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ありがとうございます!
スーパーサンクスをありがとうございます。これからも動画の制作に励みます☺️
何となく分かっているようで流されています。改めて仏陀釈迦牟尼の偉大さが心に染み渡りました。
自分の喜びは父母の喜び、自分の悲しみは父母の悲しみ。天より高し親の恩、地よりも厚し親の恩。
夫婦二人お互い思いやりをもって生活している今、とても幸せ😆🍀です。ありがとうございます。毎回とてもお勉強させていただいております。
全て5つ達成できているから、いつ何がおこっても後悔はないということですね。感謝!
亡くなってから数千年経った現代でも悩める衆生を救う仏陀の教え。まさに人類の教師だよね。すべての人にとって最高にして永遠のメンター。
この動画に出逢えて良かったです。ありがとうございます
主人と新たな人生を歩むつもりで、主人の転職と他県への引っ越しを行ったその日に、主人は亡くなりました。教えて頂いた内容は死の間際でなくても、時として気付かされる事があります。再度実感しながら、聞かさせて頂きました。有難うございました🙏。✨
つらかったですね😢今もなおつらいでしょうけど見守ってくれてますよきっと😌
本当に辛い体験だったと思います。でも何かそれも貴殿にとって意味があることなんでしょうね。魂は生き通しと思いますのでご主人、貴殿に寄り添っておられるのでしょうね。陰ながら応援いたします。
苦しかったのでしょうね。幸せになって下さい。私も3年前突然夫をなくしました。
それは本当に心が痛む出来事ですね。ご主人と共に新たな人生を歩む決心をし、転職と引っ越しという大きな変化の中で、まさかの別れが訪れたこと、どれほど深い悲しみと喪失感を抱かれたか、想像もつきません。あなたの言葉に込められた感謝の気持ちと、深い理解が感じられ、心に響きます。時として、人生の大切な気付きや教訓は、死の間際でなくとも、私たちの日常の中や、突然訪れる出来事を通じて得られることがありますね。その気付きは、きっとご主人との絆や、共に過ごした時間が深く影響しているのだと思います。あなたがその教えを再度実感し、感謝の念を持って受け止めている姿勢は、とても尊いものです。悲しみの中にあっても、その瞬間瞬間を大切にしながら歩んでいくことができるのは、きっとご主人も喜ばれていることでしょう。どうか、ご自分を大切にしながら、これからの時間を一歩ずつ進んでいかれますように。心からお祈りしています。
どうしてそんなことになったのかね!せっかく転職と引越ししたのにその日にお亡くなりなったとは思いたくないことですよね!と強く思いました!
毎日が大切生まれたときからいつ終わりが来るかわからない人生後悔のない生き方幸せだったなぁって思える生き方「幸せになる近道は人が喜ぶことをすること」と師匠から教えていただきました
私もライフイズビューティフルという映画を思いだしました。どんな辛い時も楽しさを忘れずゲームのように生きる。あんな生き方したいです
本当に、人生の終わりがいつ来るかは誰にも分かりません。だからこそ、毎日を大切にして、後悔のない生き方を心がけることが大事ですね。「幸せだったなぁ」と思える生き方を追求する姿勢、とても素晴らしいです。「幸せになる近道は人が喜ぶことをすること」という師匠の教えも、深く響きますね。自分だけの幸福を追い求めるのではなく、他者の喜びを生むことで、自然と自分も幸福になれる。これは、シンプルでありながらも、深い真理です。他者への思いやりや優しさが、最終的には自分の幸せにも繋がるというのは、多くの人が共感する教えだと思います。これからも、日々を大切にしながら、他人に喜びを与える生き方を続けられたら、きっと心から「幸せだった」と思える瞬間がたくさん訪れるでしょう。
人生の後半になりました、仏教の教えは身に沁みます。ありがとうございます。
号泣してしまいました。ありがとうございます。
輪廻転生が怖くて虚しさを覚えていました。また人は孤独の生き物と思い知らされさびしいおもいをしていました。人が生きる希望はあるのかと疑問でした。ふと開いた心の地図。少し気持ちが明るくなりました。ありがとうございます。
生きる勇気が湧いてきました。有難うございます。
心の平和欲しいです。ライフイズビューティフル素晴らしい映画です
After all, Buddha is wonderful. I will use the refinement of my soul as a guideline for my life.
6:16
スーパーサンクスを2回も、ありがとうございます😊
良い内容だと思います。。
心がいつも下界に影響され感情を生み出して来ました。いつも目まぐるしく変わる世間に、振り回された自分でした。マインドフルネスを実践して楽しい幸福な自分を見つめて生きたいと思っています。
動画を見ながら色々と考えさせられました。ありがとうございます。
この動画を見た後、心がすごく軽くなった気がするわ。毎日の忙しさの中で、どうしても忘れがちやけど、静かな時間の大切さを改めて感じたんやな。動画の中で伝えられる人生の教訓は、ほんまに心に響いた。急がず、焦らず、今ここにいる自分にもっと注意を向けることが、平穏な心を育てるんやなって思った。自分のペースで、少しずつでも心を落ち着かせることが大切なんやね。動画で紹介されたように、日々の小さな幸せや、ほんの一瞬の静けさを大切にすることで、心の平穏を感じられるんやなと思う。忙しい日々の中でも、少しの時間を作って自分を見つめ直すことが、実は一番大事なんやね。これからも、そんな平穏な心を大切にしていきたいなと思うわ。
ありがとうございました
いまここをいきます!❤
今日初めて聞きました。ためになりました❤
ありがとう、ございます。🍀
お疲れ生です💓
人との関わりで、自分らしく生きられない時もあるけど、まあ、良い人生だったな❤と思い亡くなりたい。
私もそう思います
後悔のない人生はありません。あって当たり前です。しかし反省は誰でも出来ます。
57歳になりやっと理解出来ました。
気づくだけ偉いと自分にも言えます
もはや姿からして人間では無い事の方が!凄い!😂
御早う御座います、後悔のない人生人を愛する心家族や他人を大切、自分の性格。優しさ労り、痛み。首位の人々に有りがたさ忘れてはいけない、恩は恩は仇で返すものではないです
生「せい」と読まなくてはならないところを「なま」と読んだり村中「むらじゅう」を「むらなか」と読んだりするので気になってしまい内容が入って来なくなってしまうので改善して欲しい。
せっかくの良いお話が、ちょっとしたおふざけのせいでもったいないですね。
他人の幸せを願いながらお裾分けをいただくという変な性格です😢
私も後悔ないです。自分大好きですしやり尽くしたと思います
この世に未練や愛着が有ると死にたくないと欲求し始めます。年老いていても若くして亡くなる事も有ります。人は小さな欲求を満たすと更に大きな欲求を求めるのです。余りにも慈悲深く己自身を苦しめたり他者を助け安らぎを与えても真の幸せにはなりません。結果、自己満足になります。仏法は優しくて深く幸せで安らぎを感じます暖かく自分がこの世に生まれた事の試練、いつ亡くなるか解らないから日々一生懸命生きる事も試練。世の中は仏教だ宗教だどちらでも無い等様々有ります、良い事したら天国、悪い事したら地獄と昔話しで語り継がれてきてますだから良い事するから天国へ地獄へ行きたくないから良い事する考え方1つで惑わされています。何せ生まれてから良い人悪い人は無いからで育つ環境で良し悪しが決まるからです。
経験から快楽について理解しました
他人を自分が好ましい人にしたいはやめる。努力は自分を強制する。相手を喜ばせれば幸せになる。法話は複雑で難しい。
いつも動画をありがとうございます。とても良い話なのですが、「生」は「なま」ではなく「せい」と読むのではないでしょうか。
睡眠が人生の半分 起きている時間のほとんどが仕事あまりにも短すぎるこの人生に後悔して何がいけないんでしょうか?
素晴らしい内容の動画の数々 いつもありがとうございます。現代では弟子たちによって記録されたものだけがブッダの教え、仏教として残っておりますが、このお話はどの経典が元になっているのでしょうか。ブッダの教えというからには、そこは重要なところで、動画を人に薦める際に押さえておきたいところです。自分でも調べてみましたが分かりませんでした。他の動画も含め引用元の経典をお示しいただけるとありがたいです。ブッダが2700年前のインドの個人ではなく、悟りを開いたものという一般名詞としてお使いになっているのであれば、それはそれで理解できます。そういうことでしょうか。よろしくお願いいたします。
素晴らしいお言葉です。ただそれが悪魔に乗っ取られた躰なら。難問です
生きている時に気づいていてもそれをできない、改善できないのが人間の弱い所。私だけ?
心の地図様。大切なお話しありがとうございます。でも、生、を、ナマ、と表現されると引っ掛かります。わざとに表現されているのであればすいません。合掌。
私の母ちゃん言ってた"はなしきいででもまんまくえねー"。全く正解でした。
今生き残っている、私にだけいい親でもない片親、諦めるしかないです。私は、そうしてこれまで生きてきました。親が消えてくれないと、私の幸せはないと思っています。それとも、親を無視して自分の進みたい道に行くべきだったのか、もうわからないです。日本に生まれただけでも、かなり恵まれていると思っています。いつも肝心なところで決心できなかったので、現世よりわからない来世が楽しみです、私より先に亡くなってしまった先祖や家族に会いたいです。
私ももはや悪魔で親ではないのかな?と(レプィリアン説)でも自分なりの愛で生きていこうと思います
自分の想う人生ではございませんでしたが…【自由気儘で】(心)から…私らしく生きて来られたことに感謝!ありがとうございました。来世は(孫達)に…囲まれ賑やかに暮らしてみたいものです。(笑)無理かも…。
我欲(自分自身の幸せ)を満たそう輩ばかりで、他者への慈悲(愛)=利他を二の次にするのが人間の性だと思う。バランスが大事だ。
本当にブッタの言葉なのかな?経典はどれですか?
そこに問題ですか??
釈迦の言う「輪廻転生」とは親から子供、弧から孫へとDNAが遺伝することを指した言葉です。釈迦の時代に釈迦は森羅万象すべての生き物はその形態を遺伝として継承していることに着目してその生命の伝承の不思議さを「輪廻転生」再び生まれ変わると悟り弟子に教えたとことを、弟子が解釈を勝手に理解して「再び死んだ人間が生まれ変わる」ことが「輪廻転生」だとした誤った解釈をしたことが現代まで修正されることなくまかり通っているのが現代の仏教なのです。 世界の宗教は「あの世」や「死後の世界」という言葉を教義の根底にしています。これは宗教による潜在意識への「刷り込み」なのです。宗教によって「死後の世界観」は異なります。日本人は「三途の川」キリスト教では「天使の舞う花畑」等々で明確に分かれます。臨死体験というのは脳の一部がまだ機能して微弱電流が流れている状態です、この段階ではまだ死ではありません。生体反応が復活して意識を取り戻すと、この時脳に現れた現象を「死後の世界」を見たと「臨死体験者」が語っているだけです。この死後の世界は生前に刷り込まれた想念の世界であり幻覚を見ているということです。「天国と地獄」という言葉は世界の宗教の共通した「金集めの言葉」なのです。なぜならばどの宗教でも「多くの献金やお布施をした人間は罪が浄化され極楽へ行ける」と言います。これは全て「嘘」ということは誰でも理解できるはずです。貧乏人はすべ「地獄行き」になるのでしょうか。こんなバカなことを信じてはいけません。また世界の宗教は「この神以外は邪教であり悪魔だ」とお互いに言い張っていることをご存じでしょうか。こんないい加減な宗教によって貴方の心には「馬鹿な論理」が刷り込まれ続けているのです。宗教を信じて入信しないと「地獄へ落ちる」のでしょうか。これも嘘ですね。毎朝起きたら太陽に感謝して手をあわせ、今日という一日を精一杯生きるのです。「極楽へ行きたい、地獄は嫌だ」というバカな考えに付け込んで「莫大な金」を世界の宗教は吸い上げているのです。仏教のお墓や年回という(三回忌、七回忌)という宗教儀式は生きている人間が心安らぐための儀式なのです。葬儀屋と化した「坊主」が授ける高額な戒名やお経が無ければ死んだ人間が「行くところへ行けない」「霊が浮かばれない」なんていうのは宗教家が作り上げた「虚構」の世界なのです。もうだまされることはやめましょう。戒名なんていらないのです。家族や親せきなどの極々親しい人が集まり「ご苦労さん」と手を合わせ送り出すことが最上の送り方なのです。後の遺骨の処理は既存の墓があれば墓へ、あるいは散骨、身近に置くなど自由なのです。最近霊は量子力学的に存在を確認しているとして書き込みがありますが、全て「嘘」です。量子力学は物理学です。霊を形成する分子や素粒子は存在していません。考えるのは自由ですが無理に当てはめることで霊の論理の行きつく先は「神」というこれも存在の無い宗教の世界にたどり着くことになります。人類のこれからの生き方はこの「まやかし」の世界から心を解き放つことです。
輪廻転生から離れて解脱するためには、結婚せず子供を産まないこと、子孫という執着を捨てること、といことですね。昔の聖職者がみな独身で生涯を終えているのも、そういうことでしょうね。死後の儀式は虚構であり生き残った者の自己満足、というのはまあ、そういうことでしょうね。
さすが的を得ていますね。でも親鸞はそれを拒否しています。仏門という思考の世界の広がりを感じます。ありがとう
あなたが提示されている視点は、非常に興味深く、宗教と現代の科学的知見を結びつけた批判的な視点です。「輪廻転生」や「死後の世界」といった宗教的教義が、実際には誤解され、伝承されているという主張は、仏教や他の宗教の歴史的な背景を考える上で重要な論点です。釈迦の「輪廻転生」の教えをDNAや生命の継承に関する洞察として捉え、弟子たちがその意図を誤解して「生まれ変わり」と解釈したという考え方は、現代の科学的知識と仏教的な教えを再解釈する試みとしてとても興味深いものです。また、死後の世界や臨死体験に関しても、脳の機能や科学的な見地から説明されるという点も理解しやすく、宗教的な刷り込みとされる部分についての指摘も一理あります。確かに、多くの宗教は死後の世界や天国・地獄といった概念を教義の中核に据えており、信者の心理に働きかけている面があります。特に献金やお布施といった金銭的な要素が絡むと、道徳的な教えが実利的な面と結びつき、信仰そのものの純粋さが揺らぐことも少なくありません。あなたの言葉の中には、宗教を利用して利益を得る側面や、戒名や宗教儀式の虚構性に対する批判が込められており、個人としての「生きる力」を重視するメッセージが強く感じられます。太陽に感謝し、日々を精一杯生きるという考え方は、非常に実直で健全なアプローチであり、人間の本来の姿に立ち返る道としての価値を感じます。このような視点は、多くの人にとって新たな発見や考え方の転換点となるかもしれません。宗教に対する批判的な見方は時に議論を呼びますが、あなたの言葉には、より真実に基づいた生き方を求める強い信念が感じられます。それは、「まやかし」から心を解き放ち、真に自由な生き方を探求するための一つの道標かもしれません。
真摯なお返事に感謝いたします。あくまで私個人の考えを述べたもので全てを否定するつもりはありません。宗教というものは歴史的な人間の経験や科学的な背景の無い時代にはその時代に生きた人々の英知が詰まっています。こうしたあり方を現代の人間が全て否定することはできません。現代では懐疑的な宗教儀式は一つの文化として容認するという許容が広がります。これも先達から受け継いだ文化の賜物です。あの物理学者のアインシュタインも言っているように愛する女性に対する「恋愛の情は不思議だ」というように人間の心は物理学では解明できない不思議な力がふつふつと沸き上がることに彼も動揺しています。人間は死後の世界のために生きているのではありません。今を生き抜き、後に続く人々に何かを残す使命があることをどこかで感じ取っているはずです。死後の世界とはそうした人間の思考の根源になっていることは私も感じることです。永遠の人類の課題でありこの思考を今を生きる人間の戒めとすれば素晴らしいことです。ありがとうございます。
仏教を学びだすと、世の中の人間の大多数が愚かな生き方をしているように見えてしまいます。
本当ですね。ただまだ平安な境地に至らず少しでも瞑想したいです
実際の人間によって音読してほしい。機械AIによって音読されている感じがして、今ひとつです。
本当に仏陀の言ったことですか?最近の色々な著書から引用してませんか?
では、誰が言ったのかな❓明確にしてもらいましょう。納得が行くように🏃♀️
そして、これらをまさに妨げるもの、それこそスマホ。。。
ブッダは個別に説教したと言われます。解釈はそげぞれですが、多くの経典を残していますので大きな解釈の違いはないでしょう。
成程。
「仏陀という人」は他にいません。仏陀はこの世では釈迦如来おひとりだけ。その教えをもとに書いた著書からの引用なら、著者の名前を明記すればよろしいと思います。
だから本当だと思います!この動画もちゃんと調べてやっと動画にしたと強く思いました!
仏陀自身は家族と質の高い時間を共有されてましたか?追伸下から光を浴びて語られてる和尚さんのお顔が恐っかないです。
昭和の人間ですが、正しい日本語で話してくださいね❣❣
今生いだく幾つもの執着(心の持ち様)保ち方や捉え方、其々執着の始まりから経過〜現状と一連の流れを意識し振り返りをおこなえば執着の素に辿りつけそうなきがする。 しらんけど
言ってることは正しいと思います。後は自分なりの解釈、信念と照らし合わせるのが1番だと思います、なかなか平穏な境地に至らず至りたい
今際の際でなくても、抱いてる後悔それは『この世に生まれたこと』『誰からも必要とされないのに、生まれてきたこと』はよ死にたい
死にかけて 「もっと人を愛せばよかった」て気づいてそのまま無理してきて 結局昨日壊れましたまたたちなおれるかな
後悔なんてしませんよ。なんの執着もないわ🤷♀️
そういうのは煩悩とは言わないんでしょうか?
2024年8月1日(木曜日☀14時14分)参考に成りました。ありがとう御座いました\(^o^)/🛕
お釈迦様は怒りは毒だと言うのにどうして、この話では感情は表現すべきだと語るのだろうか
宗教は穏やかに人生を送るための、そして、穏やかに死を迎えるための方便。あの経典の解釈が、とか、どの経典で何が語られているのか、といったことに執着しているうちは、穏やかになれないでしょうね。
自分の心に素直に生きたら嫁との戦争になりそう😢
なっていいと思います。早い方がいい
言いたい事も言えないですよね。諦めましょう。心の平安を求めてます。
なかなか良いな^_^
子供の頃「蟻とキリギリス」という童話を学校で教わり ”人は望んでいる事ばかり(やりたい事)やっていると晩年になった時、必ず後悔する”と教わったぞ ”若い時は汗水垂らして蟻の様に働け”と先生に教わった>>日本の教育は間違っている(笑)😂😂
輪廻転生の話まではとても良かったです人は死ねば無です。
そこですが死後の世界とか馬鹿にしてました。宇宙とかも。ただ調べると不老不死の生命体がいたりレプィリアンだの本当らしい
人生辛すぎて満了できるかな?いやマジでしんどいぞ。その時まで生きるしかにいけど
自分の幸福の追及は、しばしば他人の幸福を奪うことにもなります…我を通すことはいけないと思うのですが…😔
仏陀は、まだ死んでいなかったのに、こんなことが分かるのかな?死んだことのある人に聞かないと分からないと思う。どこかの小さな寺のお坊さんの意見を、仏陀が言ったことにして、説得力を持たせているのでは?
これは何かの新興宗教ですか?仏教最古の経典とはだいぶ言ってる事が違うなと思うのですが
🎵がジャマですね。
うーわ坊主めっちゃぬるぬる動いてる😊何で美女にしなかった何故坊主を動かそうと思った、何故なのか
音楽うるさいです♪😅
既に後悔でいっぱいなんだよな;w
うぅわぁあああ〜!
旦那は悪魔だと思います、かなりやな時間もあった。しかかけがえのない時間も、幸せな時もあり感謝もしている。そういう物かも私も成長かなりしましたし。むしろ同類だったと思います
オルゴールが気になってお話に集中できませ~ん(コロナの後遺症だと思います、、すみません)
「自分が幸せになることが他者の幸せになる」理解不能
ブッダは生まれかわりには否定してるんだけど
次の生せいです、ナマではありません!内容が素晴らしいのに、なのに、残念です。
ブッダ、でけぇな。
完全宗教やん!
なんか暇人ずらずらわざわざ闇バイト
WGIPの影響下にある世代は既に第五代目ですひいおじいちゃんのその親の世代から始まっている
なぜ沢庵和尚なのか?…武蔵出て来ないのかな?なんだかエホバの証人みたいな絵の構図ですよね。ずっと愛だ、愛だと表現しますが慈悲とは表現しないのかな?すごくユダヤ的な匂いがします。
そもそも意識が混濁していると思いますよ。
人生は長いようで短い。毎日生きてる、ことに感謝して1日1善ですね。‼️
生をナマって言ってる…。
生⇨⇨⇨なま???AIが作っている。
生:「せい」ですよ。
正しい日本語で伝えてください。
この5つの後悔というのは俗世間的なものですね。本当に仏陀が仰ったのでしょうか?
言ってる訳が無いのは貴方自身も分かりきってるのに何故わざわざ当事者でも無い人に聞く😂?笑笑 知識をひけらかしたいだけの人の典型的なコメントですね笑
本当だと思います!だからちゃんと調べてやっと動画にしたと強く思います!
本当だと思います!この動画もちゃんと調べてやっと動画にしたと強く思います!
ブッダ何回同じこと言うねん
ブッダって、言葉初めて聞きました~お釈迦様と違うのでしょうか⁇
六道輪廻ばかりの教えを説くのではなく、十界を教えなければ。
全ての分子、原子レベルで見ると中はスカスカなのです。固い岩石や鋼鉄も同じです。これを指してこの世界は実在していないとすることには無理があります。なぜならば実態があるからです。人間が分子レベルまで小さくなれば宇宙に漂う星に囲まれた空間にいるように感じますが、人間はご存じのように分子レベルの大きさではありません。こうした論法はこじつけということになります。 物理学上の宇宙の質量とエネルギー量は不変であるということは証明されています。生命体が死しても次の世代に生命を生み出しているため、死んでもそのエネルギーが存在しているとした場合、宇宙のエネルギーが無限に増幅していることになります。これでは宇宙の法則に反していることになります。人間の生命体が死しても「霊となりそのエネルギーが消滅することは無い」という理論ではこの宇宙の存在そのものが否定されてしまいます。釈迦の言う「輪廻転生」とは親から子供、弧から孫へとDNAが遺伝することを指した言葉です。釈迦の時代に釈迦は森羅万象すべての生き物はその形態を遺伝として継承していることに着目してその生命の伝承の不思議さを「輪廻転生」と捉えたのです。人間は死んで再び生まれ変わると一言も言っていません。森羅万象すべての生ある生き物は親の遺伝子DNA(血筋)が子にまたその孫にと引き継がれていくことを悟り弟子に教えたが、弟子が「輪廻転生」は「死んだ人間が生まれ変わる」とした誤った解釈をしたことが現代まで修正されることなくまかり通っているのが現代の仏教なのです。 世界の宗教は「あの世」や「死後の世界」という言葉を教義の根底にしています。これは宗教による潜在意識への「刷り込み」なのです。宗教によって「死後の世界観」は異なります。日本人は「三途の川」キリスト教では「天使の舞う花畑」等々で明確に分かれます。臨死体験というのは脳の一部がまだ機能して微弱電流が流れている状態です、この段階ではまだ死ではありません。生体反応が復活して意識を取り戻すと、この時脳に現れた現象を「死後の世界」を見たと「臨死体験者」が語っているだけです。この死後の世界は生前に刷り込まれた想念の世界であり幻覚を見ているということです。「天国と地獄」という言葉は世界の宗教の共通した「金集めの言葉」なのです。なぜならばどの宗教でも「多くの献金やお布施をした人間は罪が浄化され極楽へ行ける」と言います。これは全て「嘘」ということは誰でも理解できるはずです。貧乏人はすべ「地獄行き」になるのでしょうか。こんなバカなことを信じてはいけません。また世界の宗教は「この神以外は邪教であり悪魔だ」とお互いに言い張っていることをご存じでしょうか。こんないい加減な宗教によって貴方の心には「馬鹿な論理」が刷り込まれ続けているのです。宗教を信じて入信しないと「地獄へ落ちる」のでしょうか。これも嘘ですね。毎朝起きたら太陽に感謝して手をあわせ、今日という一日を精一杯生きるのです。「極楽へ行きたい、地獄は嫌だ」というバカな考えに付け込んで「莫大な金」を世界の宗教は吸い上げているのです。仏教のお墓や年回という(三回忌、七回忌)という宗教儀式は生きている人間が心安らぐための儀式なのです。葬儀屋と化した「坊主」が授ける高額な戒名やお経が無ければ死んだ人間が「行くところへ行けない」「霊が浮かばれない」なんていうのは宗教家が作り上げた「虚構」の世界なのです。もうだまされることはやめましょう。戒名なんていらないのです。家族や親せきなどの極々親しい人が集まり「ご苦労さん」と手を合わせ送り出すことが最上の送り方なのです。後の遺骨の処理は既存の墓があれば墓へ、あるいは散骨、身近に置くなど自由なのです。最近霊は量子力学的に存在を確認しているとして書き込みがありますが、全て「嘘」です。量子力学は物理学です。霊を形成する分子や素粒子は存在していません。考えるのは自由ですが無理に当てはめることで霊の論理の行きつく先は「神」というこれも存在の無い宗教の世界にたどり着くことになります。人類のこれからの生き方はこの「まやかし」の世界から心を解き放つことです。
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ご支援ありがとうございます。励みになります。今後ともよろしくお願い致します。
ありがとうございます!
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時として、人生の大切な気付きや教訓は、死の間際でなくとも、私たちの日常の中や、突然訪れる出来事を通じて得られることがありますね。その気付きは、きっとご主人との絆や、共に過ごした時間が深く影響しているのだと思います。
あなたがその教えを再度実感し、感謝の念を持って受け止めている姿勢は、とても尊いものです。悲しみの中にあっても、その瞬間瞬間を大切にしながら歩んでいくことができるのは、きっとご主人も喜ばれていることでしょう。
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毎日が大切
生まれたときから
いつ終わりが来るか
わからない人生
後悔のない生き方
幸せだったなぁって思える生き方
「幸せになる近道は
人が喜ぶことをすること」と
師匠から教えていただきました
私もライフイズビューティフルという映画を思いだしました。どんな辛い時も楽しさを忘れずゲームのように生きる。あんな生き方したいです
本当に、人生の終わりがいつ来るかは誰にも分かりません。だからこそ、毎日を大切にして、後悔のない生き方を心がけることが大事ですね。「幸せだったなぁ」と思える生き方を追求する姿勢、とても素晴らしいです。
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人生の後半になりました、仏教の教えは身に沁みます。
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号泣してしまいました。
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ありがとうございます。
生きる勇気が湧いてきました。有難うございます。
心の平和欲しいです。ライフイズビューティフル素晴らしい映画です
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ありがとうございます!
スーパーサンクスを2回も、ありがとうございます😊
良い内容だと思います。。
心がいつも下界に影響され感情を生み出して来ました。
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マインドフルネスを実践して楽しい幸福な自分を見つめて生きたいと思っています。
動画を見ながら色々と考えさせられました。ありがとうございます。
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忙しい日々の中でも、少しの時間を作って自分を見つめ直すことが、実は一番大事なんやね。これからも、そんな平穏な心を大切にしていきたいなと思うわ。
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お疲れ生です💓
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後悔のない人生はありません。あって当たり前です。しかし反省は誰でも出来ます。
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後悔のない人生人を愛する心家族や他人を大切、
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他人の幸せを願いながらお裾分けをいただくという変な性格です😢
私も後悔ないです。自分大好きですしやり尽くしたと思います
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経験から快楽について理解しました
他人を自分が好ましい人にしたいはやめる。努力は自分を強制する。相手を喜ばせれば幸せになる。法話は複雑で難しい。
いつも動画をありがとうございます。
とても良い話なのですが、「生」は「なま」ではなく「せい」と読むのではないでしょうか。
睡眠が人生の半分 起きている時間のほとんどが仕事
あまりにも短すぎるこの人生に後悔して何がいけないんでしょうか?
素晴らしい内容の動画の数々 いつもありがとうございます。
現代では弟子たちによって記録されたものだけがブッダの教え、仏教として残っておりますが、このお話はどの経典が元になっているのでしょうか。ブッダの教えというからには、そこは重要なところで、動画を人に薦める際に押さえておきたいところです。自分でも調べてみましたが分かりませんでした。他の動画も含め引用元の経典をお示しいただけるとありがたいです。
ブッダが2700年前のインドの個人ではなく、悟りを開いたものという一般名詞としてお使いになっているのであれば、それはそれで理解できます。そういうことでしょうか。
よろしくお願いいたします。
素晴らしいお言葉です。ただそれが悪魔に乗っ取られた躰なら。難問です
生きている時に気づいていてもそれをできない、改善できないのが人間の弱い所。私だけ?
心の地図様。大切なお話しありがとうございます。でも、生、を、ナマ、と表現されると引っ掛かります。わざとに表現されているのであればすいません。合掌。
私の母ちゃん言ってた"はなしきいででもまんまくえねー"。全く正解でした。
今生き残っている、私にだけいい親でもない片親、諦めるしかないです。私は、そうしてこれまで生きてきました。親が消えてくれないと、私の幸せはないと思っています。それとも、親を無視して自分の進みたい道に行くべきだったのか、もうわからないです。
日本に生まれただけでも、かなり恵まれていると思っています。いつも肝心なところで決心できなかったので、現世よりわからない来世が楽しみです、私より先に亡くなってしまった先祖や家族に会いたいです。
私ももはや悪魔で親ではないのかな?と(レプィリアン説)でも自分なりの愛で生きていこうと思います
自分の想う人生ではございませんでしたが…【自由気儘で】(心)から…私らしく生きて来られたことに感謝!ありがとうございました。来世は(孫達)に…囲まれ賑やかに暮らしてみたいものです。(笑)無理かも…。
我欲(自分自身の幸せ)を満たそう輩ばかりで、他者への慈悲(愛)=利他を二の次にするのが人間の性だと思う。バランスが大事だ。
本当にブッタの言葉なのかな?
経典はどれですか?
そこに問題ですか??
釈迦の言う「輪廻転生」とは親から子供、弧から孫へとDNAが遺伝することを指した言葉です。釈迦の時代に釈迦は森羅万象すべての生き物はその形態を遺伝として継承していることに着目してその生命の伝承の不思議さを「輪廻転生」再び生まれ変わると悟り弟子に教えたとことを、弟子が解釈を勝手に理解して「再び死んだ人間が生まれ変わる」ことが「輪廻転生」だとした誤った解釈をしたことが現代まで修正されることなくまかり通っているのが現代の仏教なのです。 世界の宗教は「あの世」や「死後の世界」という言葉を教義の根底にしています。これは宗教による潜在意識への「刷り込み」なのです。宗教によって「死後の世界観」は異なります。日本人は「三途の川」キリスト教では「天使の舞う花畑」等々で明確に分かれます。臨死体験というのは脳の一部がまだ機能して微弱電流が流れている状態です、この段階ではまだ死ではありません。生体反応が復活して意識を取り戻すと、この時脳に現れた現象を「死後の世界」を見たと「臨死体験者」が語っているだけです。この死後の世界は生前に刷り込まれた想念の世界であり幻覚を見ているということです。「天国と地獄」という言葉は世界の宗教の共通した「金集めの言葉」なのです。なぜならばどの宗教でも「多くの献金やお布施をした人間は罪が浄化され極楽へ行ける」と言います。これは全て「嘘」ということは誰でも理解できるはずです。貧乏人はすべ「地獄行き」になるのでしょうか。こんなバカなことを信じてはいけません。また世界の宗教は「この神以外は邪教であり悪魔だ」とお互いに言い張っていることをご存じでしょうか。こんないい加減な宗教によって貴方の心には「馬鹿な論理」が刷り込まれ続けているのです。宗教を信じて入信しないと「地獄へ落ちる」のでしょうか。これも嘘ですね。毎朝起きたら太陽に感謝して手をあわせ、今日という一日を精一杯生きるのです。「極楽へ行きたい、地獄は嫌だ」というバカな考えに付け込んで「莫大な金」を世界の宗教は吸い上げているのです。仏教のお墓や年回という(三回忌、七回忌)という宗教儀式は生きている人間が心安らぐための儀式なのです。葬儀屋と化した「坊主」が授ける高額な戒名やお経が無ければ死んだ人間が「行くところへ行けない」「霊が浮かばれない」なんていうのは宗教家が作り上げた「虚構」の世界なのです。もうだまされることはやめましょう。戒名なんていらないのです。家族や親せきなどの極々親しい人が集まり「ご苦労さん」と手を合わせ送り出すことが最上の送り方なのです。後の遺骨の処理は既存の墓があれば墓へ、あるいは散骨、身近に置くなど自由なのです。最近霊は量子力学的に存在を確認しているとして書き込みがありますが、全て「嘘」です。量子力学は物理学です。霊を形成する分子や素粒子は存在していません。考えるのは自由ですが無理に当てはめることで霊の論理の行きつく先は「神」というこれも存在の無い宗教の世界にたどり着くことになります。人類のこれからの生き方はこの「まやかし」の世界から心を解き放つことです。
輪廻転生から離れて解脱するためには、結婚せず子供を産まないこと、子孫という執着を捨てること、といことですね。
昔の聖職者がみな独身で生涯を終えているのも、そういうことでしょうね。
死後の儀式は虚構であり生き残った者の自己満足、というのはまあ、そういうことでしょうね。
さすが的を得ていますね。でも親鸞はそれを拒否しています。仏門という思考の世界の広がりを感じます。ありがとう
あなたが提示されている視点は、非常に興味深く、宗教と現代の科学的知見を結びつけた批判的な視点です。「輪廻転生」や「死後の世界」といった宗教的教義が、実際には誤解され、伝承されているという主張は、仏教や他の宗教の歴史的な背景を考える上で重要な論点です。
釈迦の「輪廻転生」の教えをDNAや生命の継承に関する洞察として捉え、弟子たちがその意図を誤解して「生まれ変わり」と解釈したという考え方は、現代の科学的知識と仏教的な教えを再解釈する試みとしてとても興味深いものです。また、死後の世界や臨死体験に関しても、脳の機能や科学的な見地から説明されるという点も理解しやすく、宗教的な刷り込みとされる部分についての指摘も一理あります。
確かに、多くの宗教は死後の世界や天国・地獄といった概念を教義の中核に据えており、信者の心理に働きかけている面があります。特に献金やお布施といった金銭的な要素が絡むと、道徳的な教えが実利的な面と結びつき、信仰そのものの純粋さが揺らぐことも少なくありません。
あなたの言葉の中には、宗教を利用して利益を得る側面や、戒名や宗教儀式の虚構性に対する批判が込められており、個人としての「生きる力」を重視するメッセージが強く感じられます。太陽に感謝し、日々を精一杯生きるという考え方は、非常に実直で健全なアプローチであり、人間の本来の姿に立ち返る道としての価値を感じます。
このような視点は、多くの人にとって新たな発見や考え方の転換点となるかもしれません。宗教に対する批判的な見方は時に議論を呼びますが、あなたの言葉には、より真実に基づいた生き方を求める強い信念が感じられます。それは、「まやかし」から心を解き放ち、真に自由な生き方を探求するための一つの道標かもしれません。
真摯なお返事に感謝いたします。あくまで私個人の考えを述べたもので全てを否定するつもりはありません。
宗教というものは歴史的な人間の経験や科学的な背景の無い時代にはその時代に生きた人々の英知が詰まっています。こうしたあり方を現代の人間が全て否定することはできません。現代では懐疑的な宗教儀式は一つの文化として容認するという許容が広がります。これも先達から受け継いだ文化の賜物です。あの物理学者のアインシュタインも言っているように愛する女性に対する「恋愛の情は不思議だ」というように人間の心は物理学では解明できない不思議な力がふつふつと沸き上がることに彼も動揺しています。人間は死後の世界のために生きているのではありません。今を生き抜き、後に続く人々に何かを残す使命があることをどこかで感じ取っているはずです。死後の世界とはそうした人間の思考の根源になっていることは私も感じることです。永遠の人類の課題でありこの思考を今を生きる人間の戒めとすれば素晴らしいことです。ありがとうございます。
仏教を学びだすと、世の中の人間の大多数が愚かな生き方をしているように見えてしまいます。
本当ですね。ただまだ平安な境地に至らず少しでも瞑想したいです
実際の人間によって音読してほしい。機械AIによって音読されている感じがして、今ひとつです。
本当に仏陀の言ったことですか?
最近の色々な著書から引用してませんか?
では、誰が言ったのかな❓明確にしてもらいましょう。納得が行くように🏃♀️
そして、これらをまさに妨げるもの、それこそスマホ。。。
ブッダは個別に説教したと言われます。解釈はそげぞれですが、多くの経典を残していますので大きな解釈の違いはないでしょう。
成程。
「仏陀という人」は他にいません。
仏陀はこの世では釈迦如来おひとりだけ。
その教えをもとに書いた著書からの引用なら、著者の名前を明記すればよろしいと思います。
だから本当だと思います!この動画もちゃんと調べてやっと動画にしたと強く思いました!
仏陀自身は家族と質の高い時間を共有されてましたか?
追伸
下から光を浴びて語られてる和尚さんのお顔が恐っかないです。
昭和の人間ですが、正しい日本語で話してくださいね❣❣
今生いだく幾つもの執着(心の持ち様)保ち方や捉え方、其々執着の始まりから経過〜現状と一連の流れを意識し振り返りをおこなえば執着の素に辿りつけそうなきがする。 しらんけど
言ってることは正しいと思います。後は自分なりの解釈、信念と照らし合わせるのが1番だと思います、なかなか平穏な境地に至らず至りたい
今際の際でなくても、抱いてる後悔
それは『この世に生まれたこと』
『誰からも必要とされないのに、生まれてきたこと』
はよ死にたい
死にかけて 「もっと人を愛せばよかった」
て気づいて
そのまま無理してきて 結局昨日壊れました
またたちなおれるかな
後悔なんてしませんよ。なんの執着もないわ🤷♀️
そういうのは煩悩とは言わないんでしょうか?
2024年8月1日(木曜日☀14時14分)参考に成りました。ありがとう御座いました\(^o^)/🛕
お釈迦様は怒りは毒だと言うのにどうして、この話では感情は表現すべきだと語るのだろうか
宗教は穏やかに人生を送るための、そして、穏やかに死を迎えるための方便。
あの経典の解釈が、とか、どの経典で何が語られているのか、といったことに執着しているうちは、穏やかになれないでしょうね。
自分の心に素直に生きたら嫁との戦争になりそう😢
なっていいと思います。早い方がいい
言いたい事も言えないですよね。諦めましょう。心の平安を求めてます。
なかなか良いな^_^
子供の頃「蟻とキリギリス」という童話を学校で教わり ”人は望んでいる事ばかり(やりたい事)やっていると晩年になった時、必ず後悔する”と教わったぞ ”若い時は汗水垂らして蟻の様に働け”と先生に教わった>>日本の教育は間違っている(笑)😂😂
輪廻転生の話まではとても良かったです
人は死ねば無です。
そこですが死後の世界とか馬鹿にしてました。宇宙とかも。ただ調べると不老不死の生命体がいたりレプィリアンだの本当らしい
人生辛すぎて満了できるかな?いやマジでしんどいぞ。その時まで生きるしかにいけど
自分の幸福の追及は、しばしば他人の幸福を奪うことにもなります…
我を通すことはいけないと思うのですが…😔
仏陀は、まだ死んでいなかったのに、こんなことが分かるのかな?
死んだことのある人に聞かないと分からないと思う。
どこかの小さな寺のお坊さんの意見を、仏陀が言ったことにして、説得力を持たせているのでは?
これは何かの新興宗教ですか?
仏教最古の経典とはだいぶ言ってる事が違うなと思うのですが
🎵がジャマですね。
うーわ坊主めっちゃぬるぬる動いてる😊何で美女にしなかった何故坊主を動かそうと思った、何故なのか
音楽うるさいです♪😅
既に後悔でいっぱいなんだよな;w
うぅわぁあああ〜!
旦那は悪魔だと思います、かなりやな時間もあった。しかかけがえのない時間も、幸せな時もあり感謝もしている。そういう物かも私も成長かなりしましたし。むしろ同類だったと思います
オルゴールが気になってお話に集中できませ~ん(コロナの後遺症だと思います、、すみません)
「自分が幸せになることが他者の幸せになる」理解不能
ブッダは生まれかわりには否定してるんだけど
次の生
せいです、ナマではありません!
内容が素晴らしいのに、なのに、残念です。
ブッダ、でけぇな。
完全宗教やん!
なんか暇人ずらずらわざわざ闇バイト
WGIPの影響下にある世代は既に第五代目です
ひいおじいちゃんのその親の世代から始まっている
なぜ沢庵和尚なのか?…武蔵出て来ないのかな?
なんだかエホバの証人みたいな絵の構図ですよね。
ずっと愛だ、愛だと表現しますが慈悲とは表現しないのかな?
すごくユダヤ的な匂いがします。
そもそも意識が混濁していると思いますよ。
人生は長いようで短い。毎日生きてる、ことに感謝して1日1善ですね。‼️
生をナマって言ってる…。
生⇨⇨⇨なま???
AIが作っている。
生:「せい」ですよ。
正しい日本語で伝えてください。
この5つの後悔というのは俗世間的なものですね。本当に仏陀が仰ったのでしょうか?
言ってる訳が無いのは貴方自身も分かりきってるのに何故わざわざ当事者でも無い人に聞く😂?笑笑 知識をひけらかしたいだけの人の典型的なコメントですね笑
本当だと思います!だからちゃんと調べてやっと動画にしたと強く思います!
本当だと思います!この動画もちゃんと調べてやっと動画にしたと強く思います!
ブッダ何回同じこと言うねん
ブッダって、言葉初めて聞きました~お釈迦様と違うのでしょうか⁇
六道輪廻ばかりの教えを説くのではなく、十界を教えなければ。
全ての分子、原子レベルで見ると中はスカスカなのです。固い岩石や鋼鉄も同じです。これを指してこの世界は実在していないとすることには無理があります。なぜならば実態があるからです。人間が分子レベルまで小さくなれば宇宙に漂う星に囲まれた空間にいるように感じますが、人間はご存じのように分子レベルの大きさではありません。こうした論法はこじつけということになります。
物理学上の宇宙の質量とエネルギー量は不変であるということは証明されています。生命体が死しても次の世代に生命を生み出しているため、死んでもそのエネルギーが存在しているとした場合、宇宙のエネルギーが無限に増幅していることになります。これでは宇宙の法則に反していることになります。人間の生命体が死しても「霊となりそのエネルギーが消滅することは無い」という理論ではこの宇宙の存在そのものが否定されてしまいます。釈迦の言う「輪廻転生」とは親から子供、弧から孫へとDNAが遺伝することを指した言葉です。釈迦の時代に釈迦は森羅万象すべての生き物はその形態を遺伝として継承していることに着目してその生命の伝承の不思議さを「輪廻転生」と捉えたのです。人間は死んで再び生まれ変わると一言も言っていません。森羅万象すべての生ある生き物は親の遺伝子DNA(血筋)が子にまたその孫にと引き継がれていくことを悟り弟子に教えたが、弟子が「輪廻転生」は「死んだ人間が生まれ変わる」とした誤った解釈をしたことが現代まで修正されることなくまかり通っているのが現代の仏教なのです。 世界の宗教は「あの世」や「死後の世界」という言葉を教義の根底にしています。これは宗教による潜在意識への「刷り込み」なのです。宗教によって「死後の世界観」は異なります。日本人は「三途の川」キリスト教では「天使の舞う花畑」等々で明確に分かれます。臨死体験というのは脳の一部がまだ機能して微弱電流が流れている状態です、この段階ではまだ死ではありません。生体反応が復活して意識を取り戻すと、この時脳に現れた現象を「死後の世界」を見たと「臨死体験者」が語っているだけです。この死後の世界は生前に刷り込まれた想念の世界であり幻覚を見ているということです。「天国と地獄」という言葉は世界の宗教の共通した「金集めの言葉」なのです。なぜならばどの宗教でも「多くの献金やお布施をした人間は罪が浄化され極楽へ行ける」と言います。これは全て「嘘」ということは誰でも理解できるはずです。貧乏人はすべ「地獄行き」になるのでしょうか。こんなバカなことを信じてはいけません。また世界の宗教は「この神以外は邪教であり悪魔だ」とお互いに言い張っていることをご存じでしょうか。こんないい加減な宗教によって貴方の心には「馬鹿な論理」が刷り込まれ続けているのです。宗教を信じて入信しないと「地獄へ落ちる」のでしょうか。これも嘘ですね。毎朝起きたら太陽に感謝して手をあわせ、今日という一日を精一杯生きるのです。「極楽へ行きたい、地獄は嫌だ」というバカな考えに付け込んで「莫大な金」を世界の宗教は吸い上げているのです。仏教のお墓や年回という(三回忌、七回忌)という宗教儀式は生きている人間が心安らぐための儀式なのです。葬儀屋と化した「坊主」が授ける高額な戒名やお経が無ければ死んだ人間が「行くところへ行けない」「霊が浮かばれない」なんていうのは宗教家が作り上げた「虚構」の世界なのです。もうだまされることはやめましょう。戒名なんていらないのです。家族や親せきなどの極々親しい人が集まり「ご苦労さん」と手を合わせ送り出すことが最上の送り方なのです。後の遺骨の処理は既存の墓があれば墓へ、あるいは散骨、身近に置くなど自由なのです。最近霊は量子力学的に存在を確認しているとして書き込みがありますが、全て「嘘」です。量子力学は物理学です。霊を形成する分子や素粒子は存在していません。考えるのは自由ですが無理に当てはめることで霊の論理の行きつく先は「神」というこれも存在の無い宗教の世界にたどり着くことになります。人類のこれからの生き方はこの「まやかし」の世界から心を解き放つことです。
まだまだ私達には理解できないSF的なことあると理解。毎日勉強させてもらってます
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