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【★重要な補足★】訳者の岡谷和作さんに連絡をとったところ、「サイドB」の意見を理解する為に必要不可欠な情報をいただいたので補足します。少なくとも訳者の岡谷さんの理解では、「サイドB」は以下のような考え方がベースにあるようです。1) 同性愛指向は、いわゆる生まれつきの「障害」のようなものである→ 従って、同性愛指向は「先天的」なものであり、選べるものではない→ 身体障害の方や知的障害の方に不自由があるからといって「罪」とは言えないように、同性愛指向があること自体は「罪」ではない→ 当然、「障害」の定義によるのであり、完全に同一とは言えない。しかし、先天的であり選べず、ほとんどの場合に治癒が認められない点で障害と特徴は同じである→ ADHDの人や、パーソナリティ障害の方々が、いわゆる「罪」を犯しやすいからといって、その障害が「罪」とはならないように、同性愛指向を持つこともまた「障害」であるから、その指向を持つこと自体は罪ではない2) 同性愛指向には、先天的な障害のようなパターンと、後天的な精神疾患や傷のようなパターンがあり、混在している→ 先天的なパターン(例えば遺伝子異常)の場合は、治癒が期待できない。よって上で書いたように障害と同じであり、罪ではない→ 後天的なパターン(例えば家庭環境による傷やトラウマ)の場合は、適切な処置により治癒が期待できる。心の傷や精神疾患であり、専門家の対応が必要。かわいそうではあるが、そのあり方は障害ではなく罪である→ 上記の先天的、後天的な2つのケースがあり混在している。また両方を含むケースも多い→ 先天的のみの場合は障害と同じであり、ヒルはそれにあたると自身をみなしている訳者の岡谷さんによると、ヒルは自身のブログで「同性愛指向は例えばダウン症のような障害と同じであり、自分ではコントロールできないものだ」といった主旨の見解を示しているそうです。これは、この本への応答として「神の創造の段階では同性愛指向がなかった」とする批判が出たことによる、逆批判の意図で書かれたものだそうです。◾️参考記事www.firstthings.com/blogs/firstthoughts/2013/04/on-bilingual-pastoral-theology上記のブログのように、「自分で選べずコントロールできない」という意味で、同性愛指向は障害と同じようなものである(完全に同じだとは言っていない)というのがヒルの意見であり、実は邦訳では割愛されたものの、英語の原著にはそのようなニュアンスの文が入っているそうです。また、岡谷さんは「堕落の結果としての状態の罪」と「個人の選択としての行動の罪」を分けて考えるべきだとも考えているそうです。小林個人としては、自分の意見や立場とは違うものの、「同性愛指向≒障害」と考えるのであれば、いわゆる「サイドB」の立場が存在することは理解できますし、論理的にも彼らの意見には一応の筋は通るとは思いました。(ただ、他の障害とは違い、同性愛指向は罪に直結していることや、治癒する人の確率が他のダウン症などの障害と大きく違う点などが納得しきれない部分ではあります。治癒しない人の確率がどの程度なのか、データなどの吟味が必要かと思いました)以上、参考にしてください。
先天的な「障がい」を、はたして神がおつくりになったのか、という大きなテーマに辿りつくことだと思います。我が家には発達障がい児がいますが、先天性のものだから仕方ない、とは思ったことはないです。神は間違えない方。本当は男性になるべきだったのに、女性に創造してしまった、ということが真理だとは思えません。障がいも同じ、どうにもならないことだからこそ、理性や理論で説明のつかない事だからこそ、神の前にへりくだって応えを待っています。神は人を創造され、みよ、それはとても良かった、と言われた方。十字架によって完了しているのならば、十字架の力を弱めているのは人であり、無限の神を有限にしてるのも人の思考だと思います。全ての思考を十字架につけ、キリストに服従させ、とありますから。わたし達が服従させる、と決断したらあとは神の素晴らしい恵みのわざを体験できること、わたし達の神は今も生きて、遥か思考を超越して…人知を超えた神の愛の中で生かされている恵みを、もっとたくさんの方々が体験されることを願います✨✨
トランスジェンダー当事者(性転換手術済)で自閉症グレーゾーンです。私の性別違和と自閉症は、現代においてどちらも疾患と見做されています。同性愛もかつてはそうでした。自閉症を除いたこれらの特性が疾患か否か、先天的か否かは、政治問題化し過ぎてもう医学的、神学的な結論は出せないのだろうなと思います。また、男は男らしく、女は女らしくしない私は罪なのか?という問に対しては以下の様に解釈しています。自閉症に関しては、「本人が罪を犯したのではなく、また、その両親が犯したのではない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」(ヨハネ9:3)とありますし、自閉症による迫害から逃れるためトランスジェンダーという生き方を選択したのも、「試練と同時に、それに耐えられるように、逃れる道も備えてくださる」(一コリント10:13)とあります。ゆえに、私のトランスは罪に当たらないと考えます。ただ、自分は神学的にエクスキューズが用意出来るからセーフというのは、余りにも他の当事者に対し思いやりの無い考えとも思っています。どちらにしても他の部分では罪を犯しているわけですし、周囲につまづきをもたらすLGBTは罪か否かって議論は無期限に棚上げしておくのがいいのかなーと現段階で考えています。
信仰生活の中から与えられたメッセージどうも有難うございました。励まされました🎉@@shipnoahope7029
一万歩譲って、先天的だとしても、それは残念ながら呪いですよね。。アメリカでは、新しい臓器ができたり、手足が新たに作られる奇跡があります。障がいもこの世で解放を求めればよいのでは?ちなみに私も、脳波測定により、障がいを告知されていますが、病気同様、その事実は古い人とともに死んだ!と宣言して異言で祈り、追い出しの祈りを続けています。受け入れればそれまでです。神を舐めすぎです。日本のクリスチャンは宗教家ばっかりで吐き気がします。
@@shipnoahope7029単なる家系の呪いですよ。。私も脳波の異常という医学的診断を、古い人の事実として捨て去り、新しい人の今は健常者だと宣言し、追い出しの祈りをし、異言で祈り続けています。家系の呪いを先天的と言うのです。。。
いのちのことば社も変わってしまいました。サタンは巧妙にクリスチャンの純粋な信仰を不純なものに変えようとあの手この手で策略をめぐらかしてくるのをつよくかんじます。
まさに、同感ですサタンは、まずクリスチャンの意識をターゲットにしますね!
百万人の福音でも、新しい聖書の解釈を持って、LGBTを受け入れようみたいな記事があって、驚きました(@_@;)終わりの日には、偽教師が出てくるとありましたが、惑わされる事がないように気を付けたいですね。
私の一番のモヤモヤは、いのちのことば社がこういう本を出版してしまうこと。いや、モヤモヤだなんて曖昧な感覚じゃない。なんという恐ろしい時代。
できる人にはできない人の気持ちはわからないということですよ。ある人にとっては簡単な事でも。ある人にとっては難しいこともあります。人にはわからなくても、神はどんな複雑な事情もわかっておられます。
母教会で、同性愛の人が悔い改めて牧師になりました。こういう方もいらっしゃるんですよね。
そういう方がいらっしゃったんですね!
配信ありがとうございます!熱いから水分補給よろしくおねがいします
スパチャありがとうございます〜〜!
著者は12歳で洗礼を受け30年が経ったとのことですので、現在は42歳かと思います。20代に転向療法も受けた様ですが何も変化が起きなった様です。ご本人も聖書的に不完全な身体であることは自覚されていますし、過去インタビューでも自分の性的指向に誇りを持っていることはないと言っています。自身の性的指向を特別な才能とも思っておらず、表情や話し方も自然体な方でした。彼の言う聖化プロセスを経て、最終的には異性愛者の身体になれると良いですね。お祈りします。ちなみにゲイ・クリスチャンを誇張して利用しているのは、周りのキリスト教関係者の方ではないでしょうか?ちなみに私は信者ではありませんが最近聖書に興味を持ち、今は毎日少しづつ読んでおります。その流れで拓馬さんの一連の動画を拝聴しております。聖書的な罪の1つでしかない同性愛の解釈だけで二極化している今のキリスト教業界を、余計なお世話ですが心配しております。
ありがとうございます!
@@ラグドール32 ないスパ
神が働いてくださったならば変わると思う。しかし、彼自身(私たち自身の)の力では無理だ。
全くすべてに同意です。私も違った棘を持っているので、その悲しさ、苦しさがわかるような気がします、けれど私はヒルさんは逃げたんだと思います。神様を信じることからも逃げていると思います。ヒルさんも実はわかっているんだと思いますね。私はヒルさんには、今後クリスチャンとして歩み続けるのなら、自分を正当化して逃げるのではなく、本当の意味で神様を信じ、自分の十字架を担って歩んで行けることを願っています。人は弱く、もちろん私も弱い人間で、偉そうなことわ言えません。自分が今述べたことによる自分への刈り取りさえ恐れている自分がいます。くびきは易くとあるように、諦めないで神様にどっぷり寄りかかって任せ切れると、苦しく見えるけれども実はメッチャ楽なのかもしれませんよ、知らんけど。デリケートで、人によっては正論述べやがって、ウザいと思われる方もいると思うので、後でこのコメント消します。自分もモヤモヤしてますし。この手の人は何故か自分の感情で問題に対峙しますよね、自分は信じる聖書で行ければと。
今回初めて小林さんの動画を見ました。個人的に気になっていた本で、なかなか手を出せていなかったのでレビュー頂けてありがとうございます。論理的に本に対する見解を広げていただけていたので、色々考えさせられて面白かったです。
ゲイであることが罪であるならば、その罪と向き合い続けなければならない、というのは、厳しい言葉ですが、その通りと思います。人間は誰でも罪を背負っていて、それは自分が越えていく他なく、そうしてこそ、救いの恵みがあるのだと、思いました。他人事ではなく、自分事として、罪に向かい合う必要がある、というメッセージだと理解しました。ありがとうございます。
以前、CGNTV で、同性愛者の女性がイエス様に出逢うことに依って、異性愛に目覚められ男性牧師の妻に成られ、同性愛から脱し、同じ同性愛者の女性を励ましてられるのを拝見しましたよ!!
今晩は、拓馬さん お話を聞かせて頂いた感想になりますが、この本人も翻訳者の方も聖霊体験が無いように思えてなりません。聖霊体験は色々な意見がありますから此処では触れませんが、神様に触れられた経験のあるクリスチャンならば正直おかしいと思うはず。人は感情を持っていますが、それによって他者を裁く権利は誰にもありませんが忠告する事は出来ますね。私個人の意見ですが同性愛は悪霊の影響が非常に強いと思いました。ヒルさんも聖霊様により頼んで欲しいです。
「2ツ目のモヤモヤ点」と、そこで説明された「聖化のプロセス」に特に共感しました。以前「自分を変えて頂く事」で「Aさんに対する怒りの取り除き」を成して頂きたい、と祈り続けて主に聞かれた実体験から、正しく「聖化のプロセス」とは、そういうものだ、と実感しました。
今までで最高の動画でした。卓越な才能をお持ちの小林さんですが、今日は素直さや誠実さも見ることができ良かったです。
変えられない=神でも不可能という信仰のように聞こえます。神に不可能な事があるのでしょうか?その信仰が問題ですよね。
あなたがた人の事簡単に信仰がどうのこうの言うけど本人は大変苦労してる内容ですこんな簡単にこの人のこと色々言うけどもしこの人の問題があなたの問題としたら,ほんとにあなたが言う信仰でこんな簡単に解決できるのかな,あなたが言うほどそんな簡単ではないかも,
じゃあ,あなたのその信仰でこの人のために祈ってあげたらどうですか,そしたらあなたの言うとうりこの人は神様が変えてくれるでしょう
でも小林さんの言うのもあたってると思います
勇気ある動画だと思います。
牧師様、はじめまして。僕はカトリック教会に通い始めて日の浅い、性的マイノリティの者です。始めに僕は、牧師様に謝罪しなければなりません。僕は誤った認識に囚われたまま牧師様の教えを曲解してしまい、僕のような者を救ってはくれないヒドイ人なんだと誤解してしまっておりました。しかし今回の牧師様の教えを最後まで拝聴し、それは大きな間違いだったと気づくことができました。牧師様は僕のような罪を犯し続けている者にも、一緒に救われようとお招きくださっていたのですね。非常にわかりやすい、素晴らしい教えをありがとうございます。ある共同体で信仰を続けさせてもらう以上、共同体の信仰秩序を乱してしまうまで自己を押し通そうとするのはダメだ、そこをどうしても譲れないのであればそれを満たしてくれる別の宗派や別の宗教を選べるというのも神様から与えられた自由だ、同性愛の罪だけが特別重かったり軽かったりすることはなく、他の罪と同じように背負わなければならないということなんですね。「憑き物が落ちたよう」というのは、こんな感覚を言うのかと思いました。僕の神父様に先日この悩みを打ち明け、「僕の信仰は盛大に転倒してしまい、もう立ち上がれそうにありません」と弱音を吐いたとき、今のあなたは、信仰に躓いてすらおらず迷いを抱きかけているだけ、むしろこの迷いによってより高いところにあるものを掴むためにもがき苦しんでいる、そのまま続けなさい、でも過度に自分を責めないように、そしてそれでも教会を求めるのなら喜んで迎えるとの励ましが理解できました。すべてのみなさまと、今日僕の目を開かせてくださった牧師様に、神様イエス様の大きなお恵みがありますように。
はじめまして。心の込もったコメント、本当にありがとうございます。僕の発信によって、もし心が傷ついたり、嫌な気持ちをさせてしまっていたら申し訳ありません。しかし、動画でもお話した通り、イエス・キリストはまさに私たち全員の為に死んでくださいました。Tsubasaさんの為にも、主イエスの救いの道が開かれています。救うのは私でも、他の牧師や教理・教派ではなく、唯一の神であり救い主のイエスです。Tsubasaさんにとって、イエスと出会い、共に歩める共同体やつながりができるように、お祈りします!共に、聖化のプロセスをもがきながら歩んでいきましょう! コメントとっても嬉しかったです。
@@ura.cloudchurch始めこそ傷ついてしまったのは事実ですが、それは僕の誤った認識によるものでしたので、今となっては僕の心の支えの一つとなっております。信じれるものが広がると、僕の目に入るこの世界のすべてのものが新しく感じます。こんな素晴らしい世界を僕はこれからも生きたいという気持ちでいっぱいです。聖書の勉強もレビ記のところで辛くなって立ち止まってしまいましたが、また読み始めようと思います。別のところでご紹介されていた岩波訳の新約聖書も読んでみたいです。これからも牧師様のご配信を楽しみにしております。今後ともよろしくお願いいたします
いろいろ知れて、良かったです。
ありがとうございます
これは難しいですね。確かに「義人は誰もいない」とか「罪人である」と書いてあります。とても難しい😓
『わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。』ヨハネの福音書16:33イエス様そっちのけが、今の時代なんですねぇ(T . T)
自然界には、同性愛が溢れてます。同じ哺乳類のイルカは、若い頃同性愛の経験があるオスほど、メスとの交尾も上手くいくと、ちょっと前にネットで話題になりました。私のモヤモヤは、このヒルさんは、誰か好きな人に告白して、その人と同性婚して、養子を迎えるなど、何かをしない事で評価されるより、良い実を結ぶ事を目指されたら良いと思いました。
その本を書いて出版した人、「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか」ってイエス様に言われちゃうかも。
小林さんはよく聖書を勉強をしていらっしゃるので感心しておりますが、聖書の中に人間の理想的な生き方がすべて書いてあるという思い込みには、正直「はて?」と思うことがあります。特に男女の性別問題にはそう感じます。聖書の神は男でしょうか?そうだとしたら女の神はどこにいるのでしょうか?神は栄化によって悩みや迷いが全くないのでしょうか?そういう所聖書の記述が曖昧なので思考停止しているように感じます。でも信仰というのはそういう所が原点なんだと思っています。何が言いたいのかという言いますと、そういう聖書の空白をどう補完するか、それがその人の生き様になるということです。そういう視点で紹介された本の感想を語るのでしたら、なるほどと思える、というのが、この動画の私の個人的な感想です。
40年以上前から、いのちのことば社様の出版物にはほんとうにお世話になっております。この貴重なご紹介、★重要な補足★(ほんとうに重要な補足です!)、小林様の真っすぐなご意見をありがとうございました。
歯に絹着せぬご意見を威風堂々と語る小林さん、素晴らしいです、さすがです、知らないことばかりでした、感謝します✨
私はいのちのことば社からこの本がでたことにがっかりしました。障害と同じといっても同じでもない。ダウンの方や他の胎児診断で産まれてくるお子さまとは分けてかんがえてほしいです。
私はこの本を読んでいないので、なんとも判断できませんが、小林さんのお話しから、やはりそこにびっくりしました。いのちのことば社もかわりましたね。
ゲイは後天的、障がいは先天的、の違いありますが、呪いに変わりありません。でも、日本人ほぼ全員だって、偶像崇拝の家系の呪いを受けて生まれてきますから、別段呪いを特別視する必要もなくただ淡々と悔い改めて、追い出して御言葉を自分の真実とすべく異言で祈って心を一新するしかないですよね。。。本当に本当にショッキングですが。。でもこの世界はルシファーが統治してきたので全てが嘘で呪われてますからねえ。。。🤮
終末が近づくと、悪はさらに栄えるとあります。ことば社もあっち側に取られちゃったんでしょう。。。
こんにちは🤗サイドBの意見動画を拝見しました。ゲ○の牧師さんがいたなんてビックリです😳けれど同性恋愛も結婚もしないならば、その価値観を手放して、1人の人間としてのクリス チャンを生きれば良いと思うのですが・・・難しいんでしょうか?他のコメントに、生まれつきの同性愛者はいないとありましたが、分かる気がします。何故なら人は生まれながらの、罪の性質を持っていますし、そこからは様々な罪が発生します。ノアがいた時代ロトがいた時代共通の罪が溢れていたように思います。大洪水の前の人々ソドム、ゴモラの人々も欲望のままに共通の罪をも犯し放題だったように思います。あくまで私の個人的な意見なので、私の意見が正しいと言いませんまだまだ人生も聖書も勉強不足なので、ご了承ください🙏
聖公会の、この事についての意見・見解を伺いたいです。
本当に,読む意味があるのがとも,思ってしまいますゲイと名乗る前にも,よくよくカウンセリングを受けるべきだったのではないでしょうかやはり、なんでもありは,よく無いし 聖公会は,日本の教育の幕開けをつくってくれましたーそれゆえに,私は信頼してました残念ですね😂
ヒルさんの体験談に尽きませんか?と私も思いました。リベラル思想の意図もプンプンしますね~。聖霊の働き、生ける神様による解放や癒し奇跡を否定してるのかとさえ思います。同性愛の罪が特別との認識も問題ですし。聖書の価値感が益々軽んじられてる出来事に、あ~あです、私は😢
中川健一牧師のTV番組で20世紀の時点で、ゲイは不安定な子供の頃の環境で身につけた思い込みだった、と特に精神的に不安定な少年を守る必要性を訴え続けているアメリカ人男性を招いてディスカッションされていました。古いので独自のウェブサイトにて公開されているだけですが。。
神は同性愛者として創造されることは絶対にないですね。なので同性愛がアイデンティティのままで聖化が完了(栄化)することはないわけです。ということは、聖化のプロセスのどこかの段階で同性愛が癒される可能性は十分にあります。拓馬さんが仰る通り、この著者は聖化されることをただ単に諦めてしまっているだけだと私も思います。また、「神にとって不可能なことはない」という信仰を持つことが大切ですね。自分の力でどうにかしようとすると限界が露わになり、自分自身に律法的になり諦めてしまうのは当然です。そうではなく、神によって造り変えられることを信じる信仰が与えられることを期待します。わたしも、同性愛「思考」を持つことそのものが罪であることが大前提であることは私も同意です。もし、その「思考」が罪でないとするならば癒しのプロセスを経験することも非常に困難になります。拓馬さん仰る通り同性愛だけが「特別な罪」ではなく、人によって何に中毒になるかは違いますので、それぞれの立場の戦いがあります。聖霊の力によって聖化されれば、生きている間に癒されます。
私は同性愛者非難しません
お互いをリスペクトし合いながら対話すること、したのに出来なかったこと多いです。 色々ご経験され活躍されているクリスチャンの方のやり方に意見するだけで、排除みたいな対応されてきました。 そういう私もついつい否定的態度に消耗するのは無駄だと切り離してしまった事もあるし、今じゃ臭いだけで察知して避けています。 小林さんの活躍を期待して応援しています。
厳しいですね。だいぶ、とんがってる気がしました。それなりに整合性を保ってやれてるなら、十分な気はしますけどね。論理だけで済むのは、主さんがたまたま異性愛者だからでしょう。性行為が一切できないのと、奥さん以外とできないのでは、やっぱり、悩みの度合いが違いますよ。奥さんとできる人は、まだやり過ごしやすいほうだと思います。やっぱ、性行為って、普通の人が生きてる中で最大の悦びと言っても過言ではないので、そこが満たされないっていうのは、かなりキツイとは思いますけどね。同性愛者にとっては異性愛はキモいんだと思います。主さんも仮に聖書が同性愛を勧めてたら、「聖書に書いてあるんだから、同性愛するぞ!」ってなります?まずは、キモくて無理!が先に来そうですが。。
パリオリンピック開会式大っぴらにアンチキリストでワロタ
内容的にとても危険だと、感じました。
@@フツーの人-r4e ルシファーが空から降ってきた出演も聖書通り過ぎてビビりました。
そういうエッセイだと思うのですが、感情がベースだとダメなんですかね?
ダメではないですよ。ただ、僕の期待と違ったという点と、書籍としてはエモーショナルに訴える力はあっても、論理的説得力はあんまりないかなという評価だということです。
@@ura.cloudchurch ありがとうございます。とりあえず買って読んでみまーす😊
どこでも、自分、自己に依拠する姿勢を貫くと神様の存在が人間の支配下に在ることになってしまいますよね。人間は、かみさまに依って創られた存在、と知ることが知識の初めを、実感し、人生に於いて経験するのが聖霊体験だと、知らないのでしょうか?自分で自分を肯定するのは本質的に高慢で、しんどい生き方なんだと、ヒル氏には知って頂きたいですね。
もし「そんなに批判されるなら私はクリスチャンを辞めます」とヒル氏が言ったとしたら、小林氏は「異端が一人減った」と感じて満足なのでしょうか?
小林牧仕のお話、ちゃんと聞いていますか?
相変わらず自身の立場や意見をハッキリさせて恐れず発信する拓馬さん。たくましい!ですね。素晴らしい!ただぁ!本の売り上げに貢献してない?
それはちょっと思いましたが、LGBT関連のキリスト教本は「売れ筋」なので、この流れは僕のUA-camごときでは変わらないと判断しました。近々、またいのちのことば社から数冊、LGBT関連の本が出るそうです。崖っぷちキリスト教出版の "救世主" ですね苦笑
ヒルさんにしても岡谷さんにしても、甘えに徹しています。小林牧仕の言われるように、いくら努力してもプライドが出てしまうとか、ついつい怒りを発してしまうとか、と同性愛者は何一つ変わりませんそれよりももっと自分を甘やかしているだけです。今日生きるのにやっとの人からすれば、人生何の苦労もしていないのか、と思わずにいられないと思いますよ何の苦労もしてないのに、神よ、自分は努力しました、とか言っているのは子供レベルですそれで周りに理解してくれとか、苦しんでいるのに何で?と言うのは筋が通りません聖化なんておこがましい話しです子供は教えを受け成長していきますいつ迄も乳飲み子であってはいけません成長期に教えに逆らって来た挙句、自分の癖だからと正そうとしていないだけです。もし例えば、同性愛を続けていたら間違いなく、ガンになるとしましょうそれでも、同性愛をやめないで、主よ助けてくださいと祈りますか?主がはっきりと性的な罪は偶像礼拝と同じだと言ってらっしゃるのに〜主に対して侮辱ではないですか甘えるのはいい加減にしてください いろいろ理論付けても、霊的に成長していないだけです
昨日、ヒル先生岡谷さん達はご自分の主張を理論付けて周囲に理解を求めているだけだと指摘した事は、私自身も人を裁いているので、主に許しを祈りました。ヒル先生はご自分がサタンの餌食になっているのがわかっていないのですねそこが可哀想なんですこの世はまだサタンが牛耳っています。その結果も付いてきますアダムとイブの場合、ノアの時代の人々、ノアの息子ハム、ロトの妻、ロトの娘達、云々その時代にあって、その人が選んだ結果が出ているのですサタンの惑わしに乗るのか、主の方に付くのか、その人の選択の結果は出てきますどうぞ、頑張って主の方を選んでください祈っております
主流派教会の中でも同性愛についての教理について議論されてます。性行為がダメなのか、その趣向まで言うのか、、、。またそれで苦しんでいる同性愛のクリスチャンにどのように手を差しのベルのか?! 小林さんの考えは、キリスト教の正道だと思います。最近のこの手の話が政治的ものを感じます。
私はゲイで牧師の平良愛香先生と友達になっていますが、小林先生からみると敵対する存在でしょうか?
主はよいお方です。主に間違いはありません。男は男として女は女として作られました。主が与えられたそれぞれの人生の舞台を受け入れて感謝して人生を全うする事です。
ほんと‼️なぜ,このような人の本が出版されたのでしょうか?ゲイクリスチャンとは,どういう思考なのでしょうか?神様は,最初から,男は男,女は👩女として造られましたしかも,アメリカ聖公会の牧師が,このようなことを認められたのか不思議極まりないです
同性愛の方は産まれ た時から。あるいは第2時成長期で気がついたといいます。教会という共同体に受け入れるのは大切ですが どうか 主をしり主によって 変えられ信仰により聖化の道を歩まれることなのかとおもいます。本はよんでいませんがゲイクリスチャンだから結婚しない、子供つくらない、などの禁欲的な生活が自然でもありませんが。私達は神の形に 似せて創造された者ですし、主を信じれは罪の性質は残っても人はかえられるんだと信じています。あとひとつ 共同体の目的です。福音をのべつたえて救いに導ける所になってほしいです。ゲイの方だけではなくてトランスジェンダーの方も性別適合手術後の問題もありますよね。動画をみて思い付くだけのコメントですみません。
私の感想です。この牧師さんはLGBT擁護論者なんでしょうね。
どの方のことですか?
@@ura.cloudchurch すみません。作者の司祭のことです。自己弁護そのものだと思いました。
「何が対話か!」全てこの一言に尽きますよね🤭とても良いお話 ありがとうございました😊
アーメン
ゲイは別に誰にも迷惑かけてない。ほっといたれ
まあよく言うよ!笑
いつも動画で 今まで全く教会⛪️では教えてもらえなかったことや疑問に思っていたことを教えていただいて新しい信仰生活を送ることができます毎回楽しい動画をありがとうございます
【★重要な補足★】
訳者の岡谷和作さんに連絡をとったところ、「サイドB」の意見を理解する為に必要不可欠な情報をいただいたので補足します。
少なくとも訳者の岡谷さんの理解では、「サイドB」は以下のような考え方がベースにあるようです。
1) 同性愛指向は、いわゆる生まれつきの「障害」のようなものである
→ 従って、同性愛指向は「先天的」なものであり、選べるものではない
→ 身体障害の方や知的障害の方に不自由があるからといって「罪」とは言えないように、同性愛指向があること自体は「罪」ではない
→ 当然、「障害」の定義によるのであり、完全に同一とは言えない。しかし、先天的であり選べず、ほとんどの場合に治癒が認められない点で障害と特徴は同じである
→ ADHDの人や、パーソナリティ障害の方々が、いわゆる「罪」を犯しやすいからといって、その障害が「罪」とはならないように、同性愛指向を持つこともまた「障害」であるから、その指向を持つこと自体は罪ではない
2) 同性愛指向には、先天的な障害のようなパターンと、後天的な精神疾患や傷のようなパターンがあり、混在している
→ 先天的なパターン(例えば遺伝子異常)の場合は、治癒が期待できない。よって上で書いたように障害と同じであり、罪ではない
→ 後天的なパターン(例えば家庭環境による傷やトラウマ)の場合は、適切な処置により治癒が期待できる。心の傷や精神疾患であり、専門家の対応が必要。かわいそうではあるが、そのあり方は障害ではなく罪である
→ 上記の先天的、後天的な2つのケースがあり混在している。また両方を含むケースも多い
→ 先天的のみの場合は障害と同じであり、ヒルはそれにあたると自身をみなしている
訳者の岡谷さんによると、ヒルは自身のブログで「同性愛指向は例えばダウン症のような障害と同じであり、自分ではコントロールできないものだ」といった主旨の見解を示しているそうです。これは、この本への応答として「神の創造の段階では同性愛指向がなかった」とする批判が出たことによる、逆批判の意図で書かれたものだそうです。
◾️参考記事
www.firstthings.com/blogs/firstthoughts/2013/04/on-bilingual-pastoral-theology
上記のブログのように、「自分で選べずコントロールできない」という意味で、同性愛指向は障害と同じようなものである(完全に同じだとは言っていない)というのがヒルの意見であり、実は邦訳では割愛されたものの、英語の原著にはそのようなニュアンスの文が入っているそうです。
また、岡谷さんは「堕落の結果としての状態の罪」と「個人の選択としての行動の罪」を分けて考えるべきだとも考えているそうです。
小林個人としては、自分の意見や立場とは違うものの、「同性愛指向≒障害」と考えるのであれば、いわゆる「サイドB」の立場が存在することは理解できますし、論理的にも彼らの意見には一応の筋は通るとは思いました。
(ただ、他の障害とは違い、同性愛指向は罪に直結していることや、治癒する人の確率が他のダウン症などの障害と大きく違う点などが納得しきれない部分ではあります。治癒しない人の確率がどの程度なのか、データなどの吟味が必要かと思いました)
以上、参考にしてください。
先天的な「障がい」を、はたして神がおつくりになったのか、という大きなテーマに辿りつくことだと思います。我が家には発達障がい児がいますが、先天性のものだから仕方ない、とは思ったことはないです。
神は間違えない方。本当は男性になるべきだったのに、女性に創造してしまった、ということが真理だとは思えません。障がいも同じ、どうにもならないことだからこそ、理性や理論で説明のつかない事だからこそ、神の前にへりくだって応えを待っています。
神は人を創造され、みよ、それはとても良かった、と言われた方。
十字架によって完了しているのならば、十字架の力を弱めているのは人であり、無限の神を有限にしてるのも人の思考だと思います。
全ての思考を十字架につけ、キリストに服従させ、とありますから。わたし達が服従させる、と決断したらあとは神の素晴らしい恵みのわざを体験できること、わたし達の神は今も生きて、遥か思考を超越して…人知を超えた神の愛の中で生かされている恵みを、もっとたくさんの方々が体験されることを願います✨✨
トランスジェンダー当事者(性転換手術済)で自閉症グレーゾーンです。
私の性別違和と自閉症は、現代においてどちらも疾患と見做されています。同性愛もかつてはそうでした。自閉症を除いたこれらの特性が疾患か否か、先天的か否かは、政治問題化し過ぎてもう医学的、神学的な結論は出せないのだろうなと思います。
また、男は男らしく、女は女らしくしない私は罪なのか?という問に対しては以下の様に解釈しています。
自閉症に関しては、「本人が罪を犯したのではなく、また、その両親が犯したのではない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」(ヨハネ9:3)とありますし、自閉症による迫害から逃れるためトランスジェンダーという生き方を選択したのも、「試練と同時に、それに耐えられるように、逃れる道も備えてくださる」(一コリント10:13)とあります。ゆえに、私のトランスは罪に当たらないと考えます。
ただ、自分は神学的にエクスキューズが用意出来るからセーフというのは、余りにも他の当事者に対し思いやりの無い考えとも思っています。どちらにしても他の部分では罪を犯しているわけですし、周囲につまづきをもたらすLGBTは罪か否かって議論は無期限に棚上げしておくのがいいのかなーと現段階で考えています。
信仰生活の中から与えられたメッセージどうも有難うございました。励まされました🎉@@shipnoahope7029
一万歩譲って、先天的だとしても、それは残念ながら呪いですよね。。アメリカでは、新しい臓器ができたり、手足が新たに作られる奇跡があります。障がいもこの世で解放を求めればよいのでは?ちなみに私も、脳波測定により、障がいを告知されていますが、病気同様、その事実は古い人とともに死んだ!と宣言して異言で祈り、追い出しの祈りを続けています。受け入れればそれまでです。神を舐めすぎです。日本のクリスチャンは宗教家ばっかりで吐き気がします。
@@shipnoahope7029単なる家系の呪いですよ。。私も脳波の異常という医学的診断を、古い人の事実として捨て去り、新しい人の今は健常者だと宣言し、追い出しの祈りをし、異言で祈り続けています。家系の呪いを先天的と言うのです。。。
いのちのことば社も変わってしまいました。サタンは巧妙にクリスチャンの純粋な信仰を不純なものに変えようとあの手この手で策略をめぐらかしてくるのをつよくかんじます。
まさに、同感です
サタンは、まずクリスチャンの意識をターゲットにしますね!
百万人の福音でも、新しい聖書の解釈を持って、LGBTを受け入れようみたいな記事があって、驚きました(@_@;)
終わりの日には、偽教師が出てくるとありましたが、惑わされる事がないように気を付けたいですね。
私の一番のモヤモヤは、いのちのことば社がこういう本を出版してしまうこと。いや、モヤモヤだなんて曖昧な感覚じゃない。なんという恐ろしい時代。
できる人にはできない人の気持ちはわからないということですよ。ある人にとっては簡単な事でも。ある人にとっては難しいこともあります。人にはわからなくても、神はどんな複雑な事情もわかっておられます。
母教会で、同性愛の人が
悔い改めて牧師になりました。こういう方もいらっしゃるんですよね。
そういう方がいらっしゃったんですね!
配信ありがとうございます!熱いから水分補給よろしくおねがいします
スパチャありがとうございます〜〜!
著者は12歳で洗礼を受け30年が経ったとのことですので、現在は42歳かと思います。20代に転向療法も受けた様ですが何も変化が起きなった様です。ご本人も聖書的に不完全な身体であることは自覚されていますし、過去インタビューでも自分の性的指向に誇りを持っていることはないと言っています。自身の性的指向を特別な才能とも思っておらず、表情や話し方も自然体な方でした。彼の言う聖化プロセスを経て、最終的には異性愛者の身体になれると良いですね。お祈りします。
ちなみにゲイ・クリスチャンを誇張して利用しているのは、周りのキリスト教関係者の方ではないでしょうか?
ちなみに私は信者ではありませんが最近聖書に興味を持ち、今は毎日少しづつ読んでおります。その流れで拓馬さんの一連の動画を拝聴しております。聖書的な罪の1つでしかない同性愛の解釈だけで二極化している今のキリスト教業界を、余計なお世話ですが心配しております。
ありがとうございます!
@@ラグドール32 ないスパ
神が働いてくださったならば変わると思う。しかし、彼自身(私たち自身の)の力では無理だ。
全くすべてに同意です。私も違った棘を持っているので、その悲しさ、苦しさがわかるような気がします、けれど私はヒルさんは逃げたんだと思います。神様を信じることからも逃げていると思います。ヒルさんも実はわかっているんだと思いますね。私はヒルさんには、今後クリスチャンとして歩み続けるのなら、自分を正当化して逃げるのではなく、本当の意味で神様を信じ、自分の十字架を担って歩んで行けることを願っています。人は弱く、もちろん私も弱い人間で、偉そうなことわ言えません。自分が今述べたことによる自分への刈り取りさえ恐れている自分がいます。くびきは易くとあるように、諦めないで神様にどっぷり寄りかかって任せ切れると、苦しく見えるけれども実はメッチャ楽なのかもしれませんよ、知らんけど。
デリケートで、人によっては正論述べやがって、ウザいと思われる方もいると思うので、後でこのコメント消します。自分もモヤモヤしてますし。
この手の人は何故か自分の感情で問題に対峙しますよね、自分は信じる聖書で行ければと。
今回初めて小林さんの動画を見ました。
個人的に気になっていた本で、なかなか手を出せていなかったのでレビュー頂けてありがとうございます。
論理的に本に対する見解を広げていただけていたので、色々考えさせられて面白かったです。
ゲイであることが罪であるならば、その罪と向き合い続けなければならない、というのは、厳しい言葉ですが、その通りと思います。
人間は誰でも罪を背負っていて、それは自分が越えていく他なく、そうしてこそ、救いの恵みがあるのだと、思いました。
他人事ではなく、自分事として、罪に向かい合う必要がある、というメッセージだと理解しました。
ありがとうございます。
以前、CGNTV で、同性愛者の女性がイエス様に出逢うことに依って、異性愛に目覚められ男性牧師の妻に成られ、同性愛から脱し、同じ同性愛者の女性を励ましてられるのを拝見しましたよ!!
今晩は、拓馬さん お話を聞かせて頂いた感想になりますが、この本人も翻訳者の方も聖霊体験が無いように思えてなりません。聖霊体験は色々な意見がありますから此処では触れませんが、神様に触れられた経験のあるクリスチャンならば正直おかしいと思うはず。人は感情を持っていますが、それによって他者を裁く権利は誰にもありませんが忠告する事は出来ますね。私個人の意見ですが同性愛は悪霊の影響が非常に強いと思いました。ヒルさんも聖霊様により頼んで欲しいです。
「2ツ目のモヤモヤ点」と、そこで説明された「聖化のプロセス」に特に共感しました。
以前「自分を変えて頂く事」で「Aさんに対する怒りの取り除き」を成して頂きたい、と祈り続けて主に聞かれた実体験から、正しく「聖化のプロセス」とは、そういうものだ、と実感しました。
今までで最高の動画でした。卓越な才能をお持ちの小林さんですが、今日は素直さや誠実さも見ることができ良かったです。
変えられない=神でも不可能
という信仰のように聞こえます。
神に不可能な事があるのでしょうか?その信仰が問題ですよね。
あなたがた人の事簡単に信仰がどうのこうの言うけど本人は大変苦労してる内容ですこんな簡単にこの人のこと色々言うけどもしこの人の問題があなたの問題としたら,ほんとにあなたが言う信仰でこんな簡単に解決できるのかな,あなたが言うほどそんな簡単ではないかも,
じゃあ,あなたのその信仰でこの人のために祈ってあげたらどうですか,そしたらあなたの言うとうりこの人は神様が変えてくれるでしょう
でも小林さんの言うのもあたってると思います
勇気ある動画だと思います。
牧師様、はじめまして。
僕はカトリック教会に通い始めて日の浅い、性的マイノリティの者です。
始めに僕は、牧師様に謝罪しなければなりません。僕は誤った認識に囚われたまま牧師様の教えを曲解してしまい、僕のような者を救ってはくれないヒドイ人なんだと誤解してしまっておりました。
しかし今回の牧師様の教えを最後まで拝聴し、それは大きな間違いだったと気づくことができました。牧師様は僕のような罪を犯し続けている者にも、一緒に救われようとお招きくださっていたのですね。非常にわかりやすい、素晴らしい教えをありがとうございます。
ある共同体で信仰を続けさせてもらう以上、共同体の信仰秩序を乱してしまうまで自己を押し通そうとするのはダメだ、そこをどうしても譲れないのであればそれを満たしてくれる別の宗派や別の宗教を選べるというのも神様から与えられた自由だ、同性愛の罪だけが特別重かったり軽かったりすることはなく、他の罪と同じように背負わなければならないということなんですね。
「憑き物が落ちたよう」というのは、こんな感覚を言うのかと思いました。
僕の神父様に先日この悩みを打ち明け、「僕の信仰は盛大に転倒してしまい、もう立ち上がれそうにありません」と弱音を吐いたとき、
今のあなたは、信仰に躓いてすらおらず迷いを抱きかけているだけ、むしろこの迷いによってより高いところにあるものを掴むためにもがき苦しんでいる、そのまま続けなさい、でも過度に自分を責めないように、そしてそれでも教会を求めるのなら喜んで迎えるとの励ましが理解できました。
すべてのみなさまと、今日僕の目を開かせてくださった牧師様に、神様イエス様の大きなお恵みがありますように。
はじめまして。心の込もったコメント、本当にありがとうございます。
僕の発信によって、もし心が傷ついたり、嫌な気持ちをさせてしまっていたら申し訳ありません。
しかし、動画でもお話した通り、イエス・キリストはまさに私たち全員の為に死んでくださいました。
Tsubasaさんの為にも、主イエスの救いの道が開かれています。救うのは私でも、他の牧師や教理・教派ではなく、唯一の神であり救い主のイエスです。
Tsubasaさんにとって、イエスと出会い、共に歩める共同体やつながりができるように、お祈りします!
共に、聖化のプロセスをもがきながら歩んでいきましょう! コメントとっても嬉しかったです。
@@ura.cloudchurch始めこそ傷ついてしまったのは事実ですが、それは僕の誤った認識によるものでしたので、今となっては僕の心の支えの一つとなっております。信じれるものが広がると、僕の目に入るこの世界のすべてのものが新しく感じます。こんな素晴らしい世界を僕はこれからも生きたいという気持ちでいっぱいです。
聖書の勉強もレビ記のところで辛くなって立ち止まってしまいましたが、また読み始めようと思います。別のところでご紹介されていた岩波訳の新約聖書も読んでみたいです。
これからも牧師様のご配信を楽しみにしております。今後ともよろしくお願いいたします
いろいろ知れて、良かったです。
ありがとうございます
これは難しいですね。確かに「義人は誰もいない」とか「罪人である」と書いてあります。とても難しい😓
『わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。
あなたがたは、世にあっては患難があります。
しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。』
ヨハネの福音書16:33
イエス様そっちのけが、今の時代なんですねぇ(T . T)
自然界には、同性愛が溢れてます。同じ哺乳類のイルカは、若い頃同性愛の経験があるオスほど、メスとの交尾も上手くいくと、ちょっと前にネットで話題になりました。
私のモヤモヤは、このヒルさんは、誰か好きな人に告白して、その人と同性婚して、養子を迎えるなど、何かをしない事で評価されるより、良い実を結ぶ事を目指されたら良いと思いました。
その本を書いて出版した人、「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか」ってイエス様に言われちゃうかも。
小林さんはよく聖書を勉強をしていらっしゃるので感心しておりますが、聖書の中に人間の理想的な生き方がすべて書いてあるという思い込みには、正直「はて?」と思うことがあります。特に男女の性別問題にはそう感じます。聖書の神は男でしょうか?そうだとしたら女の神はどこにいるのでしょうか?神は栄化によって悩みや迷いが全くないのでしょうか?そういう所聖書の記述が曖昧なので思考停止しているように感じます。でも信仰というのはそういう所が原点なんだと思っています。何が言いたいのかという言いますと、そういう聖書の空白をどう補完するか、それがその人の生き様になるということです。そういう視点で紹介された本の感想を語るのでしたら、なるほどと思える、というのが、この動画の私の個人的な感想です。
40年以上前から、いのちのことば社様の出版物にはほんとうにお世話になっております。
この貴重なご紹介、★重要な補足★(ほんとうに重要な補足です!)、小林様の真っすぐなご意見をありがとうございました。
歯に絹着せぬご意見を威風堂々と語る小林さん、素晴らしいです、さすがです、知らないことばかりでした、感謝します✨
私はいのちのことば社からこの本がでたことにがっかりしました。
障害と同じといっても同じでもない。
ダウンの方や他の胎児診断で産まれてくるお子さまとは分けてかんがえてほしいです。
私はこの本を読んでいないので、なんとも判断できませんが、小林さんのお話しから、やはりそこにびっくりしました。いのちのことば社もかわりましたね。
ゲイは後天的、障がいは先天的、の違いありますが、呪いに変わりありません。でも、日本人ほぼ全員だって、偶像崇拝の家系の呪いを受けて生まれてきますから、別段呪いを特別視する必要もなくただ淡々と悔い改めて、追い出して御言葉を自分の真実とすべく異言で祈って心を一新するしかないですよね。。。本当に本当にショッキングですが。。でもこの世界はルシファーが統治してきたので全てが嘘で呪われてますからねえ。。。🤮
終末が近づくと、悪はさらに栄えるとあります。ことば社もあっち側に取られちゃったんでしょう。。。
こんにちは🤗
サイドBの意見動画を拝見
しました。ゲ○の牧師さん
がいたなんてビックリです😳けれど同性恋愛も結婚もしないならば、その価値観を手放して、1人の人間としてのクリス チャンを生きれば良いと思うのですが・・・難しいんでしょうか?他のコメントに、生まれつきの同性愛者はいない
とありましたが、分かる気がします。何故なら人は
生まれながらの、罪の性質を持っていますし、そこからは様々な罪が発生します。ノアがいた時代
ロトがいた時代共通の罪が
溢れていたように思います。大洪水の前の人々
ソドム、ゴモラの人々も
欲望のままに共通の罪を
も犯し放題だったように思います。あくまで私の個人的な意見なので、私の意見が正しいと言いません
まだまだ人生も聖書も
勉強不足なので、ご了承ください🙏
聖公会の、この事についての意見・見解を伺いたいです。
本当に,読む意味があるのがとも,思ってしまいます
ゲイと名乗る前にも,よくよくカウンセリングを受けるべきだったのではないでしょうか
やはり、なんでもありは,よく無いし 聖公会は,日本の教育の幕開けをつくってくれましたー
それゆえに,私は信頼してました
残念ですね😂
ヒルさんの体験談
に尽きませんか?と私も思いました。リベラル思想の意図もプンプンしますね~。
聖霊の働き、生ける神様による解放や癒し奇跡を否定してるのかとさえ思います。
同性愛の罪が特別との認識も問題ですし。
聖書の価値感が益々軽んじられてる出来事に、あ~あです、私は😢
中川健一牧師のTV番組で20世紀の時点で、ゲイは不安定な子供の頃の環境で身につけた思い込みだった、と特に精神的に不安定な少年を守る必要性を訴え続けているアメリカ人男性を招いてディスカッションされていました。
古いので独自のウェブサイトにて公開されているだけですが。。
神は同性愛者として創造されることは絶対にないですね。なので同性愛がアイデンティティのままで聖化が完了(栄化)することはないわけです。ということは、聖化のプロセスのどこかの段階で同性愛が癒される可能性は十分にあります。
拓馬さんが仰る通り、この著者は聖化されることをただ単に諦めてしまっているだけだと私も思います。
また、「神にとって不可能なことはない」という信仰を持つことが大切ですね。自分の力でどうにかしようとすると限界が露わになり、自分自身に律法的になり諦めてしまうのは当然です。そうではなく、神によって造り変えられることを信じる信仰が与えられることを期待します。
わたしも、同性愛「思考」を持つことそのものが罪であることが大前提であることは私も同意です。
もし、その「思考」が罪でないとするならば癒しのプロセスを経験することも非常に困難になります。
拓馬さん仰る通り同性愛だけが「特別な罪」ではなく、人によって何に中毒になるかは違いますので、それぞれの立場の戦いがあります。
聖霊の力によって聖化されれば、生きている間に癒されます。
私は同性愛者非難しません
お互いをリスペクトし合いながら対話すること、したのに出来なかったこと多いです。 色々ご経験され活躍されているクリスチャンの方のやり方に意見するだけで、排除みたいな対応されてきました。 そういう私もついつい否定的態度に消耗するのは無駄だと切り離してしまった事もあるし、今じゃ臭いだけで察知して避けています。 小林さんの活躍を期待して応援しています。
厳しいですね。だいぶ、とんがってる気がしました。
それなりに整合性を保ってやれてるなら、十分な気はしますけどね。
論理だけで済むのは、主さんがたまたま異性愛者だからでしょう。
性行為が一切できないのと、奥さん以外とできないのでは、
やっぱり、悩みの度合いが違いますよ。
奥さんとできる人は、まだやり過ごしやすいほうだと思います。
やっぱ、性行為って、普通の人が生きてる中で
最大の悦びと言っても過言ではないので、
そこが満たされないっていうのは、かなりキツイとは思いますけどね。
同性愛者にとっては異性愛はキモいんだと思います。
主さんも仮に聖書が同性愛を勧めてたら、
「聖書に書いてあるんだから、同性愛するぞ!」ってなります?
まずは、キモくて無理!が先に来そうですが。。
パリオリンピック開会式
大っぴらにアンチキリストでワロタ
内容的にとても危険だと、感じました。
@@フツーの人-r4e ルシファーが空から降ってきた出演も聖書通り過ぎてビビりました。
そういうエッセイだと思うのですが、感情がベースだとダメなんですかね?
ダメではないですよ。ただ、僕の期待と違ったという点と、書籍としてはエモーショナルに訴える力はあっても、論理的説得力はあんまりないかなという評価だということです。
@@ura.cloudchurch
ありがとうございます。
とりあえず買って読んでみまーす😊
どこでも、自分、自己に依拠する姿勢を貫くと
神様の存在が人間の支配下に在ることになってしまいますよね。
人間は、かみさまに依って創られた存在、と知ることが
知識の初め
を、実感し、人生に於いて経験するのが聖霊体験だと、知らないのでしょうか?
自分で自分を肯定するのは本質的に高慢で、しんどい生き方なんだと、ヒル氏には知って頂きたいですね。
もし「そんなに批判されるなら私はクリスチャンを辞めます」とヒル氏が言ったとしたら、小林氏は「異端が一人減った」と感じて満足なのでしょうか?
小林牧仕のお話、ちゃんと聞いていますか?
相変わらず自身の立場や意見をハッキリさせて恐れず発信する拓馬さん。たくましい!ですね。素晴らしい!
ただぁ!
本の売り上げに貢献してない?
それはちょっと思いましたが、LGBT関連のキリスト教本は「売れ筋」なので、この流れは僕のUA-camごときでは変わらないと判断しました。
近々、またいのちのことば社から数冊、LGBT関連の本が出るそうです。崖っぷちキリスト教出版の "救世主" ですね苦笑
ヒルさんにしても岡谷さんにしても、甘えに徹しています。
小林牧仕の言われるように、いくら努力してもプライドが出てしまうとか、ついつい怒りを発してしまうとか、と同性愛者は何一つ変わりません
それよりももっと自分を甘やかしているだけです。
今日生きるのにやっとの人からすれば、人生何の苦労もしていないのか、と思わずにいられないと思いますよ
何の苦労もしてないのに、神よ、自分は努力しました、とか言っているのは子供レベルです
それで周りに理解してくれとか、苦しんでいるのに何で?と言うのは筋が通りません
聖化なんておこがましい話しです
子供は教えを受け成長していきます
いつ迄も乳飲み子であってはいけません
成長期に教えに逆らって来た挙句、自分の癖だからと正そうとしていないだけです。
もし例えば、同性愛を続けていたら間違いなく、ガンになるとしましょう
それでも、同性愛をやめないで、
主よ助けてくださいと祈りますか?
主がはっきりと性的な罪は偶像礼拝と同じだと言ってらっしゃるのに〜
主に対して侮辱ではないですか
甘えるのはいい加減にしてください いろいろ理論付けても、霊的に成長していないだけです
昨日、ヒル先生岡谷さん達はご自分の主張を理論付けて周囲に理解を求めているだけだと指摘した事は、私自身も人を裁いているので、主に許しを祈りました。
ヒル先生はご自分がサタンの餌食になっているのがわかっていないのですね
そこが可哀想なんです
この世はまだサタンが牛耳っています。
その結果も付いてきます
アダムとイブの場合、ノアの時代の人々、ノアの息子ハム、ロトの妻、ロトの娘達、云々
その時代にあって、その人が選んだ結果が出ているのです
サタンの惑わしに乗るのか、主の方に付くのか、その人の選択の結果は出てきます
どうぞ、頑張って主の方を選んでください
祈っております
主流派教会の中でも同性愛についての教理について議論されてます。性行為がダメなのか、その趣向まで言うのか、、、。またそれで苦しんでいる同性愛のクリスチャンにどのように手を差しのベルのか?! 小林さんの考えは、キリスト教の正道だと思います。最近のこの手の話が政治的ものを感じます。
私はゲイで牧師の平良愛香先生と友達になっていますが、小林先生からみると敵対する存在でしょうか?
主はよいお方です。主に間違いはありません。
男は男として女は女として作られました。
主が与えられたそれぞれの人生の舞台を受け入れて感謝して人生を全うする事です。
ほんと‼️
なぜ,このような人の本が出版されたのでしょうか?
ゲイクリスチャンとは,どういう思考なのでしょうか?
神様は,最初から,男は男,女は👩女として造られました
しかも,アメリカ聖公会の牧師が,このようなことを認められたのか
不思議極まりないです
同性愛の方は産まれ た時から。あるいは第2時成長期で気がついたといいます。
教会という共同体に受け入れるのは大切ですが どうか 主をしり主によって 変えられ
信仰により聖化の道を歩まれることなのかとおもいます。
本はよんでいませんが
ゲイクリスチャンだから結婚しない、子供つくらない、などの禁欲的な生活が自然でもありませんが。
私達は神の形に 似せて創造された者ですし、主を信じれは罪の性質は残っても人はかえられるんだと信じています。
あとひとつ 共同体の目的です。
福音をのべつたえて救いに導ける所になってほしいです。
ゲイの方だけではなくてトランスジェンダーの方も性別適合手術後の問題もありますよね。
動画をみて思い付くだけのコメントですみません。
私の感想です。この牧師さんはLGBT擁護論者なんでしょうね。
どの方のことですか?
@@ura.cloudchurch すみません。作者の司祭のことです。自己弁護そのものだと思いました。
「何が対話か!」
全てこの一言に尽きますよね🤭
とても良いお話 ありがとうございました😊
アーメン
ゲイは別に誰にも迷惑かけてない。ほっといたれ
まあよく言うよ!笑
ありがとうございます!
いつも動画で 今まで
全く教会⛪️では教えてもらえなかったことや
疑問に思っていたことを教えていただいて
新しい信仰生活を送ることができます
毎回楽しい動画をありがとうございます