人が死の間際で初めて気づく5つの後悔|ブッダの教え
Вставка
- Опубліковано 22 лис 2023
- 仏教、禅、哲学、ブッダの教えに関する人生をよりよく生きるための短い物語を紹介していきます。この動画が、みなさんの心の地図になりますように。※人口音声なので読み方を間違えてる場合がございます。予めご了承ください。
最新動画を見逃さないよう、まずはチャンネル登録お願いします↓
/ @user-kt5hq2dm1o
■この動画を見てくれた皆様へ特別なご案内
・ブッダの教えをより学べるメンバーシップはこちら↓
/ @user-kt5hq2dm1o
・【超お得!!今だけ99円で読み放題!!】
有名な仏教の書籍、オーディオブックを好きな時に楽しめるサービス↓
www.amazon.co.jp/b/ref=adbl_J...
【クレジット表記】
VOICEVOX:青山龍星
#ブッダの教え #仏教の教え #ブッダ
ありがとうございます!
スーパーサンクスをありがとうございます。これからも動画の制作に励みます☺️
毎日が大切
生まれたときから
いつ終わりが来るか
わからない人生
後悔のない生き方
幸せだったなぁって思える生き方
「幸せになる近道は
人が喜ぶことをすること」と
師匠から教えていただきました
主人と新たな人生を歩むつもりで、主人の転職と他県への引っ越しを行ったその日に、主人は亡くなりました。教えて頂いた内容は死の間際でなくても、時として気付かされる事があります。再度実感しながら、聞かさせて頂きました。有難うございました🙏。✨
つらかったですね😢
今もなおつらいでしょうけど
見守ってくれてますよきっと😌
自分の喜びは父母の喜び、自分の悲しみは父母の悲しみ。天より高し親の恩、地よりも厚し親の恩。
全て5つ達成できているから、いつ何がおこっても後悔はないということですね。感謝!
何となく分かっているようで流されています。改めて仏陀釈迦牟尼の偉大さが心に染み渡りました。
夫婦二人お互い思いやりをもって生活している今、とても幸せ😆🍀です。
ありがとうございます。
毎回とてもお勉強させていただいております。
この動画に出逢えて良かったです。ありがとうございます
輪廻転生が怖くて虚しさを覚えていました。
また人は孤独の生き物と思い知らされさびしいおもいをしていました。
人が生きる希望はあるのかと疑問でした。ふと開いた心の地図。少し気持ちが明るくなりました。
ありがとうございます。
人との関わりで、自分らしく生きられない時もあるけど、まあ、良い人生だったな❤と思い亡くなりたい。
私もそう思います
号泣してしまいました。
ありがとうございます。
生きる勇気が湧いてきました。有難うございます。
後悔のない人生はありません。あって当たり前です。しかし反省は誰でも出来ます。
After all, Buddha is wonderful. I will use the refinement of my soul as a guideline for my life.
6:16
57歳になり
やっと理解出来ました。
他人の幸せを願いながらお裾分けをいただくという変な性格です😢
動画を見ながら色々と考えさせられました。ありがとうございます。
ありがとうございました
いまここをいきます!❤
ありがとう、ございます。🍀
良い内容だと思います。。
心がいつも下界に影響され感情を生み出して来ました。
いつも目まぐるしく変わる世間に、振り回された自分でした。
マインドフルネスを実践して楽しい幸福な自分を見つめて生きたいと思っています。
お疲れ生です💓
そして、これらをまさに妨げるもの、それこそスマホ。。。
ありがとうございます!
スーパーサンクスを2回も、ありがとうございます😊
仏教を学びだすと、世の中の人間の大多数が愚かな生き方をしているように見えてしまいます。
御早う御座います、
後悔のない人生人を愛する心家族や他人を大切、
自分の性格。優しさ労り、痛み。首位の人々に有りがたさ忘れてはいけない、恩は恩は仇で返すものではないです
今日初めて聞きました。ためになりました❤
「仏陀という人」は他にいません。
仏陀はこの世では釈迦如来おひとりだけ。
その教えをもとに書いた著書からの引用なら、著者の名前を明記すればよろしいと思います。
もはや姿からして人間では無い事の方が!
凄い!😂
昭和の人間ですが、正しい日本語で話してくださいね❣❣
生「せい」と読まなくてはならないところを「なま」と読んだり村中「むらじゅう」を「むらなか」と読んだりするので気になってしまい内容が入って来なくなってしまうので改善して欲しい。
せっかくの良いお話が、ちょっとしたおふざけのせいでもったいないですね。
私の母ちゃん言ってた"はなしきいででもまんまくえねー"。全く正解でした。
生きている時に気づいていてもそれをできない、改善できないのが人間の弱い所。私だけ?
いつも動画をありがとうございます。
とても良い話なのですが、「生」は「なま」ではなく「せい」と読むのではないでしょうか。
心の地図様。大切なお話しありがとうございます。でも、生、を、ナマ、と表現されると引っ掛かります。わざとに表現されているのであればすいません。合掌。
我欲(自分自身の幸せ)を満たそう輩ばかりで、他者への慈悲(愛)=利他を二の次にするのが人間の性だと思う。バランスが大事だ。
本当にブッタの言葉なのかな?
経典はどれですか?
素晴らしい内容の動画の数々 いつもありがとうございます。
現代では弟子たちによって記録されたものだけがブッダの教え、仏教として残っておりますが、このお話はどの経典が元になっているのでしょうか。ブッダの教えというからには、そこは重要なところで、動画を人に薦める際に押さえておきたいところです。自分でも調べてみましたが分かりませんでした。他の動画も含め引用元の経典をお示しいただけるとありがたいです。
ブッダが2700年前のインドの個人ではなく、悟りを開いたものという一般名詞としてお使いになっているのであれば、それはそれで理解できます。そういうことでしょうか。
よろしくお願いいたします。
ブッダは個別に説教したと言われます。解釈はそげぞれですが、多くの経典を残していますので大きな解釈の違いはないでしょう。
自分の心に素直に生きたら嫁との戦争になりそう😢
なっていいと思います。早い方がいい
今際の際でなくても、抱いてる後悔
それは『この世に生まれたこと』
『誰からも必要とされないのに、生まれてきたこと』
はよ死にたい
睡眠が人生の半分 起きている時間のほとんどが仕事
あまりにも短すぎるこの人生に後悔して何がいけないんでしょうか?
この5つの後悔というのは俗世間的なものですね。本当に仏陀が仰ったのでしょうか?
宗教は穏やかに人生を送るための、そして、穏やかに死を迎えるための方便。
あの経典の解釈が、とか、どの経典で何が語られているのか、といったことに執着しているうちは、穏やかになれないでしょうね。
本当に仏陀の言ったことですか?
最近の色々な著書から引用してませんか?
では、誰が言ったのかな❓明確にしてもらいましょう。納得が行くように🏃♀️
仏陀自身は家族と質の高い時間を共有されてましたか?
追伸
下から光を浴びて語られてる和尚さんのお顔が恐っかないです。
輪廻転生の話まではとても良かったです
人は死ねば無です。
人生辛すぎて満了できるかな?いやマジでしんどいぞ。その時まで生きるしかにいけど
自分の幸福の追及は、しばしば他人の幸福を奪うことにもなります…
我を通すことはいけないと思うのですが…😔
後悔なんてしませんよ。なんの執着もないわ🤷♀️
うぅわぁあああ〜!
実際の人間によって音読してほしい。機械AIによって音読されている感じがして、今ひとつです。
死にかけて 「もっと人を愛せばよかった」
て気づいて
そのまま無理してきて 結局昨日壊れました
またたちなおれるかな
今生いだく幾つもの執着(心の持ち様)保ち方や捉え方、其々執着の始まりから経過〜現状と一連の流れを意識し振り返りをおこなえば執着の素に辿りつけそうなきがする。 しらんけど
ブッダは生まれかわりには否定してるんだけど
お釈迦様は怒りは毒だと言うのにどうして、この話では感情は表現すべきだと語るのだろうか
成程。
釈迦の言う「輪廻転生」とは親から子供、弧から孫へとDNAが遺伝することを指した言葉です。釈迦の時代に釈迦は森羅万象すべての生き物はその形態を遺伝として継承していることに着目してその生命の伝承の不思議さを「輪廻転生」再び生まれ変わると悟り弟子に教えたとことを、弟子が解釈を勝手に理解して「再び死んだ人間が生まれ変わる」ことが「輪廻転生」だとした誤った解釈をしたことが現代まで修正されることなくまかり通っているのが現代の仏教なのです。 世界の宗教は「あの世」や「死後の世界」という言葉を教義の根底にしています。これは宗教による潜在意識への「刷り込み」なのです。宗教によって「死後の世界観」は異なります。日本人は「三途の川」キリスト教では「天使の舞う花畑」等々で明確に分かれます。臨死体験というのは脳の一部がまだ機能して微弱電流が流れている状態です、この段階ではまだ死ではありません。生体反応が復活して意識を取り戻すと、この時脳に現れた現象を「死後の世界」を見たと「臨死体験者」が語っているだけです。この死後の世界は生前に刷り込まれた想念の世界であり幻覚を見ているということです。「天国と地獄」という言葉は世界の宗教の共通した「金集めの言葉」なのです。なぜならばどの宗教でも「多くの献金やお布施をした人間は罪が浄化され極楽へ行ける」と言います。これは全て「嘘」ということは誰でも理解できるはずです。貧乏人はすべ「地獄行き」になるのでしょうか。こんなバカなことを信じてはいけません。また世界の宗教は「この神以外は邪教であり悪魔だ」とお互いに言い張っていることをご存じでしょうか。こんないい加減な宗教によって貴方の心には「馬鹿な論理」が刷り込まれ続けているのです。宗教を信じて入信しないと「地獄へ落ちる」のでしょうか。これも嘘ですね。毎朝起きたら太陽に感謝して手をあわせ、今日という一日を精一杯生きるのです。「極楽へ行きたい、地獄は嫌だ」というバカな考えに付け込んで「莫大な金」を世界の宗教は吸い上げているのです。仏教のお墓や年回という(三回忌、七回忌)という宗教儀式は生きている人間が心安らぐための儀式なのです。葬儀屋と化した「坊主」が授ける高額な戒名やお経が無ければ死んだ人間が「行くところへ行けない」「霊が浮かばれない」なんていうのは宗教家が作り上げた「虚構」の世界なのです。もうだまされることはやめましょう。戒名なんていらないのです。家族や親せきなどの極々親しい人が集まり「ご苦労さん」と手を合わせ送り出すことが最上の送り方なのです。後の遺骨の処理は既存の墓があれば墓へ、あるいは散骨、身近に置くなど自由なのです。最近霊は量子力学的に存在を確認しているとして書き込みがありますが、全て「嘘」です。量子力学は物理学です。霊を形成する分子や素粒子は存在していません。考えるのは自由ですが無理に当てはめることで霊の論理の行きつく先は「神」というこれも存在の無い宗教の世界にたどり着くことになります。人類のこれからの生き方はこの「まやかし」の世界から心を解き放つことです。
輪廻転生から離れて解脱するためには、結婚せず子供を産まないこと、子孫という執着を捨てること、といことですね。
昔の聖職者がみな独身で生涯を終えているのも、そういうことでしょうね。
死後の儀式は虚構であり生き残った者の自己満足、というのはまあ、そういうことでしょうね。
さすが的を得ていますね。でも親鸞はそれを拒否しています。仏門という思考の世界の広がりを感じます。ありがとう
うーわ坊主めっちゃぬるぬる動いてる😊何で美女にしなかった何故坊主を動かそうと思った、何故なのか
完全宗教やん!
音楽うるさいです♪😅
そういうのは煩悩とは言わないんでしょうか?
ブッダ、でけぇな。
オルゴールが気になってお話に集中できませ~ん(コロナの後遺症だと思います、、すみません)
🎵がジャマですね。
仏陀は、まだ死んでいなかったのに、こんなことが分かるのかな?
死んだことのある人に聞かないと分からないと思う。
どこかの小さな寺のお坊さんの意見を、仏陀が言ったことにして、説得力を持たせているのでは?
次の生
せいです、ナマではありません!
内容が素晴らしいのに、なのに、残念です。
子供の頃「蟻とキリギリス」という童話を学校で教わり ”人は望んでいる事ばかり(やりたい事)やっていると晩年になった時、必ず後悔する”と教わったぞ ”若い時は汗水垂らして蟻の様に働け”と先生に教わった>>日本の教育は間違っている(笑)😂😂
なぜ沢庵和尚なのか?…武蔵出て来ないのかな?
なんだかエホバの証人みたいな絵の構図ですよね。
ずっと愛だ、愛だと表現しますが慈悲とは表現しないのかな?
すごくユダヤ的な匂いがします。
生をナマって言ってる…。
これは何かの新興宗教ですか?
仏教最古の経典とはだいぶ言ってる事が違うなと思うのですが
生⇨⇨⇨なま???
AIが作っている。
生:「せい」ですよ。
そもそも意識が混濁していると思いますよ。
人生は長いようで短い。毎日生きてる、ことに感謝して1日1善ですね。‼️
ブッダ何回同じこと言うねん
ブッダって、言葉初めて聞きました~お釈迦様と違うのでしょうか⁇
六道輪廻ばかりの教えを説くのではなく、十界を教えなければ。
正しい日本語で伝えてください。
全ての分子、原子レベルで見ると中はスカスカなのです。固い岩石や鋼鉄も同じです。これを指してこの世界は実在していないとすることには無理があります。なぜならば実態があるからです。人間が分子レベルまで小さくなれば宇宙に漂う星に囲まれた空間にいるように感じますが、人間はご存じのように分子レベルの大きさではありません。こうした論法はこじつけということになります。
物理学上の宇宙の質量とエネルギー量は不変であるということは証明されています。生命体が死しても次の世代に生命を生み出しているため、死んでもそのエネルギーが存在しているとした場合、宇宙のエネルギーが無限に増幅していることになります。これでは宇宙の法則に反していることになります。人間の生命体が死しても「霊となりそのエネルギーが消滅することは無い」という理論ではこの宇宙の存在そのものが否定されてしまいます。釈迦の言う「輪廻転生」とは親から子供、弧から孫へとDNAが遺伝することを指した言葉です。釈迦の時代に釈迦は森羅万象すべての生き物はその形態を遺伝として継承していることに着目してその生命の伝承の不思議さを「輪廻転生」と捉えたのです。人間は死んで再び生まれ変わると一言も言っていません。森羅万象すべての生ある生き物は親の遺伝子DNA(血筋)が子にまたその孫にと引き継がれていくことを悟り弟子に教えたが、弟子が「輪廻転生」は「死んだ人間が生まれ変わる」とした誤った解釈をしたことが現代まで修正されることなくまかり通っているのが現代の仏教なのです。 世界の宗教は「あの世」や「死後の世界」という言葉を教義の根底にしています。これは宗教による潜在意識への「刷り込み」なのです。宗教によって「死後の世界観」は異なります。日本人は「三途の川」キリスト教では「天使の舞う花畑」等々で明確に分かれます。臨死体験というのは脳の一部がまだ機能して微弱電流が流れている状態です、この段階ではまだ死ではありません。生体反応が復活して意識を取り戻すと、この時脳に現れた現象を「死後の世界」を見たと「臨死体験者」が語っているだけです。この死後の世界は生前に刷り込まれた想念の世界であり幻覚を見ているということです。「天国と地獄」という言葉は世界の宗教の共通した「金集めの言葉」なのです。なぜならばどの宗教でも「多くの献金やお布施をした人間は罪が浄化され極楽へ行ける」と言います。これは全て「嘘」ということは誰でも理解できるはずです。貧乏人はすべ「地獄行き」になるのでしょうか。こんなバカなことを信じてはいけません。また世界の宗教は「この神以外は邪教であり悪魔だ」とお互いに言い張っていることをご存じでしょうか。こんないい加減な宗教によって貴方の心には「馬鹿な論理」が刷り込まれ続けているのです。宗教を信じて入信しないと「地獄へ落ちる」のでしょうか。これも嘘ですね。毎朝起きたら太陽に感謝して手をあわせ、今日という一日を精一杯生きるのです。「極楽へ行きたい、地獄は嫌だ」というバカな考えに付け込んで「莫大な金」を世界の宗教は吸い上げているのです。仏教のお墓や年回という(三回忌、七回忌)という宗教儀式は生きている人間が心安らぐための儀式なのです。葬儀屋と化した「坊主」が授ける高額な戒名やお経が無ければ死んだ人間が「行くところへ行けない」「霊が浮かばれない」なんていうのは宗教家が作り上げた「虚構」の世界なのです。もうだまされることはやめましょう。戒名なんていらないのです。家族や親せきなどの極々親しい人が集まり「ご苦労さん」と手を合わせ送り出すことが最上の送り方なのです。後の遺骨の処理は既存の墓があれば墓へ、あるいは散骨、身近に置くなど自由なのです。最近霊は量子力学的に存在を確認しているとして書き込みがありますが、全て「嘘」です。量子力学は物理学です。霊を形成する分子や素粒子は存在していません。考えるのは自由ですが無理に当てはめることで霊の論理の行きつく先は「神」というこれも存在の無い宗教の世界にたどり着くことになります。人類のこれからの生き方はこの「まやかし」の世界から心を解き放つことです。