心が荒んだ時、自分への戒めにこの動画を観ます。
三宅さんのこの動画は、初めて拝見させて頂きました。
有り難う御座います。
改めて三宅先生のご遺志をしっかりと受け継いでいかないといけないと感じました。
涙が止まらない。。。
三宅先生、お久しぶりです。
今でも大ファンです。
わたしも靖國参拝をいつかしたいです。日本を守って下さったご先祖さまに手を合わせたい。
戦後生まれですが資料館が在る事を知りませんでした。色々な考えがあると思いますが資料館として残して下さり先人の心使いに感じ入るものがあります。平和を願ってやみません✨✨🌟
加藤紘一氏が総理にならず失脚して本当に良かったと心の底から思うものの、娘がのうのうと家庭だ子供だの地位に
亡国の危機の内閣を呪いたい気持ちになります
私も、あの花嫁人形を見たとき号泣しました。恥ずかしい限りですかね…?
大東亜戦争で散った若者達の為にも、我々は日本国を守っていかなければならない。
三宅さんお久しぶりです。あちらの世界で「英霊」の皆様と再会できてますか?自分もいずれそちらに行きます。
4分の中の重み
外道の統率と云われましたが、現実に生命をなげうって日本を護って下さった若者が居た事を忘れてはいけないと思います、無垢のままに散っていった方々に感謝しております、朝起きた時、食事の前に私は心の中で英霊にひと言お礼を云います、これからも続け、語り継いでいかなければならないと思います。
日本はこのまま終わるのだろうか。この問いがいつも頭の中を駆け巡る。そうではないと思う人が多いのも知っている。ただただ残された時間は少ないように感じる。そうなれば先の大戦で散っていった多くの若者たちに、顔向けできないではないか。正しい歴史を子や孫たちに伝える努力を、親たちは怠るべきではない。
三宅先生、申し訳ありません。
小生がどうしようもないガキであった頃、テレビを見れば「フガフガうるせえジジイだな」とお話に耳を傾けようともしなかったこと、後悔という言葉では表しきれぬ思いです。
私も、戦後産まれです。亡くなった父が海軍で 船が沈没する時に、泳げない人もいたそうです。亡くなる人は、最後に、お母さんと呼ぶ人、日本バンザイ 天皇陛下万歳を最後に、亡くなられたそうです。本当に父が亡くなって40年になりますが、良く思い出したように、戦争の話をしてくれました。今、思えば父の頭のなかは 忘れられないことだったと思います。戦争は、本当に残酷に思います。今も戦争をしている国があります。早く平和が訪れるように、願っています。
三宅先生、涙を流すことを情けないなんて言わないでください。英霊に対する思いの強さにこちらももらい泣きしてしまいました。