大正時代のカフェー・喫茶店の人気メニュー
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- Опубліковано 12 вер 2024
- あなたは、大正時代の喫茶店で皆が注文していた人気メニューをご存じですか?
明治時代に日本に登場して以降、人々の憩いの場として定着した「喫茶店」「カフェー」。
今も多くの喫茶店が軒を連ねており、休憩や食事などを目的に利用する人が多いのではないでしょうか。
中には行きつけのお店があって、必ず注文するメニューがある人もいますよね。
喫茶店は過ごし方も頼むメニューも人によってそれぞれで、昔から憩いの場として存在していました。
そんな人々の生活に欠かせない喫茶店ですが、昔の喫茶店にはどんなメニューがあり、どんなメニューが人気だったのでしょうか。
今とは少し異なる当時の喫茶店のメニューとその歴史について見ていきましょう。
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効果音:OtoLogic
音声:あみたろ amitaro.net/sy...
今65歳だけど、大学のころは先輩らがよく喫茶店でバイトしていた。すると器用な先輩はコーヒーを淹れるだけでなく、軽食のサンドイッチやナポリタンなどを任せられたりして、その下宿へ行くと美味い食事にありつけることもあったすねえ。
今日の話題はすごく興味深い内容でした。今でこそ街中にチェーン店で入れる喫茶店ですが明治大正時代は流行の最先端のお店だったんですね🤭有名な文豪達が喫茶店で小説の話に花が咲き喧々轟々と雄弁を戦わせてる場面を想像しただけでワクワクします😊これからもいろんな時代の話を教えてくれるとうれしいです
今では揚げ物の中では比較的安い印象のコロッケだけど昔は超高級品だったんだな
大正時代すごいね。AKB方式やガールズバーの原型みたいなアイデアや、ホットサンドやフルーツサンドまであったなんて・・・。
投票券商法みたいのが大正にあったとは驚き。ドーナツも戦前からあったんだね
資生堂パーラーには黄金色のクリームソーダがあり私が20代の頃は裏メニューになっていましたがお願いすると出してくれるので飲むことができました。もっともあれから40年以上前経つてますけど
そう!今では考えられないけど、コロッケはとんかつやビフテキより高価だったんだよね!サンドウィッチも然り!
当時は肉よりむしろ小麦、乳製品、じゃがいもが貴重だったと聞いたことがある。
アイスクリンが今の8000円くらいだったとはびっくり!
女給投票システム、まるでakbみたいだなぁ。こんな時代からこんな商法を考えついてたのすごいわ
なんなら徳川の時代からある笑
男装した女子が女子相手にお茶を飲み&イロイロする茶屋もあった笑
逆のオカマが経営する『陰間茶屋』もあったしね。
今のキャバクラ、オカマバーやオナベバーはちょんまげ時代からはあったのよ笑
西洋思想で、一旦消えたけど。
当時のカフェーは、風俗店であり、社交場でもありました。色々なアイディアが楽しかったでしょうね。
意外に普段食べているメニューが高いことに気付かされました。カフェ女給さんへの人気投票とは活気的。何処かのアイドルグループみたいですね。
今も喫茶店のコーヒーと蕎麦はほぼ同じ値段なような気がしますけどね
何ならコーヒーの方がちょっと高いところも沢山😅
そういった意味では、つめたい緑茶が一般的になったのは平成に入ってからだったような気がします🤔
薄茶あられでしたら昭和からありました。
粉末抹茶っぽいのに小さいあられが入ってて夏の冷たい飲み物として人気でしたよ。
高村光太郎の詩篇『狂者の詩』に“コカコオラ”が出てくるのは有名ですね。
今だってコーヒーと蕎麦、同じくらいなのたくさんある
純喫茶にはよく通ったなぁ。
特殊喫茶にも行ってみたいけど、たぶん身を亡ぼす!
メイドカフェが近いような気がする。
コーヒーは昭和の50年ぐらいまでは高かったように思います。ラーメンが(町中華の不通のやつ)270円ぐらいでコーヒーは350円とかしてました。
8:44これより、古いポスターには、コルク栓の🍺が描かれている。
(王冠が発明されて無いのか?)
9:22明治屋も輸入販売してた様です。
かつての日本では風俗店のことをカフェと呼んでいた。いまでいうならショーパブやらメイド喫茶だね。大正期に生まれた言葉だ。
そも「喫茶」とは「喫」が葉タバコ、「茶」が水タバコを指し、どちらも喫煙のことだったそうな。記憶が確かなら英国では、コーヒなど匂いのきついものもタバコと同じあつかいで、こうした分煙のための特別室を訳して「喫茶室」といった。
だからなぜ踊りや歌声と「茶」が結びつくのかよくわかっていない。京では舞や酒肴を出す営業スタイルを「茶屋」というが、こうしたところは「花街」だからむしろ無関係で、おそらく江戸にあった「茶屋」が男女でつかうショートステイホテルだったから、ここからできた派生語(言葉遊び)なのだろう。
価格が割り高なのは「特定サービス」料金だったわけ。驚きだね
確かにね。でも、それは昭和に入ってからの話だよ。
最初は各店が他店との差別化をはかって独自のサービスを展開させた中に女給さんを揃えた店が有って、それが風俗的なサービスを展開するように成って行った事でカフェ=風俗といったイメージが広まってしまい、真っ当なカフェがカフェの名を捨て純喫茶と名乗るように成ったんだよ。
一昔前のAKB商法の元祖ですね
子供の頃(昭和49~52年あたり)、駅前の飲み屋街の一角に怪しい雰囲気の「カフエー(風営法縛りの方)」がありましたね。今はその飲み屋街も駅前の開発で無くなりましたけど。
純喫茶 純を付けていた意味が分かりました
資生堂パーラー…憧れで行った事ありますが、お金が潤沢にはない大学生でしたのであまりの価格の高さにショックを受けました…
美味しかったけど東京はなんでも物価が高すぎて泣きそうだった思い出
焼き氷が気になる🤤
昔のほうが高級感がありますね。
ミルクホールやパーラーは懐かしいな。
初めて「純喫茶」の「純」の意味を知った時、驚いたもんな
明治になってから新野菜と果物が輸入されて日本食も変化が起きる。食材や道具や調理法。特に燃料の進歩が大きい。台湾から砂糖が安く手にはいるようになって日本人の味覚も大きく様変わりした。甘いものが高級なのはそのせい
この頃のコカ・コーラなら本物のコカの葉とか使ってたのかなぁ
クリムソーダでもいかがですか?😆
9:44 オムライスは日本発祥なので、日本に伝わったとするのはおかしいと思います。
今も銀座にあるパウリスタは純喫茶って雰囲気じゃないな…
店員ほとんど中国人やし
パウリスタ、すごく期待して行ったのに、店員のおばさまがすごく横柄で失礼な態度で、ガッカリしました
もう7年くらい前ですが(^_^;)
この頃の古き良き喫茶店、もっと銀座にできて欲しいです★★
スパゲッティがないなぁミートソースにナポリタン
明治時代にはコーラは入ってきてたらしいね、一般的じゃなかっただけで
フルーツサンドはお菓子🍪やねん 軽食違う。ケーキ🍰同様お菓子としてはうまい😋お菓子として臨むべし
ただ 軽食としては 玉子ハムきゅうり 塩系が 本物の軽食サンドウィッチやねん。心構えの問題や❗️
さぁ サンドウィッチ食おうかな❗️って臨んで フルーツサンドだったら 突然ハシゴ🪜外された衝撃🫨じゃ
最近のは、喫茶店とは言え無いのではと思います🤔
禁煙なのに、喫茶店と名乗るのはどうかと‼️
煙草を吸いながら、お茶をする所と書いて喫茶店なので、カフェと書いて欲しい。
茶を喫するから喫茶店。