【氏族深掘】「 阿倍氏」黎明編【歴史解説】
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- Опубліковано 1 лис 2024
- 氏族深掘シリーズ、第六弾
「阿倍氏」黎明編
現代に最も数多くの名を伝える「阿倍氏」
その黎明期と、始祖とされる「大彦命」の謎に迫ります。
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#古代史 、#日本史 、#阿倍氏
無理なさらないでくださいね。動画ありがとうございます。
いつもご視聴ありがとう御座います!
お気遣い感謝いたします!
こういうお言葉を頂くと、本当に励みになります涙
動画更新待ち焦がれてました。次回の続編も楽しみに待ってます。
いつもご視聴ありがとう御座います!
更新が遅くなってすみません!
今年も頑張って作成しますので、よろしくお願いいたします!
結城屋さんの動画が面白いのは、歴史好きであれば知っていることをまとめているだけではなく、集めた情報から考えた自分の仮説をしっかり述べているところだと思います。今後も応援しています。
阿倍氏にフィーチャーしながら大彦命の考察、感嘆しました。読み方など勉強になりました。大彦命の後裔に久々智氏がおり、木の祖神である久々能智神と関係があるようです。越の国の由来はひょっとすると、クチなのかもしれません。さて、魏志倭人伝の『狗古知卑狗』は、大彦命のことかもしれません。宣化天皇=蘇我氏のもとで阿部氏が中興するのも関係があるのかも。
いつもご視聴ありがとう御座います!
ダルメシアンベビーに、いつも癒されます笑
久々智氏も、気になっています。
少し時代が進んだ頃に、登場すると思います!
越の由来説は、一考の価値ありですね!
病み上がりでの投稿ありがとうございます✨🙏
有意義な深掘り考察が結城屋さんの魅力ですから、あまり無理の無いよう、ゆるゆる行きましょう!🌠
アベ姓に様々な書き方があるのが不思議でしたが、納得できる考察でした。
湿地帯→水稲→饗?阿倍氏発祥地に注目すれば、古代の水田稲作の発達の展開、延いては古代天皇の謎にも迫れそうな気がしました。
アベ姓は各地の豪族が名乗り易い氏だったのでしょうか?
比較的新しい“安べ”姓でも大彦命が英雄視されてた時代に発祥してるのは確実ですから、やっぱり歴史ある氏族に間違いないですね😃
PS:阿部テルマエロマエ寛が、歴史上重要人物の末端に連なってる辺りは、さすが結城屋さんです😂
(後世の研究者を混乱させそう🤣)
いつもご視聴ありがとう御座います!
お気遣い、感謝いたします!
ゆるゆる行きましょうのお言葉、骨身に沁みます涙
12月は何かと忙しく、気付いたら体調を崩していました。
流行病では無かったのですが、しばらく怠さが抜けずに困りました汗
いや、僕も阿倍氏って、水田関連かなぁって思ったりしたんですよ。
だったら「余部」説も、あながちアリなのかもしれないって。
その原稿入れたら20分超えそうだったので、カットしちゃいました笑
阿倍テルマエ・ロマエ寛は、僕の中では歴史上の人物です笑
ビジュアルが!笑
@@nihonshi さん
結城屋さんの動画は、イラストにも凝ってるし、様々な資料から情報を集めて作成されてるので、時間もかかって大変でしょう。
でも、それだけ見応えが有ります!登録者も順調に増えてるし、コメ欄にも詳しい知識をお持ちの方々が集まって来ていて、お陰様で私の古代妄想ライフも充実してます(笑)☺️
以前、あるchのコメ欄で、安倍晋三首相の家系について、“阿倍さん”と、やり取りさせて頂いたのですが、その方の話では“阿倍氏”のルーツは白山信仰のある地にあるとの事でした。その方のおうちも農家で、確かお寺だったと思いますが、作物を奉納するお務めがあるのだと言っておられました。
源流が饗の一族ならば、水田稲作も河川の治水にも携わりながら、余部も労働力として取り込んで行ったのかもしれません。大彦命の遠征にも従軍していたかも⁉️その職能なら日本全国にアベ姓が散らばっている理由としても納得です。
東北の豪族安倍氏が前九年の役で負けた後、源氏の勢力圏を跨いで!?😳四国、北九州、萩に落ち延びて行けたのは、各地に広がっていた“アベ氏ネットワーク”を辿ったのかもしれないと思いました。
@@雨の菫 さま
ありがとうございます涙
こちらこそ、初期から支えて下さって本当にありがたく思っています!
阿倍氏の水田考察、壮大に広がりましたね!
余部が平時は農作、有事は兵役に採用していたとしたら、阿倍氏は最先端の軍事氏族です!
そもそも四道将軍って、軍事部隊だったかも考察の余地があるとは思います。
古代の併呑が、軍事だとは限らないですから。
稲作国家への改宗という、イエズス会的な行動だったのかもしれません。
阿倍氏は何気にデリケートな氏族なようなので、あまり好き勝手言うと怒られそうですが汗
@@nihonshi さん
せっかく返信頂いていたのに、気付かず、遅い🐢返信になりました💦
昨今のSNS上の古代史(都市伝説)ブームが“アベ氏”をデリケートな氏族にしてしまいましたね。全国に“アベさん”はいて滅んでないし、判官贔屓もあるし、明らかに古代豪族に由来のある名字で、地名由来の名字の私などからしたら、羨ましい名字です。
“デリケートな氏族”とは違うかもしれませんが、最近のネット上の考察で、私が同情してるのは、『藤原不比等=プディパラ ノ プピトゥ』説です。
逆に発音しづらくて、それは無いんじゃないかと思う◦◦◦😂
古代の軍隊は、結城屋さんの仰る様に、戦する為の軍隊というよりは、開拓者の派遣だったと思います。
私の“阿倍氏”のイメージも、兵士というよりは、祭司と農業の兼業豪族のイメージです。
@@雨の菫 さま
いえいえ、とんでもないです!
コメント欄の書き込みがリアルタイムで表示されないことも多々あるので、僕も返信が遅れることはよくあります。
コメントくださるだけでも有難いので、今後ともよろしくお願いいたします笑
判官贔屓は日本人の好みですからね!
判官贔屓は僕も嫌いではないですが、それが高じて正邪がひっくり返ってしまうことも多々あるのが困ったものだと感じています。
僕は吉川英治が言っていた、「歴史に悪なし」という考え方が好きで、各々が各々の立場と考えで必死に生きた積み重ねが「歴史」だと思ってます。
だから好みは有っても、嫌いは作らないように心がけています。(なるべく笑)
プディパラ ノ プピトゥ笑
なんか魔人が召喚されそうですね笑
奇説はキャッチーですから、UA-camで人気なのは致し方ないですが笑
こんにちは。自分は京都出身です。昨年、伯父が亡くなり相続の為、父母の戸籍謄本全てを取得しました。江戸末期まで遡れました。戸籍謄本を確認すると4代前の曾祖母が阿部氏でハルさんでした。そして、住所を確認すると現在の京都に有る晴明神社の社務所辺りの住所でした。明治中期頃まで在住していたみたいです。安倍晴明、安倍氏と関係あるか分かりませんが(ハルさん晴を意識?)、戸籍謄本で初めまして知る事、真実を知る事が沢山有り、感動とご先祖様に感謝しております。ちなみに伯父は源家(源氏か分からないですが)に養子に出ておりました。
なんか一瞬だけ阿倍氏一族の中にローマ人アベンティウヌ・ヒロシウスが居た様な気がしますが気のせいでしょうか?(笑)
阿倍一族の流れは本当に興味深いですね
ご視聴ありがとう御座います!
アベンティウヌ・ヒロシウス!見つけちゃいましたか!!
彼は温泉穴を通じて古代日本へ渡来して、阿倍氏の基礎を築いたとも考えられているのです!!
阿倍氏の活躍はこれからが本番ですので、続編にご期待ください!!
今回も面白い動画ありがとうございます。阿部氏が宣化朝あたりから中央豪族で台頭し、今でも残っている家系なのであれば識字も問題なかったでしょうから古代の記録物が何か出てくるかもしれませんね。
ご視聴ありがとう御座います!
そういった古文書が見つかったら、スクープですね!
全国の阿倍さん!蔵に眠って無いでしょうか!!
病み上がりでお疲れ様です!
古代史はやはり面白いですね。
自分たちのルーツがもしかしたらそこにあるかもしれない!
そう考えると浪漫を感じ得ます。
血脈の系譜も大事ですが、思想の系譜といったところでしょうか。
彼らの理想を受け継ぐ、思想を受け継ぐこと。
それらも立派な系譜として未来へと受け継がれていくのでしょうね。
私たちも、その大いなる流れの系譜の、その礎として未来へと受け継がれていくのでしょうね。
私も、未来の子孫の浪漫となれるように生きていかないとですね。
いつもご視聴ありがとう御座います!
お気遣い、痛み入ります涙
思想の伝承は、血統の伝承以上に大切なことだと思います。
そしてそれが教義のような小難しい堅苦しいものでなく、生活に根付くというか、自然体で受け継がれている精神にこそ大きな価値があるのだと思っています。
そういう意味で、我々日本人は先人たちが繋いでくれたバトンを今に受け継ぐ素敵な国に住んでいますよね。
歴史はそうしふっとそうしたことに気付かせてくれます。
面白いですね。母方の祖先が阿武(あたけ)といい、紀州藩でかなりの上士だったと聞かせれていましたが時間があれば調べて見たく思います。父方は藤原明珍でわりとわかっておりますが、母方はあまり分かってはいないので興味があります。
ご視聴ありがとう御座います!
阿武姓は和歌山では多い姓なのですか?
ちょっと調べてみますね!
@@nihonshi 阿武(あぶ)とよむ苗字は全国にいますが阿武(あたけ)は少ないですね。
@@明石晃-p9s さま
なるほどです。
阿武姓、気になってきました!
〔アベ〕に こんなに沢山の漢字があるとは、知りませんでした。益材と晴明は、大膳大夫の職を得ているのも縁があるカモ ウカノミタマの繋がりで白狐?
葛の葉姫から妄想解釈して 保憲と晴明が母方の従兄弟だったら 面白いな〜
ご視聴ありがとう御座います!
賀茂氏と阿倍氏の関連は、避けては通れないですよね。
近々賀茂氏を取上げますが、黎明編で絡んでくるのかは深掘りしてみます!
こんにちは。今回も大変学びになりました。ありがとうございます。結城やさんはどんなお方なんだろう。気になりますね😊👌
いつもご視聴ありがとう御座います!
気に入っていただけて、嬉しいです!
僕を気になってくれているなんて驚きです笑
本人登場動画出したら、引かれないかと心配で撮れません笑
5:07 あべしっwww
ご視聴ありがとう御座います!
アベの書き方を並べていたら、「オラオラ!」にしか見えなくなってしまいました笑
阿倍氏も辿れないなーって思っていたところ、痒いところに手が届いた気がしました。お互い、自愛していきましょう。
推測で申し訳ありませんが、オオビコという名はもしかしたら単に字名で、業績だけが一人立ちした他の誰かだったのかもしれませんね。誰とは言いませんがw
どなたかの覇業だけをオオビコと呼び、それが擬人化したのかも、そう妄想してしまいました。断絶ではなく、差し替えの可能性もあるのでは…。
楽しいなあ歴史の妄想🤩 いつも楽しい妄想のネタを提供してもらって、オイラは幸せだなあ🤩
いつもご視聴ありがとう御座います!
大彦命概念説は僕も大いに考えられると思っています。
だってまんま「スーパーマン」って名前ですからね笑
クラークが別に居て、スーパーマンは称号だった可能性も大いに考えられますよね!
こちらこそ、いつも楽しんで頂けて嬉しいです!!
今後ともよろしくお願いいたします!!
学校の歴史の教科書でもこれ位、具体的に習わなかったですよね・。
勉強になります。
感謝します。
アベ氏の漢字でも組み合わせが幾つも有ります。
アベさんが電話で商品を注文する時に言葉で伝えるのは聞く方も少し面倒ですよね。
阿邉と安邊など「べ」の書き方をどう伝えて
いるのだろうか?
「え?」とか「そうで無くて・」とかの会話内容を聞きたいですね・。
学校の教員の方も間違わ無い様にとしてるのでしょうね・。
実際に他の生徒の名前でも読んだり覚える時に困ったりすると親戚の教員に直接に聞いた記憶があります。
※2:43~にも有りましたが以前から思っていましたが私の予想では「余部」が元の様に感じます。
帰化人説や渡来人説がそうではないかと思っています。
今回の動画を見ている人でも父方、母方の多くの先祖がいる中で一人や二人はいるかも知れませんね?・。
追加:わたしの知り会った何人かの「アベ」さんは一般の日本人より肌色、体型、眼鼻立ちが少し違い美男、美女でした・。
俳優の阿部 寛(あべ ひろし)さん容姿は縄文形だろうか?
渡来系だろうか?
ご視聴ありがとう御座います!
こちらこそ、楽しんで頂けたなら嬉しいです!
僕の後輩に「阿倍」と「安部」と「安邊」がいるのですが、3人いるときに字の違いの話になって、当人たち曰くですが「阿」と「安」の説明はするけど「ベ」はしないそうです。笑
例えば
「アベで予約したいのですが、「安心の安」の方のアベです。」
みたいな感じだそうで。
「べ」は聞かれたら答えるそうです。
「邊」は正式に伝えなくてはならない場合以外は、「辺の難しいやつなんですけど、ややこしいので辺でいいです。」的な感じだそうです。
これは齋藤さんも同じことを言っていました。
因みに「結城」も、字は簡単ですが割と読んでもらえないケースが多いです。笑
古代人の代表として阿部寛が出てきたところで,引き込まれました。
帰化人に与える土地が住みにくい余った土地ならば,湿地(阿倍)のような場所は住みづらかったので,あり得ないこともないかもしれません。
結城屋さんの推理が正しければ,帰化人から成り名上がった豪族が阿倍の姓を認めさせるため「大彦命を祖」と名乗った可能性はありますね。
ご視聴ありがとう御座います!
阿部テルマエ・ロマエ寛は、ローマから度々来日してますからね!
余部が全く何もできない人々だったわけではなく、スタート時にチャンスが無かっただけだと思うので、その後に頭角を現す人物がいても不思議ではないですよね。
湿地帯は治水が出来れば水田化できるので、もしかしたら余部が貰った土地にラッキーな場所もあったかもしれないですし!
ス◯ープラチナのあたりとても参考になります。
ご視聴ありがとう御座います!
僕もあの場面が何気に一番気に入っています笑
年末年始でドタバタしていてやっと観ることが出来ました♪
氏姓改革で出自を表明する際にバレたりする豪族は居なかったのか気になります( ・᷄ὢ・᷅ )
いつもご視聴ありがとう御座います!
タワクワさん(勝手に略してすみません!)には毎回豪族の心配をかけてすみません笑
バレたりする奴らも居たでしょうが、上層部は出来レースだったんじゃないですかね?きっと。
阿倍氏に残る系図と稲荷山鉄剣に刻まれた系図はかなりの精度で音韻対応するので、これはもうほぼ間違いないと思うんですが、孝元天皇を始祖とする伝承自体とても謎が多いので、逆にわかりにくくなると言う自体になってしまうと言う理解でよろしいでしょうか?
埼玉古墳群が雄略の時代に突然作られ始めるのでそれ以前を辿れないのも允恭天皇以降の氏族認可説を後押しするものということでしょうか、
埼玉県の古墳は石室に2系統あって秩父方面は初期のものも終末期のものも割石を高く積み上げた長野県の古墳に近い形ですが埼玉古墳群の物は千葉県や茨城県に見られるような舟形石槨で直葬に近い竪穴石室から徐々に横穴石室に変化していくスタイルです。
それにしても大王の諱を直に刻む事を許可すると言うことは、当時の風習からはかなり異例な事であると思うんですが、謎が残りますよね。
欠史八代の時代は西暦200年台だと思うんですが、この頃の北陸は畿内よりも発展していてもおかしくなくて、四道将軍を派遣するなんて不可能だったのではとも思います。嫡子が派遣されたのであれば、寧ろ同盟国への人質だったのではとも取れます。
ご視聴ありがとう御座います!
稲荷山古墳の鉄剣との整合ですが、難しい問題ですよね。
鉄剣は雄略朝の遺物ですから、大彦命伝説が固まる飛鳥時代より遥か昔のものなので、記紀が鉄剣の内容を参考にした可能性も高いです。
ということは、鉄剣の内容の確証にはならないってことになります。
卵か鶏かパラドックスに陥るんですよね。
埼玉を始め、関東甲信越には多くの古代豪族が蟠踞していたようですので、ヤマト王権とはまた別の大きなコミュニティが存在していたと思います。
それも統一王権的なものではなく、それこそ様々なアイデンティティの氏族がひしめいていたのではないでしょうか。
そのなかで親ヤマト王権もいれば、属ヤマト王権、中立、敵対、無関心と居たでしょうから、畿内よりも複雑な状態だったのではないでしょうか。
越が古代には畿内よりも発展していたということに関しては、発展の定義によると思いますが、交易などに関しては十二分に畿内より上だったと思います。
あと古さですね。
関東以北は鬼海カルデラの影響を受けたい無いでしょうから、それこそ石器時代より脈々と民族を熟成させ、北方や大陸との交易も行い、独自の文化を築き上げていたと思います。
畿内勢に押されるのは、稲作で培った組織力を背景とした質量による軍事展開に圧倒されてしまうためだったでしょう。
稲作文化は土地や人員を多く必要とするので、狩猟や漁猟を基盤とした交易文化圏の民族の「テリトリー」という聖域を犯さずには発展できないというのが、ヤマト王権の強大化の一因だと考えています。
古代の民族が「土地」や「地位」という概念で拡大してゆくのは、稲作がベースにあるに違いないからです。
聖域を犯すことが出来るのは、他の神を崇める異民族のみなので、新興のヤマト王権は条件が整い過ぎていたんだと思います。
北陸は恐らくそうした侵略という概念が無いでしょうから、仮に畿内よりも発展していたとしても、侵されてしまった可能性は考えられないでしょうか?
古代においては、恐らく民族間のアイデンティティはそこまで差異があったと思うのです。
このようなコメントまで返信頂きありがとうございます。
記紀が雄略朝の時代の伝承を参考にした可能性は確かにありそうですね。
万葉集の冒頭の歌も雄略天皇の歌という事になってますから。この歌も雄略天皇がナンパの為に軽々しく自分の名を明かそうとしてしまうという内容なのも史実ではないにせよ当時雄略朝の伝承が主に氏族の間に広まっていた事を暗示しているようです。
紀元前後〜3世紀の北陸はおっしゃる通り侵略という概念を持っていなかったようです。
実は関東地方の水田開発は東海西部と北陸、常陸北部、千葉北西部などの土器の特徴を持つ人たちが紀元前後に始めるのですが規模は小さく行儀良く棲み分けをしていて争いの痕跡が見当たらないんですよね。3世紀半ば以降の庄内式土器の頃までは畿内の土器の人達も同様だったみたいですが、箸墓以降の布留式土器が関東全域に見られる段階…4世紀以降になるとどうもテリトリーを拡大するような広がりを見せ始めるんですよね。この辺りが実はターニングポイントだったのでは?と
今思いました。
関東の豪族や百済新羅の王族はある一定の時代まで嫡子を中央に差し出していました、この事から実はヤマト王権も覇権を握る前の記憶として、嫡子が遠国に行ってしまうというパターンが原因不明の末子相続という形で記紀に伝承が残っているのではないかという一つの仮説でしたw
@@takeshi492 さま
こちらこそ、こういうディスカッションはとても楽しいですし、とても参考になるので嬉しいです。
雄略天皇から急に人間臭くなりますよね笑
僕は関東の人間なので関東周辺の遺跡・古墳を巡ることが多いのですが、やはり関東の遺跡は「聖域」を感じるものが多く、「侵すべからざる」という共通認識が他部族同士でも守られていたように感じます。
稲作が日本列島の人類を滅亡から救ったのは事実ですが、逆に急増させる原因にもなり、そこから歴史が動き出してしまったのだと感じています。
よく古代史を戦国史観で語られる方が多いのですが、古代の民族に領土欲という概念は無かったでしょうから、拡大進行は稲作文化の必然だったのだと思います。
中世ですら、領土意識=米や作物の収穫高でしたでしょうから。
戦闘はおおよそ一方的なものであったでしょうし、稲作文化圏外の部族にとっては天災に近い出来事だったのではないでしょうか。
もし、侵攻を受けた部族が問題を抱えていれば、すんなりとヤマト王権の稲作文化を受け入れたでしょうし、強大な部族であれば防衛をしたのではないかと思います。
帰順した部族の神は高天原神話に組み込まれ、滅ぼされた部族は文化こと消えていったかもしれません。
でも僕の想像では、滅ぼし去られた部族というのは稀で、概ね帰順または降伏という形で吸収されていったのではないかと思います。
本格的に争いが勃発するするとしたら、帰順した地域に派遣された王族や豪族がその地方に根付き、ヤマト王権イズムの地方国家を育成させ始めてからの事ではないでしょうか。
稲作文化同士でなければ、領土拡大の必要性が無いので。
崇神朝に一度、全国に稲作の布教が行われ、文化的侵略があったと思います。
四道将軍とは坂上田村麻呂のような遠征将軍ではなく、ザビエルのような稲作の宣教師だったのではないかと思うのです。
よく言えばセールスマン、悪く言えば地上げ屋ですね笑
その後に多族や中央豪族が地方に派遣され、その地方の王となったり交わったりして地方豪族が育ってゆき、段々と言うことを聞かなくなっていったので、景行天皇や日本武尊が懲らしめに行きます。
そんなことが繰り返されているうちに中央でも権力抗争などがあり、政権も二転三転し、混乱期を迎えます。
混乱期をまとめ上げるのは奸雄であり、一種の天才肌のリーダーの誕生がきっかけで歴史が回転しだします。
その奸雄こそ、雄略天皇だったのではないでしょうか。
なんて、妄想を長々と失礼いたしました。
今後とも、こんな妄想言にお付き合いいただければ嬉しいです!
@@nihonshi 意味が分かりません。鉄剣は埋まっていたわけで、記紀が参考にできるわけがありません。
鬱家ですね?信長公は、『うつけ』と言われてましたけど(笑)
動画、有難う御座います。
冗談は、さておき
鬱色許男8代皇后の兄の娘が9代皇后の伊香賀色謎皇后ですね。
伝承では、9代皇后の里が伊賀市島ヶ原だったのだとか?
伊賀4郡の阿拝【あへい】の鉛からの阿部の伝承もあり、又伊賀の国府に務めてた人を阿部と呼んだ?伝承もあるようです。
ある伝承では、大彦命が伊賀に領地があるのは、母親の里、家を相続した?長男は家を相続するのかな?
大彦命は、敢國神社に住んでいたらしいですけど、奈良と伊賀と季節で通っていたのかも?
大彦命と美濃の金山姫との長男→波多武彦命→宇奈根命→山根命→阿部田臣名張の美旗に土着ししていくようですが、美旗の馬塚古墳が年代的に阿部田臣?ぐらいなんですかね?
次男は、建伊賀津彦
三男が、建渟河別命で伊賀市四十九町に住んでいたらしいですよ。調査もしたようです。
渟河を名乗ってますから、越に行った時の2番目の妃が渟河生まれだったのかも?しれませんね。
お婆ちゃんや母親の出身地の名前を襲名するパターンが散見されてますから。
敢國が、【和え国】なら
和国は、敢國と興味深い話になりますし、敢えて戦いに挑むなら、それは、【武】の意味となり、初代大王を匂わせる文字の使い方(笑)
記紀作成時に各地の風土記を読みながら、初代大王の生誕地の候補に上がっていたのか?最終的には、宮崎【ひゅうが】と神社伝承の若狭一宮
国譲りの丹波などを候補にしてるようですが?(笑)
記紀は、かなり伊賀を意識してますよね。中大兄皇子と伊賀采女に忖度してるのか?関係無いのか?
伊賀は、ミステリーですね。ニンニン(笑)
いつもご視聴ありがとう御座います!
伊賀の掘り方が凄いですね笑
僕は伊香賀色謎は伊賀か四国かをもっと慎重に掘り下げてみたいと思っています。
僕のチャンネルでは、なるべく均等に掘ってゆきたいと思っていますので!
でもいつも@pleasure5458さんの深掘りは興味深く拝見しています!
僕はこの動画で、大彦命系統の断絶を考察しちゃいましたしね笑
@@nihonshi 様。伊香賀色謎皇后の母親方が阿波では、ないかと?(笑)
大彦命の皇女に阿弁玉姫が書かれてますので。
たまたま、非売品の大彦命の書籍を読む機会があり、著者が宮司さんだったので、なるほどと思いました。
弟の少彦壱與男心命は、安土の沙沙貴神社に行き、築紫~對馬に広がるようですが、伊賀七氏族と言うより、8代大王の皇子・皇女の広がりが凄いのかも?
伊賀の城之越遺跡の湧き水の敷石は、阿波の石積み文化を取り入れたのかも?しれませんね。
阿倍氏も謎だが、このような質の高い動画を出す、結城屋も、なにものなのか謎だ!
ご視聴ありがとう御座います!
質の高い動画と評してくださって、とても光栄です!!
期待に添えますよう、今後も精進します!
結城屋様、ようやく阿倍氏について動画を出して頂き嬉しく思いましたが少しがっかりも致しました。
例えば阿部山に在るキトラ古墳の被葬者と考えられている阿倍御主人の事や阿部仲麻呂
、阿倍比羅夫といったい人物の紹介も欠けているて点です。
平安時代の安倍晴明の他に安倍貞任の人物は歴史上、重要な人物の一人として上げて欲しいところです。
阿部姓についても江戸時代に世襲で老中であった首座の阿部正弘は、安倍から阿部に戻し改めたと記述もみられます。
孝元天皇の説明では、邪馬台国の卑弥呼とも繋がるので深堀して欲しい部分でもあります。
そして阿部氏の系譜の謎は、我が日本国の初代統治王の為に隠さなくては都合が悪いのです。
その行為といえるものが明治時代の「廃仏毀釈」であり、大正時代に勲章を得た早稲田大学の歴史学者であった津田左右吉が唱えた「欠史八代」説等と言えます。
仁徳天皇の陵墓とする大仙古墳もこの先も証される事もなく封印し続けることでしょう。
結城屋様の考察も聞いていて私の考えに合わず、残念な気持ちに成りました。
阿部氏については奥が深いと思いますので触れない方がいいかも知れませんね。
それにしてもイラストや動画編集は本当に素晴らしいといつも感心しております。
今後も勉強をさせて頂きたいと思います。
体調が優れないとの事、くれぐれもご自愛下さい。
キトラ古墳の被葬者は分かりませんが、今回の動画は黎明期編だから後の時代の有名なアベさんたちは別の動画で扱ってもらえるんじゃないですか?
いつもご視聴ありがとう御座います!
がっかりさせたなら申し訳なかったです泣
古代史考察というのは、真面目に考えている人の数だけ説があるものだと思います。
ですので意見が違ったとしても、それは一つの見方として受け取ってくださると嬉しいです。
僕の考察が必ず正しいというわけでは、決してありませんから!
因みに古代豪族の黎明編は、イメージとしては神武~せいぜい景行朝あたりの時間軸で構成しているので、阿倍比羅夫は恐らく次回に、安倍晴明は平安編に、阿部サダヲは平成編に登場すると思います。
確かに今回は阿倍氏の現代にも触れたので、誤解させて申し訳なかったです。
今後も自説と違うような内容になることも有ると思いますが、「ああ、結城屋はそういった考えなのか。フムフム。」といった感じでご覧いただければ幸いです。
身体も気遣って下さって、感謝しております。
今後ともよろしくお願いいたします!
@@wakamedesuga 様
コメントを頂きまして有難うございます。
「阿部寛」さんのイラストもあって歴史観が広がってしまいました。
結城屋さんの動画は真面目に作られていて大変勉強に成ります。
内容の期待が大き過ぎて・・・。
今後の動画の展開が楽しみです。
焦らず楽しみに勉強をさせて頂きたいと思います。
有難うございました。m(__)m
@@nihonshi 様
毎回素晴らしい動画に感銘しております。
結城屋様の個性的なイラストや動画編集の素晴らしさ、特にオープニングはデザイン性も高くかっこ良いと感じます。
今回の動画は待ちに待った「阿倍氏」であり私の系譜に繋がり、歴史を調べるきっかけとなった氏族だけに期待が大きすぎて、誤解を抱かせるコメントとなって申し訳ありませんでした。
「阿倍氏」を調べると意図的に隠したり、蔑んでその地位を下げたり、悪者に仕立て上げる行為が古代から現代にまで及んでいる不思議さに気づきます。
今回の「余部」についての考察に上記同様の思いに至り、冷静さを欠いたコメントになったものと思います。
考察は個々の考えが多様であるからこそ、また様々な角度で検証が出来て楽しいものと私も思います。
因みに私の考察は、「阿倍」の「阿」は「天」(あま)から「阿」に成ったと考えます。
理由としては、密教において「阿字観」という言葉があり、「阿」は「天」や「宇宙」を示す意味とされているからです。
一方逆に、面白い考えに「天部」(あまべ)が「阿部」(あべ)になって、真ん中の「ま」が抜けて蔑む言葉の「まぬけ者」と成ったとか?
同様に「物部」(もののふべ)の「ふ」が抜けて「もののべ」から「ふぬけ者」の蔑視言葉が生まれたとか?
蔑む言葉は「阿倍氏」に関連するところから派生しているのではと考えてしまいます。
言葉は考えると一文字一文字が奥深くて、時に怖いものにも成りますね。
私も気を付けたいと思います。
結城屋様の真面目な歴史観と素晴らしい動画編集やご考察を楽しみに、また結城屋様ファンの紳士的な視聴者様とご一緒に今後とも勉強をさせて頂きたいと思います。
次回の素晴らしい動画を楽しみにしております。
有難うございました。m(__)m
@@ikuoharada9278 さま
ご丁寧なコメント、ありがとうございます!
僕もどこかの氏族や歴史上の人物を貶める意図など全く無いので、そこはご承知おき下さい。
そもそも阿倍氏は飛鳥時代以降は中枢に在り続ける強大な氏族ですから、貶められたイメージなど全く持っていないです。
因みになんですが、僕の阿倍氏の出自の妄想は、実は蘇我氏系ではないかというものです。
飛鳥時代こそ新興豪族ですが、一気に朝廷の中枢に上り詰めた謎の氏族グループの一員だったのではないかと妄想しています。
それこそ葛城氏を消し去ってその地位を踏襲し、次々にヤマト王権プロパーを葬ってゆくチームです。
余部に関しても、ヤマト王権から見たら蔑む呼称ですが、後に下剋上する可能性を秘めているのも、そうした新興勢力の力が背景かもしれないと思っています。
秀吉が南朝系在野氏族を背景にのし上がっていったように、余部をうまく率いて大きな力を得たとしても、不思議ではないと思います。
決して蔑むような話ではないと思っています。
「阿」が「天」なのも、考えられますよね。
もしくは「海」かもしれないとも思いました。
古代日本神話は「天と海の物語」ですから。
間抜け、腑抜け説も、面白いです!
今後ともこうした有意義なディスカッションを、どうぞよろしくお願いいたします!
いつも楽しく拝見させていただいてます。天武天皇は、海部氏なんですよねぇ?と言うことは、海部氏は、天孫族なの?その辺をはっきり知りたいです。
いつもご視聴ありがとう御座います!
古代において海部を一つの氏族として扱うのは微妙とも考えられるので、海部を豪族として一つの動画にするかは迷っています。
海部は広義過ぎるんですよね。
大海人皇子(天武天皇)が海部なのではなく、養育したいわゆる乳母のような立場の人物が凡海麁鎌(おおあまのあらかま)という人物で、それにちなんだお名前だと思います。
父親が舒明天皇で、母親が皇極天皇ですから。
凡海氏は安曇氏の流れの氏族で、安曇氏も広義の海部です。
蘇我氏との関係を考えれば、中国北方系渡来人である安氏の部民が、安部氏の源流ではないかな。家格に箔をつける為に、倭人における伝説上の人物の子孫と号したと考えられます。最も重要なのは、唐との対外関係で通用する氏。
古事記・日本書記が作られたのも、氏姓が日本固有である事をアピールするのが目的。渡来人が大和政権を作ったとなれば、都合が悪いですから。
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安氏はけっこうきわどいところに居ますよね!
でもそれだと日子坐王と大彦命の関連も考えなくてはならず、阿倍氏も和邇っ子って感じになっちゃうんですよね。
僕としては、わりと大彦命系統を滅ぼしたのが和邇系ではないかと踏んでいるのですが笑
まったくもって、現段階では妄想ですけど!
ついに五大夫が揃ったか・・・胸熱
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僕もあの並びを描き終えて、ムネアツになりました!
蠅がいるなら虻(アブ)がいてもいいよなぁと、思った
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ああ、なるほど!
それも一理ありますね!
ちなみに、私は大阪市阿倍野区に住んでいます。
個人情報は書き込まない方が。。。
長髄彦が敗北後死んだのでなく。東北に逃れ阿倍姓を名乗ったのではないですか?
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そうしたお話しもありますよね。
今回は阿倍氏のお話しなので、安日彦説を採用させていただきました。
アビヒコ→アベヒコ
奈良の人間ならわかっていることですが、安倍さんの事件の現場から東に1キロあまり行くと、平城京の大極殿のすぐ裏に出くわします。
つまり、彼が亡くなったのは、玉座というか、高御座の後ろ左側、つまり、左大臣の位置です。
そして、初代の左大臣は、阿倍仲麻呂。
左大臣は現代で言えば、首相ですよね。
そして、平城京は、豪族の集合体ではなく、国家としての日本が生まれた場所と言ってもいいと思います。
歴史の不思議を感じます。
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深いお話ですね。
僕も個人的には阿倍元総理には悼む気持ちが大きいので、何か大きな歴史の一部と思えば、少しは救われる気がします。
歴史はそれ自体が超常的な力を持っているのかもしれませんね。
よく言えば「名跡を継ぐ」ということでしょうか!
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確かに、そうとも言えますね!
「あべうじ」の読み方は「あべし」と言う方が自然です。
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基本的に仁徳天皇以前の皇室は末子相続ですよね。
皇位継承候補が2人いたら弟の方がだいたい選ばれてますよね。
だから個人的には大彦命が皇位を継がなかったのは理解してる積もり
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それも考えられますね!
阿部寛!?
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はい!
阿倍テルマエ・ロマエ寛です!
古代ローマ人(笑)。
職掌、お湯くぐりの渡来…いや、潜来人♪
@@茉莉花ジャスミン-c9j さま
お湯くぐりで何度も渡来していますからね!
まるで阿倍仲麻呂のように!
「壁寛です」
やべー祖先てんのーかよwwww
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先祖が大王って方々、けっこう居ますよ!
大彦=長髄彦
考え方の学校で、メソポタミア文明の中から、帰化してきたらしいですよ。
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いわゆるシュメール移民説ですよね。
全く荒唐無稽では無いので、この説も有り得るとは思います!
日本の古代史をひと浚いしたら、一度本気で掘り下げてみたいとも思っています!
@@nihonshi
頑張ってください。考え方の学校とひろし林、おすすめ申し上げます。
阿倍氏『【平安時代以後は「安倍」】故安倍総理や奥州藤原氏秋田氏に繋がる』の見聞があまり見当たらないので、
是非にもう少し深堀りして考察してほしい。ちなみに阿部寛は秋田出身な筈
歴史、明治をしらないと思うしかない。
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貴重なご意見、ありがとうございます。
何でもかんでも仮冒って断定は出来ないだろう?強引すぎるような気がする。
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あくまで仮説なので、ご容赦を!
通名が勝手に名乗ってるわ🤣
ご視聴ありがとう御座います。
安倍水軍に興味があります。
昨今、各古代史関係の動画を視聴させて頂き、個人的な懸念からコメントするようになりました。それは、余りに荒唐無稽な解説
動画の多さに、歴史関係者として、強い危機感を抱くようになったからです。特に歴史に関する基礎知識を欠如した「ユダヤ人同
化説(「同祖説」も)」や「古墳造営残土処理説」はその双璧といえましょう。前者は、欧州各国で迫害の対象となってきた民族の
問題とも関連するし、後者もより一層身近に現皇室にも関連し、はては揶揄や誹謗中傷の的ともなりえます。まして、韓国では、
日本語を良く使いこなす学者も多く、常に我が国の古代史も注視しているだけに、やがて日本の皇室や国民意識に対して、嘲笑さ
え招きかねないとの危惧さえ覚えます。
我が国の歴史でも、古代史の研究者は中世史には言及し得ず、中世史の研究者は近世史には言及し得ないのが実態なのに、基礎
的知識に欠ける他分野(歴史学以外)の人が、論及し得ると考えるのは不遜である、と言わざるをえない。事実、多くの論及例で
不当な資料を飛躍しながら操作、思い込みともいえる自己の結論に導いている。
ところで、本動画視聴の感想だが、率直に言えば、折角苦労して作成された動画なのに、西洋風の人物や道具は(特にあのよう
な剣は倭国では大幅に異なる形状であって誠に奇妙。アニメ風の連想を招いて幼稚な趣さえ窺われる)、却って解説内容の信頼性
を損ねているように感じるが、私一人だろうか。
まず、古代の人名は、その初期には多くが地名に由来することは学界の常識といえるのではないだろうか。「武内宿禰」の七男
の名の紀氏・巨勢氏・平群氏・蘇我氏・葛城氏・波多氏など臣姓氏族は、皆地名に由来する端的な例と言えます。
次に、現在の研究史上においては「大彦命」後裔の七男は全て現実に合致しています。「応神」対「オシクマ」「カゴサカ」両
皇子という「4世紀末の騒乱」後、伊賀国伊賀郡に「伊賀臣」(女良塚古墳ほか)、同国阿閉郡に「阿閉臣」(御墓山古墳)、若狭国遠
敷郡に「膳臣」(上之塚古墳ほか)や、関連が少し飛ぶが、筑後国八女郡に「筑紫君」(石人山古墳ほか)のように。前者のグループは
ヤマト王権の東縁部をあたかも藩屏であるかのように固めているのを初め、各地の枢要地を護るかのような形で、100m前後の大型
古墳が突然出現している実態は注目されます(近江「狭狭城山君」周辺域は大型古墳の削平例も多く、現状は詳細不詳。「越国造」
は該当する候補は確認しうるが、未発掘のため特定不能)。その様は、新王権成立直後で、未だ弱体な応神の支配体制の護りを固め
るための整備を、まさに目視しうるような状況と言えます。つまり、歴史的な事実性が顕著です。
なかでも、「膳臣」は『紀』にも、朝廷での「膳式」や朝鮮半島への派遣将軍など、種々の後継伝承が続いており、他方「筑紫
君」はやがて「筑紫君磐井の反乱」で登場する一方で、後継の歴代大型古墳も現地でその継続、存在が確認できる。
いずれにしろ、本コメントでは詳述が困難だが、過半の氏族は『記』『紀』上での連続的伝承こそ断続的であるに過ぎないけれ
ども(意外に知られていないが、物部氏の中期族長墳や、大伴氏の歴代族長墳も依然特定し得ず。判明している一部では、畿内の
雄族とはいえ、畿外に移配された領地への造営が判明。若狭における膳臣はその典型例と言える。ならびに、分別不明の馬見古墳
群中に混在する可能性が残る)、それを理由にした否定的な見方は、依然戦後隆盛の「津田史観」に囚われた思想的な偏見とも言
えます。『記』『紀』では、景行を典型例として多くの皇子や皇女の存在を記すが、ごく一部を除くその後の経緯の細部は記載し
ていない。なら、上述の諸皇孫の動静に関しても同様であり、各人の伝承上での細部にわたる記載があるのを前提に論じるのは、
誤解に過ぎないと言えよう。
念のため、「大彦命」の墓は桜井茶臼山古墳、その子「武渟川別」は同市内のメスリ山古墳、「丹波道主命」は網野銚子山古墳
がそれぞれ該当する旨の論証(論文)が早く提示されており、古墳の格式や埴輪・副葬品などから整合的な理解が可能となってお
り、多くの支持を得ている。
真にまっとうなご推察です。
昨年東京メディアが垂れ流し報道した吉野ヶ里の小さな何もなかった石棺墓。同じ年に驚愕の分析結果が出た桜井茶臼山古墳。黙殺と言っていいメディアの取り扱いでした。
このような存在を示す「臣下」は大将軍「大彦命」以外考えられないもので、伝承や実際の関連遺跡が符合しています。