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こんな話がある。東條内閣が総辞職する少し前、東條夫人の勝子の元を1人の婦人客が訪れた。だが、彼女は長居し過ぎて帰りが遅くなった。そこで勝子は気を利かして、陸軍省に電話を掛け、電話に出た宿直担当の戸塚中佐に、「婦人客が帰る所だが、タクシーが無いからクルマを回して欲しい」とお願いした。だが戸塚は、「ガソリン不足の時節柄、大臣のクルマと言えども、私用に回す事は出来ません」と言って断った。それから数日後、戸塚は当時陸軍次官だった富永により、玉砕直前のサイパン島守備隊の参謀に左遷され、そこで戦死した。
冨永恭次には東條英機、山下奉文の両大将も激怒した事は記憶しています!冨永が東條英機の腰巾着で小磯首班に変わったら陸軍次官からフィリピンの第5航空軍司令官に飛ばされ上官の許可なくして部下を置き去りにしてフィリピンから台湾に逃亡しましたね!前線に出たら此の体たらくです!
他国であれば軍法会議にかけられ銃殺刑が当たり前ではないですか?赤軍であれば懲罰大隊に放り込まれ人間地雷探知機として有効活用されてますよ。
戦後まもないイギリスでは『日本陸軍の高官は日本兵をいっぱい死なせてくれたので英連邦から勲章を授与しよう』というブラックジョークがあったそうです。
ちょっと笑えないブラックジョーク(>.
@@Toraianfu 遠征ばかり夢中になって、通商護衛もろくにさせなかった海軍主脳部にも与えてくれw
冨永は大戦中、東條内閣打倒運動に参加した、勅任官で当時42歳の松前重義博士(東海大学創立者)を、二等兵として召集、フィリピンに送ってしまいました。しかし寺内寿一が自身の権限で松前二等兵を、軍属にした後、帰国させてしまいました。寺内寿一の判断がなければ、恐らく今日の東海大学はなかったでしょう。
富永と内務省は悪くないかと。B-29空襲対策を実施していた内務省は国民の戦勝気分に危機感を持った。というのも国民は大本営海軍部発表、架空の大戦果と連戦連勝を信じ切っていたからだ。内務省では海軍は絶対国防圏でも惨敗し、陸はサイパンを守れないと予想していた。内務省の陳情を受け内閣東條と陸軍富永は軍部から「正確な情報開示」のコンセンサスを取ろうとした。「国民の士気が落ちる」と危惧する陸軍には「竹槍訓練で士気高揚」を条件に情報開示の同意を得た。対して海軍は、サイパン用の予算をラバウルで使い込み、追加の補正予算を欲していた。海軍番記者と顧問学者を使い国民に「聞こえのいい」情報戦を仕掛けた。「竹槍でB-29は落とせない。海軍に予算を付けて陸上攻撃機を量産すれば、 ”また”米艦隊を撃滅するでしょう」海軍発の楽観論に国民は海軍を頼み喝采をあげ楽観が広がった。この情報戦の帳尻合わせが台湾沖の架空戦果であり戦勝祝賀の提灯行列であった。楽観論を広めた記者と学者はその体で戦場を体験して来いという懲罰だった。戦後、マスコミが元内務官僚に東條批判のコメントを取ろうとしたが、「あれは東條さんが怒るのは当然だ。私も腹に据えかねた」と語気を荒げた。
@@aonegi3bon847さん松前氏は、海軍の提灯持ち記者でしたから。
この人の愚策・浅慮により…幾万人もの若人の生命が無駄に散った😑…この人は…最期まで…自らを省みず…反省せず…遺族を逆撫でする言葉を吐いていた🤬
富永は上から押し付けられただけでに特攻を止める権限は無いし、第四航空軍はフィリピンで大活躍した部隊だぞ。
旧ソ連の名将であるゲオルギー・ジューコフの名言がまさに当てはまる。「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」東條にはまだ、昭和天皇への純粋なる忠義があるという点で一点の美しさがあったが・・・
日本軍の将校は馬鹿の百貨店ですねでも前線の兵士や隊長はとんでもなく優秀で強いという不思議
上の無能を下が補うに関しては世界でもトップクラスですから・・・。それにしても旧日本軍の偉いさんはこんな奴ばかりで嫌になります。
米軍評価は、毎回包囲戦仕掛けてくる。同じ攻撃でせん滅するまで。
まるで現代の政治家と国民、企業経営陣と従業員のようですな。
キター。富永恭次‼️敵前逃亡は兵隊なら死刑。将軍なら戦略的判断だー(苦笑)
「命惜しさに 富永が 台湾に逃げた その後にゃ 今日も飛ぶ飛ぶ ロッキード でっかい爆弾に 身が縮む」若鷲の歌のメロディーでw
陸軍による欧米の植民地への快進撃は、私からしたら評価するのが難しいです。富永恭次は恥ずべき軍人だと思います。
富永氏は、自己弁護をしなかった事だけは敬服する。
13:50>マニラを放棄すれば何のために特攻隊を犠牲にしたのか分からない。マニラ市民虐殺の件で山下大将は絞首刑にされたが、どうみてもえん罪。山下大将のマニラ非武装都市化に反対した富永氏や海軍に責任があるとしか思えない。
海軍の第26航空戦隊司令官は、第3次ソロモン海戦の時の戦艦霧島の艦長だった。
デング熱で寝込んでいる人間にまともな判断が出来るわけがない、責任は司令官を変更しない大本営にある。
牟田口廉也も、10年間シベリア送りにされたら、こんな塩らしい言動になっていたかも知れない。
富永をフィリピンの第4航空軍司令官への任命は陸軍大臣杉山元が行ったもの。その任命は能力を評価してではなく、私怨によるものだった。杉山は「ちょうどいい口があったよ」とこの人事を自画自賛していた。来たる決戦場の主力航空軍の司令官を左遷先にと考えてしまうとは、当時の陸軍上層部の無能さが良く表れている。ただ富永はかつての人脈を活用して第4航空軍の戦力、装備を充実させていった事は事実であった。ただそれは戦局を考慮してと言うより、戦果を挙げたいと言う個人的な功名心だったと思う。軍の戦略的判断ではなく、個人の個性や力量で戦力増強が出来るのも問題(343空の源田も似た面があるけど)軍政家としても実戦部隊の指揮官としても凡将の軍人だったと思う。
愚将ではありません。屑です。強いて言うなら逃亡は本人の意思ではなく周囲の幕僚に押切られたとも言われますが拒否する事は可能です。
牟田口さんのような弁明をしなかったことだけは評価できる
伊達晴宗の末裔であり最後の海軍大将と呼ばれた井上成美を掘り下げして欲しい。
軍政は優秀だが、戦闘はまるで無能。
@@二見裕司-r6t失敗続きの海軍で、戦上手な将軍がいたら教えて欲しい。陸軍は山下奉文とか今村均とか、結構いるけど。
冨永将軍の悲劇は自分の子供が一般大学から陸軍の特攻隊将校として戦死した事。子供を一般大学に進学させたという事は、子供は軍人にさせたくなかったんだね。
投稿お疲れ様です!
軍人になったのがこの人と部下にとっての一番の過ちだね基礎的な体力は必要ではあるけでど学業?の成績で人事を行ったのが旧日本軍のダメなとこ-平時ならまだよかったかも?しれないが戦争が始まってからも基本これを続けたんだから勝てるはずがない
富永恭次の息子は立派な最後だったのにな
アメリカと戦争せずドイツと一緒にロシアを共同で叩いとけば良かったと思う。
やはり石油を止められる。
この人が参謀本部の第一部長の時、次長から参謀飾り緒を引きちぎられ、更迭された模様。この時に彼の才能は使い物にならないと評価されたはずなんですが、東條陸相の人事局長、陸軍次官と栄転したのが、日本の運命を決めたんですね。
違います。この時の陸相板垣さんが、庇った。
@@user-xn8xl4xx4e それで関東軍の支配下にある戦車学校の校長ということで飛ばされたんでしたっけ?
@@伊藤宏憲-f6tさま。修正をありがとう御座います。記憶違いでした。
お疲れ様です。巷間言われるほどの無能だったとは思わないけど敵前逃亡してしまった事は論外ですね 今後汚名を晴らすことは出来ないでしょう 特攻作戦の指揮官であり部下に自殺攻撃を命じた当事者であった以上身の処し方が他の将官より厳しく問われるのは致し方ない 本人がそれを良く分かっていたことは牟田口と大きく異なると思いますね
東條との関係が関東軍からとなっているが二人の関係はもっと深い 富永が陸士時代に東條は区隊長だった また富永は陸大35期だがその時の教官が東條だった 優秀な学生が教官と親交を深めて兄事する事で協力して昇進して行くマグの関係は広く行われており、東條と富永の関係は典型例と言える この縁もあり富永は一夕会に勧誘されて武藤らと一緒に参加している関東軍に赴く前の富永は参謀本部作戦課長だったが大抜擢にも関わらず能力不足でたった4ヶ月で同期の武藤章に交代させられてしまった だから関東軍にいた東條が引き取って富永を救ったんだよ 東條が失脚するまでの富永の行動は基本的に東條の意に従って行動していたと見るのが妥当で北部仏印進駐での事件もその文脈で考えるべきだ
息子の冨永靖大尉、特攻で戦死 父が上級軍人であればいくらでも戦死する様な状況は回避できた筈。評判の悪い父親の不名誉を挽回したいという切なる思いがあったのではないか、、、想像に過ぎないが何か胸に迫るものがある。冨永恭次、戦の世に向かなかったのかも知れない男の悲劇を感じます。 冨永靖大尉の特攻攻撃を感謝し、冥福を心からお祈りします。
デング熱で寝込んでまともに立てないほど衰弱していた富永が自分の意思で撤退したとはとても考えられないな。高木俊朗の書いたエピソードは全く信用できないのでそれを除くべきだろうね。
辻政信。
日本人は東郷と山本と東條しか知らないんだから、冨永なんとかなんて誰も知らないよ。
戦後責任転嫁や自己擁護しなかった点で牟田口よりはちょっとだけマシほんのちょっとだけ
否定している人がいるけどこの人よりも宇垣纏さんの方が立派だと思うよコイツとジンギスカン屋は絶対に許さない
確かに。宇垣纏と大西瀧治郎の爪の垢を煎じて飲ませる人間。
部下を道連れに無駄死にした宇垣が何だって。
レイテのみで自爆攻撃をする。と、言っておいて常時戦術にし、2000万人自爆攻撃すれば。そんな司令官、次官がなにか。桟橋に自爆攻撃を命令する司令官がなにか。海軍が艦隊決戦だけしか考えて無いから、マルタに行っている山口提督、小澤提督から船団護衛、対潜とかの話はきかず、全くやってなかったので、多くの船員、漁業者、陸軍将兵が海没した。
見苦しい自己弁護しなかったのは意外だったわ、今の裏金議員への甘い処罰みたいなのはこの頃から横行してたんだね。
台湾えの逃亡は衰弱した富永将軍を本人に知らせず部下が偽の召喚状を書き台湾え送った記録があります。将軍の名誉のため紹介いたします。
仏印の時のかる意味の上司は板垣陸相。陸相は人事権が有る。訂正、東條陸相でした。謝罪します。板垣陸相は、4課へでした。此処で参謀肩章をです。富永中将は酒タバコは遣りません。出撃する空中勤務者は、水盃です。空中勤務者からは、感謝されてます。抑留から帰国船に、迎に言ってます。残された空中勤務者は、大西中将に帰国船を依頼してます。
岩村高俊みたいなヤツやなぁこういうヤツは絶対に許さない
愚将というよりは、凡将でしょうか。御子息を犠牲にされていたということからも、人間性は決して悪い訳ではなかったんでしょう。
同じく『息子を死なせた将』とはいえ、乃木とは雲泥の差ですな。いや、そもそも比較するのが乃木に失礼極まりない。
ノーコメント!なにか云うべきことがあるのかないのか、私にはわからん!しいて云うなら「クソダワケ!」「臆病者!」「日本陸軍一の無責任男!」
こんにちわ、山本五十六と山本さんの親友の人山口多門、宇垣さん栗林忠道さんなどいい人達は居ますよね😊本当に辻や牟田口など1番悪い人がいたから他にも居ましたけどその人達のせいで日本は戦争に負けたと思ってます。辞めるきっかけやタイミングはいっぱいあったと思うし昭和天皇も、強く尊重しとけば戦争にもならなかったと思うしまぁ中国の関東軍のメンバーのせいでもありますね。そういう人達軍人を排除してたらまだ日本は平和だったと思う。
山本さん、山口さん、宇垣さん、がいい人?。ミッドウェー海戦で責任転換した人が。重慶無差別爆撃で、搭乗員に護衛機が無い状況なのに、命が惜しいのか。と、言いう人が。部下を道連れに、米軍へ特攻攻撃する人が。栗林中将は、硫黄島で17から40歳まで島民徴用して、最後まで付き合わしてます。17歳は、流石に。牟田口中将は、司令官以前は山下大将からも信頼為れてました。有能です。
子犬ほどキャンキャン吠える。
負け犬とも言えます。
軍部の中枢に置かれる参謀としては、必要充分だったんじゃない?最終的に、軍国主義のツケを負わせられる憎まれ役にもなったわけだし。
やっぱり愚将の方が多いのかな
今となってはどうでもいい話だ
こんなので、フランスが戦勝国で常任理事国なのが意味がわからない。プライドはトップクラスだけど
チャーチルが 強く希望したからアメリカ ソ連の発言力が強くなりすぎることを警戒したかららしい
@@MUSASI40 ありがとうございます。にしても、フランスとチャイナが自分たちは戦勝国だと言ってるのは納得できないです
@@パスコン-z9s フランスなんざまだ可愛いもんでしょ。元は枢軸側の一角ながら真っ先に連合国に降伏したかと思えば、今度はしれっと日本に宣戦布告しやがった変節漢のイタリアに比べりゃね。
こんな話がある。
東條内閣が総辞職する少し前、東條夫人の勝子の元を1人の婦人客が訪れた。
だが、彼女は長居し過ぎて帰りが遅くなった。
そこで勝子は気を利かして、陸軍省に電話を掛け、電話に出た宿直担当の戸塚中佐に、「婦人客が帰る所だが、タクシーが無いからクルマを回して欲しい」とお願いした。
だが戸塚は、「ガソリン不足の時節柄、大臣のクルマと言えども、私用に回す事は出来ません」と言って断った。
それから数日後、戸塚は当時陸軍次官だった富永により、玉砕直前のサイパン島守備隊の参謀に左遷され、そこで戦死した。
冨永恭次には東條英機、山下奉文の両大将も激怒した事は記憶しています!冨永が東條英機の腰巾着で小磯首班に変わったら陸軍次官からフィリピンの第5航空軍司令官に飛ばされ上官の許可なくして部下を置き去りにしてフィリピンから台湾に逃亡しましたね!前線に出たら此の体たらくです!
他国であれば軍法会議にかけられ銃殺刑が当たり前ではないですか?
赤軍であれば懲罰大隊に放り込まれ人間地雷探知機として有効活用されてますよ。
戦後まもないイギリスでは『日本陸軍の高官は日本兵をいっぱい死なせてくれたので英連邦から勲章を授与しよう』というブラックジョークがあったそうです。
ちょっと笑えないブラックジョーク(>.
@@Toraianfu 遠征ばかり夢中になって、通商護衛もろくにさせなかった海軍主脳部にも与えてくれw
冨永は大戦中、東條内閣打倒運動に参加した、勅任官で当時42歳の松前重義博士(東海大学創立者)を、二等兵として召集、フィリピンに送ってしまいました。
しかし寺内寿一が自身の権限で松前二等兵を、軍属にした後、帰国させてしまいました。
寺内寿一の判断がなければ、恐らく今日の東海大学はなかったでしょう。
富永と内務省は悪くないかと。
B-29空襲対策を実施していた内務省は国民の戦勝気分に危機感を持った。
というのも国民は大本営海軍部発表、架空の大戦果と連戦連勝を信じ切っていたからだ。
内務省では海軍は絶対国防圏でも惨敗し、陸はサイパンを守れないと予想していた。
内務省の陳情を受け内閣東條と陸軍富永は軍部から「正確な情報開示」のコンセンサスを取ろうとした。
「国民の士気が落ちる」と危惧する陸軍には「竹槍訓練で士気高揚」を条件に情報開示の同意を得た。
対して海軍は、サイパン用の予算をラバウルで使い込み、追加の補正予算を欲していた。
海軍番記者と顧問学者を使い国民に「聞こえのいい」情報戦を仕掛けた。
「竹槍でB-29は落とせない。海軍に予算を付けて陸上攻撃機を量産すれば、
”また”米艦隊を撃滅するでしょう」
海軍発の楽観論に国民は海軍を頼み喝采をあげ楽観が広がった。
この情報戦の帳尻合わせが台湾沖の架空戦果であり戦勝祝賀の提灯行列であった。
楽観論を広めた記者と学者はその体で戦場を体験して来いという懲罰だった。
戦後、マスコミが元内務官僚に東條批判のコメントを取ろうとしたが、
「あれは東條さんが怒るのは当然だ。私も腹に据えかねた」と語気を荒げた。
@@aonegi3bon847さん
松前氏は、海軍の提灯持ち記者でしたから。
この人の愚策・浅慮により…幾万人もの若人の生命が無駄に散った😑…この人は…最期まで…自らを省みず…反省せず…遺族を逆撫でする言葉を吐いていた🤬
富永は上から押し付けられただけでに特攻を止める権限は無いし、第四航空軍はフィリピンで大活躍した部隊だぞ。
旧ソ連の名将であるゲオルギー・ジューコフの名言がまさに当てはまる。「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」東條にはまだ、昭和天皇への純粋なる忠義があるという点で一点の美しさがあったが・・・
日本軍の将校は馬鹿の百貨店ですね
でも前線の兵士や隊長はとんでもなく優秀で強いという不思議
上の無能を下が補うに関しては世界でもトップクラスですから・・・。
それにしても旧日本軍の偉いさんはこんな奴ばかりで嫌になります。
米軍評価は、毎回包囲戦仕掛けてくる。同じ攻撃でせん滅するまで。
まるで現代の政治家と国民、企業経営陣と従業員のようですな。
キター。富永恭次‼️
敵前逃亡は兵隊なら死刑。
将軍なら戦略的判断だー(苦笑)
「命惜しさに 富永が
台湾に逃げた その後にゃ
今日も飛ぶ飛ぶ ロッキード
でっかい爆弾に 身が縮む」
若鷲の歌のメロディーでw
陸軍による欧米の植民地への快進撃は、私からしたら評価するのが難しいです。
富永恭次は恥ずべき軍人だと思います。
富永氏は、自己弁護をしなかった事だけは敬服する。
13:50>マニラを放棄すれば何のために特攻隊を犠牲にしたのか分からない。
マニラ市民虐殺の件で山下大将は絞首刑にされたが、どうみてもえん罪。
山下大将のマニラ非武装都市化に反対した富永氏や海軍に責任があるとしか思えない。
海軍の第26航空戦隊司令官は、第3次ソロモン海戦の時の戦艦霧島の艦長だった。
デング熱で寝込んでいる人間にまともな判断が出来るわけがない、責任は司令官を変更しない大本営にある。
牟田口廉也も、10年間シベリア送りにされたら、こんな塩らしい言動になっていたかも知れない。
富永をフィリピンの第4航空軍司令官への任命は陸軍大臣杉山元が行ったもの。
その任命は能力を評価してではなく、私怨によるものだった。杉山は「ちょうどいい口があったよ」とこの人事を自画自賛していた。
来たる決戦場の主力航空軍の司令官を左遷先にと考えてしまうとは、当時の陸軍上層部の無能さが良く表れている。
ただ富永はかつての人脈を活用して第4航空軍の戦力、装備を充実させていった事は事実であった。
ただそれは戦局を考慮してと言うより、戦果を挙げたいと言う個人的な功名心だったと思う。
軍の戦略的判断ではなく、個人の個性や力量で戦力増強が出来るのも問題(343空の源田も似た面があるけど)
軍政家としても実戦部隊の指揮官としても凡将の軍人だったと思う。
愚将ではありません。
屑です。
強いて言うなら逃亡は本人の意思ではなく周囲の幕僚に押切られたとも言われますが拒否する事は可能です。
牟田口さんのような弁明をしなかったことだけは評価できる
伊達晴宗の末裔であり最後の海軍大将と呼ばれた井上成美を掘り下げして欲しい。
軍政は優秀だが、戦闘はまるで無能。
@@二見裕司-r6t
失敗続きの海軍で、戦上手な将軍がいたら教えて欲しい。
陸軍は山下奉文とか今村均とか、結構いるけど。
冨永将軍の悲劇は
自分の子供が一般大学から陸軍の
特攻隊将校として戦死した事。
子供を一般大学に進学させた
という事は、
子供は軍人にさせたくなかったんだね。
投稿お疲れ様です!
軍人になったのがこの人と部下にとっての一番の過ちだね
基礎的な体力は必要ではあるけでど学業?の成績で人事を行ったのが旧日本軍のダメなとこ-平時ならまだよかったかも?しれないが戦争が始まってからも基本これを続けたんだから勝てるはずがない
富永恭次の息子は立派な最後だったのにな
アメリカと戦争せずドイツと一緒にロシアを共同で叩いとけば良かったと思う。
やはり石油を止められる。
この人が参謀本部の第一部長の時、次長から参謀飾り緒を引きちぎられ、更迭された模様。この時に彼の才能は使い物にならないと評価されたはずなんですが、東條陸相の人事局長、陸軍次官と栄転したのが、日本の運命を決めたんですね。
違います。この時の陸相板垣さんが、庇った。
@@user-xn8xl4xx4e それで関東軍の支配下にある戦車学校の校長ということで飛ばされたんでしたっけ?
@@伊藤宏憲-f6tさま。
修正をありがとう御座います。
記憶違いでした。
お疲れ様です。巷間言われるほどの無能だったとは思わないけど敵前逃亡してしまった事は論外ですね 今後汚名を晴らすことは出来ないでしょう 特攻作戦の指揮官であり部下に自殺攻撃を命じた当事者であった以上身の処し方が他の将官より厳しく問われるのは致し方ない 本人がそれを良く分かっていたことは牟田口と大きく異なると思いますね
東條との関係が関東軍からとなっているが二人の関係はもっと深い 富永が陸士時代に東條は区隊長だった また富永は陸大35期だがその時の教官が東條だった 優秀な学生が教官と親交を深めて兄事する事で協力して昇進して行くマグの関係は広く行われており、東條と富永の関係は典型例と言える この縁もあり富永は一夕会に勧誘されて武藤らと一緒に参加している
関東軍に赴く前の富永は参謀本部作戦課長だったが大抜擢にも関わらず能力不足でたった4ヶ月で同期の武藤章に交代させられてしまった だから関東軍にいた東條が引き取って富永を救ったんだよ
東條が失脚するまでの富永の行動は基本的に東條の意に従って行動していたと見るのが妥当で北部仏印進駐での事件もその文脈で考えるべきだ
息子の冨永靖大尉、特攻で戦死 父が上級軍人であればいくらでも戦死する様な状況は回避できた筈。評判の悪い父親の不名誉を挽回したいという切なる思いがあったのではないか、、、想像に過ぎないが何か胸に迫るものがある。冨永恭次、戦の世に向かなかったのかも知れない男の悲劇を感じます。 冨永靖大尉の特攻攻撃を感謝し、冥福を心からお祈りします。
デング熱で寝込んでまともに立てないほど衰弱していた富永が自分の意思で撤退したとはとても考えられないな。
高木俊朗の書いたエピソードは全く信用できないのでそれを除くべきだろうね。
辻政信。
日本人は東郷と山本と東條しか知らないんだから、冨永なんとかなんて誰も知らないよ。
戦後責任転嫁や自己擁護しなかった点で牟田口よりはちょっとだけマシ
ほんのちょっとだけ
否定している人がいるけど
この人よりも宇垣纏さんの方が立派だと思うよ
コイツとジンギスカン屋は絶対に許さない
確かに。宇垣纏と大西瀧治郎の爪の垢を煎じて飲ませる人間。
部下を道連れに無駄死にした宇垣が何だって。
レイテのみで自爆攻撃をする。と、言っておいて常時戦術にし、2000万人自爆攻撃すれば。そんな司令官、次官がなにか。
桟橋に自爆攻撃を命令する司令官がなにか。
海軍が艦隊決戦だけしか考えて無いから、マルタに行っている山口提督、小澤提督から船団護衛、対潜とかの話はきかず、全くやってなかったので、多くの船員、漁業者、陸軍将兵が海没した。
見苦しい自己弁護しなかったのは意外だったわ、今の裏金議員への甘い処罰みたいなのはこの頃から横行してたんだね。
台湾えの逃亡は衰弱した富永将軍を本人に知らせず部下が偽の召喚状を書き台湾え送った記録があります。将軍の名誉のため紹介いたします。
仏印の時のかる意味の上司は板垣陸相。陸相は人事権が有る。
訂正、東條陸相でした。謝罪します。
板垣陸相は、4課へでした。此処で参謀肩章をです。
富永中将は酒タバコは遣りません。
出撃する空中勤務者は、水盃です。
空中勤務者からは、感謝されてます。抑留から帰国船に、迎に言ってます。
残された空中勤務者は、大西中将に帰国船を依頼してます。
岩村高俊みたいなヤツやなぁ
こういうヤツは絶対に許さない
愚将というよりは、凡将でしょうか。御子息を犠牲にされていたということからも、人間性は決して悪い訳ではなかったんでしょう。
同じく『息子を死なせた将』とはいえ、乃木とは雲泥の差ですな。
いや、そもそも比較するのが乃木に失礼極まりない。
ノーコメント!
なにか云うべきことがあるのかないのか、私にはわからん!しいて云うなら「クソダワケ!」「臆病者!」「日本陸軍一の
無責任男!」
こんにちわ、山本五十六と山本さんの親友の人山口多門、宇垣さん栗林忠道さんなどいい人達は居ますよね😊
本当に辻や牟田口など1番悪い人がいたから他にも居ましたけどその人達のせいで日本は戦争に負けたと思ってます。辞めるきっかけやタイミングはいっぱいあったと思うし昭和天皇も、強く尊重しとけば戦争にもならなかったと思うしまぁ中国の関東軍のメンバーのせいでもありますね。
そういう人達軍人を排除してたらまだ日本は平和だったと思う。
山本さん、山口さん、宇垣さん、がいい人?。
ミッドウェー海戦で責任転換した人が。
重慶無差別爆撃で、搭乗員に護衛機が無い状況なのに、命が惜しいのか。と、言いう人が。
部下を道連れに、米軍へ特攻攻撃する人が。
栗林中将は、硫黄島で17から40歳まで島民徴用して、最後まで付き合わしてます。17歳は、流石に。
牟田口中将は、司令官以前は山下大将からも信頼為れてました。有能です。
子犬ほどキャンキャン吠える。
負け犬とも言えます。
軍部の中枢に置かれる参謀としては、必要充分だったんじゃない?
最終的に、軍国主義のツケを負わせられる憎まれ役にもなったわけだし。
やっぱり愚将の方が多いのかな
今となってはどうでもいい話だ
こんなので、フランスが
戦勝国で常任理事国なのが
意味がわからない。
プライドはトップクラスだけど
チャーチルが 強く希望したから
アメリカ ソ連の発言力が強くなりすぎることを警戒したかららしい
@@MUSASI40
ありがとうございます。
にしても、フランスとチャイナが自分たちは戦勝国だと
言ってるのは納得できないです
@@パスコン-z9s フランスなんざまだ可愛いもんでしょ。
元は枢軸側の一角ながら真っ先に連合国に降伏したかと思えば、
今度はしれっと日本に宣戦布告しやがった変節漢のイタリアに比べりゃね。