有能定子サロンに対抗する彰子サロンの戦略!
Вставка
- Опубліковано 4 лип 2024
- #光る君へ#彰子サロン#高橋学長
暁星小中高、慶應義塾大学卒業後、東京海上火災保険勤務。思うところあり教員の道へ。その間慶應義塾大学大学院、東京大学研究所で学ぶ。現在、学校法人武蔵野学院理事長、武蔵野学院大学学長・教授、武蔵野短期大学学長。関心領域は「思想・政治学・経済学・キャリア教育等」。一方母方は天照大神から続く神道の家柄、神戸・生田神社、京都・下御霊神社は直系先祖の創建。
現在は、歴史解説に注力しています。大河ドラマや小説等、歴史は人間ドラマの宝庫です。単なる表面ばかりでなく、面白い視点や本質的な問題を踏まえて、時代や事件、人物を取り上げて行きたいと考えています。
どうぞお気軽に聞き流して、家事や通勤・通学のお供としてご活用いただければ幸いです。
▼Twitterはこちら
/ skabappy
平安時代に 文化サロンを作り上げたのは すごいと思うし、平和だったんだなって思います。
全くその通りですね。歴史上、稀有の条件が揃っていたと言えると思います。
今後道長が定子に仕向ける事を考えますと、ホワイト道長でどこまで行けるのだろう?と思います。そこは大石静さんのお手並み拝見ですね。
彰子は、これから敦康親王の養育を巡って父の道長と対立したり、将来天皇になる男子を2人も産んだり、道長亡き後も大活躍して藤原家を支える人だということを考えると、文化サロンを主導する知的なタイプでないにせよ、肝っ玉母さん的な頼りがいのある女性だったんではないか?と想像します。
ドラマの中の彰子さんは、ぼんやりしているようですが、若過ぎて本領発揮できてないのかもしれません。
道長はこのまま押し切りそうな匂いがしますね。
定子も普通に亡くなりそうですし、二人の中宮もサラリとやるのかもしれません。
後半戦は、彰子が道長を快く思わない可能性はありますね。
でも、紫式部と道長の関係が絡んだ表現になるのかもしれないと思います。
道長の一帝ニ皇は大変な奇策だがそもそも帝が出家した定子をまた出産させる事自体がおかしいですよね
藤原氏をはじめ、古代日本は前例や律令と言いながら、都合で勝手に変えるケースが多いので、色々まかり通るのだと思います。
還俗されてたする記録もあります。
そもそも定子の出家がどこまで正式なものだったかを記録しているものもないようです。
サロンがこの時代にあったとは。
成熟した時代の様に思います。これから先武士が台頭し一旦ゼロベースになるのだけど。
このまま貴族が政治の中心に居続けたらどんな歴史が繰り広げられたのだろうか。
はい、研究者でも「サロン」と呼ぶ方々がいるレベルではありましたから、同じレベルではなくとももっと続けられれば、文化的にはスゴいことになっていたかもしれませんね。
道長は権力とお金を持っていたのだから何も恐れることなくやりたいことをゴリ押しすればいいと思うのでですがそこまではしないのですね。例えば定子を謀殺するとか、
やはり、当時の雰囲気というものの形があったのでしょうね。意地悪はありでも、力業は難しい等の何らかはあったのだと思います。
定子が出産のための移動する日に、宇治の別荘で遊覧を企画するなんて、道長は本当に意地悪ですね。まひろに追求されたら、前みたいに「そうだ、何が悪い」と開き直るのでしょうか。ドラマでどう描かれるのか気になります。
はい、そうなんです。もう少し細かく言うと、みんながかなり様子見状態だった様で、道長は「踏み絵」的な行動に出たのではないかと推測しています。