないのかもしれませんが)
生きる事が辛いと思いながら生きています
主治医にはこの話をしていません 反応が怖いんだと思います
趣味に没頭しているときだけはこの気持ちが消えてくれます
精神的、身体的に障害を持って生きるには世の中厳しすぎます
益田先生に出会えてよかったと思っている。
真面目だけではなく、ユーモアに溢れた、面白い先生だと思っています😊
先生に訊かれても困る話を取り上げて下さった事は有り難く思います。
私は生きる希望はありませんが死ぬ勇気がない、痛い苦しいが嫌だから死ねない、だから生きてしまって申し訳ありませんな考えで生きています。どの時代を見てもみんなに嫌われていますし、親も依存する物が減るから悲しむだろうとしか考えてません。多分死ねない以上この気持ちを一生抱えて生きていくんだろうなと思っています。
「生きる希望を教えてください」という発想と「生きる希望を見出す」という発想の間のギャップが重要かなと思ったりします。
「生きる希望を教えて」みたいな話は「そもそも論」のような形で考え出すことが多いのですが、さらにそのそもそもとして、
「そもそもどんな生きる希望を提示されたら自分は納得して受け入れるのだろうか」とある時ふと考えて、
「自分は何を言われてもそれを疑うだろう」と気づいて愕然としたことがあります。
「『客観的な正解などなく、自分でそうと定義するしかないんだ』と自分が言っている」ということと同じだと思ったからです。
ただその先の実際に見出していく作業となるとやはり難しさを感じます。
例えば社会と自分との関係を「所属感の問題」と捉えることに拭いきれない違和感があります。
自分の感覚以前に現実の問題があるんじゃないか、それを無視して感覚の調整、馴化(?)で済ませてしまうのは好ましくないのではないか、という感覚があります。
ちょうど今のっぴきならない事情で転職しなければいけなくなり、うまく転職できない可能性もかなり視野に入れつつ、色々考えています。
何をもって「うまく転職できた」となるのかもあまり実感として持てていないですが、何にしても自分の能力と相談しながらかなと思っています。
最近は、神社に御参りに行ったり、お札お拝んだり、お墓参りに行ったりして、心の平和を取り戻しました。いつもありがとうございます😊
すごい腑に落ちました。
また、以前診療内科に通っていた際にお相手して下さっていた先生が一年目の先生だったのですが、こうした生きる希望の理由付けに付き合ってくれませんでした。
その事で当時は、何度も同じ会話をする事になり、通院終盤、自分は
「精神的に弱ってるわけでもないのに甘えてる」
と暗にその方に伝えられている気になってしまっていましたが、確かにそれは医者の範疇ではないですね。納得です。
今も挫折から立ち直ってる感は持ててませんが、宝くじ感覚で自分に合う考えがあるか調べてみようと思います。
どうもありがとうございます。
『ドロドロを経験しなきゃいけない』何故かこの言葉が気持ちに深く刺さり、納得しました。
感動するにも訓練が必要ってなるほどですね
漫然と生きてるだけでは心も動かなくなりますね
能動的に色々取り組んでしなやかな心を保ちたいです
深いなぁ〜!
先生、深いですね〜😦
私は、わりかし仏教なので、死のうとかは思わないし、「消えてしまいたい…。」なんて思ったときも、自分そんなん考えるのヤバいしおかしいってなるきっかけになりましたね!
そういう意味では宗教を持っていたからこそ、助かっていると思います。
私が最近救われたと感じたとはPSWさんとのいつものカウンセリングで、人の事は「生きている事自体に価値がある」と思えるのに、自分のこととなると、何故かそう思えないと話したとき、
「〇〇さんが、こうやって良くなろうとして通院したりデイケアでがんばっている姿を見るだけで、励まされている人がいるんだよ」と言われて号泣しました。
あの体験は本当に、人間の世界ってこんなふうにあたたかくて、こんなふうに思ってくれる人も居るんだって自分以外の人で確認できて、素晴らしいなって感動しました。
人間の「命の尊厳」って本当にあるんだなって、心の氷が溶けたような気持ちになりました。
また、少しずつでも生きる気持ちを取り戻して、良くなっていけたらと思っています。
一人暮らしで寂しい。
何の為に生きてるかわかりません。
安楽死させて下さいと相談したら
外国を紹介された😰。
そんなに遠くまでいけない。
不運の連続!
先生の数多くの貴重なコメントの中で、一番自分に聞かせたい気付きです。
何度も振り返りしています。
自責で苦しむ自分の為に。
病気は不運の連続で起きる、益田先生は分かっているなあと思いました。不運が積み重なる、パワハラで鬱、後に通院しながら、転職した身なので、良く分かりました。ありがとうございます。お話も、現在臨床で主治医が対応されるのと同じです。
結論が出ずにぐわーーーーーんって話が散らばってすごく自由に広がって終わるかんじが私の話し方そっくり
ルネサンス以降、生やフィジカルにフォーカスを当てているんだから、遅く発展した医学が死をタブー視したりフィジカルの細分化を優先してメンタルが精神科しかなかったりする時点でお察し。医学には取り扱うには重い話題ですよね。
定期的に見たくなります、益田先生の視野の広さ‼️
自死は地獄に行くらしく。地獄には行きたくないので必死に生きています。
幸せなんだけどまた別の感情ていうか衝動だったりします。
皆さんへ
治療をして治るものは治して頂きたいと思います。
よく動画拝見しています。
今回のテーマで仰っていたこと、大体自分が考えていた悩みそのまんまだったのでびっくりしました。
本質的に全てに意味がないと、善悪の基準や生きる目的、自分の価値観、全てが揺らいでとても苦しいです。
こういう事を考える自分自体が異質な気もして孤独も感じます。
普通の人はこういうことで悩まないのかと思うと、なんだか世間に馴染めないような気もしてしまいます。
でも先生が仰っていたように、こういう話はタブー視されているような気がしてそれで罪悪感を感じていたのかもしれません。
なので先生が言葉にしてくださって安心しました。
一般論として、話を説明してくれたり、大事なことを説明してくれるのでこのようなテーマは助かります。
よく見て感じる為に、何度も視聴しました、
辛く、苦しくなると、消えたいと思い、恐怖を感じない消えかたを良く考えていました、
信頼、安心出来る人と場所が欲しい、その願望が凄く強いのですが、
強く頼るのが人、という事は無理な事のようです。
一時期、仏教に興味を持ち、浅くしか勉強していない為、自己犠牲的、防衛的で辛くなり辞めてしまいました、
でも、お寺の建物の美しさに興味があり、他にも興味がある物をアートで表現するのが好きなのが分かりましたが、
“こんなんで、良いのかな”と、“役に立っていないな“と思い悩む事もしばしば、
でも先生のお話しを聞いて、”良いのだな”と、良い意味で頭も心も軽くなりました。
いつも興味深いお話し、有り難うございます🌱
勉強すれば生きてる価値がわかるか。なるほど。話を聞いてるとさすがにプロだな。困難を抱える人の本質的な理解と、困難への対処を深く理解しているなぁという印象を持ちました。
この永遠のテーマに触れていて、精神科を超えた崇高さを感じます。
私は、40年以上、この命題と向き合っていますが、未解決です。
心身の修行をして悟りに近づくと苦しみから離れて心が楽になる、というのが希望と言えば希望です。意味がないといけないと思うのは意味がないと人に捨てられるからだと思います。見向きもされなくなる恐怖、というやつかもしれません。孤独は不運の一種でしょうか?
わたし、子供の頃から変わっていて人間が生きる意味や死って何ってずっと疑問を抱きながら生きてきた。
どんなに立派な人や有能な医師に尋ねてもしっくりくる回答は得られず😰
そんなこんなしていたある日、アップルのスティーブジョブス氏の名言を知りストンって腑に落ちた🤗
死は生命最大の発明
死は生命が進化のために発明したシステム
為になります。落ち込んだ際、生死にまつわる哲学的問答に捉われることが多かった。自分を正当化することで生きる理由を見出そうとしているのだと理解していましたが、知性化という現実逃避だったんですね。知れてよかったです。また同じような負のループに苛まれそうな際には、自身を客観視出来そうです。ありがとうございます。
益田先生の動画が本当にありがたいです。
「ちきんと学ぶ事で生きることの理由を見出だせる」
本当にその通りです。私の学ぶ事でひとつひとつ乗り越えていきます。
益田先生の動画の力もお借りしますね。
こんにちは。
『哲学は心の蛹である。いつか羽化せねばならない』
至言ですね!
生きる希望、死なないためにはでは死にたくなったら何かに夢中になり頑張って生きていくこと、頑張ってるのなら何も死にたくならない、兎に角何かに打ち込むこと、それが大事だ。
45年程前は、親、姉妹に大反対され結婚し夫のDV現実のショックで若かかりし時に死を考えた時に子供が頭に浮かびおいて逝けない!生きることに夢中でした。
自分は生かされていると思うこともよくありました。
子供が独立して
回りの守ってくれる方々がいたからここまで生きられました。
当時は、何処の病院に行っても原因が解らず夫からのすら病扱いに悩み精神科病院に助けを求めましたが
このような診察がありませんでしたね。。
これからは犬の寿命まで生きなければと
あと10年くださいと願っています!
今日も感慨深いお話をありがとうございました!
「貴方は頭がおかしい」「貴方は指示が入らない」
じゃあ、どうしたら良い?
生きるのは辛い、死にたいが、生きろと言われる
生き地獄だ
先生はちゃんと、コメント欄の皆さんの意見を聞いて、持論をブラッシュアップされてますね。登録者が増えるにつれて、読みごたえのあるコメントが増えているのを感じます。
不運によって精神疾患になったかもしれないが、意味があって、だれかの役に立っている。大事なお話でした。益田先生ありがとうございます。
弱ってる人に自己責任!だの4ぬなら勝手に4ね!だの言う人たちは、生きる事について何も考えてない・悩もうとすらしないから簡単に他人に暴言吐けるんだな、、と思いました。
歳をとると不幸の蓄積が固着したり、人間関係が希薄になったり劣化するので苦しいです。これからどうするか思案しています。
単に死ぬのが勇気がいるから生きている気がする。死にたいというのも昔も今もあるけど、色々考えてそれは単に上の人が押し付けてきた考えと、その上の人を疑いも無く尊重する大多数の日本人のせいで、そう思うのであって、誰しもが生きていたいんじゃないかな、本当は。特に今は日本は中国からミサイルを撃ちこまれたり日本の危機も迫っているから、生きていく希望が無くなっている気がする。勉強で救われたりするのかな。治療者と話というのも、向こうから話を切ってくる一分治療なので、先生のようにちゃんと話を聞いてくれる患者さんが羨ましいですね。
悩んでもうどうしようもない時に周りに相談できる相手が1人でもいれば自分もその悩みを笑い話に出来るのに、悩んだ時に周りがどんどん離れてって居なくなるから鬱になるんだと思います。最近なんか相手のこと考えて相談するのも怖くなってきました
死なないことの大切さが、論理的且つ多角的な視点で語られていて、とても分かりやすかったです。
この動画は、死にたい気持ちを抱えている方が、今一度冷静になって、死なない為の具体的な解決法を探していく手掛かりになるのではないかと、思いました。
先生、いつも動画を有難うございます。
コメント欄に何とお書きしたら良いのか、ずっと考えておりました。
私は病気になる自分や他人を思う時、いつも
「そこから何かを学べ」と
神様?や宿命?運命?に
言われ、問われていると考えます。
例えば「体や筋肉が凝り固まっていたならば、いまのお前の心が凝り固まっているぞ」という
メッセージなのかなぁ・・などです。
何かしらの「答え」というのは、
その患者さんが持っている!?様な気がしてしまいます。
「答え」とやらが見いだせたならば、やはり
「生かして欲しい、役に立てる!!」と
思ってしまいます・・
69歳で、生きる事が人の使命でも有るのでは?と思ってました。使命となると何だか妙ですね。崖から落ちそうになって、ここまで生きてきたのだから、わけのわからない世界に飛び出すより、今のこの世界で生き続けてみようと、思い留まりました。先生の仰ってる事が分かる気がしています。改めて言葉にしてくださり、心がフラットになりました。ありがとうございます😂
死にたいきもちでいっぱいです。自分は失敗作で、世界から疎まれてると思っています。これを主治医に相談しても、そんなわけねぇからーと冷たくあしらわれ誰も味方がいない孤独感にさいなまれています
具体的な問題が解決していれば生きる理由が無くてもなんとなく生きていけるというのは、そうだなと思う
辛くて、会社にも休むことを伝える気力もなく、八方塞がりの状態のとき、死にたいというより、ここで、死んだら楽になれるかなと思うときは、あります。
とても興味深い内容でした。
私には、生きるについて教えてくれるお気に入りの絵本、映画があります。
●ぐるんぱの幼稚園
●パッチ・アダムス
です。どちらも、主人公が生きづらさを抱えています。しかし、
悩みつつも行動することで、
その人なりの生きる意味に気づきます。
私は感受性が強く、すぐに泣けたり感動しやすいのですが、ある意味で
良かったと考えています。
次回も楽しみにしています。
人として生を受けたからには、
何かしら世の中に貢献して、出来るならば生きた証として、名を残したい。
なんて志を持っていたこともありましたが…。
せめてこの命が続く限りは、世界の行く末を見届けたい。
とは思っています。
『病気は不運の連続で起きる』
→それって、確立としてはかなり低いですよね?
ということは、超レアな条件で自分は成り立っているんだなぁと、都合良く解釈。
良い人間関係、財政的な余裕があれば希望も持てるとは思うんですけど、そこに至る道筋が今の社会だとなかなか見つけられないです。体調が良くならなければ、森の外にいかないといけなくなりそうですね。
分かるようになるというのは、ほんとにそのとおりだなあと思いますね。自分が死んだら、子どもたちはものすごく辛いだろうとか、母や弟は傷つくだろうと言うことは昔は分からなかったです。
結局は人の痛みが分かる人は、人を助ける事が生き甲斐になる事が多いから自助会が必要なんだと思っていました。
アメリカドラマなんかを見ていると特に思うのはキリスト教的なんでしょうかね。
技術が必要な職業訓練とシェアハウスと心の病って結構親和性があるように思ってます。
良い治療とは何か?どこまでが医師の仕事なのか?
「医師も、ディベートに持ち込んだ方が楽なんですよね…」
今までなんとな〜く感じていた、一連の益田先生の冷静な態度は、こうしたバックボーンがあったからなんですね〜「なるほど納得」です😊
以前、「後医は名医」ともおっしゃっていたように…抽象論でごまかし続けて、グルグルと現実逃避を繰り返して絶望し、どん底まで味わった後で、気がつけば今日もまた目が覚めて、身体もあって、何にもできなくともお腹は空くし、排泄もする自分が、死んだように横たわっている…
そんな自分でも、何故かそれでもまだ息をして「生かされている不思議」に気がつく事が出来た時に、いくぶんか開き直れて、ただ生きてみようかな〜と、焦りや力みがフッと取れていきますよね笑
患者さんが病や障害を受け入れられるようになると、生や死に対する考えも「現実的な良い方向に変化してくる」ような気がします。
冷静だけど決して冷淡・冷酷ではない、ホット&ドライで、常にクールな益田医師の絶妙な治療センスが、患者さんのハートをよりたくましく、元気(元々持っていた気)な方向へとリードしてくれていると感じています💪
能動的に、何かをすることが大切だと思いました。
恋人が出来れば生きていこう
と思えるだろうな
ま、一生孤独な死に損ないですわ
こんにちは!
益田先生の動画初コメです!
死なない理由の勉強ってこれから生きる上で大切なんだなと感じました。
今回の動画で一番響いたのが死んでからのことは分からないから考えても野暮だという言葉です。
そうですね。死んでからのことを考えても意味ないので、今を生きたいな思いました。宗教を学ぶことも死なない理由について深く学べるのも知り、昔宗教のことを少し学びましたが、また機会があったら宗教のこと学んでもいいのかな。
今日も動画ありがとうございました。勉強になりました。
益田先生ほんと男前♪ですね。患者さんは診察日をかけがいにまいにちすごせそうですね。私はヨーロッパ在住20年中半分は診察を受けています。医師の夏休みも長いのでコロナもあるし、もう少し活動的に治したいです。