鎌倉御霊神社 奇祭「面掛け行列」考

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  • Опубліковано 13 вер 2024
  • 鎌倉坂ノ下の御霊神社の「面掛け行列」という奇祭(神奈川県無形文化財)がある。この祭は、かつて「非人面行列」と言われる祭だった。言い伝えとしては、かつて頼朝が非人の女性を孕ませたことで、そこで年に一度、無礼講を許して、非人たちを祭に参加させたというものだ。江戸時代には、鶴岡八幡宮の祭礼だったようである。
    祭のやり方は、天狗(サルタヒコ)に道案内された異形の面の神々が神社の氏子の待つ辻々を神輿に担がれてご巡幸するというもので、これだけ見れば、ごく一般的な形式である。問題は、非人の形相の面を付けた10人の異形の神々が、いったい何を象徴しているかという点にある。
    10の面とは、順番に、爺(じい)、鬼(おに)、異形(いぎょう)、鼻長(はななが)、烏天狗(からすってんぐ)、翁(おきな)、ひょっとこ、福禄(ふくろく)、阿亀(おかめ)、女(とりあげ=産婆の意味か?)の順である。どうも、古い神楽面のようでもある。
    見ていると、午後二時半過ぎ、行列一行が、神社から大通り(星の井通り)に出て、東に星の井付近まで行列し、戻って西に由比ヶ浜のバス停付近まで行列をして、御霊神社まで戻って終了となる。
    行列では、行列の9番目に歩く「おかめ」が人気がある。妊娠した大きなお腹を撫でながら、上を向いて歩いていると、沿道から女性が、そのお腹を遠慮なく撫でに来る。安産の御利益があるということだ。
    この祭を、別の角度で考えてみる。極楽寺周辺から、坂ノ下、長谷と来て、鎌倉大仏のある周辺は、鎌倉においては、忍性(1217-1303)という真言律宗の偉い僧侶が、社会的弱者を救済するため、病院施設などを建設していた地域である。この一大社会事業には、時の鎌倉幕府も大いに後押しをして、この貧民救済事業の資金として和賀江島の利権や荘園などを寄進して、忍性の社会事業を大いに助けたことが知られている。大仏前の桑ヶ谷には、ハンセン病患者のための病院「桑ヶ谷療病所」が存在したこともある。
    とかく鎌倉は、武家の町鎌倉ということで、血生臭い、御家人同士の死闘のイメージがある。だが、鎌倉という都市は、そのイメージとは、まったく違って、様々な階層の人間たちが、鎌倉にくれば、何とか暮らしていけるという救済の都市の側面もあったのではないだろうか。祭の行列と一緒に歩きながら、そんなことを感じてしまった。(佐藤弘弥考)

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