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市街案内最初のぶぜんまぁと、かつては流行の衣類やアクセを扱う店舗が多々入っていた豊前でのモードの拠点でした。2階にはジュークボックス、ピンボール、テーブルタイプのゲーム機が設置されたイイ感じのカフェも在ったのですよ。建物を出て「ぶぜんまぁとって書いてる」と言ってる立ち位置の矢野金物、かつて豊前唯一の玩具店が在り最初期のファミコンやガンプラ目当てで子供達がワラワラやって来てました。少し歩いて「これ、もうやってないちゃない?」、さつまラーメンは昭和63年創業(実質昭和の最後の年ですね)。濃い目のスープに厚めのチャーシューという感じのチェーン店のラーメン屋でした。東八商店街、歩いている道は小倉から鹿児島まで繋がる九州東海岸沿いの大動脈 国道10号線の旧道。20年ほど前に現10号線が山側に出来ますがそれまでの大街道でした、並んでいた店舗は全て街道沿いでかなり潤っていたのです。八屋バス停「バスも少ないね」、今は市が運営の市バスのバス停ですが元々は西鉄路線が在った頃の西鉄バス停です。ここから乗り込み小倉どころか博多まで行けてました。「駅が在る、宇島駅だって」、道向かいのZ空調の看板の場所。ここには駅前に2店舗在った本屋の内の1件が在った場所。専門書関係が充実していて立地の為か客入りはかなり良かったですよ。駅からの帰宅者が信号待ちしているとつい入って眺めていたら買ってしまうとい感じで。そして立地の為か……小倉方面から深夜のトラック便がちょくちょく店に飛び込んで来る。カーブの始めに建っているので。「ほら、ダンシングスポーツクラブって書いてある」、佐野育英会館は元々は駅前の本屋のもう1つで先ほどの本屋のライバル店。こちらは一般向けで大衆誌や漫画という感じです。1階が本屋、2階から上が事務所という建物。こちらも立地が良いので信号待ちや商店街の客が入り賑やかでしたね。特に商店街の先に在った高校の列車通学の高校生が帰宅中によく入ってました。駅側の書店は到着して登校中だからスルーして一気に登校するので。福岡総合銀行、豊前支店でしたが閉店。その後に残された建物にモツ鍋屋が開業、美味しいから売れ行きが良くこの店舗から出て自前で建てた物件に移転しまた。この銀行は自分の70代の叔母が高校(本屋で説明した高校)新卒で就職してます。尚、移転先は……数十メートル先の12:50のトコです。壁の店名が同じ。「土地売ってます」、今は更地ですがロケの数ヶ月前まで5階建の大きなビルでした。昭和中期の建造物で1階がスナックや居酒屋になり上階が賃貸住宅という物件、駅前唯一の賃貸ビルという事も有り入居は多かったです。ある意味一等地住まい。老朽化と商店街の廃れから閉鎖され取り壊しに。「あ、ストア在るよ」、駅前繁華街の中の野菜中心の商店でしたからいつも客が入ってましたね。贈答品クラスのフルーツなんかも扱うお店。「ラーメンかうどんか」、そこは定食屋でした。20世紀過ぎまではやっていたはずです。商店街と同時に商業地でも有りましたから近い位置の仕事場からお昼にお客がゾロゾロと。「洋菓子」、豊前で一番最初の洋菓子専門店で50年前から在りました。お薦めはチーズケーキ、やや硬めのしっかりとした感じで甘みとチーズの味がバランス良い逸品でした。まだ洋菓子が珍しく商店街の中に在り駅からの帰宅客も多く流行っていました。現在の位置に10号線が移転した際に10号線沿いに移転したのですが……市街地から出て山の方へ行った為か営業が振るわず何度か良い土地を求め移転しましたが先年閉店。残念な結果ですがチーズケーキの味は今でも最高だと思っています。「ディープ」、その通りはクラブの様なちょっと上のハイクラスに呑み屋の並びでした。駅前のスナックや居酒屋とは違って社交場な感じの雰囲気のお店が並んでいました。駅前がスナックメイン、商店街が居酒屋、ここがクラブという住み分け。「だいぶ前に閉館」、結婚式場と併設の階層縦のホテル。商業式場だと他は平屋方の式場ですがここは唯一の階層型の式場、ホテルは商業で来たビジネスマンとかも利用してました。「うわ、見て見て」、ビューティーショップ ローズ。詳細は書けませんが一時代を築いた歌手のご実家、自分の高校の先輩です。40年近く前ですがTV番組の主題歌で歌われ今でも自分達世代は歌い、番組自体が知られているので後年も新規で観る人間も多く幅広く知られている歌です。御本人は豊前に居ないので擦れ違う事すら有りませんがライブの情報は流れて来るので今も元気に歌っていますよ。「わぁ、こっち古いね」、目の前の駅ロータリーバス停後ろの更地は2階建の自転車預かり所が建っていました。もう列車利用の通勤通学者が大幅に減り廃業して数年前に取り壊されました。その奥のバイク群は読売新聞(新しくてまだ白い壁)の営業所のバイク。その読売新聞の店舗は30年前に出来て5年ほど営業していた豊前で唯一のゲームセンターの物件です。「駅前にカフェとか無いの?」、残念ながらカフェどころかコンビニすら500メートル先です。お陰でタクシー運転手はサンリブまで移動してご飯を。そのサンリブ自体が閉店して現在本当に何も在りません。駅前に在るのは小さな物件に幾つか入っているスナックだけです。今回は地元の豊前市を紹介して頂き有難うございました。
おはようございます。めちゃくちゃ詳しくありがとうございます。読みながら想像してしまいました。その当時を歩いてみたくなりますね。私は昭和の頃の町並みが大好きです。近代化されていくことを、寂しく感じたりします。でも時代に逆らえないんですね( ; ; )
23:35の所で親戚がやってる時計屋さんがバッチリ映ってました。
18:50でした
まさか、みえちゃんねるが私の実家のある豊前市に来るとは!知っていたら是非お会いして、案内したかった!市内にはまだまだディープな場所、みえちゃん好みの廃墟が数知れずあります。特に、昭和43年から今もあるメゾネットタイプの団地(上町団地)は映像に残してほしかったです。わけあって先月中旬から豊前に帰郷し、現在も滞在中です。ロケしたと思われる日は寒すぎて外出しませんでした。すれ違うチャンスがあったのに、残念!私は昭和43年から47年まで上町団地の近くにあった本町団地に住んでいました。メインストリートのからあげ屋は当時写真館でした。閉店したマルショクもかつては人でごった返してました。帰郷する度に過疎化の波にのまれ、ゴーストタウン化しいく豊前ですが、だからこそまたぜひお越しください!かつてはにぎわっていた昭和の町の残骸が消えてしまわぬうちに!P.S. 宇島駅から歩いて10分足らずの通りには、去年テレビ番組の「なんしよーと」やNHKの「あさイチ」で紹介された「浦野屋」という醤油の製造販売元があり、カフェも併設されています。
ぜひ案内して欲しかったです〜団地も大好きなんですよ。
懐かしい💦昭和46年〜50年頃まで上町団地に住んでいました!(40年生まれです)母がアポロという喫茶店で働いていました。和光保育園、八屋小学校でした。写真館、とは、青葉写真館ですか?同級生の家です。今は関東にいますが、帰ってみたいですヽ(^o^)
完全に街が死んでるね。40年前は、辛うじて生きてたんだけどね。マルショクや宝来軒、築上中部が消えた。
豊前お疲れ様でした。豊前は昔サンリブや壽屋もあって、そこそこ賑わってたんですけどね。「なじみや」って名のホルモン屋がめっちゃ旨いです。特にタレは絶品です。
へー
お疲れ様でした🙇皆様以外、誰もいない…車は走ってるけど人がいない…人々は寒いから家でテレビかな…
イオンか、
上毛町の横穴古墳は知りませんでした。耶馬溪は平成の大合併以前は下毛郡(しもげぐん)でした。
下も、あったんですねー
埼玉県の吉見百穴は、現存で218.9の墳墓があります!戦時中に十数破壊されたようですが?
もう、無くなってしまったんですね、
古墳時代というと、日本もなかなか解明されてないことが多いですよね!
そうですね、推測でしか語れないですね。
横穴式墓群は熊本にも有りますよ❗😅去年に予定してましたけど💦雷雨で❌でした💦😓
市街案内最初のぶぜんまぁと、かつては流行の衣類やアクセを扱う店舗が多々入っていた豊前でのモードの拠点でした。
2階にはジュークボックス、ピンボール、テーブルタイプのゲーム機が設置されたイイ感じのカフェも在ったのですよ。
建物を出て「ぶぜんまぁとって書いてる」と言ってる立ち位置の矢野金物、かつて豊前唯一の玩具店が在り最初期のファミコンや
ガンプラ目当てで子供達がワラワラやって来てました。
少し歩いて「これ、もうやってないちゃない?」、さつまラーメンは昭和63年創業(実質昭和の最後の年ですね)。
濃い目のスープに厚めのチャーシューという感じのチェーン店のラーメン屋でした。
東八商店街、歩いている道は小倉から鹿児島まで繋がる九州東海岸沿いの大動脈 国道10号線の旧道。
20年ほど前に現10号線が山側に出来ますがそれまでの大街道でした、並んでいた店舗は全て街道沿いでかなり潤っていたのです。
八屋バス停「バスも少ないね」、今は市が運営の市バスのバス停ですが元々は西鉄路線が在った頃の西鉄バス停です。
ここから乗り込み小倉どころか博多まで行けてました。
「駅が在る、宇島駅だって」、道向かいのZ空調の看板の場所。ここには駅前に2店舗在った本屋の内の1件が在った場所。
専門書関係が充実していて立地の為か客入りはかなり良かったですよ。駅からの帰宅者が信号待ちしているとつい入って
眺めていたら買ってしまうとい感じで。そして立地の為か……小倉方面から深夜のトラック便がちょくちょく店に飛び込んで来る。
カーブの始めに建っているので。
「ほら、ダンシングスポーツクラブって書いてある」、佐野育英会館は元々は駅前の本屋のもう1つで先ほどの本屋のライバル店。
こちらは一般向けで大衆誌や漫画という感じです。1階が本屋、2階から上が事務所という建物。
こちらも立地が良いので信号待ちや商店街の客が入り賑やかでしたね。特に商店街の先に在った高校の列車通学の高校生が
帰宅中によく入ってました。駅側の書店は到着して登校中だからスルーして一気に登校するので。
福岡総合銀行、豊前支店でしたが閉店。その後に残された建物にモツ鍋屋が開業、美味しいから売れ行きが良くこの店舗から
出て自前で建てた物件に移転しまた。この銀行は自分の70代の叔母が高校(本屋で説明した高校)新卒で就職してます。
尚、移転先は……数十メートル先の12:50のトコです。壁の店名が同じ。
「土地売ってます」、今は更地ですがロケの数ヶ月前まで5階建の大きなビルでした。
昭和中期の建造物で1階がスナックや居酒屋になり上階が賃貸住宅という物件、駅前唯一の賃貸ビルという事も有り入居は多かったです。ある意味一等地住まい。老朽化と商店街の廃れから閉鎖され取り壊しに。
「あ、ストア在るよ」、駅前繁華街の中の野菜中心の商店でしたからいつも客が入ってましたね。
贈答品クラスのフルーツなんかも扱うお店。
「ラーメンかうどんか」、そこは定食屋でした。20世紀過ぎまではやっていたはずです。商店街と同時に商業地でも有りましたから
近い位置の仕事場からお昼にお客がゾロゾロと。
「洋菓子」、豊前で一番最初の洋菓子専門店で50年前から在りました。お薦めはチーズケーキ、やや硬めのしっかりとした感じで
甘みとチーズの味がバランス良い逸品でした。まだ洋菓子が珍しく商店街の中に在り駅からの帰宅客も多く流行っていました。
現在の位置に10号線が移転した際に10号線沿いに移転したのですが……市街地から出て山の方へ行った為か営業が振るわず
何度か良い土地を求め移転しましたが先年閉店。残念な結果ですがチーズケーキの味は今でも最高だと思っています。
「ディープ」、その通りはクラブの様なちょっと上のハイクラスに呑み屋の並びでした。
駅前のスナックや居酒屋とは違って社交場な感じの雰囲気のお店が並んでいました。駅前がスナックメイン、
商店街が居酒屋、ここがクラブという住み分け。
「だいぶ前に閉館」、結婚式場と併設の階層縦のホテル。
商業式場だと他は平屋方の式場ですがここは唯一の階層型の式場、ホテルは商業で来たビジネスマンとかも利用してました。
「うわ、見て見て」、ビューティーショップ ローズ。詳細は書けませんが一時代を築いた歌手のご実家、自分の高校の先輩です。
40年近く前ですがTV番組の主題歌で歌われ今でも自分達世代は歌い、番組自体が知られているので後年も新規で観る人間も
多く幅広く知られている歌です。御本人は豊前に居ないので擦れ違う事すら有りませんがライブの情報は流れて来るので
今も元気に歌っていますよ。
「わぁ、こっち古いね」、目の前の駅ロータリーバス停後ろの更地は2階建の自転車預かり所が建っていました。
もう列車利用の通勤通学者が大幅に減り廃業して数年前に取り壊されました。
その奥のバイク群は読売新聞(新しくてまだ白い壁)の営業所のバイク。
その読売新聞の店舗は30年前に出来て5年ほど営業していた豊前で唯一のゲームセンターの物件です。
「駅前にカフェとか無いの?」、残念ながらカフェどころかコンビニすら500メートル先です。
お陰でタクシー運転手はサンリブまで移動してご飯を。そのサンリブ自体が閉店して現在本当に何も在りません。
駅前に在るのは小さな物件に幾つか入っているスナックだけです。
今回は地元の豊前市を紹介して頂き有難うございました。
おはようございます。めちゃくちゃ詳しくありがとうございます。
読みながら想像してしまいました。
その当時を歩いてみたくなりますね。
私は昭和の頃の町並みが大好きです。
近代化されていくことを、寂しく感じたりします。でも時代に逆らえないんですね( ; ; )
23:35の所で親戚がやってる時計屋さんがバッチリ映ってました。
18:50でした
まさか、みえちゃんねるが私の実家のある豊前市に来るとは!知っていたら是非お会いして、案内したかった!市内にはまだまだディープな場所、みえちゃん好みの廃墟が数知れずあります。特に、昭和43年から今もあるメゾネットタイプの団地(上町団地)は映像に残してほしかったです。
わけあって先月中旬から豊前に帰郷し、現在も滞在中です。ロケしたと思われる日は寒すぎて外出しませんでした。すれ違うチャンスがあったのに、残念!
私は昭和43年から47年まで上町団地の近くにあった本町団地に住んでいました。メインストリートのからあげ屋は当時写真館でした。閉店したマルショクもかつては人でごった返してました。
帰郷する度に過疎化の波にのまれ、ゴーストタウン化しいく豊前ですが、だからこそまたぜひお越しください!
かつてはにぎわっていた昭和の町の残骸が消えてしまわぬうちに!
P.S. 宇島駅から歩いて10分足らずの通りには、去年テレビ番組の「なんしよーと」やNHKの「あさイチ」で紹介された「浦野屋」という醤油の製造販売元があり、カフェも併設されています。
ぜひ案内して欲しかったです〜
団地も大好きなんですよ。
懐かしい💦
昭和46年〜50年頃まで上町団地に住んでいました!(40年生まれです)
母がアポロという喫茶店で働いていました。和光保育園、八屋小学校でした。
写真館、とは、青葉写真館ですか?
同級生の家です。
今は関東にいますが、帰ってみたいですヽ(^o^)
完全に街が死んでるね。40年前は、辛うじて生きてたんだけどね。マルショクや宝来軒、築上中部が消えた。
豊前お疲れ様でした。豊前は昔サンリブや壽屋もあって、そこそこ賑わってたんですけどね。「なじみや」って名のホルモン屋がめっちゃ旨いです。特にタレは絶品です。
へー
お疲れ様でした🙇
皆様以外、誰もいない…
車は走ってるけど人がいない…
人々は寒いから家でテレビかな…
イオンか、
上毛町の横穴古墳は知りませんでした。
耶馬溪は平成の大合併以前は下毛郡(しもげぐん)でした。
下も、あったんですねー
埼玉県の吉見百穴は、現存で218.9の墳墓があります!戦時中に十数破壊されたようですが?
もう、無くなってしまったんですね、
古墳時代というと、日本もなかなか解明されてないことが多いですよね!
そうですね、推測でしか語れないですね。
横穴式墓群は熊本にも有りますよ❗😅
去年に予定してましたけど💦
雷雨で❌でした💦😓