9秒台男!桐生選手が恩師に与えた夢とは?【柴田博之】

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  • Опубліковано 18 вер 2024
  • Спорт

КОМЕНТАРІ • 15

  • @hiroyuki_nakano
    @hiroyuki_nakano 2 роки тому +10

    聞き入ってしまいました。ありがとうございました。

  • @user-it8tk1sd5t
    @user-it8tk1sd5t 2 роки тому +8

    柴田先生、正月明けの虚しい心を満たして下さりました。この2週間、ありがとうございました。

  • @dddd-vl8xb
    @dddd-vl8xb 2 роки тому +16

    88年は洛南の当たり年だった。柴田先生のオリンピック代表。インターハイ総合優勝。冬の全国高校駅伝では準優勝、しかもそれまで一度も京都の選手が区間賞とったことがなかったのに秋山選手と高岡選手の2人が区間賞をとって最終7区に渡るまでは先頭を走った。でもその栄光の影にすさまじい努力と苦労があったんですね。

  • @偽ケンブリッジ飛鳥
    @偽ケンブリッジ飛鳥 2 роки тому +10

    高2の時に洛南高校の練習に1度だけ参加させてもらったんだけどやっぱ凄かった。その時に聞いた言葉が「宮本や井本だからって特別扱いはしない」当たり前だけれどほんとに奥深い。

  • @たちあきらっち
    @たちあきらっち 2 роки тому +15

    先生、今も高校時代は財産です。おじさんになりましたが、元気に頑張っております。

  • @user-ql1ro7di1t
    @user-ql1ro7di1t 2 роки тому +10

    感涙

  • @mu2dx413
    @mu2dx413 2 роки тому +12

    とんでもなく貴重な話だ…

  • @ボルトヨハン
    @ボルトヨハン 2 роки тому +13

    柴田先生が指導した桐生選手と臼井さんが指導している小池選手がライバル関係なのも不思議な縁ですね。

  • @shunkambe
    @shunkambe 2 роки тому +13

    ’88の日本選手権L.Jはテレビで観戦していて、鳥肌が立つほどのシーソーゲーム。希代のオールラウンダーとして君臨し続け、既に五輪入賞者の肩書きを持っていた臼井淳一の追いつめられた表情を見たのは、あとにも先にもあのゲームのみ。それにも増して神がかっていたのが柴田監督。監督自身が述べるように、「教員と第一線の競技者との両立」の苦労は想像するに難くない。ただ。当時のオリンピック代表にはこうした立場の教員競技者は結構いた。ロス・P.V代表の高橋卓巳、J.T代表の森美乃里。そしてソウル・スプリント代表の小池弘文と栗原浩司。また、五輪には届かなかったが、東大から日本輸出入銀行に入行し海外駐在員生活を送りながら日本の競技会に出場していた中谷敬二(L.J)・・・ 。時代が変わったと言えばそれまでだが、’80年代までのT&Fは二刀流アスリート達がスタンダードな時代でもあった。

  • @rasteinchannel4942
    @rasteinchannel4942 2 роки тому +3

    教員やりながら五輪に出場する・・・凄まじいことですね。貴重なお話凄く興味深くて見入ってしまいました!!

  • @gk-gi7jr
    @gk-gi7jr Місяць тому +1

    分かるわけがない、と言い切れるトップアスリートだった先生。最高だな

  • @samehada2009
    @samehada2009 2 роки тому +2

    洛南が強い理由も卒業してからも活躍できる選手が多い理由も何となくわかった動画だったわ
    ホント魅力的な人だな

  • @newsmellow9760
    @newsmellow9760 2 роки тому +11

    これはちょっと、ここでしか聞けないですね…

  • @ランランレイマチュピチュン

    柴田さんの天理大学在学中に腹筋してるの見てびっくり👀した。そのスピード