【ゆっくり解説】13人の合議制(鎌倉殿の13人)と、その末裔

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  • Опубліковано 12 вер 2024

КОМЕНТАРІ • 12

  • @73moto
    @73moto Рік тому +21

    鎌倉殿の13人の御家人で最終的に勝ちは大江広元で広元死後に大江氏は北条に壊滅するが生き残りが安芸に移り豪族で毛利氏になって毛利元就が出で関ヶ原で敗れて減封されたが幕末に倒幕の一角に成り、明治維新後に華族では武家では数少ない公爵に成った。

    • @user-wr6qj9gu4e
      @user-wr6qj9gu4e Рік тому +4

      確か大江を安芸に呼び寄せたのは、熊谷直家であり最近では、直家は、承久の乱で死んでおらず実際は、後鳥羽上皇の監視役だった説が有力

  • @user-ph8ij1lt9v
    @user-ph8ij1lt9v 8 місяців тому +4

    比企能員の子で能本(よしもと)は比企氏の変の時に京都にいた為に難を逃れ、まだ2歳だったことで命は助けられた。
    その後出家して妙本と名乗り、比企氏の館跡に妙本寺というお寺を建立する。
    妙本は1286年に85歳で死去。

  • @winmake1140
    @winmake1140 Місяць тому +2

    横井氏は尾張藩の家老で、青松葉事件に関係してます。
     佐分家に養子に入ってます。
    横井小楠も子孫です。現在もお城に
    んでます。後北条家にも繋がるのですね。

  • @伊藤馨-q3f
    @伊藤馨-q3f 8 місяців тому +2

    北条も結果滅ぼされたが生き残ったものが関東に移り横井氏を名乗り後の後北条氏の二代目当主北条氏綱の奥さんとなり当時伊勢姓だった氏綱がこのことを利用し、北条氏の礎を築くためのものとなった

  • @user-uy1yq7cx5c
    @user-uy1yq7cx5c 17 днів тому

    大江広元の子孫で知られる毛利氏の庶流には桂氏がいて、内閣総理大臣を務めた桂太郎とか養子で血の繋がりはないけど木戸孝允(桂小五郎)なんかがいる。

  • @user-bh7gs5bo8d
    @user-bh7gs5bo8d Рік тому +2

    ほんま修羅の国やでえ…

  • @user-ex1lw7lp2e
    @user-ex1lw7lp2e 18 днів тому

    霊夢さん…オウム返ししかしてない。

  • @ACiruka
    @ACiruka 27 днів тому

    比企尼の長女で比企能員の義理の姉、丹後内侍の息子が島津氏の祖、島津忠久。
    その島津氏の一族である新納氏の末裔が新納慎也氏
    鎌倉殿の13人で阿野全成を演じた俳優その人である
    ちなみに安達盛長は丹後内侍の再婚相手であり、島津忠久は前夫との間の子である

    • @ろっそねろ
      @ろっそねろ 22 дні тому

      畠山重忠の宿将本田親常の子貞親は島津忠久の名代となり大隅守護代として戦国時代までは勢力を誇った。
      梶原景時の弟、酒匂朝景(さかわともかげ)の子酒匂景貞(さこうかげさだ)は同じく島津忠久家臣となり薩摩守護代として南北朝時代頃まで権勢を誇った。
      鎌田政家(正清)の子孫もしくは一族の鎌田政佐、政重兄弟は同じく島津忠久家臣となり本田、酒匂らと共に薩摩に下向した。鎌田家が歴史の表舞台に出てくるのは日新斎忠良の祖父、伊作久逸以降である。

  • @lx1125
    @lx1125 6 днів тому

    相模三浦は滅んだけど、三浦一族は全国に散らばってるから滅亡はしてないんだよね

  • @user-uc1fd5ws6c
    @user-uc1fd5ws6c Місяць тому

    おぉ、横井氏が登場しましたか。この方の曾孫が伊勢新九郎と京の都で一緒に奉公衆をして、数十年後鎌倉にて、伊勢家に「北条性」を与えた