250101 「神が味方である一年」

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  • Опубліковано 14 січ 2025
  • 2024.12.29  マタイ 6:25-34 「神が味方である一年」
    新しい一年が始まりました。 
    何か新しく始まるとなると、不安がやって来る。 今年はどういう一年になるのだろうか
     そこで  マタイ 6:34 あすのことを思いわずらうな。
      
     聖書のこの時代、2千年前のイスラエルの人たちも、同じように色んな心配をしながら生きていた。 
     ローマ帝国が世界を支配して、高い税金を払わされ、政治家は堕落し、物価は高くなり、
    生活は圧迫され不自由に生きていた。
     暗黒の時代。 暗闇に支配された時代だった。
     その時に、イエスさまが現れる。
    ガリラヤ湖が見える小高い丘に立って、話し始める
    6:25何を食べようか、何を飲もうかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかと体のことで思いわずらうな。 命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
       ・・・「飲み物食べ物、着るもので  思い煩うな
        食べ物より命が大事だ  着る物よりも体が大事です
        体を造り、命を与えてくれたのは誰ですか?
    体を造り、個性を与え、命を与えて、送り出してくれたのは  創造主
    生きていくのに必要なものは、天の父が備えてくれる
      
      空の鳥を見てごらん。  よーく考えてみなさい!
    6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。
    それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
    ・・・・鳥は、一生懸命飛び回って働いている 働くくことを否定しているのではない。
    鳥が、貪欲に支配されていない  余計な心配をしていない
      人は、貪欲に支配されて、あくせく働いて  余計な心配している
     
     さらに鳥は、倉に取りいれることもしない。
    ・・・ 欲張って、ため込もうとしていない  貪欲になってない
     ローマ帝国が世界を支配していた目的は、貪欲
     他の国を侵略して、自分たちの欲望を満たそうとしていた・・・倉にため込んでいた
     
     人間にため込まず  その日暮らしをしなさいと言っているのではなく
     そんな心配しないで、神を見上げなさいと言っている
     必要なものは、天の父が与えて下さる 
     神さま信じたら、贅沢な暮らしができるのか?
     おいしい物を食べさせてくれるのか?   勘違いする
      そうではなく  救い主は、心を変えてくれる ・・・貪欲から解放される
    Ⅰテモテ6:6
    しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。
      【新改訳】
     野の花は、あんなにきれいに着飾っている
    ソロモン王は、立派な服を着ていた。  シバの女王が来て 驚くほどだった 
     しかし、 野の花は、もっと美しい
          真の美しさは、神さまが与えてくれる
          それは、外見にあるのではなく心の美しさ。 
     Ⅰペテロ 3:3
    あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、
    3:4 かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。
         外見の美しさより、心の内の美しさ!
          神さまは本当の美しさをあなた方に与えて下さる
     
    寿命だって
    心配しても仕方ない 伸ばそうとしても伸ばせない  
     ・・・大事なことは、いつ死んでもいいように、神を信じなさい。
      時が来たら、神さまが、最善の時に天に召して下さる
      地上の命には、限界がある・・・永遠の命を受けておきなさい
    そして
     地上にいる時は、神さまからの使命がある。
     人はそれぞれ、神の前に果たさなければならないことがある。
     今生きるということは、今与えられている役割を、神の前に忠実に果たしていくこと。
    いつも、主を見上げ、その時その時、導かれることをやって行けばいい
     出来ないことを神さまは望んでもいない。  だから、そんなに力まなくてもいい
    30節に こうある 信仰の薄い者たちよ。
    色々心配し、思い煩うのは、異邦人がやることだ 
      神への信頼が薄くなると、揺れ動き、この世の流れに流されてしまう
         異邦人は「真の神」を知らないので、この世の物を追及してしまう
           それは真の解決ではない
       
    申命記8章にこうある モーセのことば
    8:2 あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。
    イスラエルの民は40年、荒野で生活した。 その時、水がない、食べ物がない、もっとおいしものが食べたい。 肉食べたい。このままでは死んでしまうと、嘆いてばかりいた
    自分の心に心の中に何があるのか、知るためだった
    荒野の40年とは、この世のたとえ
    地上で生きることを、荒野の生活にたとえている
    自分の生活を支える土台は何か? 何を一番にして歩んでいるか
     
    イエスさまは 答えた
    マタイ6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて与えられるであろう。
    神を第一に、信頼して生きること
    その時その時に、どうしたらいいか、分らない時に、神のことばに信頼し
    身をゆだねること
      新しい年が始まりました
    神を本当に信頼して生きること
    神の御心のままに、自分を導いてくださいと 信頼すること
    そうして、神が必ず助けてくれると信頼すること
    悩みや困難がなくなるというのではなく、あっても、正しく対処できるように、いつも祈り求めること
    明日のことを思いわずらうな。明日のことは、神さまが、準備してくれているから
    一日一日神を信頼して生きなさい。

    今年一年も、不可能のない神さまが 見方となって歩んでくださる
    ここに、心の平安がある

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